場が落ち着くまでには、それなりの時間が掛かった。
胸の中でわんわんと泣くナナリーに感化されたのか、それとも妹の目が見えるようになった事に感極まったのか、ナナリーを抱くルルーシュまで泣き出してしまったからだ。
兄妹のつながりの強さとその苦労を知っているスザクと咲世子は、水を差すような真似はせずに黙って二人の様子を見守った。
兄妹がようやく泣き止み、ルルーシュに介助されたナナリーが車椅子に戻ると、それを見ていたスザクと目が合う。
「やぁ、ナナリー」
目が合う、という共にいれば極々当たり前に起こる出来事に、ちょっとした感慨を抱きながらスザクは笑い掛ける。
そして自分の姿を見てもナナリーは誰だか分からない事に気付き、すぐに自己紹介をしようと続けた。
「僕は――」
「スザクさん、ですよね」
しかし自己紹介をするまでもなく、名乗る前にナナリーはスザクの名前を言い当てる。
「想像していた通りの優しい顔立ちだったので、すぐに分かりました」
そんな嬉しい一言が向けられ、スザクは膝をついて視線を合わせる。
綺麗で丸い紫紺の瞳。その眼差しは優しく、けれど意志の強さも感じられる。彼女らしく、そして誰かの面影を思わせる、そんな瞳だった。
「目が開いてると、ルルーシュにそっくりだ」
「お兄様と、ですか?」
「うん。いつも見てるから間違いないよ」
嬉しそうに聞き返してくるナナリーにスザクは微笑む。
「おめでとうございます。ナナリー様」
スザクに続いて、咲世子が祝辞を述べた。
ルルーシュはともかく、スザクにまで先を譲っているところに、ルルーシュの信頼を勝ち得た人柄が出ていた。
「ありがとうございます。咲世子さん」
余計な言葉を飾らない簡素な祝辞と感謝。
しかし二人の声には万感の思いが込められており、それは相手に十全に伝わる。
アッシュフォードで匿われてからは、下手をすればルルーシュ以上に時間を共にしていた二人だけに、その感動も
「どうして咲世子さんがここに?」
そんな二人を微笑ましく見ていたルルーシュが、ようやく咲世子がいる不自然さに気付いて首をかしげる。
「僕が呼んだんだ。ナナリーと相談して」
「お前が? それに、ナナリーも?」
話の経緯が見えず、ルルーシュは眉間に皺を寄せる。
しかし詳しく話を聞く前に最愛の妹から再び声を掛けられた事で、疑問は一瞬で彼方へと飛んだ。
「お兄様、C.C.さんは一緒ではないのですか?」
「ああ、C.C.なら――」
「呼んだか?」
ルルーシュが説明しようとすると、まるで図ったかのようなタイミングで扉が開き、件の女性が割って入ってくる。
まさか盗み聞きでもしていたのかとルルーシュは文句を言おうとしたが、その前にナナリーが喜びを露わにC.C.へと笑顔を向ける。
「C.C.さん! 無事だったんですね!」
「ああ。ただいま、なな――」
挨拶を言い掛けて、彼女の瞼が開いている事に気付いたC.C.が珍しく表情を驚愕の形へと変えた。
「お前……」
ポツリと零した言葉に続きはなく、代わりにいつもの余裕に満ちた表情を取り戻すと、C.C.はいつもと変わらぬ調子でナナリーに笑い掛けた。
「遅くなって悪かったな。だが、約束通り帰ってきたぞ」
「はい。おかえりなさい、C.C.さん」
元気良く返してくるナナリーに頷き、C.C.はチラリと視線だけを動かしてスザクを見る。
なぜ唐突に目を向けられたのか分からず首をかしげるスザクの間抜け面を確認し、C.C.は先程とは違った意味ありげな笑みをナナリーに向けた。
「私の頼みも、ちゃんと聞いてくれたみたいだな」
「もちろんです。約束でしたから」
ちょっと誇らしげなナナリーの頭をC.C.が優しく撫でる。
くすぐったそうに、でも嬉しそうに、ナナリーは目を細めた。
「えっと、なんの話?」
なんとなく自分に関係のある話のような気がして、スザクは訊ねる。
だが返ってきたのは、無情な視線といたずらっ子のような笑みだった。
「女同士の話に土足で立ち入ろうとするな」
「ごめんなさいスザクさん。秘密なんです」
言った直後に、二人は視線を合わせて笑みを交換する。
いつの間に仲良くなったんだと、妹への悪影響を考えてルルーシュは頭を抱えるが、すぐにいま問い詰める事ではないと、脳内のスケジュール帳にC.C.への詰問の予定を入れて思考を切り替えた。
「C.C.、問題はなかったか?」
「ああ。多少のトラブルはあったが大事ない。お前が残してくれた土産のおかげでな。一応、礼を言っておいた方が良いか?」
「不要だ。お前が捕まった経緯は聞いている」
C.C.の問い掛けにルルーシュは首を横に振る。
そして真剣な表情でC.C.の目を真っ直ぐ見た。
「礼を言うなら俺の方だろう。感謝する、C.C.。ナナリーを守ってくれて」
ルルーシュらしからぬ真摯なお礼の言葉に、C.C.はわずかに目を見開く。
しかしそれもすぐに飄々とした笑みに取って代わる。
「いつもそれくらい素直なら可愛げもあるんだがな」
普段の調子でからかいの言葉が吐き出すC.C.にため息をつきそうになるルルーシュだったが、続けられた言葉がそんな気持ちを吹き飛ばした。
「それに礼ならこっちも不要だ。私は約束を果たしたに過ぎん」
――お前とスザクが黒の騎士団の活動をしている間、私がナナリーの世話と護衛を受け持とう。
自分が捕まる前に彼女が口にした約束。
それはあくまでもマオの件での責任を取るものであり、今回の件に適用されるものではない。
まさかルルーシュも、単なる口約束にC.C.がこれほど身を挺してくれるとは思っていなかった。
約束を交わした時にも感じた事だが、いつかスザクが言っていた通り、いやそれ以上に、C.C.は責任感が強いらしい。
それとも律儀というべきだろうか。
普段の姿からはまるで想像できないが、彼女は口にした事は必ず守る。たとえそれが、どんなものであれ。
「C.C.さんはお兄様と一緒ではなかったんですか?」
C.C.がルルーシュと共に助け出されたと勘違いしていたナナリーが首をかしげる。
「協力者がいたんだよ」
「ジェレミアさんですか?」
協力者と聞いてナナリーが真っ先に思い浮かぶのは、今回の作戦のきっかけにもなったスザクに連絡をしてきた軍人だ。
しかしC.C.は聞き覚えがなかったのかあっさりと首を振る。
「いや。そいつが誰かは知らんが、別の奴だ」
「えっ? では……誰が?」
ルルーシュとC.C.の救出作戦の詳細に関して、ナナリーは聞いても理解はできないため初めからスザクに訊ねていなかった。
そのためジェレミア以外にも協力者がいるという話も聞いていない。
「ああ、それはな――」
ナナリーの疑問にC.C.は包み隠さず協力者の名を明かす。
協力者というには、少々皮肉が過ぎる彼女の異母姉の名を。
「ルルーシュが逃げ出した!?」
政庁に帰ってきたコーネリアを出迎えたユーフェミアは、一緒にいるはずのルルーシュとナナリーがいない事に首を捻り、事の経緯を聞かされると信じられないとばかりに目を見開いた。
「どういう事ですか!?」
「いま話した通りだ。ルルーシュには最初からナナリーを連れて帰ってくるつもりがなかった。ジェレミアと共謀して逃げ出そうとしていただけで、ナナリーの事もこの政庁から出るための口実に過ぎなかったのだ」
実の姉から語られた、あんまりな事実にユーフェミアは言葉を失う。
しかし話はそれだけに留まらなかった。
「もう一つ悪い報せがある。ルルーシュが指定した場所には、黒の騎士団が待ち伏せをしていた」
「えっ……?」
突然出てきたテロ組織の名前に思考が追いつかず、呆けた声が零れる。
一瞬ルルーシュが怪我をしたのかと心配もよぎったが、続けられた言葉に今度こそユーフェミアの思考は完全に停止した。
「信じたくはないが、ルルーシュはゼロだったんだ」
拳を握り、悔しいのか悲しいのか腹立たしいのか、いままで見た事がない顔をするコーネリア。
色んな感情が入り混じって、自分でもどんな風に受け止めれば良いのか分からないとでも言うように表情を歪ませる姿は、剛毅果断を常とする姉からは想像もできないほど弱々しかった。
「ショックは大きいだろう。しかしランスロットが現れ、私の目の前でルルーシュを連れ去った。もはやルルーシュがゼロである事は疑いようがない。それに……ルルーシュ本人も、認めた……」
コーネリアも信じたくはないのだろう。最後につけ加えられた言葉はわずかに震えていた。
「だが安心しろ。ルルーシュは必ず私が連れ戻す。そのための手掛かりも捕まえているんだ」
自分の肩を掴み、コーネリアが元気づける言葉を掛けてくれる。
そこでようやくユーフェミアも自失から立ち戻った。
「手掛かりとは……C.C.さんの事ですか?」
「ユフィ、お前なぜその名前を……?」
妹から出るはずの無い名前にコーネリアは困惑を露わにする。
動揺が抜けきらないユーフェミアは、姉の問いに反射的に頭を下げた。
「申し訳ありませんお姉様! C.C.さんは……その、私が外に案内して逃げてもらいました……」
「なっ!?」
寝耳に水の告白に、コーネリアが目と口を中途半端に開いた間抜け面を晒す。
その後もパクパクと無意味に口が動き、しかし言葉は出てこない。
ようやくコーネリアが意味ある声を発せたのは、たっぷり5秒も経った後だった。
「なぜそんな事をしたんだ! いや、それよりもあれの存在をどうやって知った!?」
叱責と詰問、半々の怒声にユーフェミアは迷うようにわずかに瞳を泳がせる。
しかしすぐに誤魔化せないと悟ったのか、観念して答えを口にした。
「……頼まれたんです」
「頼まれた? 誰にだ?」
「ルルーシュに。自分のせいで捕まってしまった友人を逃がしてやってほしいって」
「っ……!」
その答えに全てが異母弟の手の平の上であった事をコーネリアは悟った。
妹を責める言葉を口に出す事もできず、かといって怒りを向ける異母弟はどこにもおらず、行き場のない感情を持て余したコーネリアはそれを無理やり呑み込んで、深く深く息を吐き出した。
「この件は、関わった全ての者に
「……はい」
「父上には私から報告する。その際にはできる限り便宜を図っていただけるように説得もする。お咎めなしとはいかないかもしれないが、幸い黒の騎士団の影響はまだそこまで大きくない。おそらく大事にはならないだろう」
「……」
「シュナイゼル兄上には、ルルーシュとナナリーが生きていた事も含めて今回の件は全面的に伏せるつもりだ。だからお前も、兄上の前では二人の話題は出さないようにしてくれ」
ユーフェミアの耳に、コーネリアの言葉が右から左へと流れていく。
代わりに聞こえてきたのは、つい数時間前に耳にした厳しい言葉。
彼女が言っていたのはこういう事だったのだと、ユーフェミアは心に針を突き刺されたかのような痛みと共に実感した。
ユーフェミアがルルーシュからその話をされたのは、ナナリーを連れ戻すとルルーシュが宣言した後、彼に宛がわれている部屋で二人きりになった時の事だった。
『ユフィ、君に頼みがあるんだ』
これまでどんなに話し掛けようと口を利いてくれなかった異母兄が自分を頼ってくれた事実が嬉しくて、ユーフェミアは詳しい話も聞かずに首をぶんぶんと振って快諾した。
『こんな事を君に頼むのは筋違いかもしれない。いままでずっと会話すら拒んできたのに、都合が良すぎる話だという事も理解している。だが、君以外に頼れる相手がいない。どうか話を聞いてくれないだろうか』
水臭いと、家族なんだから遠慮なんてしなくても良いと、確か自分はそんな風に答えた気がする。
この時に自分が口にした事は、嬉しさで頭がいっぱいになっていて正直はっきりとは憶えていない。
『ありがとう。実はジェレミアから聞いたんだが、俺の友人がこの政庁に囚われているらしいんだ』
でもルルーシュが話してくれた事は一言一句、鮮明に憶えていた。
『彼女にはナナリーの事を頼んでいた。だがそのせいで捕まって、皇族を隠していたと罪に問われているらしいんだ』
目を見て、言葉を交わしてくれる。
それだけの事に満足して、ルルーシュがどんな気持ちで、どんな思惑を持って話しているのかなんて、そんな事は考えもしなかった。
『このままでは皇族を軟禁していたと彼女が冤罪で裁かれかねない。いや。俺達の生存を公にするなら、確実にそうなるだろう。誰かに責任を取らせなければならないからな』
ただ彼を助けたかった。彼の力になりたかった。
そうしたら、子供の頃のあの時間が戻ってきてくれるんじゃないかと、そう思った。
『だからユフィ、俺がナナリーを迎えに行っている間に、彼女の事を逃がしてくれないだろうか?』
断ろうなんて、そんな選択肢は思考の隅にも浮かばなかった。
だってこの心配さえなくなれば、ルルーシュはずっと私達の傍にいてくれる。
『彼女は何も悪くない。ただ俺の願いを聞いて、ナナリーを守ってくれていただけなんだ』
何より、頭の良いルルーシュに私なんかが何かをしてあげられる事が、嬉しくてたまらなかったから。
『俺達のせいで彼女が裁かれる。そんな事になれば、俺は自分を許せなくなる。だから頼む、ユフィ。俺の代わりに彼女を助けてくれ』
ルルーシュとナナリーとお姉様と私。
四人で笑い合える明日が来ると信じて、私は任せてと思いきり胸を叩いた。
その方は、想像していたよりもずっと綺麗で、想像していたよりもずっとたくましかった。
「誰が描いた絵かは想像がつくが、一応礼儀として聞いておこう――――なんの用だ?」
ガラス張りの牢獄に囚われながら、憔悴した様子を一切見せずにこちらを値踏みする金色の瞳。
さすがはあの異母兄の協力者だと納得してしまう空気を目の前の女性は纏っていた。
「初めましてC.C.さん。私はユーフェミア・リ・ブリタニア。ルルーシュの妹で、ナナリーの姉です。ルルーシュに頼まれて、あなたをここから連れ出すために来ました」
丁寧に頭を下げて自己紹介する。
そこからは早かった。用意していた鍵を使って彼女を牢獄から出し、これまた準備していた制服に着替えてもらって堂々と政庁の出口へと向かう。
彼女の存在は政庁でも知らされている者が殆どいないので、見咎められる心配はない。念のため来客用のIDも渡しているし、副総督である自分も一緒にいるのだから怪しまれる可能性は皆無といって良かった。
「用意周到だな。これもルルーシュの入れ知恵か?」
副総督を相手にしているとは思えない態度でC.C.が問うてくる。
身内以外にフランクに話し掛けられた経験のなかったユーフェミアは、新鮮な気持ちで頷いた。
「ルルーシュはC.C.さんをとても心配していましたから」
その答えにフッとC.C.は愉快気に口の端を吊り上げた。
「あいつが私を心配? 面白い事を言うな」
「冗談を言ったわけでは……」
心配していなければ、わざわざ自分に彼女を助けてくれなんて頼むわけがない。
そう説明しようとしたところで、待っていたエレベーターが到着して扉が開く。
「ユーフェミア皇女殿下!?」
呼ばれた当人が面食らうほどの大声が響く。
それを口にしたのは、エレベーターに乗っていた小太りの男だった。
「このようなところでお会いするとは、私はバトレー・アスプリウスと申しま――!」
感極まったかのように名乗りエレベーターから出てきた男は、ユーフェミアの隣にいたC.C.に気付いて目を見開く。
「貴様! なぜここに――!」
「悪いが、いまお前の相手をしている暇はないんだ」
男が意味のある言葉を発するより前にC.C.は動いていた。
大きく一歩を踏み込み、自分に指をさしてきた男の手を掴む。
「ぁぁあああ――――!」
「眠っていろ」
C.C.に手を掴まれた男は、何か恐ろしいものを見たかのように一瞬で顔を青ざめさせた。そして堪え切れないとばかりに叫び出そうとしたが、その前にC.C.の拳が男の意識を刈り取る。
「C.C.さん、一体何を――」
うつ伏せに倒れ込み意識を失う男を前に、ようやく思考が追いついてきたユーフェミアは訳が分からず事情の説明を求めようとするが、それは叶わなかった。
「きゃああああ!」
ユーフェミアの問いが突然響き渡った悲鳴により遮られる。
振り返れば、政庁の女性職員がタイミング悪く倒れたバトレーを見ていた。
「な、何があったんですか!? その人、どうしたの? まさか、死んで――!?」
白目を剥いて倒れる男の姿に混乱した職員が、震える声で最悪の推測を口にする。
しかしそれは、場違いなほど冷静な声に否定された。
「安心しろ、死んではいない。気絶しているだけだ」
「あっ……そ、そうなんですね。でもなんでそんな事に……」
これがもし、ただ男が倒れているだけならいくらでも言い訳が利いただろう。持病で倒れたとか、転んで頭を打ったとか、二日酔いだったとか、適当な理由を並べ立てて納得させる事ができたはずだ。
しかし都合の悪い事に、男は白目を剥いて倒れていた。この様子を見て、そんなでまかせはおそらく誰が聞いても信じない。
「何があったかは分からん。私が見たのは軍服を着た眼鏡の男が、この男を襲っているところだけだ。私達が駆けつけたら逃げて行ったがな」
C.C.もそれが分かっていたから、詳しい説明をしなかった。
ただ自分がやったのではないと、矛先を逸らす嘘を口にする。
しかしそれで簡単に騙されてくれるほど、職員も頭がお花畑ではなかった。
動揺が抜けきらない様子ながらも疑いの目をC.C.に向けて来る。
「……」
面倒な事になりそうな空気に、内心でC.C.はため息をついた。
目の前の職員も気絶させてしまおうかとも考えるが、彼女の悲鳴のせいか人の気配が近付いてきている。ここで短気を起こして決定的な場面でも見られれば、またあの牢屋に逆戻りだろう。
逃げるべきか、留まるべきか。
自分が取るべき選択肢を一瞬だけ考え、C.C.はどちらも意味がないと首を振った。
逃げたところでここは敵陣の真っ只中。政庁の外に出る事すら叶わず捕まるだろう。
留まれば現場に居合わせた自分は事情聴取を受ける事になる。来客用のIDを持っているとはいえ、身元不明な怪しい人物を警備の人間が見逃すはずがない。どれだけ上手い嘘をついたところで必ず拘留される。
詰んだな、とC.C.が潔く諦めようとしたところで、隣にいたお姫様が自分を庇うように前に出た。
「彼女の証言は真実です」
凛とした声が政庁の廊下に響き渡る。
その声を発した人物を見て、女性職員は再び驚愕する。
「ゆ、ユーフェミア様」
「私も同じものを見ました。政庁に侵入者がいます」
女性職員だけでなく、駆けつけた職員や警備員に聞こえるようにユーフェミアは言い放った。
「誰か、この方を医務室に運んでください。警備の方は侵入者を逃さぬように厳戒態勢を取りなさい」
イエス・ユア・ハイネス、と皇族の命令に従って野次馬が慌ただしく動き出す。
C.C.はユーフェミアの連れという事で立場が保証され、侵入者の特徴について警備の人間に聞かれただけで解放された。
しかしさすがに侵入者が入り込んでいる政庁からそのまま出ていく事はできず、ユーフェミアとC.C.は副総督の私室へと一時避難する。
「申し訳ありません。こんな事になってしまって……」
「いや、お前のせいじゃないさ。むしろ助かったよ。お前がいなきゃ今頃また捕まっていただろうからな」
頭を下げるユーフェミアに、ひらひらと手を振ってC.C.は感謝を返す。
「少ししたら訓練だったと告知しますので、それまでここで待っていてくださいますか?」
「もちろんだ。よろしく頼むよ、お姫様」
軽く答えてどかっとソファに座るC.C.。
ユーフェミアも対面のソファに上品に腰掛けた。
「さっきのも含めて、今回の件の礼だ。何か聞きたい事があるなら答えてやるぞ。言いたくない事でなければな」
お礼と言いながら、尊大な態度でC.C.はそんな事を口にする。
どちらが皇族か分からないような有様だったが、態度の大きさはともかく、だらしなくソファに腰掛けるC.C.はどう見ても、皇族というより甘やかされて育った我儘な令嬢にしか見えない。
苦笑もせずにそれを許すユーフェミアは、傍から見ればさしずめその姉だろうか。
「聞きたい事……ですか」
言われた言葉を繰り返して、ユーフェミアはうーんと頭を悩ませる。
改めてそう問われれば、質問は山のようにあった。
あなたは誰? ナナリーはどんな風に成長してるの? 目と足は治った? あなたとルルーシュとの関係は?
しかしユーフェミアが選んだのは、そのどれでもなかった。
「あなたは……誰も傷付かずに済む。そんな未来が訪れると思いますか?」
こんな事を今日会ったばかりの赤の他人に訊くのは間違っている。
そう思いながらも、ユーフェミアはいままで誰にも訊ねる事ができなかった問いを目の前の女性にぶつけていた。
きっとそれは、彼女からなら忌憚のない本音からの答えを聞けると思ったからだ。
「ある人が言っていました。人は大切なものを守るために戦うのだと。でも戦うという事は、誰かが傷付くという事です」
「……」
「私はそれを止めたいんです。争わずに済むなら、それが一番だと思うから」
新宿でスザクから話を聞いた時から――いや、それ以前からユーフェミアはずっと考えていた。
戦いをなくす方法を。誰も傷付かずに済む方法を。
でも未だに、答えは出ない。
「C.C.さんはどう思いますか? やっぱり、そんな世界は夢物語なんでしょうか?」
誰もが争いなんて望んでいないはずなのに、人は争う事をやめられない。
大切なものを守るために、武器を持って相手の大切なものを傷付ける。
そんな不毛な連鎖を繰り返している。
とても悲しくて、不条理な世界。
それを変えたくて、でも変える方法なんて見当もつかなくて、ユーフェミアは手掛かりを求めてC.C.に問う。
聡明な異母兄と特別な関係にあるだろう彼女なら、何か答えを持っているのではないかと。
しかし――
「そんな事、私に分かるわけがないだろう」
返ってきたのは、ぞんざいな諦めだった。
真面目に考えたのかも怪しい――それどころか、真面目に考える価値すらないと投げ捨てたような粗雑な返答。
自分からお礼に答えてやると言ったとは思えない態度だったが、ユーフェミアはそれに不満を覚えるような事はなかった。求めていた答えを得られなかった落胆が不満を上回る。
「そう、ですよね……」
「だが、いまのお前ではそれが為せない事は分かる」
どん底まで落ち込もうとしていた心が、続けられた言葉に引き止められる。
何も分からず右往左往する自分よりも、少なくともなんらかの結論を目の前の女性が出している事を知って。
「それはなぜですか?」
「簡単だよ。お前が何もしようとしないからだ」
「えっ……?」
予想外の答えにユーフェミアは固まった。
きっと能力不足を指摘されるのだろうと、そう思っていた。
力もなく、頭も悪く、政治力や交渉術に長けているわけでもない。
そんな自分が何をしようとしても無駄だと、表面上は敬意を払いながら蔑んだ目を向けてくるあの人達のように。『お飾りの副総督』にできる事などないと言われるのだと、ユーフェミアはそう思い込んでいた。
「なぁ、お前はどうして誰も傷付かずに済む未来が訪れるか、なんて聞き方をしたんだ?」
C.C.の問いに、その意図が分からずユーフェミアは答えに詰まった。
しかし質問を差し挟む前にC.C.は続ける。
「誰も成し得ていない何かがある時、そこには必ず理由がある。大きく分けて、三つの理由がな」
白魚のように白い指が3本立てられる。
「そもそも不可能な事柄である。誰もやろうとしないほどバカバカしいものである。そして最後に、誰も達成できないほど困難である。お前は自分が言った理想がどれに当てはまると思う?」
言われて、ユーフェミアは考える。
まず誰もやろうとしないほどバカバカしいものだという事はないはずだ。
誰だって争いなんて望まない。それがどれだけ途方もない事であろうと、そんな世界であったらいいとみんな願うはずだから。
だとすれば、残りは二択。
不可能か、困難か。
似ているようで、決定的に違うそれに、ユーフェミアは答えを出せない。
前者ではないと、そう思う。というより、願う。
だってそれが不可能なら、自分の悩みは全部無意味で、無価値なものでしかな――
「当ててやろうか? そんな事は不可能だ、そう思っているんだろう?」
ユーフェミアの淡い願いを打ち砕く問いを、C.C.は楽しげに、見透かすような瞳で彼女を射抜きながら口にする。
「そんな事は……!」
「ならなぜ、お前は私にあんな聞き方をした?」
最初の質問が返ってくる。
やはりその意図が分からないユーフェミアに、C.C.は今度こそ質問の真意を明かした。
「先程の問い。私が答えられるかは別にして、お前が聞くべきは、誰も傷付かずに済む未来が訪れるか。ではなく、誰も傷付かずに済む未来を作る方法はあるか。ではないのか? まさか願っていればそんな世界が勝手にやって来ると思っているわけではあるまい?」
ハッと、ユーフェミアが息を呑む。
「お前は無意識に諦めているんだよ。そんな未来を作れるわけがない。誰も傷付かない世界なんてあり得ない、とな」
それに反論する言葉を、ユーフェミアは持たなかった。
何度も思索を重ね、数えきれない時間を掛けて悩んで、それでも答えの出ない問いに奮起しながら気付かぬ内に抱いた諦観。
彼女はそれを見抜いていた。
「諦めた人間に為せる事などない。大人しく鳥かごの中で外の世界を憂いているのがお前にはお似合いだ」
そうすれば、鳥かごの中は平和なままだから。
どれだけ外が凄惨であろうと、悲劇と惨劇が繰り返されようと、目を瞑ればそれはないのと同じだから。
これまで通りそのままでいろと、愕然とするユーフェミアに引導を渡す言葉が告げられる。
「それでも……」
しかし見た目に反してユーフェミアは、聞き分けの良い少女ではなかった。
「それでも私は、誰にも傷付いてほしくありません。お姉様にも、ルルーシュにも、ブリタニア人にも日本人のみなさんにも、笑っていてほしいんです。そんな世界を、作りたいんです」
無理だからやめろと、そう言われたくらいで引き下がれるのならこんなにも悩んではいない。
方法がないとしても、それでもなんとかしたいから藻掻いているのだ。
良く言えば理想、悪く言えば子供っぽい我儘と一蹴する事のできる純粋無垢な訴えに、C.Cは冷たい眼差しを返した。
「なら、どうしてお前は動かない?」
「それは……」
膝の上でユーフェミアが拳を握る。
「……私にはどうすればいいか分からなくて、何かを変えられるような力もないから……」
悔しさの滲んだ、己の無力を噛み締める言葉が零れる。
どれだけ変えたいと願っても、どれだけ助けたいと望んでも、その方法も思いつかなければそれを為す力もない。
姉を始めとした他の兄妹はみんな優秀なのに、自分だけが違う。
これまで散々思い知らされた己の才覚にユーフェミアは拳を握るが、そんな悲劇のヒロイン気取りの弱音に付き合ってくれるほど、目の前の魔女は優しくなかった。
「できないからやらない、と。くだらないな」
心底どうでもいいとばかりに鼻で笑われる。その笑いは、どこか自嘲を含んでいるかのような響きがあったが、直接的な侮蔑を向けられた経験など殆どないユーフェミアは、自分の事で精一杯でそれどころではなかった。
「お飾りの副総督か。なるほど。誰が評したのかは知らんが、的確な評価だ」
「っ!」
散々陰口を叩かれた蔑称をぶつけられ、ユーフェミアの視界が真っ赤に染まった。
「――――だったら、どうすればいいんですか!」
いままで人生で一度も出した事がないような大声が感情と共に爆発する。
テーブルを叩いて立ち上がり、制御できない怒りが拳を振る動作に現れ、激烈な熱が瞳に宿る。
「私だって過分な地位にいる自覚くらいあります! お飾りだって言われている事だって知っています! でも、この前まで学生だった私に何ができるって言うんですか? お姉様みたいにできるなら、最初からこんなに悩んだりしていません!」
副総督になってからずっと心の底にため込んでいた不満が、せき止める理性を突き破って溢れ出す。
これが理不尽な八つ当たりだと頭の隅で理解していながら、そんなものは感情の大渦に押し流される。
「でも任されたからには、お飾りでも副総督なんだからできる事を精一杯やろうって、そう思って! 必死に、頑張って、考えて――!」
「考えて、それで何をした?」
嘆きと怒りで頭が真っ白になりながら、それでも感情のままに吐き出した叫びが、絶対零度の声によって凍りつく。
涙を滲ませる皇女の苦悩など意に介さず、魔女はただ結果だけを問うた。
「このエリアに来てすぐに、新宿に行ったらしいな」
感情の矛先を見失ったユーフェミアに頓着せず、いきなりC.C.は話題を変えた。
それは彼女が知るはずもない情報だったが、追い詰められているユーフェミアは気付かない。
「お前はそこで何を見た?」
淡々と、感情の読めない瞳を向けてくるC.C.。
爆発した感情を強引に鎮火させられたユーフェミアは、再び叫び出す事もできずにボスッとソファに腰を下ろした。
「……とても悲しい、争いの結果を見ました。あのような光景は、もう見たく……いえ、なくさなければと、そう思いました」
あの日スザクと共に見た光景を思い出し、素直に問いに答える。
ここまで非礼な言葉をぶつけられながら、それでも無視する事ができず答えを返すのはユーフェミアの善性故か。
しかしそんな善性など求めてないとばかりに、C.C.から返ってきたのは盛大なため息だった。
「お前はそればかりだな」
「……どういう意味ですか?」
「決意ばかりが立派で、中身が伴わないという意味だ」
あからさまな侮蔑に怒りが再燃し反論しようとするが、口を開くのはC.C.の方が早かった。
「悲惨な景色を見て、可哀想だと同情し、なのに手を差し伸べようともしない。いまも新宿では、家もなく、仕事もなく、食べるものすらない浮浪者が大勢いるにも関わらずな」
「――――!」
考えた事もなかった事実を告げられ、口にしようとしていた反論と共にユーフェミアはヒュッと息を呑んだ。
「副総督であれば、荒れ果てたゲットーの整備や職にあぶれたナンバーズの雇用の斡旋も可能だろう。まさかそんな事すら
できる事を精一杯やろうと言ったユーフェミアを嘲るように、C.C.は笑う。
「それともお前が追い求める争いのない世界を作るためには、そんな小事にかかずらっている暇などないか? 目の前で餓死するイレブンなど助けても、お前の夢の実現には近付かないしな」
「そんな事はありません!」
自分の身体を抱き、首を振ってユーフェミアは叫んだ。
蒼白な顔で震えるその姿に、しかしC.C.は一切の同情などせず、ただ厳然たる事実をぶつける。
「コーネリアはエリアの平定を目指し、ゼロはブリタニアの打倒と弱者の救済を掲げ、そしてルルーシュは妹が安全に暮らせる環境を作ろうとして、全員がそれぞれの目標を遂げるためになんらかの行動を起こしている。だがお前はこんな世界ならいいのにと夢を語るばかりで、何も行動に移そうとはしない」
彼女の言葉は、いままでユーフェミアが気付こうとも見ようともしなかった欺瞞を乱暴に暴き出す。
「自分には力がないだと? できる事をしようともせず笑わせる。無力を嘆いている暇があるなら、能力を身につければいいだろう。自分が人を率いる器ではないというなら、同じ思想を持ったリーダーを引き入れればいいだろう」
ユーフェミアには何も答える事ができなかった。
言葉を浴びる度に、身体の震えが大きくなる。
「姉のような武力も、ルルーシュのような頭脳もないから、誰かが自分の代わりにやってくれるのを待つのか? そんな運任せで叶うほど、お前が目指す世界は容易いものなのか?」
それでもC.C.は容赦しない。
震えながらも耳を塞ぐ事だけはしないお姫様に、彼女が望んだ答えを存分に聞かせる。
「自分では動こうともせず、お綺麗な夢を語り、それができない言い訳を並べ立てる。お前が必死にやっている事といえば、それだけだ。そんなもので自分を誤魔化して慰めている限り、お前の夢は永遠に叶わない。姉のお人形として守られ続けるか、その純粋な思いを利用しようとする者の甘い言葉に騙されるのが関の山だろうさ」
その筆頭が彼女の異母兄である事は告げず、C.C.は一度大きく手を叩いた。
身を縮こまらせ、俯いていたユーフェミアがその音に驚いて顔を上げる。
怯えた目で自分を見てくる視線を絡み取り、C.C.は吐き捨てた。
「神聖ブリタニア帝国第三皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニア。お前がお飾りの副総督と呼ばれているのは、姉のごり押しでその立場を得たからでも、お前の能力が副総督として足りないからでもない。ただお前が何もしようとしないからだ」
お礼というにはあまりにも辛辣な言葉を送り、魔女は皇女への回答を締めくくる。
皇女に対して不敬極まる全否定は、決して消えない深い傷と共にユーフェミアの心に刻み込まれた。
読んだ方の9割は気にしていないと思いますが、一応補足しておくと、バトレーが政庁にいたのは翌日に視察に来るシュナイゼルと合流するために、式根島(と神根島)に(ナイトメア持参で)渡るための手続きをしに来ていたからです。
次回:長い一日