あぁ、心地いい。
忌々しい封印から解放された気分は最高だ。
今まで自分硬く縛り付けていた鎖が一気に引き千切れたような感覚、そして同時に、封印されていた間の記憶も流れ込んでくる。
「さて、一体この場所はどうなることやら……ま、あたしには拝めそうにないがね…」
自嘲気味の笑みを浮かべながら、その宵闇の妖怪の姿は闇へと溶けていった。
「むぅ………なんか喋りなよ」
「………」
「………はぁ…おーい、聞こえてますかー、耳大丈夫ですかー?急に人の家に押しかけて、ただ座ってじーっとしてるの、なんとかしてくれませんかー?おーい、りんさんのあほー」
「………」
返事がない、生きるしかばねのようだ。
「やれやれ………どーしちゃったのかね」
「私にだって偶にはなにもしたくない時もある」
うわ喋った。
「いやそれはいいけどさ、自分の家でやれば?」
「………」
もーやだこの空気!私なんでこんな目にあってるの!?ここ数年とくになーんにもせず穏やかに過ごしてきたから?天罰なの?重い空気が苦手な私への天罰なの?
天よ滅べ。
「……て、何人の顔見てるんすか」
「………」
「………」
ずっと見つめられてるんだけど、瞬きもせずに見つめられてるんだけど。
見ないでよ怖いなー………そうは思ったけど、いつものような威圧感というか、そういうのは感じない。
「よく見ると……少し痩せた?」
「…結構前からだ」
「大丈夫?」
「………」
自分、寝ていいっすか。
「やれやれ、変わんないなお前は」
「まぁそうだろうけど。本当に今日どうしたの、元気ないの?」
「いや、大丈夫だ、邪魔したな」
嫌な予感がする。
いや、予感というよりそれはもう確信に近かった。
立ち上がって出ていこうとするりんさんの肩を掴んで引き留める。
「待てよ、どこにいくつもり」
「……帰るだけだが」
「嘘つかないでよ、りんさんまさか……」
「やれやれ、最後に顔見にきただけなんだがな」
「どういう意味だよ、ちゃんと説明——」
その時一瞬だけ、りんさんの手刀が見えた。
「じゃあな」
感じたんだ、あの化け物の気配を。
私がずっと追ってきた相手、痕跡しか見つけられなかった妖怪。
それがやっと見つけられそうだった。
その時決意した、だから止まらない。
私を唯一止めてくるやつも、もう追ってこなくした。
「人を襲う妖怪は全員ぶっ殺す」
「威勢のいい人間だ、気に入った、食ってやるよ」
今日ここで、私は終わる。
月の光も届かない深森の中、1人の人間と1人の妖怪が戦いを始めた。
「もう生きることに執着はないって感じの戦い方じゃあないか!そんなに死にたいか人間!」
「ああ!もうこのまま生き続けても先が長くないんでね!」
「そうかい、じゃあ私がお前を終わらしてやるよ」
人間の刀が妖怪の首を捉え続ける。
体に残っている霊力を大量に消費して身体能力を底上げし、ひたすら距離を取り続ける。
一方で妖怪は刀を避け続け反撃をしない。
「どうした!何故反撃しない!」
「気分だ」
そういうと妖怪は斬撃をかわし爪を尖らせ剣士の首を狙う。
体を捻り避けた人間の体に蹴りを入れて吹き飛ばす、そのまま追い討ちをかけようとするが、自分の喉元に刀が迫っているのを感じて踏みとどまった。
一瞬で受け身をとった人間は反撃で刀を振るう。
しかし力がこもっておらず、少し妖怪の腕に切り傷を入れただけに終わった。
「どうした、その程度で私を殺すとか言ってやがんのか、笑わせんな」
「舐めるな、こちとら文字通り死ぬ気で来てんだ、こんな程度で終わりと思ってんじゃねえよ」
「ならせいぜい楽しませてくれよ、人間」
「死ぬまで付き合ってもらうぞ、妖怪」
自分でも嫌な別れ方をしたなとは思う、だがあぁでもしないと吹っ切れなかった。
私の望みを、願いを全て話せば、あいつは何も言わずに私が死にに行くのを許してくれただろうか。
いや、間違いなく許さない、一緒にこの化け物を倒そうとするだろう。
巻き込まない。
戦うことでしか自分の価値を示せない人間の身勝手に、人間じゃないあいつを巻き込まない。
目の前の化け物が生きてる限り、人間は襲われ続ける。
だがあいつはどうだろうか、少なくとも人間よりは襲われないだろう。
あいつは私とは違う、戦わずとも周りのやつはあいつを認める。
だから、あいつには関係ない、必要ない。
そもそもほんの数年前までは私に失うものなんてなかった、いつ死んでもいいと思ってた。
他人のことをここまで考えたのなんて、私の人生でこの一回だけだろう。
もう引き返さない、覚悟は決めた。
だが一つだけ、聞いておきたいことがあった。
なぁ、私はちゃんと、お前の友達だったか?毛糸。
「死にに来た奴の目じゃないな」
「黙ってろ、こちとらほっといても何年かしたらくたばってんだ、最後くらい派手にやりたいだろうが」
「派手なのはあたしも好きだ、お前の最後を派手な血で飾ってやろうじゃないか」
確かな殺意をお互いに向ける。
「あぁ、悲しいよ、お前のようなやつとやりあえるのがこれで最後だなんてな」
「お前が悲しかろうがどうだろうが知らん、私は私がやりたいことをするだけだ」
「それは本当にお前がやりたいことか?」
「…なに?」
不意をつかれた質問に、人間は戸惑いの表情を見せる。
「本当に全てを覚悟した奴の目をあたしは知っている、迷いのない目。だがお前は違う、何かを迷っている。いや、何かを期待しているって言ったほうが合ってるか?」
「何が言いたい」
「あたしはお前よりも遥かに長く生きている、その過程で様々な人妖に会ってきた、そいつらの目を、私は忘れたことはない。だから分かる、お前は忘れ物をしてる」
「………」
言っている意味がよくわからなかった。
だがそれが、自分の中にあるもやもやとした感情を指しているのはわかった。
「結局お前は全てを失う覚悟ができる人間じゃない」
「黙れ」
「おっと悪い悪い、今更何を言ったってお前と私がやり合うことに変わりはないんだからな、無駄話をした」
気に入らない。
そのいかにも全てを見通しているという目が気に入らない。
湧き上がる感情のままに人間は斬りかかった。
生まれた時から私は、周囲の人間に恐れられていた。
同じ人間だというのに、私に向けられる恐れは妖怪に対するそれと同じだった。
寂しい、というのがその時の感情だった。
普通の人間を遥かに超える力を持って生まれた私を、非力な人間たちは恐れていた、何も知らない子供の私を。
その時の私は、必死に他者に認められようとした、いろいろなことをした、そして一つの結論に辿り着いた。
私は、戦わなければ価値がない。
誰にも求められていなくても、私が望まなくても、私が私の価値というものを自覚するためにはそれしかなかった。
戦えば周りは私を褒めた、殺せば周りは私を称賛した。
くだらないと思った、単純な思考の人間が。
くだらないと思った、そんな人間に認められたいと思っている私が。
気がつけば私は戦うことしかできなくなった、命を奪うことしかできなくなった。
周囲の人間に言われるがままに殺し、傷ついてきた、そうしているうちに私は、本心から妖怪を憎んでいると自分で錯覚していた。
実際は妖怪なんてどうでも良かった、ただ自分の価値を示すための道具のように思っていた。
今になって思う、自らの寿命を削ってまで戦ってきたことに、意味はあったのかと。
だが私は既にそれでしか生きられなくなっていた。
このまま戦い続けて、そのうち死ぬんだろうと思った、どこかで私自身、そう願っていた。
だがある日、あいつに出会った。
私を殺そうとしなかったあいつに、人間を守ったあいつに。
あいつに会うたびに考えが変わっていった。
あいつを知るたびに、世界の見方が変わった。
別に価値なんてなくてもいい、私がやりたいことをやればいいと思い始めた。
でもやっぱり今更変われなかった、変わらなかった。
変わるには遅すぎた。
もっと早く会っていたかった。
あと数年早ければ私は、もっと違う結末を迎えていたかもしれなかったっていうのに。
「何考え事してんだ人間!」
どうやら動きが止まっていたらしい、背後から妖怪が仕掛けてくる。
刀に霊力を込めて振り向いて刀を振り、斬撃を飛ばす。
だが妖怪は腕を振ってそれをかき消し、妖力の込もった拳をこちらへ伸ばしてくる。
伸びて来た拳を避け近づき、顎に拳を入れ、続けてその首に刀を突き刺す。
「なっ…」
私の腹に爪が突き刺さっていた、あの体勢から私の腹に攻撃を入れて来たということだ。
すぐに爪を引き抜き距離を取ろうとするが、それと同時に距離を詰められる。
「そんなもんじゃあたしは殺せないぞ人間!もっとお前の命懸けを見せてみろ!」
「うるせぇ!」
覚悟をして来た割には、考えることが多い。
覚悟を決めたと自分では思っていたが、どうやらそうじゃなかったらしい、色々と心残りがあるようだ。
情けないな。
「今更引き返せないってのは分かってるのに、どうにも考えてしまう。私がこんなのになったのも、あいつのせいか」
「何喋ってるこの——」
棒立ちしていた私に向かってくる妖怪の腹に刀を振るう。
私の出せる最速で斬る。
斬った箇所から血が流れ出る、そのまま向かってくる妖怪に向かって斬撃を飛ばし、私自身が突っ込みその体へ刀を突き刺す。
「やればできるじゃないか」
「人間舐めんな」
そのまま突っ込み、奥の木に突き刺す。
首に向かってくる手を払い、刀を抜いて距離を取る。
「どこ行くんだよ」
抜けなかった。
自分に刺さった刀をそのまま掴んだ妖怪、その手を首へ伸ばしてくる。
咄嗟に身体を捻るが肩へ爪が突き刺さる。
「がっ……てめぇ」
理不尽なほどの強さ、だんだん苛立ちが募ってくる。
全身に霊力を込めて爪を引き抜きその顔に拳をねじ込んで吹っ飛ばす。
そのまま刀を引き抜いて妖怪の方へと突き刺し、そのまま振り回して岩へと叩きつけた。
肩に力を込めたせいで傷口が痛む。
だがそれは向こうも同じようなもの、それなのに何事もないように動くあいつはやはり化け物。
まぁ、人間目線で言えば私も十分化け物なんだろうが。
「さぁ、その状態からじゃ動けても大したことはできないだろう」
「さっきも言ったろ、人間舐めんな」
「ならそういうだけの足掻きを精々見せてくれよ?」
既にここまでで私は霊力を大量に消費している。
それ以前にもう寿命が近づいていた、体力はほとんど残っていない。
体が動かない、気力もない。
どうやら私は、とうとう死ぬことができるらしい。
妖怪がこちらへと近づいてきて私の体を貫こうとする。
終わりか………
途端に頭の中に記憶が流れ込んでくる。
小さかった頃の記憶、妖怪狩りを始めた頃の記憶。
そして、あいつに会ってからの記憶。
あぁ……寂しいな。
「なっ………お前、なんで」
「ふざけんなよこの野郎……何勝手に私を置いて死にに行ってんだ、りんさん!」
「おいおい……何邪魔してくれてんだ、お前」
りんさんを庇って、体をルーミアの腕が貫通している。
毛玉になって腕を抜き、もう一度人の体になってルーミアの腹に妖力弾を放出して炸裂、吹き飛ばす。
体に穴が空いて、思わず地面に倒れてしまう。
「お前……なんでここが」
「真夜中にドンパチやかましくしてる奴らなんて、あんたらくらいしかいないでしょうが……」
呑気にも私は夢を見てた。
いつもとは違う表情をしたりんさんが、私に背を向けてどこか遠くへと行ってしまう夢。
追って引き留めようとしても、その体は私の手をすり抜けてしまう。
嫌だった、勝手に行かないで欲しかった。
りんさんの名前を呼びながら、私は目覚めた。
腹が立つし、情けないし、不甲斐ない。
私に黙って勝手に行ってしまったりんさんが。
りんさんの思いも分からずに、一人で行かせてしまった私が。
悲しいし、寂しいし、辛い。
「………わかった、わかったから、そんな顔をするな」
「……もう1人では勝手に行かせない、置いていかせない。死ぬまで付き合ってやる。私たち、友達でしょ?」
「……あぁ、そうだな」
全力で傷を塞ぎ、立ち上がる。
視線の先には狂気的な笑みを浮かべたルーミア。
「邪魔をするなよ、毛糸。そいつは私が殺すんだ」
「ルーミア、いつか言ったよね私を喰うって」
「……ははっ。あー、やっぱりお前は面白いな」
心底愉快そうに笑うルーミア。
「ここからは、私が相手だ」