いつの間に寝ていたのか、メアリーが目を覚ますとジル達が電車に燃料等を投入しているところだった。
「これでよし……と」
どうやら復旧作業が終わったらしい。ふぅ、と一息ついて汗を拭うジルの姿が見える。
「ジル!カルロス!」
嬉しさで思わず声が大きくなった。彼らは生きている。特に目立った怪我もない様子だった。
「メアリー、起きた?この電車、動きそうよ」
ジルがしゃがんでいた体勢から立ち上がり、ニッと笑い掛ける。それを見て更に表情を明るくさせたが、ミハイルの容態を思い出して眉を下げながら手招きする。
「ミハイルの傷が開いちゃったみたいなの!手当てし直さなきゃ…!」
その言葉に2人はこちらに歩み寄り、カルロスがミハイルの服を捲って傷の様子を確認する。
「こりゃひどいな……発車する前にやり直すか。ミハイル、包帯取るぞ」
カルロスの言葉にミハイルは頷いた。先程の無理が祟ったのだろうか。メアリーは気が気ではなかったが、カルロスに任せればきっと大丈夫だろう。
「ジル、リリィは…?」
ミハイルの様子を見ながらメアリーは彼女に問い掛ける。しかし、もうひとつの心配事の方も解決していないようで彼女は首を横に振った。
「でも、リリィの家のリビングに書き置きが……」
ジルは少女に1枚の紙を渡した。砂埃で薄汚れたその紙に書かれた文字を見て、メアリーは目を見張る。
——
親愛なるメアリー
お父さんが帰ってきました。家の外はゾンビが増えるばかり。とても怖い。
避難所として警察署が開放されているので、お父さんとそこに向かいます。
もし心配で来ちゃってたらごめん。警察署で会いましょう。
9/24 リリィ・フローレス
——
「リリィの字だ……間違いない」
紙を持つ手が震える。ここにあるのは間違いなく心配で仕方なかった親友のメッセージだ。思わず涙が溢れ落ちるのを必死で堪えていると、ジルの手が彼女の背を優しくさすった。
「警察署にも行きたかったんだけど……先に電車を動かせるようにした方が安心かと思って」
優しい手と声音に耐えきれず、ほろほろと涙を零す。
警察署に行けばリリィに会えるかもしれない。メアリーは涙を手の甲で拭うとジルを見上げた。
「私も一緒に迎えに行く。リリィが待ってる」
本当は、自分の方が彼女に会いたいのかもしれない。外は危険だが、それでも今すぐに会いに行きたかった。
「ならば私が一緒に行ってやろう」
そこにニコライが外から帰ってきた。メアリーに手を差し伸べながら近付いてくるが、それをジルが間に割って入って阻止する。
「あなたどこに行っていたの?子供と怪我人がいるのに!」
「ここの確保はミハイルがいれば十分だと判断し、市民救助に向かっていた。それが何か?」
「怪我人を戦わせるつもりだったの!?」
「おいおい、拡大解釈しすぎだ」
食って掛かるジルに、肩を竦めるニコライ。だが結果的に怪我人を戦わせ、傷を開かせてしまったのは事実だ。ミハイルがジルを落ち着けるように手を挙げて緩く振っていたが、それで収まるはずもなく彼女はメアリーを背に隠す。
「とにかく、あなたにメアリーは任せられないわ。警察署には私が一緒に行く」
ジルはメアリーのリュックを拾い上げ、彼女に渡す。そうしてから、手を差し伸べた。
「行きましょう、リリィを迎えに」
メアリーがニコライを見ると、"やれやれ"と再び肩を竦めていた。次いでカルロスを見ると、ずっと様子を窺っていたようで目が合う。
「ここは俺達に任せて行ってやれよ。友達なんだろ?」
そう言ってニッと笑い掛けてくれた。ミハイルも同意するように頷いている。
「……ありがとう」
もう一度ジルを見上げて、その手を握る。そうして2人で警察署に向かう事となった。
なんとか道中のゾンビの群れを掻い潜り、無事に警察署の門の前まで辿り着いた。
「ここにリリィが……」
メアリーは胸の前で両手を握る。ジルは何日も潜っていなかった門をもう一度見上げた。
「行きましょう」
警察署も何があるか分からない。だが、警官達が頑張ってくれていれば、もしかしたらまだたくさんの市民がここで救助を待っているかもしれない。
何か力になれるなら、惜しまずに協力する。まずは路面電車に全員を安全に導く事からだ。
キィ、と錆びた音を響かせて門を開く。もう何日か見ていなかったR.P.D.の玄関口はやたら暗く見えた。
「ジル……」
玄関に手を掛けた時、不意に彼女の名を呼ぶ声と門が開く音が聞こえ咄嗟にそちらを振り返ると、あちこち血塗れの姿になった黄色いジャケットの男が覚束ない足取りでこちらに向かってきていた。
「ブラッド!無事だったのね!」
よく見ると服の肩にS.T.A.R.S.のワッペンが付いている。ブラッドと呼ばれた男はジルが駆け寄ってくる姿を見て手を伸ばしながら僅かに笑みを浮かべた。
が、それに割って入るかのように突然何か大きなものが空から降ってきた。
「!?」
ズシンとした地鳴り。
まるで地震かのように思えた着地。
巨人のようなそれは一瞬のうちにブラッドに詰め寄り、彼を大きな手で掴み上げた。
「助けて!!助けてくれ!!ジル!!ジルッ!!」
恐怖に満ちたブラッドの悲鳴にも似た叫び声が辺りを包む。
そして——
「ッ!!」
巨人は彼の頭を手から伸びた触手のようなもので貫いた。血飛沫が上がり、容赦なく引き抜かれた触手と共に変わり果てた姿のブラッドが地面に落ちる。
「うそ……ッ」
いとも簡単に目の前で生命活動が止まった。メアリーは口許を両手で押さえ、喉から込み上げそうになるものを堪える。
「メアリー!先に中に入ってて!」
ジルは少女の背中を押して署内へと導き、1人ブラッドを殺した巨人と対峙する事となった。
「けほッ、ぅ、…はぁ…ッ」
署内に入ったはいいが、すぐに隅の方に蹲って込み上げた酸っぱいものを吐き出してしまった。あまり何かを口にしていなかったせいか、固形物は出てこない。
メアリーは手の甲で口許を拭い、呼吸を整えてから玄関ホールを見渡す。
やけに静かだ。
もしこの中も無事でなかった場合、もっとゾンビがいるだろうと思っていた。なのに、辺りはしんとしていて足音さえ聞こえない。
(もしかして案外、みんな静かに固まって過ごしてるのかも……)
ならば先に行って皆の無事を確認してから、ジルに報せに戻った方がいいかもしれない。
メアリーは足音の響くホールから受付の方へ移動する。いつかの日に世話になった、あの暇そうな職員が欠伸をしているのをぼんやりと思い浮かべながら、受付台に手を付いて背伸びしてその中を確認すると、拳銃を片手に血飛沫を壁に散らしながら座り込むその職員がいた。
「……ッ」
思わず背伸びをやめた。受付台のすぐ下に座り込み、口許を押さえて込み上げるものを必死に我慢する。
特段親しかったわけではないが、関わりのあった人間の死を目の当たりにして過呼吸のようになり、体が小刻みに震える。
もうあの平和な日々は戻ってこないんだ。
改めて実感して、自分の置かれている状況がどういったものなのかを思い知る。
助けてと言っても助からない。あのブラッドという男性や、この受付の職員のような救われない人々の方が圧倒的に多い。自分はたまたま助かっただけで、確率的に言えばこのように無惨な姿を晒していた可能性の方が高い。
そしてそれはミハイルやカルロスだって同じだ。彼らもまた、親しい人間達が変わり果てた姿になるのをその目で見てきたはずだ。
だからこそ、可能性が少しでもあるなら、友達を迎えに行けと彼らは送り出してくれたのだ。
もしかしたらそれは、過酷な選択だったかもしれないが。
「……行かなくちゃ。もう、戻れないんだから」
どのみちただ待っているなんて、きっと自分は耐えられない。
メアリーは引きずるように身を起こし、受付から奥に続く扉を開けた。
リュックのストラップ部分に付けたタクティカルライトの電源を入れる。外は夕刻を越して薄暗く、やはりしんとした室内はとても不気味で、前にリリィと一緒に入ったホラーハウスを彷彿とさせた。
「…………」
しかしここにあるのは、全て作り物ではなく本物だ。ライトで照らすのも憚られるような死体、おびただしい量の血飛沫がそこかしこにこびり付いている。肉片まで一緒に壁に飛び散っているような気がして、思わず目を背けたくなる。
ウェスカーと初めて会った日も、凶暴化した犬が貪っていた人間の死体に固まってしまったが、今回のはその比ではない。
「リリィ、どこ……?」
思わず情けない掠れ声が出てしまった。静かすぎる内部にこだまするように響いて聞こえた呟きは、闇の中に吸い込まれていった。
「!?」
が、次の瞬間何かが這うような音が聞こえて足が止まった。
ゾンビだろうか。
音の出所を探るようにライトであちこち照らす。だがどこにも彼らの姿はない。なのに這う音だけは聞こえる。何か、聞いた事のない鳴き声も伴って。
それは上の方から聞こえるようにも思え、メアリーは恐る恐る天井を照らした。
「……!!」
それの正体を見た時、メアリーは思わず反射的に逃げるように走り出していた。
それは地面に降り立つような音を響かせた後、足音を響かせながらこちらを物凄い勢いで追いかけ始めた。鞭のようなものを振りかざし、空を切る音が数回響く。
間違いない。あれは自分を捕食するために追ってきている。
メアリーはしばらく走った先で見つけた扉に滑り込むようにして入るとその扉を背にして押さえつける。バンバンと扉にタックルするような音が数度聞こえそのたびに扉が軋んだが、諦めたのかまた這う音を響かせ、それは遠くの方へ行ってしまった。
「はぁ……」
力が抜けたかのようにへにゃりと座り込む。
ライトに照らされたのは人間の皮が剥き出しになったかのような見た目の化け物だった。頭には脳のようなものが剥き出しの状態で見えていた。
人間のような体の作りをしていたが、あれは人間だったのだろうか。
だが、考えたって分からないし仕方がない。
ただ直感的に人間をエサにしている生き物だという事は分かった。つまり、ゾンビと同じだ。彼らより数倍気持ち悪く、物凄く移動が速かったが。
改めて逃げ込んだ部屋を見回してみる。椅子が並び、教壇のようなものの後ろには黒板がある。学校の教室に似ているその部屋には行方不明者の貼り紙やラクーンシティの地図、警察署の中の見取り図も貼り出されていた。
「……!」
立ち上がって黒板に近寄ろうと歩を進めると、教壇に寄り掛かるように人が座り込んでいるのが見える。小走りで駆け寄ってみるとカードケースが傍に落ちていた。
「……マービン・ブラナー。あの時の!」
拾い上げ名前を確認して、再度その男を見る。
マービンはベン・ベルトリッチを訪ねようとしたあの日、自分を家まで送ってくれた警官だ。彼は腹部を怪我しているようで、服のその部分を血で汚している。
「……よかった、冷たくない」
メアリーは彼の容態を確かめようと体にそっと触れて、体温がまだある事に安堵した。
これならジルに頼めば一緒に電車まで行ける。何度か揺すってみても反応がないので、気を失っているだけなのだろう。
立ち上がって再び辺りを見回してみるが他に生存者の姿はなく、先程の化け物の事もありこの部屋の外に出るのは躊躇われる状況ではジルを待つ他ない。
「リリィ……」
本当にここにいるのだろうか。不安な気持ちでいっぱいになってしまう。
もし無事だったら一緒にこの街から脱出しよう。
「メアリー……」
そう思い直した時、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえた。思わず振り返って辺りを見回すが、マービン以外の姿はやはりない。扉の外からジルが呼び掛けているのかもと思ったが、彼女の声とも違ったような気がした。
「………あ」
ふと、黒板の横に扉がある事に気付いた。まだ調べていなかったその扉に近付くと、ゆっくりとノブを回して開ける。
「うわっ!?」
入り口からライトで照らすと、何かがメアリーにぶつかってきた。受け身が取れず、真正面からぶつかってきたそれの衝撃で尻餅をつくが、その正体を確かめようと顔を上げる。
「……リリィ!?」
「メアリー…!」
自分の肩口に顔を埋められていたが、髪の色や結び方、体型や声もリリィそのものだった。
「メアリー、会いたかったよ…!本当に来てくれた…!!」
だが、そうやってすすり泣くリリィの体をそっと抱き締めると、ぬくもりは僅かにあるが普通の体温より冷たかった。
「リリィ……っ」
それが何を意味するのか。そっと視線を巡らせてみると、彼女の脚には血の滲んだ包帯が巻かれていた。
顔を埋めているリリィの肩を持ち彼女の顔を見ると、顔半分が既にゾンビのように爛れ始めている。
それでもまだ人としての意識があるのは、彼女の意思が強いからだろうか。どちらにせよ、長く保つものではないとメアリーは直感してしまった。
「ごめんね……私も分かるの。自分がもうダメだって事……」
リリィはメアリーの頬を撫でながら涙を流していた。
撫でている頬を伝う涙を、拭ってやりたかったから。
その優しい手を握って、メアリーは更に嗚咽を漏らす。
「ダメじゃないよ……っ一緒に路面電車まで行こう?そこにはね、軍人の人がいて、手当ての道具も揃ってて……電車を移動式の基地にするって言ってて…っ」
嗚咽のせいでしっかり言えているかも分からない。それでも、リリィは優しく頷きながら彼女の話を聞いていた。
「うん……でもダメなんだ。そこに行くまでにきっと私、ゾンビになっちゃうよ……」
自分の体の事だ。嫌でも分かる。
もうほとんど怪我の痛みを感じない。だが、冷たいウィルスが体中を駆け巡るような感覚がある。
先程だって危なかった。メアリーの肩に顔を埋めた時、強い捕食衝動に駆られて齧り付きそうになっていた。
自分はもう、化け物になりつつある。もうじき理性だってなくなる。
「だけど……最期にメアリーに会えて本当によかった……もう会えないかと思ってた」
必死で笑顔を作った。
彼女を安心させようと、頭を撫でる。
そうしていると、彼女から抱き締めてきてまた肩口に顔を埋めさせられた。
「私も一緒にゾンビになる。リリィを置いていくなんて出来ないよ」
リリィは目を丸めた。
捕食を促すような肉の感触に思わず歯を突き立てそうになるのを必死で堪える。
なんて事を言うんだ、この子は。前から無鉄砲な事を言う子だと思ったが、今回のはとびきりに無茶苦茶だ。
「……それはダメだよ」
その声に、頭を押さえていた手の力が緩んだ。
ゆっくりと顔を上げてメアリーの顔を見つめてから、今度はリリィが彼女を抱き締めて慈しむように嗚咽でしゃくり上げる背中を撫でた。
「メアリーには、やるべき事があるでしょ?本当は、分かってるでしょ?もしかしたら、あなたにしか出来ない事が……あるって事が」
事件が起こる前日まで一緒に眺めたスクラップ帳。
あれにはこの事件に関する全てが収められている。然るべき場所に渡せば、真実を伝えられる。
リリィは1冊の手帳を取り出すと、それを彼女の手に託すように握らせる。
「これは……私がこの警察署に避難してからの事を書いたものだよ。これも……メアリーの力にしてほしいの」
メアリーはそれを受け取り、手の甲で涙を拭ってから手帳のページを捲っていく。そこには日記形式で警察署内の凄惨な状況がリリィの筆跡で綴られていた。
「すごいでしょ……私も情報集めるの手伝うって、言ったもんね」
「リリィ……」
こんな状況の中でも、自分のためを思ってこの日記を書いていたのかと思うと拭った涙がまた溢れてきた。
自分の事だけで精一杯だったというのに、目の前のゾンビ化し掛かっている親友は最期まで自分の事を考えてくれていた。
「それで……もうひとつ、お願いがあるんだけど」
リリィはメアリーの手を握って手帳を閉じさせ、真っ直ぐ彼女を見つめる。
「私を……殺してほしいの」
そう言って、リリィはまた笑顔を見せた。