その日は朝から雲一つない快晴だった。
どこまでも澄み渡る青空を見上げれば、簡単に不安に囚われてしまいそうになる心が洗われるような気持ちになって自然と笑みが零れる。
部屋を出ると既に車椅子の少女は食卓で待っていた。
挨拶を交わして席につき、用意されていた食事を2人で談笑しながら食べる。
なんて事のない朝の一時。
お互いに今日の事については触れなかった。
昔の事や彼女の兄の事、今日見た夢の話なんかをして、楽しい食事の時間は終わった。
その後は部屋に戻って、最後の準備を整える。といっても昨日の内に大体は済ませていたので、やる事と言えば最終確認と外出のための着替えと変装くらいのものだ。
用意を終えて再び部屋を出れば、玄関先で少女が待っていた。
「行ってくるね、ナナリー」
靴を履き替えた後、しゃがみ込んで彼女の手を握りながら告げる。
「はい。お帰りをお待ちしています」
答える少女の顔に、不安の色はない。
相手を安心させる、優しい笑みを浮かべていた。
それに力を貰い、スザクは彼女の背後へと視線を移す。
「僕が帰ってくるまでの間、ナナリーの事を頼みます。咲世子さん」
「お任せください。スザク様」
ナナリーの車椅子のハンドルを握っていた手を自身の胸へと移し、丁寧にお辞儀をして答えるメイド服の女性。
頼りになる答えに頷き、スザクはもう一度ナナリーへと向き直る。
「それじゃあ、いってきます。ナナリー」
「いってらっしゃい。スザクさん」
定番の挨拶を交わして、外への扉を開く。
その心は晴れ渡る空と同じく、なんの不安も迷いもなく澄み切っていた。
「ナナリーがいるのは、この場所です」
約束の日。
ルルーシュが地図を広げて指した場所を確認し、コーネリアは顔を覆うように手を当てた。
「まさかとは思ったが、本当に租界ではなくゲットーで暮らしていたのか」
「ええ。あなた達は日本人の暮らしになど目もくれませんからね」
呻くようなコーネリアの発言に眉一つ動かさず皮肉を返すルルーシュ。
ルルーシュがジェレミアに用意させた地図はこの地がエリアとなって間もなく作られたもので、地形や建物の配置を把握する用途の大雑把な地図だったが、それでもナナリーがいるという葛飾ゲットーの地理を把握するのには充分なものだった。
「こんなところにいて、本当にナナリーは無事なのか?」
意味がないと分かっていながらコーネリアの口から不安が零れる。
ブリタニアから見つからないために戸籍管理も満足にできていないゲットーに身を隠すというのは、戦略的には確かに正しい選択だろう。だがあくまでもそれは潜伏するには望ましいというだけだ。
治安も悪く、ブリタニアに恨みを持つイレブンが多く暮らすゲットーは、租界と比べて生活環境も身の危険も段違いとなる。理不尽な因縁で喧嘩を吹っかけられる事があっても不思議ではないし、そもそもまともな衣食住を整えられるような場所ではない。皇族であった二人が暮らす環境としては下の下と言えるだろう。
しかしそんなコーネリアの心配など意に介さず、ルルーシュは淡々と答える。
「心配ありません。ナナリーは俺の代わりに信頼できる人間が守ってくれているはずですから」
その表情と声音からは、言葉通り全く不安を感じ取れなかった。
妹の事を最優先に考えているルルーシュが、治安の悪いゲットーにナナリーを残していながらこれほど泰然としていられるのは、よほど信頼できる相手に彼女の事を任せている証明だろう。
まさかその相手が既に捕らえられているとは夢にも思っていないだろうが、なぜあのC.C.という女がここまで異母弟の信頼を得ているのか、コーネリアには不思議でならなかった。
それはもしかしたら、どうやってもルルーシュから信頼されない自分と彼女を無意識に比較した嫉妬だったかもしれない。
「ところで、俺の監視役は誰が?」
監視役、という単語に眉をひそめながらもコーネリアが視線を部下へと移動させる。
それを受けて体格の良い軍人が一歩前に進み出た。
「この私、アンドレアス・ダールトンが殿下の護衛を務めさせていただきます」
お手本のような礼をして自らの名を告げるダールトン。
それに視線だけで頷き、ルルーシュは続けて問うた。
「準備は終えているのだろうな?」
「ハッ。殿下のご命令があらば、いつでも出立可能です」
「ならばジェレミアから警護計画についての細かい説明を受けておけ。間もなく発つ」
「イエス・ユア・ハイネス」
ルルーシュの指示に従い、ジェレミアとダールトンが退室する。
残されたのはルルーシュとコーネリア、そして彼女の騎士であるギルフォードのみ。
普通の姉弟ならばここで軽い雑談でもするのだろうが、生憎ともはやそんな気安い関係だとはルルーシュはもちろん、コーネリアですら考えてはいない。そのため必要な事だけをルルーシュは端的に問うた。
「姉上。約束は憶えていますね?」
ピクリと、コーネリアの眉が動く。
しかしそれに対して今更何かを言うつもりもないのか、コーネリアは小さく頷いた。
「ああ」
「結構。では私も準備があるので退室させていただきます」
それ以上に求めるものなどないとばかりにルルーシュは踵を返す。
だがコーネリアの方は違ったのか、その背中を呼び止めた。
「待て」
足を止め、首だけで振り返る。
「まだ何か?」
「色々考えたのだが、お前に一つ提案がある」
「提案?」
煩わしさを隠そうともしないルルーシュに、コーネリアは迷うように少しだけ眉間に皺を寄せ、その提案を口にした。
「このエリアの総督になる気はないか、ルルーシュ?」
突拍子もないその問いに、しかしルルーシュは眉一つ動かさなかった。
真意を見定めるようにコーネリアを真っ直ぐに見返し、ゆっくりと口を開く。
「それはどういうつもりの発言で?」
「お前やナナリーにとっては、それが一番かもしれないと思ってな」
机に肘をつき、その上で両の指を組んでコーネリアは詳細を語り始める。
「無論、いますぐにというわけではない。この地からテロリストを根絶やしにし、エリア11を途上エリアから衛星エリアに昇格させた後の話だ」
「……」
「私は皇女であると同時に軍人でもある。このエリアを平定すれば、エリアを開拓するため戦場へと戻る事になるだろう。その後釜にお前を推薦したい」
コーネリアの説明を口を挟まずにルルーシュは耳を傾ける。
その表情は全く動く事がなく、ルルーシュがそれを肯定的に捉えているのか否定的に捉えているのかはまるで窺えない。
「総督となれば、お前はブリタニアの中で確かな立場を確立する事となる。昔のようにお前達を蔑ろにする者はいなくなるだろう。父上にしてもそれは同じだ」
政治の道具にされる未来を恐れている異母弟に、もうそんな危険はないのだと安心させる言葉をコーネリアは選ぶ。
少しでもルルーシュが皇族に戻る不安を払拭できるように。
「まだ再会して日は浅いが、お前が立派に成長している事は分かる。多少ひねくれてしまってはいるようだが、お前の才覚であれば充分に総督としてやっていけるだろう」
もちろん必要な事は全て教えると、太鼓判を押してコーネリアは理想の未来を語った。
「お前が総督となり、ユフィが副総督に、そしてナナリーを副総督補佐に就任させれば、お前達が望まぬ限り本国に戻る必要はなくなる。この地で穏やかに、3人で暮らしていけるだろう」
「……」
「どうだろうか? ルルーシュ」
できるならそうあってほしいという思いと共に、コーネリアは話を締めくくった。
ルルーシュはすぐには答えない。
何を考えているか読み取る事のできない紫紺の瞳をコーネリアに向け、沈黙を貫く。
そのうち静寂が重苦しくなり、質量を持ち始めた頃、ようやくルルーシュは一つの問いを発する。
「あなたはユフィに総督を譲るつもりだと思っていましたが?」
肯定でも否定でもなく、コーネリアの考えを問う言葉。
異母弟らしいその質問に、コーネリアは薄く笑う。
「察していたか……やはりお前は聡いな」
ルルーシュの言う通り、このエリアに赴任した当初、コーネリアは実妹であるユーフェミアに総督の地位を譲るつもりでいた。
もしルルーシュが生きて現れなければ、実際にそうしていただろう。
しかし――
「あの
クロヴィスがそうだった。
あの異母弟はその優しき人格のせいで内部に腐敗を招き、取り返しのつかないほど不正を横行させてしまった。
いくらコーネリアが内部を浄化し、治安と生産力を回復させて衛星エリアに昇格させようとも、締めつける者がいなければ組織というのは腐っていくものだ。ユーフェミアに総督を譲る際は優秀な補佐官をつける事でそれを補おうと考えていたが、総督自身が手綱を握れるのならそれが最適である事は間違いない。
そしてそうした適性や、ユーフェミアを預ける者という点において、ルルーシュは理想の人材といえた。
「すぐに返事をする必要はない。だが胸の内に留めておいてくれ」
ルルーシュにとっても、ナナリーにとっても、ユーフェミアにとっても、それが最善だと信じてコーネリアは話を終える。
きっと突然の話に戸惑う事はあっても、ここで暮らしていく内にいずれ分かってくれるだろうと考えているからこそ、返事を急ぐ事はしなかった。
「失礼します」
語られた内容に一切触れる事なく、丁寧に一礼してルルーシュが執務室を出ていく。
そのあっさりとした態度に、執務室の扉を見ながらコーネリアは深く息をつく。
「全く、我が弟ながら反応が読めんな」
「姫様のお心は、ルルーシュ様にも届いているはずです」
「だといいが……」
己の騎士の希望的観測に相槌を打って、コーネリアは椅子の背凭れに体重を預ける。
考え得る限りのメリットは伝えたつもりだが、ポーカーフェイスが上手い異母弟はこの提案に何を思っただろうか。
少しでも好意的に捉えてくれていればいいが、8年もの隔たりがある異母弟の思考はコーネリアには不可解にすぎた。
「ところでユーフェミア様はどうされたのですか? てっきりルルーシュ様の見送りに来られるかと思っていたのですが?」
コーネリアの憂鬱な気配を感じ取ったためか、ギルフォードが話題を変えるようにここにはいないユーフェミアの所在を問う。
「ユフィなら自分の執務室で副総督の仕事をしているはずだ。ナナリーが帰ってきた時のために早目に仕事を終わらせておきたいと意気込んでいたからな」
「なるほど。責任感が強く、お優しいユーフェミア様らしいですね」
納得したように頷くギルフォードに、コーネリアも同感だと口元を緩める。
しかしすぐに厳しい表情へと戻り、机に置かれた警護計画書と地図に視線を移す。
「念のため、ルルーシュがナナリーを迎えに行く場所をもっと詳しく知っておきたい。最新の地図はあるか?」
「少々お待ちを。すぐに持ってこさせます」
打てば響く返事をし、どこかへと連絡を取り始めるギルフォード。
数分後には葛飾ゲットーの最新の地図とそれに伴うデータが執務室に届いた。
「このゲットーの治安状況は分かるか?」
「申し訳ございません。そこまでの情報はこの短時間では準備できませんでした。しかしゲットーである以上……」
「良いわけがない、か。当然だな」
ゲットーという場所は、ブリタニアにとって価値のない土地だ。
名誉ブリタニア人にもなれないナンバーズが暮らす土地であり、そこで何があろうとブリタニアは基本的に関知しない。ナンバーズ同士のいざこざに一々介入する意義はなく、刃傷沙汰などが起こったとしても裁判どころか警察が取り締まる事すらないのが現状だ。もちろんブリタニア人が傷付けられた場合はその限りではないが、ゲットーに生粋のブリタニア人が向かう機会など滅多になく、あったとしても被害者は殆どがナンバーズなのだから、ブリタニアがわざわざ治安を維持する労力を費やすはずもなかった。
そのため取り締まる者がいないゲットーの治安は租界とは比べ物にならないほど悪い。軽い気持ちでゲットーに入ったブリタニア人が後先考えないナンバーズの暴力に遭い大怪我を負ったなんて事件も年に数件は報告されるほどだ。当然加害者のナンバーズは重い罰(最悪の場合は極刑)を受けるが、それでも事件自体がなくなる事はない。
そんな場所でブリタニア人――それも目が見えず足も不自由な少女――が暮らすのがどれほど危険な事か、それを想像してコーネリアは思わず頭を抱える。
「姫様。ダールトン将軍に話されていた件ですが、本当にあり得るのでしょうか?」
主がわざわざ地図を用意させた意味、それを察したギルフォードが信じられないという気持ちをありありと覗かせながら疑問を口にする。
その思いはコーネリアにも良く分かった。何せコーネリア自身、未だに自身が口にした可能性をくだらない杞憂だと一蹴してしまいたいと思いが消えていないのだから。
しかしどうしても拭い切れない疑念が、コーネリアに安易な否定を躊躇させた。
「あり得なければいい、私もそう考えてはいる」
「姫様……」
「だが可能性がある以上、無視はできん。違うか?」
苦渋を滲ませながら、それでも毅然と言い切るコーネリア。
その姿にギルフォードは続けようとしていた言葉を呑み込み、重々しく首を縦に振る。
「……確かに、仰る通りです。しかしもし姫様のご懸念が当たっているのならば、これは由々しき事態と言わざるを得ません」
最悪の事態を想像してギルフォードが表情を険しくする。
コーネリアも頷き肯定を返した。
「だからこそ、たとえ真実がどうであろうとルルーシュとナナリーだけはこちらで保護しなければならない。そのためにダールトンをルルーシュにつけたのだ」
最終的に結論はそこに行き着く。
コーネリアの懸念が的中していようがいなかろうが、ルルーシュとナナリーさえブリタニアに戻ってくれば全ての問題は解決する。
「ん? ここは……?」
ギルフォードが持ってきた地図とジェレミアが用意した地図を見比べ、ふと違和感を覚えたコーネリアが首をかしげるのと同時に執務室の内線が鳴った。
「私だ。何かあったか?」
受話器を手に取ったギルフォードが用件を確認する。
そちらは己の騎士に任せて違和感の正体を確かめようとするコーネリアだが、それはすぐに中断せざるを得なくなった。
「なに!?」
明らかにイレギュラーが起きたと分かるギルフォードの反応。
いくつかの問答をした後に受話器を置いたギルフォードにコーネリアはすぐに問い質す。
「何があった?」
「それが……チョウフの基地が黒の騎士団によって襲撃を受けているそうです」
「なんだと!」
ここ最近は目立った動きを見せていなかった黒の騎士団がなぜこのタイミングで、とコーネリアは拳を握る。
そんな主の疑念を察したギルフォードは、聞かれずともその答えを口にした。
「あそこには収監されている藤堂がいます。おそらく黒の騎士団の狙いは奴かと」
「処刑を延ばしたのが仇となったか……!」
つまり黒の騎士団は大人しくしていたわけではなく、藤堂救出の準備を整えていたのだろう。
こんな事ならば藤堂の処刑など早く済ませておけば良かったと後悔するも、もはや後の祭りだった。
「すぐに援軍を向かわせろ。藤堂を奪われる前に、黒の騎士団を叩き潰せ!」
「イエス・ユア・ハイネス!」
敬礼と共に各所に連絡を取り指示を出すギルフォード。
一度捕らえたテロリスト――それも戦争中にブリタニアに一度土をつけた奇跡の藤堂を逃がしたとなれば、反抗勢力を勢いづけかねない。さらには厳重な警備を強いている基地から奪還されたなど、ブリタニアの威信にも傷がつく。
ギルフォードが連絡を終えたのを見て取り、コーネリアも机に手をついて立ち上がった。
「我々も出るぞ。絶対に逃がすわけにはいかん!」
ぐしゃりと、コーネリアの手元の地図が握り潰された。
チョウフ基地。
藤堂鏡士郎が囚われたブリタニアの施設に襲撃を仕掛けた黒の騎士団の作戦はこれ以上ないほど順調に進んでいた。
陽動部隊の仕掛けによって敵の注目を集め、そことは逆の場所から主戦力を投入。浮足立った敵が立ち直る前に数を減らし、四聖剣とカレンを中心にしたナイトメア部隊が、慌てて基地から飛び出してきたナイトメア部隊を返り討ちにする。
奇襲を掛けた側の優位性はあるものの、ほんの十数分で形勢は黒の騎士団に傾いていた。
『敵迎撃部隊の殲滅完了。作戦通り、これより我ら四聖剣は藤堂中佐の救出へ向かう』
四聖剣を代表して仙波は黒の騎士団の作戦本部に報告を入れる。
それに返答するのは、作戦の総指揮を務める扇だ。
『分かりました。後続は俺達が引き受けるので、敵の応援部隊が到着する前になんとしても藤堂将軍を助け出してください』
『承知』
今回の作戦に当たりキョウトから提供されたナイトメア――月下を操り、仙波と四聖剣の面々は紅蓮を始めとした黒の騎士団の部隊と別行動を取る。
月下を走らせながらこの後の作戦内容を仙波が思い返していると、朝比奈が通信をつなげてくる。
『なんだか、ビックリするくらい作戦通りに進んでるね』
それは仙波に言ったというより、全員に向けた独り言のようなものだった。
年若いせいか、朝比奈は良くこうした物言いをする。
『建物の見取り図はともかく、警備の配置や人数、藤堂中佐の拘束場所までどうやって黒の騎士団は調べたんだ?』
朝比奈に答えるように、千葉も己の疑問を口に出す。
それは仙波も不思議に感じていた事だった。
だが四聖剣などと呼ばれようと所詮はただの兵士であり、ましてやいまは客将の立場にいる自分達がそれを知る必要はない。重要なのは情報が正しいのか間違っているのか、その一点だけである。そして本作戦において、自分達がこうして藤堂の救出に向かえている現状から情報の正しさは証明されている。ならば情報の出所など気にするには値しない。
『さぁね。ブリタニアの中にスパイでも潜り込ませてるんじゃない? ブリタニア人が団員にいたくらいだしさ』
ぞんざいに、そしてどこか皮肉気に朝比奈は千葉の疑問に答える。
出撃前に諫められはしたものの、やはり完全に黒の騎士団に対する悪感情を自制する事はできていないようだった。
『なんにせよ、これで証明されたわけだな。ゼロの実力は本物だと』
まだ精神的に未熟な朝比奈や千葉がさらなる黒の騎士団の不信を口にするより早く、卜部が結果だけを見据えて評価を下す。
現実的かつ周りの見える卜部らしい発言に仙波も乗っかった。
『これほど入念な情報収集を行っていたのなら、いままでの成果にも納得というもの』
それは朝比奈と千葉の黒の騎士団に対する認識を正すための言葉であると同時に、仙波の本心でもあった。
日本解放戦線が健在であった頃の作戦では、ここまで徹底的な情報収集など行ってはいなかった。もちろんキョウトの手も借りて入念な偵察をしてはいたが、それでも今回の作戦における情報量を10とするなら、日本解放戦線が集めた情報量は3程度、甘く見積もっても4にも満たないものだっただろう。
将官でないため作戦立案に関わる立場ではなかったが、それでも情報収集一つとってもゼロの手腕が並外れたものである事が良く分かる。
『ま、そのゼロはここにいませんけどね。全く、どこで何をしてるんだが』
『おい朝比奈……』
『分かってますよ。いまはゼロの事なんてどうでもいい。藤堂さんを助ける事が最優先、でしょう?』
話を蒸し返して不満を口にする朝比奈だったが、卜部が諫める前に目的を再確認する。
その切り替えができるなら、仙波としても口うるさく苦言を呈するつもりはない。
『そろそろ敵の第二陣が来る頃だな。黒の騎士団が引きつけてくれているとはいえ、こちらへの敵が皆無という事はなかろう。ここからは二手に分かれるぞ』
藤堂がいないため最年長である仙波が状況を見て指示を出す。他の三人は先程までの無駄口が嘘のように黙って耳を傾けた。
『卜部は儂について来い。敵の攪乱に向かう』
『承知』
『朝比奈と千葉はこのまま一直線に藤堂中佐の下へゆけ。壁を破壊する際には中佐を巻き込まぬよう細心の注意を払うのを忘れるな』
『そんなへまはしませんよ』
『必ず藤堂中佐は助け出します』
意気込んだ朝比奈と千葉の月下が方向転換して藤堂の救出へ向かう。
それを見送っていると卜部が不安そうに訊ねてきた。
『気負っちまってるようだが、あいつらホントに大丈夫かね?』
『なに、朝比奈も千葉もその程度で実力を発揮できない未熟者ではない。それはお主も良く知っているだろう』
『そりゃそうだが、仙波さんも粋だねぇ』
『なんの話だ?』
『中佐の救出を任せる事で、あいつらに汚名返上の機会をくれてやったんだろ? だいぶ気にしてやがったからな、朝比奈も千葉も』
ニヤリと、笑みを浮かべる卜部の顔が仙波には長年の付き合いから簡単に想像できた。
『失敗の自責は功績によって拭い去るものよ。あ奴らが不調ではこちらも困るのでな』
『おや、そいつは経験談かい?』
『さて。それを悠長に話してる暇はなさそうだぞ』
そんな軽口を叩いた直後、ブリタニアのナイトメアが複数現れる。
仙波と卜部は月下のスピードを落とさないまま――それどころか加速して武器を構えた。
『そんじゃま、年長者としていっちょ若者を支えてやりますか』
『油断はするな。儂らがやられたとあっては、笑い話にもならん』
『そりゃそう――だ!』
最後の一声と共に振り抜いた卜部の廻転刃刀が敵のサザーランドを粉砕する。
襲撃からわずか20分弱、チョウフ基地での戦いは佳境へと近付いていた。
成熟している。
それがダールトンのルルーシュに対する印象だった。
仕草や話し方、雰囲気一つとってもどこか気品と風格がある。
話に聞く限りルルーシュはユーフェミアよりも一つ年上らしいが、ダールトンの目には一回りほども差があるように思えた。これは特段ユーフェミアが幼いというわけではない。ルルーシュの方が年齢に反して大人びているのだ。
アッシュフォードの教育が優れていたからなのか、それとも苦しい環境で生きてきたからこそ身についたものなのか。どちらにせよ人生の半分近くを市井で過ごしているにも関わらず、ルルーシュは皇族として相応しいだけの威厳を確かに有していた。
「ダールトン将軍」
ナナリーの下へ向かう車の中、それまで一言も発する事のなかったルルーシュがダールトンの名前を呼ぶ。
「コーネリアの側近であり優秀な軍人である貴公に、今回の警護計画に対する忌憚なき意見を聞いておきたい。ジェレミアと相談したとはいえ、俺は所詮学生。この手の立案に長けているとは言えないからな」
謙遜する言葉とは裏腹に、ルルーシュの口調からは不安がまるで感じられない。
もしかしたら重苦しい空気を緩和するため、話のタネとして軍人であるダールトンが話しやすい話題を提供してくれたのかもしれないが、無表情を保つ態度からはそうした気遣いは一切読み取れなかった。ダールトンが普段から接している皇族であるコーネリアとユーフェミアは、感情や考えている事が表情に出やすいタイプなだけに、真逆のタイプであるルルーシュの内心を窺い知るのは困難を極める。
「これはルルーシュ様が皇族だから申し上げるのではございませんが、誠に素晴らしいものかと存じます。ルルーシュ様がこの手の学問を学んでおられない事が信じられないほど穴のない計画です」
皇族へのおべっかではなく、本心からダールトンは賞賛を口にする。
実際、警護計画に目を通したダールトンはお手本のようなその計画に驚きを禁じ得なかった。軍人であるジェレミアが草案を練ったと言うなら納得だが、この計画は殆どがルルーシュ一人で立案し、ジェレミアが口を出したのはほんのわずかだという。
学生だったはずのルルーシュが、一体どこでこんな知識を得る機会があったのか。
疑問に感じたそれを口にする前に、ルルーシュは小さく頷いて話を打ち切った。
「なるほど。貴公ほどの軍人に太鼓判を押してもらえるなら、心配は不要だな」
そう言うと、これ以上のコミュニケーションを拒絶するように足と手の指を組んで瞼を閉じるルルーシュ。
皇族の休息を邪魔するわけにもいかず、ダールトンは出掛かった疑問を呑み込んだ。
その上で改めて感情を表現する事を避けているようなルルーシュの態度に、おこがましくも同情と感嘆の二つの思いを抱く。
ルルーシュが政庁に半ば軟禁されている現状を快く思っていない実情は聞いている。
皇族でありながら自らの生死と身分を偽って一般市民として暮らしていた事からも、ルルーシュがブリタニアに抱く忌避感と不信感は並大抵のものではないのだろう。
しかしルルーシュは、自身とエリアの総督であるコーネリアの立場を十全に理解し、無駄な説得や抵抗を即座に放棄した。そして内心でどれだけ拒絶していても、妹姫の現状を鑑みてブリタニアへの帰参を受け入れた。
それは極めて合理的な決断であるが、人はそれが正しいと分かっていても、中々感情と理屈を切り離して考えられないものだ。多感な十代の青年なら尚更だろう。
同じ車内でダールトンが護衛に就いているこの状況にも同じ事が言える。
今回の警護計画においてジェレミアと共にルルーシュのすぐ傍で身辺を守る者の一人に、コーネリアが選んだ護衛の一人をつける事は初めから組み込まれていた。
つまりルルーシュは、この機会に自分が逃げ出さないか危惧されている事や、コーネリアが遣わす者が護衛と共に監視の役割を任される事を言われずとも理解していたのだ。
普通なら怒ってもおかしくはない。
受け入れ難きを呑み込み歩み寄ったこちらを信用していないのかと、不満をぶつけるのはルルーシュの当然の権利だろう。
しかしルルーシュは何も言わずに、この理不尽を享受した。
軍人としてルルーシュと同じ年の頃の新兵を多く見てきたダールトンだが、ここまで達観して物事を見られる若者には出会った事がない。
あるいは10にも満たぬ歳で敵国に送られ、その後は死者として隠れ生きてきたからこそ、ルルーシュはそうした感情を切り離す術を身につけるしかなかったのかもしれない。
「ああ、そうだ。もう一つ聞いておきたい事があった」
そんな事をダールトンが考えていると、不意にルルーシュが思い出したように口を開く。
「なんなりと。私が答えられる事であればよろしいのですが」
慇懃に頭を下げるダールトンに頷き、ルルーシュは一つの問いを投げた。
「ユフィはなぜ、副総督の地位に就いた?」
その質問に、ダールトンは即座に答えを返せなかった。
答え難い問いだったからではない。単純に問いの意味が――ルルーシュがどんな答えを求めているのか、その真意が掴めなかったからだ。
「……どういう意味でしょうか?」
不敬と理解しながら、ダールトンは質問の意図を問い返す。
ルルーシュはダールトンの無礼を気にも留めず肩を竦めた。
「なに、そのままの意味だ。姉上が総督に任じられるのは分かる。エリア11は未だに抵抗活動の激しい土地。前総督の兄上がエリアを治められずに、それどころか心労が祟って本国に戻った事を考慮すれば、次は武力に長けた皇族が指名されるのは当然の成り行きだ。しかしいくら総督になる皇女の妹とはいえ、まだ学生だったはずのユフィがいきなり副総督という地位に就くのは誰がどう見ても不適格だろう」
「……」
肯定する事も否定する事もできず、ダールトンは黙り込む。
当然だ。肯定すればそれはユーフェミアが副総督に相応しくないと認める事になる。かといって安易に否定しても、目の前の聡明な皇族を納得させるだけの理屈など軍人であるダールトンに語れるはずもないのだから。
「実際にユフィは副総督として式典や慰問といった政務はこなしているようだが、何かしらの政策を打ち出したり任されているという話は聞かない。それとも、まだ公に発表されていないだけで内々には話が進んでいるのか?」
難しい顔で口を閉ざすダールトンに、ルルーシュは続けて問う。
幸いな事に、これについてはダールトンも明確な答えを持っていた。
「いえ、そうした話はございません。殿下の仰った通り、先日までユーフェミア様は学生であられたため、いまは姫様の仕事ぶりを見て学ばれている最中です」
言外にユーフェミアの現在の能力不足は認めつつ、しかしこれからは違うと、ダールトンは今後の展望を語った。
「姫様はこの地を平定した後、ユーフェミア様に総督の地位を譲ろうとお考えです。そのための準備として、ユーフェミア様には副総督としていずれご自身が就く総督の仕事を一番近くで学び、経験を積んでいただいているのです」
なぜユーフェミアが副総督の地位に就いたのか。
それは総督になるための学びのためであり、だからこそ現在まだ未熟なのは仕方がないのだと、ダールトンはルルーシュの問いに答えると同時に主の方針を明かした。
「なるほど」
ルルーシュが顎に手をやり小さく頷く。
そして初めてその表情に感情の色を宿した。
「……ユフィも可哀想にな」
そんな呟きと共にルルーシュの顔に浮かんだ感情は――――憐みだった。
いまの話を聞いてどうしてそんな反応をするのか、それが分からずダールトンは眉根を寄せた。
「可哀想、ですか? それは一体どういう……」
質実剛健なダールトンにしては珍しい曖昧な問い。
しかしルルーシュは、分からないか、と目を眇めた。
「さっき俺はこう聞いたはずだな、ダールトン将軍。ユフィはなぜ、副総督の地位に就いた、と」
「はい。仰る通りです」
「しかし貴公は総督である姉上の方針を語りはしても、当人であるユフィの思いについては何も語らなかった」
「――――」
思いもよらない言葉に、ダールトンは息を呑む。
その間にもルルーシュはダールトンの気付かなかった視点で話を続ける。
「姉上がユフィをいずれこのエリアの総督にしたいと考えていた事も、そのために副総督の地位を与えた事も理解した。だが、その話のどこにユフィの意思がある?」
「それは……」
改めて問われた事で、ダールトンは自身の返答が誤りであった事を自覚する。
ルルーシュの言った通り、ダールトンが語ったのは現状の説明と主であるコーネリアの思惑だけ。
しかし問いの内容を考えれば、当人であるユーフェミアの意思こそ真っ先に答えなければならないものである事は明白だ。
自身の過ちを恥じるダールトンだったが、ルルーシュはそれを否定するように首を横に振った。
「貴公の返答を責めているわけではない。おそらくは誰も――姉上も聞かなかったのだろう? 副総督に就任する事をユフィがどう考えているのか。いずれエリア11の総督になる事を、本当にユフィが望んでいるのか」
ルルーシュの問いにまたしてもダールトンは答える事ができなかった。
その推測が間違っていないが故に。
「俺への対応を見ていれば分かる。姉上には相手の意見を聞こうという意思がない」
「そんな事は……!」
「ならば貴公は知っているか? ユフィが副総督としてこの地をどう治めたいと考えているかを」
無手の否定など許さないとばかりに投げ掛けられたルルーシュの問いに、ダールトンは再び言葉に詰まる。
どこまでもルルーシュの指摘は的確だった。
ルルーシュの推測通り、ダールトンはそのような話をユーフェミアから聞いた事はない。
そして姉であるコーネリアもそれは同じだろう。もしコーネリアが妹からそれを聞かされていたなら、彼女の補佐をたびたび任されている自分に共有されていないはずがない。
とどのつまり、ダールトンはもちろんコーネリアですら、いずれこのエリアの総督となるユーフェミアの政治姿勢について、何一つ理解していなかったという事になる。
「大方、こうすれば幸せだとか、こうするのが一番良いとか、自分の考える理想や幸せを一方的に押しつけたのだろう? でなければ再会して数日の――それもまともに会話すらしようとしなかった異母兄相手に話していた事を知らないはずがないからな」
不快感を隠そうともせずルルーシュはぞんざいに言い捨てる。
これは政庁を出る前にコーネリアがルルーシュに訊ねた、総督にならないか、という提案にも同じ事が言えた。
ルルーシュが非協力的な態度を貫いているため、提案という形を取り、最後は考えておいてくれと相手の判断に委ねているようにも見えるが、おそらくルルーシュがどんな答えを返そうともコーネリアは結論を変えようとはしなかっただろう。
もしかしたらルルーシュの地位は総督でなく、副総督や総督補佐でもいいと考えているかもしれない。だがルルーシュとナナリーとユーフェミアが何かしらの地位に就いてエリア11に留まる事、その一点だけはもはや決定事項なのだ。でなければブリタニアに戻る事を拒絶していたルルーシュに対し、エリアの総督にならないか、などというバカげた提案をするわけがない。ルルーシュがナナリーを連れて来ると言ったのは、本心からブリタニアへの帰還を望んだわけではなく、状況的にどうしようもなくなった結果故なのだから。
もし彼女が本当にルルーシュの意見を聞く気があったのなら、そんな見当外れな提案をするよりも先に、まずは皇族に戻るようルルーシュを説得したはずだ。その過程を飛ばし、自分にとって都合の良い結論に話を進めようとしている時点で、彼女の提案が独善的な押しつけである事が分かる。おそらくユーフェミアも意識的にせよ無意識的にせよそれが分かっていたから、姉に自らの本心を伝えようとはしなかったのだろう。
「当人の意思を無視した人生設計が、本当にユフィのためになると思うか? ユフィが思い描く理想を聞かずして、一体何を教えるというんだ? まさかユフィが姉上のような武断政治を目指しているとでも?」
続けざまに問うルルーシュの声には隠しきれない苛立ちが込められていた。
口にした皮肉にも、嘲りの感情より無理解に対する怒りが滲んでいる。
「もしユフィの事を本当に思うなら、一方的に考えを押しつけるのではなく、少しは彼女の意見にも耳を傾けてやる事だ。そうすれば少なくとも、テロリストの殲滅方法を隣で聞かせるよりも、よほど有意義な学びの場を彼女に与えてやれるだろう」
憮然と言い放ち、ルルーシュは話をそう締めくくった。
その言葉に込められていたのは果たしてユーフェミアへの同情か、ブリタニアへの嫌悪か。既に感情を切り離した無表情に戻っているルルーシュからは判別できない。
しかし言い方はともかく、目から鱗が落ちる忠告にダールトンは心の底から感心して頭を下げた。
「貴重なご見解、深く感謝致します。必ず姫様にお伝えさせていただきます」
「感謝など不要だ。こんなのは戒めですらない、ただの八つ当たりでしかないんだからな」
「八つ当たり、ですか?」
問い返して、直後にそれはユーフェミア同様、自身の意見が聞き入れられない事に対するものかとダールトンは思い至る。
だとすれば余計な事を聞いてしまったとダールトンが悔いるのとほぼ同時に、ルルーシュは小さくため息をついて腕を組んだ。
「聞き流せ。これ以上語る事はない」
「イエス・ユアハイネス」
謝罪は逆効果である事を悟り、ダールトンは皇族に対する礼を返するだけに留める。
それからは無言で目的地に着くのを待った。
ルルーシュが口を開かない以上、護衛であるジェレミアとダールトンが余計な話をするわけもないので、それは当然の成り行きだった。
そして長い沈黙の果てに、ルルーシュを乗せた車両はようやく目的地へと到着する。
ジェレミアとダールトンが先に車を降りて周囲の安全を確認し、ルルーシュも外へ出る。
「ナナリーがいるのはあの家だ」
辺りを見渡したルルーシュが一つの建物を指差す。
それを見て、ダールトンは思わず呻くように声を上げた。
「あのようなところに、ナナリー様が……」
ルルーシュが指差した建物、それはとても皇族が住む住居とは思えない小さな家屋だった。
いや、小さいだけならまだ良かった。むしろダールトンの目を引いたのは、その小ささよりも状態の方だった。
屋根は塗装が剥がれ、壁は凹んだり崩れたりと、まともな場所を見つけるのが難しいほどボロボロだ。またベランダは左半分が折れて辛うじてつながっているような有様で、窓は割れてこそいないようだが、何箇所かは罅が入っている。
こんな状態ではひとたび嵐でもくれば吹き飛ばされてもおかしくない。
それはゲットーの住居としては一般的なものではあったが、皇族が暮らしているのだから最低限の管理がされた家屋だろうというダールトンの思い込みは、目の前に示された家を見て粉々に打ち砕かれた。
「俺達の素性を理解している者なら、誰もこんな場所で暮らしているなど想像しないだろう?」
あまりの驚きに言葉を失うダールトンを
実はダールトンが気付いていないだけで、窓が割れていなかったり、建物自体が傾いていない点でまだゲットーの他の建物と比べれば恵まれているのだが、彼にとってはそんなのは五十歩百歩の違いだろう。
「行くぞ。他の者は事前に説明していた通り、距離を置いて待機させておけ」
「イエス・ユアハイネス」
ナナリーがいる家についていくのは、ジェレミアとダールトンにしか許可されていない。
それは当然、ナナリーの精神面に配慮したルルーシュの采配であった。突然兄のいなくなったナナリーの下に、いくらルルーシュが連れて来たとはいえ軍人が大挙して押し寄せるのは精神的な負荷が大きすぎる。そう考えてルルーシュは当初、家に入るのは自分のみとしていたが、さすがにそれは安全面から看過できず、ジェレミアと、説明を受けて説得に協力を要請されたダールトンから抗議を受けて、最低限の護衛だけを連れて行く事となったのだ。
「ダールトン将軍。一つ、確認しておく」
足を止めて、ルルーシュが振り返る。
その顔は先程までと同じ無表情ながら、明らかに雰囲気が変化していた。
思わず全身が強張るようなプレッシャーに、ダールトンは無意識に息を呑む。
「あの家には誰がいる?」
「ルルーシュ様の妹姫であられるナナリー様がおられます」
「その通りだ。他には?」
「誰もおりません」
「間違いはないな?」
「誓って、他には誰もおりません」
鋭い眼光に貫かれながら、ダールトンはなんとかよどみなく答える。
それは一見すればおかしな問答であった。ダールトンがあの家屋にナナリーがいると知ったのはついさっきであり、その中に誰がいるかなど把握しているわけがない。それを知っているのはルルーシュであり、そのルルーシュがダールトンに質問するのでは立場が逆だ。
しかし問われたダールトンも、傍で見ているジェレミアも、その不自然さについては一切言及しなかった。
「良いだろう」
推し量るようにダールトンを見つめていたルルーシュが頷き、再び歩みを進める。
唐突な緊張から解放されて、ダールトンは気付かれぬように深く息を吐き出した。
もしいまの問答で答えを誤っていれば、自分はルルーシュに追従して家に入る事を許されなかっただろう。
コーネリアから聞いた話では、ナナリーを世話しているはずのルルーシュの協力者に関してはその罪を問わない事が事前に取り決められている。
だからこそダールトンはナナリー以外の誰がそこにいようと、その者をいないものとして扱わなければならない。
ルルーシュもここでダールトン――ひいてはコーネリアが約束を反故にするとは考えてはいないだろうが、釘を刺す必要性を感じるほどにその協力者の事を大切に思っているのかもしれない。
あまり他人に対し易々と信頼を預けるタイプには見えないだけにその配慮をダールトンは意外に感じたが、むしろそれくらい信を置いている相手でなければ、大切な妹姫を預ける判断など下さなかっただろうと納得する。
そこまで考えて、その協力者というのが自分の捕まえたあの緑髪の少女である可能性を思い出し、ダールトンはたまらず冷や汗をかく。もしこの推測が正しければ、この数日ナナリー皇女はあんな家でたった一人で過ごしている事になる。いや、それどころかあの家にすら帰れず、どこかで一人途方に暮れている可能性すらあるのだ。あの少女を捕まえた後でナナリー皇女が乗っていたはずの車両が逃走した一帯は捜査しており、その際にナナリー皇女が見つかっていない事実から可能性は限りなく薄いと分かってはいるが、それでも全身から噴き出る冷や汗は止まらない。
胃が痛むのを顔に出さないようにダールトンが気を張っていると、何やら不穏な音を鍛えられた軍人の聴覚が捉える。
「ダールトン将軍!」
ジェレミアもそれに気付いたのか、警戒を促すようにダールトンの名前を呼ぶ。
互いに背中合わせとなり、その間にルルーシュを挟むような形で周囲を警戒する。
するとすぐにその正体は判明した。
「あれは――――ナイトメア!」
「黒の騎士団か!」
遥か遠方からこちらに迫ってくる黒の騎士団のナイトメア・フレーム、無頼が迫ってくるのを視認してジェレミアとダールトンが驚愕の声を上げる。
「ルルーシュ様! 一度車両へお戻りください。ここでは御身に危険が及びます」
すぐさまルルーシュを庇って前に出たジェレミアが叫ぶ。
しかしルルーシュはその指示に眉を吊り上げ猛然と反論した。
「戻れだと? ふざけるな! こんなところで戦って、もしナナリーが巻き込まれたらどうするつもりだ!」
「ナナリー様は我々の部下が必ず保護し、お守り致します! ですからルルーシュ様はこの場を……!」
ジェレミアに対する反論に、今度はダールトンが答える。
軍人として二人は、咄嗟の判断で危険が迫るこの場から
それは間違いなく正しい行動だった。だからこそ彼らが誤ったのは、行動ではなく判断。先程までの理知的な振舞いで、ルルーシュが冷静な判断で動いてくれると勘違いしてしまった事だ。
「お前らなんかに任せておけるものか! ナナリーは俺が守る!」
「ルルーシュ様!」
ダールトンの進言を無視して、ルルーシュはナナリーのいる建物へと駆け出していく。
それに瞬時に反応したのはジェレミアの方だった。
「ダールトン将軍! 貴殿は迎撃の指示を! 私はルルーシュ様とナナリー様をお守りする!」
「なに!? 待て、ジェレミア卿!」
ルルーシュの予想外の行動に一瞬判断が遅れたダールトンは、ルルーシュを追って駆け出すジェレミアに後れを取ってしまう。
自分もすぐに後を追いたかったが、ここで部隊への指示も出さずに行動を起こせば混乱は免れない。それはルルーシュやナナリーの身も危険に晒す事となる。
即座に動けなかった自分の迂闊さを呪いながら、ダールトンは無線機を取り出して声を張り上げた。
『全部隊に告げる! 敵性ナイトメアをナナリー様のおられる建物に近付けるな! 私とジェレミア卿はお二人の護衛に当たる。安全が確保できるまで、敵を足止めせよ!』
『イエス・マイロード!』
返事を聞く暇すら惜しいとばかりに、ダールトンは指示を出した直後には走り出していた。
既にルルーシュとジェレミアは建物の中に入っており姿は見えない。
たかだか数十メートルの距離が永遠にも感じられる錯覚を覚えながらも懸命に走るダールトンだったが、その努力は報われる事はなかった。
ダールトンが扉の取っ手を掴もうとしたその瞬間、凄まじい爆発が建物中から起こり、扉と共にダールトンを吹き飛ばしたからだ。
『――――――――――!!!』
反射的に顔を腕で守り、地面に叩きつけられるところで受け身を取るダールトン。
勢いに押されて地面を転がり、身体の痛みを無視して顔を上げれば、いままさに自分が入ろうとしていた建物は内部からの爆発により見るも無残に半壊していた。中にいる人間が、とても無事であるとは思えない状態で。
「ルルーシュ様! ナナリー様!」
蒼白な顔で、無意味と分かっていながら守るべき方の名前をダールトンが呼ぶ。
爆発の衝撃で打ちつけた身体の部位が悲鳴を上げるのも構わずダールトンは走り出し、もはや半壊して建物と呼んでいいかも分からないその場所へ駆け寄る。
まだ二人は生きていて、助けを求めているかもしれない。そんな一縷の希望に縋るダールトンの心は、崩壊した建物の残骸を目の当たりにして真っ暗となった。
天井も壁も大半が崩れた建物の敷地は、瓦礫の山で埋め尽くされている。
どんなに楽観的に考えても、中にいた人間の生存は絶望的だと分かる惨状がそこにはあった。
「いや、まだだ……! まだ可能性はある!」
自分に言い聞かせるように叫び、瓦礫の山を撤去しようとダールトンは屈みこむが、人力ではどれだけの時間が掛かってしまうか分からない。効率を考えるなら、一度部隊を待機させていた場所まで戻ってナイトメアを使って作業を進めるべきだ。しかしそれを理解しながら、ルルーシュとナナリーのいるこの場を離れる事にダールトンは躊躇いを覚えてしまう。
唇を噛み、頭を強く振って無意味な感傷を捨てる。
軍人としての責務を口の中で繰り返し、全力疾走でダールトンは来た道を引き返して用意していたナイトメアに騎乗する。
起動する時間すらもどかしく感じるダールトンだったが、そこで通信機に反応があった。
『ダールトン将軍、ご無事ですか?』
『ジェレミア卿!?』
通信機から聞こえてきたのは、ルルーシュの後を追って崩壊する前の建物に飛び込んだジェレミアの声だった。
生きているとは思っていなかった相手からの通信に、ダールトンは冷静さも忘れて叫ぶ。
『無事だったのか! 貴殿が無事なら、ルルーシュ様とナナリー様は――!』
『ご安心を。お二人もご無事です。間一髪、退避に成功致しました』
『本当か!?』
わずかな可能性としか考えていなかった二人の生存報告に、ダールトンの全身から力が抜けていく。
しかしいまは気を抜いている場合ではないと気合を入れ直し、すぐさま現実的な対応に話を移した。
『ならば一刻も早く合流し、お二人の身の安全を確保しよう』
『いえ、ダールトン将軍。合流は危険です』
『なに?』
思いもよらない反論に眉をひそめる。
奇襲による爆破を受け、黒の騎士団との戦闘は既に始まっている。そんな危険地帯で護衛対象の二人の傍にいるのはジェレミアのみ。この状況で合流以外に選択肢があるのかというダールトンの疑念を先回りして、ジェレミアが説明を始める。
『敵が現れたタイミング、建物爆破の準備、どちらも我らの行動が知られていたとしか思えない動きです。しかし今回のナナリー様のお迎えは、軍の者でも一部の者しか知り得ない。となれば――』
『我らの中に敵のスパイがいると?』
ジェレミアの言わんとした事をダールトンも理解する。
待ち伏せをされていた事に加えて、こちらの部隊と交戦している黒の騎士団の動きに迷いは見られない。これを散発的なテロと一緒にするのは危険であり、なんらかの目的を持って仕掛けてきたと考えるのが自然である。
そしてもしスパイがいたのなら、こちらの情報を掴んでいる黒の騎士団の狙いとして最も可能性が高いのは――
『左様です。我らが合流すれば、敵にルルーシュ様とナナリー様の居場所を知らせる事になりかねない』
『――――』
『幸い先程の爆発で敵は我らを見失っている様子。私はこのままお二人を連れて安全な場所へ退避します。ダールトン将軍は部隊の指揮を執り、敵の迎撃をお願いします』
自然な流れでジェレミアはダールトンとの役割を分け、護衛対象の安全を優先する。
しかし出立前の主の言葉を思い出したダールトンは、慌ててそれを引き止めた。
『待て! いくらなんでも貴殿だけでは危険過ぎる! せめて私だけでも――!』
『この状況で交戦せずに別行動を取る者がいれば、敵に怪しまれます。もし後をつけられでもすれば、それはルルーシュ様とナナリー様の身の安全にも影響するでしょう』
『っ――!』
守るべき対象の安全を持ち出され、ダールトンは反論に詰まる。
それが致命的だった。
『指揮権はダールトン将軍へ委譲します。どうか、ご武運を』
『ま、待て、ジェレミア卿!』
制止の言葉も虚しく、通信が途切れる。
その事実に、ダールトンは思いきり拳をコックピットに振り下ろした。
「なんたる事だ…………このままでは……!」
ダールトンとて、ジェレミアの対応が間違っていない事は理解していた。
この緊急事態においてはどんな選択にもリスクが付きまとう。ならばあえて合流をしない事で、敵に捕捉される危険を排除する選択は理にかなっている。
なぜなら、敵は先程の爆発でルルーシュとナナリーを仕留めたと勘違いしている可能性が高いからだ。
ジェレミアがどういう手段で二人を連れてあの爆発から逃れたかは分からないが、建物の間近にいたダールトンですら無事ではないと思い込んでいたのだ。どこで様子を見ていたのかは分からないが、遠目からでは正確にルルーシュ達の生死を確認できないだろう。
だからこそスパイのいる部隊には合流せず、二人の生死すらダールトン以外には伝えず、密かに戦場から離脱する。
咄嗟の判断としてはこれ以上にないものといえよう。
しかしダールトンは、ある理由によってこの状況を看過できないわけがあった。
自分だけでも単身でルルーシュ達を捜すべきか、そんな逡巡に囚われたダールトンに新たな報告が舞い込む。
『ダールトン将軍!』
『なんだ! こんな時に!』
『2時の方角から新手が現れました! 遠目ですが、あの機体は間違いありません! 奴です!』
焦燥に駆られた声音に、嫌な予感を感じながらもダールトンは報告された方角を確認する。
そこにはとんでもない速度でこちらに向かってくる1機の機体があった。
黒の騎士団の名に相応しい全てを呑み込むような黒銀のナイトメア。色の印象からは真逆の威容を誇る騎士を連想させるフォルムは、ブリタニア軍人であればもはや知らぬ者はいない。
「ランスロット――枢木スザクか!」
戦場からは少し離れた小さな倉庫。
そこにルルーシュとジェレミアはいた。
爆発の怪我はもちろんなく、ジェレミアはダールトンへの連絡を、ルルーシュは事前に用意させていた車両と荷物の確認を行っている。
「ここまでは計画通りだな」
指示していた物が不足なく揃っているのを確かめながら小さく呟く。
ナナリーを迎えに行くという名目での政庁からの脱出。黒の騎士団の襲撃に合わせた監視の引き剥がし。そこからのトラブルを装った完全な離脱。全てはルルーシュが立てた作戦の通りに進んでいた。
後は追ってこられても捕捉されない場所まで逃げるだけだ。
「ルルーシュ様」
名前を呼ばれて振り返れば、ダールトンへの連絡を終えたジェレミアが戻ってきていた。
「終わったか?」
「はい。ダールトン将軍を含めた護衛は枢木が率いる黒の騎士団が足止めしております」
わざわざダールトンに連絡して生存を報せたのには訳がある。
もしあのまま連絡せず死を偽装していれば、ダールトンは必死になってルルーシュとナナリーを捜しただろう。すると折角建物を爆破してまで隠したこの倉庫につながる隠し通路の存在に気付かれる可能性がある。だからこそあえて連絡を取り、黒の騎士団に迎撃に集中させるように仕向けた。それでもダールトンが自分達の捜索をやめない可能性もあったが、生存が明らかになった以上は崩壊した建物の跡地は捜索場所から外れるだろう。
「良し。ならすぐに出発するぞ」
「イエス・ユアマジェスティ」
用意されていたトラックに乗り込み、戦闘音がする方とは真逆の方へ出発する。
事前の作戦通り、スザクを始めとした黒の騎士団がこちらとは別方向にブリタニア軍の注意を誘導しているおかげで、目に見える範囲にナイトメアは影も形もない。
「怪しまれている様子はなかったか?」
トラックを走らせて程なくして、ルルーシュが訊ねる。
運転するジェレミアには何に対しての問いか言われずともすぐに分かった。
「ダールトン将軍はやはり何か察しているようでした」
「なるほど……さて、どこまで気付いているのやら」
口の端を吊り上げて、とてもではないが行儀が良いと言えない笑みを浮かべるルルーシュ。
ジェレミアはあえて何も言わず、無言で車を走らせた。
それから数分、車内は無言の沈黙に支配された。
ルルーシュは口元に手を当てて何か考え込んでおり、ジェレミアはそんなルルーシュの思索の邪魔にならぬようにと口を閉ざしていたからだ。
「地下まではあとどれくらいだ?」
唐突にルルーシュが身動ぎどころか視線すら動かさず確認する。
「およそ4分です」
「急げ。地下まで逃げれば、もうブリタニアは俺達を捉えられない」
「イエス・ユアマジェスティ」
何を焦っているのか、問い返す事なくジェレミアは指示に従いアクセルをさらに踏み込む。
荒地であるゲットーを走っているため車内に伝わる振動も大きくなるが、他の高慢な皇族と違いルルーシュは一切文句を漏らさなかった。
そして目的地としていた地下への入り口に近付いてきた時、そこに予想外のものを発見しジェレミアは大きく目を見開く。
「っ、ルルーシュ様、前方に――!」
「ああ、見えている」
焦るジェレミアとは裏腹に、ルルーシュはまるで動揺せず頷く。
「すぐに方向転換を」
「無駄だ。既に捕捉されている。そのまま進んで50メートル前で止まるよう自動運転に切り替えろ」
無意味な対処を良しとせず、端的に指示を出してルルーシュはシートベルトを外し席を立つ。
ジェレミアも遅れてそれに続き、中から通じるトラックのトレーラーへ移る。
そこに用意されているのは、ラクシャータ・チャウラーが開発した黒の騎士団初のオリジナルのナイトメア・フレーム――――月下。
「行くぞ、ジェレミア」
「ハッ! 必ずや御身をお守りします」
自動運転に従い、トラックが止まる。
同時にトレーラーが開いてルルーシュとジェレミアが騎乗したナイトメアがトラックを降り、目の前に立ち塞がる2機のグロースターと相対した。
『さて、思ったよりも早い再会になりましたね。姉上』
『ルルーシュ……こんな形で、お前と向き合いたくはなかった』
お互いに望まぬ対面を果たした姉弟の、最後の話し合いはこうして始まった。
今話まで読んでくれている方はお気付きかもしれませんが、本作はルルーシュを主人公としているため、ルルーシュと敵対する陣営のキャラクターには厳しい話があったりします。また視点や展開の都合上、それに対する擁護やフォローがなく話が進んだりもします。今回、コーネリアに弁明の機会がなかったのもそのためです。
アンチ・ヘイトのタグをつけているので大丈夫かとは思いますが、今後もそういった話は出てきますのでご注意いただければと思います。
もちろんそれをメインとする二次小説ではないので、その点はご安心ください。
次回:テロリストと第二皇女