あれから1ヶ月近くが経った。
7月も後半でいよいよ夏の暑さが襲来している。昼夜問わず暑く、ひとたび外に出れば汗が滴り落ちる。
メアリーは関門突破を目指し、長期休暇を利用して猛勉強をしていた。全てはウェスカーとの約束を果たすために。
『パパ、私S.T.A.R.S.になるから!』
あの日帰ってから1番に父に電話を入れた。相変わらず留守電だったが、あの日だけはそうメッセージを残していた。
あれからも父から連絡はないままだが、成績が向上したのを見れば専門の学校への進路も考えてくれるかもしれない。
リリィに勉強に付き合ってもらったり、図書館へ足を運んだり、メアリーの長期休暇は充実していた。
「うーん……」
ラジオを流しながら、メアリーはこの日の夜も自室の机に向かって勉強に励んでいた。
ウェスカーの言った通りアークレイ山地は全面的に封鎖され、一般市民は近付く事すら出来なくなっている。夜も警備が敷かれ、S.T.A.R.S.も調査に駆り出されているという。
ジルやクリスに専門知識を教わりたかったが、彼らにそんな時間はない。時々行きつけのバーガーショップで姿を見掛けたが、2人とも疲れたような、難しい顔をしているのが見えて声を掛けられなかった。
「みんな頑張ってるんだ……私も頑張らなきゃ」
いつかは自分もみんなの役に立てるようになりたい。
パチッと頬を叩いて目の前のノートに集中する。中1の後半で習うような数式が並んでいた。
その時だった。
「……!!」
バン!と外で何かが弾けたような音が聞こえた。
気になってカーテンを開けると、夜明け前の薄暗い空に煙が立ち上っているのが見える。
その煙を辿っていくと、アークレイ山の中腹辺りから火の手が上がるようにチカチカした光があるのが見えた。それはものの数十秒の間に次から次へと拡散していく。
ただの山火事じゃない。
メアリーは直感するとすぐに家を出た。
こんな早朝ではバスも走っていない。メアリーは自転車で人通りの少ない通りを全速力で駆け抜けていた。
ここから山までは自転車で行けばかなりの時間が掛かるが、気にしている場合ではない。体力の限界まで走ると決めた。
そうして時間を掛けて山の近くまでようやく辿り着くと、既に警察や消防隊、マスコミが数多く押し寄せていた。
「何してるんだキミ。危ないから子供は帰りなさい」
様子を見ようと自転車に跨りながら背伸びをしていると保安官の制服を纏う男に追い立てられてしまった。
このままでは近付く事すら出来ない。
メアリーは迂回するように人目を避けられる場所まで再び自転車を走らせた。
「この辺りでいいかな……」
ようやく自転車を降りてスタンドを立てるとキープアウトと書かれたテープの下を潜って山へ入る。
絶対に危ないのに。それなのに、足を止められなかった。
(山はもう封鎖されてるのに火事になるなんて、やっぱりこの山には何かあるんだ!)
凶暴化したドーベルマン。
山から降りてきたであろうと報じられていた一家惨殺事件を起こした暴徒。
今回の山火事。
そして何より、騒ぎが大きくなる前に見回りという名目で山に立ち入っていたアルバート・ウェスカー。
整合性があるようでないような、奇妙な出来事ばかり。
あれから勉強に夢中で調べる事をやめていたが、ずっと胸の内で燻っていた。
焦げ臭い匂いが山を登っていくたびに濃くなっていく気がする。この暑さは季節のせいか、火元が近いからなのか分からない。それでも歩みを止められなかった。
「!!」
その時、少し先の木の影から何かがドサリと倒れ込んだ。それは人の形をしていて、メアリーはすぐに駆け寄る。
「……ッ!隊長!?」
S.T.A.R.S.の文字が刻まれたタクティカルベストを纏い、金髪のオールバックの男は暫く会う事のなかった自分の想い人だった。
サングラスは掛けておらず、青い瞳が弱々しく光っていた。
「隊長!しっかりしてください!」
その場に座り込み、やっとの思いで彼を抱き起こすとまだ辛うじて意識があるようで浅く呼吸を繰り返していた。
「ああ……君かね」
ウェスカーは今にも泣きそうなメアリーの頬に手を伸ばして慈しむようにそこを撫でた。その手を彼女が握ってみると、冷たく感じてそれがまた涙を誘った。
「たいちょ…っ、これは……」
彼の体を見ると腹部からの出血が激しく、吐血もしていて嫌でもその命があと僅かしかもたない事がわかる。
耐えきれずに零れた涙が、彼の顔に落ちた。
「……少し、しくじってしまってな。俺はもう、無理だろう。……君は早く山を降りるんだ。何が起こるか分からない……俺ももう、この体では君を守れない」
ウェスカーはその涙を指で拭ってやった。メアリーの彼の体を抱く腕には力が籠る。
「私は…っ、隊長の事が大好きでっ……隊長の役に立ちたくて……っ」
嗚咽混じりの声が無意識にそう紡いだ。
「知っている……っぅ」
彼は必死で笑顔を作ったが、腹部の傷が痛むのかそこを手で押さえた。
目の前で好きな人が死に掛けているのに、少女には何も出来ない。悔しくて歯痒くて仕方がなかった。
「迎えに行けなくて……すまなかったな……っ」
その言葉はまだ12歳の少女の胸を締め付けた。
メアリーは彼の体をぎゅっと抱き締める。
「私……絶対S.T.A.R.S.に入りますから。絶対みんなの役に立てるようになります、隊長の分も…っ!」
ウェスカーはそれを聞き、彼女の背中に手を回して優しくそこを撫で叩くと彼女から体を離した。
「君なら出来る。……さぁ、もう行きたまえ」
「っ…!何処に行くんですか!」
彼は弱々しく立ち上がり、山の中へ行こうとそちらに足を向ける。彼女の制止の声に振り向くと、口許に微笑みを浮かべた。
「君に情けない姿は見せられない……最期まで、君の1番でいさせてはくれないだろうか」
真っ赤に泣き腫らした少女。
自分の事を好いてくれた少女。
たった数回しか会っていないのに、思い出はたくさんあった。
メアリーは涙を指で拭い、自分も立ち上がってウェスカーの姿をしっかりとその目で捉えた。
「……いつまでも忘れません。大好きです……っありがとうございました」
彼女は頭を下げてから、振り返らないように山を駆け下りていった。
その様子を完全に姿が見えなくなるまでウェスカーは腹部を押さえながらその場で待機する。
「……とんだ三文芝居を打ってしまったな」
そうしてからスクッと彼は背筋を伸ばす。
洋館を脱出する前に打ち込んだ未知のウィルスのおかげで、彼は死ぬどころかタイラントに負わされた傷の痛みすら感じていなかった。押さえていた手を取ると、傷は完全に塞がっていた。
あの少女は本当に自分を慕ってくれている。だからこそあの芝居が通用したし、利用価値がある。
(しかし姿を見られてしまうのは想定外だった。やはりここで始末するべきだったか。……いや。)
ウェスカーは山を下りながら考える。
ここであの少女を逃してしまってよかったのだろうか。
しかし何かに思い当たると、顎を撫でさすり目を細めた。
(……迎えに行く日は近いぞ、メアリー)
彼の目は赤く、爛々と光っていた。
メアリーは何時間も掛けて家に帰ってくると、真っ直ぐ自室に入り服を脱ぎ、下着姿で布団を被った。
道中、時折視線を感じたのは自分の格好があまりにも泥だらけだったからだろう。布団を汚したくないという思考がまだ隅にあった事には自分でも感心していた。
しかし、色々ありすぎて何がなんだか分からない。
ここが現実世界なのかどうかすらも。けれども1つ、はっきりと分かるのは、もうウェスカーには会えないという事だった。
「……ッ」
自分は何も出来なかった。ただただ、最期までウェスカーに気を遣わせてしまっただけだった。
死際の彼の姿を思い出して、また涙が溢れた。自分が無力である事が悔しくて仕方がなかった。
もっと勉強して、もっと強くなって、もっと役に立てるようにならなければならない。
なのに今日はもう、動く気力すらない。加えて嗚咽が漏れるばかりで、呼吸も苦しい。
外は朝日が昇りきって眩しい朝を迎えているというのに、彼女の心は暗く沈んで、朝なんてもう来ないように感じられた。