そこは静謐に満ちていた。
不純物など一切ない液体に満たされた空間。
音はなく、気配もなく、およそ人という生き物が存在するだけで発する全てが排除されたそこに、男はただ、浮かんでいた。
身体の半分以上が機械となっている男に意識はなく、瞳を閉じた身体はピクリとも動かない。
おそらく事情を知らぬ者がその姿を見れば、死体と勘違いするであろう有様。
男は時を忘れて、その小さく静かな世界に閉じ込められていた。
「…………ション、チェック。脳波安定。ノイズ確認できず。チェッククリア。知能検査実行可能です」
静謐に満ちた男の世界とは真逆に、その外側の世界は騒がしい。
男以外の全員に聞こえるように告げられた報告に、安堵の声が所々から零れる。
「ようやくか。シュナイゼル殿下がお喜びになる結果が出れば良いが……」
その中でも最も立場が上にあたる中年の男が、眉間に皺を寄せたまま呟く。
モノクルをつけた小太りの男の名は、バトレー・アスプリウス。この研究所の責任者を任された元将軍だ。
「データでは正常な人間の脳と比べても遜色はありません。必ず上手くいきますよ」
「……そう願おう」
高揚した部下の期待に満ちた言葉にバトレーは固い声で返す。
実際にここまでのデータを見れば十中八九、良い結果が出る事は間違いないだろう。
あくまでもこの検査は確認作業に過ぎない。だが確実だと確信していても、結果が異なる事などざらにあるのが研究というものだ。
「早速始めるぞ。鎮静剤と、念のため麻酔銃を用意しろ」
てきぱきと部下に指示を出し、検査の準備を整える。
既に実験体を手に入れてから、半年の月日が経っていた。
それほどの時間を掛けてまだ何も成果を出せていない現状は、バトレーに忸怩たる焦りを齎していた。このままでは主であるシュナイゼルにも、信じて送り出してくれたクロヴィスにも申し訳が立たない。
設備と物資に制限のあるエリア11では限界があるのは当然だが、しかしそれをいつまでも言い訳にしてはいられない。無理でもなんでも覆さなければ、自分達の存在意義すら失われてしまうのだ。
「知能に問題がなければ、実験適合生体は一度コーネリア殿下へ引き渡す事になっている。その後は我々も本国へと戻れるはずだ。長かったが、ようやく我らの研究は一つ上の段階へと――」
「動くな」
苦労が報われるかもしれない期待からバトレーが捕らぬ狸の皮算用を口にしたところで、それに待ったを掛けるように首筋に刃が添えられる。
ヒュッと反射的に息を呑み、バトレーは緊張で全身を固くしながら目だけで自らの背後にいる人物を確認した。
「き、貴様はっ……!」
「久しぶりだな。バトレー将軍」
そこにいたのは、バトレーも良く知る人物。
軍で立場をなくした純血派に所属する褐色の女軍人、ヴィレッタ・ヌゥだった。
「まさか貴様がジェレミア卿を拉致していたとはな」
カプセルの中に浮かぶ上官の姿を見ながら、ヴィレッタは声に怒りを滲ませる。
いまにも手にした剣で喉を掻っ切りそうなヴィレッタの態度に、バトレーは慌てて弁明した。
「ら、拉致などしておらん! 儂は……!」
「実際に攫ったかどうかはどうでもいい。重要なのは、ここにジェレミア卿がいるという事実だけだ」
命乞いという名の釈明を遮り、剣を喉に食い込ませて余計な事を話そうとする口を黙らせる。
「貴様ら、ジェレミア卿を使ってなんの研究をしていた?」
「そ、それは……」
「先程シュナイゼル殿下の名前を出していたな。これは殿下の指示か?」
「…………」
弁解には多弁になる口が閉口するのを見て、ヴィレッタの眉が吊り上がる。
しかし感情のままに問い詰めて時間を無駄にする愚を彼女は犯さなかった。
「まぁいい。聞きたい事は後でじっくり聞くとしよう。まずはジェレミア卿をあそこから出せ」
「っ、それはできん!」
「貴様に拒否権はない」
剣をわずかに動かし、喉の皮を一枚斬る。
それが単なる脅しではない事を悟り、バトレーは唇を噛み締めながら拳を震わせた。
数秒の沈黙の後、ここで意地を張っても結果は変わらないと理解したのか、目線だけで部下に指示を出してカプセルからジェレミアを解放する。
「ご無事ですか、ジェレミア卿」
「…………」
カプセルから出て床に四つん這いとなったジェレミアに、ヴィレッタがバトレーに剣を向けたまま声を掛ける。
しかしジェレミアからの答えはいくら待っても返ってこない。
「どういう事だバトレー」
「……おそらく、長らく外部からの情報を得ていなかったため脳が混乱しているのだろう。脳自体に異常はないから、少しして落ち着けば会話できるはずだ」
まともに会話が成立するとは限らないが。
そんな余計な言葉を伝える事なく、バトレーは先程とは別の意味でジェレミアの知能が回復している事を願う。
そのまま数分が経過し、ようやくジェレミアの身体が動いた。
「ジェレミア卿?」
ゆっくりとした動作で立ち上がるジェレミアにヴィレッタは声を掛けるが、それに反応を返さないままジェレミアは酷く緩慢な動作で辺りを見渡す。
その瞳は焦点が合っていないのか虚ろだったが、ある一点で止まったかと思うと徐々に意思の光を宿していった。
「ヴィレッタ…………か?」
バトレーの喉に剣を食い込ませる自分の部下の姿を数秒掛けて視認し、確かめるように彼女の名をジェレミアは呼ぶ。
「はい。身体に……その、異常はありませんか?」
全身が機械化されたジェレミアになんと言葉を掛けるのが適切か咄嗟に判断できず、安否を訊ねる表現が人と機械の間でどっちつかずになる。
なんとも言えないヴィレッタの気遣いにジェレミアは自分の全身を見下ろし、確認するように手足を動かした。
「うむ。正常……と言っていいのかは分からないが、問題なく動くようだ」
「これまでの事は憶えてらっしゃいますか?」
「所々……な。バトレーによってなんらかの実験体にされていたようだが、詳細は私にも分からん」
まるで靄でも掛かったかのような記憶の不明瞭さが気味悪く、ジェレミアは手を当てながら頭を何度か振る。
その様子に知能は問題ないと判断したバトレーが、ヴィレッタに拘束されたまま声を張り上げた。
「ジェレミア! 貴様にはブリタニアへの反逆容疑が掛かっている。ヴィレッタ共々、大人しく我らに従え! そうすれば正式な手続きを踏み、釈明の機会を与えてやる!」
ブリタニアに忠実な軍人としての意識が戻ったのであれば、説得も可能かもしれないとバトレーは居丈高に命じる。
現在ジェレミアは国家反逆の容疑者であり、ヴィレッタは研究施設への不法侵入者だ。そのため公的な立場ではシュナイゼルに仕えているバトレーが最も上となる。
しかしジェレミアの忠義は既にブリタニアではなくルルーシュへと移っており、ヴィレッタも貴族になるためルルーシュにつく事を決めている。そのためブリタニアへの忠誠を問われても心を乱される事はなく、二人はバトレーの叫びを丸々無視した。
「ひとまず、ここを出るとしよう。これからの事はその後で――」
「それは困るな」
突如割って入ってきた声変わりする前の高い声に、瞬時にジェレミアは身構え、ヴィレッタも咄嗟にバトレーを盾に向き直る。
「何者だ!」
「君は貴重なサンプルだからね。勝手に出ていかれたら、わざわざエリア11まで来た意味がなくなっちゃうじゃないか」
誰何の声には答えず、自分の都合だけを語りながら通路の奥から出てきたのは、ジェレミアの半分も背が伸びていない二人の少年だった。
「子供……?」
「誰だ貴様らは!?」
前に立つ少年は、白く長い髪を地面すれすれまで伸ばし、高級なマントを羽織っていた。歳は10歳前後だろうか。さっきの発言もこの少年によるものだ。
もう一人の少年は、年齢は白髪の少年よりも少し上に見える。おそらくは15歳弱といったところだろう。服装は簡素な洋服を着ており、後ろに控えている様子からもおそらくは従者だと思われる。
ジェレミアとヴィレッタという二人の軍人から敵意を向けられながら、それに全く物怖じせず白髪の少年は自己紹介を始めた。
「僕はV.V.。そこのジェレミアを貰いに来たのさ。ついでに君と、この研究チームもね」
「ぶい、つー……?」
まずはジェレミアを指差し、続いてバトレーを指し、そして両手を広げて部屋全体を示すV.V.と名乗る少年。
明らかな偽名と、子供とは思えぬ堂々とした態度で語られる子供のような目的に、少年以外の全員が困惑する。
「面白い研究をしているみたいだから、僕も興味が湧いてね」
「貴様が何者かは知らんが、私は主の下へ馳せ参じなければならない。邪魔立てするなら、子供とて容赦はしないぞ」
こちらに理解させる気があるかも分からない発言に付き合っている暇もなく、ジェレミアはヴィレッタから短銃を受け取りながら少年を威圧する。
それに対し、少年は面倒そうに肩を竦めた。
「できれば抵抗しないでほしいんだけどね。無駄だからさ」
「なに?」
「ロロ」
「はい」
V.V.と名乗る子供が後ろの少年を呼び掛ける。
何かするつもりかとジェレミアは警戒したが、少年達はどちらも動く様子を見せなかった。
「へぇ……!」
興味深そうに白髪の少年が邪悪に口元を緩ませる。
それを怪訝に思いながら念のために周囲を目を走らせて、ジェレミアは異様な事態に気付いた。
「これは……!?」
そこにいる誰もが、微動だにしていなかった。
この状況で不用意な行動を取らないのは当たり前だが、そういう話ではない。
まるで時間でも止まっているかのように、誰もが
隣にいるヴィレッタすら、子供を警戒した姿勢のまま完全に静止していた。
「動けるんだ。凄いね。これは予想外だ」
「貴様……何をした!」
感心したように声を上げる白髪の子供に銃口を向ける。
しかしそれを意に介さず、少年は誰に聞かせるでもなく喋り続けた。
「他の人間には効いているから、ギアスが無効化されたわけじゃない。つまり僕やC.C.と同じギアスが効かない体質、さしずめ『アンチ・ギアス』ってところかな。C.C.を再現しようとしてるっていうのは知ってたけど、まさかここまで研究が進んでるとはね」
意味の分からない事を愉快そうに口にし、ジェレミアを見定めるように少年は目を眇めた。
「となると厄介だな……ロロだけじゃなくて、プルートーンも連れてくれば良かった」
少年がそう言った直後、周囲に人の気配が戻る。
素早く状況を確認すれば、先程までの異様な空気はなく、誰もが少年を警戒するように見つめていた。
「ヴィレッタ、無事か? 何があった?」
先程までの攻撃がなんなのか、身体に異常はないのか、すぐにジェレミアは確認を取る。
しかし――
「は……? どういう事でしょうか? 何か異変が?」
「なに?」
何を問われているか分からないとばかりのヴィレッタの返答に、ジェレミアの眉の形が歪む。
だがすぐに『認識できないなんらかの攻撃があった』とだけ理解し、そのあまりの危険性にジェレミアは状況把握を後回しにして即座に行動に移った。
「とにかく一度ここを出るぞ。ついて来い!」
「イエス・マイロード!」
この場で何者かも分からない子供に付き合う理由はない。目的が
咄嗟の指示に軍人であるヴィレッタはすぐさま反応した。バトレーを少年達の方に突き飛ばし、剣をしまって代わりに取り出した銃を向けながら、少年達がいる方とは別の出口へと向かうジェレミアに続く。
ジェレミアはその間も先程のようにこちらが知覚できない攻撃が来るかもしれないと気を張ったが、少年達が何かを仕掛けてくる様子はなかった。
ただ最後まで自分を見つめる底知れない視線は、得も言われぬ不気味さを抱くに充分なものだった。
通路の奥に去っていく
わざわざ足を運んだ目的が、目の前で手の平からすり抜けていくというのは気持ちの良いものではない。
「追いますか?」
そんな心境を察したのか、ロロが言葉少なに訊ねてくる。
返答より先にV.V.の口からため息がついて出た。
「ギアスが効かないんじゃ捕まえるのは難しそうだし、残念だけど見逃すしかないね。今回のところは研究チームと資料で満足しておこう」
そう言って、改めて部屋を見渡す。
足元に転がっているバトレーや不審げに自分達を見てくる研究員達。
中身のないカプセル周りの機材には、今のいままで取っていたであろうジェレミアのデータが表示されている。
「データがあれば再現も不可能じゃないだろうしね。とりあえず、彼らには物分かりが良くなってもらおうかな」
その発言の意図を理解して、ロロの左目が赤色に光る。
一時間後、部屋から人と資料とデータの全てが綺麗さっぱり消え去った。
ジェレミアとヴィレッタは、無事に研究所から逃げ出す事に成功した。
研究所の中を走り回っている最中に見つけた球形のナイトギガフォートレス――ジークフリートというらしい――に乗って脱出したのが功を奏したのか、追手がついてきている様子もない。
郊外の山にジークフリートを隠し、二人は再会してから初めて一息をつく。
「ヴィレッタ。遅くなったが、改めて礼を言う。よくあの場所を見つけ出し、私を助けてくれた」
「滅相もございません。むしろ救出が遅れてしまい、申し訳ございませんでした」
感謝の言葉を告げるジェレミアに、ヴィレッタは部下としてお手本のような返しをする。
実際ジェレミアを探し出すのは並大抵の苦労ではなかったが、そんな事を恩着せがましく口にしても自分から評価を下げる結果にしかならない。
「しかしなぜ、私の味方をする? 貴公も私の立場は理解しているはずだ」
部下の行動に感謝はしつつも、疑問が残るジェレミアは率直に問う。
バトレーが言っていた通り、自分はブリタニアに対する反逆行為を行っている。
怪我を負ってからの記憶は曖昧だが、保護されている皇族を逃がしてコーネリアに刃を向けたのだ。到底許されるような行いではない。いかに上官だったといえど、それだけでは助ける理由足り得ないだろう。
「ジェレミア卿はこれからどうされるおつもりですか?」
質問には答えず、ヴィレッタは質問を返した。
その無礼にジェレミアはわずかに眉をひそめるが、恩人相手に咎めるような真似はしない。
「ルルーシュ様の下へ馳せ参じる。私が仕えるべきはあの方をおいて他にいない」
今更軍人としての立場など気にする必要もなく、正直にジェレミアは今後の方針を明かした。
ヴィレッタはその答えを待っていたかのように自らの願いを口にする。
「では、私も共に連れて行ってはくださらないでしょうか?」
「なに?」
予想外の要望に虚を突かれたジェレミアが理由を問い質す前に、ヴィレッタは用意していた文言を続ける。
「私はルルーシュ様のお心に反して殿下を政庁にお連れしてしまいました。そのためルルーシュ様の覚えは良くないでしょう」
「…………」
「しかしそれは私が無知であったため。ルルーシュ様のお心を知ったいま、私もジェレミア卿と共に殿下にお仕えしたく存じます」
言い切ると同時に頭を下げるヴィレッタ。
その姿にルルーシュの事情を知るジェレミアは眉間に皺を寄せる。
「ヴィレッタよ。そなたの考えは理解した。だがルルーシュ様はそなたが考えているよう――」
「ルルーシュ様がゼロである事は既に存じ上げております」
「……なんだと?」
ジェレミアが拒絶の言葉を口にする前に、ヴィレッタは自らが至った真実をぶつける。
「政庁からお逃げになる際の黒の騎士団との協調や、個人的な枢木スザクとの友誼、推察できる要素はいくつもございました」
いかに材料が揃っていても、ルルーシュ皇子がゼロである確証はない。
しかし間違っていればもはや希望の芽がないヴィレッタは、さも確信しているかのように堂々と語った。
「そこに思い至れば、黒の騎士団と軍の争いが単なるテロの鎮圧ではない事も分かります。この戦いは、コーネリア殿下とルルーシュ殿下の皇位継承争いなのでしょう?」
「…………」
「であれば、私も微力ながらジェレミア卿と共にルルーシュ様のお力になりたいと望みます。どうか私も、ルルーシュ様の下へお連れいただけないでしょうか?」
自らの推測を事実と断定して話し、ヴィレッタは深々と頭を下げて懇願する。
ここでジェレミアに認められなければ、爵位を得る機会は二度と訪れない。
拒絶されたとしても何度だって臣従を請う覚悟でヴィレッタは返事を待ったが、返ってきた答えはイエスでもノーでもなかった。
「ヴィレッタよ。そなたは勘違いをしている」
「勘違い……ですか?」
まさかルルーシュ皇子はゼロではなく黒の騎士団の幹部だったか、それとも皇位を狙っているのはルルーシュ皇子ではなくナナリー皇女だったかと、過去にいくつか考えた推測がヴィレッタの頭をよぎる。
しかしヴィレッタの勘違いはそんな枝葉ではなく、もっと根本的なところにあった。
「ルルーシュ様は皇位など目指されてはいない」
「………………は? それは、いったい…………どういう……」
「言葉通りだ。ルルーシュ様は皇位を争うためではなく、マリアンヌ様の死の真相とナナリー様が幸せに暮らせる優しい世界を求めて、ブリタニアという国そのものを敵とみなし戦いに身を投じておられる」
言われた言葉の意味が理解できず困惑するヴィレッタに、ジェレミアは淡々と事実を告げる。
しばらく内容を呑み込めずにいたヴィレッタだが、徐々に理解が及ぶとその目を驚愕に見開き、口を半開きにして言葉を失った。
「まさか、ルルーシュ様は本当にテロリストに身を堕として……」
たっぷり10秒以上経った後、ようやく出てきた言葉は自らを絶望に叩き落とすものだった。
それが認められず、縋るようにヴィレッタは目の前の男に問う。
「ジェレミア卿はそれでいいのですか? ルルーシュ様の下へ行かれるという事は、ジェレミア卿もテロリストに……!」
「私は神聖ブリタニア帝国ではなく、ルルーシュ様個人に忠誠を誓った。肩書や立場など、もはや私には不要だ」
迷いなど微塵も見せず、ジェレミアは軍での名誉も、ヴィレッタが求めてやまない貴族の地位も放り捨てる。
まるでそんなものに価値などないと言わんばかりに。
「故に、そなたがルルーシュ様の前に立ちはだかるというなら、私は一切の容赦なく排除する」
情を感じさせない淡々とした声でジェレミアは告げる。
助けられた恩はあれど、それでも忠義が勝る。
揺るぎない態度は言葉よりも雄弁にそう語っていた。
「願わくば、戦場で出会わない事を祈ろう。恩ある貴公を手に掛けたくはない」
それだけ言うと、ジェレミアは背を向けた。
「私は行く。達者でな、ヴィレッタ」
別れの言葉を口にして、山を下りるジェレミアの背中が遠ざかっていく。
半年間捜してようやく見つけた貴族行きの列車の切符が、最初から目的地を目指していなかった事を知って、ヴィレッタは呆然とそれを見送る。
しかし絶望に染まる頭がそれでも諦めきれず思考を回し続け、気付けば身体はジェレミアの後を追いかけていた。
「お待ちください!」
声を張り上げてその背を呼び止める。
振り返ったジェレミアに、ヴィレッタは未だに整理できていない思考を未来に放り投げて、後先考えない言葉をぶつけた。
「私に恩を感じられているという事であれば、私の願いを聞き届けてはくださいませんか?」
「なに?」
ジェレミアの眉間に不可解と言わんばかりの皺が刻まれる。
ここで黙るのは悪手だと、ヴィレッタは頭を下げながら自分で正しいかも分かっていない願いを口にした。
「私に――ルルーシュ様とのお目通りの機会をお与えください!」
言ってしまった。そんな思いを抱くが、行動自体に後悔はなかった。
そんな事を考える暇もなく、ヴィレッタは返事を待つ間にこの先のヴィジョンを必死に思い描く。
「本気で言っているのか?」
先程よりも低くなった声でジェレミアが問うてくる。
明らかに空気が冷たく、重くなったのを肌で感じながら、唾を飲み込んで頷く。
「ジェレミア卿からお叱りを受けたあの日から、私はずっと後悔しておりました。政庁にお連れする前に、なぜルルーシュ様のご意思を確認しなかったのかと」
「謝罪する場を設けてほしいと?」
「いえ、罪滅ぼしをさせていただきたいと願い出るつもりです」
その答えに、ジェレミアの視線がさらに重みを増した。
「分かっているのか? それはブリタニアの敵に回るという事だぞ」
「承知の上です」
もう後戻りはできないと、ヴィレッタは迷わず即答した。
そして迷いが消えれば、思考はクリアに、すらすらと自分の行動を補強する言葉が出てくる。
「真偽は定かではありませんが、先程バトレーはシュナイゼル殿下のお名前を出していました。もしジェレミア卿の身に起きた実験が本当にシュナイゼル殿下主導のものであったなら、私は既に本国を敵に回したも同然。躊躇う理由はございません」
ムッと、ジェレミアの表情がわずかに歪む。
自分を助けた事で部下に反逆の汚名を着せてしまったかもしれないという可能性は、ジェレミアにとっても決して軽いものではない。そんな元上官の気質が分かっていたからこそ、あえてヴィレッタは罪悪感を刺激する言葉を選んだ。
そしてその目論見は上手くハマる。
「お願いします。ジェレミア卿」
「…………確約はできん。だが貴公の望みはルルーシュ様にお伝えすると、約束しよう」
「っ! ありがとうございます!」
ヴィレッタが頭を下げて感謝を伝えると、今度こそジェレミアは山を下りていく。
おそらくはルルーシュに連絡を取りに行ったのだろう。ならば点数を稼いでおくためにも、自分はジェレミアが戻るまでこのナイトギガフォートレスを見張っていた方が良かろうと考え、ヴィレッタは手近な岩に腰を下ろす。
そして盛大に天を仰いで息を吐き出した。
途端に襲ってくるのは、不安と恐怖。
当然だ。自分はいま、ブリタニアに反逆の意思を表明したも同然なのだから。これからどうなってしまうのか、不安にならないわけがない。
だが――
「これでいい。これでいいんだ…………爵位を得るためには、もうリスクなど恐れてはいられない」
自分に言い聞かせるように、ヴィレッタは何度もこれでいいと繰り返す。
ルルーシュ皇子が皇位を目指していないのなら、当初の予定通りルルーシュ皇子に臣従する策は使えない。しかしまた軍に戻ったところで、落ち目の純血派の構成員である自分に出世の目はないだろう。
ならば、この状況を全てをひっくり返せるだけの巨大な功績を勝ち取るしか、もはやヴィレッタ・ヌゥが貴族になる道は存在しない。
いまこのエリア11における最高の手柄とは、ゼロの確保だ。ゼロを捕らえさえすれば、
そしてそのためには、黒の騎士団に潜入してゼロの信頼を得る以上の近道はない。
ゼロの正体がルルーシュ皇子である事は、おそらく黒の騎士団内でも殆ど知る者はいないだろう。それだけテロリストのリーダーが元皇族という事実は重い。精々が枢木スザクの他に数人程度のはずだ。
ならば初めから正体を知りながら臣従する自分のような存在は、ルルーシュ皇子にとって都合の良い駒となるのは間違いない。ブリタニア人だという点も、殆どの団員が日本人を占める黒の騎士団にとっては利用価値が高いだろう。
そうして忠実な部下として信頼を勝ち得た後で、隙を見てルルーシュ皇子を捕らえブリタニアへの土産とする。
自分が黒の騎士団についたせいで軍に被害が出ようと知った事か。むしろ被害が大きければ大きいほど、ゼロを捕らえた時の功績も大きくなる。途中で軍に捕まれば反逆罪で極刑は避けられないだろうが、もはやそんなリスクに尻込みしていられるような段階ではない。
「私は必ず、貴族になってみせる」
決意と覚悟を新たに、ヴィレッタは野望のために黒の騎士団に潜入するスパイとなる事を決めた。
ジェレミアは改造された挙句に原作アニメ以上に人格に影響が出てルルーシュと敵対するルートも考えましたが、ジェレミアのキャラとしての魅力が潰れてしまいそうなので没にし、無事に脱出ルートに入りました。
ちなみにジークフリートに乗る際に、機械化されたジェレミアが躊躇いなく神経電位接続しようとしてヴィレッタが慌てて止めるといった一悶着がありましたが、話の流れが悪くなるので泣く泣く飛ばしています。
次回:謎の組織