俺に、選べというのか。
最も天秤に掛け難い二つの内の、どちらかを。
それが俺の罪――責任なのだろうか。
数多の犠牲を生み、そしてこれからも増やし続けていく俺に課せられた。
友達の平和を壊して、その瞳に涙を、心に絶望を植えつけた、俺への――
『お兄様』
自分を呼び、笑い掛けてくる愛しい妹の笑顔を幻視する。
その笑顔のためなら、なんでもできた。
どれほどの無理だろうと、どれだけの無茶だろうと乗り越えられた。
どんな苦労も痛苦も、彼女の笑顔を曇らせる痛みに比べれば耐えられた。
なのにいま、俺はそれを壊そうとしている。
たとえそれしか選択肢がなかったとしても、自分の意思で、彼女の笑顔を奪おうとしている。
彼女からの信頼も親愛も裏切り、その平和な日常を完膚なきまでに破壊しようとしている。
なぜなら俺は――ゼロだから。
壊す事でしか、何かを求める事ができない革命家。
平穏など望むべくもない、世界一の大国に反旗を翻すテロリスト。
望む世界を創るため、何を失おうとこの足を止める事はない。
その覚悟を持って、刃を抜いた。
貫き通す意思を持って、この身を血に染めた。
だから、
だから、俺は――
「つまりあいつは人の心の声を盗み聞く事ができると、そういう事か」
アッシュフォードの自室に戻ってスザクと共にC.C.の話を聞いたルルーシュは、険しい顔で結論だけを簡潔にまとめた。
「ああ。有効距離は最大500メートル。一人に集中すれば深層意識を読み解く事もできる。頭で考えるタイプのお前とは最も相性の悪いタイプだ」
「そんな超能力みたいな力が、本当に……?」
淡々と説明するC.C.にスザクは目を丸くしながら問う。
いきなりオカルト染みた超能力の話をされれば信じられないのも無理はない。
だが懐疑的な様子を見せるスザクに、C.C.はにべもなく言い切った。
「疑うのであれば、私から話せる事はない」
突飛な話を拒絶する、それは当たり前な反応ではあったが、そんな現実逃避をC.C.は許さなかった。
信じる信じないは別として、唯一情報を持つC.C.が口を閉ざせば対策を練る事もできなくなる。
それがこの状況においてどれだけ致命的かは、考えるまでもなかった。
「なるほど。お前の言う事が本当なら、ゼロの正体やアタッシュケースの解除コードを知られていた事にも説明がつく。厄介な奴に目をつけられたものだ」
C.C.の身体の事や相手のトラウマをフラッシュバックさせる力を事前に知っていた事もあり、ルルーシュは頭ごなしに彼女の話を否定せず、それを事実だと仮定した上で現実の問題と紐づける。
しかしそれはC.C.の話を信じたというわけではなく、単純な考え方の問題だった。
いま考えるべきはそれが事実であるかどうかではなく、事実であった場合どう対処するかという事だ。
嘘か本当か、答えの出ない疑惑を深掘りしている暇などない。
「目をつけられたと言っても、マオの狙いは私だ。お前の事は二の次だろう」
「そんな事は分かっている。もし俺を殺したいだけなら、軍や警察にゼロの正体をリークすればそれで済む話だからな。俺とシャーリーはただ巻き込まれただけだ。お前の不始末に」
「……」
剣呑なルルーシュの視線にC.C.は黙り込む。
ただそれは気圧されたわけでも言い負かされたわけでもなく、ルルーシュの批難を甘んじて受け止めているようにも見えた。
「前にお前は言っていたな。お前が与える力は御しきれなければ使用者本人を呑み込んでいくと。あれがその成れの果てという事か?」
ハッとスザクが息を呑む。
スザクはマオを直接見ていないが、彼の様子は一目見ただけでも尋常ではなかったとルルーシュから聞かされている。
つまりそれはC.C.が与える力が人を狂わせるほど凶悪なものだという証明であり、ルルーシュも契約をすればそうなっていたかもしれないという事の証左だった。
「私が与える力――ギアスの力は強大だ。しかもギアスは使用すればするほどその力を増していく。初めは制御できていたギアスも、いずれは暴走してオンオフの切り替えができなくなり、それに耐えられる器がない者は心を壊して破滅する」
事務連絡でもするように、感情を交えずC.C.は答えた。
その内容は以前C.C.が示唆していた通りのものだった。だが具体的に力の内容を知ったいま、それは以前よりもずっと悍ましさを増して二人の耳には届く。
人が溢れかえる現代社会において人の心の声が絶えず聞こえてくるというのが、拷問にも等しい仕打ちである事は簡単に想像がついた。
「つまりお前は、心を壊したあいつが契約を履行できないと判断して捨てたというわけか」
「……」
ここまでの話を統合すれば、ある程度の真相は見えてくる。
願いを叶えるため契約を持ち掛けるC.C.。なのにスザクは器ではないと契約を拒否した事実。さらにはC.C.を追い掛けてきた元契約者であるマオの存在。
沈黙するC.C.の態度はルルーシュの予測を肯定するものだった。
「まさしく魔女の所業だな。追いかける奴の気がしれない――いや、とうに気が触れているんだったか」
不愉快そうにルルーシュは吐き捨てた。
それに対してもC.C.は反論や弁解をしようとはしない。
重苦しい沈黙が流れた。
ルルーシュからすればC.C.の不始末のせいでシャーリーが巻き込まれ、ゼロの秘密が流出したのだ。しかも相手はこちらを快く思っておらず、シャーリーを使って自分を殺そうとしていたという。それが主目的ではないとはいえ――いや、主目的でもないのにそんな事を企むような奴に秘密を握られているという事実は、窮地と呼んでなんら差し支えなかった。
こんな事態を呼び込んだC.C.に対しルルーシュが隔意を抱くのは当然であり、それが分かっているからC.C.もいつものように煙に巻いたりせず、ルルーシュの謗りを受け入れているのだろう。
さらに付け加えるなら、相応のリスクがある事は告げられていたとはいえ、そんな危険な力を具体的な説明もなしに与えようとしていた事も、ルルーシュのC.C.への不信感をより一層強めていた。
剣呑になる雰囲気を感じ取り、スザクは空気を一新させるようにパンと両の掌を合わせる。
「ひとまず相手は分かったんだ。これからどうするかを考えようよ」
C.C.に対してはスザクにも色々と言いたい事はあったが、それを呑み込んで話を前へと進める。
ここでC.C.を責めても意味がない事は、頭が悪いスザクにも分かった。
いまはマオへの対策を話し合わなければ、全てが手遅れになる可能性すらあるのだから。
そんな思いが伝わったのか、ルルーシュはチラリとスザクを一瞥すると嘆息し、指先で机を叩きながらもわずかに頷く。
「相手はマオとかいうC.C.の元契約者。目的はC.C.の身柄。そしてその能力は人の心が読めるというもの。今回の件で分かった事はそんなところか」
いつもよりもぞんざいにルルーシュが現状をまとめる。
内心はどうあれ、C.C.への感情よりも状況への対処を優先してくれた事に、スザクはホッと息を吐く。
「俺も一目しか見ていないが、奴の目的がC.C.だという事は間違いないだろう。シャーリーをけしかけてきたというのに、奴は俺の姿に目もくれなかった。さっきC.C.の話にもあった通り、おそらく奴にとってシャーリーを使って俺を殺そうと企んだ事は、本来の目的のついででしかなかったんだろうな」
「……無関係の人間を巻き込んで、しかも人を殺させようとしたのに、それが君への当てつけみたいなものだったって事だよね?」
「そういう事だ。そこの魔女が言っていた通り、完全にいかれてるんだろう」
ルルーシュにしては珍しく、明確な嫌悪と共に侮蔑の言葉を吐く。
やられた事を考えれば当然の反応だろう。
直接的な悪意を向けられていないスザクですら、その精神性には軽蔑を抱かずにはいられない。
「だがついでとはいえ、奴がその気になれば簡単に俺を破滅させる事ができるという事実は変わらない。マオに関しては早急な処理が求められる」
コーネリアやブリタニア軍よりも優先するべき敵だと、ルルーシュはマオを自らの完全な敵対者として認める。
鋭く細められた瞳には明確な殺意が込められており、正体を知られたという状況以上に、ルルーシュ自身がマオに対して敵愾心を抱いているのは明らかだった。
だからこそ、次に出てきた一言はスザクにとって意外なものだった。
「しかし、それについては後回しだ」
「えっ?」
マオへの感情を抑え、首を横に振るルルーシュに目を丸くするスザク。
まさかいまの話の流れで話題の転換が行われるとは想像もしていなかったのだ。
「C.C.の話によれば、奴は俺の事を泥棒猫と呼んでいたらしい。なぜそんな考えに行き着くのか全くもって意味が分からないが、マオは俺がC.C.を奪い取ったと考えているのだろう。つまり奴の異常な行動の原因は、的外れな歪んだ嫉妬であり、ただ殺すのではなく俺に対しなんらかの意趣返しを目論んでいると察せられる。シャーリーの件から考えても、おそらくは間違いない」
話についていけないスザクに構わず、ルルーシュは語り続ける。
しかしそれにもすぐに横やりが入った。
「待てルルーシュ。マオはその後でお前に対して興味を失ったような事を言っていた。お前が狙われる可能性は低い」
「黙れ。あんな気狂いの言葉を易々と信じられるものか」
仮にも間違った推測を正そうとしてくれたC.C.の意見を、ルルーシュは考慮すらせずにべもなく切り捨てた。
それは普段のルルーシュならばあり得ない光景だった。
いつもならC.C.の助言に対し、それを採用するかはともかくとして一考だけはしたはずだ。
少なくともいまのように聞く耳すら持たず、意見を口にする事自体を否定するような言い方は絶対にしない。
今回の件で顕在化したC.C.への不信感が視野を狭めている事が分かるやり取りに、しかしスザクは何も言えなかった。
C.C.への感情よりも事態の対処を優先しようと言ったのはスザクだ。
ならばルルーシュのC.C.への態度も、和解を後回しにした結果といえる。
それを諫める資格などスザクにあるはずもなかった。
「シャーリーに関しては心配はない。奴が俺と敵対している事は伝え、危険だからもう会わないように言ってある。ゼロの秘密に関しても、彼女が誰かに漏らす事はないだろう」
スザクの心配を余所に、ルルーシュは話を進める。
シャーリーという友達とのやり取りに関しては詳しく聞いていなかったが、ルルーシュが心配ないというなら大丈夫なのだろう。彼が自身とナナリーの安全にも関わる事柄を中途半端に済ますとは思えない。
「シャーリーが利用できないと分かれば、マオは必ず俺の急所を突いてくるはずだ。心を読んだというなら、尚の事な」
「急所って、もしかして……」
ルルーシュの言わんとしている事を察したスザクが眉間に皺を寄せる。
その考えを肯定するようにルルーシュは頷いた。
「ああ。マオがもし次に狙うとすれば、ナナリーだろう」
その名前に緊張が走る。
これまでも緊迫した空気の中での話し合いだったが、二人にとって最も優先する存在の名前が挙がった事で、その空気が一層張り詰める。
「マオからナナリーを守るだけならそう難しい事ではない。人力ではなくカメラなどによる機械的な警備を強化すれば、奴の人の心を読むというギアスには対応できる。俺自身も付きっきりでナナリーの守りに入る事で、付け入る隙はなくなるだろう」
冷静に状況を俯瞰し、対策はあると語るルルーシュ。
しかしその表情は言葉とは裏腹に固い。
その理由は続けられた説明ですぐに分かった。
「だがもし、奴が警備を突破できない事に焦れて軍や警察にゼロの正体を話せば、それだけで全てが終わる」
ルルーシュの断言に、重苦しい沈黙が下りた。
スザクもC.C.も、その推測に返せる言葉を持たない。
敵対している相手、しかも精神状態がまともではない敵に正体を知られている。
分かっていた事ではあるが、それは自分達の現状において致命的だった。
密告を受けた軍が学園に押し寄せれば、その時点でなす術などない。
皇族だと身元がバレ、ルルーシュとナナリーは本国へと連れ戻されるだろう。
その挙句に待っているのは政略の道具にされ使い潰される未来だけ。
それを回避するために、ルルーシュはスザクと共に立ち上がったのだ。
「だから、」
口元に手を当てながら、普段どんな時でも冷静なルルーシュが珍しいほどに顔を歪める。
その表情からは、いまから口にする言葉への逡巡――苦渋の色が見て取れた。
「だから――」
身を切るような躊躇いを見せるルルーシュに、親友が何を言おうとしてるかをスザクも悟る。
しかしそれを止める事はできなかった。
それを止められるだけの力も方法も、枢木スザクにはなかったから。
たっぷり10秒以上も躊躇い、拳を握って全身を震わせながら、ルルーシュはそれを口にする。
「だからもう、この学園にはいられない」
小さく、しかしはっきりとルルーシュは宣言した。
新宿事変の後で一度は出た学園。スザクのおかげで舞い戻ってこられた日常の象徴であるこの箱庭から、再び旅立つ決意を固めて。
「……でも、本当にそこまでする必要があるの? C.C.だって、そのマオって人がルルーシュを狙ってくる可能性は低いって言ってるんだし……」
普段のルルーシュの姿、そして何より友達の身内を巻き込んだ事であれだけ傷付いていた姿を見ていたスザクは、口にはしないもののルルーシュがこの学園をどれだけ大切に思っているかを知っていた。
しかしそんな状況に対する慢心と自らへの甘えをルルーシュは許さない。
「C.C.の話の信憑性はこの際問題じゃない。クロヴィスの親衛隊に追われていた時と同じだ。マオがその気になれば、確実に俺とナナリーは終わる。その選択権がこちらにはないという事が重要なんだ」
見えない敵を前にしているかのような鋭利な気配を放ち、握り締めた拳をルルーシュは机に叩きつける。
「相手の気まぐれ一つで破滅する。そんな運任せのギャンブルにナナリーの命を賭けられるものか!」
7年前からずっと妹を守りながら祖国に隠れ生きてきたこれまでの人生が、それ以外に選択肢はないと告げていた。
これまでは大丈夫だったからという油断一つで、全てを失う結果にもなりかねない。
尋常ならざるルルーシュの態度に息を呑み、スザクもようやく甘い考えを捨て去った。
「じゃあ前みたいに、いくつかある隠れ家の一つに潜伏するの?」
学園を出るなら前回と同じように動くのが最善だろうとスザクが訊くと、ルルーシュは深く息を吐きながら首を横に振った。
「いや、事前に用意している隠れ家ではマオに心を読まれ場所を知られている可能性がある。それではアッシュフォードにいるのと変わらないからな。しばらくはホテルを転々と移動するのが最善だろう」
心を読む事ができる相手に準備していた策を使うなど、手札を晒してカードゲームをやるのと変わらない。
対応は全てその場で考え動くしかない状況は、用意周到なルルーシュにとっては最悪なものだった。
「なるほど。お前が悩んでいたのは、そういう事か」
状況は悪いものの感情を抑えて冷静に現状を分析するルルーシュを見て、何かに気付いたかのようにC.C.が目を細めながら頷く。
スザクは納得するC.C.の態度の意味が分からず、怪訝に眉を顰めた。
「どういう事?」
あれだけ無下な態度を取られながら何も変わらず話に入ってくる心の強さは一先ず置いておくとして、スザクにはルルーシュが悩んでいるようには見えなかった。
しかしルルーシュもC.C.の言葉に何も返さないところを見るに、その内容は的外れなものではないのだろう。
疑問符を浮かべるスザクにルルーシュではなくC.C.が説明を始める。
「事前に入念な下調べを終え、地理を理解し逃走ルートを確保している隠れ家と違い、今回は公共のホテルを使う事になる。心を読めるマオへの対策で予め周辺の情報を調べる事もできなければ、滞在中はもちろん移動中も危険がついて回る。ここまではお前も分かるな?」
「うん。もしかしたら軍に通報されてるかもしれないし、そのマオって男が襲撃してくるかもしれないからだよね」
「その通りだ。だがそこで問題となるのがナナリーの存在だ。お前も知っての通り、ナナリーは目も見えなければ歩く事もできない。ホテルにいる時ならともかく、移動中に襲われた場合には身を守るどころか即座に逃げる事すら難しい」
状況を整理し、問題点を浮き彫りにするC.C.。
そして試すようにC.C.はスザクに問いを投げ掛けた。
「そんな中でナナリーの安全を確保するにはどうすればいいと思う?」
学園を出るとなれば当然発生する問題をぶつけられ、スザクは口元に手を当て考える。
しかし移動中の安全確保となればそれほど選択肢は多くない。
仮にもスザクは軍隊に所属していた身だ。護衛に関する知識ならルルーシュにも遅れは取らない。
「誰かがずっと一緒にいてナナリーの身を守る、だよね?」
それこそブリタニア皇族を守る騎士のように、誰かがナナリーを守ればいい。
スザクの解答にC.C.は頷く。
「正解だ。なら、その役には誰が一番適している?」
続けざまに問われ、ハッとスザクは目を見開いた。
その表情でスザクが思い至った事を悟りC.C.は首を縦に振る。
「そう、お前だよ。枢木スザク」
身体に障害を持つナナリーを守るとなれば、その者には余人を寄せ付けないような戦闘力が求められる。たとえナナリーが足を引っ張ってしまったとしても、それを物ともせず外敵から彼女を守れるだけの力が。
残念ながらルルーシュにその能力はない。
彼女を守るために現在でき得る限りの警護体制を敷く事はできても、直接ナナリーを守れるだけの肉体的強さをルルーシュは持ちえない。
となれば当然、その役はスザクに回ってくる。しかしそれには一つだけ、問題があった。
「お前の身体能力ならマオや軍が襲って来ようともナナリーだけなら守る事ができるはずだ。だがそのためには――」
「常にナナリーの傍にいる必要がある」
神妙な面持ちでC.C.の言わんとする事を理解しそれを口にするスザク。
ここにきてようやくスザクはC.C.がルルーシュが思い悩んでいると言った理由を悟る。
あれはその時のルルーシュにではなく、もっと前、学園を出ると口にした時のルルーシュを指していたのだ。
あの時ルルーシュがそれしか選択肢がないと分かっていながら、告げるのにあれほど思い悩み、苦しんだ理由。
それはただ慣れ親しんだ学園を出るからというだけのものではなかった。
「理解したようだな」
C.C.の確認にスザクは呆然と、血の気の引いた顔で答える。
「ナナリーは僕が黒の騎士団でテロ活動をしてる事を知ってる。つまり――」
「スザクを護衛につけるためには、俺がゼロだという事をナナリーに話す必要がある。という事だ」
スザクの言葉を引き継いで、自らその事実を口にするルルーシュ。
これまでずっと彼女を守るために明かしてこなかったゼロとしての活動。
それを告げる事は、直接的でないにしろナナリーをブリタニアとの戦いに巻き込む事を意味していた。
「で、でもナナリーを守る方法はそれだけじゃないでしょ? ほら、例えばキョウトに言って匿ってもらうとか」
二人のためにもそれだけは避けたいと反射的に考えたスザクが、慌てて別の方法を口にする。
しかし咄嗟にスザクが考えつく程度の案をルルーシュが検討していないはずもなかった。
「キョウトとは協力関係を築いているとはいえ、それはあくまで利害の一致だ。信頼とは程遠い。ナナリーの保護が受け入れられたとしても、それは俺の弱みを握るためだろう。そんな状況でもしゼロが死ぬかキョウトにとって害だと判断されれば、ブリタニアとの交渉材料にされる事は目に見えている。そんなところにナナリーを任せるわけにはいかない」
「な、ならアッシュフォードに頼むのは? この学園じゃないどこかに移って、ほとぼりが冷めるまで隠れさせてもらえばなんとかなるんじゃない? 君もあの金髪の女の人は頼りになるって言ってたよね?」
「マオが心の声を聞ける以上、アッシュフォードの庇護下にある事は学園に残る事と何も変わらない。ルーベンの心が読まれれば居場所など簡単に特定されるからな」
スザクの案を両の指を組んで握り締めながら淡々と却下するルルーシュ。
声に感情は込められていなかったが、その様子からは無理やり自らを律しようとしている事がありありと窺えた。
「事ここに至ってしまえば――」
抑えようとしても抑えきれない葛藤を滲ませ、ぞっとするほどの気配を放ちながら、ルルーシュは一度目を瞑る。
それは学園を出ると言った時と同じで、次の言葉を吐きだす事がどれだけルルーシュにとって重たく、つらいものであるかを物語っていた。
再び目を開いたルルーシュは、一切の感情を排し耐えがたい覚悟を口にした。
「ナナリーの命を守るためには、ナナリーの平穏を壊すしか道はない」
いままで蝶よ花よと慈しんできた、世界で最も大切な、愛する妹。
汚く残酷な世界から遠ざけ、彼女の周りができる限り優しい世界となるよう努めてきた。
しかしもう、それを維持する事はできない。
他ならぬ自分の行いによって、愛する妹は穏やかで温かい箱庭を奪われ、理不尽で残酷な現実と向き合う事を強要される。
ブリタニアに反逆するテロリスト、ゼロのせいで。
「無様だな」
自らの決断に苦しむルルーシュに、嘲りの言葉がぶつけられる。
それを口にしたC.C.は、冷めた瞳でルルーシュを見つめていた。
「妹の事を思うなら、ブリタニアへの反逆を決めた時点でお前はナナリーから離れるべきだったんだよ。そうすればこんな決断を迫られる事もなかったはずだ」
もしルルーシュがゼロになった時にアッシュフォードから離れ黒の騎士団に身を置いていれば。今回の件でシャーリーが巻き込まれる事もなく、ナナリーが学園から逃げる必要もなくなっていたはずだ。
仮面を暴かれ正体がバレるような事態になっても、ナナリーや学園の人間を大切に思っている事は、早々に距離を置いた事実によって敵に知られる可能性は低い。元皇族という一点さえバレなければ、ナナリーが狙われるような事にはならないだろう。
つまりこの事態はお前が判断を誤ったからだと、C.C.はルルーシュが無意識に目を逸らしていたミスを指摘する。
「だが、それは……」
「本当に失いたくないものは、遠ざけておくものだ」
言われた事が正しいと頭では理解しながら、それでも受け入れられないと否定の言葉を口にしようとしたルルーシュに、C.C.は己の持論を語る。
今回の件は自分が巻き込んでしまった事であるのを自覚しながら、それでも遠慮などせずはっきりと告げた。その事で責められ、詰られる事も覚悟の上で。
それは、C.C.のケジメでもあった。
自分のせいであるという自覚があるからこそ、あえてC.C.は容赦なくルルーシュの浅慮を追及する。
情に流され、その後の対処を決して誤らないように。
「僕はそうは思わない」
しかしその言葉は思わぬところから否定される。
C.C.が視線を向けると、真っ直ぐとこちらを見る深碧の瞳と目が合った。
「本当に失いたくないもの、大切なものほど、傍にいて守るべきだ。だって何かがあっても、遠くにいたんじゃその人の危機に駆けつける事もできないんだから」
新宿やクロヴィスの親衛隊との問答、成田の件を思い出しスザクはC.C.の持論と真っ向から対立する。
その反論に珍しくC.C.は眉を吊り上げた。
「結果的に、近くにいる事で多くの危険を呼び込む事になると言っているんだ。本来なら降りかかる事もなかった火の粉が、自分のせいで大切なものを傷付ける事になる。その時、お前は自分の選択を後悔しないと言えるか?」
「だとしても、生きている限りどんな危険があるかは分からない。ならたとえ多くの危険を呼び込んだとしても、僕がその全てから大切な人を守ればいい」
冷酷な現実を語るC.C.に一歩も引かずスザクは自らの覚悟を返す。
離れる事で少ない危険の中で生きてもらうよりも、どんなに大きな危険を呼び込んでも傍にいて守れる方がずっと安全だと無茶苦茶な理論を展開する。
だがスザクにはそう言えるだけの根拠があった。
「少なくとも大切だからって7年前に二人を遠ざけていたら、僕はナナリーを守れなかったよ」
「スザク……」
もしあの夏の日、首相の息子である自分が二人に関わるべきではないと考えて距離を置いていれば、父は間違いなくナナリーを殺していた事だろう。
傍にいて、大切だと思い合い、だからこそ自分は彼らを守る事ができた。その事実がC.C.の考えは間違っているとスザクがはっきり否定できるだけの根拠だった。
「だから今回だって、絶対に僕がナナリーを守ってみせる。たとえそれで、ナナリーを巻き込む事になって悲しませたとしても、そんなの彼女を失うよりずっといい」
その言葉にハッとルルーシュが目を見開く。
スザクの宣言は揺れるルルーシュの判断を肯定するものだった。
大切なのは、ナナリーが生きている事。
たとえ一時つらい思いをしたとしても、守り抜いた先で幸せになれる優しい世界を創ればいい。
同じ思いを語るスザクに、ルルーシュは己の決断が間違っていないのだと背中を押される思いがした。
「青いな。それが取り返しのつかない結末につながるかもしれないというのに」
胸を張って持論を語るスザクに、眩しいものを見ているかのように目を細めながらC.C.は、同情とも羨望とも取れない呟きを零した。
「それでも僕は、絶対にこの選択を後悔なんてしないよ」
まるで揺るがないスザクの意思に、降参とばかりにC.C.は肩を竦める。
たとえそれが危うい決意だと分かっていても、わざわざそれを正そうとは思わないし、ましてや否定してまで己の意見を押し通すつもりもなかった。
「スザクがここまで言ってくれているのに、俺がいつまでも臆してるわけにはいかないな」
二人のやり取りを聞いていたルルーシュが、観念したように嘆息し立ち上がる。
その紫紺の瞳に、もう迷いは映っていなかった。
穏やかな顔に揺るがぬ意志を宿し、決然とルルーシュは告げる。
「ナナリーのところへ行こう。俺がゼロだと、伝えるために」
いつもの3人会議回。
しかし物語的にはレールの切り替え点とも言える話かもしれません。
次回:優しくない世界