アプリリリース記念に投稿です。
租界の外縁部からほど近い居住区。
軍を脱走してから自分が暮らしてきた隠れ家とは別の区画に、スザクは人目を避けて足を踏み入れる。
元々ゲットーから目と鼻の先という事もあって人通りは少なく、ゲットー側から入ったスザクは苦もなく誰の目にも触れないで目的地まで辿り着く。
そこはなんの変哲もない民家だった。
スザクはインターホンを立て続けに3回押し、持っていた鍵で開錠して中に入る。
「ただいま」
中に入ると、すぐに車椅子の少女が奥から現れて出迎えてくれた。
「お帰りなさい、スザクさん」
「ありがとうナナリー。不便はないかい?」
変装用のカツラとサングラスを外しながら、スザクはわざわざ玄関まで来てくれたナナリーにお礼を言っていつもの質問を口にする。
そしてナナリーもいつも通りの答えを返した。
「はい。C.C.さんが良くしてくれますから」
健気な笑みに、スザクの胸が少しだけ詰まる。
まだ自分やルルーシュが黒の騎士団として戦っている事に対する気持ちの整理はついていないはずだが、ナナリーはそれを表には出さず笑い掛けてくれる。
本来ならこっちが気遣ってあげなければならないはずなのに逆にこっちが気を遣われているようで、最近は彼女の笑顔を見るとどうにも落ち着かない気持ちになる。
「あの、スザクさん……お兄様は?」
気配からスザクが一人である事を察したのか、ナナリーが問うてくる。
彼女にはまだルルーシュがブリタニアに捕まった事を話していない。
「ごめんね。ちょっとまだ忙しいみたいで、今日も帰れそうにないんだ」
「そう……なんですね」
スザクの返答にナナリーの表情が沈む。
咄嗟に慰めようと口を開きかけ、それより早くナナリーの後ろから傍若無人な声が割って入った。
「やっと帰ってきたか。ルルーシュといいお前といい、こんな可愛い娘を放っておくなど、良いご身分だな」
人を食ったような声音で皮肉を放ってくる緑髪の少女、C.C.は金色の瞳を楽しそうに細めてスザクを仕事にかまけて家族を顧みないダメな男扱いする。
まともに取り合うだけ無駄だと分かっていながら、真面目なスザクはルルーシュのように皮肉を返すのではなく律儀に反論した。
「C.C.、僕もルルーシュも好きでそうしてるわけじゃ……」
「何を言ってる。好きでやってるんだろう? それとも、誰かにやらされてるとでも言うつもりか?」
からかう態度とは裏腹な鋭い突っ込みにスザクは思わず黙り込む。
何も言い返せないスザクに階上を顎でしゃくると、C.C.はそのまま2階へと上がっていく。
その意図を察し、スザクは軽くため息をつく。
「ごめんナナリー。ちょっとC.C.と話してくるね」
「……分かりました」
沈んだ表情のまま頷くナナリー。
このまま彼女を残すのは躊躇われ、スザクはしゃがみ込んでナナリーの手を取る。
「晩御飯は僕が作るから、今日は一緒に食べよう? C.C.よりは……美味しく作れないと思うけど」
そう言ってスザクは精一杯笑い掛ける。
顔は見えなくても気遣いは伝わったのか、ナナリーの表情に幾分か明るさが戻った。
「C.C.さんは料理上手ですから。でも、スザクさんの料理も私は好きです。夕飯、楽しみにしていますね」
「うん。期待しててね」
ナナリーの手を離し立ち上がると、スザクは2階へと上がる。
慣れた足取りで自分用の部屋の扉をノックして中に入ると、テーブルに置いてあるガムテープでドアの隙間を塞ぐ。これでよほどの大声を出さない限り部屋の外に声が漏れる事はない。
隠し事をしている事実に罪悪感を刺激されるが、いまからする話をナナリーに聞かせるわけにはいかない。
「何か問題でも起きたのか?」
先に部屋に入りスザクのベッドに腰掛けていたC.C.が、さっきのような飄々とした態度を引っ込めて真剣な眼差しをスザクに向けてくる。
それに苦笑いで答え、スザクも近くの椅子に座った。
「そんなに分かりやすかった?」
「お前は感情が顔に出過ぎだ。ナナリーには見えていなかっただろうが、目が見えない分あの娘は周りの空気に敏感なところがある。夕飯を共にするなら、気をつける事だな」
さすがの観察眼にスザクは内心で舌を巻く。
自分では上手く隠していたつもりだったが、彼女にはバレバレだったらしい。
「それで、何があった? ブリタニア軍が新たな動きでも見せたか?」
改めて問うてくるC.C.に、スザクは大きく深呼吸して心を落ち着かせる。
いまにも感情のままに色んな事をぶちまけてしまいそうになる衝動を抑え、努めて冷静にスザクは今日黒の騎士団のアジトであった出来事を語り始める。
「実は……」
四聖剣の来訪にその目的。藤堂救出の要請を断った事や、それを桐原に考え直すように促された理由――桐原がルルーシュを見捨ててスザクを黒の騎士団のトップにしようと画策している事実。
それら全てをスザクから聞き終えたC.C.は、頭の中で考えを整理するのに数分の時間を要した。
それは情報量が多く戸惑ったわけではなく、話の裏にある意図を見抜くのに時間が掛かったためだ。
「……なるほど。その桐原とかいうのは中々の狸ジジイのようだな」
ベッドに横になりながら思考の海に潜っていたC.C.は、結論が出ると共に身体を起こす。
「確かにルルーシュを助けられないとなればお前を黒の騎士団の総帥に祭り上げるのは順当だが、お前の弱みまで同時に押さえるつもりか」
ルルーシュならば即座に看破したであろう桐原の思惑にC.C.は重いため息をつく。
本来は頭脳労働など専門外だというのに、最近は怠ける暇すらない。
「弱み? どういう事だい?」
案の定分かっていなかったスザクが怪訝そうな顔をする。
すっかりスザクに説明するのにも慣れてしまったC.C.は、できるだけ分かりやすく話を頭の中で整理しながらまずは根本的な事を問う。
「もし桐原の言う通りお前が黒の騎士団の総帥になったとして、最初にぶつかる問題が何か分かるか?」
その問いにスザクが露骨に顔をしかめた。
たとえ仮定だとしてもそんな未来を想像したくないのだろう。
しかしなんの意図もなく訊いているわけでない事は理解しているのか、素直に考えて答えを出した。
「……ゼロがいなくなった混乱を鎮める事?」
「違うな。リーダーが死んだとなれば多少の混乱は起こるだろうが、お前が代わりにトップに立つなら目立った反発があるとは思えん。正体不明の仮面の男から、由緒正しい首相の息子が自分達の上に立つんだ。むしろ歓迎されてもおかしくはないだろう」
C.C.の否定にまたもスザクは嫌そうに表情を歪める。
団員達の心理も理解はできるが、それでもルルーシュより自分がトップに望まれているという事実は苦々しいものに変わりない。そんな心境が透けて見える。
そこまで想像してもはや考えるのも嫌になったのか、スザクは乱暴に首を横に振る。
「分からないよ。答えを教えて」
「別に難しい問題でもないんだがな。要はお前や黒の騎士団の連中にはできなくて、ルルーシュがいままでやって来た事を考えればいいだけだ」
「いっぱいあり過ぎてどれか分からないんだけど……作戦の立案とか?」
「それもある。が、そこに行き着く前に直面する問題を見落としているな」
これ以上もったいぶっても仕方ないと、C.C.は答えを告げた。
「黒の騎士団の適切な管理・運用だよ」
ピンとこなかったのか首をかしげるスザク。
その反応にため息をつきながらC.C.は懇切丁寧に説明を始めた。
「黒の騎士団はルルーシュが一から叩き上げて育ててきた組織だ。しかも現在進行形で入団者は増え続け、規模はどんどんと大きくなっている。お前や黒の騎士団の連中に、それを問題なく運用できるか?」
組織が大きくなるというのは良い事ばかりではない。
増えた人員をどこに回すのか、教育はどうするのか、どこまで組織の情報を明かすのか、増えた人員を匿う拠点の確保はどうするのか、規模が大きくなればなるほどやるべき事は膨大な数となり、それを適切に処理するのは素人には難しい。
当然ルルーシュもそれを一人で行っていたわけではなく、特に成田より後は大まかな指示を出すだけで細々とした作業は下の者にやらせていた。しかしその大まかな指示は組織の全体を正しく把握しているからできる事であり、かろうじて誰がどの部隊に所属しているかを記憶している程度のスザクではルルーシュと同じ事などできるはずもない。
「会社経営でもしていた奴が団員にいれば別だが、この地がエリア支配されてからもう7年も経つ。その間、碌な職にも就けなかった日本人に組織を適切に運用するノウハウがあるとは思えん。もしそんな奴がいたなら、ルルーシュがとっくに重用していただろうしな」
ただでさえ文官不足の黒の騎士団で人材を遊ばせてる余裕はないはずだというC.C.の言に、スザクも納得して頷く。
実際ルルーシュはそれを危惧してディートハルトを幹部に取り立てようとしていたのだが、ブリタニア人であるため慎重を期して対応は遅れていた。そのため二人はその事実を知らない。
しかしもし知っていたとしても、意味はなかったかもしれない。ブリタニア人であるディートハルトに組織の運営を任せる決断などいまのスザクにできるはずもないのだから。
「お前にも団員の連中にも黒の騎士団の管理・運用ができないのなら、組織の瓦解は時間の問題だ。そうなる前になんとかしてできる奴を連れてくるか、外部の人間に管理を頼むしかない。……となると、都合の良い事に黒の騎士団には頼れる当てが一つだけあったな」
ハッとスザクが目を見開く。
それを肯定するようにC.C.はゆっくりと頷く。
「そう、キョウトだ」
話が本題に戻ってきた事を察して、スザクの表情が険しいものに変わる。
「組織を維持するためには、お前の方からキョウトに自分達を管理してくれと頭を下げる事になる。するとどうだ? 黒の騎士団にとってキョウトは単なるスポンサーではなく、逆らう事のできない上位組織になる。何せ自分達の手綱を丸投げしてしまっているわけだからな」
「……」
「だがお前にはそれを止められない。ルルーシュを助け出すという目的がある以上、黒の騎士団の存続は不可欠であり、それにはキョウトの助力が必須だからだ」
次々と語られる未来予測にスザクは反論できず、口を閉ざして顔を俯かせる。
それはスザクにもC.C.が語る展開が如実に想像できてしまったが故のものだ。
「そしてお前が黒の騎士団の総帥となれば、その仕事量はいままでの比ではない。運営の仕事はキョウトに丸投げするとしても、お前は黒の騎士団に掛かりっきりになるだろう。そうなると今度は、ナナリーを守る手が足りないな」
ナナリーの名前が出た事で、ハッとスザクは目を見開いて勢い良く顔を上げる。
彼女が関わってくるとは思っていなかったのかもしれないが、しかしゼロの代わりにスザクが黒の騎士団の総帥になると仮定するなら、これは避けては通れない問題だ。
「当然私の助力は期待するなよ? ルルーシュを助け出したいのは私も同じだが、いつ助けられるかの目処も立たない計画に付き合ってやるほど、私は暇でもお人好しでもない。そこまでの面倒は見てられんからな」
スザクが甘い考えをする前に、C.C.は容赦なくその可能性を潰す。
いまの状態は一時的なものだと念を押して、置かれている苦境を明確なものとする。
「黒の騎士団の総帥とナナリーの護衛、両立は不可能だ。そこで事情を知っている桐原はこう持ち掛けるだろう。ナナリーをキョウトで匿ってやる、とな」
「っ!」
「お前が選べる選択肢は二つ。ルルーシュの救出を諦めて自力でナナリーを守るか、ナナリーをキョウトに預けてルルーシュを助け出すために邁進するかだ」
提示された二択にスザクは顔を青ざめさせる。
最も大切な二つの存在を秤に乗せられ、完全に血の気が引いていた。
「そんなの、僕に選べるわけが……!」
「選べなければ、どちらも失うだけだ。それともお前にはどちらも選べるだけの代案があるというのか?」
「それは…………ない……けど……だからって! ルルーシュとナナリーのどちらかなんて、そんなのっ……選べるわけないじゃないか……!」
苦悶に満ちた表情で視線を落とし、片手で前髪と一緒に拳を握りながらスザクは思いを吐露する。
スザクの目的はブリタニアの打倒ではなく、ルルーシュとナナリー、二人と幸せに暮らせる世界を創る事だ。そこに当の本人がいなければなんの意味もない。
もしこれが自分の命か二人の命かという選択であれば、スザクは迷う事なく己の命を差し出しただろう。
だが現実は残酷であり、天秤に乗せる代償を選ぶ権利をスザクは持たない。
それを彼の目の前に座る魔女は身をもって知っていた。
「だとしても、お前は選ばざる得ない。何もかも諦めるのでないならな」
諭すような、しかし容赦のない言葉がスザクに問題から目を逸らす事を許さない。
どれだけ苦しかろうが、選び難かろうが、足を止めればさらに悲惨な結果が待っているから。
「もし選ぶなら、ナナリーをキョウトに預ける方だろう。黒の騎士団がなければルルーシュはどうやっても助けられないが、ナナリーの方はお前の手から離れるとはいえ、キョウトによって身の安全は保障されるのだからな。……まぁそれも、砂上の楼閣ではあるが」
C.C.が付け加えた言葉の意味は、さすがにスザクでも理解できた。
ナナリーをキョウトに預けるという事は、自分の弱みを差し出す行為に等しい。スザクが従順なうちは何も問題ないだろうが、もしキョウトの意に反して動こうものなら、ナナリーがどんな目に遭うか分からなくなる。そうなると当然スザクは自由に動けなくなり、どんな命令にも従うキョウトの犬に成り下がるしかない。
「
珍しくC.C.が手放しに賞賛の言葉を口にする。
しかしスザクにそれを意外に思う心の余裕はなかった。
真っ青な顔で俯き、合わせた両手が小刻みに震える。
「……僕のせいだ」
スザクがポツリとそんな呟きを零した。
「僕が、桐原さんにルルーシュが捕まった事を教えなければ、こんな事には……!」
両手で頭を押さえ、己の失敗を責めるスザク。
なんとか抑えつけていた、黒の騎士団のアジトで桐原との通信を終えた直後の絶望がぶり返す。
自分が思っていたよりもずっと酷い過ちを犯してしまったのだと突きつけられて、心に巣食った悔恨が際限なく膨れ上がる。
「落ち込むのは勝手だが、後にしろ。責任を追及してる場合ではないだろう」
「分かってる……分かってるけど、でも……考えずにはいられないんだ!」
冷静なC.C.の指摘を肯定しながらも、堪え切れずスザクは叫んでしまう。
ルルーシュが捕まってからずっと、ギリギリのところで保ち続けていた緊張の糸が自らの失敗を自覚した事で切れ、もはや自制は利かなかった。
「もしこれが原因でルルーシュを助けられなかったら? C.C.も言ってたでしょ。ブリタニアに捕まったルルーシュを助けるためには、一つのミスが致命的になるって!」
「……」
「僕が考えなしにキョウトに協力を求めたから、桐原さんはルルーシュを見捨てる事を決めた! 初めからC.C.と相談していればこんな事にならなかったかもしれないのに、僕が間違ったから……僕が考えなしだったから……失敗した!」
叫びながらスザクは自らの拳をテーブルに叩きつける。
その拳の内側にはうっすらと血が滲んでいた。
「君の言った通りだ。僕のせいでルルーシュが…………僕が、ルルーシュを、死なせてしまうかもしれない……!」
まるで懺悔のような、愁嘆の込められた叫びが部屋をこだまする。
いや、それはまさしく懺悔なのだろう。
スザクにとって今回の失敗は――ルルーシュの死の一因を作ってしまったかもしれないという一事は、自分一人では抱えきれないほど大きい罪科なのだ。
「お前に迂闊な言動をさせないためだったとはいえ、まさかそこまで追い詰められているとはな……」
スザクの精神状態を正しく理解し、C.C.は大きく息を吐き出す。
自分の発言が間違っていたとは思わないが、ここまでスザクを追い込むつもりなどC.C.にはなかった。
「良く聞けスザク。確かに私はお前に落ち着いて行動しろと言ったし、一つのミスでルルーシュが死ぬ可能性があるとも言った。だがな、お前に能力以上の事をやれなんて無理難題を言ったつもりはない」
安易な慰めや、根拠のない気休めなど口にせず、理路整然とC.C.は言葉を紡ぐ。
いまのスザクにまともに話を聞くだけの余裕があるかは分からなかったが、それでもここで同情なんて無駄な事をして黙している時間はなかった。
「桐原がこの状況でどう動くかなど、誰にも分からなかった事だ。私だってお前から桐原の話を聞いて意図を察するくらいがやっとで、事前に相談されていたとしても適切なアドバイスができたとも思えん。この展開を予想できるとしたら、おそらく私達の中ではルルーシュくらいのものだろう」
長く生きてきたため政治的な考えもある程度は見抜けるC.C.だが、あくまでもそれはある程度の範疇でしかない。
ルルーシュのようにあらゆる事態を想定して手を打てるわけでもないし、ましてや面識のない相手の思惑を事前情報なしに見抜く事など不可能だ。
そういう意味では、飄々として底を見せない態度に惑わされてスザクはC.C.を買い被り過ぎていた。
「そしてもしルルーシュがいたとしても、全ての問題に適切な対応が取れるわけではない。それが可能なら、あいつは捕まってなどいないのだからな」
誰にでも失敗はあるし、失敗などしなくても予想外の事態は起こり得る。それは当然の事だ。
だからそんな事で一々己を責めていても、そんなものは単なる自己満足以上の意味など持たない。
「今回はお前の判断が結果的に悪い方へ転がった。しかしそれはどうしようもない事だ。お前の頭では老獪なキョウトの重鎮の考えを見抜く事などできるわけがない。だからこれはお前の失敗でもミスでもなく、当然の成り行きだ」
「成り行き……?」
ようやくわずかにでもスザクから反応が返ってきた事にC.C.は小さく安堵する。
この場で最も悪い状況は、スザクが何を言っても耳を傾けず、己の殻に閉じこもってしまう事だった。
「ああ、そうだ。例えばお前がチェスでルルーシュに勝てるか? 逆にルルーシュがスポーツでお前に勝てるか? 勝負をする前から結果が決まっている事など往々にしてある。それに対してああすれば良かったなんて仮定は無意味だし、結局何をしたところで結末を変える事はできん。今回の事も同じだ」
「でも……その失敗でルルーシュに何かあったら、僕は……!」
「だから失敗ではないと言ってるだろうに……それにお前は勘違いしているが、桐原の件がルルーシュの救出に影響する可能性は殆どない」
その言葉がよほど意外だったのだろう。
スザクの目がこれでもかと言うほど見開かれる。
「どうしてそう言えるの?」
「簡単だ。桐原の方針はルルーシュを助けられなかった、その後についてのものだからだよ」
要領を得なかったのか、スザクの眉が寄る。
怪訝そうなスザクの視線にC.C.は肩を竦めた。
「お前を黒の騎士団の総帥にするとか、ルルーシュをブリタニアに対するスパイにするとか、そんなのは全てあいつを救出できなかった後の話だ。キョウトが何をするつもりだろうが、いまルルーシュが囚われている現実は変わらん。なら私達が話し合うべきはルルーシュを助けられなかった後の事ではなく、どうやったらいまルルーシュを助けられるのか、その一点だけのはずだ」
キョウトの思惑や、そこから予想される最悪の未来。そんな余計なノイズに惑わされず、C.C.は当初からの目的を再確認する。
そもそもの話、スザクがゼロに代わって黒の騎士団のトップになるとか、組織の手綱をキョウトに握られるとか、そんなものは黒の騎士団の団員ではないC.C.にとってはどうでもいい話だった。
だからこそスザクとは違って、第三者の立場として冷静に状況が見定められる。
「デメリットがあるとすればキョウトが情報収集に協力的でなくなる可能性がある事だが、自治を任されているとはいえ皇族であるルルーシュの情報がイレブンに得られるとは思えん。なんせ同じブリタニア人にすら秘密にしてるような情報なんだからな」
スザクの思い悩んでいるミスなど大した事ではないと遠回しに告げ、話し疲れたのか息をつきながらC.C.はベッドの上に片膝を立ててその上に両手と顎を乗せる。
そして金色の瞳が苛立たしげにスザクを睨みつけた。
「分かったらいい加減グダグダ悩むのは終わりにして、建設的な話し合いを始めるぞ。私はお前のカウンセラーじゃないんだ」
どこかぞんざいに言い捨てるC.C.に、難しい顔をしてスザクは黙り込む。
言われた事は理解しているようだが、まだ心の整理がつかないのだろう。
こんな事なら桐原の思惑など話さなければ良かったかもしれないと、内心でC.C.は後悔した。
気付かなければスザクがここまで自分を責める事はなかっただろうし、自分も面倒な説明などする必要はなかった。
状況を把握しておく事は危機感を持たせる意味でもちょうどいいと思ったが、とんだ裏目だ。
いまは懺悔などしている時ではない。そんなものはルルーシュを助けた後で、もしくは助けられなかった時にいくらでもできる。
だからいまは進むべきなのだ。あらゆる悔恨も罪科も放り捨て、ただ目的のために邁進する事だけが唯一の正解。
それをスザクは理解していない。
「C.C.……頼みたい事がある」
「頼みだと?」
ようやく口を開いたかと思えば、スザクが口にした言葉は脈絡のないものだった。
また頓珍漢な事でも言いだすのではないかとC.C.は眉をひそめるが、その予想は残念ながら的を射ていた。
「僕に、ギアスを与えてほしい」
その言葉を聞いてC.C.の顔に浮かぶ皺の数が増える。
金色の瞳が細められ、視線の強さが増す。
「前にも言ったはずだ。お前では王の力は扱いきれん」
言外に否の解答を返す。
しかしそれで諦めるほどスザクの決意は軽いものではなかった。
「ルルーシュを助けるためには、それしかないんだ」
余裕のない表情で真っ直ぐと真摯な眼差しを向けるスザクと、それを淡々と見返すC.C.。
両者の間にひりつくような空気が流れる。
「直接会っていないとはいえ、お前にもマオの事は話したはずだな。力を御しきれず呑み込まれれば、マオのようにお前も心を壊す事になるぞ」
「覚悟の上だよ」
C.C.の脅しにも全く怯まず即答するスザク。
椅子から立ち上がり、勢いよくその頭を下げた。
「お願いだC.C.。僕に、ギアスを」
沈黙が部屋を満たした。
破滅すら覚悟して懇願するスザクの意志は強固であり、こうなったスザクが梃子でも引き下がらない事は短い付き合いであるC.C.も良く知っている。
ルルーシュもスザクにこういう態度を取られた時は、諦めて折れる事が殆どだ。
しかし、今回は相手が悪かった。
古今東西、無様な懇願が通用する魔女などいた試しはない。
「断る」
一切の容赦なくスザクの頼みを切って捨てる。
頭を上げたスザクは当然C.C.に食って掛かった。
「どうして!」
「最初から契約を果たす気もない奴に私がギアスを与える理由はない」
絶対零度の視線がスザクを射抜く。
いままでとは異なり、声にもわずかにあった気安さが消えていた。
「私がルルーシュにギアスを与えようとしているのは、対価として私の願いを叶えてもらうためだ。お前にギアスを与えても、私の願いは叶わない」
「そんな事は……!」
「ない、とでも言うつもりか? 笑わせるな。お前がギアスを必要としているのは、捨て身の特攻のためだろう?」
スザクの言葉の先を読み、C.C.は無手な反論を嘲笑う。
その懇願の裏にある考えなしの思惑を見通して、人を一方的に利用しようとする無自覚な思考を唾棄する。
「自分の身を犠牲にしてもルルーシュを助ける、その可能性を少しでも上げるためにギアスを欲しているのが見え見えだ。死ぬつもりのお前がどうやって私の願いを叶えるというんだ?」
「っ……」
C.C.の指摘にスザクは反論の言葉に詰まる。
それは図星であると言っているも同然の反応だった。
おそらくは黒の騎士団を使って政庁に突撃でも仕掛けるつもりだったのだろう。
たとえ黒の騎士団が壊滅しようが、自分が死のうが、ルルーシュさえ助け出せればそれで満足。
新宿で自ら囮になった時と同じだ。自分の命を犠牲にして他を助ける。スザクの根幹にある死にたがりの部分は何一つ変わっていない。
長く生きていたC.C.には――死にたいと思って死ねずに生きてきたC.C.には、自分の命を軽んじるスザクの無自覚な深層心理が理解できた。
もしこれがルルーシュなら、スザクと同じ方法は決して取ろうとしなかっただろう。
時として自分自身も駒の一つとして扱うルルーシュだが、勝算のない捨て身の作戦や自暴自棄な運任せの戦略に、命を無意義に消費するような事など絶対にしない。
あくまでも自分とスザク、両方が助かる方法を最後まで探そうとしたはずだ。
そしてそれが、ルルーシュとスザクの決定的な違いであり、王の器を持つかの差異だった。
「付け加えるならお前がギアスを得たとしても、政庁に特攻してルルーシュを助け出せるとは私には思えん。ルルーシュのいる場所まで辿り着く事もできず、無駄死にするのが関の山だ」
「結果はやってみなくちゃ分からないよ! たとえどれだけ無茶でも、無謀でも、僕がなんとかしてみせる! ルルーシュだけは、絶対に助けてみせる! だから――!」
「もし仮にお前の言う通り事が進み奇跡的にルルーシュを助けられたとしても、お前にそんな作戦を許した事と無謀な特攻に踏み切らせるギアスを与えた事、この二つでルルーシュの私に対する信頼は完全に失われる。そうなればもう何があろうとルルーシュは私と契約する事はないだろう。お前の頼みは私にとって百害あって一利もない」
スザクの覚悟などどうでもいいとばかりに、パタパタと手を振ってC.C.はぞんざいに意見を退ける。
もはや話を聞く気がない事を態度で露わにし、こちらを睨みつけてくるスザクを鼻で笑う。
「忘れているようだから言っておくぞ。確かに私はルルーシュを助けるのに手を貸すと約束した。だがそれはルルーシュと契約して願いを叶えてもらうために、あいつが生きていなければならないからだ。契約の目を潰してまでお前に協力してやる義理はない」
目的の違いを明確にして、いまの協力関係が利害の一致でしかない事を改めて告げる。
スザクにとってはルルーシュの命が何よりも大事なのだろうが、C.C.にとってルルーシュはあくまでも自分の願いを叶えるためのパーツでしかない。王の器を持つ者は少ないといえども、代わりがいないわけではないのだ。
だというのに自分の言動にまるで疑問も抱かず、代価を払う気もないのに力だけを寄こせと要求してきた愚か者に、魔女はその金色の瞳を怒りに染めた。
「私が無条件で力を貸す都合の良い協力者だとでも勘違いしていたか? あまり安く見るなよ、枢木スザク。不愉快だ」
美しい唇から吐き捨てられた言葉は刃物となってスザクの甘い考えを切り払う。
そこにもはや交渉の余地などない事は明らかで、愕然としながらスザクは力なく椅子に座り込む。
C.C.の言う通り、スザクには無自覚に彼女を絶対的な味方として見ている節があった。
それはルルーシュが囚われた危機的状況を共有できるのがC.C.しかいなかった事が大きい。
周りに誰も頼れる相手がいない中で自分に的確な助言を与え、しかもナナリーまで守ってくれるC.C.の存在はスザクにとって単なる協力者というには大きすぎるものだった。
元々利害関係よりも情で人と関係を築く傾向の強い事もあり、スザクはいつの間にかC.C.を、ルルーシュを助けるという同じ志を持つ仲間と認識するようになっていた。
しかしその幻想はいま、当のC.C.によって粉々に砕かれた。
ルルーシュを心の底から助けたいと願っているのは自分だけだと気付き、そのあまりの心許なさに身体が震える。
すっかり大人しくなったスザクを見て、C.C.はふんと鼻を鳴らした。
「理解したなら無謀な突撃などさっさと諦めて現実的な方策を話し合うぞ。そのためにお前もここへ帰ってきたんだろう?」
「…………そうだね……そうしよう」
もはや反論する気力もなく、スザクは言われるがままに今後の方策を練る。
スザクの様子はまともに今後の話をできるのか疑わしいほど消沈したものだったが、ルルーシュの命が懸かっている事もあってか、上の空になるような腑抜けた姿をスザクが見せる事はなかった。
話し合いの内容は多岐に渡り、政庁に囚われていると思われるルルーシュの正確な場所の予測、現在スザク個人が動かせる黒の騎士団の戦力の確認、ブリタニア軍の動き、隠れ家を変えるメリットとデメリット、もしルルーシュが本国に送られそうになった時のざっくりとした襲撃計画の概要など、全て話し終える頃には時計の針が何周かしていた。
「ひとまずはこんなところか。あとは今後次第といったところだな」
話し合った内容をパソコンに打ち込んだC.C.は、凝った肩をほぐすように軽く回して立ち上がった。
「放っておいてしまった事だし、私は少しナナリーと話してくる」
「じゃあ僕も……」
「お前はその不景気な面をマシなものにしてから降りて来い。ナナリーに不要な心配を掛けたくないならな」
ついて行こうとするスザクに釘を刺し、その返事も聞かずにC.C.はとっとと扉のガムテープを剥がし部屋を出て行く。
その背中を見送り、大きく息を吐き出しながらスザクはソファに横になった。
話し合っている最中はなんとか保てていたなけなしの気力も失せ、横たわったままスザクは頭を抱える。
途端に襲い掛かってくるのは、後悔と無力感、そして自分を呑み込むような暗い不安だった。
これまで必死に押し殺し、目を逸らし続けてきたそれを、スザクはもう無視できない。
初めから分かっていた事なのに、どれだけルルーシュが自分にとって大きな存在であったかを改めて強く実感する。
埼玉の時も、河口湖の時も、ナナリーに真実を打ち明けた時だって、少しくらい動揺したり命の危機を感じたりしても、スザクは焦らず乗り越える事ができた。
なのにいまは、桐原の揺さぶりやC.C.の拒絶に簡単に心を乱し、狼狽えてしまう。
思えば成田の時もそうだった。ルルーシュに危険が及んでしまえば、自分はどうしたって平静ではいられない。
自分を強いなどと自惚れていたつもりはないが、ルルーシュがいなければこんなにも自分は弱かったのだと思い知らされる。
「…………ルルーシュ……お願いだから、無事でいてくれ……」
C.C.の話し合いの末、ルルーシュはゼロではなく皇族として捕まったと結論付けた。
それはいまなおゼロを捕らえたとブリタニアが発表していない事からも間違いはないと思われる。
しかし、絶対ではない。
もしかしたらルルーシュはいまも酷い拷問を受けているかもしれないし、そうでなくても元々捨てられた皇子であるルルーシュがまともな待遇で扱われていない可能性もある。
ブリタニアでルルーシュが虐げられる理由など考えればキリがなく、一度思考が負の方向に歩き出してしまえば、際限なく酷い想像がスザクの頭の中を蝕んだ。
弱った心が不安に押し潰されて決壊しそうになる寸前、ノックもなく部屋の扉が開く音がする。
反射的に起き上がってそちらを見れば、深刻そうな表情でC.C.がドア枠に凭れ掛かっていた。
「残念なお知らせだ。落ち着いて聞け」
そう前置きして、C.C.は告げる。
最悪に底などないという、当たり前の事実を。
「ナナリーがいなくなった」
一瞬、ほんの一瞬だけだったが、スザクの視界が真っ黒に染まった。
次回の投稿がいつになるかは分かりませんが、文字数はいつもより少なめになる予定です。それまではアプリでも楽しみながらお待ちいただければと思います。
次回:ナナリーの行方
※話題にしてしまいましたが、アプリの感想や所感などは今作の感想には記入しないでください。