「…あの時の霊が集まったもの…?」
「……多分それだけじゃない。この人里にある悪意とかも食った……集合無意識って言えばいいのかな」
「………」
あの泥から感じた。
あれは、この世界で死んでいった人間たち。
無念を持って死んでいった人間たち。
外の世界から迷い込んで、死んでいった人間たち。
それらの霊が核となって、暗い感情で上塗りにされた想いの結晶。
壊そうとしてるんだ、この世界を。
「……確かに、幻想郷を壊すのなら人里を滅ぼすのが一番簡単かもしれないけど」
「でもそんなのは…」
「もちろんさせないわ」
何故か動きの止まっているあの泥の塊を警戒しつつ、何を感じ取ったのかを短く二人に伝える。
「霊を引き寄せる……確かにそういう体質の子もいるでしょうけど、死んでなお霊を呼んで、あそこまでのものになるなんて…」
「あれは霊だけじゃない、感情も喰ってどんどん肥大化している」
「…………」
彼女は既に一度死んでいた。
私が話していたのは、語りかけていたのは、歩み寄っていたのは、泥の塊で。
最初からミナなんて人間はいなかった…?
全部全部、最初っから、手遅れだった…?
「……どうするんですか、霊夢さん。今はなぜか動きが止まってますけど……」
「…生半可な封印じゃ効果はないでしょうね。あれが人々の意思の塊だっていうなら相当な規模のものじゃないと封じ込められない。洞窟の中に厳重に封じ込めて、その入り口に杜でも建てるくらいじゃないと……」
「でも今からそれは…」
「それに永遠に封じ込められるわけじゃない。あれはもう自然に消滅するものでもないから……いつかはどうにかしなきゃいけなくなる」
どうすればよかったのだろうか。
どうすれば気づけたのだろうか。
「それじゃあ……」
また私は……
「……祓うしか、ない」
「っ…」
祓う。
その意味を問うまでもない。あの泥を跡形もなく消滅させるんだ。
「でもそれは…」
「あれはもう敵。この世界にとっての、ね。今ここで対処しておかないと後に響く。だから……」
ああ、確かに霊夢にならそれができるんだろう。
あれは今ここで消しておくべきだ。あの悪意の塊は野放しにしておけば際限なく膨らんで、手に負えなくなってしまうかもしれない。
祓うしかない。
祓うしか、ない。
祓うしか………
『君はそれでいいの?』
良いわけがない
『なら、君に出来ることは?』
……わからない
『じゃあ、諦める?』
「……諦めたいわけ、ないだろ」
でも…何ができる?
私にあの子を救うことができるのか?どうやって?
自分の本質そのものが誰かに害を与えてしまう彼女が、生きようとしていないのに、私にそれを救えるのか?
救う権利は、あるのか?
「どうすればいいんだろうな、私」
『………』
真っ白な世界で二人、静まる。
『何度も言うけどね、白珠毛糸。私は君なんだ』
「………」
『何をすればいいか、なんて単純な答え。君は持っているはずだよ』
……持ってる、か。
「…そうだな。持ってるよ」
みんながくれた答えを、私は持っている。
木彫りの花びらを取り出して、右手で硬く握る。
黒い刀を、力強く抱きしめる。
「全部受け継いでる」
『全部刻み込んでる』
「何一つ忘れちゃいない」
『何一つ落としていない』
——次へと繋がっている
ああ、そうだよな。
迷う必要なんてなかったよ、ごめん。
「——もう後悔したくないんだ。付き合ってくれるかな」
「……退いてくれる?」
「ごめん、私にやらせて」
泥の化け物へと向かおうとしている霊夢の前に立つ。
「あれに物理的な攻撃は意味をなさない、あの子の肉体は完全にあの泥と溶け合ってる。今のアレはただ人の身体の形を模しているにすぎない」
「そうかもしれない」
「………あの泥を止めるには、私が祓うしかない」
「…そうかもしれない」
「…なら、退いてくれる?」
「ごめん、出来ない」
何を思っているのだろうか。
複雑そうな表情で、深いため息をつく霊夢。
「事態は一刻を争うの」
「分かってる」
「………あれを、止めないと」
「…分かってるよ」
「あれはもう人じゃない!!」
痺れを切らしたように、私に向かって叫ぶ。
「あなたの方がよほど分かっているはず!人里を…この
そうだね、お前の言うことは間違ってないんだと思う。
でも……それでも……
「あの化け物を祓わなきゃ———」
「まだ誰も殺してない」
「……は?」
あっけに取られたように、素っ頓狂な声を漏らす霊夢。構わず言葉を続ける。
「まだあの子は、誰も殺してない」
「……それは」
「分かってる!!………分かってるんだ」
助けられるかもわからない。
あの子がそれをほんとうに望んでいるのかだって……でも…
「それでも私は…」
「………」
「諦めたくないんだ」
現実がどうであろうと、事実がどうであろうと。
それが諦める理由にはならない、諦めたくない。
「ここであの子のことを看過ごしてしまったら……諦めてしまったら、私はこの先一生後悔する」
「っ………」
「もうあんな思いはごめんなんだよ」
何かを噛み潰したような顔をしたあと下を向いて、顔に手を当てて呻き声を漏らす霊夢。
「……あー!もう!!」
髪をぐしゃぐしゃとかき乱して叫ぶ霊夢。明らかに不機嫌なその容姿に早苗がちょっと引いている。
「………狡いわよ、それ」
「…ごめん」
「ったくもう……そう言われたら何も言えないじゃない」
面倒くさそうにため息をつく霊夢。その姿を見て少し——安心して……
笑ってしまった。
「…何よ」
「いや……お前がいてくれてよかったなって」
「………はぁ。分かった、あなたに任せる」
「ありがとう」
「でも、一つだけ条件がある」
真っ直ぐ、私の瞳を見つめる。
「良い?あんたが後悔したくないってのはよく分かった。けど、それは私も同じなの」
「…霊夢」
「だから!!」
ドタドタと詰め寄ってくる霊夢。あんまりにも勢いが凄かったので思わずのけぞってしまう。
「…私に後悔、させないで」
あまりに真っ直ぐ言われたもんで、呆気に取られて。
少し経って吹き出してしまった。
「何笑ってんのよ」
「いや…心配性だなあって」
「…あんたねぇ」
「ごめんごめん。……うん、そうだね」
私だけじゃないんだもんな。
「戻ってくるよ、必ず」
「…ええ、待ってる」
「さて、と。場所変えたいんだけど……文、手伝ってくんない?」
「……なんで分かるんですか」
「何となく?」
物陰でこっそり見ていた文を呼びつける。
「えっ射命丸さん居たんですか!?」
「あ、どーもどーも、早苗さんに霊夢さん」
「またこっそり…何しようとしてたのやら」
「流石にこれだけ騒ぎになれば来ちゃいますって……それで毛糸さん」
二人に軽く挨拶したあと向き直ってくる文。
「盗み見した分働いてもらうからな」
「………はい」
「多分あの泥のもうすぐ動き出すからさ、それまでに人里の外に持っていきたいんだ」
「…毛糸さんが浮かせて、私が飛んで引っ張っていくってことでいいですか?」
「そうそう。よろしくね」
「あちょっ、いきなりですか!?」
泥の塊に触れて霊力を流し込む。
「ミナ、多分頑張って抑えてくれてるんだよね」
泥に触れた右腕ごと全部氷漬けにして運べるようにする。
「今迎えに行くから、待ってて」
左手をぐんと文が掴んで引っ張っていく。
あっという間に人里が遠ざかっていく。
「……今更だけど、急に巻き込んでごめんな」
「いえいえ」
「…なんで嬉しそうなん?」
「………久々に頼ってもらえたなと、思っただけですよ」
「…そっか」
しばらく飛んで人里が見えなくなるくらい離れてきた。
「っと」
ようやく動き出したか。
泥が氷の中でガンガンと暴れ始めた。
「じゃあね文、ありがとう」
「どういたしまして、頑張ってくださいね」
「あいよ」
文と手を離して、氷の塊ごと一緒に地面に落ちていく。
「湖かあ……」
あいつわざとここに連れてきたのかな。まあなんでもいいか。
「うぉう」
急に触手……尖った泥を暴れ回らせて氷を一瞬で割る泥野郎。
「さて…」
諦めないって決めたんだ、ひたすらに向き合うしかない。
「手加減はもうナシだ、擦り切れるまで付き合ってやるよ」
何かの杭が抜けたかのように動き回る泥野郎。何本もの触手を支えに、まるで虫のように地面を這い回っている。
動かずに触手を飛ばしていたさっきまでとは違う。やっぱりアレの中で何かが変わりつつある。
「すぅ……はぁ……」
飛んでくる触手を、全身で受け止める。
思念が伝わってくる。
元から無縁塚に燻っていた外の世界からの人間たちの怨嗟だけじゃない。
あの世にいてもなお消えずに燃え続けてきた憎しみの念、それらが一つとなって、ミナの身体を使ってこの世界に牙を剥こうとしている。
彼らの望みは、この幻想郷という世界の崩壊。
理不尽な死が蔓延るこの世界そのものを恨んで、消し去ろうとしている。
だから人里を壊そうとする。人間がいなくなってしまえばこの世界は維持できない。
「……まあ、辛いよな」
ほんの小さな違いなんだと思う。私と、彼らは。
私はたまたま運が良くて、いい巡り合わせがあったにすぎない。色んな人と出会えたから今の私がある。
本当なら、生きている私は彼らの無念を受け継がなきゃいけないのだろう。不本意な終わり方を迎えてしまった彼らの意思を見て見ぬふりをしてはいけないのだろう。
「でも、ごめんな」
今の幻想郷ができるまでの礎となってしまった彼らの……外の世界も幻想郷も関係ない、全ての人の意思を捨てたくはない。
だけれど
「私、ここが大好きだからさ」
見て見ぬふりはしない。彼らの想いは全て受け止める。
受け止めた上で全て切り捨てる。
「行こうか」
黒い刀に手を乗せる。
凜が私の身体を使って触手を一瞬で細切れにする。
「ちゃんと見つけてよ」
私の語りかけに反発するように身体を動かしていく凜。あっという間に触手を刻んで本体へと接近していく。
「———」
泥野郎が音のしない叫び声をあげた瞬間、その胴体が真っ二つに切り裂かれた。
「やっぱり身体ないよな、よかった」
そこで止まらない。
ひたすらに斬る、斬る、斬る。
際限なく溢れてくる泥を刻んで、小石程度の大きさになるまで刻んで、刻んで、刻み続ける。
「っと」
背後から切られた泥が集まって飛んできたのに反応して身体が勝手に避ける。
「……もし本当に身体残ってたらって思うと冷や汗が出てくるな」
まあでも、霊夢の言っていた通りミナの身体は完全に泥に取り込まれて溶け合ってしまっているらしい。ならいくら切っても問題はないってわけだ。
人里で私がミナに触れることができたのは、彼女が私に想いを伝えようとしてくれたからなんだろう。思念の塊となったあの泥を通してならそれが容易だった。
今は違う、あの子は多分閉ざしている。私がそのまま会おうとしても多分会えないだろう。文字通りの泥沼から、小石一つを見つけるようなもの。
だから無理やり切り拓く、彼女までの道を。
辿り着くには捉えなければならない。
あの泥の形だとかではない、もっと本質的な何かを。それが出来ればきっとあの泥を断つことができる。
あれが何なのかは大体わかっている。感情や思念の塊……でも私じゃそれをうまく切り離すことはできない。
でも凜ならそれができる。
「……おっ、行けたか」
何かを掴んだ。
凜を通ってそれが私に感覚として伝わってくる。
泥の形…思念の形……魂の形………
感じ取れなければ触れることすらままならない。
裏を返せば、認識さえしてしまえばどうとでもなるということだ。そもそも私は魂も悪感情の思念の塊にも覚えがある。
泥を滅多切りにした凜は、既にあの泥の本質を捉えていた。
「……本当、いつまで経っても頼りになる人だよ」
一瞬で泥の波を通り抜け、黒い刃の鋭い一撃がズシンと突き刺さった。
重いし、暗い。
どこまで行っても何もない暗い闇の中、自分と闇の違いがわからないほどに沈んでいく。
でも不思議なことに居心地は悪くなかった。
ううん、悪いとか以前にこの闇は自分自身なのだと知っている。
みんな、寂しそうにしていた。
もっと生きたかった、好きにしたかった、やりたいことがあった。
あの人たちは最後に笑えていなかった。
そんな自分の終わり方が納得できなくて、何かにぶつかろうとしていた。
そこにたまたま、私の体があっただけ。
かわいそうだなと思った。
きっと私が傷つけてしまったような、理不尽な辛さにあった人たちもたくさんいたんだと思う。
冷たくて、寂しそうにしていたから、せめて一緒にいてあげようと思った。
私は見えるから、感じ取れるから。寂しそうに宙に浮かんでいるあの人たちのことから目を逸らしてはいけないって思ってた。
そうしたら、ずっと囁いてきた。
壊せ、壊せ、と。
それはダメだよと言っても止まる気はなかったみたいで。
だからずっと必死に、この人たちが暴れ出さないようにと押し留めていた。でも、一人の私にそれは厳しくって。
何もかもを無くしてしまった私は何度も何度も飲み込まれそうになって。
そんな時に、あの人に出会った。
私に私を取り戻させてくれて、色んな思い出を与えてくれて。
だから私はお別れをする。
あの人がいるこの世界を壊したりなんかしないように、私がこのあたたかい闇の中で、みんなを………
光が、駆け抜けた
「…え」
突き刺すように鋭く、氷のように透き通っていて。
眩しいほどに真っ白な光が、闇の中を突き抜けた。
「……なんで」
突き放したのに。
諦めてもらおうとしたのに。
「なんでって、まあ…」
なんでこの人は……
「会いたかったから…かな?」
こんなにも———