これより、投稿を再開する!
「ルルーシュ、食事はどうだ? いままでちゃんと食べていたのか?」
「……」
「学園で過ごしていたのよね。楽しかった?」
「……」
「何か不自由はないか? 必要な物があれば持ってこさせるからすぐに言ってくれ」
「……」
「ルルーシュ、このお肉凄く美味しいわよ。そう思わない?」
「……」
豪勢な食事が並ぶ食卓に、必死にコミュニケーションを取ろうとする姉妹の声が響き渡る。
しかしそれに返ってくるのは食器を動かすわずかな物音くらいのものだった。
話し掛けられた当人であるルルーシュは返事をしないどころか、姉妹に視線すら返さない。
完璧なテーブルマナーで黙々と食事を口に運び、まるで同じテーブルにつく者がいないかのような振舞いだった。
既にルルーシュが政庁に囚われてから3日。
その間、積極的に交流を図ろうとしてきた異母姉妹に、ルルーシュは無視という形で応えてきた。
挨拶も世間話も昔話も自分の今後についての話も一切無視。
再会した時にもう話す事はないと告げた通り、何を言われようとも口を開こうとはしない。
ユーフェミアに泣きそうな顔をされようと、コーネリアに怒鳴られようと、眉一つ動かさず無反応を貫いた。
例外はたったの一度。アッシュフォードの処遇について仄めかされた時だけ「アッシュフォードには寛大な処置をお願いします」と、一言だけ言葉を返した。
「……」
「……」
「……」
暖簾に腕押しなルルーシュの無反応に、コーネリアとユーフェミアもなんと言葉を掛けて良いか分からずついに黙り込む。
この3日はずっと姉弟3人で同じテーブルについて食事していたが、今日のように姉妹が一頻りルルーシュに話し掛けて無視された後で黙り込むという一連の流れが定型と化していた。
「そ、そういえば近いうちにシュナイゼルお兄様がこのエリアに来られるんですよ。ねぇお姉様」
なんとかルルーシュの興味を引く話題はないかと、必死に考えた末にユーフェミアは別の兄弟の話を持ち出す。
本来なら部外者に話していい情報ではなかったのだが、まだ公的には皇族に戻っていないとはいえルルーシュを身内と考えている姉妹は気にせず、コーネリアもそれに乗っかる。
「ああ、実はそうなんだ。なんでもクロヴィスが総督時代に見つけた遺跡に興味があるらしくてな。その調査も兼ねてこっちに来るらしい」
ついでとばかりにもう一人の兄弟の名前も出して気を引こうと試みるが、ルルーシュは食器を動かす手を止める事すらしない。
コーネリアはそれでも諦めず、ルルーシュも気になっているだろう話題につなげた。
「その時にお前の話もしようかと考えている。兄上であればお前の力にもなってくれるだろう」
その言葉に、初めてルルーシュが反応らしい反応を見せる。
一度だけ目を動かしてコーネリアを視界に捉え、ゆっくりと手に持った食器をテーブルに置く。
「なるほど」
ナプキンで口元を拭き、久しぶりにルルーシュの声が姉妹の耳に届く。
しかしその声には温かみというものが欠片も感じられなかった。
「つまり、とうとう私は本国に連れ戻されるわけですか。しかも宰相閣下直々の護送とは、身に余る待遇ですね」
皮肉たっぷりに、口の端を吊り上げてルルーシュが笑う。
その悪意のある物言いにユーフェミアは悲しそうに眉を下げた。
「ルルーシュ、そんな言い方は……」
「取り繕ったところで、拒否権がないのであれば同じ事だろう? で、日取りはいつですか?」
無意味な諫言を一睨みして黙らせ、ルルーシュは問う。
その態度に言いたい事もあるのだろうが、コーネリアは眉間に皺を寄せながら質問にだけ端的に答えた。
「4日後、兄上が来日される。お前の事は直接会ってから伝えるため、本国に戻るのはそれから数日後となるだろう」
正確な日取りはシュナイゼルの予定もあるので分からないと付け加えると、ルルーシュは興味を失ったかのようにコーネリアから視線を外した。
再び口を閉ざそうとする弟の気配にコーネリアは焦り、慌ててルルーシュが望んでいるであろう言葉を続けた。
「だがそれは一時的なものだ。お前が本国に戻りたくないというのはこの数日で充分に分かった。だから前にも言ったように、私がこの地でお前達を保護できるよう父上には進言しよう。事情を説明すれば、兄上からもきっとお口添えがいただけるはずだ」
軍に影響力のある自分と帝国宰相であるシュナイゼルの連名ならば、いかに皇帝陛下といえど無碍にはしない。
コーネリアは自分の思いが弟に伝わるよう言い方に苦心しながら、できるだけ柔らかく話した。
「父上から許可を貰えればもう何も心配する必要はない。また昔のように共に過ごそう。もちろん、ナナリーも一緒に」
そう告げると、同意するようにユーフェミアも頷く。
しかしルルーシュは話を聞いていなかったかのような態度でナプキンで口元を拭くと、姉妹を一瞥もせず立ち上がった。
「食事が済んだので、失礼します」
「ルルーシュ!」
取りつく島のないルルーシュをコーネリアは呼び止めるが、反応は冷淡なものだった。
「その話は既に終えたはずです。あなたが意見を曲げないというなら、私から何かを申し上げる事はありません」
それだけ言い残すと、ルルーシュは部屋から出て行った。
後には重苦しい沈黙が漂う。
「相変わらず、頑なだな……」
深いため息と共に、コーネリアがポツリと零す。
手酷く拒絶された事にまた関係が悪化したと落ち込むべきか、辛辣でも会話できたのだから前進したと前向きに捉えるべきか、判断は難しい。
だがどちらにしても、関係値に大して変わりがない事だけは明らかだった。
「本当に……これで良かったんでしょうか?」
食器を置き、暗い顔をしたユーフェミアが小さく呟く。
「どういう意味だ? ユフィ」
ユーフェミアは質問に答えず俯いてしまう。
気まずい沈黙が続き、コーネリアがもう一度声を掛けようとしたところで、胸の前で両手を握ったユーフェミアがつらそうに口を開いた。
「ルルーシュは何も話してくれません。そんなルルーシュを、私達はずっと閉じ込めて……これが本当に、家族のする事ですか?」
「それは……」
最後の訴えと共に顔を上げたユーフェミアの表情は、いまにも泣き出してしまいそうなものだった。
思わずコーネリアは答えに詰まり、しかしそれでも自分の判断は間違っていないと首を振る。
「外に出してはルルーシュが危険なのだ。いまはその事が分からなくても、いずれはきっとルルーシュも理解してくれる。それまでの辛抱だ」
「ですが――」
「もし外出を許して、ルルーシュがテロリストに襲われでもしたらどうする?」
理屈を説いてもまだ反論しようとするユーフェミアに、コーネリアは強い口調で問う。
いまこのエリア11の治安はお世辞にも良いとは言えない。日本解放戦線がいなくなったとはいえ、黒の騎士団が台頭してきており、ゼロに続けと他のテログループも活気づいている。
そんな中でもしルルーシュが皇族だという話が出回りでもすれば、あらゆるテロリストからルルーシュは狙われる事になるだろう。たとえこれまでのように上手く隠し通せたとしても、なんの関係もない理不尽なテロに巻き込まれる可能性だってないとは言えない。それはユーフェミアも居合わせた河口湖のホテルジャック事件の現場に、ルルーシュと同じアッシュフォードの学生がいた事実が証明している。
不便を強いている現状は申し訳なくもあるが、何よりも大事なのはルルーシュの安全であり、それはコーネリアが決して譲れない一線だった。
「お前の方からもルルーシュを説得してくれ。総督である私の言葉は、いまのあいつには届かないようだからな……」
「そんなの私だって同じです。いくら話し掛けても、ルルーシュは言葉を返してくれません。ずっと黙り込んで、目も合わせてくれないんです……」
悲しそうなユーフェミアの声を最後に、先程と同じ空気の重い沈黙が流れる。
その様を護衛のギルフォードは部屋の入り口で黙って見ていた。
長年コーネリアの騎士をやっているが、これほど沈んだ姉妹はいままでに見た事がなく、そのあまりの落ち込みようにギルフォードは意を決して口を挟んだ。
「姫様」
姉妹の視線が自身に向く。
声を掛けられるとは思っていなかったのか、その表情にはわずかに驚きが浮かんでいた。
「ご歓談の最中に口を挟むご無礼をお許しください。ルルーシュ様の件について、私から一つご提案がございます」
「提案だと?」
怪訝そうに眉を寄せるコーネリア。
それは自らの騎士があえてこの場で発言した事に対するものも含まれているだろうと、ギルフォードは察した。
これまで姉妹での食事の最中に、話し掛けられたり急な用事がある場合を除いてギルフォードが積極的に発言をした事はない。それは主であるコーネリアが妹との時間を何より大切にしていると知っているからであり、騎士である自分が邪魔をするべきではないと弁えていたからである。
しかし到底歓談とはいえない雰囲気に、ギルフォードは自らその自重自戒を冒す。
「私が考えるにルルーシュ様の冷淡な態度はおそらく、ブリタニアに対する不信感からきているものと思われます。幼少期から現在に至るまでの過酷な境遇を思えば、ルルーシュ様があれほどに態度を硬化させてしまうのも無理からぬ事。ですのでまずはその不信を
「私とお姉様以外の味方……ですか?」
ギルフォードの提案にユーフェミアが首をかしげる。
意図が上手く伝わっていない事を察し、ギルフォードは頷いてもう少し噛み砕いて話を続けた。
「おそらくルルーシュ様は再び人質として敵国に送られるなどの政治的な扱いを受ける事を危惧し、ブリタニアへの帰属を拒んでおられるのだと思われます。それは皇族としての後ろ盾がルルーシュ様にはない事が起因しているのではないでしょうか?」
「……確かにルルーシュは公的に死んだ事になっているため支持する貴族はいないが、だからこそ私が後ろ盾になって保護すると、あいつにははっきり伝えたはずだ」
「仰る通りです。しかしそれでは、対外的には姫様がルルーシュ様とナナリー様を囲い込むような形になります。そうではなく、ルルーシュ様はご自身の力で、己と妹君を守れる強固な立場が必要だと考えられているのではないでしょうか?」
もしルルーシュがコーネリアの提案を受け入れて彼女の庇護下に入ったなら、立場的にはユーフェミアと同じような立ち位置となる。最近まで学生をやっていたユーフェミアが突然エリアの副総督の地位に就いている事からも分かる通り、ブリタニアにおいてコーネリアの権力は大きい。他国からブリタニアの魔女と呼ばれるほどに国に貢献し、軍部にも大きな影響力のあるコーネリアを敵に回してまでルルーシュやナナリーを害そうとする者はいないだろう。
しかしギルフォードの考えでは、ルルーシュは帝国に確かな地位を築いているコーネリアの庇護下に入る事を良しとはせず、あくまでも自分の名と力を以て帝国内で妹を守れる立場を確立する事にこだわっている。
それが意味するところを理解して、コーネリアは重く息を吐き出した。
「なるほど。分かっていた事ではあるが、私はまるきりルルーシュに信頼されていなかったという事か……」
コーネリアの庇護下に入るという事はつまり、彼女がその気になればいつでも見捨てられる立場に収まる事を意味する。
もし彼女がなんらかの政治的な窮地に陥り、それがルルーシュやナナリーを犠牲にすれば解決できる問題だったとして、異母兄妹である二人が見捨てられないかはコーネリアのさじ加減一つ。
そんな状況をルルーシュは良しとはしなかった。
自身と妹の運命をコーネリアに委ねる事を拒んだ。
つまるところそれは、ルルーシュが
「姫様、私はそういう意味で述べたわけでは……」
「いいんだ。未だに口も利いてもらえない姉が何を言い繕っても、滑稽なだけだろう」
慌ててフォローを入れようとするギルフォードに手を上げ、コーネリアは自嘲気味に笑う。
分かっていた事ではあるが、異母弟から何も期待されていなかった事実は胸を抉るような痛みをコーネリアに齎した。
「それで、お前は具体的にどうするべきだと考えている?」
落ち込んでばかりもいられないと、コーネリアは話を前へと進める。
その意図を察し、何か言いたげな顔をしながらもギルフォードは問いに答える。
「公的な発表の前にルルーシュ様を支持し、その立場を確たるものとする後ろ盾を作る事ができれば、ルルーシュ様も安心してナナリー様と共にブリタニアに戻る事を受け入れてくださるのではないかと考えます」
聞かれた事だけに正確な答えを返すギルフォード。
予想していた提案にコーネリアは顎に手を当てて少しだけ考え込むと、候補となる家の名前を口にする。
「ルルーシュの後ろ盾となると……アッシュフォードか」
8年前まではヴィ家の後ろ盾筆頭として名が上がり、ルルーシュの母であるマリアンヌが暗殺された事を契機に失脚した貴族、アッシュフォード。
失脚すると共に本国での居場所も失い、逃げるように新しくできたこのエリアに移ったとされていたが、それがルルーシュとナナリーを保護するためであった事は既に調べがついている。
爵位は失っているが、忠誠心だけならルルーシュの後ろ盾となるのにこれほど相応しい家もないだろう。
「ジェレミア卿もルルーシュ様のご母堂であるマリアンヌ様を敬愛していたと入院中に話しておりました。ルルーシュ様が皇族として復帰されると聞けば、彼が率いる純血派もルルーシュ様を支持するでしょう」
言われて、コーネリアは成田の際にジェレミアが語った忠義を思い出す。
マリアンヌを守れなかった事をあれほど悔いていたジェレミアであれば、マリアンヌの嫡子であるルルーシュを支持する事に躊躇う理由はないだろう。
頭の中で問題がないかどうかを吟味し、そういえば最近書類でも名前を目にしていた事を思い出す。
「ジェレミアからはルルーシュへの拝謁希望の嘆願があったな」
「はい。しかしながらいままでは、姫様の命令通りユーフェミア様以外との接触は専属の侍従以外は誰であろうと許可しておりません。それは警護を務める純血派も同様です」
ルルーシュが極端にこちらを拒絶している事もあって、なるべく刺激しないようにコーネリアは自分達以外の人間を最低限しかルルーシュに接触させないようにしていた。
警護にしても直接部屋の中には入れず、部屋の外にて行わせる徹底ぶりで、ルルーシュがこの数日で会った人間は片手で数えられる程度だろう。
しかしそれがもしかしたら逆効果だったのかもしれないと、コーネリアは己の考えを改める。
「ならば許可を出してやれ。ただし、ルルーシュが拒絶した場合は当然部屋には入れるな。あくまでルルーシュの意思が最優先だ。後はアッシュフォードも呼び出せ。ナナリーの居場所を問い詰めるのはこの際後回しとする。こちらに敵意がない事を示し、爵位と引き換えにルルーシュの説得に協力するよう呼び掛けろ。それすら拒否するようなら、私が直接話す」
「イエス・ユアハイネス」
一礼したギルフォードが、断りを入れて命令を遂行するために各所に連絡を始める。
それを横目で見ながら、コーネリアは片手で額を押さえた。
「これで何か変わってくれるといいんだが……」
「そうですね。また、あの頃みたいに……」
姉妹の小さな願いが、食の進まないテーブルの上に零れる。
目の前に並ぶ食事と同じように冷え切ってしまった関係は、彼女達の心を酷く重くした。
「ナナリー、念のために変装しておく。髪に触るぞ」
シャーリーの家から出たC.C.は、車椅子を押しながら手荷物の中から自分が被っているのと同じ黒髪のウイッグを取り出してナナリーに被せる。
目の見えないナナリーには細かい位置の調整が困難なため、C.C.が傍から見ても問題ないか確認し、変に髪が絡んだりして違和感がないかを訊ねる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
変装を終え、C.C.が再び後ろに回って車椅子を押す。
向かうのはC.C.が乗ってきた車を停めた駐車場だ。
本当なら家の前に駐車したかったのだが、場所的にそれは難しく、少し離れた場所に止めてきている。
交通法を無視すれば家の前に止める事も不可能ではなかったが、飛び出していったナナリーの精神状態を考えれば話が拗れる可能性もあり、時間を食ってしまえば警察に見咎められる事もあり得る。軍から逃げている現状で警察と関わるのを極力避けるのは当然の判断であり、そのためには多少の手間であっても近場で駐車可能な場所に車を置いてくる必要があったのだ。
「あの、C.C.さん」
「ん? どうしたナナリー」
車椅子を押しながら歩いていると、首だけで振り返りナナリーが話し掛けてくる。
その表情は険しく、愉快な話をしようとしているのでない事だけは明らかだった。
「……お兄様が軍に捕まってしまったというのは、本当なのでしょうか?」
言葉少なに、それだけを問うてくるナナリー。
やはりスザクとの話を聞かれていたらしいと、予想が確信に変わりC.C.は気付かれないように細く長い息を吐いた。
ここで事実を話して取り乱されでもすれば、目立って人の目につくかもしれない。そうなれば軍に連絡が届き足取りを追われる可能性もある。ならばたとえ後々に話す事になったとしても、この場は誤魔化して煙に巻くのが最善だ。
しかしそれを理解しながら、C.C.は彼女の問い掛けに正直に答えた。
「ああ、本当だ」
ナナリーが息を呑む気配がする。
盗み聞きをしていたとはいえ、確信はなかったらしい。
いや、半ば事実だと悟ってはいても、それを他人の口から肯定されるのでは重みが異なるためだろうか。
小刻みに震える様子からは動揺がありありと窺える。
そしてその動揺が去れば、後に待っているのは隠していた事に対する糾弾か、最愛の兄が囚われた事に対する悲嘆だろう。
長年の経験からこの先の展開を予想して、C.C.はナナリーが口を開く前に先んじて必要な事を告げた。
「嘘をついて、悪かった」
どんな言い訳もせず、ただ一言謝罪の言葉を口にする。
滅多に他人に対して謝る事をしないC.C.だったが、今回ばかりはそんな傲慢さは息を潜めていた。
なぜなら、非は間違いなくこちらにあるのだから。
ルルーシュの安否に関わる大事を知る権利を持っているのは、血を分けた兄妹であるナナリーだ。
本来ならそれを隠す資格など、所詮は他人であるC.C.にもスザクにもない。
だからこそどんな罵倒も受け止めるつもりで、C.C.はナナリーの言葉を待つ。
しかしナナリーの謝罪に対する返答は予想外のものだった。
「ありがとうございます」
「なに?」
突然脈絡もないお礼を口にしたナナリーにC.C.は眉をひそめる。
だがナナリーは構わずC.C.には意味の分からない言葉を続けた。
「C.C.さんは、優しいですね」
「……ナナリー、一体なんの話だ?」
いまの話の流れでどうして感謝や優しいなんて言葉が出てくるのかまるで分からず、C.C.はなんとも言えない表情で訊き返す。
ナナリーからすれば、自分は兄の一大事を秘密にしていた嘘つきだ。怒りをぶつけるのが当然の相手であり、向けられる言葉は感謝ではなく糾弾が相応しい。
これをスザクが言ったのであれば、また訳の分からない自分にだけ通じる理屈があるのだろうと流せたが、生憎とナナリーはあんな自分ルールを他人にも適用する話の通じない輩ではない。
珍しく困惑を露わにするC.C.に、ナナリーは静かに語り始めた。
「わたし……後悔しているんです。お兄様が秘密を打ち明けてくれた時、私は嘘をついていた事を責めてしまいました」
膝の上で拳を握り、ナナリーは兄がゼロだと告白したあの日の思いを述懐する。
聞かされた内容を消化しきれず、ただショックのままに兄を責めた己の浅はかさを。
突然変わった話にC.C.は戸惑うが、すぐにいま指摘する事ではないと思い直した。
きっと彼女なりに自分の思いを伝えようとしているのだと察して。
「それは当然だろう。非は嘘をついていたあいつにある。お前が悔いる必要などないはずだ」
「いいえ。そうではないんです」
自身を擁護するC.C.の言葉を、はっきりと首を振ってナナリーは否定した。
「シャーリーさんとお話をして気付いたんです。私も自分の都合で学園のみなさんに嘘をついていました。名前も、出自も偽って、色んな人を騙していたんです」
顔を伏せ、悔恨を滲ませる声音が幼い唇から零れる。
そんな彼女の内心を推し量るように、C.C.は問いを投げる。
「嘘をついていたのはお前も同じだから、ルルーシュを責める資格はないと?」
まだ幼く、身体障害故に自罰的なところがあるナナリーならばそう考えてもおかしくはない。
だがランペルージ兄妹が自分の身を守るために身分を隠していた事と、ルルーシュが己のためにゼロの正体を打ち明けず秘密にしていた事では根本的な意味合いが異なる。
それをただ嘘をついていたという一点のみに着目し、立場は同じだとするのは、いくらなんでも強引な論法だ。
もしナナリーがそんな結論を出しているなら考えを正してやらなければならないと、珍しく義務感を発揮するC.C.だったが、しかし予想に反してナナリーは静かに首を振った。
「怒られると思ったんです。私がお兄様を責めたように、シャーリーさんも私の事を嘘つきだって詰って、酷い言葉をぶつけられるんだって……」
「……」
「でもシャーリーさんは私の事を責めませんでした。それどころか、間違ってないと言ってくれたんです」
震える手を膝から胸の前に持っていき、まるで大切な何かを包み込むようにナナリーは嬉しそうな――それでいて悲しんでいるような、複雑な表情を浮かべた。
「私もお兄様も、間違ってないって。お兄様はシャーリーさんのお父様を殺めてしまっているのに――それでも許したいって、そう仰ってくださったんです」
一言では言い表せない、万感の思いを感じさせる声音。
それだけでシャーリーという娘の言葉がナナリーの心にどれだけ影響を与えたかが見て取れた。
かくいうC.C.も、身内を殺されながらもその仇を許したいと言った少女に驚きを覚える。かつてルルーシュに始末すべきだと忠告した過去もあったが故に。
「嬉しかったです。でも、そんなシャーリーさんを見て気付いてしまったんです。私はなんて狭量だったんだろうと……」
声と身体を震わせながら、自身の不明を恥じるナナリー。
自分よりもよほど酷い裏切りをされてなお、兄を想うシャーリーの意思をナナリーは心から尊んでいた。
「あの時お前が知ったのは、嘘をつかれていた事だけじゃない。突然あんなカミングアウトをされては、混乱して相手を責めるのも仕方のない事だ」
悔恨を滲ませるナナリーに、C.C.は擁護の言葉を掛ける。
安易に慰めるつもりはなかったが、それでもあの場面での非がナナリーにあったとは思わない。
なんの前情報もなく兄がテロリストの首魁だと告白されれば、誰だって動揺する。しかもルルーシュがゼロだと知る事は、ルルーシュがゼロとして行った非道を同時に知る事でもあったのだ。
いきなり身内が人殺しだと知らされたのだから、むしろナナリーの反応は大人しかったとすら言える。
「それでも私は考えるべきだったんです。お兄様がどうしてそんな嘘をつかれていたのかを」
しかしナナリーは自分を甘やかさず、過去の言動を非難する。
その声は悔恨を感じさせながらも、力強いものだった。
「学園のみなさんに嘘をついていた事を正当化するわけではありませんが、私とお兄様が出自や名前を偽っていたように、どうしようもない事情があって嘘をつかなければならない事だってあるはずです。なのに私はそんな事にも気付かずに、ただ嘘をつかれた、それだけを理由にお兄様を責めてしまいました」
「それはいけない事なのか?」
C.C.からすれば、ナナリーの行いは間違っていない。
たとえどんな事情があろうと、ナナリーが嘘をつかれた事実に変わりはないのだ。
ならばそれを責める事になんの瑕疵があろうか。
ルルーシュだって、そう思っていたからこそ彼女の非難を全て受け入れたのだろうから。
だがナナリーは、決然とした面持ちでその考えを否定した。
「はい。だって大事なのはきっと、お兄様が嘘をついた事ではなくて、なぜ嘘をつかれていたのか、その理由の方なんですから」
「――――」
「今回の件、きっとC.C.さんとスザクさんは、私の事を気遣って嘘をついてくれていたんですよね?」
振り向き、ナナリーは微笑みを浮かべて問うてくる。
しかし動揺するC.C.は、咄嗟に答えを返せなかった。
ナナリーが出した結論は、C.C.にとって青天の霹靂とも言えるものだったから。
目の見えないナナリーはそんなC.C.の様子に気付く事なく言葉を重ねる。
「私のためにしてくれた事なのに、何も言わずC.C.さんは嘘をついた事を謝ってくれました。その事が私はとても嬉しかったんです」
「ナナリー……」
こちらの事情を都合よく解釈したきらめく笑顔。
その純粋な好意に、一瞬前とは別の意味でC.C.は何も言えなくなる。
確かにナナリーが言ったように、不要な気苦労を掛けない目的でルルーシュが囚われた事を隠したのは事実だ。しかしそれがナナリーのためだったかといえば、必ずしもそうではない。ナナリーに説明した際に予想される彼女の混乱や、それを宥めるための労力、そして今回のような衝動的に危険な行動を起こす可能性。それらをルルーシュがいない現状下で許容するだけのキャパシティーがスザクとC.C.にはなかった事が、今回の秘匿につながった。
つまるところ、二人にはナナリーに構っている余裕がなかったのだ。
だから何も知らせない事でその負担を排除した。ルルーシュを取り戻せば解決するからと、本来なら真っ先に知らせなければならない兄の窮地を隠した。
その後ろめたさから返答を見つけられないC.C.に、ナナリーは心からの感謝を告げた。
「ありがとうございます。C.C.さんはとても優しい方ですね」
その姿がとても眩しく見えて、C.C.は思わず目を細めた。
「そんな事はない。優しさなど、私には縁遠い言葉さ」
答えながら、嘘をついた理由については帰ったら改めて謝罪しようと決める。
だが打算的な内心を話したとしても、きっと彼女には許されてしまうのだろう。
それを理解して、C.C.は目の前の少女の評価を改めた。
「優しいのはお前だよ、ナナリー。いや、優しいだけじゃないな。お前は強い」
「強い……ですか? でも私は歩く事も見る事も――」
「身体の事を言っているんじゃない。考え方の話さ」
己の身体障害を顧みて首をかしげるナナリーに、口元を綻ばせながらC.C.は告げる。
「他者の言動から自らの行いを省みる事ができる奴は存外少ない。お前のような幼さなら、尚の事な」
人よりも長く生きてきたC.C.だからこそ、それが口で言うほど容易い事ではないと知っていた。
人は自分が正しいと思い込めば、どこまでも頑なになってしまう生き物だ。
ましてやナナリーは、状況的には兄に裏切られたといっても過言ではない。
本来なら兄を糾弾し、その安否を隠した自分達を責め、もう誰も信じられないと己の殻に閉じこもってしまってもおかしくはない。
だがナナリーはそんな風に自暴自棄になって投げ捨てたりはせず、相手の事情まで慮ってきちんと自分の意思で許そうとしている。
人の悪性を肌で感じた経験がないせいかまだ考えの足りない部分もあるが、それもきっといずれ克服するだろう。
彼女を溺愛するルルーシュの気持ちが、C.C.にも少しだけ分かった気がした。
「それに私も教えられたよ。大事なのは嘘そのものではなく、嘘をついた理由の方、か。……なるほど。確かにその通りなのかもしれないな」
晴れた青空を見上げながら、C.C.は半ば独り言のように呟いた。
そんな考え方を、C.C.はいままで一度もした事がなかった。
だがそれは仕方のない事だった。誰もが嘘をついた事を理由に、彼女を責めたのだから。
彼女と契約したギアスユーザーの大半は、己の目的のためにギアスを与えながらそのリスクの詳細を明かさず隠し続けたC.C.を責めた。
数少ない例外もC.C.を責める余裕すらなく悲嘆に染まった者か、マオのように心を壊した者だけだった。
その全てを間近で見届けたC.C.は、彼らの糾弾を甘んじて受けた。
マオの凶刃を受け入れたように。騙した自分が彼らに憎悪を向けられるのは当然だと、嘘をついた自分が悪いのだと、どんな言葉も仕打ちも己の罰として享受した。
だからシャルル達から計画を聞かされた時、それに賛同した。
計画が成し遂げられれば、自分の目的は叶い、さらには嘘をつく必要がない世界が造られる。
それはとても、甘美な響きをもってC.C.の耳には届いたから。
「あの、偉そうな事を言ってしまいましたが、私もまだちゃんと考えられたわけではなくて、その……」
いきなり黙り込んでしまったC.C.に何を思ったのか、慌てたようにナナリーが自身の無思慮を表明する。
その年相応の姿が微笑ましく、C.C.は自然と笑みを零した。
「どうした? さっきまであんなに堂々と自分の意見を言っていたのに、そんなに縮こまって?」
恥ずかしそうに顔を赤く染めて身体を小さくするナナリーに手を伸ばし、その頭をC.C.は優しく撫でた。
「まだ悩みも迷いもあるのは分かっているさ。簡単に答えが出るほどお前が直面している問題は軽いものじゃない」
ルルーシュがゼロだった事。暴力という手段でブリタニアを変えようとしている事。いまそのブリタニアに最愛の兄が囚われてしまっている事。どれ一つ取ってもナナリーの人生を大きく変えてしまうような大事だ。
考え方を改めたからといって、軽々に結論が出るものでもなければ、出していいものでもない。
「だが逃げる事なく向き合っているのは話を聞いていれば分かる。それだけで充分に立派だというだけの話だ」
そう言ってC.C.は、ウィッグ越しに彼女の頭を撫でながら謝罪よりも珍しい他者への賞賛を口にした。
「良く頑張っているな、ナナリー。ルルーシュもいまのお前を見れば、きっと誇らしく思う事だろう」
彼女の成長を間近で最初に感じるのが、ルルーシュではなく成り行きで共にいる自分だというのは、なんとも皮肉な話だ。
もしそれがブリタニアに捕まる失態を犯した代償だとすれば、ルルーシュにとっては大きすぎる失敗だったと言えよう。
「そう、でしょうか……? もしお兄様に自慢に思ってもらえるなら、私も凄く嬉しいです」
C.C.の賞賛を真っ直ぐに受け止め、微笑みを浮かべるナナリー。
兄が窮地にいる事を理解しながら、それでも笑っていられる彼女の強さにC.C.も小さく口元を緩めた。
「……子供扱いは、もうできないな」
「何か言いましたか? C.C.さん」
「いや、なんでもな――」
独り言を拾われて誤魔化そうとするC.C.だったが、曲がり角を左折した瞬間に見えた光景に言葉を呑む。
遠目では顔を識別する事は困難だったが、赤い軍服を着た男達が道行く人に何かを訊ねていた。
話を聞かれていた民間人の女性らしき人物がこちらの方角を指差す。
同時に軍人達の視線もこちらに向き――C.C.と目が合った。
「ナナリー! 走るぞ!」
「えっ――きゃあ!」
突然走り出した衝撃にナナリーが悲鳴を上げる声と、遠くから何やら叫ぶ男の声がC.C.の耳朶を打つ。
おそらくは止まれだとかそんな意味のない制止でも口にしているのだろうが、どんな言葉だろうと耳を貸している余裕はない。
「し、C.C.さん! 何があったんですか!?」
肘掛けに捕まって衝撃に耐えながら、状況の分かっていないナナリーが問うてくる。
懐から車のキーを取り出し、C.C.は叫ぶようにそれに答える。
「軍に見つかった! いまは喋るな! 舌を噛むぞ!」
「そんな……!」
顔を青ざめさせるナナリー。彼女を乗せる車椅子を押して全力で走り、C.C.は程なく駐車場に辿り着く。
まだ軍人達の姿は遠い。ギリギリ間に合う。
「車に入る! 揺れるぞ!」
鍵を開け、車椅子ごと車体の中へとナナリーを入れる。
元々ナナリーを護衛しながら移動するためにルルーシュが買った車なので、車椅子に乗ったまま乗車する事が可能な車なのだ。
C.C.は手早く車椅子を車体に固定し、ナナリーに対しても身体が不用意に動かないようにシートベルトをきつく締める。
そして一度車外に出る手間さえ惜しいと言わんばかりに、後部座席から無理やり運転席に移ってエンジンを掛けた。
「ナナリー! 荒っぽい運転になるが我慢しろよ!」
「は、はい!」
変装用の眼鏡とウィッグを助手席に放り投げ、最初からフルスロットルで車を発進させるC.C.。
後ろからナナリーの悲鳴が聞こえるが、いまは軍人共を引き離す事が先決だ。
幸い走って追ってきていた軍人からはギリギリのところで捕まらずに済んだが、相手もすぐに車での追跡に切り替えるだろう。早急にこの場を離脱しなければならない。
C.C.は脳内で租界の地図を思い出しながら、公道を他の車を追い抜き驀進する。当然法定速度など守るわけもなく、それどころか一歩間違えれば大事故を起こしかねない荒っぽい運転だった。
だが長く生きてきた事もあり、普段の物臭な態度からは考えられないほどC.C.は様々な技術を習得している。車の運転もその一つであり、まるでプロのレーサーのようにC.C.は巧みに車を操り追手から距離を取る。
料理の時もそうだったが、必要に迫られないからやらないだけで、やろうと思えば大抵の事をこなせるのがC.C.という女だった。
『ナンバー×〇-○×の黒の車両はただちに停車せよ! ただちに停車せよ!』
後方から機械を通した声が聞こえてくる。
色も車両ナンバーも当然C.C.達が乗っている車のものであり、軍が追ってきているのは明らかだった。
バックミラーを調整して後方を確認し、まだ目視できない事からだいぶ距離は離せている事に安堵するが、予断を許すような状況でもない。
思わぬ事態に苦々しい思いを抱きながらも、C.C.は現状を分析する。
――警察に連絡するのではなく軍が直接追ってきている。ならナナリーの正体はバレていると見て良い。つまり軍の目的は、犯罪者の追跡ではなく皇族の保護。
車椅子という特徴を消せないためナナリーの変装は気休めも同然だったが、やはりなんの意味もなかったらしい。
元々軍がナナリーを捜しているという情報は掴んでいたので驚きはないが、まさかナナリーが外出して数時間で足取りを追ってくるとは、軍の情報収集能力を些か甘く見ていたとC.C.は歯噛みする。
ただの犯罪者やテロリストではなく、皇族が相手となれば、軍はあらゆる手段を用いてこちらを追ってくるだろう。
今頃は応援が呼ばれているとみて間違いない。
――となると、公道の封鎖とヘリの手配は時間の問題か。ナナリーがこの車に乗っている以上、発砲はしてこないだろうが、時間が経てば経つほどこちらには不利だな。
応援が来る前に追手を撒ければそれに越した事はないが、軍の追跡をそう簡単に振り切れるわけがない。
いま乗っているこの車も逃走用だけあって馬力はあるが、それでも軍用車両を引き離せるほどではなかった。
それにあまりに荒っぽい運転はナナリーにも大きな負担になる。目の見えないナナリーは、車体の揺れに常人よりも敏感である事は明らかであり、身体がどれだけ揺れや衝撃に耐えられるかは未知数。C.C.が一人だったなら、最悪自分の怪我は治るからと強引な運転で逃げ切る事も可能だったかもしれないが、ナナリーにかすり傷でも負わせてしまえばどこかのシスコンに何を言われるか分かったものではない。
あまりにも分の悪い状況に、C.C.は短く舌打ちを零した。
――とにかく租界を走っていては捕まるのも時間の問題だ。逃げるなら、ゲットーしかないな。
丁寧に整備された租界の公道では、軍ならいくらでも先回りが可能だろう。さらにヘリが追いつけば、空中から監視されるため振り切る事は殆ど不可能となる。
しかしゲットーであれば事情は変わる。
租界と違って荒れ果てたまま放置されているゲットーには整備された道などなく、先回りは困難を極める。地下鉄網も放置されているため、一度地下に潜ってしまえばそこからはヘリでも追跡できなくなるだろう。
――ここから一番近いゲットーは…………新宿か。因果なものだな。
口元に皮肉気な笑みを浮かべ、C.C.はハンドルを切る。
この辺りの地理であれば、クロヴィスの元から逃げてルルーシュのいるクラブハウスに潜り込むまでの間に散々歩き回ったのである程度は理解している。もちろん車道と歩道の違いはあるので完全に道を把握しているとは言い難いが、地図を確認しなくても方角が分かるのは大きい。
「ナナリー! ここからは揺れが酷くなるぞ」
「は、はい。分かりました」
租界の階層構造を下へ下へと下っていき、殆ど最短距離でゲットーへと入る。
舗装されていないゲットーの地面は租界のように平坦ではないため車体が大きく揺れるが、先に注意した事もあってナナリーは悲鳴の一つもあげない。
「チッ、思っていたよりも早いな……」
プロペラの音に頭上を仰げば、軍のヘリが車を追ってきていた。
ずっと後ろから追ってきている車の方も、距離は詰められていないが引き離せてもいない。しかも数は1台から3台に増えていた。
徐々に追い詰められているような焦燥感に心を焼かれながら、C.C.は勢いを落とさず強引に車を地下の入口へと突っ込ませる。激しい衝撃に後部座席からナナリーが小さく声を漏らした。
一歩間違えば車体が転倒してしまいそうな乱暴な運転をしながらそれを技術によってカバーし、C.C.はこういう時のために準備していた荷物の中から発煙筒を取り出して窓から投げ捨てる。
途端に地下には煙が広がり、すぐにC.C.達の乗っている車の後方は走行が不可能なほどの煙で満たされる。
「これでなんとかなるか?」
一面真っ白となったバックミラーを見てC.C.は眉間に皺を寄せながら呟く。
視界不良の道を走るのは一流のドライバーでも困難だ。地下のため風も少なく、煙が晴れるまでに時間が掛かる事も考えればここで大きく追手を引き離す事は可能だろう。
しかし一方で、ここが新宿である事がC.C.の懸念を大きくしていた。
先の新宿事変のせいで、このゲットーにはもう殆ど人が住んでいない。
そのため自分が毒ガスとして盗まれた時のように関係のない住民を巻き込む心配がない事は喜ばしいが、逆に人がいないため逃げる自分達の存在が目立ってしまうデメリットがある。
目視できない距離まで逃げても車のエンジン音ですぐに位置がバレる上に、地上に出ればよほど距離が開いていない限りヘリに捕捉されてしまう。
この状況下では、一度煙幕によって追手を撒けたからといって、それだけで逃げ切れると考えるのは楽観だろう。
首尾よく逃走を成功させられる可能性は、甘めに見積もってもおそらく5割を切っている。
本来なら新宿以外のゲットーに逃げ込むのが最善だったのだが、距離の関係でその選択肢を排除せざるを得なかった己の不運をC.C.は内心で呪った。
――希望的観測は捨てろ。いま考えるべきは、最善ではなく最悪。ルルーシュにとって、スザクにとって、そして何より私にとって、最も避けなければならない事態とはなんだ?
余計な思考を排除し、C.C.は己に問う。
自らの目的。そのための手段。予想される未来。交わした約束。
ここで切り捨てるべきものは、不都合な結末を回避するために優先するべきものは何か。
逃れられない取捨選択から目を背けず、あらゆるものを天秤にかける。
私にとって、一番大事なのは――!
めくるめく思考に凝縮された時間が過ぎ去り、C.C.は決断する。
車を走らせながら条件に合う場所を探し、それは幸運な事にすぐに見つかった。
「……逃げ切ったんですか?」
まだ追手が近付いてきていない事を確認してC.C.が車を停めると、揺れが収まった事に気付いたナナリーが恐る恐る訊ねてくる。
「いいや、まだだ。だが車を降りるぞ」
「えっ、でも……?」
まだ追われているのになぜ、という疑問を顔いっぱいに浮かべるナナリーには答えず、C.C.は手早く車内を移動してナナリーのシートベルトを外す。
「時間も必要もないから車椅子は置いていく。抱きかかえるぞ、しっかり捕まれ」
「は、はい」
状況が分からないナナリーは、言われるがままにC.C.の身体にしがみつく。
C.C.は車を出て走り、目的の場所にしゃがみ込む。
そこは瓦礫が積み重なって、大人二人程度なら身を隠せるような手狭な空間だった。
覗き込めばすぐに人がいるのは分かるが、道なりに車を走らせていたのでは絶対に気付けないような死角となっている。
C.C.は片手でデコボコな地面を平らにならし、その上にゆっくりと少女を下ろした。
「ナナリー。お前はここで、スザクを待て」
「えっ?」
どことも知らない場所に座らされ、逃げていたはずがいきなり迎えを待つように告げられたナナリーは、訳が分からず戸惑った声を上げる。
「スザクさんを? どういう事ですか?」
「理由を話している時間はない。これを持っていろ。ルルーシュ特製の発信器がついているから、必ずスザクが見つけてくれる」
そう言って、C.C.は自分の携帯をナナリーに渡す。
マオ捜索の際に別行動になるからと持たされたC.C.の携帯は、ルルーシュとスザクが持っている受信機に常に現在地が表示される仕様になっている。C.C.がマオと決着をつけに行った際に、ルルーシュが自分の居場所を特定できたのもこの発信器がついた携帯を持っていたためだ。当然だが発信器がついている事は事前にC.C.にも知らされており、もしC.C.がその気になればいつでも破棄してもいいという条件で渡されていた。ちなみにナナリーに同じものを持たせなかったのは、彼女には必ず誰かが傍についており、一人になる機会そのものがなかったからというのが大きい。
まさかこんな風に使う事になるとは想像もしていなかったが、大切な妹を守るためなら
「怖いだろうが少しの辛抱だ。それまでは動かず騒がず、ここでじっとしていろ。そうすれば必ずスザクが迎えに来る」
「し、C.C.さんはどうされるのですか? まさか、一人で行かれるのでは……!」
早口に今後の行動を指示するC.C.に、彼女が何をしようとしているのか気付いたナナリーが蒼白な顔で訊ねる。
やはりルルーシュの妹だけあって頭の回転は悪くないと、こんな事態にも関わらず感心しながら、C.C.は軽い口調で答えた。
「心配するな。後で必ず合流するさ。ただ私が本気で軍を撒くために運転してはお前の身体が持たないから、一時的に別れるだけだ」
嘘ではないが決して本音でもない、建て前を取り繕った返答。
それを察せないほどナナリーはもう子供ではない。
C.C.もバレている事には気付いていたが、反論を許すつもりはなかった。
納得できるまで懇切丁寧に説明して説き伏せるには、時間も余裕も足りない。
だからC.C.は早々に説得を諦めて、これからに必要な言葉だけを伝える。
「さっきも言ったがナナリー。お前は強い。だから私と合流するまでの間、スザクの事を頼んだぞ。ああ見えて打たれ弱いあいつを、お前が支えてやれ」
「そんな、C.C.さん……!」
「私は行く。また後でな、ナナリー」
「あっ、待って!」
ナナリーの制止を背に聞きながら、C.C.は車へと戻る。
歩けないナナリーに追ってくる手段はない。卑怯なやり方だが、これで彼女にはスザクを待つ事しかできなくなった。
エンジンを掛けて車を発進させたC.C.は、運転しながらルルーシュが緊急用に用意していた電話を取り出してスザクに掛ける。
『C.C.!』
つながったと同時にスザクの大声が耳朶を打つ。
律儀にそれに答えている余裕はなく、C.C.は一方的に電話口に向かって叫んだ。
『いますぐ私の携帯を追跡してナナリーを保護しろ!』
一瞬の沈黙。
だがすぐに焦りに満ちた声が返ってくる。
『どういう事! いまどこ? ナナリーは一緒なの!?』
『詳しく話している余裕はない! 急げよ! 事は一刻を争う!』
それだけ告げ、C.C.は通話を切った電話を窓から車外に投げ捨てる。
バックミラーでまだ引き離した追手が近付いて来ていない事を確認して、ペダルをさらに強く踏み込んだ。
「いまはスザクに、今後はナナリーに期待というところか?」
冷や汗を浮かべながら、C.C.は独り言を呟く。
そしていつものように皮肉気に口角を吊り上げた。
「ナナリーはともかくあんな小僧に期待とは、私も焼きが回ったものだな」
見覚えのある道を見つけたC.C.は角を曲がって、光が射す方へとハンドルを切る。
「頼んだぞスザク。私をルルーシュのような嘘つきにはしてくれるな――――よ!」
今更どの口で言うのかと内心で自嘲しながら、最後の言葉と共に地下から地上へと飛び出す。
本来なら地上に出るのはとても賢い選択とは言えない。
まだ地下を大した時間走っていない事もあり、ヘリの捜索範囲から逃れられるほどの走行距離は稼げていないからだ。
一時的にでも追手を引き離せたのなら、そのまま地下を走って捜索範囲外に逃げるのが最も理に適っている。
しかしそうできないわけがあった。
「さすがはコーネリアの子飼いといったところか」
地上に出て数分も経たずにこちらを補足して追い掛けてくるヘリが一台。
おそらくすぐに情報は共有され、他のヘリや車も集まってくるだろう。
それこそがC.C.の思惑通りだと知らずに。
この車を補足している限り、軍はどこまでも追ってくる。本来の目標であるナナリーから引き離されている事にも気付かずに。
後はスザクがナナリーを見つけ、新宿から離れるだけの時間を稼げばいい。
そしてたっぷり時間稼ぎをした後は、追っ手を撒いて逃げ切るだけだ。
「さて、正念場だな」
前者はもちろん、後者がどれほど困難かを想像し、しかしC.C.は挑戦的な笑みを浮かべる。
奇しくも再び新宿で、彼女は命懸けの追いかけっこに身を投じた。
久しぶりの主人公登場回。
というか、久しぶりの投稿です。
大変お待たせ致しました。
少しだけ内容に触れさせてもらうと、原作アニメR2のナナリーの不幸は、等身大の自分と向き合ってくれる対等な存在がいなかった事も大きかったのかな、なんて思いました。ナナリーの純粋なところや潔癖なところが悪い方向にしか働かなかったというか、それを利用するような人間がよりにもよって身内にいた事が彼女の最大の不幸だったのかもしれませんね。
というわけで逃走回でした。
停滞していた状況がようやく動き始めましたね。
次回予告は諸事情によりなしです。
ご容赦を。
書き溜めも終わったので、これからは推敲が終わり次第、順次投稿していく予定です。
PCがぶっ壊れたとかでもない限り(バックアップは取っていないので)話が一段落つくまでは投稿できるかと。
大体1週間周期くらいで投稿していければいいなと思ってます。