"夢想天生"
博麗霊夢の持つ「空を飛ぶ程度の能力」という概念を拡張し、あらゆる抑圧から彼女を解き放ち、文字通り『この世界から浮く』歴代でも彼女しか扱うことのできない、まさに天生と言える技。
八雲紫がたかが「宙に浮く程度の能力」を使い博麗霊夢という存在を生み出したのは、決して負けることのない博麗の巫女を作り出すためだった。
“繋がり“は確かにあった。
妖力や霊力の繋がり、その類似性ではなくとも、元になった能力という関係。そして能力の変質ではなく、あくまでも発展であるということ。
もし、博麗霊夢を斃せるとするのなら。
誰にも干渉できず、手の届かないところに行くあの巫女を、あの技を穿ち、斃す可能性があるとするのならば。
それは白珠毛糸であると、八雲紫は考えていた。
「まあ、そうならないだろうとは思っていたけれど」
そうなるはずがないという確信。
しかし、結果としてあの二人は繋がった。それだけが事実だ。
あくまで可能性、そして可能であるということ。それだけに過ぎない。
「………」
故に彼女は隙間から覗き見る。
孤独を、喪失を乗り越えてきた彼女が何を選び取るのか。
幻想をその一身に背負う彼女がそれとどう向き合うのか。
傍観者である彼女は、その結末を見届ける。
視界を埋めていた触手が引っ込んでいき、あの泥の化け物に集約していく。
私にはもちろん、毛糸にも傷一つなかった。
「ふううぅぅぅ………なんとかなったわね」
土壇場での“夢想天生”の発動、そして接触による他者への付与。
同じ性質を持つ毛糸だからこそ出来た荒技、彼女だったから私が手を引いてこっち側に連れてくることができた。
同時に実感する。
あそこにいる自分に、世界から浮いている自分に唯一届きうる存在は毛糸なのだと。
「ってそれはどうでもいいか…」
頭をブンブンと振り、ズレていた自分たちの存在を元に戻す。グンと重力が体にのしかかり、足で踏ん張っておかないとそのままこけてしまいそうになる。
「……でももう、これではっきりしたわね」
あれは危険だ。
この場で封印だとか、そんな優しいことは言っていられない。今回は防げたが向こうはどんどん変化している。次も防ぐことができるという保証はない。このまま手に負えなくなる前に……
「…毛糸?」
そこでようやく、さっきから一言も発さずに地面を見つめている毛糸のことに気がついた。
………はあ
「3回目だよこの感覚」
『そろそろ何度も起きすぎて魂がガバガバになってきそうだね』
もう一人の私の顔を見た瞬間に色々と察して嘆く。
「そういう魔法使ってたフランはともかく、霊夢の時はなんでこうなったんだっけ?」
『あれは……多分能力の繋がりで共鳴して…って感じだったと思うけど』
あの時霊夢の手を握った途端に大量の触手が暴れ出し、繋いでいない方の手に触れた。
その瞬間、私とあの泥の塊が繋がった。
それを示すように、私たちの真っ白な空間にポツンと、真っ黒な木のドア静かに佇んでいる。
『おそらくミナの意識はあの扉の先で沈んでいる。あの子と話がしたいならそれを見つけ出さなきゃいけない』
「分かってるよ」
『この空間から出れば君は魂一つで放り出されることになる。あれだけ強い怨念の塊だ、たちまちに飲み込まれて消えてしまうかもしれない。そうでなくても傷を負ってしまえばそれは君の魂への直接のダメージとなる」
経験済みだよ、フランで。
『それでも行く?』
「行くに決まってる。ここで諦めるなんて出来ないし、したくない」
『だよね』
呆れたように笑う私。
ああそうだよな、私も自分に呆れてるし。
「でも見ろよこれ。なんか凛もこの空間にあんだよ」
『だね。……持っていけるのかな』
「多分いける。……これがあったら私が呑まれる心配もないと思う」
『それもそうか』
この空間は私の魂の心象風景であるはずだから、本来であれば凜が私の腰差さっているというのはおかしい、はずなんだけど。
「私が連れてきちゃったのか、凜が望んでるのか…分からないけどまあ」
『うん、無事を祈るよ』
別れを告げてドアノブに手をかける。
下に押してドアを押すと、ギギギと不快な音を立ててゆっくりとドアが開いた。
先は真っ暗、というよりは真っ黒でなにも見えない。
それでもこの先にミナがいるならと、私は躊躇わずに進んだ。
真っ暗闇をひたすらに進んでいた。
聞こえる声を無視して、見えない何かを凜で斬って、道を切り開いて。
壊せと、そう囁いてくる声を無視して、ひたすらに進んだ。
どれくらいの時間そうしていただろうか、暗闇の中で何かが見えたような気がした。砂粒のように小さな、遠い遠い星のようにか細くて淡い、光のような何か。
それに向かって進み続けた。
暖かみを放つそれに向かって進み続けた、声のするそれに向かって進み続けた。
求めるように、縋るように、抱きつくように。
気がつくと仰向けに倒れていた。
目を開けた途端、全部が眩しすぎて思わず目を閉じてしまった。視界を手で覆って光を塞ぎつつ、少しずつ、目を慣らしていく。
「…ここは」
遠い昔のようで、私の中にはしっかりと刻まれている。
アスファルトで舗装された道、何本も立つ電柱も電線、周囲を囲む建物。
「………ここが外の世界か、テンション上がるなー」
おかしなテンションでそう言ってしまった。
ここがミナの心の中なのだとすれば、外の世界であるというのはなに一つおかしくないのだが……まあなんとなく、久々の帰郷で変な気分になってしまった。現実ではないのだが。
「さて、と」
立ち上がって周囲を見渡す。
別にこの空間がミナのだという確証なんてどこにもない、とはいうが流石にそうであってほしいという願望がある。
来たからにはやることやらないと、とりあえずはミナを見つけ出して……その後でここから出る方法を考える。
「………ぁ」
声が聞こえたような気がしてそっちの方を振り向くと、小さな女の子の両手をそれぞれ繋いだ両親が、私に背を向けて楽しそうに歩いていた。
ステップを踏んで、笑顔を両親に向けて、幸せそうに。
「…ミナ」
間違いない、あれはミナだ。
違う、あれはミナじゃない。
あそこにいるのはこの世界の
私が用があるのは後者の方なんだけど…
まあいいか、今はあれを追うしか手がかりは……
「っ…」
一瞬だけ、ボヤのかかったように、私の知るミナの姿が、幸せそうな家族の方を見ている姿が私の目に映った。
「………」
自分の思い出のはずなのに、まるで遠くから見ているかのような……
とにかく今は追いかけよう、そう思って数歩走ったのち、また景色がガラッと変わってしまった。
「美奈、こっちこっち」
「うん!」
楽しそうで、幸せそうな、暖かな家族の風景。
山に行ったり、車で遠出したり、絵を描いたり、ご飯を食べたり……
『美奈』という少女と、その家族の思い出が、その風景がまるで刹那のように矢継ぎ早に流れていく。
その思い出一つ一つを、ミナはじっと、静かに見つめている。
「………」
見ていれば分かる。思い出に浸っているんだ。
彼女にとってはもう取り戻せない時間、戻れない光景。それを今こうやって確かめている。
時間が流れていく。
少しずつ背と髪は伸び、装いも変わり、一日、また一日と思い出と記憶を積み重ねていく。
経験が彼女という人物作り上げていく。
「……?あれは…」
移りゆく景色の中、宙に浮かんでいる玉のようなものを見つけた。一瞬だけ同族かと思ったが当然そういうわけでもなく……何か淡い光を放っている玉。
「実在は…してない」
ということはこれは背景ということになる。
あの美奈という少女とその家族みたいに、ミナの記憶の中にあるもの。
あの子の目にはこの幻のような淡い玉が映っていたことになる。
景色が変わる。
「私の周りではみんなが不幸になった」
初めて声を発したミナ。
驚いて、その方向を見て。
その表情を見て、聞き返す。
「不幸…って?」
「怪我とか、病気とか」
美奈の周囲で起こる、些細な出来事。
転んだり、ぶつかったり。
美奈に近しいもの……友達とかは、よく怪我をしていたようだ。
「私のせいでお父さんとお母さんはよく風邪を引いたりしてた」
「……なんで、君のせいって?」
「…あれ」
指を差した方向にあるのは、宙に浮かんでいる謎の玉たち。
「私の周りにあれが集まってきて、たくさんになるとみんなに不幸が起きるようになる」
「………」
じっと見ていてようやく結論が出た。
あれは多分……多分霊とかその類なんだと思う。なんか雰囲気が妖夢の周りで浮かんでる半霊のそれに似ている。
「…あるんだな、外の世界でも」
「私にしか見えなかった。けど、段々と、なんとなく分かっていった。多分、私のせいでみんな怪我とか病気になるんだって」
早苗から聞いたから、そういう人間や怪異が外の世界にも存在することは知っていた。
けど、少なくとも見ている限りじゃ不幸なんてちっぽけなものだ。……怪我とか風邪をちっぽけって言うのもなんだが……そこまで誰かをめちゃくちゃに傷つけてるわけじゃないし。
「たまに起こるくらいだった。でも私のせいでみんなが不幸になるのが嫌で、お母さんたちにも相談した」
「………」
言ってしまえば心霊現象の類いだ。霊が近くにいると気分が悪くなったり……ポルターガイスト的な出来事だって起こり得る。
「二人とも私の話を信じてくれた。その上で気にしなくていいよって言ってくれた。……だから、友達ともあんまり会わないようにして、あの玉に近寄らないようにしてた」
少しずつ、周りと距離を取っていく。
それでもまだ心は暖かかったんだろう、笑顔はあった。両親が隣にいてくれたから。
「二人がいてくれたから平気だった。私のこれをどうにかする方法も探してくれてた。ほんの少しだけ寂しかったけど……それでも幸せだった。……幸せだったんだよ」
何となく、察しがついた。
この子のあの言葉の意味を、結果を、結末を。
違って欲しいと思った、願った。
だってそんなのは……そんなのはあまりにも……
「私が壊した、全部」
壊れたバス、崩れた崖。
投げ出された身体、必死にその身体を抱いて守っている二人。
この子の両親は、この子を抱いて死んでいた。
身体の一部がぺしゃんこになって、放り出されて、血まみれになって。
それでもこの子の両親は、自分の娘を抱いて死んでいった。
「君のせいじゃない」
「私のせいだよ」
「違う」
「違わないよ」
「っ……だって!!」
「いいんだ、もう。……終わったことだし」
たまたま、その通り道にいた霊が多かったのかもしれない。単なる不幸な事故だったのかもしれない。何か……何かもっと別の要因があったのかもしれない。
だけどこの子は……
「不運なんかで片付けちゃったら、みんなが可哀想だよ。誰かのせいに……私のせいにしてあげなきゃ」
ああ、似ている。
自分がいなかったら、もっと別の選択をしていれば、なんてたらればの話をして、いつまでも頭を抱えていた私と。
「………ミナ。どうして私にこれを」
今まで頑なに話そうとしてくれなかったのに。
これだけのものを抱えても今まで話してくれなかったのに、今この時に私に見せてくれる理由。
「…諦めて欲しかったから」
「………」
悲しそうだけど、諦めたように少しだけ笑って、ようやく私の顔を見てくれたミナ。
「それは無理だよ」
「…ごめん、ちょっと違ったね」
また、景色が変わる。
「諦めてもらうしかないんだ」
見覚えのある場所。
ああ、そうだ、無縁塚だ。最近霖之助さんと一緒に来たから覚えている。
じゃあ、ここで骸の上に転がっているのは、誰だ?
「私は
「……は?」
「私は……高瀬美奈って人間はここで死んだんだ」
「…何、を」
何を言ってんだ、この子。
なら、ここに転がっている身体はなんだ。
私が出会ったあの子はなんだ。
今、私が話している君は、なんなんだ。
「ほら、見て」
彼女の身体に、無縁塚に群がっていた霊たちが集まっていく。
溶け合うように固まって、彼女の中へと入り込んでいく。重なって、混ざって、くすんで、黒くなっていく。
「霊が…」
「…私は霊を引き寄せる体質があったから。死んだあとも、ここにいた沢山の霊を集めちゃったみたい。よく覚えてないけど、その時はまだ生きてたのかも」
「待って……待ってよ。そもそもなんでお前死んで——っ…」
悲しそうな目。
失望して、絶望して、全部どうでも良くなって、諦観した顔。
……あの子の体は、とても目を向けられないようなことになっていて。
形だけは保っている、不思議なほどに。でも、見れば見るほど、おかしくて。
身体の節々から……血が出て……っ
まるでっ、つぶれた、ようっなっ……
みて、られないっ、のにっ………
「っ……」
「…本当の今の私は抜け殻だったんだ。この霊たちが私に集まって、私っていう人間が形だけ生まれた」
ミナの手から黒い泥が零れ落ちる。
その手のどこから生まれてるくるのか、どろりとした、粘っこい感情の塊。
ああそうか。
霖之助さんが言っていたことだ。
あの世から漏れ出てきた霊が無縁塚に溜まってたはずなのに、いつのまにか綺麗さっぱり消えていたと。
「私と、この黒いのは同じなんだ。私は美奈って子供が、この泥によって真似られた偽者でしかない」
「偽、物…」
「私は美奈じゃない」
「………」
この子は否定している。
自分の存在を、私たちとの思い出を、自分の残した痕跡を、爪痕を、全部否定してしまっている。
ダメなんだよ、それは。
「…でも、君は今こうやって私と話せてる」
「あなたに引き寄せられてミナっていう記憶が呼び覚まされただけだよ。私はあの真っ黒いのだよ」
「今だけじゃない、さっきまで私たちの隣にいた君は確かにミナっていう一人の人間だった」
「………」
否定させてたまるか、手放してたまるか。
捨てさせちゃいけないんだ、それは。
「ミナと泥をどうにかして引き剥がす。霊の意識は溶けてしまってても、君は今こうして———」
「だから、無理なんだってば」
優しく、拒む。
分かってくれと、そう訴えているかのような目を私に向けて。
「私は、あの黒いのから生まれた。アレのおかげで私は存在できてる。引き剥がしたら、私は存在できなくなる」
「……そんな」
周りの風景が崩れていく、背景の裏にあった真っ暗な闇が、割れ目から顔を出す。
彼女の言っていることが間違いではないことが、真実であることが分かってしまう。彼女の中にいるのだから、彼女がどうなっているのかがわかってしまう。
「私は……私っていう魂は、抜け殻なんだ。そこに詰まってる思い出とか、記憶とか………私を私たらしめるものは、全部あの黒いので出来てるから」
「……泥と君を引き離すってことは」
「容れ物の中の思い出も記憶も、全部無くすことになっちゃう。………だから、無理なんだ。私はもう、あなたたちとは一緒にいられない」
そんなことがあってたまるか。なんでも受け入れるんじゃなかったのか。どうしてこの子はこんなにも拒絶されなきゃいけないんだ。
「私も本当は何も傷つけたくないんだ」
「だったら!」
「だから……止めてね、私のこと」
ああ、どうして。
「大切なものはもうたくさん貰ったから。これを抱えてお別れにさせて欲しいな」
「…だめだ」
どうしてそんなに辛そうに笑うんだ。
「私がこうやってあなたと話せたのは、あなたが必死に私のことを呼びかけてくれたからだよ」
「だめだ」
どうして諦めるんだ。
「最後に会えて嬉しかった。ちゃんとお別れも言えてよかった」
「ダメだって」
手を伸ばしても届かない。
彼女はどんどん離れていく、彼女の心から遠ざかっていく。
「ほころんにも、ごめんって言っておいて」
「ダメだ!!!!」
手を伸ばすにはもう遅すぎた。
「さようなら」
「待っ————
弾き出されるように戻ってきた。
分かってしまう、彼女を救う方法はないのだと。
どうしようもない現実がのしかかる。何も出来ない、してあげられない無力な自分が、憎くて、憎くて。
「……毛糸」
「なあ……霊夢」
「何で私ってやつは、いつもこうなんだろうな」
気づけば悔しさが、悲しみが、目からこぼれ落ちていた。