ナナリーが黒の騎士団に身を置くようになって二カ月の時が経とうとしていた。
ここでの生活にも、目が見える環境にもようやく慣れ始め、外出ができない以外には特別不自由のない暮らし。
アッシュフォード学園のメンバーと会えない事を寂しく思う事はあれど、それは学園を出た時から覚悟していた事であり、不満という不満もない生活をナナリーは送っていた。
黒の騎士団の客人となったナナリーの一日は、親しい人との朝食から始まる。
ルルーシュ、スザク、C.C.、三人と黒の騎士団の食堂でテーブルを囲み、談笑しながら食事をとる。
まるで7年前のあの頃に戻り、そこにC.C.も加わったような朝食の時間を、ナナリーは毎日楽しみにしていた。
「スザクさんは今日も訓練なんですか?」
「そうだよ。最近ちょっと新しい事を試しててね。慣れるために訓練の時間を増やしてるんだ」
「昔みたいにぶっつけ本番でなんでもやろうとしなくなったのは良い傾向だな」
「これでも元軍人だからね。訓練の大切さは身に染みてるよ」
「ほぉ。それだけ訓練をしているなら、不意を突かれて後ろから麻酔弾を食らうような事もなさそうだな」
「なんだC.C.? その具体的な例えは?」
「はは……」
朝食が終わると、黒の騎士団の仕事に行くルルーシュとスザクを見送り、ナナリーはC.C.と二人で宛がわれている自室に戻る。ちなみに部屋はC.C.と同室で、ルルーシュはスザクと同室になっている。
当初はC.C.とナナリーが同室になる事に難色を示したルルーシュだが、一人部屋だと何かあった時に対処が遅れてしまうし、兄妹といえど年齢的にルルーシュと同室というのも問題がある。アッシュフォードでナナリーの世話をしていた咲世子ならルームメイトとして適任だが、名誉ブリタニア人という立場を活かすためいまは租界で過ごしているので、残念ながらここで寝泊まりはしていない。
以上の理由からナナリーと部屋を共にできる人材はC.C.以外に存在しなかった。何を心配したのか、ルルーシュからは不満があったら対策を考えるからすぐに報告しろと言い含められ、C.C.本人にも「私は遠慮しないからお前も遠慮する必要はない」と告げられていたが、いまのところナナリーにはC.C.と部屋が一緒である事になんの文句もない。
むしろC.C.が同室で良かったと思う事の方がずっと多かった。
「そんなわけで、ブリタニアのエリア政策はナンバーズの人権や命よりも、生産量やブリタニア人が暮らす租界の充実などが優先される。もちろんエリアの総督によって違いはあるが、ナンバーズが配慮される事などよほどの事情がない限りあり得ないといえるな」
教材の該当箇所を示しながらC.C.が丁寧に解説してくれるのを、ナナリーは聞き逃さないように注意してノートを取る。
黒の騎士団に来てからというもの、ナナリーは空いている時間でブリタニアと日本についての勉強をしていた。いままではブリタニア側からの視点でしか知らなかった事柄を、日本や第三者の目線から学びたいと兄に伝えると、次の日には山のような資料と手作りの教材をプレゼントされた。
自分が手ずから教えると意気込む兄に、ゼロとして忙しいはずの時間をそんな事で浪費させるわけにはいかないと固辞して、ナナリーは一人で自習する事に決めた――のだが、教えてくれる者がいない勉強というのは想像以上に難解で、酷く苦戦する羽目となってしまった。8年も盲目だったため、教材を読んで学ぶという経験がなかったのも原因の一つだろう。
そして頭を抱えてうんうんと唸る自分を見かね、声を掛けてくれたのが同室のC.C.だった。
ナナリーが使っていた教材を読み、どこが分からないかを訊ね、分かりやすく噛み砕いて教えてくれたのだ。
それから何度も同じような事があり、いまでは分からないところがあればナナリーの方から訊ねるようになっている。
「これはブリタニアにおいてナンバーズが人として扱われないためでもあるが、エリアを統治する者が皇族である事も大きい」
各エリアの総督には皇族が就任するのがブリタニアの習わしだ。
このエリア11も最初はクロヴィスが、そしていまはコーネリアが総督となっている。
「どうして皇族である事が理由になるのですか?」
「ナンバーズに甘い政策を取って、周りに主義者とでも思われれば自分の立場が危ういからだよ」
最近の勉強で政治に関しての知識を得ていたナナリーの顔に、ある程度の理解の色が窺える事を確認してC.C.が説明を続ける。
「こういう言い方もどうかと思うが、ブリタニアは差別国家だ。それは国内の身分制度に収まらず、自国民を上位に、他国民を下位として差別している。お前も聞いた事があるだろう? 皇帝が中華連邦の民を怠け者、EUの人間を人気取りなんてバカにしていたのを」
自分の父の暴言を問われ、複雑そうな顔をしながらナナリーは頷く。
皇帝が他国を悪し様に罵るのは珍しくない。それはブリタニアの国民なら誰だって知っている歴然とした事実だ。
「だからこそ他国を自国に取り込んだ時、その差別意識はより強さを増す。元々の差別に加え、勝者と敗者という格差ができてしまうのだから、それも当然と言えるがな」
「…………」
「国家が差別を推奨しているのに、エリアを治める総督がナンバーズに気遣う政治姿勢などみせれば周囲からどう見られるか、いまのお前なら分かるだろう?」
C.C.からの問いにナナリーは答えられなかった。そしてその沈黙こそが、答えだった。
ブリタニアと日本について学ぶのと同じくらいナナリーが知りたがったのは、異母兄弟でありエリア11の総督であるクロヴィスやコーネリアの政治姿勢だった。そしてその二つは密接に関わっていたため、皇女だった時には幼く知り得なかった皇族という身分について、一般的な教育では教わらないところまでナナリーは既に学んでいる。
だからこそ理解できてしまう。皇族という身分がどれほど強い権力を持っており、同時にどれだけ身を危うくする諸刃の剣であるかという事を。
もし主義者だという噂が広まってしまえば、それが事実であるかなど関係なく支持してくれている貴族が離れていくのは避けられない。もしかしたら政敵に証拠をでっち上げられて、国家反逆の濡れ衣を着させられる可能性すらあり得るだろう。ただでさえ皇族は互いに皇位継承権を争うライバルなのだ。弱みを見せれば付け込まれて、あっという間に追い落とされる。
「実利的な面からも、ナンバーズに生活環境を整えるより、租界を整備してブリタニア人の生活を豊かにする方が利益が大きい。もちろん衛星エリア昇格のためにはゲットーやナンバーズの治安にも目を向ける必要は出てくるだろうが、それは徹底的に牙を折った後での話だ。反抗する気力すらなくして従わせた方が手間も少なく済む」
ナンバーズに配慮した政治姿勢にメリットはなく、それどころかデメリットにしかならないと丁寧に説明されてナナリーの顔が沈む。
スザクや咲世子と接してきたナナリーに、人種による差別意識はない。だからこそ生まれた国が違うというだけで他者を蔑む価値観が理解できなかった。そういうものがあるという事、そしてブリタニアがそれを推奨する国家だという事はこれまでの学習で知っていてもなお、人の命が皇族の自己保身やエリアの生産力よりも蔑ろにされる価値観は受け入れがたい。
「でもユフィねえ……ユーフェミア副総督は、ゲットーを再建されると発表されましたよね?」
わずかな希望を見出すかのように、ナナリーが最近公式に発表があった政策について言及する。
まだ着工はされていないが、あれはブリタニアがナンバーズに対して見せた温情といえるはずだ。
「ああ。だがあれはコーネリアの後ろ盾がある事と、姉妹で役割分担できている事が大きい。総督であるコーネリアがテロリストの殲滅と租界の安定を、経験の少ない副総督であるユーフェミアが失敗しても痛手の少ないゲットーの再建を担当する。少なくとも周囲にそう思わせる事で、ユーフェミアがナンバーズに甘いという印象を抱かせないようにしてるんだ」
おそらく周囲からは、コーネリアがユーフェミアに政治を教えるための課題を出した、程度の認識だろうとC.C.は語った。
元々大して政策に関わっていなかったユーフェミアだ。遊ばせておくよりも、失敗を前提に経験を積ませた方が今後のためにもなる。どうせ何かあっても被害を被るのはイレブンなのだから損もない。
ある意味ユーフェミアが侮られているからこその政策であり、暗に他のエリアでは使えない手法であると説く。
「そんなわけで総督としてはエリアを発展させるためにも、皇族としての立場を守るためにも、ナンバーズにいらぬ温情を与える政策が施行される事はない。結果的にナンバーズの不満は溜まり、テロリストになる者も現れる。それを力で押さえつけてるのが、いまのブリタニアの現状だな」
これまでの話をC.C.がまとめ、手に持っていた教材を閉じる。
その結論にナナリーは、これまで散々学んできたブリタニアの体制の新たな一面を理解して表情を曇らせる。
学べば学ぶほど目を背けたくなるような事実を知る事となるブリタニアの横暴と圧政は、勉強のたびに14歳の少女の心を傷付けていた。
強くなると決めたナナリーがそれを口に出す事はなかったが、彼女に親しい者は当然その傷に気付く。
「今日の勉強はここまでにしておけ。そろそろラクシャータのところに行く時間じゃないか?」
ナナリーの様子からこれ以上続けるのは良くないと判断したC.C.が、教材を置いて時計を指差す。
つられてナナリーが時間を確認すると、C.C.の言う通り定期診断の時間が迫っていた。
慌てて勉強道具を片付けC.C.にお礼を言ったナナリーは、落ち込む暇もなくいつもより車椅子を速く進ませて部屋を出た。
「もうこんな時間か」
仕事に熱中して時計を見ていなかった扇は、ようやく終えた作業に一息つきながら伸びをした。
成田で明確にブリタニアと戦って以降、入団希望者が増え、黒の騎士団の組織規模は着実に膨れ上がっている。そのため必要となる物や場所もとんでもなく増えており、その管理を総括しているのが初期から組織の運営に携わっている扇だった。
一般企業における総務の管理職というところなのだろうが、生憎と戦前に教師を目指していた扇は一般企業の組織分けなど知らず、正確なところは分からない。ただ黒の騎士団に入る前からこういう作業は良くやっていたので、いまの自分の立場が嫌いではなかった。
小腹も空いたので休憩でも取ろうと、扇は部屋を出て食堂への廊下を進む。
すると曲がり角で思わぬ人物に遭遇した。
「おっと、君は……」
ぶつかりそうになったところを慌てて止まって避けると、相手は律儀に頭を下げた。
「こんにちは。扇さん」
「あ、ああ。こんにちは」
そこにいたのは二か月前からスザクの友達として黒の騎士団のアジトで過ごしている、車椅子の少女ナナリーだった。
ブリタニア人であり部外者でもあるナナリーは黒の騎士団の団員からは距離を置かれている。というより、どう扱っていいか分からず交流を持たれていない、といった方が正しいだろう。
ただ扇と泉に関しては黒の騎士団内でも立場が上であり、スザクと一緒の事も多いため、ナナリーと話す機会は他の団員に比べて多かった。それでもまだ距離を測りかねている部分はあるのだが、偶然会って挨拶だけで別れるのは避けているようでなんとも決まりが悪い。
そう考えて扇は、当たり障りない話題を選んで会話を試みる事にした。
「一人でどこに行くつもりだったんだい?」
「ラクシャータさんのところです。今日は診察していただける日なので」
その答えに、スザクからの頼みでこの子が医療の心得のあるラクシャータに足を診てもらっていると聞いたのを思い出す。
ちょうど行く方向も同じだったので扇が途中まで一緒に行く事を提案すると、ナナリーも笑顔でそれに乗ってくれる。嫌がられるかと思ったが、その素振りすらなかった。
「そういえば、この前はありがとうございました。我儘を聞いていただいて」
「構わないさ。訓練を見学するくらいなんでもないからね。ゼロからも許可はもらってたし」
そのゼロからの許可をナナリーが数日の説得の末にもぎ取った事を知らず、扇は気軽に答える。
「でもなんで訓練なんて見たかったんだい?」
年頃の女の子が、テロリストの訓練なんて見ても面白いわけがない。むしろそんな野蛮なところなど、見るのを嫌がるのが普通の感性だろう。
「スザクさんが普段どんな事をしていて、それがどれだけ危ない事なのかを、少しでも知りたかったんです」
その言葉と空気からスザクの事を心から心配する気持ちを感じ取って、扇はなんとも言えない気持ちになる。
ナナリーとスザク――いや、兄であるルルーシュも含めて――この兄妹とスザクには、ブリタニア人と日本人という垣根を感じた事がない。しかもそれはこの三人の中だけの話ではなかった。ナナリーとルルーシュからはブリタニア人と相対した時に感じる、こちらを見下した空気をまるで感じない。それはスザクにしても同じで、ブリタニア人のディートハルトと話す時と、日本人団員と話す時とでまるで態度に違いがないのだ。
もちろん扇もブリタニア人の全てが悪人で、日本人の全員が善人だと思ってるわけではない。だがブリタニアが日本を占領している立場関係にある以上、どうしたってブリタニア人と日本人で態度に差ができてしまうのは、人間として仕方のない事だ。
なのに人種なんてものは存在しないかのように振舞う兄妹をずっと疑問に思っていた扇は、この機会につい質問が口をついて出てしまう。
「……君は俺達が怖くないのか?」
「えっ?」
唐突な質問に首をかしげるナナリーに、扇はいや、と口元を押さえながら言いづらそうに続けた。
「君やルルーシュ君からしたら、俺達は君達の国と戦っているテロリストだ。スザク君がいるとはいえ、自国の人間と戦ってる人達に囲まれてるっていうのは……その、やはり、居心地の良いものじゃないだろ?」
言葉を選ぼうとして失敗し、考えていたよりも直接的な質問になってしまった事を悔いながら扇は答えを待った。
「……最初は、怖かったです」
少しだけ考え込む時間を置いた後、ナナリーが静かに正直な気持ちを吐露する。
「私の友達や、友達のお父様もテロに巻き込まれました。だからずっと怖くて……でもスザクさんが黒の騎士団にいる事も知っていたので、早くテロリストなんてやめて、黒の騎士団や他のテロ組織も全部なくなっちゃえばいいのにって、ずっと思ってました」
友人がテロに巻き込まれたという話を聞いて、自然と扇の顔は曇った。
覚悟をしているとはいえ、自分達の戦いで無関係の人が傷付いている事実はあまり直視したいものではない。
立場上間違っても頷く事はできないが、身近な人に被害が出ているというなら、彼女が黒の騎士団がなくなればいいと考えるのも良く分かる。
「でも、最近ようやく分かったんです。怖かったのは、何も知らなかったからなんだって」
「……何も、知らなかったから?」
オウム返しに言葉を繰り返す扇に、ナナリーは「はい」と頷く。
「どうして戦うのか。どうして戦わなきゃいけないのか。納得できるかは分からないけど、それも知らないで戦ってるってだけで怖がるのは、違うと思ったんです。だって本当は戦いたくないのに、何か事情があって戦ってるかもしれないんだから」
そう口にするナナリーが、扇の目には年齢よりも少しだけ大人に見えた。
きっと自分が同じくらいの年齢だったら、そこまで考えが及ばなかっただろう。怖いと思う相手の立場や心を慮るのは、感情で生きる子供にはとても難しいという事を、教師を目指していた扇は良く知っていた。
だがきっと、それは良い事ではないのだろう。子供が駆け足で大人にならなければならないような環境だった、という事なのだから。
「じゃあ君は、スザク君がどうして戦ってるのかを聞いたのかい?」
「はい。スザクさんが戦う理由も、黒の騎士団のみなさんが戦う理由も、全部聞かせていただきました」
そう言うと、ナナリーは扇の顔をしっかり見つめながら微笑んだ。
「だから私は、扇さんや黒の騎士団のみなさんを怖いだなんて思っていません」
その言葉にも微笑みにも、嘘や隔意は一片たりとも感じられなかった。
だから自然と、扇の顔にも笑みが零れた。
「そうか……」
まさかブリタニア人の少女からそんな笑顔を向けられる日が来るなんて思っていなかったが、扇にはいまやっとスザクがこの少女と兄を大切にする気持ちが分かった気がした。
「ありがとう。ナナリーちゃん」
なぜお礼を言われたのか分からないと戸惑う姿は、ちゃんと年相応の少女だった。
診療室の前で扇と別れたナナリーは、予定通りに身体の状態をラクシャータに診察してもらった。
足を触られ、目と視力の検査をして、身体の状態を丁寧に確認していく。
「目の調子はどうだい? 最初の内は疲れやすかったりしたみたいだけど、他にも眩しいものを見るのがつらいとか、そういう事はないかい?」
「はい。もう疲れたり、負担を感じる事もなくなりました」
最終確認にいくつかの問診をして、ラクシャータは手元の用紙に結果を記入していく。
全ての問診を終えると、検査結果ももう一度確認してラクシャータは満足げに頷いた。
「経過は順調。目の方はもう完全に治ったと言ってよさそうだね」
「じゃあ……!」
「ああ。約束通りドクターストップはおしまいだよ。兄貴の許可も貰ってるからすぐにでも試せるけど、いまからやってみるかい?」
「はい! 是非お願いします!」
「決まりだね」
ちょっと待ってな、とラクシャータが内線を使ってどこかに連絡を入れる。
それが終わるまでの間、ナナリーは心の高揚を抑えられずそわそわと身体を揺らしていた。
幸いラクシャータの連絡は数分と掛からず終わり、二人で診察室を出て目的の場所へと向かう。
その間にいくつか会話をしたはずだが、ナナリーの記憶には残らなかった。
それよりも、お目当ての物を前にした胸の高鳴りの方がずっと記憶に残っている。
「これが無頼だよ」
「わぁ……」
訓練を見学させてもらった時にもナイトメアは目にしていたが、間近で見るのは初めてで、そのあまりの大きさと威容にナナリーの口から思わず感嘆の息が漏れる。
「あの、今更なんですけど、私が使わせてもらってもいいものなんですか?」
「構わないよ。どうせ実戦では使えない試作機の残りだからね」
ナナリーの問いにキセルを回しながらラクシャータは鷹揚に頷く。
「ただし、無理は禁物だよ。あんたは足が動かないから筋力もついてなくて、身体が他の人よりでき上がってないんだ。ナイトメアの操縦には、それなりの負担が掛かるって事を忘れないようにね」
初めにお願いをした時にも聞いた注意を改めて聞かされて、ナナリーは自分の身体を慮ってくれるラクシャータに感謝しながら首を縦に振る。
その後もナイトメアに乗る際の注意事項を聞いていると、不意にラクシャータがナナリーの後ろに視線を移した。
「おや、来たみたいだよ」
振り返ってみると、駆け足にこちらに近付いてくる見慣れた姿が見えた。
「ナナリー!」
「お兄様!」
いつもなら任された事務作業をしている(という名目でゼロとして仕事をこなしている)兄がわざわざ来てくれた事にナナリーの顔が綻ぶ。
もうすっかり見慣れた仲睦まじい兄妹の姿に、ラクシャータは苦笑しそうになりながら声を掛けた。
「さっき話した通り、目の方は問題ないようだから許可を出したよ」
「ええ。連絡ありがとうございます。付き添っていただけるのも心強いです」
「ついでだよ。気にする必要はないさ」
素っ気ないラクシャータの返事に、それを照れ隠しだとでも思っているのかルルーシュが笑顔を返す。
少しだけ釈然としない思いを抱きながら、ラクシャータは車椅子からコックピットにナナリーを移動させるルルーシュに指示を出す。
「それではお兄様。ちゃんと見ていてくださいね」
「ああ。気を付けるんだぞ。何かあったらすぐにやめるんだ」
心配性なルルーシュの言葉に頷き、ナナリーは一人になったコックピットで、マニュアルで学んだ通りの起動手順を実行する。
「えっと……起動キーはここで、エナジーフィラーは装着済み。ユグドラシルドライブも問題なし……」
シミュレーターのコックピットと変わりない事を確かめ、何度も手順に間違いがないかを確認する。
そして後は動かすだけという段階まできて、ナナリーは一度大きく深呼吸した。
――きっと、大丈夫。
心の中で自分を鼓舞し、意を決してナナリーは操縦桿を動かした。
「わぁ……!」
ナナリーの操縦に反応して、無頼が立ち上がる。
ただそれだけの事なのに、ナナリーの心はこれまでにないほど高揚した。
「――――」
視点が高い。景色が良く見える。落ちそうで少し怖い―――でも、私が動かしてる。
胸がいっぱいになりそうなり、ナナリーは首を振る。
まだやりたかった事はできてない。兄と喧嘩になってまでやりたかったのは、ここから。
「あ……」
ナナリーの操縦に従い、無頼が一歩右足を出す。
本来移動に使うランドスピナーは使わず、そのまま一歩、また一歩と足を進める。
「歩いてる……」
4メートル超の機体だからか、一歩の距離が大きい。まるで景色が流れるように後ろへスライドする。
それは本来の歩行とは、あらゆる意味で違うのだろう。
こんなにも大きな一歩は人間にはできないし、そもそも自分の足ではなくナイトメアの足だ。
でも確かに、ナナリーはいま、自分が操った足で歩いていた。
『お兄様! 私、歩いてます!』
興奮のままに外部スピーカーを使って兄に話し掛けながらナナリーはどんどんと歩を進めて、いつの間にか歩くのではなく走り回っていた。
コックピットの中だから、風を切る心地良さも感じなければ、息切れもしないし足の疲れも感じない。
けれどそんな事はどうだって良かった。
たとえ自分の足ではなくても、思う存分に歩いて、走り回れる。
ただそれだけの事が、目に見えるようになった時と同じくらい嬉しかった。
「いまのいままで……人殺しの道具にナナリーが乗るのなんて反対だったんですが」
訓練場を縦横無尽に走り回る無頼。
それを優しい目で見つめながら、ポツリとルルーシュの口から独り言に近い言葉が零れた。
最初にナナリーからナイトメアに乗ってみたいと言われた時、ルルーシュは猛反対した。しかしいつもならルルーシュが反対すればすぐに引き下がるナナリーが、珍しく反発して一歩も譲らなかった。議論は平行線を辿り、何日も、何週間も話し合って、口喧嘩に近い口論にすらなった。
結局はルルーシュが折れる形となったが、それでもルルーシュは最後までナナリーがナイトメアに乗る事に賛成できなかった。
でもいまは、自分が間違っていたとはっきり分かる。
「あんなに楽しそうなナナリーを見るのは、8年振りです……」
たとえナイトメアの装甲に阻まれて姿は見えなくても、スピーカー越しの声だけでどれだけナナリーが喜んでいるかなどルルーシュには容易く分かる。
同時に、そうだったと思い出す。
ナナリーはああいう子だった。嬉しい時は身体いっぱいで嬉しさを表現する、明るく活発な女の子だった。
「ナイトメア・フレームの技術には、その名の通り福祉用に開発されたフレームが利用されてるんだ」
目元に涙を湛えるルルーシュの方を見ずに、ラクシャータが不意にそんな事を口にした。
「人を救うために開発されたものが、人を殺すための役に立つってんだから、因果なものだよ」
呆れるように大きく息を吐き出した後、くるりと手に持つキセルを回しながらラクシャータは感慨深げに目を細めた。
「ま、だからこそたまには、人を救う役にも立ってもらわないとね」
無骨な兵器の威容を誇りながら、こちらに両手を振る不釣り合いな無頼の姿に、ルルーシュとラクシャータは同時に頬を綻ばした。
「あれ、ルルーシュとナナリー?」
ナナリーのナイトメア体験が終わってラクシャータが自分の研究に戻った後、ルルーシュが興奮収まらない妹に付き合ってその場に残り話し込んでいると、見慣れた赤髪の少女が首をかしげながら近付いてきた。
「カレンか」
「おかえりなさい。カレンさん」
「ええ、ただいま……じゃなくて、どうしてこんなとこにいるの?」
訓練場には似つかわしくない二人にカレンは怪訝な視線を向ける。
その顔には戸惑いはあっても、距離感や壁はない。
ルルーシュとナナリーがここに来た当初は、二人が元皇族だと知った事もあって態度がぎこちなかったカレンだが、この二カ月でお互いの事情や思いを話し合った事で蟠りは消えている。そのため三人はアッシュフォード学園にいた頃と同じ関係――――むしろ以前よりも仲は深まっていた。
「ナイトメアに乗せてもらっていたんです」
「乗せてもらってたって……ナナリーが?」
穏やかで大人しいナナリーと、戦場で兵器として活躍するナイトメアが上手く結びつかず、カレンは目をしばたかせる。
しかしそんな戸惑いも次の言葉で吹き飛んだ。
「どうしても歩く感覚をもう一度感じてみたくて」
訓練をしているナイトメアに視線を向けながら、口元を綻ばせるナナリー。
その顔が本当に嬉しそうで、カレンの顔からも自然と笑みが零れた。
「楽しかった?」
「はい! とっても楽しかったです!」
カレンが問うと、両手を握って興奮気味にナナリーはナイトメアに乗った時の感想を語り出す。
それが微笑ましく、自分が初めてナイトメアに乗った時はこんな純粋な思いは抱けなかったなと、カレンは少しだけ羨ましく思った。
「カレンはどうだった? みんなは元気にしてたか?」
ナナリーの話が一区切りつくと、それまで黙って二人の会話を見ていたルルーシュが問うてくる。
いつも通りに見えて、なんだかんだ生徒会のみんなの事が心配なのかもしれない。
「元気……ではなかったかもね。ほら、学園祭も近いし」
「もうそんな時期か。会長が張り切りそうだな」
「今年も何か大きな企画をやるんですか?」
アッシュフォードの学園祭は生徒会長のミレイがお祭り好きなだけあって、毎回目玉になる企画を立ち上げて実行している。去年は2メートルのピザを作っており、今年はさらに大きい企画を考えそうだというのは、アッシュフォードの生徒なら誰でも予想できる事だ。
しかしそんな二人の予想に反して、カレンの返答は否定的なものだった。
「う~ん、今年は難しいかも」
頬を掻きながら目を逸らすカレンに、兄妹は意外そうに顔を見合わせた。
「何かあったのか?」
「何かっていうか……ほら、前に話したでしょ。会長が副総督の補佐になったって」
「ああ、そういえばそうだったな」
いま思い出したかのようにルルーシュは答えるが、カレンに聞く前から本人から報告を受けていたので、その内情にはカレン以上に詳しかった。
「それが忙しくて、学園祭の方に力を入れる余裕がないみたい。最近じゃ会長、生徒会室にも滅多に来ないんだから」
おかげでこっちに仕事が回ってきて大変だと笑うカレンに、ナナリーは心配そうな表情を見せる。
「そんなに忙しくされて、身体を壊したりはしてないでしょうか?」
「体力だけは有り余ってる人だからな。心配はないだろう」
「あんたって、たまに辛辣よね」
身も蓋もないルルーシュの言いようにカレンがジト目を向ける。
生徒会の時のように猫を被る必要がなくなったカレンは、ルルーシュに対する態度にも遠慮がなくなっていた。
「私達が手伝ってあげられたら良かったんですが……」
目が見えるようになったナナリーは、以前では不可能だった事務仕事もできるようになっている。
いまなら多少なりとも力になる事ができるのに、状況がそれを許さない現実にナナリーは目を伏せた。
「大丈夫さ。あっちにはリヴァルもニーナもシャーリーもいるんだ。俺達がいなくても会長を支えてくれるよ」
「そうよナナリー。私達に任せておいて」
妹に悲しい顔をさせる事を許さないルルーシュの慰めに、カレンが乗っかって自分の胸を叩く。
その心遣いにナナリーの暗い顔も引っ込んだ。
「なんだか、とても懐かしいような気がします。こうしてミレイさんのイベントについて話し合うのは」
「ナナリーちゃん……」
学園を出てしばらく経ったナナリーのその言葉に、カレンが少しだけ悲しそうな目をする。
口にしたナナリーにはしんみりする気持ちなどなかったが、カレンがそういう風に受け取ってしまったと、感情に聡いナナリーは感じ取り慌てて否定しようとして――その前にルルーシュが割って入った。
「頼もしい言葉はありがたいんだが、カレン。この時間にアジトに来れたのは、書類仕事から逃げて来たからじゃないのか?」
「なっ……失礼ねあんたは! 私もできる限りやってきたわよ! ただちょっと集中力が切れたから、今日は程々にして訓練で気分転換でもしようかなって……」
「一般的には、それを逃げて来たと言うんだ」
「ぐっ……こっちはあんたがいなくなった分も仕事してきてるんですけど!」
「それはそれ。これはこれだ」
仲良く言い合う二人に笑顔を零し、ふとナナリーはつい二か月前まで自分の居場所だった学園の日々を思い出す。
穏やかで、楽しく、心温まる場所だった、自分達兄妹の家。
そこで一緒だったみんなは元気だろうかと、学園がある方角を見上げてナナリーは友達を想った。
「来ちゃった……」
目の前にそびえ立つ巨大な建物を見上げ、ニーナは期待と後悔が入り混じった呟きを零す。
手には今年の学園祭の概要と決裁書類。自分がいるのはブリタニア政庁の入り口前。
あまりの場違い感に、回れ右していますぐ帰りたい衝動に駆られる。
「ダメダメ、折角ここまで来たんだから……!」
ブンブンと首を振り、拳を握って珍しく気合を入れる。
そして何度か大きく深呼吸した。
「よし!」
覚悟を決めてニーナは政庁の扉を潜る。
学生でしかないニーナがわざわざ政庁まで来た理由。それはミレイに会長の決裁が必要な書類を届けるためだった。
副総督の補佐となったミレイは、放課後になると生徒会室に寄る事もなくすぐに政庁に向かってしまう。場合によっては学校を早退したり遅刻する事もあり、授業以外で学園にいる事が珍しいほどだ。しかしアッシュフォード学園では学園祭の時期が近付いており、その運営に関する業務が生徒会には怒涛のように押し寄せている。その中には生徒会長の決裁が必要な書類も当然あり、代わりに決裁ができる優秀な副会長も数か月前に突然休学してしまっていた。
結果、生徒会はパンク寸前に追い詰められていた。
なんとか生徒会長の決裁書類だけでも片付けてもらわなければ業務が進まない。そのため持ち帰ってでも処理してもらおうと、ニーナはこうしてミレイのいる政庁にやってきた、というわけである。
実はリヴァルからは電話で頼むか郵送すればいいと引き留められていたが、ニーナは書類を揃えて強引に飛び出してきた。
それも全て、ミレイが補佐をしている人物――ユーフェミアに会える可能性がわずかでもあるかもしれない、という希望があったからだ。
ミレイが副総督補佐に就いてからというもの、ニーナは何度も何度もユーフェミアに会えるよう取り計らってほしいとミレイにお願いしていた。
しかしミレイからの答えはいつも同じ。
ユーフェミア様はお忙しいから難しい。
一言お礼を言うだけだから、時間も手間も取らせないからと、必死に頼み込んでもミレイが首を縦に振ってくれる事はなかった。
だからこれはチャンスなのだ。なんとかしてユーフェミア様に会って、あの時のお礼を言うチャンス。
政庁に入ったニーナは、中の広さに恐縮しながら受付まで辿り着く。
「あ、あの、ミレイちゃん……じゃなかった。ミレイ・アッシュフォードさんに渡すものがあって来たんですけど……」
「かしこまりました。少々お待ちください」
用件を伝えると、受付の女性はどこかに内線で連絡を取る。
そして二、三言の会話ですぐに内線を置くと、再びニーナと向き直る。
「恐れ入りますが、何を渡されるかお聞きしてもよろしいですか?」
「はい……えっと、生徒会の書類です」
「お急ぎの書類でしょうか?」
「いえ、そんな事はないです……」
「かしこまりました。それでしたらアッシュフォードは現在ユーフェミア副総督の業務の補佐を行っているので、こちらでお預かりし、後ほどお渡しいたします」
「えっ……? いや、そうじゃなくて、私が直接……」
「申し訳ございません。中にお入れする事はできない決まりとなっています」
「で、でもこれは、私が渡さなきゃ意味が……」
「もし直接お渡ししなければならないという事であれば、アッシュフォードをこちらに呼べるか確認を取りますので――」
「違うんです! そういう事でもなくて、私は……!」
「ニーナ?」
なんとか中に入る許可を貰おうとニーナが言い募っていると、聞き慣れた声が彼女の名前を呼ぶ。
振り返れば、目を丸くしたミレイがこちらに近付いて来ていた。
「どうしてここに? というか、何しに来たの?」
「ミレイちゃん……」
首をかしげるミレイに、ニーナは目を伏せてしまう。
するとニーナではなく受付の女性がミレイの問いに答えた。
「生徒会の書類をお渡しにいらっしゃったとの事です」
「書類って、なんでまた急に……」
「だってミレイちゃん、最近ずっと生徒会室に来ないから」
「あー……それを言われると返す言葉がないわね」
自分でも生徒会の仕事をなおざりにしていた自覚のあったミレイは、頬を掻きながら誤魔化すように笑う。
「ま、でもちょうど良かったわ。私ももう帰るところだったから、一緒に帰りましょ」
「えっ……ユーフェミア様のお手伝いは?」
「今日は終わり。珍しく早く片付いたの」
「そんな……」
明るく笑うミレイとは対照的に、ニーナはショックを受けて俯いてしまう。
どうしてそんな態度を取るのか分からず、ミレイがニーナの顔を覗き込んだ。
「どうしたの、ニーナ?」
「…………んで、折角勇気を出したのに……」
身体を震わせながらブツブツと呟くニーナ。
答えは返ってこなかったが、その様子からミレイは彼女の本当の目的が書類を届ける事でないのを察した。
同時にどんなに忙しかろうが、もっとちゃんと話す機会を作っておけば良かったと後悔する。
「ニーナ。ユーフェミア様に会いたかったのはわか――」
「ミレイさん!」
慰めようとしたミレイの言葉を遮るように、一際大きい声で名前を呼ばれる。
それはどうしようもなく間が悪い偶然だった。
「良かった。まだ帰ってなかったんですね。先程の件ですが、打開案が思いついたのでもう少し話し合えればと思って……あら?」
小走りに駆け寄ってきたユーフェミアがミレイの隣にいたニーナに気付いて首をかしげる。
「そちらの方は?」
憧れの人物を前にしてフリーズしているニーナの紹介を求めるユーフェミアに、ミレイの額から冷や汗が流れる。
なんとか無難にこの場を収めて退散しようと、ミレイは手の平をニーナに向けた。
「ご紹介します。私の学友である、にー……」
「ユーフェミア様!」
突然ニーナがユーフェミアの名前を叫び、勢い良く近付いてその手を取った。
「あ、あの! わたし! 助けてもらったお礼を言いたくて! それで――!」
「無礼者!」
興奮しながら言い募るニーナだったが、許可もなく皇女の手を取った不審人物を護衛が許すはずもなかった。
抵抗する間もなくニーナは組み伏せられてしまう。
「ユーフェミア様になんたる狼藉か! 何者だ!」
「ご無事ですか、ユーフェミア様!」
護衛の一人がニーナを取り押さえ、もう一人の護衛が警戒しながらユーフェミアをニーナの手の届かない距離に遠ざける。
突然の事態に周囲が騒がしくなり、警備員もやって来る。
「ち、違うの! 私はただお礼を言いたかっただけで……!」
組み伏せられながらニーナが必死に事情を話そうとするが、護衛はもちろん周りのやじ馬も耳を貸さない。
しかしこの場には、ニーナの話に耳を傾けようとする人間がたった一人だけいた。
「あの、そちらの方は私に危害を加えようとしたわけではないと――」
「申し訳ございません! ユーフェミア様」
戸惑いながらもユーフェミアが穏便に場を収めようとする気配を察して、ミレイは反射的に膝をついて声を張り上げた。
「私の学友が大変なご無礼をいたしました!」
「ミレイちゃん! 私は……!」
「黙って!」
非を認めるような謝罪にニーナが反論しようとするが、ミレイは常ならぬ厳しい声でそれを跳ね除ける。
協力者であるミレイの態度にユーフェミアはさらに戸惑い、慌てて立ち上がらせようと言葉を重ねる。
「ミレイさん、私は気にしてなんか……っ!」
いない、そう言おうとして、ユーフェミアはミレイの首が小さく横に振られている事に気付く。
同時にここが政庁の受付前であり、多くの耳目が集まっている事と自分の立場を思い出して、ユーフェミアは伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
「処分は追って伝えます。下がりなさい。ミレイ・アッシュフォード」
「イエス・ユアハイネス」
感情を排した声で告げられた沙汰に、ミレイは臣下として頭を上げずに答えを返す。
その後、ユーフェミアは護衛に連れられて自分の執務室へと戻り、ミレイとニーナは警備員に事情聴取のために連行された。
「そんな……! ミレイちゃん、なんで……!」
絶望に満ちたニーナの声を聞いても、ミレイは黙って何も答えなかった。
ミレイとニーナが解放されたのは、連行されてから2時間も経った後の事だった。
処分はユーフェミアが下すと明言されているため事情聴取をされただけだったが、本来ならその場で留置場に放り込まれてもおかしくはない。特にニーナは許可もなくユーフェミアの手を取ったのだから、不敬罪で即刻逮捕されなかったのが奇跡といえる。
だが必ずしもそれが良かったかといえば、そうとも言えない。もちろんニーナが逮捕されなかったのは僥倖だが、それに伴うデメリットを考えれば、ミレイはどうしたって素直に喜ぶ事はできなかった。
それも助けられた張本人がこの調子では尚の事――
「どうして私の味方をしてくれなかったの!?」
帰る事を許されて二人で帰路についていると、政庁にほど近い公園を歩いている最中に、突然ニーナは我慢の限界を迎えたと言わんばかりにヒステリックに叫んだ。
「折角お会いできたのに! お礼を言えるチャンスだったのに! ミレイちゃんが事情を説明してくれれば、全部上手くいったのに!」
幸い周囲に人の目はなかったが、場所も考えずに感情のままに叫ぶニーナの目は激しい怒りに染まっていた
普段は大人しい友人がこれまで見せる事のなかった苛烈さに戸惑いながらも、ミレイが安易に謝罪を口にする事はなかった。
「ミレイちゃんはいっつもそう! 自分の事ばっかりで人の事なんてお構いなしで! いままでだってユーフェミア様に会わせてほしいって何度もお願いしたのに、一度も聞いてくれなかった! 私がどれだけユーフェミア様にお会いしたいか知ってた癖に!」
ニーナは泣いていた。
大粒の涙を瞳から流しながら、溜まりに溜まった感情を抑えられなくなってミレイにぶつけていた。
それは気付かない内に積み重なったミレイへの不満だけでなく、河口湖では助けてくれたはずのユーフェミアが今回は助けてくれなかった、そんな事実に無意識に理解してしまったが故の絶望だったのかもしれない。だからこそユーフェミアではなくミレイを責める事で、無自覚に全ての責任を
「ねぇ、落ち着いてにー……」
「触らないで! 私のお願いなんて一つも聞いてくれないのに、友達面しないでよ!」
肩に手を置くミレイの手をニーナは払いのける。
その一言にミレイの顔が酷く歪む。
友達面も何も、自分達は友達のはずだ。少なくともミレイはそう思っているし、ニーナもそう思ってくれていると信じている。
もちろんニーナの言葉は、衝動的な暴言で本心ではないだろう。だがそれでも、その言葉は看過できなかった。友達だと思ってるから、簡単に許せるものでも、許していいものでもなかった。
「……ねぇニーナ。あなたは気軽に会いたいって言うけど、ユーフェミア様は会いたいからって会えるような方じゃないのよ」
胸の内で暴れる感情を、最近付け慣れてしまった貴族の仮面で覆い隠し、ミレイは努めて冷淡な声を出した。
「そんなの、分かってる! 分かってるからミレイちゃんにお願いしたんじゃない!」
「いいえ、分かってない。私がユーフェミア様にお会いしているのは、あくまでも副総督の仕事を補佐するため。あなたは勘違いしてるみたいだけど、友達に会ってくださいなんてお願いできる立場じゃないの」
考えの足りないニーナにミレイは現実を説く。
皇族とは本来、帝国臣民が声を掛ける事もできないほど高貴な立場の人間だ。没落した貴族の孫娘であるミレイにしてもそれは同じで、ルルーシュの件がなければ補佐として仕事を手伝うどころか、一生お目に掛かる事すらなかっただろう。副総督補佐に就いたのだって、お互いの目的とそれに伴う成果が重なったからでしかない。
いくらルルーシュを挟んだ友情を互いに感じていても、ミレイとユーフェミアはなれ合うために共にいるのではないのだ。
「皇族にお会いしたいのなら、どんな理由であれまずはお会いできる立場や身分を得る事から始めなきゃいけない。あなたはそれを全く分かってない」
だからこそ、ミレイははっきりと告げる。
身分の違い、常識の違い、そしてニーナの思い違いを。
実際にミレイの口からユーフェミアに頼めば、あのお人好しのお姫様は願いを聞いてくれるかもしれない。しかしミレイはニーナの頼みを聞くつもりはないし、ユーフェミアのためにもそんな願いを叶えてほしいとは思わなかった。
「ニーナ。あなたはお礼を言いたいだけって言うけど、そのお礼を言うだけのためにユーフェミア様の貴重なお時間を奪う事になるって自覚はある?」
「えっ?」
憎々しい目でミレイを睨んでいたニーナの鋭い視線が、思いもよらない事を問われてわずかに緩む。
その反応に自分の言葉がちゃんとまだ届いていると安堵しながら、ミレイはいままでは指摘する事もなく誤魔化してきたニーナの考え足らずを容赦なく追及した。
「ユーフェミア様はエリア11の副総督よ。少しでもこのエリアを良くしようと必死に努力なさってる。エリアの情報を詰め込んで、政策の勉強をして、何をすればこのエリアにとって一番良いのかを寝る間も惜しんで考え続けてるの。それがどれだけ大変な事で、ユーフェミア様がどれほど忙しいか、あなたは一度でも想像した?」
これまでがどうだったかは知らないが、ミレイが補佐に就いてから見てきたユーフェミアは、一分一秒を惜しみながら副総督として努力している。
その姿勢が本気だと分かるからこそ、ミレイも学業や生徒会長としての仕事を後回しにしてまで協力しているのだ。もしユーフェミアの言葉が口だけのものだったなら、早々に見切りをつけていただろう。
そしてユーフェミアの本気を間近で見ているからこそ、ニーナの安易で身勝手な願いは遠回しに拒絶するしかなかったのだ。
「あなたからお礼を言われたからって、ユーフェミア様にはなんの利益もない。それどころか大切な時間をいたずらに奪われるだけなのよ」
「そんな、そんな言い方っ……!」
自分の気持ちがユーフェミアにとっては邪魔にしかならないと聞かされて、無意味に何度も腕を振りながらニーナはさっきとは別の意味で涙を流す。
その姿は悲しみに満ちた憐れなものだったが、ミレイは同じ過ちを繰り返させないために、そこで言葉を止めはしなかった。
「今回の事もそうよ。よりにもよって政庁で問題を起こしたんだから、ユーフェミア様の沽券に関わるわ」
「ど、どうして!? ユーフェミア様は何もしてないじゃない!」
縋るように服の裾を引っ張って問うてくるニーナに、ミレイは貴族社会の常識を語る。
「私はユーフェミア様の補佐なの。私の評判はそのままユーフェミア様の評判にも関わってくる。ただでさえ実績のない学生を補佐にした事で侮られているのに、その補佐の関係者が問題を起こしたんだから、見る目がないとユーフェミア様の評価が下がるのも当然よ」
常に誰かの足を引っ張って引きずり下ろそうとするのが貴族の世界だ。
ユーフェミアの場合は姉であるコーネリアの力が大きいおかげで表立って彼女を侮る者はいないが、それでも問題を起こせば評判は落ちるし周りの見る目も変わる。今回はギリギリのところでユーフェミアが問題を有耶無耶にせず、処分を下すと宣言した事で最低限の被害で留まったと思いたいが、それすらもできなければユーフェミアの評価はどん底のさらに下まで落ちていただろう。
「わ、私のせいで……ユーフェミア様にご迷惑が…………」
自分の軽率な行いが憧れの人に被害を与えた事を知り、ニーナは震えながら自分の身体を抱きかかえる。
そんなニーナに、ミレイはこれまで言えなかった皇族に会うための正しいやり方を伝える。
「ニーナ。本当にユーフェミア様に恩義を感じているなら、横紙破りな方法を取るんじゃなくて、ユーフェミア様のお力になれるように努力しなさい。それができないなら、あなたのお礼を言いたいって思いはただの我儘でしかないわ」
皇族への恩義の報い方とはそういうものだと、静かに、しかしはっきり、ミレイは諭す。
その厳しい言葉の重みに、ニーナは震えたままさらに身を小さくした。
「でも、私にできる事なんて……」
「あら? ニーナのユーフェミア様への思いはその程度なの?」
やる前から諦めようとするニーナの言葉を、これまでとは打って変わって、いつもの生徒会長の調子に戻ったミレイが挑発混じりに茶化す。
そしてニーナの手を優しく取って包み込んだ。
「私も一緒に考えるから、どうやったらあなたがユーフェミア様のお力になれるか、じっくり考えてみましょう。幸い……って言っていいか分からないけど、私も処分が下されるまで補佐の仕事はお休みだしね」
そう言って、ミレイは笑いながら茶目っ気たっぷりにウィンクする。
ニーナはそんなミレイを見てポカンとして、すぐにまた泣きそうな顔で俯いた。
「……うん。ありがとう。ミレイちゃん」
「いいのよ。私の方こそ、期待に応えられなくてごめんね」
「ううん。ミレイちゃんは悪くないから……」
地面を見つめたまニーナは首を振り、ミレイの手の中で両手を握って躊躇いがちに続けた。
「あと、酷い事言っちゃって……ごめんなさい」
それは自分がどれだけとんでもない暴言を言ってしまったのかに気付いた心からの謝罪だったが、そんなニーナの後悔を吹き飛ばすようにミレイは朗らかに笑った。
「気にする事なんてないわ。友達なんだから」
さぁ、帰りましょう。
手を取って歩き出すミレイに引っ張られるような形で、ニーナも後を追う。
その日、ニーナはミレイの家に泊まって夜遅くまで語り合った。
閑話回。
正直今話は物語上必要ない話だったので飛ばしてしまう事も考えたのですが、ナナリーの黒の騎士団での生活は一度くらい書いておいた方が良いかと思って省くのはやめにしました。そしたらナイトメアにまで乗ってしまったナナリーは中々お転婆な女の子ですね。
次回:新しい剣