行きとは比べ物にならないほどの慎重さでバイクを運転し、スザクはナナリーを連れて隠れ家へと帰った。
といっても、この建物はいままでスザク達が使っていた隠れ家ではない。
一度軍に捕捉されてしまった以上、戻るのは危険と判断してC.C.が契約だけ終えていた別の隠れ家に潜伏先を移したのだ。
こういう事態に備えて最低限の家具や物資は揃えていたため、ひとまずスザクは3人掛けのソファにナナリーを下ろす。予備の車椅子も別の部屋に用意してあるので、後で綺麗に拭いたら持ってこよう。
「ナナリーはここで少し休んでて。僕はC.C.に連絡してみるね」
それだけ告げてスザクは一度部屋を出る。途端に無茶な運転や心的疲労のせいで身体がぐっと重たくなるのを実感するが、この状況で呑気に休んでいる暇はない。
何かあった時のために家の構造を確認しながら携帯を取り出して着信履歴を開く。C.C.の携帯はいまナナリーが持っているので、数時間前に掛かってきた番号にリダイアルする。
しかし返ってきたのは電源が切れている事を告げるアナウンスだけ。
半ば予想通りの結果だが、それでも湧き上がってくる焦燥を抑えるために強く拳を握る。
何度か深呼吸して気持ちを落ち着け、家の構造の把握を終えたスザクは用意していた車椅子を押してナナリーの元へと戻る。
「スザクさん。C.C.さんはご無事でしたか?」
気配でスザクが戻ってきた事に気付いたナナリーが訊ねてくる。
ルルーシュがいなくなってから3日、ナナリーは殆どの時間をC.C.と過ごしていた。
状況が状況だけに何も考えず仲良くとはいかなったようだが、それでも真相を明かしてからというもの、自分達に対してどこか壁を作っていた彼女がC.C.相手にだけは気兼ねなく会話していたのをスザクは見ている。
そんなC.C.が自身を守るために危険に飛び込んだのだ。心配するのも当然だろう。
「電話は通じなかったよ。まだ逃げ続けてるのかもしれない」
「そう、なんですね……」
目に見えて沈んだ表情を見せるナナリー。
その顔色は血の気が失せていた。
「じゃあもしかしたら、C.C.さんはもう捕まってしまっているのでは……」
「大丈夫だよ。C.C.はああ見えて修羅場を潜ってきてるみたいだから。きっとブリタニア軍の追跡なんて振り切って帰ってきてくれるさ」
白々しいと感じながらも、中身のない気休めを口にする。
冷静に考えて、C.C.が軍から逃げ切れる可能性は決して高くない。
逃走に時間が掛かれば掛かるほど彼女を追う軍の追手は増える上に、突発的な逃走劇のため彼女は逃げ込んだ先のゲットーの地理すらまともに把握していないだろう。そんな状況下では、どんなに訓練を積んだ人間だったとしても軍の追跡から逃れるのは難しい。
おそらくそれが分かっていたからこそ、C.C.はナナリーだけでも逃がそうとしたのだろう。
「スザクさん、私の事はもう大丈夫です。だからC.C.さんを助けに行ってあげてください。きっといまならまだ間に合います」
気休めを鵜呑みにせず、ナナリーは切実に訴えてくる。
しかし残念ながら、その思いに応える事はできなかった。
「……ごめんナナリー。それは無理なんだ」
「どうしてですか!?」
「連絡がつかないと、僕もC.C.がどこにいるのか分からないんだ。闇雲に捜しても見つかるとは思えないし、もしC.C.が軍から一時的に逃げ延びて隠れてるなら、見つける事が逆に危険を呼び込んでしまうかもしれない」
忘れてはならないのが、スザクも軍に追われるお尋ね者だという事だ。
軍の人間が大勢いるところに無策で飛び込んで捕まりでもすれば、ただ事態を悪化させる結果になりかねない。そしてそれこそが最悪の結末なのだ。
思えば、最初からC.C.はその可能性こそを最も危惧していた。
だから彼女はスザクを眠らせ、一人でナナリーを捜しに行ったのだ。
「そんな……私のせいで、C.C.さんが……!」
青ざめた顔でナナリーが身体を抱えるように二の腕を抱く。
スザクは駆け寄って彼女の隣に座り、その肩の上に手を置いた。
「違うよナナリー。君のせいじゃない」
「でもC.C.さんは私を庇って、いまも危ない目に遭っているんです」
「それも違う。C.C.がこんな事になってる原因は他にあるんだ」
「違いません! 私があんなに注意されていたのに、勝手に出て行ったからC.C.さんは……! 私が悪いんです。私が……私が勝手な事をしたから! C.C.さんだけじゃありません。お兄様が捕まったのだって――!」
「そうじゃない!」
突然の怒鳴り声にナナリーの身体がビクッと震える。
「違うんだ、ナナリー。君は何も悪くない。悪いのはナナリーじゃなくて……!」
「……スザクさん?」
取り乱すナナリーを強く否定し、スザクは何かを言い掛けて言葉に詰まる。
続きを告げる事を怖がるように唇を噛み、無意識に彼女の肩を掴む手に力が込められた。
そんなスザクの変化を、人の感情を読み取る事に長けているナナリーは敏感に感じ取る。
「ごめんナナリー。全部、僕のせいなんだ……!」
ナナリーの肩から手を離し、自分の髪をクシャリと握り潰してスザクは悔恨に満ちた告白を落とした。
いままで彼女の前でだけはかろうじて保っていた虚勢の仮面が、とうとう限界を越えて剥がれ落ちる。
「僕がC.C.に言われた通り冷静に動けていれば、こんな事にはならなかった。ちゃんと変装して、一緒にナナリーを捜していれば、軍に見つかってもなんとかできたはずなんだ!」
C.C.の判断は正しかった。
あそこでスザクが考えなしに飛び出してナナリーを捜していても、事態は決して良い方には転がらなかっただろう。
冷静に思考を巡らせ、最適な行動を取る事ができたC.C.だからこそ、軍より先にナナリーを見つけ逃がす事ができた。
だからこそ、あの場面でC.C.の言葉に耳を貸さなかった自身の短慮を、スザクは許せない。
焦るな。落ち着いて行動しろ。お前の考えなしの行動一つでルルーシュは死ぬ。
そう何度も戒められていたのに、結局自分は何一つ守る事ができなかった。
「桐原さんの事だって、黒の騎士団の事だってそうだ! 僕がルルーシュみたいに先の事まで考えられていれば、なんとかできた。ここにいるのが僕じゃなくてルルーシュだったら――捕まったのが僕だったら! こんな事態に陥る事も、いまみたいに何もできずただ手をこまねいてるなんて事もなかったんだ!」
一度溢れ出せば止まらない悔恨が。自身に対する憤りが。口にしてもどうにもならない過ちと無力を責め立てる。
必ず守ると、そう誓ったのに。
いつも肝心な時に、自分はその場に居合わせる事すらできない。
今回のナナリーの件だけじゃない。成田の時も、ルルーシュがブリタニアに囚われた時だってそうだった。
枢木スザクという男は、いつだって最も大事な場面で判断を誤り、取り返しのつかない事態を引き起こす。
それで割を食うのは自分ではなく、大切な者だというのに。
「何もかも僕が悪いんだ……僕のせいで、ルルーシュもC.C.も危険な目に追い込まれる!」
握られた拳が、行き場の失った激情をぶつけるように自身の膝を打つ。
「ごめんナナリー。君とルルーシュだけは何があっても守るって決めたはずなのに、それが僕のたった一つの誓いで、願いだったのに……! 僕は――
決して口にしないと決めていた――友と交わした約束を反故にする言葉が――零れ落ちる。
噛み締めた唇から血を流しながら本音と共に漏れ出たその言葉は、どんなに拭っても洗い流そうとしても、決して消えない深い悲嘆を湛えていた。
大切な者が失われるかもしれない恐怖。どれだけなんとかしようとしても悪くなっていくだけの状況。己の無力と愚かさの自覚。もはや何をすればいいのかも分からない孤立無援の立場。
自責の念が心を押し潰し、抑えきれなくなった剥き出しの感情が堰を切ったように止めどなく呪詛となって溢れ出す。
あるいはそれは、過去に父を殺し、取り返しのつかない悲劇を生み出してしまったあの時よりも、深く大きな絶望だったかもしれない。
幼い衝動でやり方を誤ったあの頃とは決定的に違う。自分の言動が大切な人の死を招くかもしれないと自覚していながら、スザクは正しい行動を取る事ができなかった。
そしてその結果が、これだ。
唯一の頼れる存在だったC.C.さえ失い、もはやルルーシュ救出の光は見えない。
僕のせいで、きっと二人は――――
抉れた地面が雨で水たまりを作るように、暗く深い闇が傷だらけのスザクの心を満たしていく。
いままでは必死になって心の外に掻き出していた、絶望という闇に抗う気力などスザクにはもう残されてはいなかった。
闇が満ちれば、スザクは本当の意味で残酷な現実に膝を屈する事となる。
あの日。無惨な死体の山を見て立ち止まってしまった幼きスザクが、涙を流して崩れ落ちそうになってしまった時のように。
己と、己の大切な者の命さえ、諦めて。
「スザクさん」
だがあの日と同じように、スザクの心が絶望に染まり切る事はなかった。
柔らかい声が耳朶を打つと同時に、陽だまりのような温もりが頬に添えられる。
それは闇で満たされようとした心に一筋の光を与え、絶望に沈みそうだった器ごとスザクをそっと掬い上げる。
あの幼き日と何も変わらない温かさで。
「そんなに悲しい事を言わないでください」
スザクがゆっくりと顔を上げてこちらを見たのを、手に伝わる感触からナナリーは感じ取る。
その心中がどれほど荒れ狂っているのか、深い痛苦に喘いでいるのか、スザクではないナナリーには全てを理解する事などできない。
だがそれでも、スザクが叫んだ言葉を受け入れる事がナナリーにはどうしたってできなかった。
「憶えていますか、スザクさん」
スザクの視線がこちらに向いているのを確かに感じながらナナリーは語り出す。
「私がスザクさんのお父様と婚約しなきゃならないって話を聞いて、怖くて逃げ出してしまった時の事を」
あれはまだ日本に送られて間もない頃。
母親が死に、目が見えなくなってすぐだった事もあり、兄がいてくれたとはいえ凄く心細かった事を憶えている。
そんな折に聞いてしまった、結婚話。
将来はお兄様と結婚するなんて信じていたあの頃の自分は、びっくりして、怖くなって、何も考えずに逃げ出した。
「あの時、スザクさんの秘密基地に落ちてしまった私を、スザクさんが見つけてくれました」
地面に掘られた穴倉に落ちた衝撃で気絶してしまい、目覚めるとスザクが自分の名前を呼んでいた。
あの時の事は、いまでもたまに思い出す。
目覚めた私の無事を確認して安心したのか、スザクはここが自分の秘密基地で食料や武器なんかも持ち込んでいるのだと嬉々として語り出した。
細かい内容までは忘れてしまったけれど、スザクと話しているうちに怖い気持ちなんてどこかに飛んで行っていって、いつの間にか声を出して笑っていた。
あの時、確かに私はスザクさんに救われた。
そしてお兄様も、お母様が亡くなってから笑わなくなっていたのに、スザクさんのおかげで笑うようになった。
だから――
「スザクさんが何も守れないなんて、そんなの嘘です」
「――――」
「子供の頃も、それにいまも、私とお兄様はスザクさんにずっと助けられてきました。スザクさんがいなかったら、私達はきっといまも、ずっと笑えないままでした」
人の体温は涙に効く。
母であるマリアンヌが教えてくれた言葉を思い出しながら、ナナリーはスザクの頬から手を離さない。
触れた手に涙の感触はない。
だがナナリーには、スザクが確かに泣いていると分かった。
「お兄様もそう思っています。だから自分を責めないであげてください」
「ナナリー……」
震える声で、スザクが名前を呼んでくれる。
しかし直後に、ギリっと歯を食いしばる音が聞こえてきた。そして連動するように強張った肌の感触に、ナナリーは自分の言葉がスザクに届かなかった事を悟る。
決して軽い気持ちの言葉ではなかった。口にしたのは全て本心であり、気休めなど言ったつもりはない。
だがそれらを跳ね除けてしまうほどに、スザクの心に根差した闇は深い。
悔恨、悲嘆、憤り、自己嫌悪、形にならない強い負の思いが手の平を通して伝わってくるようだった。
それを悲しく思うと同時に、ナナリーは思い知る。
きっとシャーリーと話した時の自分も同じだったのだろうと。
負い目があるから、責める理由を無理やりにでも見つけて自分を追い詰める。
他人の言葉にも聞く耳を持たないで、ひたすら殻に閉じこもる。
失意の底に沈むスザクの姿は、きっと鏡に映るナナリーの姿そのものだ。
「ナナリー、だけど僕は――」
「それに謝るなら、私の方です」
「えっ……?」
湧き上がってくる慙愧の念に言葉が勝手について出る。
悔恨に囚われる有様は同じはずなのに、その中身が自分とスザクでまるで異なっている事にナナリーは気付いていた。
愛する兄の話も碌に聞かず自暴自棄になった自分と、兄と自分のために一生懸命だったスザク。
彼と比べて、自分の後悔はなんて醜いのだろう。
「スザクさん」
頬に添えていた手を、今度はきつく握られた拳へとナナリーは重ねる。
それはナナリーも無意識の、後ろめたさからの行動だった。
スザクと正面から向き合って口にする勇気が、ナナリーにはなかった。
だがそれでも、言わなければならない事は分かっていた。
先程とは違い、どうにもならなかった事への罪悪感からではなく、何も知ろうとしなかった愚かな自分を悔い、ナナリーは謝罪の言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい。スザクさんがこんなにも必死に頑張ってくれていたのに、つらい思いを隠して気遣ってくれていたのに、私は自分の事ばっかりで、それに気付きもしませんでした」
「そんな、ナナリーは悪くないよ! 悪いのは……!」
「スザクさんじゃありません。そんな事、私が絶対に言わせません」
「――――」
強い口調で、ナナリーはスザクが続けようとした言葉を否定する。
スザクが何をしていたか、どんな失敗をしたかは知らない。
だけどそれが誰のためだったかは、聞かなくても分かるから。
そしてナナリーには、それだけで充分だった。
「スザクさん。ありがとうございます」
ありのままの思いと共に頭を下げる。
本当はもっと早くに言うべきだった。なのにゼロを――黒の騎士団をやめてほしいという願いを拒絶されてからというもの、自分達の距離感は以前とは変わってしまい、話す言葉もどこか腫物に触れるような上っ面のものになってしまっていた。
だからこんなにも簡単な事すら伝えられていなかった。
「私とお兄様のために、ボロボロになってまで戦ってくれていたんですよね。私が心配しないように苦手な嘘までついて」
思い返してみれば、容易く気付く事ができる。
関係がぎこちなくなってしまってからも、スザクは常に自分を気遣い、守ってくれていた。
交わす言葉は少なくなっても、スザクが向けてくれる優しさには何一つ変わりがなかった。
「お兄様とスザクさん、それからC.C.さんのおかげで、ようやく気付く事ができました。嘘って、優しい嘘もあるんですね」
それに比べて、自分はどうだろう。
打ち明けられた事実を受け止めきれず、反発して答えも出せないまま殻に閉じこもるばかりで、その挙句に暴走してとんでもない事態を引き起こしてしまった。
守られている自覚すらなく。ただ与えられた平穏を甘受するばかりで。
今回の件だけじゃない。振り返れば、いつだって自分はそうだった。そうやって生きてきた。
身に余る惜しみない愛情を注がれながら、それを返す努力もしなかった。
「でも、もう大丈夫です」
だからそんな自分は卒業しなければいけない。
「スザクさんが優しい嘘なんてつかなくても良いように、私は強くなります」
スザクの手と重ねていない方の手を胸に当てて、ナナリーは静かに決意する。
いままで考えた事もなかった、変わりたいという願いと共に。
打ちひしがれるスザクの声に、嘘をつかれて騙されるより、嘘をつかなければならない事の方がつらい場合だってあるのだと知ったから。
「お兄様が捕まって、C.C.さんが助けてくれて、スザクさんがこんなになるまで頑張ってくれているのに、私だけ守られたままなんて嫌です。見えない事を言い訳にして、大切な人が傷付いている事からも目を背けるのは、もう嫌なんです」
お前は強いと、C.C.はそう言ってくれた。
それに胸を張って頷けるような自分になりたい。
いまのままでは、全然足りないから。
C.C.に、兄に、誇らしく思ってもらえるような立派な人間ではないから。
「スザクさん、話してください。スザクさんのつらい気持ちも苦しい思いも全部。私は何もできないかもしれません。でもきっと、悲しい気持ちや悔しい思いを分かち合う事はできます」
これまでの自分は、盲目である事に甘えて何も見ようとしてこなかった。
自分達兄妹の立場も、ブリタニア人と日本人の関係も、世界の残酷さも、何もかもから目を背けていた。
母が目の前で亡くなったあの悲劇がまた繰り返される事に怯えて、怖い事なんてもう自分には起きないのだと、そう言い聞かせてずっと逃げてきた。
そしてそれを証明するように、母の事件以降は怖い事から無縁でいられた。
でも、本当は分かっていたのだ。
いつだって兄が守ってくれていたから、怖い事はなかったのだと。
気付ける兆候はいくらでもあった。
自分達が国を離れるのにお別れすら言いに来てくれなかった父と異母兄弟。兄に背負われながら逃げている時に聞こえた悲鳴や爆音。租界に出ると耳にするイレブンに対する暴言や侮蔑の言葉。
いくら兄が遠ざけようとしてくれても、全てをシャットアウトする事などできはしない。
だからナナリーは、それらに気付かないふりをした。
気付かなければ、自分を取り巻く世界は優しいままだったから。
目が見えない事実を良い事に、怖い事から目を背け続けた。
でも、それではもうダメなのだ。
目を背けた先で、自分を守るために兄や大切な人が傷付いているのだと知ってしまったから。
弱いまま、優しい嘘に守られているだけでは、きっといつか
「私はもう逃げません。強くなります。ならなきゃいけないんです」
動かない足で立ち上がる決意を。
見えない目で真実と向き合う覚悟を。
ナナリー・ランペルージは己の心に誓った。
強い意志で語られた少女の決意表明に言葉を失う。
その胸の内は、スザク自身でも理解できない温かな安心感に満たされていた。
理由も分からない心の機微に翻弄されながら、スザクは目の前の少女から目を離せない。
ずっと守るべき対象だと思っていた少女は、見た事もない毅然とした表情をしていた。
その顔は彼女の兄が見せる表情とそっくりで。出会ってから初めて、スザクは二人の血のつながりを実感した。
「ナナリー、君は……」
何を言おうとしたのかはスザク自身も分からない。
ただ無意識に口から溢れ出す言葉を吐き出そうとして、しかしそれは思わぬ横槍によって遮られた。
『――――』
ポケットに入れていた携帯が着信を告げる音を響かせる。
取り出して発信先を確認すれば、そこには非通知の文字。
「もしかして、C.C.さんからですか?」
幾分か緊張した様子のナナリーの問いに、スザクは首を振る。
「分からない。そうかもしれないけど、違うかもしれない」
このタイミングで電話を掛けてきた事を考えれば、その相手はC.C.である可能性が高い。
しかし安易にそんな希望を信じられるような状況ではなかった。
「とにかく出てみるね。ナナリーはここにいて――」
「待ってください。私にもお話を聞かせてはいただけませんか?」
立ち上がって部屋から出て行こうとするスザクをナナリーが呼び止める。
「それは……」
「お願いします。スザクさん」
難色を示すスザクの言葉を待たずに、ナナリーは前のめりに頼み込む。
その固い意志の表明に、スザクも覚悟を決める。
「分かった。でも相手が誰でも、何を聞いても、声は出さないで。いいね?」
「はい!」
意見が通った事に顔を綻ばせるナナリーを横目に、スザクは携帯をテーブルに置く。
深呼吸して心を落ち着かせ、通信ボタンを押してスピーカーフォンをオンにする。
『……もしもし』
相手が誰かも分からないため、こちらからは名乗らない。
するとすぐに、聞き慣れない男の声が電話越しから聞こえてきた。
『夜分に失礼する。私の名はジェレミア・ゴットバルト』
名乗られた名前に聞き覚えがある気がしてスザクは一瞬だけ記憶をさらうが、どこで聞いた名前なのかは思い出せなかった。
『最初に言っておく。私は貴殿の名を聞く事を許可されていない。よって貴殿からの自己紹介は不要だ』
スザクの返答を待たずに、ジェレミアが一方的に告げる。
元々名乗るつもりはなかったが、その言い回しが気に掛かり慎重にスザクは問うた。
『許可されていないというのは、誰からですか?』
口ぶりから察するにジェレミアは誰かからの指示で電話を掛けてきたらしいが、そもそもこの番号は知る者が限られている。
敵か味方か、それを見極めるためにもジェレミアの裏にいる人物を知らなければならない。
今度こそ冷静にと、そう言い聞かせながら心を律するスザクの問いに返ってきたのは、期待をしていながら予想外の答えだった。
『我が主、ルルーシュ様からである』
『――――!』
思わず息を呑む。隣ではナナリーも声を上げそうになって両手で口を押さえていた。
可能性を考えていなかったわけではないが、限りなくあり得ないと思っていた相手の名前にスザクとナナリーの表情が明るくなる。
『貴殿にルルーシュ様から伝言を預かっている』
『伝言?』
『そうだ。“Sの13”と』
『っ……!』
ジェレミアから伝えられた符丁に、スザクが息を吞む。
『話は以上だ。これより1時間後に再び連絡する。その時には貴殿から指示を受けよと、そう命じられている』
伝言を終えると、ジェレミアは早々に伝達事項を告げて、こちらからの返答を待つように沈黙した。
『……分かりました』
『それではまた1時間後に。失礼する』
あっさりと、通信が切れる。
わずか数分にも満たないわずかなやり取り。しかしその内容は手詰まりだった状況を劇的に変えるほどのものだった。
「スザクさん、お兄様はやっぱりご無事で……!」
振り向けば、目元に涙を浮かべたナナリーが抑えきれない思いを顔いっぱいに浮かべていた。
その気持ちが痛いほど理解できて、スザクも涙を堪えて頷きナナリーの手に自らの手を重ねた。
「うん! ルルーシュは無事だよ。間違いない」
「――――! 良かった……お兄様、本当に良かった……」
重ねられた手をおでこに当てて、ナナリーは身体を震わせながら安堵の声を漏らす。
きっと、ずっと不安だったのだろう。
ルルーシュがブリタニアに捕まったと聞いて、あれだけ注意されていたのにも関わらず後先考えずに飛び出してしまったくらいだ。ナナリーがどれだけ兄の事を心配し、無事を願っていたのかは想像するに余りある。
かくいうスザクも、十中八九ルルーシュがテロリストではなく皇族として連れ戻されたと分かっていても、最悪の想像を捨てる事はできていなかった。
もしかしたらゼロとして酷い拷問を受けているのではないか。拷問とまではいかずとも、皇族でなくなったルルーシュが劣悪な待遇で囚われているのではないか。何せ10歳にも満たない子供を人質として敵国に送るような国だ。ルルーシュからさわりだけ聞いた悪意と欲に塗れた宮廷事情も鑑みれば、まともに扱われる可能性の方が低いようにも思えた。
しかし囚われていながらも人を使って伝言を届けられるなら、ルルーシュはおそらく皇族として遇されている公算が高い。
もちろんまだ酷い扱いを受けている可能性がないとは言えないが、それでもいまのスザクとナナリーが希望を持つには充分すぎる情報だった。
「スザクさん。先程の“Sの13”とはなんなんですか?」
しばらくして落ち着いたナナリーが、先程の電話で理解できなかった部分を訊ねる。
なんらかの指示か合言葉だとは分かるが、黒の騎士団の活動に関しては一切聞かされていないナナリーにはそれがどんな意味を持つ言葉なのかは分からない。
それを知るのは、ルルーシュから作戦の全てを共有されているスザクだけだった。
「あれはルルーシュが自分が捕まった時のために用意してた緊急指示の一つだよ。内容は『敵内部に協力者を作れた場合の対応』だね」
「つまり先程の方は、お兄様の味方なのですね?」
スザクの言葉に被せるように問うナナリーの声は感情を抑えられないとばかりに弾んでいた。
「うん。少なくとも敵って事はないと思う」
ルルーシュの残した指示書の内容を思い返しながらスザクは頷く。
ブリタニアにルルーシュが捕まってからというもの暇さえあれば読み直していたため、指示書の内容は大体頭に入っている。特に“S”の項目はルルーシュが囚われた際の指示だったため殆ど丸暗記していた。
「ではその方と協力すれば、お兄様を助け出せるんですか?」
ナナリーが期待を込めて問うてくる。
しかしスザクは、その問いに表情を暗くする。
「……それはまだ、なんとも言えない。あのジェレミアって人が信用できるかどうか分からないから」
状況が好転したからこそ、スザクは安易に希望に飛びつこうとしてしまう自らの思考を戒めた。
ルルーシュが囚われ、C.C.までいないこの現状は、もはや後がない。
感情のままに行動して失敗する、そんな愚にもつかない無様を二度と犯すわけにはいかないのだ。
「お兄様は信用できると考えたから、伝言を任せたのではないのですか?」
不安そうにナナリーが訊ねてくる。
彼女からすれば、スザクが何をこんなにも警戒しているのかが理解できないのだろう。
「そうだと思う。でもルルーシュの指示書に書いてあったんだ。『俺が信用したからといって、そいつを最初から味方だとは考えるな。お前の目から見ても信用できると確信しない限り、常に警戒し続けろ』って」
「――――」
用心深いルルーシュの指示に、そこまで疑わなければならないほど危険な状況なのだと再認識したナナリーが息を呑む。
ブリタニアに囚われてしまったルルーシュを助け出そうとしているスザクにとって、協力者という存在は行き詰ってしまった状況を打破する希望の光だ。しかしその選定を見誤れば、希望の光はたちまち全てを呑み込む絶望の闇へと姿を変える。
もし協力者がブリタニアの手先なら、スザクとナナリーはたちまちルルーシュと同じように囚われてしまうのだから。
「ジェレミア・ゴットバルト……」
電話の最中には思い出せなかったその名前を、スザクは既に自身の記憶から見つけ出していた。
成田でC.C.によって暴走させられていた機体、そのパイロットが錯乱しながら名乗った名前だ。
あの時のパイロットはC.C.の謎の力によって過去のトラウマを見せられていた。そしてそんなパイロット――ジェレミアが口にしたのは、ルルーシュとナナリーの名前。
うわ言のように泣きながら謝罪を繰り返していたあの言葉が嘘だとは思えない。しかしそれだけで味方だと断ずるのは早計過ぎる。ルルーシュが言っていたように、彼らの母親の暗殺にジェレミアという男が関わっている可能性もあり、ともすればその事件に関わるなんらかの理由からルルーシュとナナリーの命を狙っていたとしても不思議ではないのだから。
「“Sの13”か」
そしてスザクが安心できない大きな理由が、ジェレミアを通して伝えられた指示の詳細だった。
正確には指示の詳細というより、ルルーシュが指示したのが“Sの14”ではなく“Sの13”だったという事実が、スザクの警戒心をより引き上げていた。
“Sの13”と“Sの14”の違い。それはルルーシュが協力者にスザクや黒の騎士団の事を話しているか否かという点だ。そして今回の場合、電話でジェレミアという男がスザクの名前を聞かなかった事からも分かるように、相手はルルーシュとその仲間がテロリストである事実を知らない。あくまでも皇族であるルルーシュに従って動いているという事になる。
つまりもしジェレミアが本心からルルーシュに協力していたとしても、テロリストであるスザクと手を組む事を良しとはしないかもしれないのだ。むしろ相手が軍人である事を考えれば、その可能性は極めて高いと言えるだろう。
おそらくルルーシュはそこまで含めて信用できるか見極めろと言外に伝えてきているのだろうが、スザクの懸念はそれだけではなかった。
「……」
横目でチラリと、何かを考え込んで表情を強張らせているナナリーを見る。
ジェレミアが信用できるのかできないのか。それを見極めるためには、スザクが直接会って話す必要がある。しかしスザクがジェレミアに会いに行けば、必然的にナナリーをこの隠れ家に一人置き去りにする事になってしまう。
軍から見つかってなんとか逃げ延びたこの予断を許さない状況で、自由に動く事ができないナナリーを一人にするのはあまりにリスクが高すぎた。
しかしだからといって、彼女を安心して任せられる相手などいない。もしそんな人間がいたならとっくに協力を仰いでいる。せめてC.C.がいれば話も違ったのだが、自分の短慮のせいで彼女はこの場にいない。
またしても自己嫌悪に陥りそうになる思考に歯止めをかけ、スザクは手詰まりに思える状況をなんとかできないかと必死に頭を働かせる。
本当にナナリーを預けられる相手はいないのか。短時間であればナナリーを一人にする事は可能か。いっそジェレミアに会う時にナナリーも連れて行ってしまってはどうか。
いくつもの案が頭に浮かんでは消えていく。
その中で最も現実的な案は、ナナリーを黒の騎士団のアジトに連れて行く、というものだった。
しかし日本人が大半を占める黒の騎士団でナナリーの存在がどう扱われるかの予想がつかない。
それに何より、黒の騎士団にはカレンがいる。
アッシュフォードに通っているカレンはナナリーと顔見知りであり、しかも彼女はルルーシュとナナリーが皇族ではないかと疑っている。そんなところにスザクがナナリーを連れて行ってしまえば、もう言い逃れはできない。カレンはルルーシュとナナリーを皇族だと確信するだろう。そしてそれが騎士団内で知れ渡ってしまえば、ルルーシュとナナリーは間違いなく黒の騎士団に敵として認識される。たとえ本人が日本人に対して何もしていなかろうが関係ない。それほどまでに権威の象徴であるブリタニア皇族は日本人から恨まれている。どれだけスザクが庇っても止める事はできないだろう。
そこまで考えて、スザクは黒の騎士団のアジトにナナリーを連れて行く案を破棄する。
だがどれだけ頭を捻ろうと、それ以上の代案などスザクには思いつかなかった。
――ルルーシュ、僕はどうしたらいい? 君ならこんな時、どうやって……。
ルルーシュを助けられるかもしれないチャンスをむざむざ棒に振るしかない状況に、苛立ちと焦燥から心が弱音を吐いた。
そんな時――
「スザクさん。悩んでいるなら、話してくれませんか?」
柔らかな手がそっと自身の手に重ねられる。
「私にはスザクさんの悩みを解決できる力はないかもしれません。でも、一人で悩むよりはきっと良い答えが出ると思うんです。だから一緒に悩ませてください」
重ねた手からスザクの迷いを感じ取り、その手を優しく握りながらナナリーは懸命に
「私もお兄様を助けるために、スザクさんと一緒に頑張りたいんです」
拙く、しかしそれ故に真っ直ぐな言葉だった。
スザクを気遣う気持ちと、兄を助けたいという思いがありありと伝わる純粋な言葉。
「ナナリー……」
もう逃げないと、彼女は言った。
目を逸らしたくないと、強くなるのだと、そう口にした彼女の決意を確かにスザクは聞いた。
そしてその決意を体現する一歩が、目の前にあった。
「だって私はお兄様の妹で、スザクさんのお友達ですから」
その一言で、スザクは先程感じた言葉にならない安心感と心強さの正体を悟った。
同時に自らの思い上がりに気付いて片手で顔を覆う。
――ああ、僕はどうして……。
C.C.に自分を都合の良い味方扱いをするなと言われた時、スザクはあまりの心許なさに不安で心が押し潰されそうになった。
ルルーシュを助けたいと本気で願っているのが自分だけだと、そう気付いてしまったから。
だがそんな事はなかった。
自分と同じか、それ以上にルルーシュを心配している存在は、すぐ傍にいた。
誰も味方がいないなどと勘違いした傲慢を、スザクは恥じる。
「ごめんナナリー。僕が間違ってたよ」
7年前、自分とルルーシュに守られていただけの女の子は、きっともうどこにもいない。
いつの間にか兄と同じく、誰にも曲げられない強い意志を持つに至っていた少女に、スザクは憑き物が落ちたような柔らかい笑みを向けた。
「ちょっと情けないんだけど、相談に乗ってもらっていいかな?」
「――――! はい、もちろんです!」
どれだけ時が経っても変わらないものがある。
だけど同時に、変わっていくもの、成長するものだって、確かにある。
僕らはもう、なんの力もない無力な子供ではないのだから。
スザク&ナナリー回。
ようやく陰鬱だった2人の話に区切りがつきました。
正直今話は、構想段階ではこんなに重たくて長い話になる予定ではなかったので自分でも驚いています。
ジェレミアからの連絡だけでサクッと済ませる予定だったのですが、思った以上に重要な話になりましたね。
次回:名誉
出典
Sound Episode3
STAGE:0.522「秘密基地の唄」
『玄武とナナリーの婚約』
『逃げ出してスザクの秘密基地に落ちたナナリーとそれを見つけたスザク』
『その時からまた笑うようになったナナリーとルルーシュ』