大変お待たせしました。
スザクの話は前回、ミレイの話は前々回から地続きの話になっています。
黒の騎士団本部。
ナナリーの護衛をしていたため、しばらく顔を見せていなかったスザクが現れると団員達はこぞって駆け寄ってきた。
「スザクさん、久しぶりですね! いままでどこに行ってたんですか?」
「訓練見てくださいよ! スザクさんがいない間に俺、シミュレーターで評価Bの成績出したんです」
「もうこっちに来て大丈夫なんですか? ゼロはスザクさんが極秘任務をしてるって言ってましたけど……」
矢継ぎ早に話し掛けてくる団員達。
いつもならその全てに笑顔で答えるスザクだが、今回ばかりは頭を下げて会話を楽しむ意思がない事を示す。
「すみません。ちょっといまは話をしてる時間がないんです。ディートハルトさんと井上さんはいますか?」
硬い表情で問うと、いつもは朗らかなスザクの様子が違う事に団員達も緊急の用件である事を察し、すぐに二人を呼びに行ってくれた。
私室に連れてきてくれるという事だったので、スザクは簡潔にお礼を告げてアジトの中にある自分の部屋で彼らを待つ。
そこでようやく、事前に連絡するのを忘れていたため二人はアジトにいないかもしれないと思い至ったが、今更気付いても後の祭りだった。
結果的にその心配は杞憂で、数分後に揃って部屋に現れた二人を見てスザクは密かに安堵の息を吐いた。
「お呼びでしょうか枢木隊長」
「お待たせしましたスザクさん」
黒の騎士団の中でも比較的に礼儀正しい二人は、玉城のように馴れ馴れしく距離を詰める事もなく直立の姿勢で挨拶を口にする。
「忙しいところすみません。早急に二人にお願いしたい事がありまして」
そう口にしながら、スザクは身振りでソファへの着座を促す。
二人は軽くお礼を言いながら腰を下ろして対面へと座る。しかしスザクの用件に対する反応は芳しいものではなかった。
「仕事の依頼、という事ですか。しかし私はいまゼロからの指示で作成しているものがありまして、すぐにというのは難しいのですが?」
「言いづらいんですけど、私もマオという東洋人の捜索の指揮を任せられているので、大した事はできないかもしれません。すみません」
ディートハルトはふてぶてしく、井上は申し訳なさそうにスザクの要請を拒否する。
二人のその返答はスザクも予想しており、だからこそ首を振ってそれを却下する。
「申し訳ないんですが、それらは中止してください。最優先でやってもらわなくちゃいけない事があります」
口調こそ柔らかいものの有無を言わせないスザクの指示に、ディートハルトがわずかに眉を寄せる。
目を細め、探るような視線をスザクに向けながら、あくまで慇懃な態度を崩さずに反論の言葉を吐き出す。
「失礼ですが、黒の騎士団の指揮系統においては総帥であるゼロの命令こそが最も重視されます。ましてや私達はあなたの直属の部下でもない。ゼロの命令よりもあなたの命令を優先する事はできませんよ」
組織の指揮権を盾にディートハルトはスザクの命令を退ける。
言い方はきついが、これは当然の事であった。
基本的に組織というのは大きくなればなるほど人員が部隊やチームといったグループに細分化され、それを取りまとめる者が指示を出す。そしてその部隊をまとめる者にはさらに立場の上の者が指示を出すといった構造になる。
スザクは黒の騎士団においてゼロの懐刀として認識されているので、実質的なナンバー2といって差し支えはないが、立場的には埼玉で助けた人間を中心とする部隊の部隊長でしかない。そのため直接の指揮権は自分が取りまとめる部隊に対してのみ存在する。
それでもスザクの頼みとあれば大抵のメンバーは応えてくれるが、当然ながら強制力があるわけでもなく、しかも天秤に掛けるのが組織の長であるゼロの命令とあらばどちらが優先されるかなど考えるまでもない。
この状況でスザクの頼みを優先する人間がいれば、それは誰よりもスザクが許さないだろう。
しかし特定の状況下においてのみ、それを覆すだけの権限をゼロはスザクにだけ与えていた。
説明された時には使う機会なんてこないだろうと考えていたその強権を、スザクはこの機に迷う事なく振りかざす。
「これはゼロから与えられた『ゼロ不在時の臨時指令権』に基づく要請です」
その言葉にディートハルトと井上の息を呑む音が静かな部屋に響く。
スザクが口にした『ゼロ不在時の臨時指令権』はその名の通り、ゼロがやむを得ない事情により黒の騎士団に指示・命令を出せない事態に陥った時、ゼロに代わってスザクが黒の騎士団の全指揮権を与えられるというものだ。
これは立場的には単なる部隊長でしかないスザクに与えるには破格の権限だった。
本来であればそういった状況における指揮権は、総司令であるゼロを支える立場にある扇か泉に与えられる。にも関わらず、それを飛び越えてスザクが指揮権を持つというのは、それだけゼロがスザクを特別視している事の表れでもあった。
さらにスザクだけがゼロの正体を知っているという事実も、それに拍車を掛ける。
限りなくあり得ないと思われる仮定だが、もし仮にスザクが何らかの方法でゼロを暗殺したとしよう。するとゼロの正体を知らない団員にはそれを知る術はない。そのためスザクが事故でゼロが亡くなったと嘘をついたとしても団員達は信じるしかなく、その際に『ゼロ不在時の臨時指令権』を発令されてしまえば、指揮権はゼロからスザクへと移り、スザクがそのまま黒の騎士団を乗っ取る事ができてしまうのだ。
比較的に能天気でスザクの事を信頼している様子の団員達はその事に気付いている様子はなかったが、ディートハルトはその辺りを懸念しており、ゼロの信頼を得た後にはこの権限の再考を具申しようと考えていた。
「なるほど。これは失礼致しました」
もしかしたら既にゼロは目の前の男に殺されているかもしれない。そんな内心の疑いを微塵も表に出す事なく、ディートハルトは丁寧に頭を下げて謝罪する。
ここでブリタニア人の新参者が何を言っても意味などない事を、彼は正しく理解していた。
「それで、私達に依頼したい仕事とはどのようなものなのでしょうか?」
「ディートハルトさんはこのエリアと本国でブリタニア皇族に関する大きな動きがないか調べてください。井上さんは政庁と軍に関して、どんな些細なものでもいいのでいつもと違う動きがないかの調査をお願いします」
指示を聞いた二人が訝しげに眉をひそめる。
その命令があまりに抽象的だったためだ。しかもなぜいまなのか、ゼロの指示を後回しにしてまで行う緊急性についてもまるで言及がされていない。
「漠然としておりますね……それにこのエリアだけならまだしも、本国もですか。理由をお聞きしても?」
「すみません。極秘の作戦のため理由を話す事はできません」
ディートハルトの当然の質問に、スザクは否を返す。
ルルーシュの存在を明かせない以上、そこはどうしても隠しておかなければならない部分だった。さらに悪い事に、それが不信を招く事にもなりかねないと、いまのスザクは気付いてすらいない。
「それならば致し方ありません。理由を聞くのは諦めますが、しかし念のためゼロに確認を取ってもよろしいですか?」
「それは……」
言い淀むスザクにディートハルトは眉をひそめる。
スザクの『ゼロ不在時の臨時指令権』はゼロとの連絡がつかない事が前提のものだ。
そのためディートハルトが実際に通信を試みて確認するのは当然の行動と言える。
だというのにすぐに許可を出さないスザクの態度は不審そのものと言えた。
ディートハルトから疑いに満ちた眼差しが注がれるが、スザクはルルーシュが言っていた「折り返しはするな」という指示を思い出して、口を噤んでしまう。
答え自体は決まっている。ルルーシュがするなと言った以上、当然否だ。
もしディートハルトがゼロに連絡を入れる事で、ただでさえ危険な状況にあるはずのルルーシュがさらなる窮地に追い込まれてしまえば目も当てられない。
しかしその答えを告げるのには一つ問題があった。
ディートハルトを止めるのは良いが、そもそもの話、どうやって止めればいいのかという問題だ。
彼の行動は全くもって正当なものだ。『ゼロ不在時の臨時指令権』を使ってしまった以上、ディートハルトにはゼロに連絡がつかない事を確かめる権利があり、逆にスザクにはそれを止めるだけの大義名分はない。
この場で頭ごなしに連絡を禁止したとしても、スザクがいない場所でディートハルトはゼロに通信を試みるだろう。それではまるで意味がない。
こんな時にルルーシュならば上手い言い訳でも咄嗟に思いついてお茶を濁すのだろうが、そんな器用な真似がスザクにできるはずもなかった。
ディートハルトの連絡を止めるために自分がルルーシュに連絡して対処法を聞きたいと、訳の分からない方向に思考が向かい始め、そこでスザクは根本的な事に気付く。
そもそもルルーシュが黒の騎士団からの連絡を想定していないわけがない、そんな当たり前の事実に。
最近はナナリーの護衛のためアジトにあまり足を運べていなかったルルーシュだが、それでもゼロとして定時連絡は欠かしていなかった。もし定時連絡がなくなれば、不審に思った団員は当然ゼロに連絡を取ろうとするだろう。つまりいまここでスザクがディートハルトを止めたとしても、結局は遅いか早いかの違いでしかなく、いずれは黒の騎士団からルルーシュの携帯に連絡が入る。
そんな火を見るよりも明らかな展開に対して、ルルーシュが手を打っていないなど果たしてあり得るだろうか。
思い返せば折り返しをするなと言われたのも、緊急信号を送るほどの切羽詰まった状況では電話になど出れるわけもなく、余計な情報源を相手側に与える可能性があるからだとルルーシュは説明していた。つまりすぐに折り返しをするのが危険なのであって、ある程度時間を置けばそこまでの危険はないとも取れる。
もう既にルルーシュからの緊急信号が届いて数時間以上、これだけの時間があって、最悪携帯を壊すかこっそり捨てればいいだけの対処をルルーシュが怠っているとは思えない。
随分と遠回りしてようやくスザクは正しい結論に辿り着き、ディートハルトからの問いに答える。
「構いません。ただ極秘任務中のため、おそらくゼロが出る事はないと思います」
言った後で、後半は言う必要がなかったかもしれないと後悔する。
しかしスザクは自分が口にした返答以上に、この問いに対する返答に時間を掛けてしまった事、それ自体がまずいのだという事には考えが及ばなかった。
「最優先という事であれば、キョウトの情報網も使いましょうか?」
「キョウトか……」
井上から思わぬ名前が挙がりスザクは口元に手を当てて再び考える。
キョウト全体はともかく、桐原はゼロの正体がルルーシュである事を知っている。素直に話して助力を得られれば、ルルーシュを助けられる可能性も上がるだろう。
「そうですね。ちょうど僕の方から話す事もあったので、連絡ついでに頼んでおきます。井上さん達はすぐに動いて、何か分かったらいつでも大丈夫なのでその都度僕に報告してください」
「了解しました」
その後、指示に関する細かい質疑応答を終えてディートハルトと井上は部屋を出て行く。
それを見送ったスザクは、なんだかどっと疲れた気がしてソファに深く身を預ける。
休みたい気持ちが湧き上がるが、この緊急事態にそんな暇があるわけもない。
とりあえずキョウトに連絡しようと通信機の準備をしようとしたところで、部屋の外からノックの音がした。
「スザク。カレンだけど、話したい事があって……入っても良い?」
「カレン?」
こんな時になんの用事なのかと首をかしげるが、たとえどんな話であっても悠長に聞いている時間はない。
「ごめん。いまちょっと忙しくて、後でもいいかな?」
「時間は取らせないから。大事な事かもしれないの。お願い」
その声にはどこか切羽詰まったような、深刻な響きがあった。
しかしどれだけ大事な話だろうと、結論は変わらない。
ルルーシュを助け出さなければならないこの状況では1分1秒だろうと無駄にはできないのだ。
「カレン。悪いけど……」
断ろうともう一度同じ台詞を繰り返そうとしたスザクだが、妙な胸騒ぎがして言葉を止める。
それは直感に近かったが、思い返せばカレンはルルーシュと同じアッシュフォード学園の生徒だ。軍がルルーシュを捕らえたなら、学園の方にも捜査の手が伸びている可能性は高い。
もしかしたらカレンはその事を報告しようとしているのかもしれない。
いまは些細なものであれ情報は喉から手が出るほどほしい状況だ。
カレンの話というのが全く関係ないものの可能性もあるが、それでも概要くらいは聞いておいた方がいいだろうとスザクは考えを改めた。
「分かった。少しだけだよ」
スザクが入室の許可を出すと、おずおずとカレンが部屋に入ってきた。
どこか落ち着かずそわそわしながら、スザクに促されるままにソファに腰を下ろす。
いつもの堂々とした振る舞いとは真逆の態度が、彼女の用件がただ事ではないと証明しているようだった。
「忙しいのにごめん。それと時間を取ってくれてありがと」
「謝罪もお礼もいいよ。それで、話したい事って?」
カレンの態度には触れず、挨拶も不要とばかりにスザクはすぐさま用件を問う。
対して彼女は言いづらそうに視線を足元に落とし、中々話を切り出そうとしない。
その表情からカレンの迷いと葛藤が見て取れたが、生憎とそれに付き合っている余裕がいまのスザクにはない。
強引に聞き出そうとスザクが息を吸ったタイミングで、ようやく意を決したカレンがスザクにとって予想外の名前を口にした。
「……その、何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、えっと……ルルーシュとナナリーって名前に、聞き憶えがあったりしない?」
「――――!」
衝動的にカレンの肩を掴んで質問の意図を問い詰めなかったのは、寸前でC.C.の脅しのような言葉を思い出したからだった。
自分の不用意な一言、考えなしの行動一つで、ルルーシュが死ぬ。
全身の血が沸騰するような激情と、全ての血液が凍るような恐怖が激突し、かろうじて後者に軍配が上がる。
「どこで……その名前を?」
「やっぱり、聞いた事あるの?」
即座に返された問いに、スザクは返答の言葉を誤った事に気付く。
これでは知っていると答えているのと変わらない。
なんとか誤魔化そうとスザクが焦っている間に、カレンはさらなる問いを重ねる。
「それってもしかして、ブリタニアの皇族だったりする?」
その一言で、わずかに残っていたスザクの冷静な思考が真っ白に染まる。
もはや表情を取り繕う余裕すらなく絶句するスザクの反応には気付かず、カレンは懐から何かの写真を取り出してスザクへ差し出した。
「これを見て。私の通ってる学園にもね、いるの。ルルーシュとナナリーって名前の学生が」
カレンが持ってきたのはミレイが行ったイベントの時に撮った集合写真だった。
そこには生徒会の仲間と共に笑顔のナナリーと満更でもなさそうなルルーシュが写っている。
いつもなら微笑ましく思えたその写真に、スザクは全身が震えるのを抑えられなかった。
「こっちの車椅子の子がナナリーで、黒髪の男子の方がルルーシュ。見た事ない? 私の想像だけど、もしかしたらこの二人、皇族かもしれないの」
「……どうして、そう思うんだい?」
明らかになんらかの根拠があるように見えるカレンに、スザクはなんとか声を絞り出して訊ねる。
「昔の日本とブリタニアの新聞を読んだの。そしたらこの二人の名前が出てきて、枢木家に預けられたって書いてあったから、もしかしたらって思って……」
「……」
「どう、スザク?」
上目遣いに訊ねてくるカレン。
スザクは、答える事ができなかった。
もしこれがなんの証拠もない当てずっぽうな推測だったなら、即座に否定してバカらしいと返しただろう。
だが安易に否定するには、カレンはあまりに真相に近付き過ぎていた。
事実として8年前にルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとナナリー・ヴィ・ブリタニアは枢木家に預けられている。
そのためこの場で否定してしまい、後でそれがバレるような事態になれば、なぜスザクが嘘をついたのか疑念を抱かれて自分とルルーシュの関係に気付かれてしまう可能性が高まる。
しかしだからといって、安易に認めてしまうのもまずい。
ルルーシュが皇族である事は誰にも明かせない秘中の秘だ。
カレンの疑念に確信を与えて、もしそれが黒の騎士団内で広まってしまったとしたら?
皇族ならば人質にしようと、最悪黒の騎士団がルルーシュの敵に回りかねない。もしそれを誤魔化せたとしても、その後で万が一ゼロの正体がルルーシュだとバレるような事態になればもう取り返しがつかない。ブリタニア人である事だけならまだしも、皇族が顔を隠して自分達のトップに立っていたと知った黒の騎士団は、ブリタニアに対するもの以上の憎しみをルルーシュにぶつけるだろう。
つまり、どう答えたとしても手詰まり。
悪い方向にしか転がらない。
肯定も否定もできない板挟みの中で、カレンの不安混じりの視線がスザクに突き刺さる。
黙ってはいけない。スザクは直感的にそれだけは確信する。
とにかくなんでもいいからと、混乱の極致にあるスザクは何も考えず口を開いた。
「この件は、僕が預かる」
「は?」
カレンの質問に明確な答えを返す事なく、固い声で宣言する。
脈絡のない返答にカレンは目を丸くするが、それを無視してスザクは立ち上がった。
「時間だ。これ以上君と話してる時間はない。出て行ってくれ」
「ちょ、スザク!? まだ話が終わってないでしょ!? 二人に見覚えがあるのかどうかも聞かせてもらってないわよ!」
「いまの時点で僕から君に話せる事はない。話はこれで終わりだ」
「待ってよ! あの二人は最近学園からいなくなったの! もし本当に皇族なら、早く捜さなくちゃ見つけられなくなっちゃうかもしれないのよ! それにルルーシュとナナリーの事なら私だって何か手伝えるかも……!」
「必要ない。とにかくこの件についてこれ以上何かを調べたり口外する事はやめるんだ。いいね?」
「ちょっと、答えになってな……!」
抵抗するカレンを無理やり部屋から追い出してロックを掛ける。
理不尽に叩き出されたカレンは部屋の外で文句を言いながら扉を叩いていたが、それも数分で収まり静寂が訪れた。
「……」
再び一人になった部屋で、スザクは扉に背を預け拳を握り締める。
言葉にできない苦悩を己の中で呑み込んで。
どれだけ自分に向いていなかろうが、絶望的な状況だろうが、弱音を吐いている暇はない。
迷いを振り切るように大きく息を吐き出し、スザクは通信機を手に取った。
クラブハウスの中――いつもの生徒会室ではなく、普段使われていないとある一室でミレイとシャーリーは向かい合っていた。
その一室は一般の生徒が使う場所とは離れており、ミレイとルルーシュが誰にも知られず密談する時に使う部屋でもあるため、誰かに話を聞かれる心配はない。
用意していた紅茶を口に運び心を落ち着け、ミレイは早速話を切り出す。
「それで、シャーリーはどこまでルルーシュの秘密を知ってるの?」
「えっと、それは……」
いつものおちゃらけた態度を引っ込めてミレイが問うと、シャーリーは迷うように視線を逸らす。
だがそれはミレイの迫力に気圧されているのではなく、言葉を選んで答えあぐねているようだった。
おそらくは自分が本当にルルーシュの秘密を知っているか疑っているのだろうと、ミレイは態度からシャーリーの真意を察する。
ならまずは、こちらから話した方が都合がいい。
そう結論付け、ミレイは少しだけ悩んで推測を多分に含んだ単語を口にした。
「黒の騎士団」
「っ……!」
「やっぱり、知ってるのね」
目を見開いて息を呑むシャーリー。
しかしいきなり核心を突かれた事に驚いてはいても、聞いた内容自体には戸惑っていない。
その反応にミレイは自分の推測が間違っていなかった事を確信する。
シャーリーが知ったルルーシュの秘密とは、ルルーシュが皇族というものではなく、ルルーシュがテロリストというものだ。
「会長も……知ってたんですか? ……知ってて、隠してたんですか? ルルが、ルルが――ゼロだって事!」
怒りを滲ませながらシャーリーが責めるように問うてくる。
だがミレイは彼女の剣幕にではなく、無自覚に明かされた衝撃の事実に息を呑む。
――ルルーシュが、ゼロ?
ミレイの推測では、ルルーシュは枢木スザクという伝手を使って黒の騎士団に入団し、成田の件に関わっていたためシャーリーに謝罪するため秘密裏に会っていたのだと、そう考えていた。
それならばテロリストになったルルーシュが学園を出た理由にも納得がいくし、逃亡中にも関わらず秘密裏にシャーリーに会っていた事にも筋が通る。
しかしミレイが予想していたのはそこまで。
まさかただのテロリストの一人ではなく、首魁であるゼロ本人だとは思ってもみなかった。
「ええ。いま聞いたわ。あなたの口から」
内心の驚愕をなんとか表に出さないよう抑え込みながら、ミレイは静かに頷く。
その答えに失言をしたと気付いたシャーリーがハッと口元を手で押さえた。
「だ、騙したんですか!?」
「ごめんなさい。でもどうしても聞いておかなきゃいけなかったの」
シャーリーの問いにミレイが深々と頭を下げる。
ミレイも本当なら生徒会の仲間である彼女を騙すような事をしたくはなかった。
しかし事態は急を要していた。
既にルルーシュは軍に囚われており、ついさっきまでは軍人がこの学園まで来ていたのだ。つまりルルーシュが皇族であり、アッシュフォードが彼らを匿っていた事実はもはや軍に知られている。そんな中で悠長に混乱したシャーリーを宥めて落ち着きを取り戻させ、その上でルルーシュの秘密を明かしてもらうために説得するといったプロセスを辿る余裕はなかった。
それが友人の信頼を損なう行為であり、卑怯で不誠実な行いだと理解していながら、ミレイは囚われたルルーシュのために過程よりも結果を重視した。
「こんなやり方をして、シャーリーには本当に悪いと思ってる。でもルルーシュのために何ができるのか知るためにも、ちゃんと現状を把握する必要があったの」
罪悪感を滲ませながらも、ミレイは毅然と言い切る。
頭を上げてからも真っ直ぐとシャーリーの目を見つめ返し、その眼差しの強さに謝られているはずのシャーリーの方が戸惑いを隠せなかった。
「会長は驚かないんですね。その……ルルが、ゼロだって知っても」
父親が巻き込まれた自分とは立場が違うとはいえ、あまりにも平然としているミレイにシャーリーは呟くように問う。
「驚いたわよ。でも腑に落ちたっていうか、得心もいったわ」
「どうしてですか? テロリストだったんですよ? 私達を……騙してたんですよ?」
最後の言葉を口にするのを躊躇いながら、それでもシャーリーは聞かずにはいられなかった。
自分はルルーシュがゼロだと知ってあれだけ取り乱したのに、騙されたと思って酷い言葉をぶつけたのに、なのにミレイはなぜそんなにも簡単に受け入れる事ができるのか。
ミレイとルルーシュの間には、そんなにも強いつながりがあったのか。
自分とルルーシュの間にはなかった、そんな絆が――
「ルルーシュにはそうするだけの――ゼロになるだけの理由があるから」
「理由?」
思ってもみなかった言葉に、シャーリーは目を丸くする。
確かにルルーシュは言っていた。
弱者のために、ナナリーのために優しい世界を創るのだと。
でも結局、詳しい事を教えてはくれなかった。
「理由ってなんですか? 会長は何か知ってるんですか!? どうしてルルは、ゼロなんかになったんですか!」
ミレイの口振りから自分が教えられていない事情を知っているのだと察し、シャーリーは身を乗り出して問い詰める。
想い人が自分の父親を殺した理由、それを知る人物を前に冷静でいる事などできなかった。
「ルル言ってたんです! ナナちゃんが幸せに暮らせる優しい世界を創るって。あれってどういう事なんですか!?」
懸命なシャーリーの訴えに今度はミレイが目を見開く。
彼女の言葉から、事情を知る自分にすら伝えられていなかった主の本心を感じ取って。
「そっか……ルルーシュ、そんな事を言ってたんだ」
目を伏せ、悲しそうな、寂しそうな、でも少し誇らしいような、そんな笑みを浮かべるミレイ。
その様子に気勢を削がれて、シャーリーは問い詰めるための言葉を失う。
「ルルーシュとナナリーはね、7年前に死んだ事になってるの」
「えっ……?」
一度瞑目した後、ミレイの口から語られた突飛な話にシャーリーは驚いて目をパチクリさせる。
あまりの衝撃にそれが事実なのか嘘なのか疑う事もできなかった。
「詳しい事は話せない。それはあなたを巻き込んじゃう事になるし、ルルーシュが何も言っていないのに私が全部を話すわけにはいかないから。でもゼロのせいで父親を亡くしたあなたには、知る権利があると思う」
そう口にするミレイの表情からは、抑えきれない苦悩が見て取れた。
ミレイがどんな思いでこれからの話を自分にしてくれるのか、それを察しシャーリーはゴクリと息を呑む。
「だから大まかな事情だけ話すわ。後の事はルルーシュが戻ってきてから、改めて本人に聞いて頂戴」
真剣な眼差しで念押ししてくるミレイに、深呼吸して頷く。
ずっと知りたかった真実、それをやっと聞く事ができる。
知らずに手に力が入って、シャーリーは拳を握っていた。
緊張で身体を強張らせるシャーリーに聞く覚悟ができたのを見て取り、ミレイは彼女が知らないルルーシュの事情を語り始める。
「ルルーシュは――ううん。ルルーシュとナナリーはね、とある事情で本国から追われているの。見つかれば殺されてもおかしくなくて、だから二人の親と付き合いがあった私のお爺様が、二人が7年前の極東事変で死んだって嘘をついて学園に匿ったのよ」
初っ端から予想の遥か上を行くランペルージ兄妹の境遇に、シャーリーの声のない驚愕の気配がミレイにも伝わってくる。
しかしそれに構う事なくミレイは続けた。
「死んだ事になってるから当然戸籍なんてないし、目立つような事をして見つかれば本当に殺されるかもしれない。ルルーシュとナナリーがクラブハウスで暮らしているのもそれが理由。あの二人にはもう、帰る場所も身寄りもないの」
初めて二人と出会った時の事をミレイは思い出す。
あれはルルーシュに中等部の学園の案内を祖父に頼まれた時の事だった。
アッシュフォード学園が全寮制である事を説明した途端、ルルーシュは裏切られたといわんばかりの表情で激怒した。その時は意味が分からず混乱したけれど、きっとルルーシュには自分と祖父がナナリーを引き離そうとしているように見えたのだろう。
あの頃のルルーシュはナナリー以外の何も信用していなかった。きっとそうしなければ生きていけないだけの苦しい境遇の中で、彼は必死に自分と妹の生を繋いできたのだ。
「ルルーシュって頭が良い癖に学校の成績は良くないでしょ? あれも不用意に目立たないために、わざとしてる事なのよ」
ルルーシュは頭の使い方がおかしいと、シャーリーは常々言っていた。
確かにその通りだろう。貴族相手に賭けチェスをするような高校生など普通はいない。
だがそれはどうしようもない事でもあるのだ。ルルーシュには、正しく自分の頭脳を使う機会が与えられていないのだから。
「このまま暮らしていてもまともに就職すらできないし、たとえ本国に見つからなくても一生隠れて生きていかなきゃいけない。だからきっと、ルルーシュは自分の力で現状を変えるために立ち上がったんだと思う」
その決断に踏み切らせてしまった責任は、おそらく自分にもあるのだろうとミレイは歯噛みする。
なぜなら彼ら兄妹を匿っているアッシュフォードの当主が祖父から父に継がれれば、すぐにでも二人を本国に売ってもおかしくはないのだから。もちろん自分や祖父がそんな真似はさせないよう尽力するつもりではあったが、それでも父や母を止め切れるかは半々といったところだっただろう。
だからこそルルーシュは、そうなる前に事を起こす必要があったのだ。
「それが、ゼロになって国と戦う事だって言うんですか?」
険しい顔でシャーリーが問う。
しかしルルーシュの行動によって結論は既に出ている。
ミレイは無言で頷いた。
「そんな……確かに危ないのかもしれませんけど、普通に暮らせてたじゃないですか。そこまでして戦わなきゃいけなかったんですか? 他に方法ってなかったんですか?」
学園でのルルーシュを見てきたシャーリーが、信じたくないという気持ちを顔いっぱいに滲ませながら問う。
血生臭い世界を知らない彼女がそんな風に考えてしまうのも当然だろう。
ミレイにしても、ルルーシュがこんな強硬手段に出るとは思ってもみなかった。ミレイの推測ではアッシュフォードに売られる前にどこか海外にでも高飛びするつもりなのだろうと、そんな風に考えていた。そしてもし叶うなら自分も何か手伝えれば、なんなら一緒についていければなんて思っていたが、まさか既に――それもこんな形で行動を起こしているとは予想外にも程がある。
けれどルルーシュが時折滲ませていたブリタニアへの怒りを思い返せば、それは決して不思議な事ではなかった。
「私達にとっては普通の日常も、ルルーシュにとっては当たり前のものじゃなかったのよ」
もしシャーリーの言う通りいつまでもあのままでいられたら、そんなあり得ない夢想をしながらミレイは首を横に振る。
あの二人の境遇を考えれば、むしろあんなにも穏やかな時間を作れた事こそが奇跡なのだから。
「知ってるシャーリー? ナナリーの目と足って、生まれつきのものじゃないの。私もお爺様から聞いたんだけど、子供の頃のナナリーは毎日外を走り回って遊ぶような、やんちゃな女の子だったそうよ」
「えっ?」
ナナリーの障害が先天的なものだと思っていたシャーリーが目を瞬かせる。
「ナナリーの目と足の自由はね、二人が本国から追われる事になった事件のせいで失ったそうよ。ナナリーがまだ、6歳の頃の話ね」
「そんな……!」
目を見開き、絶句して口元を押さえるシャーリー。
ルルーシュとナナリーが置かれている境遇がどれだけ危険なものなのか、その一端をようやく理解してか、身体が小刻みに震え出している。
「だからルルーシュはそんな事件を起こした挙句、自分達を殺そうとするブリタニアって国を憎んでるし、平和な日常が当たり前のものなんかじゃないって事を誰よりも知ってる。明日には見つかって殺されるかもしれない。そう思いながらずっと生きてきたんだから」
ルルーシュの事を知ったように語るミレイだったが、自分も本当の意味でルルーシュの憎しみや恐怖を理解できているとは思っていなかった。
所詮ミレイ自身も、命の危険とは程遠い環境で生きてきた人間だ。
国から捨てられ、頼るべき者が一人もいない世界を命懸けで生きてきたルルーシュの気持ちは、きっと彼にしか分からない。
「そんなの……おかしいですよ。ルルもナナちゃんも、なんにも悪い事してないんですよね? なのに殺そうとするなんて……そんなの間違ってます!」
常人が持つ当然の感性で以てシャーリーは二人の境遇を憐み、感情のままに叫ぶ。
ルルーシュへの憎しみが失われたわけではないだろう。だが自分が受けた仕打ちを度外視して他人を思いやれる優しい心を彼女は持っていた。
それを内心で嬉しく思いながら、ミレイは同意して頷く。
「ええ、私もそう思うわ。こんなのは間違ってる。だから、ルルーシュはそれを変えようとしたんだと思う」
「あっ……」
その言葉でルルーシュがゼロになった理由の一端に触れている事に気付いたシャーリーが目を見張る。
しかし、まだこれからだ。
いままでの話は前振り――下地作りでしかない。
彼女が本当に知りたがった話をするための。
「いい。シャーリー。これは私達と何も関係のない話よ」
ミレイはそう前置きして、深く息を吸って吐く。
空気がさらに一段と引き締まり、重々しくミレイは本題への入り口を開いた。
「新宿の事件、知ってるわよね」
「……あの毒ガス事件ですか?」
突然変わった話題にシャーリーは一瞬なんの事を聞かれたか分からず、戸惑いながら問い返す。
新宿と聞いてこのエリアのブリタニア人が思い出すのは、数カ月前の報道だ。テロリストが作った毒ガスが散布され、多くの被害が出たとテレビで取り上げられていた。
「あの事件ね、本当は毒ガスが原因なんかじゃないの」
「えっ?」
「よく考えてみて。どうしてテロリストがイレブンしか住んでないゲットーにわざわざ毒ガスなんて撒くの?」
「それは……作ってる最中に洩れちゃってとか、死なば諸共、みたいな事なんじゃ……?」
「ならそもそも、ゲットーに住むテロリストが毒ガスなんて作れると思う?」
「あっ、そっか……」
ミレイの問いで、それが不可能だという事にようやくシャーリーも気付く。
毒ガスが高度な化学兵器だという事くらい高校生ならば誰でも知っている。当然作るのには高水準な知識と設備が必要になるだろう。それを劣悪な環境のゲットーで、しかも碌に学ぶ事もできなければ材料の確保も儘ならないイレブンに作れるわけがない。
「あの事件はね、テロリストに機密を盗まれた軍が事件を公にしないために、街ごとテロリストを潰そうとした虐殺なのよ」
「そんなまさか!」
思わず反論の言葉を吐き出すシャーリーだったが、ミレイがこれ以上ないくらい真剣な眼差しで自分を見つめている事に気付き、安易な否定の言葉が出てこない。
それでもなんとか反論しようと、懸命に彼女は口を開いた。
「なんで会長は……そんな事、知ってるんですか?」
「簡単よ。それを見た人に聞いたの」
「見た人?」
ゲットーにはイレブンしか暮らしていない。なのに知り合いがいたのかとシャーリーの顔に疑問の色が浮かぶ。
しかしその勘違いはすぐに訂正された。
ミレイが予想外の名前を口にした事で。
「ルルーシュよ」
「えっ、ルルが!?」
思わぬ人物の登場にシャーリーが目を見開く。
しかしミレイは本題ではない話を詳細に語るつもりはなかった。
「気になるかもしれないけど、いまは関係ないから詳しい話は省くわ。もしその事について知りたいなら、話が終わった後で全部教えてあげる。いいわね?」
本題を優先すると告げるミレイに、悩みながらもシャーリーは無言で頷く。
後でルルーシュに確認すればバレるような嘘をミレイがつくとは思えない。ならば細かい疑問は胸の中にしまって、ひとまず全部が事実だと考えて話を聞くべきだと頭の中の冷静な部分が告げていた。
「ここで重要なのは、クロヴィス殿下は機密を取り返すために、ありもしない毒ガスを言い訳にテロリストごと街一つを壊滅させたって事。それがどういう意味か分かる?」
「い、意味って……クロヴィス殿下がなんでそんな酷い真似をしたかって事ですか?」
「違うわ。本来なら機密を奪ったテロリストだけを捕まえればいいだけの話なのに、巻き添えで何千何万のイレブンの命が奪われた事の意味よ」
ヒュっと、シャーリーの呼吸が一瞬止まる。
「クロヴィス殿下にとっては――ううん。この国に住む大多数の人にとってイレブンの命っていうのはね、巻き添えでいくら失われたとしても気にならない程度のものでしかないの。掃いて捨てる……とまでは言わないけど、決して対等なものなんかじゃない。家畜みたいに自分達の都合で奪っても構わないものなのよ」
「そんな事……!」
「じゃあシャーリーは知ろうとした? 新宿で毒ガス事件が起きた時、どうして人がそんなに死んでしまったのか。なんで救助は間に合わなかったのか」
「っ」
辛辣なミレイの問いにシャーリーは言い返せず唇を噛む。
そんな彼女の悔いるような態度に、ミレイは首を振って優しく諭した。
「別に責めてるわけじゃないの。普通の人はそんな事しない。でもね、そんな理不尽がまかり通るのが私達の住むブリタニアって国なの。強者は何をしても許される。弱者は何をされても仕方ない。それがこの国の国是なのよ」
穏やかな口調で、ミレイはシャーリーの知らなかった母国の在り方を語る。
この国の人間が無意識に目を背けてきた、非道な現実を。
余談ではあるが、ブリタニアが行う非道が民衆に包み隠さず伝えられる事は殆どないと言っていい。
それはミレイが今回話した新宿の件を始め、コーネリアが埼玉で行おうとした虐殺がテロリストの掃討として発表された事などからも明らかだ。
しかしそれは少し調べれば簡単に真相が暴ける程度の、極々小さな情報操作でしかない。建前を取り繕ったとしても結果は残り、ブリタニアはその証拠すらも手間を掛けてまで隠そうとはしていないのだから。
しかし国民の多くは、そんな子供騙しの隠蔽に引っ掛かる。
なぜか? それは彼らが真実を暴こうとはしないからだ。
もっと簡単に言えば、興味がないだけという言い方もできるだろう。
主義者ではない一般民衆にとって、エリア民であるナンバーズがどうなろうと所詮は対岸の火事でしかない。
直接自分達とは関わる事はなく、その内実がテロリストの掃討であろうが虐殺であろうが大した違いなどではないのだ。
だから調べてまで真相を知ろうとはしない。
報道を鵜呑みにし、そういうものかと納得する。
それが大半のブリタニア国民の在り方だ。
だがブリタニアという国で暮らしている以上、事の大小はどうあれ誰もがナンバーズに対する非道を知っているはずなのだ。
租界で名誉ブリタニア人が殴られている光景など珍しくもなく、ストレス解消にゲットーに暴力を振るいに行くブリタニア人がいるくらいなのだから。
それらと新宿や埼玉の件は、規模の違いがあるだけで本質は何も変わらない。
「シャーリー。いまから私は酷い事を言うわ。許してくれなくても構わない」
硬い声でミレイは言う。
シャーリーを見つめる眼差しの強さはこれまでとは比にならないほど強く、普段のミレイとは似ても似つかない。
その迫力にシャーリーは意図せず息を呑む。
だがそんな緊張はミレイの次の言葉を聞いた瞬間には吹っ飛んだ。
「ブリタニアの国是に従うなら、あなたのお父さんは弱いから死んだの」
「――――!」
あまりにも無慈悲で残酷な物言いに、シャーリーは一瞬返す言葉を失った。
その間もミレイは非道な言葉を重ねる。
「テロリストに殺されるほど弱かったからあなたのお父さんは死んだ。強かったなら死ななかった」
「ふ、ふざけないでください! そんなのっ……! そんなのないじゃないですか! お父さんは軍人でもなんでもないんですよ! 強いとか弱いとか、なんにも関係ありません!」
ミレイが口にした言葉の意味を理解したシャーリーは激高して食って掛かる。
愛する父の死を侮辱された事で、目の前が赤く染まったと錯覚するほどの怒りのままに。
そしてそれを、ミレイは真っ向から受け止めた。
「そうよ。その通り。こんなのただの高校生や一般家庭には何も関係ない話。強いとか弱いとか、国是がどうとかなんて、偉い人が決めた――私達の生活には関わってこない遠い世界の血生臭い話」
「なら! ならなんでそんな事言うんですか! そんな……お父さんが悪いみたいな言い方……あんまりじゃないですか!」
怒りながら、両目から大粒の涙を零すシャーリー。
まだ彼女の父が亡くなってから半月も経っていない。そんな短い時間で感情の整理などついているはずもない。
痛ましい彼女の姿に、ミレイは表情を歪める。
友達の傷口を抉る真似をしてしまった自分に嫌悪を抱きながら、だがそれでも話す事はやめなかった。
「ごめんなさい。でも、知っておいてほしかったの」
「知ってほしかったって、何を……」
「私達にはなんの関係もない話でも、ルルーシュとナナリーにとっては、そうじゃないって事を」
「っ……!」
涙で濡れたシャーリーの顔が凍りつく。
父親が巻き込まれ、想い人がテロリストだと聞かされても、これまでどこか別世界だと感じていた闘争の世界。
それを理解するには、シャーリーはあまりにも普通の女子高生だった。
命の危険を感じた事など精々子供の頃に車に轢かれかけたくらいで、ニュースで見るテロや戦争の事など教養として知ってはいても、その悲惨さや残酷さを体感した事などなかった。
しかしいま、ミレイの容赦ない言葉によりシャーリーは自分には遠い世界だったそれが、ルルーシュにとっては当たり前の現実であった事にようやく気付く。
「国に捨てられた二人は弱者として生きていくしかなかった。いつ殺されるかも分からない不安の中で、それでも隠れて懸命に命を繋いでいくしかなかった。私達には直接関係がない弱肉強食っていう国是も、ルルーシュ達にとってはきっと、殺される理由そのものだった」
ミレイが語るルルーシュとナナリーの境遇はあまりにも過酷だった。学園で過ごしていた二人の姿からは想像もできないほどに。
しかし自分をゼロだと語ったルルーシュの姿が、シャーリーに安易な否定を許さない。
「だからルルーシュは戦う事を選んだと思う。ナナリーを守るためにも、自分自身が怯えずに生きるためにも、弱肉強食を掲げるこの国の在り方を変えるしかなかったから」
「あ……」
その言葉を聞いて、父を殺してまで何がしたいと問うた時のルルーシュの返事をシャーリーは思い出す。
『弱い者が――――ナナリーが幸せに暮らせる優しい世界を、俺は創る』
あれは、こういう事だったのだ。
いままでずっと疑問だった。なぜテロリストとして戦う事がナナリーの幸せにつながるのか。優しい世界ならもう学園の中にあったはずじゃないのかと。
でもルルーシュにとってはきっと、あの学園での時間も本当の意味で平和なものではなかったのだ。
一歩間違えれば、新宿で死んだイレブンのようにナナリー共々理不尽に命を奪われてしまうかもしれない。
そんな恐怖にずっと怯えて、日々を生き繋いでいた。
だからルルーシュは戦わなければならなかった。ゼロにならなければならなかった。
最も大事な妹を守るために、心の底から笑える世界を創るために、ルルーシュはゼロという仮面を被る事を選んだ。
その思いを、覚悟を、ようやくシャーリーは理解する。
――――だが、それを認める事ができるかは、別問題だった、
確かにルルーシュの気持ちは分かった。
いつ殺されるかも分からない境遇で、それを打破するために立ち上がったルルーシュを責める事なんてできるはずもない。
共感もしたし、得心もいった。
でも――それでも、認める事だけはできないと、シャーリーの心が叫ぶ。
だってそれを認めてしまえば――
「ごめんなさいシャーリー。こんな言い方、卑怯だって分かってる。私も
どこまでも惜しみない愛情を与えてくれた父の姿を思い出して、シャーリーは声もなく涙を流す。
それはどこまでもいっても救いがない事を知った彼女の、悲哀の涙だった。
なぜならルルーシュの行動を認めるという事は、父の殺害が正当な行いだったと容認する事に等しいから。
父が殺された事を「仕方ない」の一言で済ませる事と同義だから。
そんな事が――――できるはずもない。
だってどれだけルルーシュの行動がナナリーを想ってのものだとしても、自分だって父を愛していたのだ。
優しくて、大好きで――なのに何一つ悪い事をしていないのに、ただそこにいたという理由で父は巻き込まれた。
そんな理不尽を許せるはずがない。認められるはずがない。
けれどそれは同時に、ルルーシュとナナリーを見捨てる事と同じなのだ。
命を狙われている二人に、そのままでいろと、父の代わりに犠牲になっていろと、理不尽な境遇を押しつけて自分の身内の幸せだけを望んでいる。
それはなんて醜い、不幸のなすりつけだろう。
何も知らなければ、ただゼロを憎むだけで良かったのに。
その裏にあった事情を知ってしまった事で、シャーリーは出口のない感情の袋小路に迷い込む。
父を殺した事を許す事ができないのに、純粋にルルーシュを恨む事もできない。
行き場を失った感情が身体の中で暴れまわり、ただ涙を流す事しかできなくなる。
そんな彼女の全身を温かい何かが包み込んだ。
「納得なんかしなくていい。無理にルルーシュを許そうともしなくていい。ルルーシュだってきっと、そんな事望んでないから」
「かいちょう……」
いつの間にか近寄ってきていたミレイが、シャーリーの身体を抱きしめていた。
その温もりに、シャーリーの中で込み上げてきたものが一気に溢れ出す。
「かいちょう……わたし、わたし…………ああああぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁああぁぁぁぁ!」
もはや気持ちは言葉にならず、決壊した感情をシャーリーは涙と共に爆発させる。
ミレイの胸に縋りつき、頑是ない子供のように大声で泣き叫ぶ。
「つらいよね、シャーリー。でも、これだけは憶えておいてほしいの。私達が生きてるこの世界は、誰にでも優しいものじゃない。私達が当たり前だと思ってる平和な日常も、本当は全然当たり前のものなんかじゃない。それが当たり前に見えるのは、きっと私達の見えないところで誰かが傷付いているから。あなたのお父さんや、ルルーシュやナナリーみたいに」
優しく彼女の頭を撫でながら、ミレイは届いているかも分からない言葉を紡ぐ。
シャーリーは答えずに、身体を震わせながらこれまで見た事がないほど悲痛な表情でひたすらに泣き続けた。
こちらの心まで悲鳴を上げてしまいそうなその様子に、ミレイは抱きしめる力を強くする。
「ごめんね、シャーリー。酷い事ばっかり言って。なんの力にもなれなくて」
泣き叫びながらシャーリーがミレイの胸の中で何度も首を横に振る。
大粒の涙がミレイの制服を濡らし、慟哭が誰もいない一室を悲しみに染める。
クラブハウスの片隅に、少女の泣き声がいつまでも響く。
それを聞いていたのは、ただ黙って少女を抱きしめる生徒会長だけだった。
きめ細かなオレンジ色の髪を優しく撫でる。
柔らかな感触が心地良いが、少しだけ痛んでいるのはここ最近は手入れをする余裕がなかったせいだろう。
「つらかったよね。きっと私が考えているより、ずっと……」
泣き疲れて寝てしまったシャーリーの目元に残る涙の跡を拭いながら、ミレイは静かに呟く。
話を始める前から、ミレイにはシャーリーを追い詰めてしまう事が分かっていた。
ゼロに父親を殺された彼女に、仇であるルルーシュの事情を教える事がどういう意味を持つのか、それが分からないほどミレイは考えなしの人間ではない。
きっとルルーシュだってそれが分かっていたから、詳しい事まで説明しなかったのだろうとも思う。
しかしミレイは、それでも話すべきだと感じた。
知らない方が幸せな事もあるなんて人は言うけれど、それは他人が勝手に決めて良い事ではない。
少なくとも自分は、何も知らないまま好きな人を憎むような人生が幸せだとは思わない。
シャーリーは知りたいと願って、父親の仇であるルルーシュと向き合う覚悟を決めた。
たとえこうして悲しみに暮れる事になる選択だったのだとしても、その決意は尊いものだと思うから。
「可愛い寝顔しちゃって……」
あどけない表情で、夢の中にいるだろう彼女の頬を指先でつつく。
せめて夢の中でくらいは、幸せな気持ちでいてほしいと思う。
彼女がこの先ルルーシュを許すのか、それとも憎むのかは分からないけれど、きっとどちらを選んだとしても彼女にとってはつらい選択になるから。
「ルルーシュは……どうするつもりだったのかな?」
件の少年について思いを馳せて、ミレイは苦笑する。
それを聞くためにも、なんとしてもルルーシュには無事でいてもらわなくてはならない。
そのためならなんでもしようと、彼女は静かに決意する。
このままではきっと、生存がバレたルルーシュは本国に連れ戻されて政治の道具にされる未来が待っている。
それを防ぐためには、自分が確かな力を手に入れて彼を支えるしかない。
幸運な事に、道は険しくてもそれを為せるだけの場所に自分はいる。
「あーあ、もうちょっとだけ時間はあると思ってたのになぁ……」
せめて彼が学園を卒業するまで、そのくらいはアッシュフォードが作ったこの箱庭で楽しい生活を送っていてほしかった。そのためにわざと単位を取らず留年する準備までしていたというのに、それもこれも全て台無しだ。
こうなったからには悠長に学生などやっている場合ではない。
ルルーシュが政治の道具にされて取り返しのつかない事態になる前に、速やかに彼を守れるだけの立場と地位を手に入れよう。
まずはあの頭のねじが飛んでいそうな婚約者との結婚を早急にまとめるところからだ。お見合いの感触からいって、それは難しい事ではないだろう。研究にしか興味がなさそうなあの男は、結納品代わりに学園で埃を被っているガニメデでも持って行けば二つ返事で了承してくれるはずだ。
そして伯爵夫人になれば、アッシュフォード当主の座を両親を飛び越えて自分が手にする事も不可能ではない。その後は嫁ぎ先の伯爵家も巻き込んで、皇族に戻ったルルーシュの後ろ盾になって彼を守ればいい。
もちろん言うほど簡単な事ではないだろう。それでもルルーシュを守るための道は、おそらくこれしかない。
「まったく、学園を出て行っても世話が焼けるんだから。ルルちゃんは」
きっとルルーシュは、これからミレイがやろうとしている事を聞けば怒るだろう。
自分のためにそんな事をする必要はないと止めようとする姿が、瞼の裏にありありと浮かぶ。
でも、そんな事は関係ない。
ルルーシュが皇族であり、自分がヴィ家に仕えるアッシュフォードの娘だという事さえ、本当はどうだっていい。
ミレイがアッシュフォードの娘としてルルーシュに尽くしていたのは、決して貴族の誇りだとか祖父の方針だとか、そんなもののためではないのだから。
ただ彼がそういう形でしか自分の助力を受け取ってくれそうになかったから、そうしていただけ。
身分も立場も、所詮はただの建前でしかない。
私は知ってる。
妹以外の誰も信じられないと拒絶した男の子を。
小さな身体で、それでも必死にたった一人の家族を守ろうとしていた、お兄ちゃんを。
ずっと見てきたから。誰よりも近くで。
私はただ、妹のために精一杯頑張ってる男の子の力になってあげたい。それだけなのだ。
それが初めて出会った時から何一つ変わらない、私の本心。
だからたとえルルーシュがなんと言おうが、止まってなんてあげない。
あなたがどれだけ拒絶しようが、私が勝手にあなたの力になる。
だから――
「モラトリアムは、もうおしまい」
その一言と共に、ミレイ・アッシュフォードは大切な人のため、いままでずっと大事にしてきた時間を手放した。
今作で一番キャラ違いを指摘されていたミレイさんの内面に触れる回でした。
アニメとは違い今作ではアッシュフォードの娘としての一面を見せるミレイさんですが、それも本来のミレイさんが持つキャラクターの側面として説得力のある描写ができていたなら嬉しい限りです。
あとシャーリーですが、原作以上に追い詰めてしまっている気がしないでもない事にちょっとだけ後ろめたさを憶えています。
ごめんよシャーリー。強く生きてくれ。
次回:ブリタニアの動向
出典
Sound Episode5
STAGE:0.911「ミレイとの際会」
『ミレイとルルーシュの出会い』