ブリタニア政庁の一角。副総督の執務室は半年前までとても静かな一室だった。
お飾りの副総督であるユーフェミアには、判を押すだけで済んでしまう決裁書類や、どのように決裁しても大してエリアに影響を及ぼさない小さな案件の問題しか回されていなかったからである。
しかし現在は半年前の静けさが嘘に思えるほど、その一室から声が途切れる事はない。
執務室の中から聞こえてくるのは、二人の少女の真剣な討論。テーブルに並べた膨大な資料を前にして、ユーフェミア・リ・ブリタニアとミレイ・アッシュフォードが険しい顔を突き合わせエリア11の政策について話し合っていた。
「やはり関東ばかりではなく、そろそろ地方のゲットーの再建も視野に入れるべきではないでしょうか? 東京租界周辺のゲットーは生産力が徐々に向上しているのですから、地方でも同じように行えばきっと上手くいきます」
「……それは早計ではないでしょうか? ゲットーの再建が上手くいっているのは、あくまでもゲットーの政策を学ばれた上でイレブンに配慮できるユーフェミア様が主導しているからであって、地方では勝手が違います。形だけ真似させても、成功するとは限りません」
「では私のようにゲットーの政策に詳しい方を探すか、いまから学んでいただくのはどうでしょう? 多少時間は掛かるかもしれませんが、問題点は解決するはずです」
「確かにそれであれば一考に値するかもしれませんが……やはり私は反対です。ゲットーの再建はようやく軌道に乗り始めたばかりで、まだ多くの問題を残しています。この状況で地方にまで手を伸ばすのはリスクが大きいと言わざるを得ません。もし地方での再建が失敗すれば、イレブンへ恩情を与える政策自体が疑問視され、こちらのゲットーの再建にも影響が出る事は確実です」
副総督であるユーフェミアが提案し、補佐であるミレイがその実現性と問題点を挙げる。
ユーフェミアの補佐を任されたダールトンは、その内容について吟味し時折意見を口にはするものの、議論自体は二人の少女が進めていく。
最初の内はコーネリアの補佐をしていたため経験が豊富なダールトンの意見を頼りにしていた二人だが、若さゆえか目を瞠る速度で成長していき、いまではダールトンが口を挟む隙すらないほど地に足をつけた議論を交わすようになっていた。
「……悔しいですが、確かにミレイさんの言う通り、まずは関東のゲットーを問題ないと思えるところまで再建し、地方についてはその後で考えるのが現実的ですね。あれもこれもと手を伸ばして、一番大事なところで躓いては本末転倒ですから」
「はい。それに生産力が向上してきたといっても、数字にすればまだ微々たるものです。初期投資を回収できる試算も立ってない現状では、地方に手を広げる事を官僚が良しとしないでしょう」
「たとえ強行はできてもいらない反感を買ってしまう、という事ですね。お姉様ならその程度なんの問題にもならないのでしょうけれど、私の立場ではそうもいかない。……やっぱり地位も能力も人材も、私には何もかも足りませんね」
唇を噛んだユーフェミアの口から、大きなため息がこぼれる。
反対意見を口にしていたミレイは慰める言葉を持たず、重たい沈黙が場を支配した。
しかしそれでもいまは後ろ向きになっている場合ではない。そう考えてユーフェミアのためにも話を続けようとしたミレイだが、それは思わぬところから制止が入った。
「ユーフェミア様、アッシュフォード嬢、休憩の時間です」
まるで見計らったかのようなタイミングで、ダールトンが仕事の中断を宣言する。
議論が白熱して時間を忘れる二人は、たびたび食事や休憩すら抜いて仕事に没頭するため、いつの間にか二人のタイムスケジュールを管理するのはダールトンの役目となっていた。
「えっと、もうそんな時間ですか?」
「ちょっと集中しすぎたかもしれませんね」
陰鬱だった空気を払うように、殊更明るい声を出して二人は表情を緩ませる。
そしてダールトンが紅茶と菓子を用意させていたテーブルへと移った。
「ダールトン将軍、いつも準備をありがとうございます。本来なら私の仕事なのに……」
「礼も謝罪も不要だ。アッシュフォード嬢の仕事はユーフェミア様の補佐。であれば休憩の準備と政策の議論、どちらが優先されるかなど考えるまでもない。それに……私は指示を出しただけだしな」
恐縮するミレイにダールトンは首を振って、最後に冗談交じりに口の端を吊り上げる。
タイムスケジュールを管理しているのはダールトンであるため、休憩の準備を指示する事など手間でもなんでもない。それでなくとも、時間を忘れて議論に没頭している人間に、休憩の準備をしろなどという無理難題を言うつもりはなかった。
「私の事など気にせず、ゆっくり休んでくれ。ユーフェミア様にも苦言を呈したが、最近は少々根を詰め過ぎだ」
「それは……そうかもしれないですね」
「ここ数週間はやる事が多かったので、多少の無理は仕方なかったと思うんですけど……」
ダールトンの指摘に思い当たるところのあるミレイは気まずそうに頬を掻き、その正面でユーフェミアは不満そうに眉間に皺を寄せた。しかしコーネリアから妹の体調管理も任されているダールトンが咎めるように視線を鋭くするのを見て、ユーフェミアも不満を引っ込める。
ダールトンがユーフェミアの補佐に就いてからというもの、二人の関係も少しだけ変わってきていた。
「要は休む時はしっかり休む。それが大事って事ですね」
二人のやり取りを見て、波風が立たないようにミレイがそうまとめる。
ここら辺の人間関係の間の取り方は、癖の強い生徒会をまとめていたミレイにとってお手のものだった。
「どれだけ頑張っても体調を崩しちゃったら元も子もないですし、ルルーシュも同じような後悔をした事ありますよ」
「ルルーシュが?」
突然出てきた異母兄の名前に、ユーフェミアの目が驚きと興味の両方で輝く。
それにニヤリと笑ってミレイは話を続ける。
「ええ。あの時は生徒会の業務が半端ないくらい渋滞してて、みんなてんやわんやで働いたんですけど、ルルーシュって体力がないから全部終わった後に風邪を引いちゃったんです」
「まぁ大変。大事にはならなかったんですか?」
「数日で無事に治ったんで大丈夫です。でもナナリーが楽しみにしてたパーティの幹事をやるって張り切ってたのに、寝込んでできなかったんですよ」
「じゃあパーティは中止に?」
「いえ、そこはナナリーがルルーシュの代わりに幹事をやって無事に開催できました。だけどナナリーがいなきゃ中止になっちゃってたわけですから、ルルーシュみたいに頑張りすぎるのも良くないって事です」
「うふふ、確かにそうですね」
ミレイが語る思い出話を食い入るように聞いて、ユーフェミアは心からの笑みを零す。
この執務室には副総督のユーフェミアとその補佐のミレイ、そして護衛兼補佐のダールトンしかいないため、ルルーシュの名前を出そうと外に漏れる事はない。またミレイがユーフェミアに対して皇族とは思えない話し方をしても、問題とする者はいなかった。もちろん最初はダールトンもミレイを咎めたのだが、他ならぬユーフェミアがそれを望み、尚且つ休憩中などの人目のない公務外でしかそう言った話し方はしないため、致し方なくミレイの無礼を飲み込んだ。
そしてミレイが友人のように口にするルルーシュについては、あくまでもアッシュフォード生徒会のルルーシュ・ランペルージであって、ブリタニア皇族のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアではないとして、その会話にも無礼にもダールトンは口を挟まない。
話を聞くユーフェミアの顔が見た事もないほど年相応に嬉しそうだったからというのも、ダールトンの判断になんの影響も与えてはいない。
「それからこれはちょっとだけ、話しにくい事なんですけど……」
ミレイがそう言って、チラリとダールトンの方を見る。
その視線に気付いたユーフェミアもダールトンを振り返る。
「申し訳ありません、ダールトン将軍。少しだけ……」
「かしこまりました。休憩の間は扉の外におりますので、何かあればお呼びください」
ユーフェミアの言いたい事を汲み取ったダールトンが、自主的に退室を申し出る。
本来ならユーフェミアを護衛なしに誰かと二人きりにする事は望ましくないのだが、ミレイは執務室に入る前に必ず身体検査を受けているので、危害を加えられるような武器を持っていないのは分かっている。少しの間なら問題はないだろう。
先程まで二人が執務をしていた机を一瞥して、ダールトンは部屋を出た。
「あまり、気持ちの良いものではないな……」
大きなため息をつくと、外で警護をしていた護衛のポールがこちらを見てくる。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。休憩の間だけ、私もここで待機させてもらうぞ」
わずかな自己嫌悪を首を振って払い、ダールトンは職務に頭を切り替えた。
「ありがとうございます。ユーフェミア様」
ダールトンが執務室を出ていくのを見送って、ミレイは軽く頭を下げた。
後でダールトン将軍にも謝ろうと心の中で決める。
「構いませんよ。でもどうして将軍を外に? ルルーシュの話ならいつもしてるのに」
不思議そうに首をかしげるユーフェミアに、さっきまでの気安い口調を改め、ミレイは畏まって告げた。
「昨日、ルルーシュから連絡がありました」
「えっ!?」
「その際にユーフェミア様への伝言を預かっています」
「っ……どんな伝言ですか!?」
目を剥いて驚くユーフェミアに対し、ミレイが続けざまに爆弾を落とす。
思わぬところから齎された異母兄とのつながりに、ガタッとユーフェミアは逸る心を抑えられず前のめりになった。
「そのままお伝えしますね。『ユフィ。半年前は騙して悪かった。君の善意を利用した事は謝って許されるものではないが、もし会ってくれるなら改めて謝罪をしたい』」
声はそのままに、語り口だけルルーシュに寄せてミレイは伝言をそのまま伝える。
「『実は、君がゲットーに建てる病院でナナリーを診てもらう事にした。もし良ければ、その診療の後で会えないだろうか? ゲットーの再建で忙しいのは分かっているから、無理にとは言わない。だがもし時間を作れるなら来てほしい』」
ミレイの口から、待ち合わせ場所の時間と場所が告げられる。
そこは病院から程近い、人目を忍んだゲットーの建物の一室だった。
「『俺は用があってナナリーの診療には付き添えないが、待ち合わせの時間までには間に合うから、診療の後でナナリーと合流して向かう予定だ。……君と無事に会える事を楽しみにしている』――以上です」
正確に伝言を伝えるために瞼を閉じてルルーシュの言葉を思い出していたミレイが目を開くと、ユーフェミアは瞳に涙をためて口を押えていた。
「ルルーシュ……」
嬉しそうに、心の温かい部分を形にするように、異母兄の名前をユーフェミアが呼ぶ。
その言葉と共に瞼に溢れる涙が決壊した。
「私を、嫌いになったわけじゃなかったんですね……」
心からの安堵でユーフェミアが両手を胸に抱くと、頬を伝った涙が床に零れる。
ずっと、ずっと不安だった。
だってルルーシュは、再会してから一度も笑ってはくれなかったから。
どんなに語り掛けても、どんなに笑い掛けても、ルルーシュがそれらを返してくれる事はなかった。唯一答えてくれたのも、信じて頼ってくれたからではなく、ただ仲間を助け出すための方便で。
もう自分の大好きな異母兄は、8年前に別れた妹の事なんてどうでもよくなっていて、話すのも煩わしいと思ってるんじゃないかって、そう考えずにはいられなかった。
必死に違う、そんなわけないって否定しようとしても、そのたびに他ならないルルーシュに言われた言葉が頭をよぎった。
『ユフィ。あの頃とはもう、何もかもが違うんだ』
『出て行ってくれ。君と話す言葉など、俺はもう持ち合わせていない』
だからそんな事考えたくなくて、仕事に没頭した。
ルルーシュが変わってしまったなんて思いたくなくて、いまのルルーシュを知っているミレイから話を聞く事にした。
でも何をやっても、ずっと不安は消えてくれなくて――
だけど、それは本当に、私の勘違いでしかなかったのだ。
「ユーフェミア様」
泣き崩れるユーフェミアの頭を、ミレイが優しく胸の中に招き入れる。
その温かさにユーフェミアの涙が止まらなくなる。
「……ルルーシュ…………ルルーシュ…………」
愛しい異母兄の名前を繰り返しながら、ユーフェミアは紅茶が冷めるまで泣き続けた。
次回:オレンジ
出典
アプリゲーム Lost Stories
イベントシナリオ「ミラクル・クリスマス!」
『パーティの幹事をやろうとして風邪を引いたルルーシュ』