警察署カルロスパート。
カルロスと受付職員の彼。
黒人警察官を襲ったポスターボーイゾンビを処理し終え、カルロスはR.P.D.の扉を潜った。
「タイレル、さっきの警官は?」
一足先に中に入りPCで調べ物をしていたタイレルにその黒人警官の事を問うと首を横に振られる。
「分からない。だが今は関係ないだろうな」
PCに映る監視カメラの映像を覗き込むが、人の姿は見当たらない。代わりにかつて人だったものの姿はあったが。
「バード博士はS.T.A.R.S.オフィスにいるって話だ。さっさと引っ捕まえて任務を終わらせようぜ」
「待て、保護じゃないのか?引っ捕まえるだなんて……」
タイレルの話に耳を傾けていたが、彼の表現の仕方にカルロスは疑問符を浮かべる。
「奴はアンブレラの機密情報を握ってる。どうなるか分かってるはずだ」
しかしその回答にもカルロスは依然疑問符を浮かべたままだった。
まるでこの事件において、アンブレラには知られてはならない事があるような表現である。同時に思い返したのはメアリーに自分がアンブレラの人間である事を明かした時の彼女の反応や、同じくしてジルの激昂の仕方など、何か引っ掛かりを覚える。
しかしシャッターが開く音にハッとしたようにその方向に振り向けば、受付に繋がる通路のそれがゆっくりと上に昇っていく様子が見えた。
「俺はこいつで情報を集めてみる。お前は先に現場調査を」
「お、おう、了解。任せろ」
再びPCに向き直るタイレルを尻目にしながら、シャッターが昇りきるのを待つ。
喉に魚の小骨が引っ掛かるような、何処か気持ち悪い疑問が残ったままにカルロスは受付に入り、その先に続く扉へと足を向けた。
どうして2人はR.P.D.にいるのか。それは数十分前に遡る。
あれからジルの働きのおかげで地下鉄が動くようになった。
だが、カルロスとタイレルには別の任務が与えられ、彼女らと地下鉄に乗る事は出来なかった。
2人の新しい任務は、R.P.D.にいるナサニエル・バードという学者を保護する事。彼はゾンビ化ウィルスに対するワクチンの研究をしていて、それは街を救う手立てになる最後の希望だった。
街を、市民を救うためなら何だってする——。カルロスはそう決意し、こうして任務に臨んでいる。
それに、カルロスに託された任務はそれだけではない。
「カルロス、リリィの事……よろしくね」
メアリーに渡された紙。そこには彼女の親友であるリリィ・フローレスの字で父親と共に警察署に避難する旨が書かれていた。宛名が彼女になっているので、リリィは彼女が家に来る事を予想していたらしい。
ジルがリリィの家に行った時には既に空き家状態であり、代わりにリビングのテーブルにあったその置き手紙を持って帰ってきたのだ。
「任せろ。リリィは必ず次の列車に乗せてやる」
地下鉄は向こうの駅の安全が確認出来次第、ここに戻す手筈になっている。バード博士とリリィとその父親や、他に保護した生存者がいればその時に乗せ、もう一度運行させる。通過する駅は3つほどあるが、ローカル線なので往復時間もさほど掛からないだろう。
発車する列車から見えたメアリーの心配そうな顔は目蓋に焼き付くようだった。
もう一度少女から預かった紙を広げてみたが、それを読み返す前に扉の向こうから銃声が聞こえハッとそちらに意識を向ける。扉を僅かに開けて確認すると、2人の警官が廊下の曲がり角の向こうで何かと交戦している様子が見えて静かに息を呑む。しかしそうしたのも束の間、ちょうど姿が見えない何かがリーチの長い鋭利なもので警官を1人抉るように突き刺した。その直後、その長いものはもう1人の警官を縛るように引き寄せ、それから廊下の向こうへ警官ごと消えていった。
(今のはなんだ…!?)
明らかにゾンビの仕業ではない。細心の注意を払いながら暗い廊下を進み、刺された警官の元へ歩み寄る。が、その惨状は思わず目を背けたくなるほど酷く、頭部はかろうじてくっついているだけの状態で斬り裂かれ、グチャグチャとした中身が溢れ落ちていた。
「これは酷い……」
今まで見た中でも上位に入る凄惨な死体だ。カルロスはそれを角を曲がる直前まで顔だけ振り向いて見ていたが、不意に頭に何かが当たるのを感じてそれを見上げる。
「ッ…!?」
しかしそれは予想していたどれとも違った。サッと青ざめるのを感じて全貌を確認すると、何かの衝撃で壁から露出したパイプに頭から突き刺さってぶら下がったまま絶命している死体だった。恐らく、先程縛られるように引き寄せられた警官だろう。己の頭に当たったのは、その死体の脚だった。
(こんなところに本当にバードがいるのか!?)
警察署は避難所にもなっている。だが、もし警察署内がずっとこの調子ならば、他に避難者がいたとしても、既に全員死んでしまっている可能性もある。メアリーの親友も、全員。
それに、己の命だって危ないかもしれない。
(けど、諦めるわけにはいかない…!)
カルロスはパチッと頬を叩いて気を取り直そうとする。まだそうと決まったわけじゃない。タイレルが操作していたPCには監視カメラの映像もあった。正体不明の何かも、それで探してナビしてもらえばいい。
「タイレル、聞こえるか」
『どうした、カルロス』
無線機で彼を呼び出すとちゃんと返事をしてくれる。それが今は心強い。
「ここには未知の何かがいる。強敵かもしれない。そっちで調べられないか?」
『未知の何か?……分かった、調べてみる』
「ああ、頼む」
こういう時こそチームプレーだ。ここの捜査が己1人でなくて良かったと安堵の溜息を吐く。——が。
「止まれ」
「……!」
突如、後頭部に何かが突き付けられた。固くて冷たい、その感触には覚えがある。
「あんた誰だ。ここに何の用だ?」
続いて聞こえたのは男の声だった。己と同年代と思われるその声に、何と答えれば良いのか一瞬考える。
「武装もしてるけど、ここの所属じゃないよな」
「……そうだな。俺はアンブレラのバイオハザード対策部隊、U.B.C.S.のカルロス・オリヴェイラだ。所属はデルタ小隊のA分隊」
そこまで言って、ようやく後頭部に突き付けられていた物がゆっくりと離される。体ごと振り向いてその正体を確認すると、そこに立っていたのはここの警官と思しき男だった。
「アンブレラって私設部隊があるのか。初耳だけど……まぁいいや」
彼はゆるりとした動作でカルロスの姿を改めて確認し、アンブレラの社章を纏っているのを見ると流すように納得している。その疑り深い視線に居心地が悪く感じ、カルロスは窮屈そうに肩を竦めた。
「次はあんたの番だぜ。名乗ってもらわないとフェアじゃないよな?」
警官という仕事柄仕方がないのかもしれないが、銃口まで向けておきながら自己紹介がないのは不躾である。カルロスがそうやって少しおどけた様子で目の前の男を見ると、彼も「ああ、そうだよな」と意外とあっさり納得して口を開いた。
「俺はジェイデン・エバンズ。所属はラクーン市警の……ま、受付だから普段はこういう事しない役」
カルロスが予想した通り、R.P.D.のエンブレムを服に纏う彼はここの警官だった。
彼——ジェイデンはハンドガンをホルスターに収め、敵意はない事を示す。それを見てカルロスも警戒を解きホッと安堵した。
「チェックリストに名前を書いてもらいたいところだけど……状況が状況だし、用件だけ聞こうかねぇ。ここには何をしに?」
ジェイデンの方も幾分気を許したようで、また人がいる事で安心している事もあるのだろう、先程よりも声音を柔らかくしながらカルロスに問う。
だが彼は少し考えるように視線を下に向ける。警官とはいえジェイデンも一般市民だ。アンブレラの機密を握っているというナサニエル・バードに関する任務内容をそのまま伝えるわけにもいかないだろう。
「S.T.A.R.S.オフィスにいる奴に用があるんだ。詳しくは、言えないけど……」
そう濁したものの、視線だけをチラリと上げて目の前にいる彼を見ると案の定渋い顔をしていた。
「あいつに?……それはだいぶ事情が変わるぞ。ちゃんと言ってくれ」
その反応は妥当かと思う。
(そりゃ、警官くらい護衛に付けてるか)
彼が警察署に避難している事にもそれで納得がいく。カルロスにはそちらの事情は分からないが、それだけの学者であれば当然の措置だ。
だがこちらとしても内容を詳しくは言えない。まさかその学者を引っ捕まえに来ただなんて言えば、ジェイデンは必ずカルロスに敵意を向けるだろう。こんな状況なのに、人同士で揉め事なんて起こしたくない。
が、突如窓を叩くような音が聞こえ2人してそちらに銃口を向けた。しかし窓の外には何もおらず、すぐに顔を上げる。
「今のは……」
「カルロス。信じられないかもしれないが、ここにはゾンビ以外の化け物がいる」
カルロスの疑問に被せるように言われそちらを向くと、ジェイデンが「しーっ」と唇の前に人差し指を立てていた。
「けど、"ヤツ"は音さえ立てなければ襲ってこない。"めくら"なんだよ」
トントンと目の近くを指先でつつく仕草を視界に入れ、次いで彼に腕を引かれるままに廊下を歩き始める。
「なんでさっきの奴らには教えてやらなかったんだ、それ」
そこまで分かっていて何故先程の警官2人は命を落としたのか。更に言えば彼らは銃を標的に向けて乱射していた。銃声のように遠くまで響く音は化け物でなくても視線を向けるはずである。
「教えたさ。……けど、」
そこで勢いよく窓が割れる音が廊下に響き、その次に人ではない四つ足の着地音、それと同時に人のものとは思えない甲高い掠れ声と雪崩れるように入り込んだ音の情報に2人は曲がり角の壁に張り付いて身を隠す。
そっと角から顔を出して確認すると、月明かりに照らされた廊下に皮がズルむけて筋肉が剥き出しになったカエルのような化け物がいて、その異形の姿にカルロスは思わず息を呑んだ。
「あんなのが突然目の前に現れたら……俺だって銃の1発くらい撃っちまうよ」
ジェイデンの言葉に心の中で同意した。まるでクリーチャー映画に出てくるようなその化け物は、長い舌をだらしなく伸ばしながら2人を探すように右往左往したかのように思えば天井に跳躍しそこに貼り付く。
「よし、今だ」
囁くような彼の合図に足音を立てないように気を付けながら小走りでそこに見える両開きの扉の中へと滑り込んだ。
しかし閉める時に僅かに扉がキィと軋み、直後それに反応したかのようにリーチの長い鋭利な何かが扉の隙間に勢いよく突き刺すように差し込まれ、咄嗟にそれを挟むように2人で扉を閉める。息を呑む間もなく起こった一瞬の出来事に動揺しながらも、2人は加減なしに体当たりされる扉を全体重を掛けながら背中で押さえて耐える。
「カルロス!向こうの扉まで走れるか!?」
ジェイデンが示す扉を見る。今いる机や椅子が壊れて倒れたまま放置されている広めの部屋のちょうど反対側に奥に続く1枚の扉が見え、同意するように頷くと彼も頷いた。
「よし!ワン、ツー、スリーで行くぞ」
依然扉の向こうでは体当たりが続いている。このままではこの扉もじきに持たなくなるだろう。
そして、どうやらあの化け物は扉の隙間から伸びるこのダラリとした舌が挟まっているから、ここから離れられないようにも思える。これを抜くためにはカルロス達が退く必要がある。
この扉から離れるか、それとも扉が壊れるまでこうしているか。選択肢は2つに1つだ。
「ワン、」
1つ目の衝撃が離れた直後に静かにジェイデンがカウントする。外では化け物の咆哮が聞こえる。
「ツー……」
2つ目の衝撃が離れて、ほんの少しの静寂に紛れてゾンビの呻き声が聞こえてきて背筋がヒヤリと凍る。
早く。早く3つ目の衝撃を。
だがもしカウントする前にゾンビが加勢し始めたら?
もし扉が破壊されてしまったら?
ヒタヒタと外の化け物の足音が少し遠くなった気がする。
カウントが来ない。
「! カルロス、扉に走れ!!」
代わりにジェイデンはそう声を上げた、その直後だった。
「ッッ!!」
バンッ!と扉が弾けた。その衝撃と突っ込んできた化け物の体当たりで宙を舞った2人の体が床に叩きつけられ、2人の間にヒタッと化け物が着地する。
「くッ!!」
化け物がまず目を付けたのはカルロスで、仰向けに倒れた彼に向かってそれはギラリと光る鋭利な爪による引っ掻き攻撃を繰り出す。だが負けじと寸でのところで転がって避けると体勢を立て直し立ち上がり、ちょうど机にあったスタングレネードを手に化け物に向き直った。
——が。
「ああぁああぁぁあッ!!」
あの時雪崩れたのは化け物だけではなかった。
3体のゾンビが倒れているジェイデンに群がり、噛み付いてまさに肉を食いちぎろうとしている。その光景を目にし、フラッシュバックのように脳裏に流れたのは長く戦場を共にした友人達が同じようにゾンビ達に食い破られる様だった。
「……ッ!こなクソッ!!」
気が付けばスタングレネードは手から離れて宙を舞っていた。反射的に目を硬く瞑り耳を塞げば目蓋越しでもフラッシュが焼き付くようで、それが収まった隙に目を開きジェイデンを囲むゾンビを拳で蹴散らしてから彼を抱え上げ、当初逃げ込むはずだった扉の中へと素早く滑り込んだ。
「はは……まさか、男にお姫様抱っこされる日が来るとは思わなかったぜ」
「ああ、俺もだ。しかもする側だなんて」
この怪我でも軽口を叩けるのは人がいるからだろうか。ジェイデンはカルロスから手当てを受けながらぼんやりと考える。逃げ込んだ扉の向こうではゾンビの呻き声が聞こえ、彼が何をしたかは分からないが恐らくその場凌ぎの策である事が窺えた。
「なぁ、俺はゾンビになっちまうのかな」
巻かれた包帯に滲む赤黒い染みを見てぽつりと漏らす。噛まれたのは右の二の腕と左の太腿、そして左脇腹。幸い肉は持っていかれなかったものの、尋常でない顎の力による噛み跡は未だに痛む。
ゾンビに噛まれるとゾンビになる。それはこの数日で学んだ知識だ。これを治療する薬はなく、噛まれた正常な人間はウィルスに蝕まれる感覚に恐怖する事しか出来ない。
「ならない。お前はならないよ」
脇腹の処置を終えたカルロスがポンポンと励ますようにジェイデンの両肩を叩く。その優しい声音は仄暗い絶望に取り込まれそうな彼にとって唯一の救いだった。
「実は俺が保護した生存者の中には、噛まれたのにゾンビにならない奴がいたんだ。まだ小さな女の子なんだけどな」
カルロスはきっと今頃は地下鉄で安全な場所にいるであろう少女の事を思い浮かべ、ニッと笑ってみせる。
「もしかしたら、お前もそうかもしれないだろ?」
きっとあの少女は、このウィルスに元から強い体だったのだと思う。残念ながら彼女以外でそういう人間は見た事がなく確率的に低いのかもしれないが、それでもその可能性は捨てきれない。力なく笑っている彼に希望を与えたい。その一心だった。
「……そうかい。そうだったら、いいなぁ」
「そう思っとくんだよ。案外そうなるかもしれないぜ?」
嘘でも本当でも、彼がジェイデンを気遣ってそんな話をしたのは事実だ。
それを受けたジェイデンの顔に微笑みが戻ったのを見て、カルロスもまた安堵した。
「よし……分かったよ。S.T.A.R.S.のオフィスに案内してやる」
休息もそこそこにジェイデンが立ち上がりそう切り出すのを見るや、カルロスも心配そうにすぐに立ち上がる。
「そんな!無理しなくていい。それに、俺はまだ……」
まだ用件を言っていない。そもそも、バードの護衛役と思しき彼とここまで来るつもりではなかったのだ。
なのに、彼は先程のカルロスと同じようにニッと笑ってみせた。
「あんたはいい奴だ。オフィスにいる奴にオイタはしないって信用してもいい」
イテテ、と脇腹を押さえながらも反対側の扉まで歩き内鍵を外すと少しだけ開いて外の様子を窺う。
「痛いけど噛み傷だけだしなー。話はオフィスに着いてからでもいいよ」
パタリと扉を閉めてカルロスを振り向き、その向こうを指すようにちょいちょいと指を向ける。
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫。感染してたとしても猶予はある。案内くらいは出来るはずだ」
今度はカルロスが心配そうな表情を見せていたので、先程とは立場が逆のようだと内心苦笑しながらジェイデンは笑みを作った。
「早い方がいいだろ?お互いにさ」
時間は無限にあるわけじゃない。それに、経てば経つほどこの事態は悪くなる一途だ。
嫌な予感がする。
今のこの瞬間を切り抜けても、一寸先は闇が広がって何も見えない心地だった。
けれども、絶望に喰い殺されるのはだけは御免だ。ならば足掻いて、抗って、ほんの一欠片でもいい。希望をこの手に収めるしかない。
扉から見える薄暗い廊下は、いつもより長く見えるような気がした。