時計塔の礼拝堂はこんな時でも神聖さを纏っていた。
メアリーは椅子に腰掛けてボーッと天井を見上げる。
ミハイルまで死んでしまった。未だに炎上を続けている後方車両の中では、彼の遺体を探す事すら出来ない。
彼は最期まで自分を守ろうとしてくれていた。ニコライが何故自分を欲しているのかは分からないが、それでも守ってくれた。
「くそっ、どうしたら…!!」
説教壇を背に座り込んだカルロスが自分の頭をくしゃくしゃと乱している。ニコライは先に窓から脱出したため、まだ近くにはいると思われるが、時計塔の中に姿はなかった。ジルはカルロスにメアリーの事を頼み、時計塔の鐘を鳴らすため内部を駆け回っている最中である。
ミハイルの死はこの場にいる2人の心の中を掻き乱している。
(これじゃまるで、俺達は化け物共のエサじゃねえか…!!)
カルロスらU.B.C.S.が降り立った時には既に街は壊滅状態だった。本来ならば、もっと早くに降り立つべきであったのに、わざわざ日が経ってから自分達は投入されている。
こんなはずじゃなかった。もっと多くの市民を救出出来たはずだった。救出した市民を集めるための拠点である時計塔にも既にゾンビの姿があり、眩暈のような感覚になった。
もうどこにも安全な場所なんてない。上官も同僚もいない。
"あなたが弱気になってどうするの!?"
"今は回収用のヘリの話を信じるしかないわ!"
先程ジルに叩かれた頬がヒリヒリと痛む。今も彼女は1人で奔走している。なのに自分は何も出来ない。
幼少期からゲリラ部隊で数多の戦場を駆け巡ってきた。生き残る自信があったし、今回の任務もいつも通り滞りなく終わるはずだった。
「分かんねえよ…!!」
無意識のうちに嗚咽が漏れ出す。
絶望に蝕まれていく。いっそ自分も死んでしまえたら、ゾンビになってしまえたら、楽になれるのだろうか。
そんな時、不意に隣に体温を感じてそちらに視線を向ける。そこにはいつの間にいたのか、メアリーが膝を抱えて腰を下ろしていた。
この少女だって、自分が助けたわけじゃない。ミハイルとニコライが助け、彼女が警察署に行くと決めた時にはジルが付き添った。自分は何もしていない。
「俺は情けないな……」
それはぽつりと零れ落ちた。己も膝を抱え、顔を伏せる。無力な自分が言葉通り情けなかった。
「みんな強いし、頼り甲斐あるし、仕方ないよ……」
メアリーもそれに答えるように呟く。ジルもミハイルもニコライも、強くて賢い人達だ。たまたま生き残ったに過ぎない自分とは違う。
「……なぁ。この街はいつからおかしくなっちまったんだ?キミはこの街の住民なんだろ?」
カルロスは今回の任務について、市民救助としか上から知らされていない。エリアごとに区分けされて、地図をなぞり無事な市民を所定の場所まで導く。それが大まかな救助の流れ。爆発的に感染者が増えたのは24日の事だとは聞いていたが、事件はおろかラクーンシティの事さえも詳しくは知らない。
「おかしくなったのは6月の頭くらいから。でも、人喰い事件が本格的に起こり始めたのは……9月の頭辺りからだよ」
少女が教えてくれた情報に、カルロスは目を丸くさせた。
「待ってくれ。そんなに前からだったのか?」
信じられない。この事態を約1ヶ月も放置していたという事だろうか?
"こんな事態になったのはアンブレラのせいなのに!"
ジルと初めて会った時、彼女はそうやって激昂していた。アンブレラの肩を持っていたわけではなく、その部隊の人間というだけで己を責められても意味がないとしてあしらってしまったが、もし本当にアンブレラの不祥事だとしたら。
「教えてくれ。これはアンブレラのせいなのか?この街で何が起きたんだ?」
カルロスは身を乗り出すようにしてメアリーの両肩に手を置く。彼女は具体的な期間を教えてくれた。もしかしたら詳しく調べ上げていたのかもしれない。しかしメアリーは困ったように眉を下げた。
「その記事をまとめたスクラップ帳、今なくて……それでも信じてくれる?」
スクラップ帳はニコライに盗られてしまっている。だが同じU.B.C.S.の隊員である彼に名指しで事実を告げてしまっていいのか一瞬考えてしまった。それは彼をニコライの仲間だと疑っているわけではなく、ミハイルを亡くしてしまった今、ニコライまで仲間ではない事実を知った時の彼の心境を考えての事だった。
「信じる。俺は正直記事なんて読んでも分かんねえ。だからキミが教えてくれ」
カルロスは真っ直ぐ少女を見据えて頷いた。
そうして2人で説教壇に置いてあった紙とペンを囲む。
「まず、9月の頭辺りから暴徒が街に出るようになったんだけど……実際はその前から少しずつ増えてたの」
紙に文字を連ねていく。スクラップ帳に切り貼りした記事の内容は、それが手元になくても覚えているほど読み込んでいる。
「まずおかしくなったのは、下水の作業員で……接点のあった人に感染していったらしい。それを記事にしたかったジャーナリストの人が8月末にこの街に来て……その人は逮捕されてる」
「待て待て、何かしたのかそいつは」
"ベン・ベルトリッチ"とジャーナリストの名前が紙に書かれ、カルロスはその名前をトントンとつつく。感染ではなく逮捕という言葉が出てくる事に疑問を感じた。
「別に何もしてないと思う。おかしいよね、事件について調べてただけで逮捕されて……しかも警察署の署長が面会を禁じてた」
「なんだそりゃ……無茶苦茶だな」
ベンの名前をぐるぐるとインクで囲んでいると、カルロスが両腕を組んで唸る。
「この街の警察が公式に動いてベンの身を拘束してる。この街はアンブレラのお膝下で……そうなると、事件が明るみに出て困るのは誰だと思う?」
ペンをマイクに見立てて柄の先をカルロスの口許に向ける。彼は暫し考えるように再び唸り、やがて答えを口にするのを迷うように、眉間にシワを寄せながら開きかけた口を閉じる動作を繰り返した。
「……9月に入ってから奇病を発症した暴徒が多くなって、それは病院がパンクするほどになったの。これは"ゾンビ化現象"って呼ばれてた。私の学校も下校時間が早くなって、生徒の夜8時以降の外出を禁止してた」
なかなか答えを出さないカルロスを見て、メアリーはそれ以降の話を続けながら紙にまた文字を連ねる。
「これだけの事が起こっても、ラクーンシティの事は全国誌に載ることはなかったんだよ。24日にスタジアムで暴動があった日も、テレビの全国局ではドラマの再放送を流してた」
リリィから電話を受けてテレビを付けた時、チャンネルは全国局になっていた。そこからローカル局に変えてやっと情報が入ったのだ。事件以降もラジオの全国局ではいつも通りの放送が行われていた。
「情報操作……か。ならさっきの記者もやっぱり」
「外部に情報を漏らさないための拘束だよ」
点と点が線で繋がっていく。ラクーンシティを陸の孤島にし、街ごと世間から隔離する。爆発的に感染を引き起こし、その経過を見てほくそ笑む者がいる。そしてその渦中に独自で保有する部隊を投入し、更に経過を観測する。
アンブレラは自社の不祥事すら研究過程として取り込み、のうのうとデータを収集している。
「……キミすげえな。こんなのそうそう真似出来ねえよ」
思わずカルロスは乾いた笑いを零した。隣にいる少女は、この街だけで得られる情報を繋いでここまで推理を展開させ、事件の黒幕を当てに来ている。そしてそれはきっと的中しているのだろうと、ジルの言葉も思い返しながら彼は思った。
「私はただ、興味本位で調べてただけだよ……ジルの言葉だって、最初は信じてあげられなかったもん……」
メアリーは紙を見返しながら目を伏せる。自分はただ記事を切り貼りしただけ。ジルのように実際に見たわけではない。彼女が話してくれた事は確かに突拍子もない話だったが、実際に調べて、こうして身を以て危機を感じて、確信に変わった。
もう、全てが遅すぎたが。
その時、時計塔の鐘が礼拝堂に鳴り響いた。次いですぐにヘリの音が聞こえる。
「よっしゃ!本当に来た!」
カルロスが喜びの声を上げる。メアリーも思わず表情が明るくなった。彼は少女が書いた紙を取り、それを折り畳む。
「この紙、もらってもいいよな?」
「どうして?」
別に自分には必要ないものなので彼にあげても良いが、彼がこんな紙切れを欲しがるとは思わずメアリーは小首を傾げる。するとカルロスは彼女に向かってウィンクをした。
「キミの字が可愛かったから」
そんな口説き文句を言って。
「さ、行こうぜ」
口説き文句に顔を赤くしている少女の手を握り、カルロスは礼拝堂から出ようとした。
——が。
「ッ!!」
ドアノブに手を掛けた刹那、すぐ近くに何かが墜落した衝撃があり地響きで体が揺れた。思わずバランスを崩したメアリーの体をカルロスが支えると、恐る恐る扉を開けて様子を窺う。
「なっ……どういう事だよ…!!」
時計塔から礼拝堂に繋がる通路。そこにめり込むようにヘリが横転しているのが見えた。
「メアリー、ここで待ってろ!」
「カルロス!」
彼はメアリーの制止の声も聞かず、外の方へと走り去ってしまった。後を追おうと思ったが、もし人為的にヘリが撃墜されてしまったのなら自分が行っても何も出来ない。武装といえるものはミハイルから託されたハンドガンくらいしかなく、使い方を教わったとはいえ射撃の経験がないメアリーでは確実に足手まといになる。
「…………」
もどかしさを感じながらも、今はここで待つ他ない。脱出の手立てがなくなってしまっても、カルロスやジルが無事にここに戻ってきて、そばにいてくれればそれでいい。
メアリーは2人の無事を祈りながら椅子に座って待つ事にした。
暫くして扉が開く音がした。
「……!!」
弾かれたように振り返って誰が来たのか確認する。が、やはりラクーンシティには救いの神など存在しなかったのだと痛感した。
「メアリー。さぁ、俺と一緒に行こう」
そこに立っていたのはニコライだった。反射的に逃げるために立ち上がったものの、表情を強張らせて固まってしまった少女を彼は視界に入れて笑みを浮かべる。ゆっくりと近付いて行くと少女は小走りで己から遠ざかるので、愉快そうに喉奥で笑い声を零していた。
「カルロスは?ジルは?あなたがやったの!?」
「こらこら、人を人殺しのように言うんじゃない。彼らをやったのは俺じゃないぜ」
ニコライは肩を竦めながらも、メアリーを追う足を止めない。
「やったのはあの化け物だ」
「…!?あいつ、まだ生きてるの!?」
"化け物"。その単語で連想されたのは警察署や電車の中で見た巨人の姿だった。だがあの化け物はミハイルが決死の自爆で倒したはずだ。なのにまだ生きているだなんて。
これじゃミハイルは無駄死にじゃないか。
「俺も驚いた。あんなにもタフな生物兵器だとは思わなかったよ」
グッと唇を噛みながらニコライから逃げる。悔しさを感じると同時に、彼が普通の傭兵ではない事も彼の言葉から推測出来た。
"生物兵器"。ニコライは確かに化け物の事をそう言った。更にあの口振りからすると、それの存在をあらかじめ知っていたとも取れる。なのにカルロスやミハイルとは情報を共有していなかったようだ。そこから連想されるのは、彼が2人と行動を共にしながらも普通の傭兵とは違う立場にいるという事。
緊張感でバクバクと心臓が早鐘を打ち、視界が揺れる。
ニコライに捕まってはいけない。彼は普通では知り得ない情報を持っている上に、己から情報の詰まったスクラップ帳を取り上げている。きっと捕まってしまえば、己の身はアンブレラに売り渡される。
「鬼ごっこか。面白い」
礼拝堂の扉まで逃げた少女はそこから外へ飛び出していった。だが、ヘリが墜落した影響で入口が瓦礫で塞がってしまっているのを確認している。少女の力では時計塔の外に出る事は叶わないだろう。
「少しの間付き合ってやろう」
ニコライは愉快そうに口許に弧を描いた。