「えっ……」
時が止まったかのように思えた。
"私を……殺してほしいの。"
確かに目の前の親友はそう言った。彼女は目に涙を浮かべながら、メアリーの腰のホルスターに収まるハンドガンに手を添える。
「マービンが教えてくれたんだ。ゾンビは頭を攻撃するのが1番よく効くって。……これで私の頭を、」
「出来るわけないでしょ!?」
しかし、メアリーは彼女の言葉を遮って大声を上げた。ぼたぼたと大粒の涙が床に落ちるのを見て、リリィは再びその身を抱き締めた。
「……私もメアリーの立場だったら無理かもしれない。でも私ももう、時間がないんだよ……」
あたたかい体温が愛おしい。この体温を奪う事になるのは、今のメアリーの心境と同じくらいつらい。
「私、ゾンビにはなりたくない……」
リリィはやっと本心を口にした。
メアリーも、その心境を分からないわけではない。自分がリリィの立場なら、きっと自分も彼女と同じ事を言うに違いない。そしてそれを、やはり彼女は拒むのだろう。
「お願い……メアリーにしか頼めないんだよ」
リリィは彼女のホルスターからハンドガンを抜き、それを彼女に差し出す。
護身用にとミハイルから渡された物を、こんな形で使う事になるなんて。けれどもこれもまた、"己の身を守る"という意味では正しい使い方なのかもしれない。
そしてそれは、目の前にいる親友を救うただひとつの方法だった。
メアリーは手帳をリュックのポケットにしまい、ハンドガンを受け取る。それを見てリリィは安堵したような表情を浮かべた。
「リリィ……あなたの事、忘れないから。大好きなあなたの事、絶対忘れないから…!!」
ハンドガンを握る手が震える。先程電車内で持った時よりも、ずしりと重く感じる。その手にリリィは己の冷たい手を重ねた。
「メアリー……私も絶対に忘れないよ。ずっと、大好きだよ」
たった1人の親友。いつも明るくて無鉄砲で、自分の知らないところへ連れて行ってくれた親友。
きっとこれが走馬灯というのだろう。2人で過ごした思い出が頭の中にスッと流れてきた。そのどれもが楽しくて、輝かしくて、微笑みながら祈るように両手を組んで目を瞑る。
咆哮のような少女の叫び声と共に、乾いた銃声が響いた。
「メアリー!!」
勢いよく扉を開く。確かにここから彼女の悲鳴が聞こえたはずだ。ジルが椅子の並ぶ作戦会議室を見回すと、何かを抱えて蹲って泣きじゃくっている彼女の姿が見えて駆け寄る。
しかし、彼女が抱えているものの正体を視認すると息を呑んで立ちすくんだ。
「リリィ……そんな……」
顔は俯かれていて分からないが、彼女と同じ背格好、髪の色やその結び方はリリィそのものだった。
メアリーはジルがすぐ後ろにいる事にも気付いていない様子で、リリィを抱えたままなりふり構わず泣きじゃくり続けていた。痛々しい姿はとても見ていられるものではなくジルは目を背けるが、嗚咽で苦しそうに呼吸をするメアリーの姿が居た堪れなく、そっとしゃがみ込んでその背中をさする。
「ジ、ジル……っ」
メアリーが顔を上げて彼女を見上げる。その顔は涙で濡れ、何度も擦った頬が赤くなっていた。
「リリィっ……ダメだった…っ、私が、っ…!」
嗚咽でまともに言葉を紡げないメアリーを、ジルは抱き締めてあたたかな体温を感じさせた。
彼女らが何をしたかは予想がついた。すぐそばに転がっていたハンドガンと血溜まりが全てを物語っている。
メアリーはリリィを救ったのだ。
ジルはただ強く、それでいて優しく、メアリーを包んだ。自分には気の利く言葉を掛ける事が出来ない。だが、ぬくもりを分けてやる事は出来る。
メアリーはそのぬくもりを感じて次第に落ち着いていき、どっと溢れた疲労感に目の前が真っ暗になった。
気が付くと別の部屋に移動していた。
どこか見覚えのある部屋のソファから身を起こすと、ジルが通信機器の前で何かを読み上げている。
「……ここって」
壁に掲げられたS.T.A.R.S.の文字と3つの星が描かれたエンブレム。ここはいつかに訪れたS.T.A.R.S.のオフィスだった。
ソファから下りてそのエンブレムの前まで来ると、すぐそばに写真が飾ってあるのが見えた。
S.T.A.R.S.の集合写真だろうか。全員が笑顔で写っており、ジルとクリスの姿もある。
「…………」
そのすぐそばに、ウェスカーも写っていた。相変わらずサングラスを付けて表情が見えないが、口は一文字に結ばれている。いつもの仏頂面だ。
「懐かしいわね、その写真」
いつの間に来たのか、ジルがメアリーのすぐ隣で同じように集合写真を見ていた。愛おしそうにそれを指でなぞり、懐かしむような微笑みを浮かべている。
「メアリーは……まだウェスカーの事、好き?」
その指をウェスカーのところで止め、隣にいる少女を見る。少女は先程から彼をジッと見つめていた。
「……少し怖くなった。隊長の事」
メアリーはフイと写真から目を逸らす。意外な回答にジルは僅かに目を見張った。
「暗いところから迫ってきて、私をどこかへ連れて行こうとするの」
この事件が起きてから2回ほど見た夢で、ウェスカーは自分の前に現れた。それは夢なのにどこか現実味を帯びていて、本当に連れて行かれそうになるかと思ったほどだった。記憶の中にあるイメージとは違う彼の姿は、まるで今を生きて自分の前に現れているかのようで、思い出すとゾクリと震える。
「それよりリリィは?マービンも置いてきちゃった…!」
先程の話に意味がわからない様子だったジルを振り返り、すぐにでも2人の元へ行きたいのかメアリーは地団駄を踏んだ。それを制するようにジルは彼女の両方を包み、首を横に振る。
「リリィは……ちゃんと寝かせておいたわ。マービンは意識を失っていて自分で立てないから、私達では運べそうにないの。……ごめんなさい」
ジルが頭を下げるとメアリーは慌てたように手をわたわたと振ったが、すぐに己も俯いてしまう。
もっと自分に力があれば。物理的にも、身体的にも、精神的にも、自分は幼くて弱い。ミハイルの言った通り無力ではないかもしれないが、あまりにも弱すぎる。
「……マービンには、電車に来るように手紙を書いたわ。今も無線放送で、生存者は車両基地に集まるように呼び掛けたから、きっと私達の他にも人が来ると思う」
悔しさで無意識に拳を握り締めていたメアリーの頭を、ジルは落ち着かせるように撫でる。それにハッと意識がこちらに戻ってくるとメアリーはジルを見上げた。
「そっか……なら大丈夫、なのかな」
「ええ、大丈夫」
ジルは力強く頷いてみせた。彼女は特殊部隊であるS.T.A.R.S.の一員で、自分よりも強くてずっと大人だ。心強くて頼りになる。
自分も、皆の役に立ちたい。ウェスカーは今は少し恐ろしい存在だと認識しているが、あの日彼に誓った言葉に嘘はない。そのために勉強だって頑張っていたのだ。
この極限状態の中で、自分の弱さは痛いほど気付かされた。これから強くなっていくしかないのだ。
「……ジルは、アンブレラの部隊が救助に来てる事について……どう思う?」
あの日、ジルが話してくれた事は正しかった。自分が出した答えもまた、この一連の事件の黒幕はアンブレラであるとしている。だからU.B.C.S.を今更派遣している現状には疑問しかない。
ジルはその言葉に目を丸めたが、あのよく出来たスクラップ帳をまとめたのがこの少女である事を思い出してハッと息を呑む。今自分に投げ掛けられた質問は、ラクーンシティ内だけで得られる情報を繋ぎ合わせてそこまで突き詰めている事を示していた。
「……そうね。最初はとても疑問を感じたし憤りも感じたわ。でも彼ら、アンブレラの事情を知らずにここに駆り出されているみたいよ」
ジルは先程まで一緒に電車を動かすための燃料等を探しに行っていたカルロスの事を思い返す。カルロスらU.B.C.S.は傭兵の集まりであり、ただ与えられた指示をこなす兵士だった。彼と初めて会った時も、アンブレラの部隊と聞いて思わず憤りを露わにしたが、すぐに"自分達は傭兵だから詳しい事情は知らない"と諌められたのをジルは思い出す。
「ミハイルから聞いたんだけど、U.B.C.S.はウィルス汚染地域に真っ先に派遣される部隊なんだって。自分達の事を捨て駒とも言ってた」
メアリーもまたその間はミハイルと一緒にいたため、彼から話を聞いている。彼らは生きるために危険な任務を請け負う。それも半ば強制的に。
「……彼らもまた、実験台という事?S.T.A.R.S.と同じ……」
ウェスカーはS.T.A.R.S.をあの洋館におびき寄せ、戦闘データを取っていた。この状況もそれと同じと言えなくもない。
だとすれば、U.B.C.S.も被害者と言えるだろう。もしかすれば本当に救助を目的としていたかもしれないが、ここはアンブレラのお膝下だ。要人しか助けないという事も十分にあり得る。
この街は既に広大な試験場になっている。外で出会った巨人も恐らく、アンブレラが投入したものだろう。
「ひどい……」
メアリーはあまりにも凄惨な状況にそれ以上の言葉が出なかった。きっと今もどこかでアンブレラの手の者が、こちらを見て嗤っている。部隊の壊滅も、リリィの死も、全て彼らの予想通りであり、ただの結果でしかない。
「こんなの許されるはずがないわ……」
ジルもメアリーも、非現実的な出来事の渦中にいる事を改めて認識して暫し沈黙した。くだらないウィルス実験にいつの間にか巻き込まれ、訳も分からず死んでいった人々が大勢いる。
怒りと悔しさで頭がおかしくなりそうだった。
「……ジル。絶対に生き残ろう。ミハイルやカルロス達と一緒にこの街を出よう」
復讐が望めるとしたら、それは生きてこの街から脱出する事だ。生き証人となり、自分達の持っている証拠を全て然るべき機関に流す。
このままアンブレラの実験台として死ぬ事は出来ない。
「そうね。必ず生き残りましょう。そのためにはまず、電車ね」
ジルは深く頷き、決意を新たにする。
1人だけの戦いではなくなった。今は互いに心強い同志がいる。それだけで何倍も強くなったような気がした。