コードギアス~あの夏の日の絆~   作:真黒 空

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4月2(C.C.の)日にも4月4(C.C.の)日にも間に合わなかったけど、4月12(C.C.の)日にはなんとか間に合った!


31:迷える心

 

 学園の施設の中でも使用頻度が極端に少ない礼拝堂で、最奥のステンドグラスを見上げる一人の青年がいた。

 両手を胸に合わせる事もなくポケットに突っ込み、膝をつく様子すらない。

 制服に身を包み紫紺の瞳を鋭く細める姿は、神を睨みつけているようですらあった。

 もしこの場に神父がいたなら怒り狂うだろう態度を貫く青年――ルルーシュは視線を動かし、自らが仕掛けた監視カメラの位置を確認する。

 今頃自分の部屋では、親友がこの礼拝堂やクラブハウス、そして学園の出入り口などの計38箇所に取りつけたカメラの映像を目を皿にして見ている事だろう。連絡がないという事は、いまのところ問題はないらしい。

 腕時計で時間を確認し、もう一度ルルーシュはステンドグラスを見上げた。 

 

 いままでの人生で神に祈りを捧げた事は一度もない。

 皇帝こそが至高と讃えるブリタニアにおいて神の存在など信じる者の方が少なく、そういう概念がある事は理解してもそれを信じる者はごくわずかだ。ルルーシュもそんな大多数と同じく、理屈で説明できない存在には懐疑的だった。

 母が死に、国に捨てられてからもその考えが変わる事はなかった。むしろより一層、彼は神という存在を信じなくなった。

 もし神がいるなら、なぜ自分達はこんな目に遭っているというのか。

 世界は不条理と理不尽に溢れ、人を陥れ金を稼ぐような悪人が贅沢を謳歌し、人を気遣う優しい人間が泥水を啜る。

 幸せな日常は自らとは何も関係ない理由で簡単に崩れ去り、どれだけ守りたいと願ったものも世界は残酷に奪い去って行く。

 神という存在が本当にいるというなら、そいつはよっぽど性格が歪んでいるのだろう。

 そんな奴に何を願おうが、素直に叶えてくれるはずもない。

 

 背後から扉の開く音が聞こえ、緊張に身体が強張るのを感じたが、それをなんとか抑えルルーシュは振り返った。

 入ってきたのはオレンジ色の髪の少女。

 いつもは快活な態度で明るい笑顔を浮かべる少女は、酷くやつれた顔で目に見えて分かるほど警戒心を剥き出しにしていた。

 両手を所在なく胸の前で握るのは、無意識に相手と距離を取りたいという気持ちの表れだろう。

 こちらを一度も見る事はなく、挨拶の言葉すらない。その姿からは明確に怯えの色が窺える。

 そんな状態でありながらもこの場に来てくれた事に感謝しながら、ルルーシュは少女の名前を呼んだ。

 

「シャーリー」

 

 名前を呼ばれた途端、少女の身体がビクッと震える。

 身内を殺した人間を前にすれば当然の反応だろう。

 やはりスザクを連れて来なくて良かったと思いながら、もう彼女が自分に笑顔を向けてくれる事は二度とないのだと実感し、ルルーシュの心に影が差す。

 だがそれこそが自らの行動の結果であり、選んだ道だった。

 胸に針を刺されたような痛みを感じながらも、ルルーシュは呼び出しに応じてくれた事に対する感謝を口にする。

 

「よく来てくれた」

 

 それに対してもシャーリーから答えはなかった。

 ルルーシュの足元を見ながら中へと歩いてきて、数メートルの距離を開けて立ち止まる。

 声を張らずとも話せるギリギリの距離感で二人は向き合う。

 

「……」

 

 ルルーシュはすぐに本題に入ろうとはしなかった。

 いまの彼女が自分に対しどんな感情を抱いているかは想像に難くない。

 その内心を慮れば、心の準備が整うまでに時間が必要なのは分かっていた。

 

「……聞きたい……ことがあるの」

 

 しばらくして、ポツリと、シャーリーが呟くような声で言って顔を上げた。

 初めてルルーシュとシャーリーの視線が合う。

 いままで向けられた事のない瞳の色に、ルルーシュの心臓が跳ねた。

 

「……ルルが、ゼロなの?」

 

 シンプルな問いだった。

 そしてその言葉には、否定してほしいという彼女の思いがありありと窺えた。

 答えなどとうに分かっているはずなのに、それを知ってここに来たはずなのに、それでもそんな願いを持つ事を諦められないとばかりに彼女は縋るように問う。

 その気持ちを、葛藤を、苦悩を理解しながら、ルルーシュが返せる答えは一つしかなかった。

 

「そうだ」

 

 ルルーシュの答えを聞いた瞬間、シャーリーの顔がクシャリと歪む。

 それは悲しみと怒りが同居した悲痛なもので、彼女の苦しみをそのまま表しているかのような表情だった。

 

「どうして!?」

 

 事ここに至っても感情を見せないルルーシュとは対照的に、胸の内の感情を抑えられずシャーリーは叫ぶ。

 正体を知った時からずっと心の中を暴れ回っていた激情をぶつけるように。

 

「なんでルルがゼロなの!? 学校じゃいつも通りだったじゃない! みんなで仕事して、会長に振り回されて、でも仕方ないなぁって一生懸命終わらせて、そうやってみんなで笑ってたでしょ! なのに、なのになんでゼロになんてなったの!?」

「……」

「私達の事――騙してたの? 一緒に笑いながら、心の中ではずっとバカにしてたの? みんなで騒いだり、笑ったり、頑張ったりしたのも、全部嘘だったの?」

「……」

「ねぇ答えてよ! ルルにとって私達ってなんなの? なんでルルがゼロなの? なんで、どうして――お父さんを殺したのよ!」

 

 耳を劈くような悲痛な叫びが礼拝堂にこだました。

 学園で一緒に過ごしていたルルーシュと、父親を殺した冷酷なテロリストの姿がシャーリーの中でどうしても一致しない。

 自分は知っている。

 冷めたように振舞ってはいるが、ルルーシュは本当は優しい人だ。

 面倒な事も頼めば手伝ってくれるし、困っている人がいたらなんだかんだ放ってはおけない。

 ずっと見てきた。だから好きになった。

 なのにそれすら、嘘だったというのだろうか。

 周囲に溶け込むための偽装だったというのだろうか。

 

「……言い訳をするつもりはない。俺はみんなを騙していた。いや、いまも騙し続けている。正体を隠し、名前を偽り、心を欺いて、何食わぬ顔でみんなと一緒にいる。それは紛れもない事実だ」

 

 感情の読めない淡々とした口調でルルーシュが答える。

 視線は合っているのにその心の内は欠片も見通せず、能面のような無表情で眉すら動かない。

 その姿はまるで仮面を被っているかのようだった。

 

「……それだけ?」

 

 ルルーシュが続きを語る事なく黙るのを見て、シャーリーは絶望したかのように表情を一層歪める。

 

「そうやって私達を騙して、何も感じなかったの? 謝ってもくれないの? ルルにとって、私達ってその程度の存在なの?」

 

 泣きそうな問いが放たれる。

 声音とは正反対に責めるようにぶつけられた疑問にも、ルルーシュは表情一つ動かさない。

 そんなルルーシュの態度に、シャーリーの心はどうしようもないほど打ちのめされる。

 自分の言葉が何一つルルーシュには届いていないのだと思い知らされ、膝から崩れ落ちそうになる。

 あるいはそれがゼロなのか。

 いま目の前に立っているのは、シャーリー・フェネットの知っているルルーシュ・ランペルージではなく、テロリストの首魁ゼロだから、自分や生徒会のみんなの事など気に掛ける価値すらないと切り捨てているのだろうか。

 もうどこにも、自分の知っている――自分が好きになったルルはいないのだろうか。

 

「……」

 

 一方ルルーシュは、零れ落ちそうになる謝罪の言葉を意志の力でなんとかせき止めていた。

 本来なら最初の一言で謝罪を口にするべきなのは分かっている。

 それが人としての正しい在り方であり、誠意というものだ。

 だが謝ってどうなるというのか。

 どれほど謝罪しようと、後悔の涙を流し懺悔しようと、失った命は戻ってこない。

 それなのに罪を犯した自分が、みんなを騙しているつもりはなかったと、君の父親を殺すつもりなんかなかったんだと、そう叫べば彼女はどう思うだろう。

 憎しみを向けてくれるのならまだいい。だがもし、彼女がその言い分をわずかにでも受け入れてしまったら。

 心優しい彼女は父親の仇を純粋に憎む事すらできなくなってしまう。

 相手の事情を汲み取り、気遣い、尊重する。

 それは間違いなく美徳と呼ばれるものだ。

 ルルーシュも彼女のそんな在り様を心より尊敬する。

 だがこの状況において、彼女の美徳は自身を追い込み、傷付ける刃になりかねない。

 だからこそルルーシュは、安易に謝罪の言葉を口にするわけにはいかなかった。

 自身の良心の呵責を消すために、彼女に更なる苦悩を与えて良いはずがない。

 彼女の怒りは、憎しみは、その慟哭に込められた全ての感情は、己の罪そのものなのだから。

 

「俺には為さなければならない事がある。そのために俺は、ゼロになった。それが全てだ」

 

 問われた詳細には答えず、意志と事実だけを語る。

 思いを語れば、それが言い訳になってしまう事は分かっていた。

 

「私達の事なんか、どうでも良かったって事?」

 

 求めた回答を得られなかったシャーリーが再び問う。

 一面だけを見ればその通りだった。

 ルルーシュはナナリーという存在を最優先に、他の人間の優先順位を下位に置いた。

 それはナナリー以外の人間など、どうでも良かったと断じる事もできる。

 

「私のお父さんの事も、ルルにとってはどうでも良かったの?」

「……」

「答えてよ。どうしてお父さんを殺したの? お父さんが死ななきゃいけないような事、何かしたの?」

 

 否定も肯定もしないルルーシュをシャーリーは問い詰める。

 涙で滲んだ淡緑の瞳と、底の見えない紫紺の瞳が交差する。

 長い沈黙が続いた。

 だが二人は瞳を逸らそうとはしなかった。

 

「そこにいたからだ」

「――えっ?」

 

 ようやく口を開いたルルーシュの答えに、シャーリーが目を丸くする。

 

「ブリタニア軍は日本解放戦線の殲滅を決め、そして俺は黒の騎士団総帥としてブリタニア軍と戦う事を決めた。君のお父さんはその戦場の近くにいた。だから殺した」

 

 鋼の意思で声が震えないように己を律しながら、ルルーシュはありのままを語る。

 殺すつもりがなかったなど、そんなものは言い訳にもならない。巻き込まれるかもしれない人がいる事を知りながら、それでも犠牲が出る方法を取った。それだけが揺るぎない事実なのだから。

 

「そんな……事で? ……ただ近くにいたから、お父さんを殺したって言うの!?」

「そうだ」

 

 非情と言う事すら生温いルルーシュの答えに全身を震わせ、目を見開いてシャーリーが叫ぶ。

 それに対してもルルーシュが目立った反応を見せる事はなく、ただ頷き肯定した。

 罪の意識すら見せないその態度が、シャーリーの激情をさらに煽り立てる。

 

「ふざけないで! そんなの――そんなのってないよ!」

 

 両手で頭を掻き回し、ヒステリックにシャーリーはルルーシュを糾弾した。

 

「黒の騎士団は弱い人の味方だって言ってたじゃない! お父さん凄く優しくて、私の事、大切にしてくれて……なのに、そこにいたからって……ただそれだけで、殺したなんて…………そんなの、あんまりだよ――!」 

 

 大粒の涙を流して叫んだシャーリーが、力なく膝を折る。

 父を殺した人物が自らが好意を抱く想い人であり、しかもその理由が父の人格や行いとはまるで関係ない理不尽なものだったと知らされた彼女の心は、どれだけ傷付けられた事だろう。

 あまりの事実に立ってすらいられなくなった少女の姿に、駆け寄りそうになる自らの足を制してルルーシュは告げる。

 

「恨んでくれて構わない」

 

 言葉を一つ口にするたびに、まるで身体の内側をナイフで突き刺されたような痛みを感じながら、それでもルルーシュは話す事を止めなかった。

 

「俺はなんの罪もない君のお父さんを殺した。自分の都合で、ただそこにいたからという理由で――――殺した。理不尽に肉親を殺された君が俺を憎む気持ちも、殺したいと思う気持ちも当然のものだ。君には俺を殺す権利がある」

「っ……!」

 

 その言葉に、シャーリーの身体が目に見えて跳ねる。可哀想なほど身体を震わせる姿からは、何度もその可能性が頭をよぎった事が窺えた。

 自身の親を殺した相手に復讐したいという気持ちを、ルルーシュは誰よりも理解できた。己の行動理由の一つにそれがあるのだから、当然の事だ。

 母が殺された日の事を思い出し、血がにじむほど拳を握りしめる。

 自らと同じ不条理を友達に味わわせてしまった罪の意識は、いまにも心を食い破って何もかも投げ出してしまいたい衝動をルルーシュに齎した。

 けれど、それが彼の行くと決めた道だった。どんな罪も受け入れ、背負い、前に進む事を己の心に誓ったのだ。

 

「それでも俺は、君に殺されるわけにはいかない。止まるわけにはいかない。君が俺を殺すというなら、俺は全力でそれに抗う」

「っ!」

 

 身勝手な事を口にするルルーシュに、絶望し俯いていたシャーリーがキッと顔を上げて睨み上げる。

 瞳に灯る瞋恚の炎は、天真爛漫な彼女とはあまりに不釣り合いであり、それゆえに受け止めるルルーシュの心を鋭く射抜く。

 

「そんなのずるいよ! だって、だってルルはお父さんを殺したんでしょう! なのに自分は殺されたくないなんて――――ずるい! 卑怯だよ! そんな事言うなら、どうしてお父さんを殺したのよ!」

「俺は俺の願いのために、君のお父さんも含めた数多の命を手にかけた。そしてこれからも殺め続けるだろう。俺にはどれだけこの手を血に染めたとしても、成し遂げたい願いがある。それを成し遂げるまで、俺はこの歩みを止めるわけにはいかない」

「そんなの、そんなの――!」

 

 何度も繰り返し拳で地面を叩き、悔しそうにシャーリーは唇を噛む。

 こんなにも自分はつらくて、苦しくて、どうにかなってしまいそうなのに、ルルーシュは表情一つ変えずに自分勝手な都合を語る。

 自分のどんな言葉も、どんな思いも、厚い壁に隔てられルルーシュには届かない。

 それがどうしようもなく、心を穿つ。

 本当に自分は、彼にとってどうでもいい存在なのだろうか。

 いままでの日々は全部、嘘で塗り固められた意味のないものだったのだろうか。

 穴だらけになって闇色の底なし沼に沈んでいく心が、声を枯らして悲鳴を上げていた。

 

「ねぇ、教えて……ルル」

 

 どれだけ手を伸ばそうとまるで掴めないルルーシュの影を掴むため、シャーリーは滂沱の涙を流しながら救いを求めるようにそれを問うた。

 

「ルルは……私のお父さんを殺してまで、何がしたいの?」

 

 その問いに初めてルルーシュの表情が動く。

 決して感情は見せないと律していた決意に罅が入る。

 それだけシャーリーの姿は危ういものだった。

 ルルーシュには理解できなかった。

 これだけ情のない態度を取って、彼女の父親まで殺しているというのに、どうしてそんなにも自分を理解しようともがくのか。

 仇だと、憎い相手だと恨んでしまえば楽なはずだ。

 学園で見せていた姿は全て嘘であり、ずっと周囲を騙していた冷酷無慈悲な人非人なのだと、そう断じるのに相応しい振る舞いを自分はした。

 なのになぜ、彼女はまだルルーシュ・ランペルージという人間を信じようと行動の真意を問うてくるのか。

 

 それにゼロとして答えを返すのは簡単だった。

 ブリタニアを破壊するためだと、一言告げればいい。

 革命を望むテロリストとして、思い通りにならない世界を変えるためブリタニアという国を壊すのだと。

 それはゼロとしての行動原理に沿うものであり、確かにルルーシュの目的の一つなのだから。

 人を騙すのに効果的な方法の一つは、嘘を言わない事だ。

 問われた物事に対して、真実を答えるのではなく、嘘にはならない事実に即した答えを口にする事。

 それは人から嘘をつく不自然さを消し、言葉に真実味を持たせる。

 だからたった一言口にするだけでいい。ブリタニアを壊すためだと。

 その裏に隠された真意を見抜く事など、感情が乱れ切っている彼女には不可能だろう。

 我欲に塗れた身勝手な答えを聞いた彼女は、こちらの思惑通りルルーシュ・ランペルージを恨み、憎悪してくれるはずだ。

 ここでもし情に流され真実を口にすれば、彼女はきっとその事情を汲み取ろうとしてしまう。

 それは彼女にさらなる苦悩と痛みを齎す結果しか生み出さない。

 

 だから――――言え。

 

 たとえ彼女の心に取り返しのつかない傷跡を刻む事になろうとも。

 彼女が自身の善良さに押し潰されて底のない暗闇に沈んでしまうよりずっといい。

 だから、

 だから――

 

 

「弱い者が――――ナナリーが幸せに暮らせる優しい世界を、俺は創る」

 

 

 決して口にしないと決めていた己の真実を、ルルーシュは告げる。

 それはいままで味わったどんな痛苦よりも激しい痛みをルルーシュに齎した。

 できるならいますぐ心臓を掴み出して握り潰してしまいたい衝動に襲われながらも、唇を血が出るほど噛みつけてそれに耐える。

 こんな事を口にする権利がないのは分かっていた。目の前の友人の幸せな家庭を壊しておいて、自分は大切な人と幸せな世界を生きたいなんて、厚顔無恥にもほどがある。

 自分のすべき事は己の思いを語る事ではなく、彼女を騙し、欺いて、なんの情も持たない非道なテロリストを演じる事だ。彼女に憎み、恨まれる事が、彼女の父親の命を奪った自分が取るべき責任だ。そんな事は誰に言われずとも分かっている。

 

 なのにどうしても、ルルーシュには言えなかった。

 もしそれを口にすれば、彼女が壊れてしまうんじゃないかと、そう思ってしまったから。

 それほどまでに、自分は彼女にとって大きい存在なのかもしれないと、そんな傲慢な考えを抱いてしまったから。

 もしかしたら自分を憎しみ続ける事こそが、彼女にとって最もつらい生き方なのかもしれないと、口にするのも憚られる愚かな思考が頭をよぎってしまったから。

 願うように、祈るように、怖がりながらも懸命に真実を求めてくる彼女に、欺瞞の答えを口にする事がどうしてもできなかった。

 

「ナナちゃんのためって……どういう事?」

 

 困惑したシャーリーの声が耳朶を打つ。

 それになんと答えていいか、ルルーシュには分からなかった。

 ゼロを演じればいいのか、ルルーシュ・ランペルージとして話すべきなのか、それすらも判断できない。

 いっそ全てを洗いざらい話してしまえば、なんてバカな事を考えて、楽になりたいなんて一瞬でも思った自身に対してこれ以上ないほどの嫌悪を抱く。

 全てを話して、それでなんになる? 彼女を血生臭い修羅の道へと巻き込んで、その身を危険に晒すだけだ。そんなものは誠意の皮を被せた醜悪な自己欺瞞に他ならない。

 罪の意識を感じるなら、いますぐ土下座でもなんでもして、彼女の父を奪った代価にこの命を差し出せばいい。

 彼女の父を殺した自分が見せられる誠意など、それ以外には存在しない。

 

 だが、それでも。決めたのだ。

 罪も憎しみも恨みも後悔も矛盾も、全てを背負って進む事を。

 

 強者が弱者を虐げない世界を創るのだと。ただ弱いというだけで怯えなければいけないような、そんな世界は徹底的に破壊しつくしてやるのだと。己の心に誓いの旗を打ち立てた。

 どれだけの血を流し、どれだけの傷をこの身に受け、いつか願いが叶ったその時に心臓を銃弾で打ち抜かれる末路が決まっていたとしても、歩みを止める事はしない。

 だからこそルルーシュは、これ以上彼女に掛ける言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

「……」

「答えて、くれないの……?」

 

 何も答えずに黙り込むルルーシュに、縋るような声で問うシャーリー。

 それに対してもルルーシュは沈黙を貫いた。

 巻き込む事もできず、憎まれる事にすら失敗した。

 指針を見失ったルルーシュに、もはや語れる言葉はない。

 

「そっか……」

 

 失望したような呟きを落としてシャーリーは頷いた。

 その赤く腫れた目からは、もう涙は流れていなかった。

 いつも優しさを湛えていた瞳には、ただただ深い悲しみの色が浮かんでいる。

 

「ルル。私がもし……」

 

 先程の激情が嘘のように穏やかな声をシャーリーは自らの想い人に向ける。

 

「もしあなたを許さないって言ったら、ルルはどうする?」

 

 それはこの話し合いの前に言われるかもしれないとルルーシュが覚悟していた言葉の一つだった。

 正確には、それは質問の形ではなく糾弾の形でぶつけられると予測していたが、内容自体は変わらない。

 もしその言葉を向けられたなら、黙って受け入れようと、そう決めていた。

 だが覚悟していたはずの状況に直面し、ルルーシュはその問いに対して答えるべきか迷う。

 それが憎しみと共に吐き出された言葉なら、そうしていただろう。

 しかし実際には彼女が自分に憎しみを向ける事はなく、全てがナナリーのためであるという事情すら知られてしまっている。

 そんな状況で、黙り込んで何も言わない事が責任だろうか。誠意だろうか。

 それはただ逃げているだけではないのか。

 

 事情を話す事はできない。

 それは彼女を巻き込む事だ。身内を失った彼女をこれ以上危険な目に遭わせるような事など断じてあってはならない。

 しかしこの問いはそうではない。

 答えたとしても彼女に害はなく、もはや彼女に憎まれるだけのテロリストになる事もできないというなら、せめて投じられた問いには真摯に答えを返すべきではないのか。

 ゼロになると決めた時よりよほど悩み迷って、身を切るような選択の末、ルルーシュはシャーリーの質問に対する回答を口にした。

 

「俺が……俺の願いを遂げた後であれば、この命を君に差し出そう」

 

 答えるかどうかは悩んでも、答え自体に迷う事はなかった。

 元より彼女の父を殺したと知った時から、全てを終えた後で何もかも打ち明けようと決めていた。

 そして彼女が望むなら、復讐の刃も受け入れる事も。

 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ。

 彼女の父親を殺した自分が彼女に殺される覚悟など、とうの昔にできている。

 

「……うん。分かった」

 

 ルルーシュの答えを聞いたシャーリーは力なく頷く。

 その表情は全てに疲れ切ったかのようになんの感情も浮かべてはいなかった。

 

「分かんないけど……分かった。いまは、それでいい」

「シャーリー……」

 

 病人のように肩をだらりと下げながらゆっくりと立ち上がり、シャーリーは再びルルーシュを見る。

 

「ねぇルル。私の頭の整理がついたら、もう一回話をしてくれる?」

「それは……」

 

 なんと答えるべきかルルーシュは迷い、口ごもる。

 しかしそれを拒絶したところでなんの解決にもならない事を悟り、彼女の瞳を真っ直ぐ見返して頷いた。

 

「分かった。約束しよう。必ず一度、機会を作る」

「うん。ありがとう……」

 

 この礼拝堂に来てから初めて小さく笑い、シャーリーが背を向ける。

 彼女が出て行こうとしているのを察し、ルルーシュは本来の目的を遂げるために呼び止める。

 

「待ってくれ、シャーリー」

 

 無言で立ち止まり、半身になってシャーリーは振り返る。

 ここまで疲弊している彼女にこれ以上負担を掛ける事は避けたかったが、それでも譲れない事情を優先してルルーシュは切り出す。

 

「君に訊きたい事があるんだ」

 

 不審そうに眉をひそめるシャーリーに、彼女しか知らない核心をルルーシュは請うた。 

 

「俺がゼロである事を君に教えた奴がいるはずだ。そいつについて教えてほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルルーシュに買ってもらった私服に身を包み、C.C.はアッシュフォード学園の周辺をあてどなく歩いていた。

 今頃、学園ではルルーシュがシャーリーとかいう娘に会って話を聞いている事だろう。

 もしかしたら黒幕の襲撃に遭っているかもしれないが、あそこはルルーシュのホーム。どんな輩が相手だろうと、スザクと二人であればなんだかんだ切り抜けられるはずだ。

 いくらか負傷する事も考えられるが、それはC.C.の関知する事ではない。

 命さえ残っていれば契約はできるのだから。

 むしろ痛い目に遭って自身の無力さを感じる結果となるなら、それはC.C.にとって都合の良い展開と言えた。

 

「といっても、怪我をしたくらいで意見を変えるような奴ではないがな」

 

 その程度で臆するようなら、もうとっくに契約を交わしている事だろう。

 もしルルーシュがいまの状況で契約に踏み切るような決断をするのなら、それはきっと次の瞬間には命を落とすような絶体絶命のピンチくらいしかありえない。

 しかし黒の騎士団という組織を使っている以上、成田の時のように都合良く自分がそんな場面に立ち会える可能性は低い。

 つまり現状、ルルーシュと契約を結ぶのは非常に困難な状況になっていた。

 

 ならばいっそ、コードとギアスという超常の力について説明し、自身の願いも打ち明けてしまうべきだろうか。

 突飛な話にはなるが、成田で自分の力を実際に目にしているルルーシュが頭ごなしにそれを否定する事はないはずだ。

 自身の願いについても、ルルーシュであればブリタニアを倒すために必要な代償だと呑み込む可能性だってないわけではない。

 

 そこまで考えて、らしくない、とC.C.は自嘲した。

 確かにルルーシュであれば全てを受け入れ契約を結ぶ事もないとは言えない。

 しかしもし、それが受け入れられなかったらどうするというのか。

 ルルーシュは聡明だ。

 永遠を生きる事がどれだけの地獄であり、絶望であるかを正しく理解するだろう。

 そのリスクを知り拒絶したなら、たとえ命の危機に陥ろうがルルーシュは決して契約を結ぼうとはしなくなる。

 それはようやく見つけた契約者候補が消え、求め続けてきた自分の死がまた先の見えない暗闇に閉ざされる事を意味していた。

 ギアスの適性を持つ者は多くない。そして適性があったとしても、それを乗り越えコードを継承できる素質を持つ者などごくわずかだ。長い生を歩み、数多の契約を交わしてきたC.C.だったが、そこまで至れる契約者にはついぞ一人も出会えていない。

 スザクとの契約を拒絶したのもそれが理由だった。

 適性が低く、契約を交わしたとしてもギアスが発現する可能性は低い。たとえ運良く発現しても、スザクではコードを継承できるまでには至れない事が、長い経験からC.C.には分かってしまったのだ。

 ギアスという名の王の力は人を孤独にする。それは数えきれないほどの契約を結んできたC.C.が確信を持って言える厳然たる事実だ。超常の力を得た者は人に理解される事はない。誰とも苦しみを共有できず、追い込まれ、結果的に力に縋り自ら破滅へと落ちていく。

 だからこそギアスを持つ人間には王の器が試される。

 誰に理解されずとも、自身の願いと信念の元に邁進できる強靭な意志の力。

 枢木スザクには、それがない。

 もしギアスを与えたとしても、スザクはそれをルルーシュとナナリーを守るために使用し、そして暴走した際には彼らに危害を及ぼさないため自ら命を絶つか、彼らの前から姿を消すだろう。前者なら言うも及ばず、後者の選択をしたとしても、寄る辺を失ったスザクはギアスを御す事ができず力に呑み込まれる。

 その未来はきっと、どんなギアスが発現したとしても変わらない。

 それではスザクの願いも、C.C.の願いも叶わない。

 だからこそスザクにギアスを与える選択をC.C.はしなかった。

 そしてもう一つ、取るに足らない理由を挙げるなら。

 心の底では死を願っているスザクに、永遠の地獄を押しつける選択をしたくはなかった。

 この永遠の生を受け継ぐのは、生きる理由を持つ者であるべきだ。

 生への執着がない者に、過酷な王の道を歩む事などできはしない。

 

「全く……甘いな、私も」

 

 本当にルルーシュと契約を交わしたいのなら、真実を伏して事実を語ればいい。

 コードを継承し永遠の生を受け継ぐ事など話さず、ただ自分の願いは死ぬ事であり、契約者は王の力を得る事でその果てに自分を殺す力を手にするのだと、そう説明すればいい。

 心優しいルルーシュは自分を殺す事に抵抗を憶えるかもしれないが、それが契約条件ならばと受け入れる目算は高い。

 ルルーシュには与える力は強大であり、御せなければ力に呑み込まれるリスクは既に話している。それを知った上で本人も考慮すると言っているのだ。今更与えられる力自体に臆する事はないだろう。

 だというのにその方法を取らないのは、C.C.が対等な契約にこだわっているからだ。

 たとえ詳細を語る事はなくとも、嘘をつき騙して無理矢理契約するような真似はしたくない。

 最終的にはコードを押しつけ陥れる結果になろうが、その道を進む決断だけは本人の意思で為されるべきだ。その覚悟がなければ、達成人になる事など土台無理な話だろう。

 矛盾している事は分かっていながら、C.C.はルルーシュの決断をただ待つ事に決めていた。

 しかしこれが優しさなどではない事は、当人であるC.C.が一番良く分かっていた。

 

「……結局何も語らず、騙していることに変わりはないんだからな」

 

 空を仰いで、C.C.は唇を歪める。

 ルルーシュの言っていた通りだった。自分は全てを話す事でルルーシュが契約を拒絶する事を恐れ、都合の悪い事実を隠して後戻りできない状況になる時を待っている。このままブリタニアと戦っていれば、いずれ必ずその機会が訪れる事を分かった上で。

 それは一見選択肢を与えているようで、結果の見えている出来レース。

 人を陥れ奈落へと引きずり込む魔女の所業だった。

 

「そうだ、忘れてしまったんだ…………優しさなん――」

「C.C.!」

 

 空虚な独白が歓喜に溢れた声に遮られ、条件反射でC.C.は振り返る。

 そしてそこにいるはずのない人物の姿を目撃し、驚愕に目を見開いた。

 

「お前まさか…………マオ?」

 

 バイザーとヘッドフォンをつける白髪の青年。

 それが長らく会っていない元契約者だと気付き、呆然とその名前をC.C.は呼ぶ。

 

「そうだよC.C.! やっと会えた! ずっと探してたんだ! 君を! 本当の君を!」

 

 両手を広げ身体全部を使って喜びを表現するマオと呼ばれた青年。

 その様子にまともに反応する事すらできず、C.C.は狼狽を露わにする。

 

「お前、なぜ……いや、どうやって、人里に……」

 

 普段の飄々とした態度とも、時たま見せる底知れない雰囲気とも違う、まるで年相応の少女のように戸惑いながらC.C.は問う。

 

「なんでって、そんなの君に会うために決まってるじゃないか! そりゃこんなうるさいだけの場所に来るなんて嫌だったよ。でも君がいるんだ! 君のためなら僕はどこにだって来るさ!」

 

 煩わしいとばかりに耳に掛けていたヘッドフォンを外しながら、マオは陶酔した様子で大声で喋る。

 その大仰な言動を前にして少しずつ冷静さを取り戻してきたC.C.は、ようやく正常に回り出した頭で目の前の人物と現状の不可解さを結びつけた。

 

「そうか。あのシャーリーとかいう娘がゼロの正体を知っていたのも、お前の仕業というわけか」

 

 マオはC.C.が昔ギアスを与えた契約者の一人だ。彼の能力は読心。最大500メートル先の人の心の声を聞く事ができる。そのギアスを使えばゼロの正体を割り出す事も、ルルーシュが隠していたアタッシュケースの解除コードを知る事も容易い。

 

「うん。そうだよ」

 

 C.C.の問いにあっさりとマオは頷いた。

 

「僕からC.C.を奪った泥棒猫には、相応の罰が必要だからね。自分が父親を殺した友達に殺されるなんて、お似合いの末路でしょ?」

 

 まるで粗相をしたペットにお仕置きするような気軽さで、殺人を企んだ事を語るマオ。

 肩を竦め、首を振りながら続ける。

 

「でも必要なかったかもね。ギアスもないあいつなんかに、本当の意味でC.C.を僕から奪う事なんてできるわけもないんだからさ!」

 

 ここにいないルルーシュをあざ笑うかのようにマオは叫ぶ。

 その表情はとても誇らしげで、嬉しそうだった。

 ギアスのせいで苦しみ、傷付き、心を狂わされたというのに、C.C.から与えられたものだというだけで、それをさも特別なもののように語る。その姿はマオの歪みを如実に表していた。

 

「ねぇC.C.、僕ねオーストラリアに家を建てたんだ。白くて綺麗なとても静かな家。そこで一緒に暮らそう」

「……」

 

 C.C.の話など聞かず、マオは一方的に告げる。

 そんな自分の姿を見てC.C.が表情を歪めている事にすら気付かずに。

 

「さぁ、僕と一緒に――」

「前にも言ったはずだ、マオ。私はもうお前とはいられないと」

 

 熱に浮かされたマオの誘いを、絶対零度のC.C.の拒絶が遮った。

 それは誰が聞いても本気だと感じ取れるほど冷たい声音だったが、ただ一人、マオだけには伝わらなかった。

 

「そんなの嘘だよ嘘。だってほら、C.C.は僕の事が大好きなんだから」

 

 そう言って、マオはポケットから取り出したヘッドフォンのリモコンで音声を最大にする。

 聞こえてくるのは自分と全く同じ声。

 

『起きたのか、マオ』

『すまなかったな、マオ』

『そうだマオ、できるじゃないか』

 

「やめろ!」

 

 在りし日の録音データを聞かされ、たまらずC.C.は叫ぶ。

 その様子にマオはただ首をかしげる。

 

「どうしたのC.C.? そんなに怒って?」

「マオ……!」

 

 こちらの感情が何一つ伝わらない事に歯噛みし、C.C.はマオを睨みつける。

 それすら不思議そうに見ていたマオだったが、不意に顔を顰めると忌々しげに呟いた。

 

「チッ、良いところだったのに……」

 

 唐突なマオの変化に何かあったのかと口を開こうとしたC.C.だったが、その前に背中から声が掛かる。

 

「C.C.!」

 

 名前を呼ばれC.C.が振り返ると、アッシュフォードの門からこちらに近付いてくる人影があった。

 

「ルルーシュ……」

 

 黒髪の青年が走ってくる姿を見てC.C.が名前を呟いた直後、マオは大きなため息をつくと一転、真摯に言い募る。

 

「C.C.、迎えに来るよ。今度は誰にも邪魔されない場所で会おう。僕と君の、二人だけで」

「待て!」

 

 言うだけ言って去って行くマオをルルーシュが呼び止めるも、まるで聞こえていないかのようにヘッドフォンを再びつけたマオが遠ざかっていく。

 乗り物もなく、体力がないルルーシュに追う手段はない。悔しそうにマオの背中を睨みつけるルルーシュは、舌打ちをしてC.C.へと視線を移す。

 

「知り合いのようだったが、あいつは何者だ」

 

 この状況下において不審者と話していたC.C.に怪訝な目を向けるルルーシュ。

 それを視界の端に収めながら、未だにマオが去って行った方向を見続けC.C.は答える。

 

「今回の件の黒幕だ」

 

 ルルーシュが驚愕する気配を感じながらも、一度瞑目して気持ちを整理し、再び目を開いた時には内心の動揺を完全に抑え込んだC.C.が続ける。

 

「奴の名はマオ。その昔、私と契約した男だ」

 

 もう二度とその名を口にする事はないと思っていたかつての契約者の名前を、C.C.は無感情にいまの契約者候補に告げた。

 





次回:壊す覚悟

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