「お、お邪魔します」
靴を脱いで、できるだけ静かに紗夜さんの自宅に上がる私。今日は紗夜さんに誘われて、ギターの講習会などをするという事になったのだけど……。
「華那さん。そこまで緊張しなくてもいいのですよ?」
緊張で体がカチコチになっている私を見て、紗夜さんが苦笑いを浮かべていた。いや、だって。今日、私が氷川家に足を踏み込む事になった理由は、ギターの講習会が主な理由なのだけど、もう一つ理由があったのだ。それは――
「あらあら!貴女が湊華那ちゃんね!紗夜と日菜が言っていた通り、お人形さんみたいで可愛らしいわね!!」
「あぷっ!?」
リビングに入ると、紗夜さんをほんわかにしたような大人の女性がいきなり私を抱きしめてきた。その瞬間、私は理解した。あ、これ、私、
いや、もうね、アフグロのメンバーからも抱きつかれる事が多くなってきているし、燐子さんからはなぜか毎回お菓子貰っているし、リサ姉さんも気を抜くと抱きしめてくるし……。あたしゃぁ人形じゃないよ!と、いつも心の中で叫んでいます。はい。尚、姉さんからはよく撫でられています。……私、姉さんにとっては猫なのかな?
「お、お母さん!!いきなり抱きしめるから、華那さんが困惑してるでしょ!」
「あ、そうね。ごめんなさいねぇ、華那ちゃん。もう、見た瞬間、可愛らしくて可愛らしくて……つい」
「お母さん……ついじゃないわよ。華那さん大丈夫ですか?」
と、私を抱きしめている女性こと、紗夜さんのお母さんから私を引き離してくれた紗夜さん。あ、だいじょぶです。慣れたくはないですけど、抱きしめられるのには高校に入ってから慣れましたから。そう伝えると、凄く複雑そうな表情を浮かべて
「華那さんも苦労しているのね……」
と、哀れんでくれた。哀れむならお金をください。あ、違った。同情するならだった。この間、そのセリフが出てくるドラマが再放送していて、凄く印象に残ったセリフで、つい思ってしまった。
今日、紗夜さんの自宅に来たもう一つの理由ってのが、今し方、猛烈な歓迎をしてくれた紗夜さんと日菜先輩のお母さんが原因だった。というのも、紗夜さんがお母さんに「後輩にギター教えているみたいだけどどうなの?」と聞いてきたそうで、紗夜さんが私の事を説明したら
「是非、その華那ちゃんに会ってみたいわぁ」
と、言い出したそうで……本当に申し訳なさそうな形で紗夜さんが私を自宅に招くという事態になったのだ。その際、姉さんは右手を額に当てながら話しを聞いていた。最終的には仕方ないといった様子で、私に「紗夜を助けると思って行ってきなさい」と助言をしてくれた。
まあ、最初から断る理由も無かったので、行くつもりでいたのだけれどね。紗夜さんのお母さんだから、そんな
「それで、華那ちゃんは紗夜と日菜の一個下なんですって?」
「あ、はい」
リビングのソファーに座ると同時に、紗夜さんのお母さんが聞いてきたので素直に答える。なんでそんな事を聞いてくるのだろうかと、首を傾げながら出されたコーヒーを飲む私を見て
「本当可愛いわねぇ。どうかしら。うちの子にならない?」
「コフッ!?」
「お、お母さん。何、言っているの!?」
突然の発言に、私は飲んでいたコーヒーを少しだけ吹き出してしまった。紗夜さんが慌てて私にティッシュを渡してくれたので、大惨事にはならなかった。コフコフッ。こ、コーヒーが気管入ったみたい。何度か咳き込む私。その背中を優しく撫でてくれる紗夜さん。ありがとうございます。それとごめんなさい。紗夜さん。咳が収まってからそう伝えると
「いえ、今のは私の母が悪かったので、華那さんは悪くありません」
と、微笑んでくれる紗夜さんだったのだけれど、すぐさま紗夜さんのお母さんに
「なんでそういう発想になるんですか?お母さん?」
と、紗夜さんが呆れた様子で聞いた。確かに、どうして私が氷川家の義理とはいえ、娘にならなきゃいけないのかな?姉さん置いて出ていくつもりなんてないよ。本当にないんだからね!
「だって、こんな可愛い子だとは思っていなかったのだもの。欲しくなっちゃって」
「『欲しくなっちゃって』じゃありません!そもそも、私と日菜がいるでしょ!」
「二人とはまた違った可愛さじゃない。ほら、紗夜も可愛がってる事だし?我が家に住んでもいいのよ?」
「華那さんはペットか何かですか!?」
と、だんだんヒートアップしていく氷川親子に、私はワタワタとその様子を見守る事しかできなかった。
「あの……その……」
「でも、紗夜だって、華那ちゃんがいたら可愛がるでしょう?」
「それは……そうだけど……って違う!そういう問題じゃありません!」
何とか会話に入ろうとするも、二人の勢いに負ける私。紗夜さん。お願いですからそこはすぐさま否定してください。私、愛玩動物になった覚えはありません。ええ。猫は大好きですよ?でもね、私自身が愛玩動物になっても仕方ないかと……!!
と、言いたいのを我慢して私は出されたコーヒーを優雅に飲む。うん。こういう時は「余裕をもって優雅たれ」って言うしね。心に余裕を持とう。私は愛玩動物じゃない。私は愛玩動物じゃない。よし!
「そもそも!華那さんは
「ぶっ!?」
と、余裕をもって優雅たれを実践していた私だったのだけど、紗夜さんのまさかの発言に、私は再びコーヒーを吹き出しそうになった。いや、ちょっと、待って!?私、物なの!?紗夜さん!?詳しい説明求めますよ!?いや、「しまったわ」って顔したって駄目ですからね!?
「あらあら。華那ちゃんって、可愛いだけじゃなくて、ツッコミも上手なのねぇ」
と、どこかズレた感性の持ち主の紗夜さんのお母さん。これ、
そんなこんなあったけれど、話している途中で紗夜さんが少しだけ席を外す事になって、紗夜さんのお母さんと二人っきりになってしまった。何を話せばいいのかなと考えていたら紗夜さんのお母さんから声をかけられて、慌てて返事を返す。ど、どうしました?
「ふふふ……そんなに緊張しなくてもいいのよ?華那ちゃんにはお礼を言いたくて」
「お礼……ですか?」
紗夜さんのお母さんの言葉に、私は首を傾げてしまった。何かお礼を言われるような事をした覚えが無い。逆に迷惑ばかりかけている記憶しかないのですけど……。そんな私を見ながら、紗夜さんのお母さんは少し遠い目で
「最近、紗夜の雰囲気が柔らくなったのよ。前まで、私がいくら『紗夜と日菜は違うのよ?だから、紗夜は紗夜らしくやってくれればいいのよ』って言っても、周りが日菜と比べてしまっていた。そのせいで紗夜が追い詰められていた。日菜との関係も……どんどん悪化していく一方だった。紗夜の親なのに、私じゃ紗夜を守れなったの」
と、自分では紗夜さんの心を守れなかった事を懺悔し始めた。私は黙ってそれを聞くしかできなかった。
「でも、ある日を境に、あの子に笑顔が戻ってきた。日菜との関係も徐々にだけど、昔みたいに姉妹らしくなってきた。それが……華那さん。貴女に会ってからなの。だから、ありがとう。紗夜を救ってくれて」
と、頭を下げる紗夜さんのお母さん。あ、頭上げてください!私何もしてませんから!!というか、紗夜さんに迷惑ばかりかけてるので……。と、言ったのだけど
「いいえ、華那ちゃんと会ってから、間違いなく紗夜は変わったわ。今までなら喧嘩別ればかりしていたバンド活動も、しっかり話し合って、他のメンバーと自分の目標が違うって事を伝えあってから脱退して、今のRoselia……で合っているわよね?で、ギタリストとして頑張っている。それができる要因になってくれたは華那ちゃん。貴女よ。だから素直に感謝の気持ちを受け取ってくれるとおばさん嬉しいわ」
と、優しい微笑みを浮かべる紗夜さんのお母さん。私、特別何かをした覚えないのだけど、そう言われたら私は素直に受け取るしかなかった。
「それに……紗夜が家に帰ってきて、華那ちゃんの話しするようになってから、日菜との会話も増えたのも事実なのよ。一時、大喧嘩したみたいだけど、今は紗夜も日菜も、二人共きちんと向き合えてる。ああ、そうそう。華那ちゃんにギターを教えている時の事を、話してくれている時の紗夜なのだけど、本当に楽しそうに話すのよ」
今までなら、聞いても話してくれなかったのよ、と教えてくださる紗夜さんのお母さん。全く想像できないな――というのが私の印象だった。私と紗夜さんが初めて会った時、凄く必死だったから、ギターだけでも教えてもらえるようにお願いできた時は、本当に嬉しかったし、紗夜さんの事まで気にしている状態じゃなかったってのが本音。
でも、私の話しを家でしている紗夜さん……。いったいどんな話をしているのでしょうか!?すっごく不安しか覚えないのですけど!?
「フフフ……大丈夫よ、華那ちゃん。可愛くて、いい子だって紗夜と日菜から聞いているから。そんないい子なら会って話してみたいわねえ……って、私が言ったから、今日来てもらう事になったのよ」
「そ、そうですか……」
可愛くて、いい子?正面からそんな事言われたら、恥ずかしくなってしまうじゃないですか!!うう、絶対顔赤くなっているよ。顔の周り凄く熱くなってきたから、そうに違いない。
「ただいまー。おかーさん。だれか来てるのー?」
と玄関の扉が開いて閉じる音が聞こえたかと思ったら、相も変わらず元気な声の日菜先輩がリビングに突撃してきた。そして、私を見るなり飛びついてきた。って、飛びついてきた!?
「華那ちんだー!!」
「ミャう!?」
「あらあら」
抱きつかれてソファーに倒れこむ私。それを見て楽しそうに笑う紗夜さんのお母さん。いや、ちょ、ちょっと、笑ってる場合じゃないですよね!?そう思いながら日菜先輩に抗議の声を上げようとして気付いた。私を押し倒し、胸辺りで猫みたいに頬を擦り付けてくる日菜先輩の背後で、腕を組んで威圧感満載の冷めた視線で日菜先輩を見下ろしている紗夜さんがいる事に――
「日菜」
「!…………っ!!」
低い声で日菜先輩の名を呼ぶ紗夜さん。それを聞いた日菜先輩が勢いよく体を起こし、背後を振りかえって息を飲む様子がハッキリ見えた。私もゆっくりと体を起こして紗夜さんを見ようとして体が震えた。だって、紗夜さんの背後によく漫画であるような「ゴゴゴゴゴゴゴ」って効果音が出ているぐらいの冷めた表情していたんだもん!
「日菜……正座」
「い、いや。お姉ちゃん。これはちょっとしたスキンシ「正座」は、はい!」
言い訳をしようとした日菜先輩だったけれど、紗夜さんの「正座」という一言ですぐさまカーペットの上で正座をした。その様子を見てくすくす笑っている紗夜さんのお母さん。こんな状況でも楽しんでいるというのは、母親としてどうなのでしょうか!?
ハラハラしながら、二人の様子を見ながら、紗夜さんと日菜さんも仲のいい姉妹だなって場違いなことを思ってしまった。だって、仲悪かったら、ここまで真剣に紗夜さんが日菜先輩の為に説教なんてする訳ないもん。
そんな事を思っていると、紗夜さんのお母さんが私を手招きしているのが見えたので、静かに移動する。どうしました?
「さっきの話しじゃないけど、前だったらこんな風景無かったのよ。本当にありがとう、華那ちゃん」
「……はい」
私の両手を握って、小さな声で感謝を伝えてこられる紗夜さんのお母さん。私は少し迷ったけど、さっき言われた通り、その感謝の言葉を素直に受け取った。私の言葉を聞いた紗夜さんのお母さんは、笑みを浮かべた。やっぱり紗夜さん達と親子なんだなって、その笑みを見て私は強く思った。だって、紗夜さんが浮かべる笑みと、日菜先輩の笑みにソックリだったから。
「日菜、聞いているの!」
「う、うん!聞いてるよ、おねーちゃん」
と、そんな私がやり取りをしている間もまだ説教は続いていた。何時になったら終わるかなぁって思いながら、私はその光景を見守るしかできなかった。尚、終わったのは三十分後で、終わった直後に紗夜さんが日菜さんの行動を謝罪してきた。当の本人は正座していたので、足が痺れて動けない状況になっていた。
あ、後。私が家に帰ったら、姉さんに何を話してきたのか、根掘り葉掘り聞かれたのはまた別のお話し