アッシュフォード学園生徒会室。
そこでは新宿での虐殺とは無縁の、いつもの騒がしい日常が流れていた。
今日参加しているメンバーは三人。
ミレイ、リヴァル、シャーリーの三人で、ニーナは今日は欠席すると連絡があった。そしてもう一人は欠席の連絡もないのにここにはいない。
「会長聞いてくださいよ。ルルーシュの奴チェスの帰りに俺を置いてどっか行っちまったんですよ。おかげで俺は授業に遅れるわ先生に大目玉食らうわ散々な目に……」
「賭けチェスなんかしてるからでしょ。これに懲りたら、もう賭け事なんかやめなよ。帰ってきたらルルにもきつーく注意しなきゃ」
「あら? ルルちゃんってばまだ帰ってきてないの?」
「そうなんですよ! きっとまた賭け事でもしてるんです! 本当に碌な事に頭使わないんだから」
「いいじゃん少しくらい。ルルーシュの腕なら絶対負けないし、良い小遣い稼ぎになるしさ」
「そういう問題じゃないでしょ! 高校生の内から賭け事なんかしてどうするのよ」
ワイワイと騒がしい中、不意にミレイのポケットから軽快な音が鳴る。
「おっ、そのルルーシュから電話だわ。ちょっと外すわね」
「会長! ルルに早く生徒会に来るように言ってください。お説教してやるんだから」
「俺を置いて行ったことに対する苦情もお願いします」
「オーケーオーケー。ミレイさんに任せなさい」
胸を叩いて了承し、声が届かなところまで歩くとすぐに通話ボタンを押して耳に当てる。
「はいもっしもーし。どうしたのルルちゃん? さっきからリヴァルがルルーシュに置いて行かれた~って生徒会室で――」
「ミレイ」
たった一言、名前を呼ばれた。
いつもの会長という呼び方ではなく、名前を。呼び捨てで。
それだけでいつもの我儘でお祭り好きな天真爛漫な生徒会長のミレイは消え、ヴィ家に仕えるアッシュフォード家の一門、 現当主でありこの学園の理事長でもあるルーベン・アッシュフォードの孫娘、ミレイ・アッシュフォードとしての己へと切り替わる。
「いますぐクラブハウスの俺の部屋に来てくれ。同時に、何か異変があった際はすぐに知らせが届くように警備を強化しろ」
「かしこまりました。ただちに行います」
なぜか、などとは問わない。
同じクラブハウスにいる自分にわざわざ電話してきたという事は、それだけ時間を惜しんでいるという事。また警備の強化を最優先に指示したのは、それだけ危険な事態に陥っているからだ。
ミレイは電話が切れるのを確認すると、すぐに守衛に連絡して少しでもいつもと違う事があれば自分に報告するように厳命する。そしてルルーシュの部屋に行くより前に生徒会室へと顔を出した。
「ごめんみんな。ルルーシュと電話した後にお爺様から呼び出し受けちゃったから、ちょっと行ってくるわね」
「それはいいですけど、ルルは来るんですか?」
「なんだかルルーシュも用事ができたみたいで来られないみたいよ。だから後は任せるわね」
「えーそりゃないですよ会長ー!」
「ごめんごめん。今度埋め合わせするから」
早々に会話を切り上げて生徒会室を出る。
本来なら主の命令通り、生徒会室に寄らず真っ直ぐ部屋に向かうべきだったかもしれない。だがここで不自然に戻らなければ、不審に思ったシャーリーやリヴァルが捜しに来てしまうかもしれない。それは主も望まないだろう。
部屋の前に来たミレイは、居住まいを正しわずかながらに緊張で身体を固くしながら中に声を掛けた。
「ルルーシュ様。ミレイ・アッシュフォードです」
「入れ」
「失礼致します」
許可を得て部屋の中に入ると、普段なら塵一つないほど片付いている部屋がかなり散らかっていた。
部屋の主であるルルーシュは忙しなく動き回り、ベッドの上に置いたボストンバックに荷物を詰めている。
「いきなり呼び出してすまなかったな。ミレイ」
「お呼びとあらばいつでも駆け付けます。私はルルーシュ様に仕えるアッシュフォードの娘ですから」
いつもの先輩としての口調ではなく、臣下としての言葉遣いと慇懃な態度でミレイは答える。
その様子を当然とばかりに受け入れ、ルルーシュは一つ頷き続けた。
「早速だが本題に入ろう。悠長に話している時間はないからな」
無駄話など不要とはいえ、ここまで性急に話を進めようとするルルーシュにミレイは嫌な予感を憶える。
そしてその予感は正しいものだった。
「俺の生存が、本国に知られる可能性が高い」
「まさかとは思っていましたが、やはり……。しかし、一体どうして? それに『知られた』ではなく、『知られる』とはどういう意味でしょうか?」
「新宿の件、知っているか?」
いきなりの話題転換を怪訝に思いながらも表情には出さず、ミレイは新宿に関する事を思い出す。
「ニュースで交通規制があったとだけ聞いていますが、それが何か?」
「あれはテロリストの殲滅作戦を隠すためのものだ。テロリストはクロヴィスの機密を盗み、それを取り戻すためにクロヴィスはテロリストが逃げ込んだ新宿を封鎖し虐殺を行った」
「またブリタニアお得意の情報操作ですか。しかしなぜルルーシュ様がそのような事を……まさか」
「ああ。俺もそれに巻き込まれた」
「お怪我は!? すぐに救急車の手配を……」
「必要ない。外傷はないし、たとえ多少の怪我をしていようとも、いまは治療している暇などない」
ミレイの心配を一蹴し、ルルーシュは話を続ける。
「巻き込まれた先で俺は、見てはいけないものを見た。そしてそれをクロヴィスの親衛隊に知られてしまった」
「見てはいけないもの……皇族の秘め事ですか?」
「何を見たかは問題じゃない」
突き放すような答えに、だがミレイはすぐに意図を察し、頭を下げる。
「仰る通りです。重要なのは見たという事実、そしてその事実を知られた事、ですね」
「その通りだ」
極論を言えば、ルルーシュがどんなものを見ていようとどうでもいい事なのだ。それが国を揺るがす情報であろうとクロヴィスの裸踊りの光景であろうと、見た事を知られているのなら軍に追われるという結果は変わらないのだから。
「機密を見た以上、俺は親衛隊に命を狙われるだろう。制服姿でいるところを見られているから、調べればすぐにアッシュフォード学園の生徒である事はバレるはずだ」
「つまりはこの学園を……」
「あぁ。すぐに出る」
話が始まった時から予想し覚悟していた事とはいえ、正面からそれを告げられたミレイは心を殴られたような衝撃を感じた。
ずっと守ると決めていた主君が、自分の与り知らぬところへと出て行ってしまう。それは己の使命が果たす事もできず終わってしまう事を意味していた。
「アッシュフォードには、申し訳ないと思っている」
これまで毅然と話していたルルーシュの声がわずかに揺らぐ。
それは言葉通り申し訳なさ、罪悪感と呼ばれるもののせいだろう。
もし親衛隊がアッシュフォードにやってきてルルーシュの事を調べたなら、その容姿と名前、妹の目と足が不自由であり、ヴィ家に仕えていたアッシュフォードのお膝元にいたと言う事実から、目敏い者なら簡単にルルーシュが死んだはずの皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアである事に気付くだろう。
それが露見すれば皇族の生存を知りながらそれを隠していたアッシュフォード家は確実に厳罰を受ける。お家の取り潰しは当然、もしかしたら一族郎党処刑されてもおかしくはない。
しかしそんな事は、ずっと昔から分かっていた事だ。
「お気に病む必要はございません。我らアッシュフォードは殿下に仕え、これまで御身を守れた事を心より誇らしく思っております。それはこの先どのような目に遭おうとも変わる事はございません」
一切の嘘偽りなく、心からミレイは告げる。
たとえ処刑されたとしても、これまでこの方を守ってきた事を後悔する事などあり得ない。
ミレイの視線を真っ直ぐ受け止め、それが伝わったのかルルーシュは噛み締めるようゆっくりと頷いた。
「アッシュフォードの忠節に、心より感謝する」
それだけだった。しかしそれで充分だった。
忠義を疑わずに受け取ってもらえる。それだけで臣下にとっては充分なのだ。
「どこか行く当てはあるのですか?」
「こんな時のためにいくつか逃げ込める場所は準備している。しばらくはそこで潜伏する事になるだろう」
さすがの段取りの良さにホッと安堵する。
最悪主君がゲットーで野宿する事態もあり得たのだ。
そんな事になっては亡きマリアンヌ様にも顔向けできない。
「俺はこれからナナリーに事情を説明してくる。お前にはナナリーの荷造りをしておいてほしい」
「かしこまりました。ナナリー様にはなんと?」
「詳細は言えないが、正体を知られる可能性があると正直に話す。……責められても仕方ないだろうな」
「ナナリー様はご理解してくださると思います。あの方は穏やかですが、芯の強いお方ですから」
「そうか。そうだな……」
最後の荷物をボストンバックに入れ終えたルルーシュは部屋を出べく扉に手を掛け、開ける前に首だけで振り返った。
「ありがとうございました、会長。いままでお世話になりました」
そう言って、返事も聞かず部屋を出て行く。
残されたミレイの瞳から、音もなく涙が溢れた。
廊下を歩きながら、ルルーシュは大きく深呼吸した。
いつもなら最愛の妹に会うのはルルーシュにとって最高の時間であり、そこに緊張や覚悟などといった言葉は無縁のものだ。
しかしこれから伝えなければならない事を考えれば、そこには大きな決心と、拭いきれない恐怖が生まれる。
場合によっては、妹から嫌われる可能性もあるだろう。悪しざまに罵られ、責められるかもしれない。
しかしそれでも伝えなければならない。自分と妹の命を守るためには。
覚悟を決め、ルルーシュはナナリーがいつもいる食堂へと足を踏み入れた。
「ただいま。ナナリー」
「お帰りなさい。お兄様」
車いすに座りながら穏やかに微笑む最愛の妹。
その姿を見て罪悪感と喜びが同時に胸をよぎる。
この笑顔を壊してしまうかもしれない罪悪感と、生きてまた会えた喜びが。
「今日は早いんですね。生徒会はどうされたのですか?」
疑問を口にしながら兄と早くに会えた事に対する嬉しさを隠しきれないナナリーの質問には答えず、ルルーシュは無言で近付くと膝をついて彼女の手を取った。
「お兄様?」
「俺の生存が本国に知られるかもしれない」
「えっ……?」
単刀直入に事実を告げる。
傷付かないように回り道をして話している時間はなかった。いますぐにでも、学園に親衛隊が押し寄せてこないとも限らないのだ。
案の定ナナリーは戸惑って、兄の言葉をどう受け取っていいのか分からないようだった。
その事に罪悪感を抱きながら、ルルーシュはさらなる残酷な事実を話す。
「まだそうと決まったわけじゃない。だがその可能性がある以上、もうここにはいられない」
「それは……この学園を出て行く、という事ですか?」
不安と動揺で声を震わせる妹に、ルルーシュは唇を噛みながら頷く。
「その通りだ。いきなりこんな話をしてすまない、ナナリー。だが時間がないんだ。すぐにでもここから逃げなきゃいけない」
「そんな、どうして……」
「俺のミスだ。俺が不注意で軍の揉め事に巻き込まれたせいで、こんな事になった。――本当にすまない」
「お兄様……」
謝罪を繰り返すルルーシュ。
そのいつもとまるで違う兄の姿に、ナナリーが戸惑っているのが重ねた手から伝わってきた。
それを情けなく思いながら、ルルーシュは目の見えない妹を真っ直ぐに見つめる。
「もし見つかれば、俺達は本国に連れ戻される。そうなればまた政略の道具だ。だがそんな事には、絶対にさせない」
強い決意と覚悟をもってルルーシュは宣言する。
震える妹の手から恐怖を拭い去れるように。
「これからきっと不自由な思いをさせてしまうと思う。会長やリヴァル達とももう会えないかもしれない。だけど俺が必ず、お前を守る。だからナナリー、こんな事態を引き起こした俺を恨んでもいい。憎んでもいい。許さなくてもいい。それでも一緒に来てくれ」
こんな選択を妹に強いる自分の弱さが本当に嫌になる。
だが事態は既に進行してしまっている。どれだけ無力を嘆いたところで、状況は変わらない。
たとえ嫌われる事になろうとも、最愛の妹だけは守らなければいけないのだ。
自己嫌悪に押しつぶされそうになるのを必死に耐えるルルーシュの手に不意に、温もりが宿る。
目を向ければ、ルルーシュの手はいつの間にかナナリーの両手に包まれていた。
「私がお兄様を恨んだり憎んだりする事なんてありません。ましてや許さないなんて、そんなのあり得ないんです」
「ナナリー……」
「私はお兄様さえいてくれれば、それでいいんです」
そう言ってナナリーは優しく微笑む。
そこには一切の嘘など感じられず、ただただ目の前の兄への思慕だけがあった。
それに救われるような気持ちになって、ルルーシュは思い出す。
ナナリーを守らなければと常に考え行動していたが、守られているのは自分も同じなのだと。
あの日、母が死んで父に見捨てられたあの時から、壊れそうな自分の心を守ってくれているのは彼女なのだ。
彼女がいる事が、変わらず自分を信頼し慕ってくれる事が、壊れそうな己の心をずっと守ってくれている。
「ありがとう。ナナリー」
万感の思いを込めて、ルルーシュは感謝の言葉を口にする。
それ以上の言葉は必要ではなく、ナナリーにもその思いは充分に伝わった。
「それでお兄様、これからどこへ行くのですか?」
「租界外縁部に家を用意しているから、ひとまずそこに隠れようと思う。ナナリーにもすぐにここを出る準備をしてきてほしい。必要なものは会長が準備してくれているはずだから、お前は大切なものだけ持っていけばいいよ」
「分かりました。ではすぐに準備して参りますね」
「あぁ。ありがとうナナリー」
車いすを操作してナナリーが食堂を出て行く。
その後ろ姿をルルーシュは複雑な気持ちで見送る。
だが感傷に浸っている暇はなく、入れ違いでミレイが食堂に入ってきた。
「ルルーシュ様。準備が整いました。僭越ながら今後必要になりそうな物もこちらでご用意させていただきました」
「ご苦労。すまないがルーベンにはお前の方から言っておいてくれ。本来なら直接礼を言うべきだが、そんな余裕はないからな」
「存じております。生徒会のみなにも、私の方から伝えさせていただきます」
「頼む」
これまで共に過ごしてきた生徒会の仲間に何も言わずに出て行く罪悪感はあったが、話している時間もなければ、話せる事情でもない。結局は嘘をついて行くか黙って行くかの二択になってしまうなら、何も言わない方がいい。
「ナナリーの準備が出来次第ここを発つ。親衛隊の動向を把握するためにも、お前には不定期で連絡を入れるが、こんな時のために用意していた暗号は憶えているか?」
「はい。全て記憶し、原本は焼却しております」
打てば響くミレイの答えにルルーシュは満足げに頷く。
子供の頃には五百通りに変化する完璧なブロックサインを考えたのにも関わらず、スザクが憶えられず簡単なサインに変えたのは苦い思い出だ。
「よし。ならミレイ。お前はナナリーを手伝ってきてくれ。俺も準備が出来次第そちらと合流する」
「かしこまりました。……あの、ルルーシュ様」
先程までの毅然とした態度とは違い、口にするのを躊躇うように名前を呼ばれルルーシュは眉を顰める。
「どうした? 何か気になる事でもあったか?」
「いえ。そうではありません。ただ……」
奥歯に物が挟まったような言い方をするミレイ。
彼女がこういった態度は非常に珍しい。ヴィ家に仕えるミレイ・アッシュフォードは臣下として物怖じせず常に明確に言葉を発する。そしてそれは生徒会長である時も同じで、明るく強引な性格をしている彼女が言葉を濁したりする事は滅多にない。
彼女は視線を主君の足元に落とし、しかしすぐに顔を上げ悲壮な表情で口を開いた。
「もし、もしご迷惑でなければ、私もご一緒に――」
そう言い掛けて、ミレイはハッと目を見開く。
おそらくはこちらの態度に気付いたのだろう。
ルルーシュは決してミレイがついてくる事を望んではいなかった。
「失礼致しました。いきなりの事に取り乱していたようです」
頭を下げ、ミレイは言い掛けた言葉を封印する。
彼女の思いを嬉しく思いながら、ルルーシュもそれに言及はしない。
「では私はナナリー様のお手伝いをして参ります」
「あぁ。よろしく頼む」
「かしこまりました」
そう言いながらミレイはすぐに部屋を出る事はせず、決意を滲ませた瞳でルルーシュのアメジストの目と視線を合わせる。
「この先もし必要とあらば、いつでもお呼びください。私ミレイ・アッシュフォードは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様のためならば祖国を敵に回してでも駆けつけます」
誰かに聞かれればクーデターを起こすと受け取られない宣言をするミレイの視線を真正面から見つめ返し、ルルーシュはゆっくりと頷く。
「ミレイ・アッシュフォード。貴殿の忠義、確かに受け取った」
その言葉を受け、ミレイは今度こそ食堂を出て行く。
完全に扉が閉まったのを見て、ルルーシュは天井を仰いで大きく息を吐いた。
あれだけの忠誠を見せてくれた彼女に何も返せない事が、どうしようもなく情けなかった。
ミレイさんの臣下の口調難しいですね。
まるで別人のよう。
箱庭から飛び出したルルーシュとナナリー。
彼らは親衛隊から逃げられるのか。
次回:変えられるもの・変えられないもの・変わらないもの
タイトルは変更するかもです。