コードギアス~あの夏の日の絆~   作:真黒 空

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4周年です!
そして復活のルルーシュ5周年!
ここまでお付き合いいただいた読者の方々に感謝です。
これからもよろしくお願い致します。


58:兄妹

 

 折り紙で鶴を千羽折ると願い事が叶う。

 そんな言い伝えが日本にはあると聞いた時、とても素敵な話だと思った。

 だって千羽も折られた鶴は、言うなればその人の願いの大きさと切実さの表れで。

 そんな祈りを拾い上げてくれる誰かがいるという事だから。

 

「ナナリー様。紅茶です」

 

 かぐわしい香りと共に、目の前のテーブルに金属が置かれる音がする。

 丁度できた24枚目の折り鶴を置き、ナナリーは声のした方へ笑顔を向けた。

 

「ありがとうございます。咲世子さん」

 

 無言でお辞儀をする気配。

 それを目にする事はできないが、どうせ目が見えないからとおざなりにならず、自分を尊重してくれる姿勢が嬉しかった。

 

「随分と綺麗に折られるようになりましたね。とてもお上手です」

「本当ですか?」

「ええ。もう私が折った鶴よりもずっと壮麗です」

 

 褒められて嬉しさに頬が緩む。

 ナナリーには手の感触でしか折り鶴の形が分からない。それが綺麗に見えるかは想像する事しかできないため、自分ではない誰かからの評価は純粋に喜ばしいものだった。

 

「でも千羽には全然届きそうになくて……」

 

 明るくなった表情がすぐに沈み込む。

 数日前からナナリーは暇を見ては鶴を折っていたが、その数は願いが叶うと言われている千羽には程遠い。今日の分を合わせても二百羽程度だった。

 

「数が重要なのではありません。そこに込められた想いが大事なのです」

 

 優しく、諭すように、咲世子がそっとナナリーの手を握る。

 その手のひらにテーブルに置いてあった折り鶴を置いて、それを包み込むように手を重ねた。

 

「ナナリー様の想いは、きっとスザク様の力になります」

 

 触れる体温と同じくらいに温かい言葉だった。

 気休めでも嘘でもない、真摯で優しい言葉が胸を打つ。

 だからこそどうしても分からない事がナナリーにはあった。

 

「咲世子さん、一つお聞きしてもいいですか?」

「なんなりと」

 

 打てば響くような返事。

 しかしナナリーはそれが気軽に聞いていいものではないと分かっていたため、自分から切り出しながらすぐには質問できなかった。

 何度も迷い、怖気づきそうになるナナリーを、咲世子は急かすような事をせずただ待つ。

 そしてナナリーがようやく質問できたのは、一分近くも経った頃だった。

 

「……咲世子さんはどうして黒の騎士団に入ろうと思ったんですか?」

 

 驚くような気配があった。

 同時に何かを逡巡するような気配も。

 彼女が自分の問いに対して言葉に詰まる事は珍しい。というより、ナナリーの記憶にある限り初めての事だった。

 それだけいまの質問は咲世子に答えづらいものであり、無遠慮な問いを口にした自覚はナナリーにもあった。

 

「……」

 

 だが撤回はしない。

 咲世子が回答を拒むのなら仕方ないが、自分から取り下げるような真似はしない。

 簡単に引いてしまうような安い気持ちで訊いていい話ではないと、そんな事は口にする前から分かっていたから。

 

「端的に申し上げるなら、我慢ならなかったからです」

 

 しばらくして、言葉を選ぶように咲世子は問いに答えた。

 

「我慢……?」

「ナナリー様はこのエリアをどう思われていますか?」

 

 意図を上手く掴めなかったナナリーが首をかしげると、咲世子は逆に質問を返してきた。

 脈絡のない問いにも思えたが、ナナリーは聞かれた事について素直に考える。

 この国に来たのは8年も前の事だ。母親が死に、目が見えなくなって、足も動かなくなって、訳も分からないまま兄と共に降り立った。その景色を見る事は残念ながらできなかったが、見えなくとも感じられる事は多くある。

 ブリタニアと比べて季節の寒暖差が激しくてそこは苦手。地震が多くてちょっと怖い。でもスザクさんや咲世子さんみたいに接してくれる人は優しくて、とても居心地の良く住みやすい土地。

 思うところは色々とある。でもきっと彼女が聞きたいのは、そういう事ではないのだろう。

 

「分かりません。私はまだ、それを知ろうとしている最中なので……」

 

 咲世子は、このエリアをどう思うか、と訊ねた。

 この土地でも、この国でもなく、このエリア、と。

 そう問われた意味が、いまのナナリーには分かる。

 咲世子が聞きたいのは、極東の島国の事でも、日本の事でもなく、ブリタニアの植民地となっているエリア11の事なのだと。

 

「でも、私が見えていなかった――いえ、見ていなかっただけで、とても歪なものなんじゃないかって……そう思います」

 

 あるいは歪なものになってしまったと、そう言うべきか。

 兄とスザク、そしてC.C.からこのエリアの実情を聞かされた時、ナナリーは信じられないと耳を塞いだ。

 自分を取り巻く世界がそんなにも残酷なものだと思いたくはなかったから。

 でももう、そんな現実逃避はやめなければいけない。

 

「例えば、ですが」

 

 ナナリーの答えに思うところがあったのか、咲世子は少しだけ固い声でそう前置きし、ゆっくりと話し始めた。

 

「ある日、ナナリー様が外出していると見知らぬ誰かにこう言われたとします。『俺はお前より強い。だから俺の言う事はなんでも聞け』。ナナリー様はそれに従いますか?」

「えっ……? それは、えっと、凄く乱暴な言い分ではないでしょうか?」

 

 突然始まった例え話に戸惑い、ナナリーは答えではなく素直な感想を口にする。

 

「はい。ですが得てして、話の通じない輩というのはどこにでもいるものです。ナナリー様がそういった者に突然出会う可能性もないとは言えません」

 

 そういうものなのだろうか、と疑問に思いながらもナナリーは想像してみる。

 何かしらの用事で誰かと一緒に出掛け、トイレなどで少しだけ離れる事になった時に、誰ともしれない人にいきなりそんな事を言われた瞬間を。

 

「その方がどういった理由でそんな事を仰ったのかは分かりませんが、まずは理由を聞いて話し合うと思います」

「では相手が聞く耳を持ってくれなかったら、どうされますか?」

「それは……」

 

 考えて出した答えを即座に切り返されて、言葉に詰まる。

 目も足も不自由なナナリーは逃げる事もできないため、話し合いに応じてもらえなければ、助けを呼ぶくらいしかできる事はない。

 だがもし、それさえ難しい状況だったら――

 

「絶対に敵わない相手から理不尽な要求をされた時、勝てないと分かりながらも戦うか、それとも逆らわずに屈する事を良しとするか。ナナリー様はどちらを選ばれますか?」

 

 逃げ道は用意されていなかった。

 戦うか、従うか、その二択しかない。

 残酷な選択肢にナナリーは悩み、迷い、考え抜いて。

 

「……ごめんなさい。どっちも選べません」

 

 結局、選択する事はできなかった。

 理不尽に立ち向かう無鉄砲さも、不条理を許容する諦観も、ナナリーの中には存在しなかった。

 

「こちらこそ申し訳ございません。意地悪な質問でした」

 

 ナナリーの謝罪に、咲世子も謝罪を返して頭を下げる。

 そして二択を迫る質問よりも残酷な答えを明かした。

 

「しかし選べなくても、どちらを選んだとしても、結果は変わらないのです」

「えっ?」

「力づくで強いられてしまえば、従うしかありません。命を捨てる事を選ばないのなら、抗う術はないのですから」

 

 理不尽とは、得てしてそういうものだ。

 相手の望みがこちらを従える事にある以上、そしてこちらに戦う術がない以上、どんな過程を辿ろうとも従わされるという結末に行き着いてしまう。

 そんな、と悲しそうに表情を歪めるナナリーに、咲世子は追い打ちをかけるように続けた。

 

「間違っている、理不尽だと、どれほど感じようと逆らう事はできません。相手の言う事にただ従い、理不尽に暴力を振るわれても口答えすら許されない。もしそんな境遇に置かれたら、ナナリー様は耐える事ができますか?」

 

 想像して、ナナリーは雪の降る寒気の中に投げ出されたかのように身を震わせた。

 これまでの人生において、ナナリーは暴力とは無縁だった。

 ブリタニアにいた頃は異母兄弟から意地悪をされる事もあったが、それでも直接的な暴力を振るわれた事はない。

 だからこそ理不尽に殴られ、蹴られる、という状況は、たとえ想像の中だけであれ恐怖を感じるのに充分すぎるものだった。

 しかし咲世子が口にする恐怖は、それだけに留まらなかった。

 

「自分だけがそんな扱いを受けているなら、まだ耐えられるかもしれません。ですがナナリー様の大切な人も同じ扱いを受ける事になったらどうでしょう? そのような理不尽に、黙って耐える事は可能でしょうか?」

 

 そう言われて真っ先に思い浮かんだのが、兄の姿だった。

 兄も同じように暴力を受けたらと、そこまで想像してナナリーは先程までとは比べ物にならない恐怖に襲われる。

 それは大切な人が同じ目に遭うから、という単純な恐怖ではない。

 その先を、簡単に予期できてしまったからこその恐怖だった。

 もしそんな理不尽な状況に自分達が追い詰められてしまったなら、兄は間違いなく自分を庇おうとする。

 身体を張って暴力から妹を守り、従わされる命令でさえ妹の分まで背負おうとするに違いない。

 そしてきっと、どんなにつらくても、苦しくても、兄は自分の前ではなんでもないと笑うのだ。

 それこそ限界を迎えて、倒れてしまうまで――

 

「で、でも……警察に相談すれば、そんな事にはならないんじゃないですか?」

 

 思い描いてしまった恐怖から逃れるために、ナナリーはなんとか解決策を捻り出す。

 苦し紛れに出したにしてはそれは的を得た対応であり、咲世子も頷いて肯定する。

 

「はい、仰る通りです。個人間の問題であれば、警察や第三者を介入させる事で解決を図る事はできるでしょう。ですがそれが国同士となれば、そうはいきません」

 

 ハッと、ナナリーが息を呑む。

 この例え話が何と置き換えられていたかを悟って。

 

「7年前、ブリタニアに日本は負けました。その時からずっと、日本人は理不尽な扱いを受け続けています」

 

 国と国との争いに、正しさを説き掣肘を加えるような公的機関は存在しない。

 一度対立し、戦争が始まってしまえば、その勝敗が全てを決める。

 野蛮な力だけが言葉を持ち、正しさを得るのだ。

 

「敗戦国だから、日本が負けたから、そんな風に仕方ないと諦めて従うのが賢い選択なのかもしれません。そうすれば、少なくともすぐに命を失うような事にはなりませんから」

 

 そんな風にして耐え凌いできたのが、いまの日本人――イレブンだ。

 恐怖と暴力と差別に晒されながらも、懸命に生きてきた敗北者だ。

 

「ですが一度負けたからといって、もう一度勝負を挑む事は間違っているでしょうか。抗う事は許されないのでしょうか?」

 

 そして屈する事を良しとせず、反逆する事を選んだのがテロリストである。

 こう考えれば、両者の違いは戦う事を選んだか、従う事を選んだかでしかない。

 テロリストなどという枠組みは、支配する側からの一方的な断罪に過ぎないのだ。

 

「それが……咲世子さんが黒の騎士団に入ろうと思った理由なのですね」

 

 我慢ならなかったからだと、咲世子は言った。

 聞いた時には良く分からなかったその答えの意味が、分かる気がした。

 だって同じ境遇なら、自分だって我慢できなかったと思うから。

 

「でもそれなら、どうしていまなんですか? 戦争が終わって7年も経ってるのに、なんで咲世子さんはもっと早く黒の――テログループに入らなかったんですか?」

 

 何か、きっかけがあったのだろうか。

 7年もの間耐えてきて、もうこれ以上我慢できないと、決断するだけの何かが。

 それとも既にテロ活動をしていて、今回たまたま黒の騎士団に移っただけなのだろうか。

 

「先程の例え話に戻りますが、もし暴力で従うように強要してきた相手に逆らうと決めたなら、ナナリー様はどうされますか?」

 

 質問を返されて、再びナナリーは考える。

 きっとこの質問も、自分に分かりやすく教えてくれるためのものなのだろうという事は察しがついた。

 だから懸命に考えて、それができるかどうかはともかく、一つの回答に辿り着く。

 

「えっと、頑張って鍛えて強くなる……でしょうか?」

「ええ。それが真っ当なやり方です」

 

 正解だったのか、咲世子がゆっくりと頷く気配がする。

 

「力で押しつけられたなら、力で上回り退ける。話し合いで解決が図れないのですから、相手が持ち出してきた秤の上(やり方)で決着をつけるのが正道というものでしょう。それが野蛮極まりない方法だとしても」

 

 暴力で解決するのが正しいと認めるわけではない。

 人には言語があり、思いを伝える力が備わっている。

 だからこそ争う以外にだっていくらでもやり方はある。

 けれどそれは、相手が話し合う意思を持っていなければ成り立たない。

 そして争う事を選んだ人間は、時に想像もできないほどの残酷さを見せるものだ。

 

「しかしこう考える方もいます。直接戦っても勝てないなら周りの人に仕返しをしよう。相手の大切な人を傷付けて言う事を聞かせよう。と」

「そんな……! そんなのは間違っています!」

 

 あまりに理不尽な手段にナナリーは一瞬言葉を失い、すぐにその考え方を否定する。

 いくら理不尽な仕打ちを受けているからといって、直接何かをされたわけでもない人を巻き込むのは道理に合わない。

 そんな当たり前の正しい価値観を、多くのテロリストが失い掛けているそれを、真っ直ぐに主張するナナリーに咲世子は柔らかく笑む。

 

「その通りです。だから私は黒の騎士団に入りました」

 

 話の前後がつながらず、ナナリーは首をかしげた。

 疑問を差し挟む前に、咲世子が話を続ける。

 

「私の目から見て、黒の騎士団以外のテログループはブリタニアという国とブリタニア人の区別がついていませんでした。ナナリー様は先日あった河口湖のホテルジャック事件を覚えていらっしゃいますか?」

 

 数か月前に世間を賑わせた、テロリストグループ日本解放戦線によるテロ事件。

 黒の騎士団のデビュー事件にもなった一大事だが、それ以上にナナリーにとっては忘れられない事件だった。

 何せ、あの事件にはナナリーの大切な人達も巻き込まれたのだから。

 

「日本解放戦線を名乗るあのテログループは、自分達の要求を通すためにミレイ様や生徒会の皆様のような罪のないブリタニア人の方を巻き込み、あまつさえ一つの命を奪いました。たとえ日本人が酷い扱いを受けているからといって、それは許される事ではありません」

 

 声にわずかな義憤が混じる。

 その事にナナリーは少しだけ安堵を覚えた。

 

「だから咲世子さんは、これまでテロリストの仲間にはならなかったのですか?」

「はい。私達に理不尽を強いているのは、私達が戦わなければいけないのは、ブリタニアという国です。決してそこに住まう善良な市民の方々ではありません。もしそうなら、私はナナリー様やルルーシュ様とも戦わなければいけなくなってしまいます」

 

 そんなのはごめんだと、咲世子は珍しく冗談交じりに続ける。

 いままでナナリーはそんな風にテロ組織の違いなど考えた事もなかった。

 ニュースではいつだって、テロリストは悪で、テロは愚かな行為としか報道されていなかったから。

 だから兄がゼロだと、テロリストだと聞いた時も、その理由や思いも聞かずに否定してしまった。

 でも咲世子は、黒の騎士団は他のテログループと違うと言う。

 そこでナナリーはゼロが口にしていた黒の騎士団の理念を思い出した。

 

「弱者の味方……」

 

 ぼそりと零れたその言葉に、咲世子は優しく頷く。

 

「自分がつらい思いをしたからといって、他人にも同じ事をしても許される、などという理屈は通りません。だからこそ、たとえどんなつらい目に遭ったとしても矜持を忘れてはならないのです」

「……矜持?」

「はい。その矜持こそが日本人の心だと、私はそう思っております」

 

 それを失ってしまえば戦う意味さえないのだと。

 咲世子はそう言った。

 

「……」

 

 兄も、同じだったのだろうか。

 我慢できなかったから。だけど、関係ない人を巻き込むテログループには入れなかったから。

 だから、ゼロになって、スザクと共に黒の騎士団を立ち上げたのだろうか。

 

 

 C.C.は言っていた。

 兄は優しくない世界を覆すためにゼロになったのだと。

 

 スザクは言っていた。

 自分に血生臭い世界を感じてほしくなかったのだと。

 

 そして兄は言っていた。

 許されない道だという事は分かっていながら、それでも抗わずにはいられなかったと。

 

 

 きっとこの世界は私が思っているよりもずっと残酷で。

 母を失ったあの時のように、とても簡単に幸福というのは零れ落ちていってしまう。

 だからこそ、諦めないのであれば、戦うしかない。

 そういう事なのだろう。

 たったそれだけでいいと望んだ兄との時間、そんな小さな幸せさえ、戦わなければいずれは失われてしまうのだ。

 

「私は本当に、何も見えていなかったんですね……」

 

 向き合うと決めた現実は、まだその一端にしか触れていないのに、ナナリーの心を酷く打ちのめす。

 咲世子も、スザクも、兄も心優しい人だ。

 そんな人達が、他人を傷付け、命を奪うテロリストになってまで戦う事を選んだ。選ばざるを得なかった。

 そこに深い理由がないわけなんてないのに。

 自分はそれを知ろうともせず、やめてほしいなんて駄々をこねて。

 考えなしに兄やスザクの心を傷付けた。

 

「これから見て、知っていけばいいのですよ。ナナリー様はまだ14歳なのですから」

 

 自己嫌悪に陥るナナリーに、大丈夫だと咲世子が優しく諭す。

 幼く未熟な少女が、幼さ故の正義感や責任感から自分を押し潰してしまわぬように。

 間違いは正せると、失敗は取り返せると、そう教えてくれる。

 

「……」

 

 黙り込んでしまったナナリーに対し、紅茶を温め直してきますと言い置き、咲世子はその場を離れた。

 一人になったナナリーは手の中に残る折り鶴を撫でて、深く息を吐き出す。

 咲世子はきっと、一人で考える時間をくれたのだろう。その気遣いに心が温かくなる。

 

「お兄様……」

 

 ポツリと、この世で最も大切な人を呼ぶ。

 もう何日、顔を合わせていないだろう。

 こんなにも兄がいない時間を過ごすのは、生まれて初めての経験だった。

 だからだろうか。

 こんなにもずっと、心が痛いのは。

 

「っ……」

 

 唇を噛んで、その痛みに耐える。

 強くなりたいと、そう願った。

 強くなるのだと、そう誓った。

 だから痛いからって蹲ってなんていられない。

 そう思うのに、気付けば涙が溢れ出しそうになる自分がいる。

 

「こんな事では、C.C.さんに笑われてしまいますね」

 

 この数日、考える時間は山ほどあった。

 だから色んな事を考え続けた。

 兄の事。スザクの事。ゼロの事。黒の騎士団の事。日本の事。ブリタニアの事。C.C.の事。シャーリーの事。

 しかし考えた量と時間に対し、結論が出た事柄は恐ろしく少ない。

 だから分からない事は聞こうと思った。

 咲世子に黒の騎士団に入ろうと思った理由を聞いたのも、そのためだ。

 でも――

 

「結局、なんの答えも出せないままなんて……」

 

 それどころか、自分の愚かさを思い知るだけだった。

 C.C.は簡単に答えを出せる問題ではないと言ってくれたけれど、ここまで成長がないと、ため息の十や二十は零れそうになる。

 ただそれでも、全く収穫がなかったわけではない。

 大半の問題には答えを出せなかった。それでも分かった事も確かにある。

 

 それは――――兄が間違いなく自分を愛してくれているのだという事。

 

 一度は疑ってしまった。

 自分の願いを聞いてくれないというだけで否定してしまいそうになった兄からの愛。

 それをいまなら迷う事なく信じる事ができた。

 

 シャーリーと話して、兄を想う気持ちは間違っていないと思えたから。

 スザクとC.C.を見て、自分は優しい嘘に守られていると知ったから。

 咲世子に教えられて、時には戦うしかない事もあるのだと分かったから。

 みんなのおかげで、あの学園の時間が永遠に続くものではなかったのだと気付いたから。

 

 何もかも偽らずに話してもらえる事が、愛されている事の証明じゃない。

 相手の願いをなんでも叶えてあげる事が、愛するという行為じゃない。

 

 そうだ。こんな事は、疑うまでもない事だった。

 だってお兄様を想うだけで温かくなるこの心の揺れ動きを、愛以外の言葉で表す事なんてできないのだから。

 お兄様の優しい言葉、心遣い、そして目に見えなくても感じる柔らかい笑顔を向けられるたびに、この14年間確かな愛を実感してきたのだから。

 どんな嘘をつかれていたとしても、それだけは嘘であるはずがないのだ。

 

『何があろうと、俺は変わらない。いつまでもお前の傍にいるよ』

 

 思えばいつだって、兄は言葉にしてくれていた。

 隠し事をしても、嘘をついても、自分への愛だけは偽る事も飾り立てる事もせず、真っ直ぐに伝えてくれていた。

 

「たったこれだけで、良かったんですね……」

 

 愛されているのだと、それさえ分かっていれば、いままで不安に思っていた多くが些末な事のようにも思えた。

 兄がゼロだと告白されたあの日から、ナナリーはずっと知る事が怖かった。

 兄の思い、スザクの思い、ブリタニアの非道、日本の在りよう、自分がこれまで見ようとしてこなかった現実の全て。

 それらを聞く事はもちろん、聞いた後で兄と違う結論を出してしまう事が怖かった。

 だってそんな事になれば、もう兄と一緒にいられないかもしれない。

 ゼロとして突き進む兄は、意見を違えた妹など置いて戦いに身を投じてしまうかもしれない。

 それが怖くて仕方なかった。

 

 でも、怯える必要なんてどこにもなかったのだ。

 たとえどんな答えを出したとしても、兄は自分の意見を尊重して、いままで通り愛してくれる。

 自分と兄の絆は、少しくらい意見が食い違ったくらいで揺らぐようなものじゃない。

 

「いまなら分かる気がします。私がどれだけ、お兄様の優しい嘘に守られていたのか……」

 

 だから色んな話をしようと、そう思った。

 もうお兄様の嘘に守ってもらわなくても良いのだと、そう伝えるために。

 兄のいない時間で感じた事、思った事、考えた事、寂しさもつらさも、全部を話そう。

 

 その後は、色んな話を聞こう。

 これからは私もお兄様を支えたいんだって、そう知ってもらうために。

 兄がブリタニアをどう思っているのかも、何をしているのかも、悩みも迷いも決意も、全てを話してもらおう。

 

 泣いてしまうかもしれない。怒ってしまうかもしれない。喧嘩をしてしまう事もあるかもしれない。

 でも喧嘩をしたって、きっとすぐに仲直りできるから。

 

「そういえば、喧嘩なんていつぶりでしょうか……」

 

 まだしたわけでもないのに、記憶を掘り返してナナリーは笑みを零す。

 あれはまだブリタニアにいた頃。異母姉と一緒に兄のお嫁さんになるのはどっちかと争って、兄に決めてと迫った時の事。どちらも選ばなかった兄に怒って、しばらく口を利かなかった。

 あの頃の自分達は、些細な事で喧嘩して、すぐに仲直りを繰り返していた。

 なのにいまでは、喧嘩どころか口論になる事すら滅多にない。

 兄にゼロだと打ち明けられた時だって、それを認める事はできずとも喧嘩には至らなかった。

 それはなぜかと、考えてすぐに思い至る。

 

「私のせい……ですね」

 

 いつからだろう。

 兄に対して我儘を言わなくなったのは。

 なんでも言う事を聞く、物分かりの良い妹になったのは。

 

 8年前、ナナリーは母と目と動ける足を失った。

 それまで当たり前だと思っていた何もかもが変わってしまい、それでも変わらなかったのは兄の存在とその愛だけだった。

 だから無意識に、ナナリーは恐れた。

 兄の愛が自分に向けられなくなる事を。

 父も、異母兄妹も、使用人もいない遠い地に飛ばされて、もし兄からも見捨てられれば、自分は本当に一人ぼっちになってしまう。

 何も見えない暗い世界で。どこにも行けない動かない足で。(ひと)り、取り残されてしまう。

 そんな未来を恐れて、ナナリーは良い子になった。

 我儘なんて言わず、兄の言いつけをきちんと守って、兄に愛される妹になろうとした。

 嫌われないように、見捨てられないように、ただそれだけを望んで。

 意識しての行動ではなかった。

 あまりに突然、あまりにも大きな喪失を経験したが故の反射行動とでも言うべきだろうか。

 幼い自分は失う恐怖から逃れるために、そうせざるを得なかった。

 自らの過去を振り返って、無自覚だった己の変化をナナリーはそう結論付ける。

 考えみれば、思い当たる節はいくつもあった。

 子供の頃、スザクは地震が体験できる防災訓練に行こうと兄を誘った。しかし足の不自由な妹を置いていく事になるからと兄は遠慮しようとして――その背中を私は押した。

 疲れたから休むと言って、申し訳なさそうにする二人を送り出した。

 でも日本に来る前の自分であれば間違いなく、一緒に連れて行ってほしいと、そう言っていたはずだ。

 兄とスザクを困らせる事になろうとも、駄々をこねて引き下がらなかったはずだ。

 そうすればきっと、兄はおんぶをしてでも連れて行ってくれただろう。

 もしそれがどうしても無理だったなら、ブリタニアにいた頃のように口論になって、喧嘩に発展していたに違いない。

 そしてそれこそが、きっと正しい兄妹の形なのだ。

 いまみたいに、変に遠慮して、気遣って、自分の気持ちも言えない関係なんて、そんなのは本当の兄妹とはいえない。

 

「……これでは、お兄様が何も言ってくれなかったのも当たり前ですね」

 

 失う事に怯え、自分の気持ちを隠して、ただ兄に好かれる理想の妹であろうとする。

 そんな妹に本音なんて言えるわけがない。

 お互い以外の全てを失ってしまったあの時から、自分達の関係はどうしようもなく歪んでしまっていたのだ。

 一緒に行きたいと、そんな一言すら嫌われたくなくて言えないような、歪な関係に。

 

「強く、なりたい」

 

 自分の弱さが、兄との関係を歪めてしまったのなら。

 強くなれば、それは元に戻るはずだから。

 普通の兄妹に戻る事が、きっと強くなるための第一歩にもなるはずだから。

 

 だから。

 

 我儘になろう。

 やんちゃで、お転婆で、わんぱくで、兄の困った顔を見るのが大好きだった、あの日の私のように。

 

 喧嘩をしよう。

 言いたい事をなんでも言い合って、怒りも不満も全部をぶつけ合う、そんな喧嘩を。

 

 そして全て終わったら、仲直りをしよう。

 あの頃、数えきれないほど何度も繰り返したように。最後は一緒のベッドで眠る。

 そんな兄妹に、もう一度戻ろう。

 

「ふふっ」

 

 折り鶴を挟み込むように、両手を重ねて思い出す。

 許してあげると、そう言った時の、兄の安心した顔を。嬉しそうに口元を綻ばせた笑顔を。

 いつかまた、その笑顔を見たい。

 そんな希望が胸を満たす。

 ずっと無理だと、もう見られるはずがないと諦めてしまっていた願いだけれど、なぜだかいまは信じる事ができるような気がした。

 そうやって信じる事が強さだったらいいなと、そう思った。

 だからまずは、兄に笑顔でいてもらうためにも帰ってきたらこう言ってあげるのだ。

 

 

 

「ただいま。ナナリー」

 

「おかえりなさい。お兄様」

 

 

 

 扉を開く音と共に掛けられた兄からの挨拶に、ナナリーは笑顔で答える。

 いつもと何も変わらない、数えきれないほど繰り返してきたやり取り。

 それがいまは、どうしようもなく嬉しい。

 たとえ見えなくても想像できる兄の笑顔は、いつも通り優しくて、子供の時よりも大人びて凛々しくて、まるでお母様のようにうつくし――

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――えっ?」

 

 

 

 

 

 記憶よりも成長している兄の顔が、その瞳が、自分を映して大きく見開かれていく。

 それは、まるで本当に、目の前にあるかのようで。

 

「ナナリー…………お前、目が……」

 

 兄の声と共に唇が動く。

 それが自分の妄想なのか、幻なのか分からなくて、ナナリーは途方に暮れてしまう。

 

「おにい、さま?」

 

 無意識に声が零れた。

 それで目の前の兄が消えてしまうんじゃないかなんて、そんな恐怖がよぎる。

 吹けば消えてしまうような、触れれば消えてしまうような、ナナリーにとってはそれだけ焦がれた奇跡だったから。

 

 でも、兄は消えなかった。

 

 この8年間、ナナリーがずっと想像してきたよりも綺麗な顔立ちで、口を半開きにして驚いている。

 それでようやく、ナナリーはこれが現実なのだと、幻ではないのだと確信する。

 

「8年振りに、お兄様の顔を見ました……」

 

 震える声で、なんとか声を絞り出す。

 いつかの会話が自然と記憶に蘇った。

 

『ナナリーは、何を願うんだい?』

『優しい世界でありますように』

『お前の目が見える頃には、きっとそうなってるよ』

『本当に?』

『約束する』

 

 涙で視界が滲む。

 せっかく見えた兄の顔が、ぼやけて輪郭を失う。

 けれどぼやけた視界でも、兄が約束してくれた通り、ようやく見る事のできた世界(お兄様)はとても優しい色をしていた。

 

「ずっと……ずっと、会いたかった――――!」

 

 車椅子から身を乗り出してナナリーは兄に飛びつく。

 強くなるのだと、そう誓ったはずなのに、涙が溢れて止まらなかった。

 

 兄の胸の中で、ナナリーは優しい世界に包まれながら泣き続けた。

 





狙ったわけではなかったのですが、4周年にこの話を投稿できたのは幸運でした。
元々のプロットでは『囚われのルルーシュ編』はナナリー関係の話を全くやるつもりがなかったので、ここまでがっつりナナリーが絡みしかも開眼までした事に自分でも驚いています。

あと指摘するのも野暮なのですが、本話を書くにあたって原作アニメでナナリーが開眼した際の「8年振りにお兄様の顔を見ました」の台詞を時系列をきちんと整理して考えたところ、実は10年ぶりだった事に気付きました。
原作アニメ開始時点が皇歴2017年。マリアンヌ暗殺事件が皇歴2009年。ルルーシュがブリタニア皇帝に即位したのが皇歴2019年となっています。
別に気にする程度でもない粗ですが、そのおかげで今話で原作アニメとまったく同じ台詞を使えたのは嬉しい誤算になりましたね。

書きためも残りわずかです。

次回:お飾りの副総督

出典
Sound Episode4
STAGE:0.533「初めての友達」
『防災訓練に行こうとしたルルーシュを送り出すナナリー』

ピクチャードラマ⑧
STAGE:22.25
『ブリタニアにいた頃はやんちゃで我儘だったナナリー』
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