ジルを見送り、メアリーは一呼吸置くと隣の車両に足を向けた。しかし扉を開けると、そこには誰もいない。
「ニコライ……?」
先程ニコライはこの車両に入っていったはず。彼は"この拠点を確保する"とジルと約束していたので、ここにいてくれるとばかり思っていた。
「ああ……メアリー」
不思議に思いながらも先程までいた車両に戻ると、ミハイルが起き上がりながら彼女を呼びつけていた。
「ミハイル!寝てた方が楽だよ?」
「寝ていては、キミを守れないからな……」
メアリーが駆け寄る頃には彼は完全に身を起こし、椅子に座る。その隣に少女は腰掛け、心配そうに見上げていた。
「ニコライはいなかったようだな……市民救助に向かったのだろう」
メアリーがニコライを探していた事に気付いていたらしい。よしよしと彼女の頭を撫でて穏やかな笑みを浮かべる。
「待っているだけは退屈だな。話でもしようか」
自分も重傷を負っているというのに、ミハイルはメアリーに気を遣っているようだ。
その気遣いが余計に彼女の胸を締め付けたが、路面電車の復旧に時間が掛かるのも事実だ。
「ミハイル、"トーチカ"って何?ニコライが、ここを移動式のトーチカにするって言ってた」
だからメアリーは、その気遣いに甘える事にした。きっとそうする事で、ミハイルも気が紛れると思ったから。
先程耳にした聞き慣れない用語に、きっと軍事に関わる事なのだろうと思い彼に質問してみる。
「"トーチカ"というのは、謂わば防御陣地の事だな。"掩体壕"と言った方が伝わるかな?トーチカはロシア語だ」
ミハイルは顎を撫でながら、車両の先頭に見えるチラチラとした炎を見た。
「あの火災地帯を越えるには、この列車が必要になるだろう。これをトーチカとして使えるならば、キミ以外に生存者を発見した場合に大いに役立つ」
確かにこの広さならたくさんの人を乗せて移動が出来る。進路を塞ぐゾンビを一網打尽にする事も出来るだろう。
生存者と聞いて、1番に思い出したのは親友の顔だった。
ここにリリィがいてくれたら。
心強い味方もいるし、彼女も安心出来ただろうに。その事を思うと、途端に胸が苦しくなる。
「……親友がいるんです。でも、今どこにいるか分からなくて……ここの近くにその子の家があるんだけど、この状態じゃ……」
膝の上で組んだ両手にギュッと力が籠る。リリィの事はジルに頼んだが、どうしてか不安になる。
もし彼女がゾンビの姿で自分の前に現れたら。
きっと正気ではいられなくなるだろう。
「……キミは、その子を大切に思っているんだな」
こんな時どんな言葉を掛けてやればいいのか、ミハイルには分からなかった。ただひとつ分かるのは、まだ見た事もないその少女と目の前にいる少女の友情は確かだという事だった。
「私にも大切な妻がいる。ここで寝ているわけにはいかんのだよ……犠牲にしてしまった部下達にも、申し訳が立たない…ッ!」
ミハイルは自分達がこの街に降り立った時の事を思い出す。
D小隊総隊長として全力で駆け回り、各分隊に指示を飛ばした。だが圧倒的な数で押されてしまい、部下達は瞬く間に囲まれ次々と死体に、そして奴らの仲間に姿を変えていった。
敵の数は己の仲間と部下を巻き込んで増えていく。
気付けば自分の身を守るので精一杯になっていた。
フラッシュバックする部下達の死体と感染した姿。
感情が昂り、傷に痛みが走ってそこを押さえながら思わず表情を歪めるのを、メアリーが咄嗟に彼の体に手を添えて支える。
「私は……仲間の銃殺刑を取り止める事を条件に、アンブレラに雇われた。我々U.B.C.S.は、ウィルス汚染区域に真っ先に派遣され、任務をこなす……生きられる事を交換条件にした、ただの捨て駒だ」
苦悶する彼の表情を見て、メアリーは自分まで眉間に皺を寄せていた。
なんて汚い連中なんだ。ラクーンシティをこんな目に遭わせた以外にこんな事をしているだなんて。
彼らが汚染区域での任務を担っているのならば、規模はどうあれこのようなバイオハザードには前例があるという事になる。
つまり、アンブレラの危険なウィルス実験はもっとずっと前から続いている。
「この街の汚染状況は、今まで赴いた地の比ではない。異常事態をとうに越している……」
ミハイルは窓を振り向き、外の様子を見る。釣られてメアリーも窓に目を向けた。瓦礫の山と炎上した市内の様子だけが見える。
「ッ!!」
そこに突然、バンッと勢いよく窓を叩く音とともにゾンビが視界を覆った。
それは複数人いるらしく、この車両の窓をバンバンと加減なしに叩いている。
突然の事に2人とも肩を跳ねさせるが、ミハイルはアサルトライフルを持つと覚束ない足取りで外へ出ようと歩き始めた。
「待って!!そんな体じゃ無理だよ!!」
メアリーはそれを追いかけ、その体にしがみついてまで彼を止めようとするが、彼の力の方が遥かに強く少女の体など難なく引きずれた。
「無理でも、この列車は死守せねばならない…!」
ここを移動式のトーチカにする。
ニコライは意識もはっきりしていなかった自分に代わって作戦を立ててくれた。彼の作戦を無駄にするわけにはいかない。
少女の体を引きずりながら列車を降り、背中に纏わり付くその小さな体を無理に引き剥がして後方に放る。
「下がっていろ!!」
メアリーは尻から着地してしまい痛みに表情を歪めたが、アサルトライフルを掃射する彼の背を呆然と眺めながら体は少しずつ後退り始める。
自分には何も出来ない。
結局大人がいなければ、自分達子供は身を守る事すら出来ない。
この一連の事件が起きてから、何度その事で自分自身の無力さを腹立たしく思っただろう。
目の前にいる大人の背中は、重傷を負っているにも関わらずあんなにも頼もしい。
なのに自分は子供だから、何も出来ない。
何も。
メアリーは俯き、唇を噛みながら固く目を瞑った。
だがそれも一瞬で、顔を上げて目を開くと周囲を見渡す。
「違う……"何も出来ない"んじゃない。"何もしない"から出来ないんだ…!!」
立ち上がりながらミハイルの姿を見る。
一歩ずつ後退しながらゾンビの群れに1人で立ち向かっている。彼の援護をしなければ。
でもどうやって。
(考えろ、考えろ…!!)
頭を働かせながらぐるぐるともう一度周囲を見渡す。忙しない視界に大きなドラム缶が映った。
「ミハイル!!」
彼は一際大きな声で名を呼ばれて咄嗟に振り返った。その視界には"燃料缶"と書かれたドラム缶を押している少女の姿が映る。
「動けぇぇッ…!!」
少女の胸辺りまでの高さがあるドラム缶が彼女のタックルで倒され、何をしようとしているのか分かるとミハイルもそちらまで駆け寄る。
倒されたドラム缶を蹴ってゾンビの群れの中へと転がっていくのを確認し、少女を片腕で抱え込みながら屈みもう片方の手でアサルトライフルの照準をドラム缶に合わせ引き金を引いた。
爆発音とそれに紛れるゾンビの呻き声。
燃え盛ったゾンビ達の体はたちまち消し炭のようになり、バタバタと倒れていった。
「!ミハイル!!」
しかし安堵したのも束の間、自分を抱えていた腕から急に力が抜けたのを感じると、メアリーはすぐに彼の様子を見る。苦しそうに傷を押さえており、汗も浮かんでいる。
メアリーは何とかミハイルの体を支えて立たせ、車両の中へゆっくりと戻り椅子にその身を横たえさせた。
「ッ……キミのおかげで助かった。ありがとう」
苦しみながらも、彼は少女に笑い掛けていた。
服を捲り上げてみると、包帯に血が滲んでいるのが見えて思わず息を呑んだ。
この大きな傷はメアリーでは手当てが出来ない。
「……キミは、キミに出来る事をすればいい。キミは無力ではない」
悔しさで唇を噛んでいる様子を見て、ミハイルは自分の傍に座り込むその肩を叩く。
自分に出来る事。戦う以外に出来る事。その言葉を聞き、メアリーはリュックの中からスクラップ帳を取り出し、ページを捲って見せた。
「……この街では、前から変な事件が多かった。漏れもあるかもしれないけど、このスクラップ帳にローカル誌に載ってた全てがあるの」
ミハイルはそのスクラップ帳を彼女の手から取り、ページを捲る。
この街の惨状はここに降り立って初めて知ったものだ。どこの報道機関でも報じられる事のなかったそれらの記事を、大まかにだが目にしてミハイルは終始怪訝な表情を浮かべている。
「きっともうこれを持ってるのは私だけ……生きてここから脱出して、これを然るべき機関に届けたい」
実に6月から始まったページから1冊目を終え、2冊目のつい最近の9月中旬までのページまでを見て、ミハイルはスクラップ帳を閉じメアリーに返却する。
「……キミに託す。この街の真実を」
分かった事がある。
爆発的に感染者が増えたのは24日の事だと聞いていたが、それ以前から感染者は存在していた。
にも関わらず放置を続けていたという事は、アンブレラはこの街を広大な試験場にするつもりだったらしい。そして今は、自分達もその試験場に放り込まれたモルモットと化している。
スクラップ帳を受け取る少女の目は決意に満ちていた。
彼女ならやり遂げてくれるかもしれない。
年端もいかない少女だが、これらの事件に一貫性を見出し、集中的に情報を集めていた彼女の勘と目は本物だ。
ミハイルは腰に付けたハンドガンをホルスターごと取り、彼女の手に握らせるように託す。
「護身用に持っていろ」
きっともう自分では少女を守る事すら出来ない。少女にハンドガンの使い方を教え、腰にホルスターを装着するまでを見守った。
「もうミハイルは休んでて……お願い」
メアリーが心配そうにミハイルを見つめる。ジル達が戻ってきたら傷の手当てをし直してもらわなければ。平静を装っているものの、時折覗かせる苦しそうな表情は見ていられなかった。
「……すまないな、心配ばかり掛けてしまって」
ミハイルは安心させるように彼女の頭を撫でてやる。
自分にもし子供が出来たら、こんな優しい子に育ってくれたらいい。
そんな淡い願望を抱きながら、彼の意識は落ちていった。
数時間して、車両に何者かが入り込んだ。
彼は椅子に体を横たえて眠っているミハイルと、そのすぐ傍でミハイルに頭に手を置かれながら眠るメアリーの姿を視界に捉え、メアリーの私物の入ったリュックに手を掛けた。
「ほう……なるほど。S.T.A.R.S.は子供も利用していたのか。見落とすわけだ」
取り出したスクラップ帳を開き、その情報量の多さに目を細める。
どれももうこの街には存在しない記事ばかりだ。
6月から7月に掛けて起きたアークレイ山の一連の事件。
そして、その後から始まったTウィルスの汚染事故。
事件について嗅ぎ回っていたジャーナリストの逮捕。
病院に担ぎ込まれる暴徒とゾンビ化現象の患者。
この少女はTウィルスの抗体持ちなだけではなく、この事件の黒幕について限りなく正解に近いものも持っている。
「君がただの子供なら、ここで殺したさ。ミハイルも動けまい。だが……」
スクラップ帳を閉じ、自分のサイドバッグの中にしまい込む。
「君がどこまで出来るか見届けてやろう。"監視員"として、な」
彼は口許に笑みを浮かべ、踵を返して車両を後にした。