第二部の話である事に変わりはありませんが、この話から新章スタートです。
とあるホテルの一室。
そこには黒髪の青年と緑髪の少女が当然のように部屋を共にしていた。
といっても、そこに色っぽい雰囲気は欠片もない。
テーブルに置いたノートパソコンのキーボードを叩く青年と、ベッドに転がってその様子を眺める少女の間に流れる空気感は、恋人というよりも兄妹と言われた方がしっくりくるかもしれない。しかしそれも遠慮がないという一点から齎される印象であって、それ以外の部分――例えば顔の造形や身内特有の親しみがないため、良く見ればすぐにそれが勘違いである事には誰であっても気付くだろう。となれば一番近い表現は、やむを得ず一夜を共にする事になったビジネスパートナーというところだろうか。
「やはり近場の病院で治療を受けた様子はないな」
ノートパソコンを見ながら椅子の背凭れに身体を預けた青年――ルルーシュは軽く眉を顰めて、いましがた調べていた情報の結果を口にする。
普段なら寝そべったままそれを聞くC.C.だったが、話の内容が内容だけに、今回は身体を起こして真面目に話を聞く姿勢を整える。
「闇医者の当てがあったのか、それとも自分で手当てし潜伏しているのか……まぁどちらにせよ、マオが見つからない以上、学園に戻る事はできそうにないな」
淡々と事実を口にしているように見えて、その声にはわずかばかりの寂寥が滲んでいるようにC.C.の耳には届いた。
それは罪悪感からくる気のせいかもしれなかったが、自分のとばっちりで自らの場所を追われる事になったルルーシュに、C.C.は神妙な顔で謝罪の言葉を口にする。
「すまないな、私がマオを逃したせいで……」
「追うなと言ったのは俺だ。それに元々学園での生活には限界を感じていた。今回の件は単なるきっかけに過ぎない」
C.C.に最後まで言わせる事なく、ルルーシュは未練を振り切るように言い切る。
学園を出る覚悟はゼロとしてブリタニアに反逆すると決めた時からしていた。マオの件がなくともいずれは決断しなくてはならなかったのだから、それは早いか遅いかの違いでしかない。
「そんな事よりさっきの話だが、本当に良いのか?」
椅子の向きを変えてルルーシュが身体ごとC.C.に向き直る。
真剣な眼差しで己を見つけめてくる紫紺の瞳に、C.C.は目を逸らす事なく頷いた。
「ああ。学園を出る事になったのは私の責任でもあるからな。マオが見つかるまでは、お前とスザクが黒の騎士団の活動をしている間、私がナナリーの世話と護衛を受け持とう」
これまで一切の協力を拒んできたC.C.が、初めてルルーシュに助力する事を確約する。
それは意外な事ではあったが、ルルーシュにとってはありがたい話だった。
マオを取り逃し学園に戻れない以上、ナナリーの世話を咲世子に任せる事はできず、かといってスザクが付きっきりで守っていたのでは黒の騎士団としての活動が儘ならない。
組織の拡大も順調に進んでいる現状それは避けたかったのだが、C.C.がナナリーの護衛を引き受けてくれるというなら問題は解決する。
「お前の方こそ良いのか? 大事な妹を私のような得体の知れない女に任せて」
挑発するように笑い、試すような視線を向けてくるC.C.。
しかしその問いに対する答えは既に出ている。
「お前が本当に俺を見限っているなら、クロヴィスランドで袂をわかっていたはずだ。わざわざ俺のところに戻ってきて土壇場で裏切るなんて面倒な真似をするほど、お前が人格の破綻した女だとは思っていない」
スザクの『C.C.は信用できる』という根拠のない言葉を思い出しながら、ルルーシュはため息混じりにそう答えた。
本来ならたとえマオと決別しようと、契約するつもりがないと断言しているルルーシュの下にC.C.が戻ってくる理由はない。
己の決断を見届けてくれと頼んだのはルルーシュの方だが、その約束を果たすだけなら彼女がナナリーの世話や護衛まで請け負う必要はなく、見届けた後で再びルルーシュの元を去ればいいだけの話だ。
しかしC.C.はそうせずに、ルルーシュの大切なものを守るとまで言ってくれている。
その厚意を疑うほどルルーシュも人格がねじ曲がってはいなかった。
スザクがC.C.は責任感が強いと言っていたのは、あながち的外れではなかったという事だろう。
「それにマオが相手ならば、お前以上の護衛はいないからな」
近くに置いてあったチェスの駒を手に取り、それを指の上で回しながらルルーシュは口角を上げる。
マオの言動からC.C.にはギアスが通用しない事をルルーシュは見抜き、既にそれを本人に確認もしていた。
一体どういう原理なのかは分からないが、マオの脅威は人の心が読めるというギアス能力が大半を占めている。
それを無力化できるなら、マオへの対応は彼女に任せるのが最適といえる。
「お前に不満がないならそれでいい。元々私が言い出した事だしな」
肩を竦め、C.C.はそれ以上の追及はせず引き下がる。
ぞんざいながら確かな協力の姿勢を見せてくれる彼女に、ルルーシュは短い感謝を告げた。
「助かる。さすがにナナリーを黒の騎士団のアジトに連れて行くのは避けたいからな」
「だが、それもいずれは避けられないぞ」
「分かっている。あくまでこれは一時的な処置だ」
念を押すように返された忠告に、ルルーシュも表情を引き締め頷いた。
C.C.の協力はマオとの決着がつくまでであり、その後もルルーシュがゼロとして黒の騎士団の活動を続ける以上、学園に戻るという選択肢は存在しない。ならば――いや、たとえそういった時間制限がなかったとしても、ナナリーの身の安全を考えれば現状に甘んじているわけにはいかない。
「ひとまずその話は後だ。いまは目先の問題を片付けなければならないからな」
不毛な話題を打ち切り、片手でノートパソコンのキーボードを叩いて必要なファイルを掘り出しながら、ルルーシュは今後の事について話しを移す。
C.C.もルルーシュが理解しているなら追及する必要もないと判断したのか、反論もなく大人しく耳を傾けた。
「とりあえず、スザクが住んでいたところも含め、用意していた隠れ家は全て破棄する。マオに心を読まれている可能性が高いからな」
「まぁ当然の判断か。折角学園から出たというのに、逃げ込む先を知られていては意味がない」
「その上でホテルを転々と移る生活もあと数日で終わりにしよう。マオへの対策としては有効でも、あれは負担もリスクも大きい。長期間続けるものではない」
「ふむ。お前やスザクはともかく、ナナリーの事を考えれば賢明だとは思うが、肝心の安全の確保はどうするつもりだ? 一箇所に留まればマオに心を読まれ、居場所を特定されるリスクは上がるぞ?」
元々ホテルを転々とする潜伏方法はマオへの対策から考えられたものだ。それをやめるとなれば、当然マオのギアスで捉えられる危険は増す。
そんなC.C.の指摘に、ルルーシュは口元に手を当てると少しだけ迷うように黙った。
「……それに関しては、お前の手を借りたいと思っている」
「なに?」
ルルーシュから出た思わぬ要請に、C.C.は怪訝そうに眉を顰める。
これまでルルーシュがC.C.に何かを頼み込むという事は殆ど皆無と言って良かった。にも関わらず、ここにきて手を借りたいとはどういう事なのか。
そもそもルルーシュとC.C.の関係は、仲間でもなければ運命共同体というわけでもない。
確かに協力するとは言ったが、あくまでそれはナナリーの世話と護衛だけであって、無条件で手を貸す約束をしたわけではないのだ。それを勘違いして良いように自分を利用しようなどと考えているなら、思い上がりも甚だしい。
キツイお灸でも据えてやろうかと、C.C.が意図の分からぬ協力要請の理由を問おうとするが、それに先んじてルルーシュは続けた。
「一つ訊くが、心から依存していた存在にあれだけこっ酷く拒絶されたマオが今後どう動くか、お前には予想できるか?」
「っ、それを私に聞くのか、お前は……」
唐突に問われ、C.C.は苦々しい顔になって答えに詰まった。
しかしルルーシュがマオと付き合いの長い自分にそれを問うのはある意味当然といえる。
C.C.は一度目を閉じて感情を落ち着けると、できるだけ主観に囚われないように自らの考えをそのまま口にした。
「全ての原因をお前のせいにして憎むか、私に対する執着をさらに強くして奪いに来るか、私に殺され掛けた事実を受け止めきれずに全てを拒絶するか……難しいな。マオの心を支えていたのは自惚れではなく私の存在だ。その根幹が崩れれば何をするか想像もつかない」
「だろうな。だが精神的に追い詰められた人間というのは計画的に動く事が難しくなる。しかもあの様子では、マオは元々深く考えてから動くようなタイプではないだろう?」
探るような問い掛けにC.C.は頷く。
ギアスによって他人の思考が読めるため、マオはある程度の方針を決めれば後はアドリブで動く事が多い。本来ならそんな行き当たりばったりな行動など失敗するのが大半だろうが、ギアスを持つマオにはそれが最善手だった。むしろ細かい計画は邪魔にしかならない。
今回の件を振り返ってみても、やった事と言えばルルーシュへの当てつけに生徒会の仲間であるシャーリーを心理誘導したくらいのもので、その短絡的な思考が見て取れる。
「ならばお前の言ったどのパターンで動くにしても、回りくどい真似を選ぶ可能性は低い。シンプルな思考で衝動的に事を起こすはずだ」
確信を持って、ルルーシュは自らの推測を力強く語る。
その目は獲物を追い詰める肉食獣のごとく鋭利に細められていた。
「軍に俺がゼロである事をリークするか、ギアスを使って自分の足で直接俺達を捜すか、同じくギアスを使い片っ端から弱みを握った人間を利用して人海戦術で俺達を捜すか。もっと直接的に、俺かお前に直接電話を掛けてくる事も考えられるな」
テーブルにあるチェス盤の駒を、考えられる可能性を挙げる度に一つずつ動かしていく。
一見すれば白の駒が自由に動き回り優勢のように見える盤面だが、ルルーシュは不敵に笑うと一転して黒のクイーンを手に取った。
「呼び出してくるなら好都合。そこでケリをつけてやる。他のパターンでも問題はない。俺の情報を軍にリークすれば、必ずコーネリアが軍を使ってなんらかの動きを見せるはずだ。ブリタニア軍の動向を探っておけばそれは察知できるだろう。そしてギアスを使って俺達を捜索する方法を選んだとしても、冷静さを失ったマオに黒の騎士団の目を掻い潜って俺達を捜すだけの余裕はない。必ずこちらの網に引っかかる」
白の駒が攻め上がる隙をついて、黒のクイーンが一気に敵陣に食い込みチェックを掛ける。
まだチェックメイトではないが、盤面は逆転し黒の陣営に流れは傾いていた。
「もしなんのアクションもなかったなら、自暴自棄になってお前を諦めたという事だろう。それならそれで、こちらに害はないからな。放置しても問題はない」
そう言って、白のキングをルルーシュは指で倒す。
余裕を滲ませる態度を横目で見ながら、納得したようにC.C.は頷いた。
「つまりマオが何かをしようとしても、初動は抑えられるというわけか」
「そういう事だ。マオの打ってくる可能性のある手の中で最も厄介なのは俺の情報を軍にリークされる事だが、ナナリーと共に学園を出ている以上、それはもう致命打とは成り得ない。アッシュフォードに軍の調査が入ったとしても、もはや俺達の存在は確認できず、ゼロである証拠もあそこには残していないからな。コーネリアに俺とナナリーの生存を知られるのは厄介だが、居所がバレなければ大事には至らないだろう」
もしそうなった場合、コーネリアは血眼で自分達を捜そうとするだろうが、簡単に見つかるほどルルーシュが長年培った潜伏技術は甘くない。黒の騎士団を使って軍の動きをある程度は探れる事も考慮すれば、当分の間は見つからずに隠れる事が可能だろう。その間に準備を整え黒の騎士団のアジトに居を移せば、もはやコーネリアに自分達を捜し出す事はできなくなる。
懸念を挙げるなら、ルルーシュとナナリーを匿っていたアッシュフォードがどのような目に遭うか分からないという一点だ。もし一族郎党処刑などというふざけた事態になるのであれば、いかに逃亡中の身であろうと放っておくわけにはいかない。
しかしそれも、生存がバレている前提であれば対策の打ちようはいくらでもある。
「あとはそうだな。シャーリーの時のように生徒会の人間を俺への人質にする事も考えられるか。その辺りはマオの目撃情報を理由に黒の騎士団に学園を監視でもさせて、ミレイにも警備レベルを上げるように伝えておこう。念のためリヴァル達の外出を控えさせるために何かのイベントでも開催してもらえば、急場しのぎにはなるはずだ」
アッシュフォード学園は全寮制のため、私用でもなければ基本的に学園の敷地内から出る必要はない。もちろん生徒が買い物やバイト、遊びに出掛ける事など日常茶飯事ではあるが、しばらくの間なら気付かれないようにそれを抑制する事は特段難しくない。
シャーリーは元々マオへの警戒を促しており、ルルーシュが事情を説明すれば無闇に外出をする危険はないだろうし、ミレイもルルーシュが適当な理由をでっち上げれば問題なく従ってくれるだろう。ニーナは普段から積極的に外出するタイプではなく、リヴァルはバイトがあるが、ミレイがイベントを立ち上げ仕事を振りまくれば、いまままでの経験からそちらを優先するだろう事は予想に難くない。急遽始めるイベントの準備に関しては、外からの買い物が不要なものを企画してもらえばいいだろう。それでマオがつけいる隙はなくなるはずだ。
「いずれにしても、マオが直接行動を起こせるのは最低限撃たれた傷が治ってからだろう。数日の間は軍の動向にだけ気をつけておけば問題ない」
ギアスという力を持っているとはいえ、肉体的にはマオも普通の人間と変わりない。痛みに耐性があるようにも見えなかったので、あれだけの怪我を負えば数日はまともに動くのも難しいはずだ。それでも軍に電話するくらいならやりかねないが、逆に言えばそこにさえ注意しておけば対処は容易といえる。
「こちらは奴が動けない間に身を隠す準備を整えるぞ。まずは破棄する隠れ家に代わる場所を用意する」
マオへの対策の話を終え、ルルーシュは話題を今後についてのものに戻す。
「新しい家か。いまの話からすると、マオのギアスは考慮せず適当な隠れ家を見繕うのか?」
ホテル暮らしをやめるというなら、安全面を考えてもその隠れ家に全員が住む事になる。
C.C.としても自分が住む家の事は気になるのか、いつもよりも興味深そうに瞳を怪しげに光らせていた。
「そこが少し難しいところだ」
しかしルルーシュの答えは、そんなC.C.の関心に最初から水を差すものだった。
「というと?」
「もしマオが当てもなく無闇に俺やお前を捜そうとしたなら、こちらの網に引っかかるのは確実だろう。だが俺の思考はマオに何度も読まれている。たとえ事前に候補として選んでいた場所を全て棄却し新たに隠れ家を選んだとしても、傾向を推測される恐れはある。マオの500メートル以内に入れば無条件で思考が読まれる事を考えれば、潜伏場所に当たりをつけられるだけでも危険だ」
本来なら傾向を読んだ程度で家まで特定される可能性は低い。だがマオのギアスは実際に姿を見なくとも、それどころか自分達が家の中にいたとしても、半径500メートル以内に近付くだけでこちらの居所を察知する。大まかな場所を予測されてしまえば、それはもう見つかったも同然なのだ。
「つまりお前が選ぶ隠れ家はマオに見つけられる可能性が高いというわけか」
「そういう事だ。マオに俺の思考の傾向を推察できる頭があるかは疑問の残るところだが、他人の心理を誘導できるほど心の機微に長けている事を考えれば、石橋は叩いておくべきだろう」
それが望んだものではないとはいえ、10年以上も人の心の声を聞いてきた実績がマオにはある。他人の心理を読む経験値は嫌でもついているはずだ。
「そこで隠れ家の選定は、お前に任せたいと思っている」
「ほぅ……」
口元に手を当てながら不承不承といった様子で語るルルーシュに、頼まれた側のC.C.は意味ありげに目を細める。
「なるほど。手を借りたいと言ったのはそういうわけか。問題ないと言いつつ、マオを過小評価はしていないようだな」
「当然だ。奴の能力は俺と相性が悪過ぎる。警戒してし過ぎるという事はない」
油断なく万が一を取り除こうとするルルーシュの慎重さに、さすがにこれまでブリタニアから逃げ続けてきただけはあるとC.C.は感心する。
妥協や希望的観測を許さないその姿勢があるからこそ、身体的な障害を持つ妹を守りながらも今日まで無事に生きて来られたのだろう。そういった意味では生命線ともいえる隠れ家選びを他人の手に委ねるというのはらしくないが、遊園地での一幕があった事でマオへの対策に限っては信用されているという事なのかもしれない。もしかしたら、こちらには秘密で別の策を用意している可能性も考えられるが。
「まぁいいだろう。私が暮らす場所でもあるからな。そのくらいは引き受けてやる」
内心の感想や評価はあえて口にせず、C.C.はルルーシュの要請を快諾する。
自分がこれから住む家を選べるというのだから、悪い話でもない。
「当然だが、ナナリーも一緒に生活する事になる。俺やスザクに対する配慮はこの際必要ないが、その点を充分に考慮してできる限りストレスのない物件を選ぶようにしろ。それからナナリーは目が見えないぶん音には敏感だから、家の材質はできるだけ音を通さないものにして、立地にしても――」
「分かった分かった。お前の妹の事を考えて家を選べばいいんだろう」
過保護スイッチが入り出したルルーシュを遮ってC.C.は面倒くさそうに手を振る。
しかしその態度が気に入らなかったのか、ルルーシュの舌峰はさらに鋭さを増す。
「そんな雑な理解で良いわけがないだろう。ナナリーにとっては一日の殆どをお前が選んだ家で過ごす事になるんだぞ。それがどれだけ大切な事か、逃亡生活をする上でのストレスの危険性は平時のそれとは比べ物にならない。甘く見れば身体より先に心が――」
「だから――!」
いい加減鬱陶しくなったC.C.がベッドの側面を拳で殴りルルーシュを睨みつける。
「分かったと言っているだろう。私を誰だと思っているんだ」
「……ふん。お前に全て任せるとピザ屋の隣の物件を選びかねんからな」
本気で苛立つC.C.の態度に、言い過ぎた事を察したルルーシュは悪態をつきながらも引き下がる。
その後は余計な注意をすれば火に油を注ぐだけだと悟り、ルルーシュも必要事項だけを手早く伝えた。
「足のつかない偽造の書類は用意してある。できる限り早く入居できる場所を優先的に選ぶようにしてくれ。選ぶ際の最低限の条件は分かっているか?」
「安心しろ。人目を避けて隠れて生きてきたキャリアならお前よりも私の方が長い。その辺りは抜かりないさ」
念のためルルーシュが訊ねると、自信に溢れた答えが返ってくる。
明らかに自分と同じくらいしか生きていないC.C.が、幼い頃からブリタニアから隠れ住んできた自身よりも逃亡生活の経験が長いと聞き、ルルーシュは眉を寄せる。
マオと契約したのも11年前と言っていたし、成田で見た映像はおそらくC.C.の過去だろう。本人が悠久の時を彷徨うなどと言っていた事からも、見た目通りの年齢ではない事はもはや間違いないのかもしれない。
「お前がどういう人生を送って来たのか問い質したいところだが、無駄話は後だ」
わずかな疑念と好奇心を脇におき、ルルーシュは話を進める。
どうせ聞いたところで明確な答えが返ってこない事など分かり切っている。
「予算は特に考える必要はない。数は3件以上。分かっているだろうが、当然別々の不動産で、怪しまれないように変装は必須だ。午後にはスザク達と合流する予定だからそれまでに終える事が望ましいが、もし難航するようであれば合流は後回しで構わん。ただしその時は、必ず一報入れるようにしろ」
「了解だ。他に注意点はあるか?」
「ない。判断は適宜お前に任せる」
ルルーシュの答えに、もう一度了解したとC.C.は頷く。
早速行動に移るためにベッドから降りて準備を始めるC.C.だが、ふと何かを思いついたかのように振り返った。
「ところで私が動いている間、お前は何をしているつもりだ? まさか私にだけ働かせて、自分は何もしないなどと言うつもりじゃないだろうな?」
言外にそれは許さんと責めるような視線を向けてくるC.C.に、呆れてため息をつきながらルルーシュは答える。
「俺は俺でやるべき事がある。午後にはお前と同じくスザク達と合流する予定だ」
この忙しい時に暇を持て余している余裕などあるわけがないだろうと、疲れたように言うルルーシュを見て満足気にC.C.は頷く。
そんな彼女の態度にルルーシュはもう一度深いため息をついた。女は面倒というのはよく聞く話だが、これほど面倒な女もそうはいないだろう。
その後はお互いに余計な話は交えず、黙々と外出の準備を整えた。
といっても偽造書類や変装道具はルルーシュが事前に用意していたため、程なく支度も終わる。
後はチェックアウトを済ますだけという段になって、部屋を出ようとするルルーシュの背中にC.C.はおもむろに話し掛けた。
「なぁルルーシュ……合流したら、お前はナナリーに話すのか?」
主語のない問い。
しかしルルーシュは何を、とは聞き返さなかった。
「……ああ。そのつもりだ」
首だけで振り返り、簡潔な答えを返す。
それを口にしたルルーシュの横顔は一見普段とは変わらない。
だがその瞳の奥には苦悩と覚悟が同居した、強い意志の光を宿していた。
「そうか」
一拍おいて、C.C.は頷く。
その表情はどこか、羨望の色が混じっているかのようだった。
ブリタニア軍基地。
軍務や訓練により365日絶えず軍人が行きかうそこで、胸に赤い羽根の飾りをつけた褐色の肌の女性軍人が苦々しく顔を歪めながら廊下を早足に歩いていた。
「クソっ、なんて失態だ……!」
焦りながらも決して見苦しくない程度に歩く速度を抑えるヴィレッタは、己の迂闊さを呪いながら、それでもまだ遅くないと必死にこれからの方策を考えていた。
自身の知らないところで事態が動いているとヴィレッタが知ったのは、今朝の事だった。
ここ数日、ヴィレッタは軍務をこなしながら空いた時間でルルーシュ・ランペルージの情報をできる限り収集していた。
しかし分かった事といえば、簡単な生い立ちと家族構成、それから寮ではなくクラブハウスに住み、小遣い稼ぎに賭けチェスのような悪い遊びをしている事くらいのもの。いくら調べようと、枢木スザクとの関わりもテロリストとのつながりも出てこなかった。
こうなればもはや、ルルーシュ・ランペルージを枢木スザク捜査の名目で、数日間監視する事も必要かと考えた矢先の事だ。
件のルルーシュ・ランペルージが学園から姿を消しているという情報をヴィレッタが知ったのは。
捜査に行き詰まったヴィレッタが、藁にも縋る思いでルルーシュの学園での様子を頻繁に記している女子生徒のブログを確認すると、そこにはルルーシュが一週間近く前から学園を休学し、クラブハウスからもいなくなっているという事実が書き記されていた。
単独で捜査をしているヴィレッタには、ルルーシュの身辺を洗っている最中に彼を監視するなんて真似はできない。現在黒の騎士団は目立った活動をしておらず、おそらくは外部協力員である学生が仕事を任される可能性は低いだろうと放置していたのが仇となった結果だ。
女子生徒のブログでは本国に帰ったとあるが、このタイミングで姿をくらましたとあれば、おそらくは本格的に黒の騎士団としての活動に注力するためか、隠れて協力するのが危険と感じ組織に転がり込んだのだと推測が立つ。
どちらにしてもヴィレッタは一歩出遅れ、千載一遇の好機を逃してしまった形だ。
こうなってはもはやなりふり構っている余裕はない。
多少強引にでも証拠を掴むため、ヴィレッタはアッシュフォード学園に踏み込む事を決めた。
令状はなくとも、階級章と名誉ブリタニア人の証言さえあれば学園側もそう簡単には協力要請を拒否はできまい。強引な捜査は学生にこちらの動きを勘付かれる危険が高まるが、学生自身が既に身を隠している以上そんな危惧を抱く段階はとうに過ぎ去っている。
しかしその捜査を行うには一つ問題があった。
もう学生が姿をくらましてから一週間近く経っている。一刻も早い行動が求められる現状で、悠長に軍務や訓練の隙間時間を使っている余裕などないのだ。
そのためそれらよりも優先される捜査許可を上官から得ようと、ヴィレッタはジェレミアの執務室を訪れた。
「なるほど、枢木スザクの協力者と思われる学生の調査か。主義者の学生がテロ組織において重要な協力者と成り得るとは思えんが、枢木スザクも若年である事を考えれば個人的な縁がある可能性もないとは言えんな」
ヴィレッタの報告を聞いたジェレミアは納得したように頷く。
報告の際、ヴィレッタは意図して学生が既に姿をくらましている事実を伏せた。
調査が遅れた事で取り逃した失態までわざわざ告げて、無闇に評価を落とすような真似をする理由はない。
「それで、貴公の目から見て学生はどの程度テロリスト――ひいては枢木スザクと関わりがあると踏んでいるのだ?」
何気ないように聞こえるジェレミアからの問いに、ヴィレッタは瞬時に試されていると察する。
ここで回答を間違えれば、おそらく単独での捜査の許可は下りないだろう。それはヴィレッタの夢である貴族への道が遠のく事を意味する。
緊張で口の中が渇くのを自覚しながら、それを悟られないように細心の注意を払ってヴィレッタは慎重に己の考えを口にした。
「もし枢木スザクと学生を見たという名誉ブリタニア人の話が全て事実だとするなら、学生はまだ軍人だった枢木スザクが命懸けで助けようとした事から、かなり親しい間柄、もしくはテロリストにとって重要な立場にいる者だと推察する事ができます。その場合、もし学生を捕らえ背後関係を洗い出す事ができれば黒の騎士団の中枢、もしくは枢木スザクへと迫る重要な情報源になる可能性が高いかと思われます」
己の捜査の重要性と、それが実を結んだ際のメリットをアピールする。
だがそれだけでは功を焦っていると取られる可能性もある。そんな邪推を危惧し、ヴィレッタはそれだけで話を終わらせはしなかった。
「しかしこの話自体の信憑性の点から考えれば、土台となるのは名誉ブリタニア人の証言のみ。枢木スザクの脱走以降、待遇が悪化した事で自らの立場に危機感を抱いた名誉ブリタニア人の虚言という可能性も充分に考えられます。そのような真偽も確かではない情報にいいように踊らされたのでは軍の沽券にも関わります。しかし情報が真実であった場合、これは捨て置ける案件でもありません。よってまずは私が単独で調査し事の真偽を明らかにするべきかと考えております」
捜査権が他人に移らぬよう誘導しながら、評価も下げないよう言い回しに注意して見解を述べるヴィレッタ。
部下に任せるのではなく自分が動けるように事の重要度を調整する物言いに、ヴィレッタの苦心と功名心が見て取れた。
そしてその苦労は、ジェレミアが満足したように頷いた事で報われる。
「うむ。客観的な判断はできているようだな」
部下の言い分に納得し、ジェレミアはヴィレッタが持ってきた申請書に判を押す。
「良かろう。枢木スザク、及び枢木スザクにつながる者の捜査のため、ヴィレッタ・ヌゥ――貴公に3日間の単独行動を許可する」
「イエス・マイロード。必ずや、ご期待に沿う結果を持ち帰ってご覧に入れます」
「ああ、期待しているぞ」
胸を拳を当て頭を下げるヴィレッタに、信頼の言葉を送るジェレミア。
話が終わりヴィレッタは退室しようとするが、ふと気になってジェレミアは彼女を呼び止める。
「ところで、その枢木スザクに協力している学生の名はなんというのだ?」
それはなんて事のない、特に意味のない問い掛けだった。
ジェレミアとて知っている名前が出てくるとは思っていない。今後報告を聞く際には名前くらい知っておいた方がいいだろうと、その程度の質問だった。
しかしその何気ない問い掛けが、ジェレミアの運命を劇的に変える事となった。
「ルルーシュ・ランペルージという者のようです」
「…………ルルーシュ?」
返ってきた名前に、ジェレミアは眉を顰める。
その名はジェレミアにとって決して軽い名前ではなかった。
一瞬本人かもしれない、などというあり得ない妄想が頭をよぎり、ジェレミアは内心苦笑する。
確かに珍しい名前ではあるが、同名の人間がいたとしてもなんら不思議ではない。
世迷言としても
「ヴィレッタよ、そのルルーシュという学生の顔が分かる写真か何かはあるか?」
「はい。もちろんございますが……ご覧になりますか?」
「ああ。頼む」
報告で必要になった時のために持参していたのか、懐からヴィレッタは一枚の写真を取り出した。
それを受け取り、写っている人物を見たジェレミアは己の心臓が止まったかと思うほどの衝撃を受けた。
「―――――!!」
写真の人物はジェレミアに否応なく一人の人物を想起させた。
最も敬愛し、守れなかった事を最も悔いた、ジェレミアの忠義のルーツともいえる一人の女性を。
「艶やかな黒髪に、皇帝陛下と同じ紫紺の瞳…………そして何より、あの方の面影を残す顔立ち――」
8年前、本国から旅立つ際に一度だけ見た、忘れる事などできぬ尊顔。
その子供を成長させればきっとこのようになるだろう、そんな母親を思い起こさせる青年の顔写真にジェレミアの全身が震える。
そんなジェレミアの傍から見てもあまりに動揺した様子に、ヴィレッタは怪訝な面持ちで恐る恐る声を掛けた。
「まさか、お知り合いでしたか?」
「…………バカな……そのような事が、あり得るのか……? しかし…………だとしたら……私はいままで、何を――!」
「卿、どうなさいましたか? この学生を知っておられるのですか?」
顔面を片手で掴み、驚愕に目を見開くジェレミアに、さすがに尋常ではない事を悟りヴィレッタは大声で問い掛ける。
しかしそれすらも聞こえていない様子で、ジェレミアは譫言のように何かをしきりに呟いた後、ゆっくりと顔の向きを変えてヴィレッタを見た。
「……ヴィレッタ。この学生に妹はいるか?」
「は? ……ええ。ナナリーという目と足が不自由な妹がいるとの事です」
「――!」
突然の問いに戸惑いながらもヴィレッタが質問に答えた瞬間、ジェレミアは崩れ落ちた。
「ジェレミア卿!」
地面に膝と片手を突くジェレミア。ヴィレッタは咄嗟にその肩を支え名前を叫ぶ。
直後、大粒の涙が執務室の床を濡らした。
瞼から涙を溢れさせ、身体を震わせながらジェレミアは青年が写る写真を抑えきれない感情と共に見つめる。
「………………生きて、おられた……? 敬愛する、あの方のご子息が。今日この日まで……」
「じぇ、ジェレミア卿? 一体、何があったのですか……?」
もはや完全にジェレミアの奇行についていけなくなったヴィレッタは、まさかこんな状態の上官を置いて任務に出るわけにもいかず、途方に暮れながらも声を掛ける。
その後もしばらくジェレミアは写真を見つめたまま涙を流し、ヴィレッタには意味の分からない言葉を繰り返した。
彼女にとっては永遠とも思える時間が流れた後、ようやく正気に戻ったジェレミアは立ち上がると、ヴィレッタが思いもしなかった言葉を言い放った。
「ヴィレッタ。先程の任は取り消しだ。この件はこれより、私が指揮を執る」
「は……? ジェレミア卿、自らですか?」
いきなりの指令変更にヴィレッタが戸惑いの声を返す。
しかしそれに取り合う事をせず、ジェレミアは続けざまに指示を出した。
「至急この学生に関する資料を全て提出せよ。それからキューエルを呼べ。いますぐにだ」
「すぐにですか? しかしキューエル卿は現在ナイトメアの訓練の最中でして――」
「そのようなものは即刻中止させろ。とにかくいますぐここへ連れて来るのだ!」
「い、イエス・マイロード!」
問答無用の命令に、軍人としての条件反射でヴィレッタは背筋を伸ばして受諾の返答を口にする。
そのまま執務室を出ようとするヴィレッタに、幾分か落ち着きを取り戻したのか、ジェレミアは追加の指示を出す。
「キューエルもそうだが、ヴィレッタ、貴公も戻ってくる際には外出の準備を整えておけ。用意が出来次第すぐに発つぞ」
「ハッ、承知致しました。目的地はどちらになりますか?」
もう何が逆鱗に触れるか分からないと、ヴィレッタは理由を問わず事務的な質問を返す。
「そんなもの、決まっているだろう」
ジェレミアはもう一度写真を見ると、ゆっくりと窓の外へと視線を移した。
その眼差しはヴィレッタがいままで見てきたどんなジェレミアよりも力強く、覇気に溢れたものだった。
「私立アッシュフォード学園だ」
ルルーシュ生存発覚。
14話から散々引っ張ってきたヴィレッタさんの話がようやく進展しました。
次回予告は諸事情により今回お休みなのですが、何もなしでは味気ないので今後書く予定の展開を少しだけ書かせていただこうと思います。
枢木スザク、疑似ナイトオブセブンモード。
カレン困惑、どうしてルルーシュとナナリーが……!?
ユフィ「私、思いついちゃったんです!」
ジェレミア「これは、名誉である」
それではまた次回。お楽しみに。