コードギアス~あの夏の日の絆~   作:真黒 空

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34:理想の行方

 

 ブリタニア政庁。

 エリア11の政治を司る場所であるが、そこに出入りするのは何も文官だけではない。廊下を歩けば、明らかに武官と分かる軍服を着た者も一定数いる。

 それもそのはずで総督のコーネリアが普段から軍服を着用しており、彼女の子飼いは基本的に軍人だ。ギルフォードやダールトンといった側近を始めとして、警備のためにも多くの軍人が政庁に出入りするのは当然の成り行きといえた。

 しかしその殆どはコーネリアが手塩に掛けて育ててきた部下であり、それ以外の――つまりはクロヴィス総督時代からのエリア11駐留軍の軍人は滅多にいない。

 だからこそいま、コーネリアの直属の軍人ではないジェレミア・ゴットバルトが政庁の廊下を歩いている光景は、非常に珍しいものだった。

 ジェレミアは歩き慣れない政庁の中を迷わず進んでいき、ある一室の前で立ち止まる。

 護衛として部屋の前にいる人間に用件を告げ、それを護衛の女性が中の人物に伝えて入室の許可が下りる。

 

「失礼致します」

 

 緊張に息を呑み、ジェレミアは扉を開けた。

 部屋へ一歩踏み入って扉を閉めたところで、その場に膝をつき口上を述べる。

 

「ジェレミア・ゴットバルト、ご下命により参上仕りました」

 

 頭を垂れ、軍人のお手本とも言える動きと声で挨拶を告げるジェレミア。

 敬意を身体全てで表現する彼に、部屋の奥から柔らかい声が届く。

 

「面を上げてください」

「ハッ」

 

 言われた通りにジェレミアは顔を上げ、しかし許可もなく立ち上がるような不敬はしない。

 床から一転開けた視界には、塵一つなく片付いた綺麗な部屋の内装が広がるが、ジェレミアの視線はその中央のソファに座る少女のみを映す。

 桃色の髪に白のドレス。穏やかで優しげな笑みを浮かべる少女の名前はユーフェミア・リ・ブリタニア。

 ブリタニアの頂点に立つ皇族の一人である。

 

「よく来てくださいました、ジェレミア卿。どうぞこちらにお掛けになって」

「いえ。ユーフェミア様と席を共にするなど恐れ多い事でございますれば、私は有事の際に御身をお守りするためにも、このままで」

 

 着席を促されるが、ジェレミアは話しやすいように近付きはするもそれを固辞する。

 姉の影響で軍人と接する機会の多かったユーフェミアはその態度に理解を示し、無理に勧める事はなかった。

 

「本日は軍務で忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます」

「滅相もございません。むしろお呼びいただき光栄の至り。皇女殿下がお呼びとあらば、このジェレミア、どれほど忙しかろうが、どこにいようが、何を置いても駆けつける所存でございます」

 

 打てば響く勢いで皇族に対する模範解答のような答えを返すジェレミア。

 皇族が相手といえどこれほど畏まる相手はユーフェミアも初めてであり、わずかに目を丸くする。

 

「そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。今日は少しあなたにお話を聞きたかっただけですから」

「ハッ!」

 

 分かっているのかいないのか、力強い返事と共に頭を下げるジェレミアにユーフェミアは苦笑を零す。

 こんなにも緊張していてはまともに話す事も難しいかもしれないと、本題に入る前に雑談を振ってみる。

 

「成田の際にお姉様との会話を私も聞いていたのですが、あなたはマリアンヌ様を慕っていらしたのですよね?」

 

 軍人との話題など思い浮かばなかったユーフェミアは、唯一知っていたジェレミアの会話を思い出してそう訊ねた。

 8年前まではユーフェミアもヴィ家とは親しくしていたため、そこから話を広げようと考えたのだ。

 しかしそれは失敗だった。

 

「左様でございます。私はマリアンヌ様を敬愛しておりました。にも関わらず、私が不甲斐ないばかりにテロリストの侵入を許し、マリアンヌ様はお亡くなりに……!」

 

 表情を歪め、目元に涙さえ浮かべ当時の事を振り返るジェレミア。

 大の男が突然目の前で泣き始めるという、人生でも初めての事態に慌ててユーフェミアは謝罪の言葉を口にする。

 

「す、すみません。つらい事を思い出させてしまって、わたし……」

「いえ、これは私の不始末。ユーフェミア様が謝罪されるような事は一切ございません」

 

 狼狽して謝るユーフェミアにジェレミアは首を振る。

 むしろ見苦しいものをお見せしましたと逆に謝る始末。

 成田での話を聞いてジェレミアが8年前の事件を悔いている事は知っていたはずなのに、安易にそれを話題にしてしまった事をユーフェミアは内心恥じる。

 しかし口にしてしまった以上それはもう呑み込めず、ならばせめてと、自分も率直な気持ちを吐き出した。

 

「あなたの気持ちが分かる、というのは傲慢かもしれませんが、大切な人を失う悲しみは私も知っています。ルルーシュとナナリーとは、私も仲良くしていましたから」

「おおっ、マリアンヌ様のご子息、ルルーシュ様とナナリー様と……」

「ええ。お姉様がマリアンヌ様を慕っていましたから、私もその縁で何度もアリエス宮にお邪魔して一緒に遊んだんです」

 

 ジェレミアの表情が輝いたのを見て取り、ユーフェミアは当時を思い出しながら幸せだった過去を語り始める。

 マリアンヌに見守られながらアリエスの離宮を走り回った事、ルルーシュが真っ先に音を上げてそれをナナリーと一緒に笑った事、ナナリーとどちらがルルーシュのお嫁さんになるかなんて喧嘩をした事。

 ジェレミアはそんな他愛もない子供の頃の話を、目に涙を浮かべながら聞いてくれた。

 

「クロヴィスお兄様もルルーシュとナナリーを想ってこのエリア11の総督を志願したと言っていました。だから、というわけではありませんが、ここは私にとって見知らぬ土地であると同時に、とても思い入れのあるエリアなんです」

 

 懐かしい思い出を語り終え、ユーフェミアは話を一度そう締めくくった。

 ルルーシュとナナリーの昔話に感激した様子のジェレミアを見て、当初の緊張をほぐすという目的も意図とは若干違う形で果たせた事を感じ取り、ようやく彼女は本題へと移る。

 

「私はこのエリア11を、より良い争いのないエリアにしたいと思っています。そのために、あなたの率直な意見を聞かせてください」

 

 そう告げるユーフェミアの顔はもはや昔を懐かしむ少女のものではなく、幼くとも自分の役割を果たそうとする皇女のものだった。

 

「ジェレミア卿、あなたから見てエリア11はどう映りますか?」

 

 ユーフェミアの空気が変わった事を察し、ジェレミアも涙を引っ込め表情を引き締める。

 軍人としてかくあるべき態度で皇女殿下への返答を口にした。

 

「この地がブリタニアのものとなって7年。しかし未だにブリタニアはこのエリアを完全に制しているとは言い難い状況です。ゼロなどというテロリストも現れ、成田でコーネリア殿下も仰られていた通りルルーシュ様とナナリー様に安らかな眠りをお届けする事もできぬほど、このエリアは皇帝陛下の寵愛を無碍にするイレブンによる反抗が続いております」

 

 7年。それほどの長い年月、ブリタニアへの抵抗を続けるエリアは少ない。

 大抵は数年でナンバーズの抵抗活動は鳴りを潜め、治安が安定する。

 しかしエリア11は未だに争いが絶える事はなく、衛星エリアへ昇格するどころか、途上エリアのまま租界やゲットーの整備も思うように進んでいない。

 さらに皇族とはいえ、政治ではなく軍事に重きを置いているコーネリアが総督に任命されているのも異例な事態といえた。

 

「それらは偏に、イレブンを御しきれぬ我ら軍人の力不足が故。マリアンヌ様の遺児であるお二人はもちろん、前総督のクロヴィス殿下、そして総督並びに副総督には我らの不甲斐なさのためにご迷惑をお掛けしてしまっている事、誠に面目次第もございません」

 

 深々と頭を下げるジェレミア。

 そのせいで、ユーフェミアが自分の言葉を聞いて顔を曇らせている事に気付く事はなかった。

 

「ですが必ずや、コーネリア総督の指揮の下で近いうちに黒の騎士団を始めとしたテロ組織は壊滅し、このエリア11にもブリタニアの威光が示されます。いまは過渡期であり、この地は真にブリタニアの地へと生まれ変わろうとしている最中なのではないかと、私は考えております」

 

 ジェレミアの答えは、ブリタニアの軍人として至極真っ当なものだった。

 現状を分析し、問題点を見極め、これからの展望を語る。些か軍に対しては厳し過ぎる見解ではあるが、祖国への賞賛も含めて皇室への回答としては満点に近いといえる。

 

「なるほど……確かに、そうかもしれませんね」

 

 だがその答えはユーフェミアが求めていたものとは方向性が若干ずれていた。

 ジェレミアの返答に頷きながら、ユーフェミアは目を伏せ何かを憂うように呟く。

 

「でも、それは本当に正しいのでしょうか?」

「……どういう事でしょうか?」

 

 ユーフェミアの呟きの意図が掴めず、ジェレミアが問うた。

 物憂げな表情を見せる皇女に、ジェレミアは自分が何か不敬な発言をしたのではないかと大いに焦る。

 自分の発言を振り返るが、答えが出る前にユーフェミアは自身の思いを語り始める。

 

「ジェレミア卿、このエリアで暮らすのはブリタニア人だけではありません。ゲットーに住む日本人の方も暮らしています」

 

 ユーフェミアが思い出すのはこの地に来た当初に足を運んだ新宿ゲットーでの光景。

 そして隣にいたいまは自分とは真逆の立場にある一人の青年の言葉だった。

 ただ強いだけの国、彼が口にしたその一言がどうしても頭から離れない。

 

「私達は上に立つ者として、上から抑えつけるだけでなく、彼らも安心して暮らせるよう取り計らう必要があるのではないのでしょうか? 生活が満たされれば彼らも武器を取る事などなく、私達と共にこのエリアの発展に寄与してくれるかもしれません。そうやって一緒に歩く道を作る事こそが、副総督として私が行うべきものではないかと思うのです」

 

 誰もが幸せならきっと争いなど起こらない。

 ならお飾りと言われていても副総督の自分がしなければならないのは、誰も争う必要がない場所を作る事ではないか。

 方法は分からずとも、そんな思いからユーフェミアは目の前の軍人へと己の考えを晒す。

 

「皇女殿下の博愛は誠に素晴らしいものかと存じます」

 

 ユーフェミアの言葉に深く頷きジェレミアは褒め称える。

 だがそれは彼女の心を賞賛するものであり、彼女の志しを肯定するものではなかった。

 

「しかし僭越ながら申し上げます。イレブン如きにそのようなご慈悲をお掛けになる必要はございません」

 

 ユーフェミアが賛同された嬉しさを表に出す前に、固い語調でジェレミアは告げた。

 目を見張るユーフェミアを前に、ジェレミアはブリタニア国民として当然の見解を語る。

 

「ゲットーで暮らしているイレブンは名誉ブリタニア人にも成れぬ無能者ばかりです。その中にはテロリストに協力するような反乱分子も多くおり、それがこのエリアの発展を大きく阻害している事にも気付かぬ愚物の集まりです。そのような者達にユーフェミア様がお心を割かれる必要などありません」

 

 数多くのブリタニア人にとって、イレブンに人権などというものは存在しない。

 そもそも国がそれを認めてはおらず、だからこそブリタニアにはナンバーズを人とも思わぬ法が存在する。

 ジェレミアという模範的な軍人を通して、ユーフェミアはそんな現実を改めて突きつけられる。

 

「ご心配されずとも、黒の騎士団を始めとするテロリストを一掃すれば、愚鈍なイレブン共もブリタニアの偉大さに気付く事になりましょう。さすれば奴らも分相応の暮らしに満足し、このエリアには平和が訪れます」

 

 ユーフェミアを気遣うように、ジェレミアは未来の展望を語る。

 しかし平和という単語の認識の差異に、ユーフェミアは愕然としていた。

 ユーフェミアにとって平和とは誰もが幸せに笑って暮らせるという事だ。

 だがジェレミアにとって――多くのブリタニア人にとって幸せとは、イレブンが敗戦を認めブリタニアに頭を垂れる事なのだと分かってしまったから。

 スザクと話した時は分かり合えた考えが、一般的なブリタニア人との価値観とは掛け離れているという事実を痛感し、ユーフェミアは震えそうになる身体をなんとか抑えつける。

 

「……ジェレミア卿、あなたはなんのために戦うのですか?」

 

 声が揺れないように気をつけながら、ユーフェミアは問う。

 それに対しジェレミアは迷う事なく即答した。

 

「無論、御身のように尊き皇室のためでございます。我らの命、我らの忠義は全て、至高におわすブリタニア皇室のために存在しております」

 

 臣下としてこれ以上ない答え。

 それを聞いたユーフェミアは目を見開き、そして気付かれないように唇を噛んだ。

 そのまま沈黙が流れ、不審に思ったジェレミアが口を開こうとする前にユーフェミアが礼を告げる。

 

「ありがとうございました、ジェレミア卿。あなたの考え、とても興味深かったです」

「ハッ! もったいなきお言葉でございます」

 

 皇女の言葉に条件反射で答えるジェレミア。

 それを見ながらユーフェミアは別れの口上を述べた。

 

「お話はこれで終わりです。本日はお忙しい中、私のために時間を割いてくださりありがとうございました」

「滅相もございません。皇女殿下とお話しできた事、誠に光栄でございました」

 

 頭を下げ部屋から退出していくジェレミアを見届け、ユーフェミアは大きく息を吐く。

 物憂げな表情のままソファから立ち上がり窓のすぐ傍まで近付くと、そのまま眼下の景色を見下ろす。

 

 東京租界。

 

 ブリタニアによって開発された機械的な街並みが広がり、そして遠くには未だに手が加えられていない荒廃したゲットーがわずかに見える。

 その光景にユーフェミアは悲しそうに眉を下げた。

 

「これが、私達皇族が作り上げたものなのですね……」

 

 ジェレミアの答えを聞いて思い知らされたものに、ユーフェミアは胸の前でそっと両手を握る。

 スザクは言った。

 みんな大切なものを守るため、大切な人を幸せにするために戦うのだと。

 そしてジェレミアは告げた。

 自分が戦うのは全て皇族のためだと。

 軍人とは国に尽くす者であり、国の上に立つのは皇帝とその実子である皇族だ。

 つまり軍人は、自分達皇族のために争い、人を傷付けている。

 

 いままでずっと、戦争や紛争、テロリストと軍の戦いをどこか他人事のようにユーフェミアは考えていた。

 もちろん軍人である姉が戦っている事を忘れたわけではない。

 だが戦場に出た事のないユーフェミアにとって、戦いとは自分ではない誰かが行うものという認識が心のどこかにあった。

 しかしジェレミアの話を聞いて、ようやくユーフェミアは自覚する。

 皇女である自分の存在こそが、争いの中心なのだと。

 自分の命を守るため、自分の生活を守るため、ブリタニアの軍人は命を懸けて戦っているのだ。

 

「なら私は、一体どうすればいいのでしょうか……」

 

 本来今回のジェレミアとの会談は、ユーフェミアの騎士に彼が相応しいかどうか見極めるものだった。

 そもそもユーフェミア自身が自分に騎士を持つ事などおこがましいという思いを持っていたが、自分を心配する姉の勧めを無視する事ができず実際に会う事になった。

 だがもしジェレミアが自分と同じ考えを持っていてくれたなら、誰も争わなくていいようなエリアを作っていけるように一緒に頑張っていくのもいいかもしれないと、ユーフェミアは密かに期待していた。

 それがどれだけ考えなしだったのか、彼女は思い知った。

 ジェレミアが言った事は何も間違ってはいない。

 姉であるコーネリアも、その腹心であるギルフォードやダールトンも同じような事を遠回しに言っていた。

 直接的な言葉を使わなかったのは、きっと自分を傷付けないように気遣っての事だろう。

 つまりそれが、ブリタニア人として一般的な考えであるという事だ。

 日本人を気に掛ける自分の方が、ブリタニア人としてはむしろ異端なのだ。

 それは主義者なんて言葉がある事からもはっきりと分かる。

 

「だけど私は、誰にも傷付いてほしくないの……」

 

 かつてこの地に人質として送られた兄から届いた一通の手紙。

 日本人の友達ができたと書いてあった文面を思い出し、ユーフェミアは両手を強く握り締める。

 

「ルルーシュ……あなたならこんな時にどうすればいいか、分かるのかしら」

 

 自分が何をすればいいのかも分からず、副総督の皇女はただ泣きそうな瞳で自らが治める街を見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その電話が来た時、ディートハルトは己の目論見が成功した事を確信した。

 

『読ませてもらったよ。黒の騎士団の再編案。いくつか修正してほしい部分はあるが、概ね理解した。君の考えは扇にも通しておこう』

 

 変声機を通して伝えられる声は自身の考えが認められた事を示しており、ディートハルトは感情が返事に乗らないように気をつけながら感謝の言葉を述べた。

 

『ありがとうございます』

『群れとしての細胞の帰納予想図をネクストテイクには入れ込んでもらいたい。では』

 

 簡潔な用件だけを言い残して電話が切られる。

 しかし素っ気ない対応に反してディートハルトの顔には笑みが広がっていた。

 

「最終テストというわけか……」

 

 ゼロからの指示の意図を正確に見抜き、ほくそ笑みながら携帯をポケットにしまうディートハルト。

 本来なら入団したばかりのディートハルトに組織の再編などという仕事が回ってくるなどあり得ない。しかもディートハルトはブリタニア人という事もあって、信用は薄くスパイの可能性すら疑われてもおかしくない立場である。そんな人物に任される仕事など、どこの組織でも精々雑務くらいのものだ。

 しかし入団以前から成田や国外逃亡を図る日本解放戦線の殲滅作戦など、ブリタニア軍の極秘情報を黒の騎士団にリークした実績がディートハルトにはあった。

 さらに黒の騎士団はその成り立ちから構成員は旧日本の一般市民が殆どであり、組織の運営に関する能力が高くない事は傍から見ても分かるものだった。

 だからこそディートハルトは入団した事で自分が分かる範囲の情報をまとめ、現在進行形で急成長している黒の騎士団の展望をアジトに訪れたゼロに直接語り、その再編案を提出した。

 もちろん一蹴され読まれない可能性もあったが、そこは二度に渡る情報リークが功を奏したのか、ディートハルトの黒の騎士団の再編案はいま、確かにゼロに認められた。

 

「やはりゼロは面白い」

 

 笑みを深め、ディートハルトは含み笑いを漏らす。

 そこらの十把一絡げのテロ組織であれば、ブリタニア人である自分の意見など聞く耳すら持たないだろう。それどころか入団前のブリタニア軍の作戦情報のリークすら信用に値しないと切り捨てられたに違いない。

 しかしゼロは違う。

 人種などにはこだわらず、その人物の能力と行動によってのみ評価する。

 それが植民地政策が行われているエリアにおいて、どれほど希少な器であるかをディートハルトは知っていた。

 

 ディートハルトが初めてゼロを知ったのは日本解放戦線による河口湖の立てこもり事件だ。

 実際に目にしたのは数分が良いところだろう。

 しかしその数分でディートハルトはゼロに魅せられた。

 ブリタニア軍を相手にしながら一歩も引かず、さらにはコーネリアを手玉に取った手腕。

 日本解放戦線を掃討し、さらには舞台を乗っ取って組織の旗揚げに利用した大胆さと狡猾さ。

 それはいままで見た事のない大器をディートハルトに感じさせるのに充分なものだった。

 もしこれが黒の騎士団が主導した事件であれば、ディートハルトは興味を引かれたとしてもここまで入れ込む事はなかっただろう。

 しかし重要なのは、これらが行われたのが日本解放戦線が突発的に起こしたテロの最中だという事だ。

 他者が起こした事件に無理やり介入し、一体どれほどの仕込みを施し、利用したのか。

 そしてその目論見を全て成功させられる者が、このエリア11――いや、本国にいる人間も含めて何人いるだろう。

 それを考えた時にはもう、ディートハルトはゼロという男の仮面の内側に隠れた混沌の虜になっていた。

 

 それからというもの、ディートハルトはすぐに黒の騎士団の入団を希望し、自分の知る限りのブリタニア軍の情報をリークし続けた。

 幸い自分を利用しようとする軍人がいたため裏情報には困らず、それまで反社会的活動にも関わってこなかったディートハルトに無用な疑いを向けてくる者はいなかった。

 そして成田。

 ブリタニア軍が日本解放戦線の殲滅作戦に乗り出す情報をリークしたディートハルトだが、ゼロならばその情報をキョウトに売って貸しを作り、そこから援助を取りつけるだろうと予想していた。

 その頃の黒の騎士団は勢いこそエリア11で随一であるものの、まだ組織としての日は浅く、新興組織の枠を出なかった。

 戦力も練度も整っているとは思えず、ブリタニア軍と事を構えられるような域に達していない事は入団を認められていないディートハルトにも察せられるものだったからだ。

 しかし蓋を開けてみればどうだろう。

 ゼロはその少ない戦力で戦場に割って入り、ブリタニア軍をあと一歩のところまで追い詰めたという。

 自らの情報収集能力でその事を知ったディートハルトは確信した。

 

 ゼロの行動は世界を変える可能性を持っていると。

 

「しかしだからこそ、先の作戦には疑問が残るところだ……」

 

 1週間ほど前の日本解放戦線の国外逃亡をサポートした作戦を思い出し、ディートハルトは人知れず眉を顰めた。

 ゼロはあの作戦において日本解放戦線を囮に、手薄になった本陣に奇襲を掛けるという電撃作戦を取った。

 その目論見は成功し、黒の騎士団のエースであるランスロットと、今作戦で初めて実戦投入された日本純正のナイトメアフレームである紅蓮弐式によってコーネリアをあと一歩のところまで追い詰めた。しかしさすがは屈強と言われるコーネリア軍。騎士ギルフォードやダールトンといった親衛隊、そして純血派の面々に耐え凌がれ、黒の騎士団はコーネリアを捕縛するまでには至れなかった。

 この作戦、一見寡兵でありながらコーネリア軍と互角に渡り合い、日本解放戦線を無事に逃がした黒の騎士団の勝利のように見えるが、ゼロは戦略目標を日本解放戦線の逃亡ではなく、コーネリアの捕縛に置いていた。

 だとすれば、結果的に戦略目標を達成できなかった黒の騎士団の勝利とは言えない。

 戦力差がありながら負けなかったといえば聞こえはいいが、この作戦の結果、黒の騎士団が持ち帰った戦果はないに等しい。

 精々が日本解放戦線が逃げ切った事による、キョウトとの関係の強化程度だろう。

 こちらの戦力に殆ど消耗はなかったにせよ、リスクに対するリターンが釣り合っていない。成田においてあれほどの戦力差がありながら華麗な立ち回りを演じたゼロにしては、お粗末な結果と言わざるを得ないものだった。

 作戦内容にしてもゼロが取った電撃作戦は定石の枠を出ないものであり、紅蓮という新戦力があったにせよ結果的にコーネリアの捕縛が叶わなかった事を考えれば、ディートハルトにはどうにも見通しが甘かったように感じられる。

 

「勝利が続き慢心したか、それとも戦略目標とは別の目的があったのか。いずれにせよ、ゼロの真価が問われるのはこれからという事か。私としては、彼がただの理想論者でない事を祈るばかりだな」

 

 含み笑いを口の中で転がし、ディートハルトはゼロから与えられたテストに取り組む。

 初めて見た時に感じたカオスが、あの仮面の中に渦巻いている事を心から願って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディートハルトとの通話を切ったルルーシュは、携帯をテーブルにおいて目の前のパソコンの画面に意識を傾ける。

 そこには関東方面の地図が表示されており、区分けでもしているかのように赤と青に塗り潰されていた。

 

「心を読める以上、追手を避けるのは容易いか。人海戦術にも限界があるが、C.C.の話が本当なら人ごみに紛れるのは相当なストレスのはず。租界よりもゲットーに潜伏している可能性が高いと踏んだが、これだけ見つからないとなれば租界の郊外にでも隠れているのか? 目撃情報の一つでもあれば、追い込み漁で捕らえる事も不可能ではないが、結局のところ条件が整うかは運次第か……」

 

 現状を口に出して整理しながら、ルルーシュは険しい顔で今後の方針について思索に耽る。

 ナナリーを説得し、学園を出てから既に5日が経っている。にも関わらず、ルルーシュはマオに対して何一つ有効な手を打てずにいた。反対に、マオからアクションを仕掛けてくる気配もない。それはルルーシュ達がホテルを転々としているため居場所を掴めていないだけかもしれないが、無関係のシャーリーを利用してまで嫌がらせをしてきた相手がその程度で大人しくしているというのは、それはそれで不気味な話だった。

 C.C.からは自分を囮にマオをおびき出せと提案されたが、この件でどれだけC.C.が信用できるか分からなかったルルーシュはそれを拒絶。結果、最低限の危機管理と連絡手段の確立のために発信器付きの携帯(当然本人に了承は取っている)をC.C.に持たせ、ルルーシュとC.C.は別々にマオの捜索に当たっている。

 C.C.は連日租界で後ろ暗い人間を相手に聞き込み、ルルーシュは黒の騎士団を使った人海戦術はもちろん、ネットや街頭の監視カメラへのハッキングなども行い時間が許す限り行方を追ったが、まるで消えたようにマオはその姿を現さない。

 

「虎の子のスザクは万が一のためマオが見つかるまでナナリーの傍から動かせない。C.C.からの情報が全て真実であるという証拠もない。しかしゼロの正体を知られている事だけは確実、か」

 

 分かってはいた事だが、あまりの状況の悪さにルルーシュは思いきり舌打ちする。

 黒の騎士団にとっても大事な時期だというのに、そちらの方はどうやっても後回しにするしかなかった。緊急のものだけは足を運んで終わらせてはいるが、予定が大きくずれ込んでしまっているのは間違いない。

 

「そういう意味で、あのブリタニア人の入団は運が良かったな。まだスパイの可能性は排除しきれないが」

 

 さっきまで電話していた相手を思い出して、ルルーシュは一人呟く。

 黒の騎士団は構成員の殆どが一般人上がりのテロリストであり、当然大きな組織の運営など経験がない。そのためそれに長けた人物というのは非常に貴重だった。

 組織の特性上は仕方ない事ではあるが、もう少し文官寄りのメンバーを増やしていきたいというのがルルーシュの本音だ。

 

「ん?」

 

 テーブルに置いていた携帯が震え、ルルーシュはそれを手に取る。

 画面を見れば非通知の文字。

 その時点で相手が誰か察しをつけたルルーシュは、片眉を顰めながら通話に応じた。

 

『やぁルル。僕の事、C.C.から聞いてるかな?』

 

 聞き慣れない声がやけに親し気に話し掛けてくる。

 その声をルルーシュは一度だけ聞いた事があった。

 

『マオ……!』

『あはは! 正解だよ、ルル』

 

 ずっと探していた人物の名前を怒りと共に呼べば、楽しそうな笑い声が電話越しに返ってくる。

 電話さえなければ拍手でもしていそうなほどその声は弾んでいた。

 

『C.C.と話したいんだ。君の近くにいるんでしょ? 代わってよ』

 

 一方的にそう要求してくるマオ。

 それはマオの目的を考えれば当然の事だったが、C.C.は当のマオを捜して外出中のためここにはいない。

 

(C.C.の不在を知らないという事は、俺の半径500メートル以内にはいないのか? いや、これがブラフという事も考えられる。そもそもなぜ奴はこのタイミングで連絡をしてきた? 携帯の番号はシャーリーの心を読んで知ったとして、この5日間で連絡するチャンスはいくらでもあったはずだ。考えられる理由としてはなんらかの準備が整った、もしくはこちらの居場所を特定し心を読める優位を確立したかったからというところか。ならば心を読まれているのを前提に動くべきなのだろうが、それでは後手に回るばかりで状況は好転しない――)

 

 目まぐるしい思考がルルーシュの脳内を駆け巡る。

 それらをわずか数秒でまとめ上げルルーシュが出した結論は、消極的な様子見だった。

 

『……C.C.はいま、俺の傍にはいない』

『ふぅん、そうなんだ。じゃあ連絡先を教えてよ。それくらい知ってるんでしょ?』

 

 ルルーシュの慎重な答えに対して、素直に納得し別の手段を要求するマオ。

 そのあっさりとした態度はこちらの状況を知っていたが故なのか、疑いながらもルルーシュはC.C.の携帯番号をマオに伝える。嘘の番号を教える事も考えたが、心を読まれている可能性がある上に電話越しでは反応を窺う事もできないためやめておいた。

 

『なるほどね。ありがとルル。バイバーイ』

 

 終始陽気な態度を崩さずに電話が切られる。

 時間にすれば1分にも満たない通話。

 その意図が掴めずルルーシュは舌打ちを零す。

 

(もし心を読める状況だったなら、こちらを揺さぶる言葉を口にして俺に思考させる事で情報を引き抜こうとしたはず。いや、C.C.によれば奴はターゲットを絞れば深層心理すら読み解けるという。ならばわざわざ考えさせなくてもこちらの思惑や行動は能力の範囲に入った時点で筒抜けだったのか? もしそうなら――違う。マオが俺の心をどこまで読めるかはこの際問題ではない。第一に考えるべきは、奴が俺に電話をしてきた理由だ。心を読めようが読めまいが、俺達の居場所が特定できたのならわざわざ電話をしてこちらを警戒させる必要はない。だとすればマオはまだ俺達の居所を掴めておらず、本当にC.C.の連絡先を聞く事だけが目的だったという線が濃厚か?)

 

 相手の思惑が分からない事にルルーシュは盛大に舌打ちする。

 マオがどんな人物かも分かっていない現状、その真意を推察する事は困難だった。

 とにかく念のため隠れ場所は変えた方がいいだろうと、スザクとナナリーがいる部屋へ向かおうとしたところで再びルルーシュの携帯が鳴った。

 掛けてきたのはC.C.だ。

 

『なんの用だ』

『ホテルの南側にある公園で待っている』

『なに?』

『すぐに来い。ではな』

『おい、待てC.C.!』

 

 ルルーシュの制止も虚しく、電話からは通話が切れた事を告げるコール音が鳴り響く。

 こちらの言い分も聞かずに一方的な呼び出しをするC.C.に苛立ち、ルルーシュは忌々しげに表情を歪めた。

 

「くそっ、勝手な女だ」

 

 携帯を内ポケットにしまい、ルルーシュはすぐに外出の準備をする。

 どうせホテルを移るつもりだったのだ。やるべき事は変わらない。

 簡単な身支度を済ませスザクとナナリーのいる部屋へと向かう。

 インターフォンを押して扉越しに名前を告げると、すぐにドアが開きスザクに招き入れられる。

 

「どうしたのルルーシュ? 何かあったのかい?」

 

 この時間は黒の騎士団の活動やマオの捜索をしていると知っているスザクが、ルルーシュの来訪を訝み訊ねる。

 察しの良い幼馴染にルルーシュは深刻な顔で頷いた。

 

「マオから電話があった。内容自体は大したものではないが、居場所を特定された可能性もある。すぐに出るぞ」

「分かった」

 

 余計な質問を挟まず簡潔に答え、スザクはすぐにホテルを出る準備を始める。元々逃げ回ってホテルを転々としているため、その手際には一切の無駄がない。

 ルルーシュはそれを横目に部屋の奥へと進む。

 そこには車椅子に座って窓の外に顔を向けるナナリーがいた。

 

「ナナリー」

「お兄様……」

 

 名前を呼ぶと、ナナリーは車椅子ごと振り返った。

 そして沈んだ表情に理解の色が浮かぶ。

 

「また、ホテルを移るのですね」

「ああ。お前にも準備をしてほしい」

「分かりました」

 

 この5日でナナリーも移動は慣れたものだった。

 兄の言葉にナナリーは文句も不満もなく、頷きを返す。

 

「すまない。負担を掛けてしまって……」

 

 申し訳なさを滲ませながらルルーシュが謝罪の言葉を口にする。

 目と足が不自由なナナリーにとって、生活する場所を変える事は重労働だ。

 一口にホテルといっても部屋の構造が全て統一されているわけではない。

 目が見えれば簡単に分かる違いも、ナナリーは口で説明を受け、物の位置を実際に触れて確認し、そしてそれを憶えて身体に馴染ませなければならない。

 ルルーシュやスザクができる限りサポートしているとはいえ、その負担やストレスは相当なものだろう。

 

「いえ、大丈夫です。それよりも、あの……」

 

 兄の気遣いを受け取り、しかしナナリーは移動の準備を始めるのではなく、両指を何度も組み換え何かを言いたそうにルルーシュを見上げる。

 

「えっと、わたし……その、お兄様にお聞きしたい事が……」

 

 話している最中に何度も俯き、そのたびに口を噤んで、それでもなんとかナナリーは言葉を絞り出す。

 しかしその声は心の内の恐怖を示すかのように尻すぼみになっていた。

 

「もう、整理はついたのかい?」

 

 ルルーシュがそれだけ問うと、ビクッとナナリーの肩が震える。

 怯えるような表情を覗かせるナナリーの手を取り、努めてルルーシュは柔らかい声を出した。

 

「急がなくていい。簡単に答えの出る問題じゃない事は、俺もスザクも分かってるから」

「でも……」

 

 優しく諭されてもナナリーは納得できないのか迷うように首を振る。

 まるで何かに急き立てられているようにも見えるナナリーの姿に、ルルーシュは重ねた手を少しだけ強く握った。

 

「ゆっくりでいい。焦ってもきっと、納得する答えは出て来ない」

「っ……はい、分かりました」

 

 ルルーシュの訴えに折れ、ナナリーは力なく頷く。

 消沈する妹の様子にルルーシュの心に影を差すが、それに気付かないふりをして必要な事を伝える。

 

「俺はC.C.に呼ばれているから、一度出てくる。ナナリーはスザクと一緒に先に移動していてくれ」

 

 呟くようなナナリーの了承の返事を聞いて、ルルーシュは入り口まで戻る。

 そこには準備を整えたスザクが待っていた。

 

「ルルーシュ」

「このタイミングだ。C.C.からの呼び出しが罠という事も考えられる。15分経って何も連絡がなかったなら、黒の騎士団を使って南の公園とその周辺を調べろ」

「……C.C.を疑ってるの?」

 

 剣呑なルルーシュの言葉にスザクが眉根を寄せる。

 それに対しルルーシュは、ふんと鼻を鳴らす。

 

「マオからC.C.の連絡先を聞かれ、教えた直後に碌に説明もされず呼び出されたんだぞ。疑うなという方が無理な話だろう」

「それは……」

 

 口ごもるスザクの返事を待つ事なく、ルルーシュは最低限の自衛と逃走ができるだけの道具を持って扉に手を掛ける。

 

「とにかく、俺は行く。ナナリーの事は任せたぞ」

「……分かった。気をつけてね」

 

 問答している場合ではない事はスザクも分かっているのだろう。

 反論を呑み込んで見送るスザクの言葉に頷き、ルルーシュはホテルを出た。





桃色のお姫様と忠義の騎士、久しぶりの登場回。
独白が多く、話的には起伏のない回になってしまいました。

次回:嘘つきの真意

スザクの誕生日にまたお会いしましょう。

出典
DVDマガジンⅠ
『ゼロがリークした成田の情報をキョウトに売るすると考えていたディートハルト』
『ゼロの行動は世界を変える可能性を持っている』

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