夜のアークレイ山地にひとつの銃声が響いた。
銃声の主である男は傾斜を下ると凶暴化したドーベルマン——ケルベロスの死体を蹴り飛ばす。ちょうど目の前、ケルベロスが襲おうとしていた方向には蹲って身を固くしている少女2人の姿があった。
そしてそれから数分後。腰を抜かしていた2人を何とか立たせ、男は後ろから彼女らがついてきているかどうか確認しながら山を下りていた。
「S.T.A.R.S.だよ、S.T.A.R.S.!警察署の特殊部隊がここにいるって事はやっぱり…!」
「メアリー、もうその話やめようよ…!」
どんなに小声で喋っていたとしても、静か過ぎる山奥では響いて聞こえるように思える。男はこの少女2人の処遇をどうするべきか考えていた。
おおよそゴシップ誌の記事に釣られてやってきたであろう少女2人。連れ去って口封じする事は容易だろう。しかし、相手が子供ではその方法は得策とは言えない。揉み消すのも少々面倒だ。
「ジル。君に頼みたい事がある——」
男は少女達と共に登山口が視認出来る辺りまでようやく下りてくると、何処かへ通信を入れた。
登山口で暫く待っていると、一台の車がそこにやって来た。運転席の窓が開くと、男と同じくS.T.A.R.S.のエンブレムが袖に入った制服を纏う女性が顔を見せる。
「ジル。この子供達が件の……」
「了解、送っていくわ」
ジルと呼ばれた女性は車から降り、後部座席の扉を開けて少女2人に乗り込むように指示した。
「安心したまえ。君達を安全に家まで送らせる」
ポンポンと男は努めて優しく2人の背を叩く。それを見たジルもまた、2人に優しく微笑みかけた。
「大丈夫よ。もう怖くないからね」
それほどまでに自分達の顔は引きつっていただろうか。リリィとメアリーは頬をむにむにと揉んでから笑顔を浮かべてみせる。
「はい、すみません。お世話になります」
まずはリリィが車内に乗り込み、その次にメアリーが座席に座るとジルは後部座席の扉を閉めた。
「俺は付近の警備を続ける」
「了解」
1人残された彼は発車するまで見送るようで、その場に立ち尽くしていた。ジルが運転席に戻るまでの間、彼は後部座席の2人を目に焼き付けるかのようにサングラスを下にずらして青い瞳を晒している。
「あ、ありがとうございます、えっと……」
その視線に気付いたメアリーが窓を開けて彼を見上げる。
「アルバート・ウェスカー。S.T.A.R.S.のアルファチーム隊長だ」
男——ウェスカーはそう名乗った。
「隊長、ありがとうございましたっ」
メアリーが見よう見まねの敬礼をする。ウェスカーはそれに応えるように敬礼を返し、そのまま発車するまでその姿勢を維持していた。
「カッコ良かったなぁ〜、隊長……」
メアリーは窓を閉めて感嘆の溜息を吐いた。
「ええー、そう?サングラスにオールバックだよ?あやしくない?」
「でもすごく綺麗な青い目だったよ」
リリィが苦笑いを浮かべながら反論すると、彼女は背もたれに体を預けながらあの目を思い出す。
「え、そうだったんだ……奥からじゃ見えなかったや」
ちょっと見たかったな、と零してリリィも背もたれに寄り掛かる。それをミラー越しに見てジルは自然と頬が緩むのを感じた。
「メアリーは"隊長"の事、好き?」
何となしにジルは彼女に尋ねてみた。彼女は身を預けたばかりだと言うのにグッと背もたれから離れて後ろから運転席のシートに手を添える。
「好き!私、結婚するならああいう人がいい!」
「ええ……それはちょっと」
目を輝かせるメアリーとは対照的にまたもやリリィは苦言を溢す。好みが正反対らしい2人にジルは面白そうに笑った。
「ふふ、でも隊長はモテモテよ。今日も貰ってたもの」
「な、何をですか?」
「ラブレター」
その言葉にメアリーは途端に轟沈したように再び後部座席の背もたれに体を勢いよく預けた。
「やっぱあれクラスになると、私じゃ望み薄かぁ〜……」
「残念残念。あと15は大人にならないと無理だね」
微妙に慰めにならないリリィの言葉にも"うわぁ〜……"と頭を撫でられながら情けない声をメアリーは漏らしている。
実際、ウェスカーがラブレターを貰っているなんて噂は聞いた事がないのだが、子供は純粋だ。ジルは嘘をついた事を申し訳なく思いながらも2人の会話を聞いていた。
「リリィは大人びた子ね。お姉さんかしら?」
ちょうど信号待ちで停車している間にジルは振り向いて彼女らの様子を見る。リリィは首を横に振っていた。
「ううん。同い年なんです。でもメアリーったら心配になる事ばっかりするから、いつの間にか私が姉みたいに」
目を離した隙に男子の喧嘩を買っていたり、木に登って降りられなくなったり、図書館の貸出カードをなくしたり、メアリーのそばにいると退屈しない。というより、している暇がない。それは2人が友達になった時からそうだ。
「恥ずかしい話しないでよ〜!」
数々のメアリー伝説をジルに披露しようとしていると彼女は抗議の声を上げる。車内が笑いに包まれたところで、信号が青になった。
「もっとお淑やかにならないと、隊長さんも振り向いてくれないよ?」
「あぁ〜っ!それ出すのずるい〜!」
女の子同士の賑やかな会話。仕事柄疎遠になっていた雰囲気にジルは終始楽しそうだった。
「家まで送っていただいて、ありがとうございました」
リリィの家の前で停車し、彼女を車から降すとペコリとお辞儀をする姿に、見送りのために車を一緒に降りたジルはその頭をぽんぽんと撫でた。
「今日のところは隊長に免じて内緒にしてあげるけど……次も同じ事をしたら、今度こそ親御さんに連絡するからね」
ウェスカーからは家に通達しない代わりに今夜の事は口外しないようにと2人に指示するよう言われている。何となく引っ掛かりを覚える指示だが、追求しても仕方のない事なのでジルはそれに従う事にした。
それに車内で2人から聞いた話では、どうやら2人は片親で今日も夜遅くまで帰ってこないらしい。通達のしようがない。
尤も、リリィよりも厳重に注意しなければならないのは——
「あなたもよ、メアリー」
運転席の扉を閉め、シートベルトを締めながら後部座席を振り返る。メアリーはリュックに入れていたお菓子を暢気に頬張りながらジルを見ていた。
「はぁい」
リリィという保護者がいなくなった途端にこれである。確かに、世話が焼けるくらいマイペースな子というのは間違いないのだろう。
この2人は本当に同い年なのだろうか。
しかしジルは"子供でなくとも個々の能力に優劣はある"と自分で自分を納得させるかのように終結させ、メアリーの家へと向かうべく車を発進させた。
「それにしても隊長、気前いいですよね。許してくれるなんて」
時刻にして夜11時。外灯やネオン看板が眩しい公道を車は走り抜ける。パトカーではなくジルの私用の乗用車で来るよう指示したのもウェスカーであった。
「でもなんで隊長は、あんな山の中にいたんだろう」
ジルの中にあった違和感の正体。集約するとまさにその言葉だった。
しかしウェスカーの事だ。ゴシップ誌をほんの少し賑わせたこの街の外れにある観光名所の気味の悪い噂を検証しに行ったに違いない。ジルはまたしてもそう自分を納得させようとした。
「正義感が人一倍強いのよ、あの人」
アルバート・ウェスカー。S.T.A.R.Sアルファチームの隊長。戦闘技術も素晴らしいもので、少し厳しいけど、どんな時でも率先して自分達を導いてくれる頼れるリーダー。
ジルは再び信号で引っ掛かったのをいい事に、ウェスカーの言動を思い返していた。
「そっかぁ……やっぱ隊長はカッコいいなぁ」
ミラー越しに見えたメアリーの表情は蕩けたように目を細めている。少女が淡い憧れを抱くのも無理はない。それだけのカリスマを彼は持ち合わせているのだ。
暫く公道を走り、メアリーの家の前で停車するとジルはまた一緒に車を降りて彼女が玄関の向こうに消えていくまでを見送った。
「さて……任務完了、と」
軽く伸びをしてから運転席に戻り、自宅への道を辿る。
「…………」
ジルは思い返していた。しこりのように残る違和感の正体について。
だがそれよりも印象深かったのは、メアリーが思った以上に冷静な事だった。
メアリーは真っ暗なリビングに入ってくると電気をつけて電話の受話器を取り、何処かへ電話を掛け始めた。
少しの呼び出し音の後に、聞き慣れた音声ガイドが流れる。
『ただいま、電話に出る事が出来ません。ピーっという発信音の後に、メッセージをどうぞ』
ピー。
無機質な音が受話器に響いた。メアリーはそこでいつも何も言わずに受話器を置く。
「……こんな時くらい、電話出てよ。パパのバカ」
娘が怖い思いをして帰ってきたというのに。
仕事が充実し過ぎているのも問題だ、とメアリーは自室に戻る気力もなくソファに身を横たえ微睡んでいった。