どこが足の踏み場か分からないほどの、果てしなく続く白。
地平線の区別すらつかないほどの、純白。
何もないから、何も感じ取れない。
真っ白な世界だけが私の視界を染めていた。
「まさかこうなるとは…」
「っ!」
呆けていた頭がその声で一気に醒める。
「あんたは……」
「見ての通りだよ」
白珠毛糸が、そこに立っていた。
「ここは一体……私はなんで……いや………あなたは、誰?」
「……やっぱり鋭いんだなあ」
感心するような素振りで私の問いを無視する。
「そうだなぁ……1から説明すると時間かかるし…この世界の案内人、とでも名乗ろうかな。柄じゃないけどね」
「…案内人?この世界って……」
「端的に言えば、ここは白珠毛糸の心の中。精神の縮図……とでも言おうか」
…なんて?
「待って、頭が追いつかない」
「はいはい待ちますよ」
目が覚めたと思ったら変な空間にいて……そこには毛糸みたいで毛糸じゃなさそうな変な奴がいて、そいつはこの空間の案内人を名乗ってて、この空間は毛糸の心の中…?
「…なんでこうなったの?」
「推測だけでいいなら」
「構わない」
「普通ならこんなことは起こらないはずなんだけどね。どうやら私と君は上っ面じゃない、もっと深いところで繋がってたらしい」
「深いところ……」
ああ、能力か。
「でまあ、そんな二人が感情を乗せ合って力をぶつけ合って……まあ、こう、いい感じに……分かるでしょ?」
「まあ……」
変な感じだ。
さっきまで苦しそうな表情しか浮かばなかった奴と同じ顔のやつが、何食わぬ顔で私に淡々と説明を述べてくる。
「そんなこんなで、私と君がお互いの心の中を覗き合ってる状態だね。こっちからは分からないけど、きっと私も似たような状況になってるはずだよ」
「妙に詳しいのね」
「まあ、初めてじゃないからね」
「…?」
さっきまでと違ってちゃんと話すこと話してくれるから、話は進むけど………
「……待って、今毛糸も私の心の中を覗いてるのよね」
「うん」
「じゃああんたは何?なんでここに存在してる?」
「ふむ……」
顎に手を当て、考えるような仕草をしたのち私を指して口を開いた。
「それはこっちのセリフ」
「……は?」
「私が何かなんてこの状況において重要?それよりも今は、何のためにこうなったか、を考える時間だよ」
「何のためって……」
「理由なく、目的なくこうはならないってことさ」
理由って…目的って……
分からないことだらけのこの状況でそんなの求められたって……
いや、理由なら……そっか。
理由ならある。
「——知りたい、と思った」
「何を?」
「全部」
辺りの何も変わらない風景、それをまた一周して、この目に焼き付けて。
「彼女が何を考えているのか、どう生きてきたのか、何があったのか、何が彼女をそうさせているのか。その全てを、知りたい思った」
「何故?」
「何も知らないから」
向こうは私のこと知った気なのかもしれないけど。
私にとっては、あなたは先代の隣に居た人で。
私は、あなたという人を直接見たことはなかったし……そんな時間も、余裕もなかったから。
これだけ私の人生に深い爪痕を残して、それを知りたいと思うのはおかしな事だろうか。
「先代は彼女と分かり合えていた。なら私にだって……」
「それが理由?」
その問いに、静かに頷く。
「それが、私がここにいる理由」
「……なるほど」
何もない空間。
もしここが、本当に彼女の精神の縮図というのなら、それが意味しているのは……
「教えて。あなたなら知ってるんでしょう?彼女のことを」
「知ってるも何も自分のことなんだけど……まあ、そうだなぁ」
自分のことって……やっぱり、真っ先にあなたのことを教えて欲しいのだけれど。
「ここまでわざわざご足労いただいたんだ、その権利はある。というか、断る権利がないのはこっちの方かな、理由もないし」
「……つまり?」
「分かった、さっき案内人を名乗っちゃったからね」
「なら———」
「ただ」
私の言葉を遮る。
「私は観せるだけだよ。それを見て、何を感じ、どうするかは君次第」
「……観せる、って?」
「白珠毛糸の記憶…?体験?まあそんなとこかな」
「…分かった。それで構わないわ」
「よかった」
私の答えに満足そうに微笑んだそいつは、どこからか扉を持ってきた。
「……何?それ」
「入口さ。この見た目の方が分かりやすいし」
「……入ればいいの?」
「私の後にね」
「———は?」
そこには異界が広がっていた。
見えない透明な床のようなもので遮られているが、間違いなく私の眼下にはこの世のものとは思えない光景が広がっている。
「何?ここ…四角くて大きいのが沢山……」
「外の世界」
「……え?」
あまりにも淡々と告げられたその言葉を思わず聞き返す。
「今の、この時代の外の世界だよ、多分ね」
「これが……?」
この、硬い箱のようなものが一面に敷き詰められた、この異様な空間が?
確かに、遠くの方には僅かに見慣れた山肌が見えるけれど……
「驚くのも無理はない、いきなりこんなものを見せられて困惑するのは当たり前だ」
「……なら、なんでこんなものを?」
頭が痛くなってきて目眩を微かに催すその光景から目を背け、これを見せている張本人を睨む。
「私が元々生きていたのがこの世界だからだよ」
「……は?」
元々?この世界?
いや、外の世界からっていうなら、それはまた……いや、違う。
やっぱりおかしい。
「今の、私の生きてる時代の外の世界、そういうことね?」
「確証はないけどね」
「なら……あんたは今、何歳?」
口笛を吹いて感心するかのような目を向ける。
「そう、そこだよ、君が知らなきゃいけないのは」
「変な言い回しばかりしないで、ちゃんと答えなさい」
「はいはい………私が、白珠毛糸が生きてきたのは、まあ大体500年くらいかな」
「外の世界にいたってことは、元は人間?」
「そうだね」
元々人間で、この時代に生きてて、既に500歳……
転生?いやでもそれじゃあ時間に矛盾が……
「私は、この時代から500年遡って転生して、毛玉になった」
「……あり得るの?そんなこと。時間遡行なんて」
「まあ実際起こってるからね。それに、私のいた世界に幻想郷が本当に存在してたかどうかも、確かめる術はないし」
「………」
「……驚いた?」
「そりゃあ……」
だろうね、と何故か満足げに笑うそいつ。
「私がまず最初にここを見せたのは、この記憶が私『白珠毛糸』を形造る最も重要なものであり……最も重大な枷だからだよ』
「枷?」
「さあ、次に行こうか」
「これが私」
「……ただの毛玉だけど」
森の中、一つの毛玉が風に流されるように浮かんでいた。
「そう、ただの毛玉。霊力も妖力も持たず、自分で動くこともままならない、この世界に生まれたばかりの私だよ」
「………」
「ちなみにこうやって外から見てると何も分からないけど、今私は精神崩壊しそうになってる」
「え?」
何…それは……
「突然なんの記憶も持たずに四肢もない、生き物かどうかすら怪しい物になって、身動きもできずに1週間も彷徨うことになったら、頭くらいおかしくなるでしょ?」
「…まあ、そう言われれば」
……このただの毛玉が、今じゃ人の形して歩いてる……
「この後、私は出会いの連続に遭遇する」
そう言ったあと、次々と景色が変わり、誰かがその毛玉の前に現れる。
霧のない湖、見覚えのある妖精二人。
一面の向日葵畑、花の妖怪。
まるで地の底かのような暗い場所、知らない妖怪。
「この後、私は妖怪になって、大ちゃんから名前をもらう」
「……この後、って?」
「1週間くらい?」
「……………早くない?」
「本当にね」
普通こういうのって、長い間年月を重ねて妖怪になるものじゃあ……
「色々な要因が重なった結果だと思うよ。強すぎる自我、強すぎる妖力………私の霊力と妖力はチルノと幽香さんのものだから」
「……なるほど、通りで」
理屈はわからないけど納得はした。
「この後しばらく、私の騒がしい生活がやってくる」
また場面は変わる。
「なんかヤバそうな人にいきなり襲われて」
どこかで見たような金髪の妖怪。
「長い付き合いになる友だちと出会って」
妖怪の山の……天狗と河童?
「厄介そうな戦いにいきなり巻き込まれて」
爆ぜる弾、飛ぶ血飛沫、抉れる肉。
吹っ飛んでる毛糸。
「今思い返してもまあ、退屈はしない生活だったよ」
口ぶりから察するに、短期間の間に起こった出来事なのだろう。
彼女もこの幻想郷でちゃんと生きてきたのだという、謎の実感が湧いてくる。
「そして、ある人と出会った」
人間が立っていた。
黒くて綺麗な、長い髪。
光を全て吸い尽くすような、漆黒の刀。
「私にとって初めての、人間の友達」
「………」
その女性を見ている毛糸の目が、本当に懐かしい物を見ているようで。
その顔を私も眺めていた。
「……その人は、どんな人だったの?」
気になって、そう聞いてみた。
ただならぬ感情を抱いているのは見てとれるし、そもそも私は毛糸を知るためにここにいる。
でも、今は純粋に興味が湧いた。
あの女性に。
「強い人だったよ。あの人がどんな人生を送ってきたのか、私は詳しくはしらなかったけれど………でも、どこか似たもの同士だなって思ったんだ」
「似た物同士?」
「はみだしもの」
「………」
「私は、自分が妖怪なのか、人間なのか、どっちなのか、どうあるべきなのかわからなくて、変なやつになってて。あの人は……りんさんは、人間というにはあまりにも強くて………ひとりぼっちだったんだ、お互いに」
まるで
「……この人とは、その後どうなったの?」
私がそう聞いても毛糸は何も発さず、ただ景色だけが切り替わっていた。
倒れているその人、そばにいる毛糸。
口での説明はなくとも、それが何を指し示しているのか理解するには十分だった。
「後悔しかなかった、けど、どうすれば良かったのかは分からない。あの時も、今も」
「………」
「だから、そんな想いを整理するために、ちょっと居場所を変えてみたんだ。そうだなあ……この幻想郷をもっと知りたかったってのも、多少はあったと思うけど」
現れた扉を潜ると、また場面は切り替わり、いろんな場所の景色が映し出された。
そして最後には、アリスがそこにいた。
毛糸とアリスが、楽しそうに話している。
「どう見える?」
「……先代と話してる時みたい」
穏やかで、楽しそうで。
「……やっぱり、あれがあんたじゃないのよ」
「…そうだね」
今のこの風景だけじゃない。
この記憶の中の毛糸は何というか……随分とはっちゃけているように見える。先代と一緒にいた時よりも、もっと。
「私も生きていくうちに、だんだん考えが変わっていくんだ」
黒い刀を持って血を浴びながら立っている毛糸。
どのくらい時が経ったのか分からないけれど……
少し、顔つきが変わったか。
「しばらく、穏やかな生活が続いたんだ」
彼女の何気ない日常が、その風景が私の目に刻み込まれる。
笑って、ふざけて、そんな日々が。
「幻想郷が完全に結界に閉ざされる時、妖怪が暴れ回ったのは知ってる?」
「えぇまあ……」
「これはその時の記憶」
見せたことのないような、怒りの表情。
直後に映ったのは、傷ついた彼女の友人だと思われる人たち。そして、左腕を抱える毛糸の姿。
「死にかけたよ。友達も傷ついた」
「………」
ああ、完全に変わった。
表情が、振る舞いが、その内の想いが。
「どう、映る?ここまでの私の記憶を見てきて、君の目にはどう映っている?」
「………」
その後も光景は流れていく。
ただ、その表情はどこか憂鬱そうで。
「寂しそう」
「………」
「私の目には、そう映ってる」
何故、そんな表情をするの?
今まではずっと、楽しそうに笑っていたのに。
一体何がそうさせているの?
段々と頭が慣れてきたのか、彼女のセリフが頭の中に流れ込んでくるようになった。
まるで自分が彼女になったかのような、そんな感覚。
「そしてまた時は流れて、君や魔理沙と出会った。そして、巫女さんにも」
「………」
「そして、吸血鬼異変が始まった」
生き生きとした表情、幻想郷が攻め込まれているというのに、何故か楽しそうで。
そうか、フランと。
そんなことがあったのか。
あの吸血鬼の妹と毛糸のやり取りがそのまま私の頭の中に流れ込んでくる。
「………」
そして、私もよく知った光景……博麗神社での日常が映し出されて。
その日がやってきた。
そこで記憶は止まった。
これ以上は見せる必要がない、ということだろうか。
「ねえ———」
「先にも言った通り」
私の言いたいことを察してか、割り込むように言葉を続けるそいつ。
「私は観せるだけだよ。それを見て何を感じ、どうするかは君次第」
「………」
「聞きたいことがあるなら、ここを出て実際に私に聞いてみるといい」
「……さっき散々聞いても、私には分からないって突っぱねられたんだけど?」
「次は答えてくれるよ」
「証拠は?」
「"私"がそう言ってる。それに……」
周囲の風景がまた、何もない真っ白な空間に戻る。
その中で目の前のそいつは、何もない場所をじっと見つめていた。
「さて、君は次にどうしたい?私の記憶を見て、君は私をどうしたい?」
「最初から変わってないわ。まだ、知らないこと、分からないことがある。それを聞くだけ」
「……そっか」
柔らかい表情を浮かべた後、私の背後を指さした。
振り向けばそこには扉がある。
「出口はそれだよ、言いたいこと言ってやればいい」
「……ねえ」
質問には答えないと言われていても、どうしても気になる。
「あんたって何者?」
「それって今重要?」
「言うと思った」
それだけ聞いて、私はこの真っ白な世界を去った。
2度目の感覚だろうか。
フランの時のような感覚。
ただ、あの時よりも、何というか。
懐かしさのようなものが、私の感覚を伝ってこみあげてくる。
見覚えのある景色。
嗅いだことのある木の匂い。
ゴツゴツとした手触り。
聞いたことのある幼い声。
気がつけば博麗神社にいた。
目の前には楽しそうに遊んでいる、幼い霊夢と魔理沙がいて
隣には——
「よう、久しぶり?」
「………」
巫女さんがいた。