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真っ暗な空間に突如手を叩く音が聞こえた。
その音を辿ると、金髪をオールバックにしサングラスを掛けた男が立っている。
「よくここまで辿り着いたな。褒めてやろう」
口許に愉快そうに笑みを浮かべるその人物の名を呼ぼうとしたが、息を呑むばかりで声が出なかった。
「さぁ、私と共に来たまえ」
男はグッと私の腕を掴んで引っ張る。途端に私はバランスを失い体が勢いよく傾いた。
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ハッと目が醒める。
床に座り込み、ベッドに突っ伏しながら眠っていた視界は、何故だか薄暗く感じた。
「夢……?」
メアリーは寝起きでボーッとした視界に部屋の様子を映す。机が扉の前に移動していて、その扉は穴が空いていた。
さっきのは夢でも、現実は現実のままだった。
ベッドの上に転がしたラジオを音を最小にしてからベッドを背もたれにし、電源を入れてチューニングを合わせる。
『はい〜、お送りした曲は"夢で終わらせない"でした〜。いやぁ、改めて聴くと本当に良い曲ですよね〜。なんで私がこの曲が好きかと言うとですね〜』
ラジオからは間延びした暢気なDJの声が聞こえる。聴くのもそこそこにダイヤルを回してラクーンのラジオ局にチューニングを合わせる。
「…………」
マイクの電源が入ったままなのか、ゾンビの唸り声が聞こえる。
一体この差はなんなんだ。まるでラクーンシティだけ違う世界のようだ。またダイヤルを回すと、全国局からは原子力発電所の事故でラクーンシティが封鎖状態になっているというニュースが流れていた。
が、あの窓から見える光景は原子力関係の事故などとは思えない。大体、何故その事故でスタジアムの暴動事件が起こるんだ。あまりの訳のわからなさにメアリーは頭を掻き毟る。
新聞と同じで、情報操作が行われている事は明白だった。
「今はいつなの……」
虚ろな掠れ声を絞り出し、再びラジオのダイヤルを回す。
クローゼットに入れていた避難用具のおかげで、水と保存用の食料はまだ手元にあった。ゾンビの引っ掻き傷の応急処置も、そこに入っていた簡単な医療道具で何とか出来た。
だが、疲労だけはどうにもならない。
自分の部屋は広いわけでもなく、加えて家の中ではゾンビが徘徊している。1日に何度か扉を加減なしに叩かれて、それに対抗するために机ごと扉を押さえていたので、精神的にも肉体的にも疲労が絶えなかった。
『えー、9月27日。時刻は午後9時をお知らせ致します』
ああ、どうりで暗いわけだ。
ついでに日も経ってる。
メアリーはペットボトルの水で口の中を潤すと、今後について考え始める。
「とにかく……ジルに会わなきゃ。でもどうやって……」
家の中も外も、ゾンビが徘徊している。だがここでずっとこうしているわけにもいかないだろう。
「それに、リリィも心配……」
あの日電話越しに聞いた親友の声。怯えきったあの声がまだ鼓膜に残って響いているように感じる。
「私だって怖いよ……でも……!」
膝を抱え込み、溢れてきそうな涙を必死で堪える。食料も水もいずれ尽きる。どの道外へは行かなければならない。
メアリーはゆっくりと顔を上げて決意を抱くと、リュックにスクラップ帳と水と食料と包帯を入れ、窓の下を見る。玄関の軒ならここから足が届きそうだ。届かなくても、怪我をするような高さではない。
リュックを背負い窓を開け、枠を乗り越えるとつま先で軒を触る。もう少し身を乗り出して片足が完全についてから、窓から完全に出て軒に降りた。
「よし……あとは怪我さえしなければ」
リュックを背負い直し、下を見る。飛び降りるのは足を挫いてしまいそうだったので、軒にぶら下がるように掴まってから地面に降り立つ。玄関の扉は既に機能しておらず、家の中に倒されたまま放置されて招かれざる客を家に上げている様子だった。
「……もう帰れないね」
ぽつりと呟く。
そうして上手く家から脱出すると、ジルに会うために、そして親友の無事を確認するために、メアリーもラクーンシティを奔走する事となった。
しかしやはり、外の状況は地獄のようだった。
メアリーは息を切らしながら崩れた建物の陰から道路の様子を見る。ゾンビの数があまりにも多すぎる。まずはリリィの家まで行って彼女の無事を確認したかったが、至るところに奴らが待ち受け牙を剥いてくる。喰いつかれでもしたら、ひとたまりもない。
「動きが全体的にゆっくりだけど……囲まれたら無理かも」
個々のゾンビは全速力で走って逃げれば襲われる前に撒ける。だが複数人で退路を塞がれたら手も足も出ないだろう。運動は出来る方だと思っていたが、この数では常に全力疾走しているようなもので、休める場所がなければ判断を誤りかねないと思っていた。
道も分断されていたり、瓦礫がバリケードのように積み重なっていたりで迂回を余儀なくされ、実際リリィの家からはどんどん遠ざかっているのも事実だ。もうどこに向かって走っているのかも分からない時が間々ある。
「ッ!!」
通りの様子を確認し一歩踏み出そうとしたその時、背後からあの呻き声が聞こえて振り返る。
目と鼻の先に爛れた顔があって驚くのも束の間、それの振り回した腕が体に当たりバランスを崩してうつ伏せに倒れ込んだ。
「〜〜ッ……!!」
瓦礫とガラスの散らばった刺々しい地面。足も腕も痛い。
怯んでる暇なんてないのに。痛みと恐怖で思うように体が動かない。
やっとの思いで体を起こしたが、その視界には既に腕をこちらに伸ばすゾンビの姿を捉えていた。
が、次の瞬間、何かが弾けたような音が響いた。
それは複数回鳴った後、ゾンビが前のめりに倒れてメアリーの足元に死体を晒す。
「!生存者か!?」
次いで男の声が聞こえる。正面からじきに姿を現したその男は、メアリーの前に腰を落とすとその頬に手を添える。
「顔色も体温も良好……私が分かるか?名前は?」
屈強な体つきで頭に軍帽を被った男は映画でよく見るような軍人の装備をしていた。
その男の背後からもう1人銀髪の、似たような装備を付けた男が顔を覗かせ、彼もまた腰を落とすとメアリーの手を握る。
「ほう、確かに生きているな……」
「え、あ、あの……」
突然体格のいい男2人に囲まれおろおろとしていると、2人は周囲の安全を目視した後にメアリーに向き直る。
「申し遅れたな。私はアンブレラのバイオハザード対策部隊、D小隊隊長、ミハイル・ヴィクトールだ」
「同じく、D小隊B分隊隊長、ニコライ・ジノビエフだ」
軍帽の男——ミハイルと、銀髪の男——ニコライが名乗る。
「え……アンブレラ……?」
メアリーは目を見張った。
あのアンブレラの部隊がここに投入されている?
バイオハザード対策部隊という事は、この事態の鎮静化を図っているのでは?
この事件の背後にはアンブレラがいるとばかり思っていたが、この妙に噛み合わない事態はなんだ?
「まだ混乱しているようだ……無理もない。傷の手当てをし次第、拠点に向かう」
「ああ。私はカルロスと連絡を取る。ニコライは彼女の手当てを」
「了解」
ミハイルは立ち上がると自分達に背を向け、無線機でどこかに通信を入れ始めた。
「よく生き延びたな。あのゾンビ共は喰らう事で仲間を増やしていくのだよ」
ニコライが少女の傷に適切に処置を施していく。それを少女はぼんやりと見つめていた。
「あのゾンビ共に死に至らしめられた連中は、すべからく同じようにゾンビになった。噛み傷や引っ掻き傷程度でも感染するのだから、君も気を付けた方がいい」
彼らはその惨状をその目で見たようだ。どこを走っても彼らのような生きた軍人は今まで見かけなかったので、この2人は命からがら生き残ったのだろう。
だが、メアリーの頭に響いたのは後者の言葉の方だった。それと同時に、家の中で負わされた引っ掻き傷を思い出す。
途端に表情が強張った彼女に疑問符を浮かべつつ、やがてそれを見つけるとニコライは冷ややかな視線を彼女に向ける。
「……まさか君、これ以外にも手負いという事はないな……?」
袖口から見えた包帯を、ニコライは指先で撫でた。
サッと青ざめる感覚になる。
自分も奴らと同じになるのか?
もしそうなるなら、この軍人達に自分は殺されてしまうのだろうか?
「包帯は少し前のものだな。……いつのものだ?」
「こ、これは……」
ドクドクと心臓が跳ねる音が聞こえる。
彼の背後ではミハイルがまだ通信機で連絡を取っている。通信機の調子が良くないらしく、彼が奮闘しているのを確認してから、ニコライは青ざめる彼女にそっと囁いた。
「大丈夫。他の奴らには内緒にしてやろう」
様子からしてゾンビに傷を負わされた事は間違いない。
少女は震える声でニコライに耳打ちした。
「24日です……」
「そうか……そんなに前なのか」
正直に打ち明けたメアリーを褒めるように頭を撫でてやる。
「あの、私……」
「大丈夫だ。今ゾンビにならない薬を塗ってやろう」
そんな都合のいいものはないが。
ニコライは彼女の包帯を取ると至って普通の塗り薬を傷口に塗り付けた。
一方のメアリーは気が気でなかったが、謎が謎を呼ぶ事態にやはり頭の中は混乱状態だった。
「ニコライ、やっとカルロスと連絡が取れた。生存者を連れ、拠点で彼と合流しよう」
「了解。さ、立てるか?」
いつのまにか手当ても全て終わったようで、今は十分な武装が整っている様子の彼らに身を委ねようと、メアリーはそちらに意識を集中させる事にした。
ニコライが伸ばしてくれた手を取り、なんとか立ち上がると彼らが拠点を置く車両基地へと足を向ける事となった。
車両基地にはラクーンシティを走る路面電車が収納されている。リリィの家もその近所なので、もしかしたら寄らせてもらえるかもしれない。
ミハイルが先行し、間にメアリーを挟んでニコライが後方を走る。これならば少女を無事に拠点まで運べるだろう。
しかしメインストリートに差し掛かると、警官や民間人の死体が大量に転がっていて思わず息を呑んだ。
「この数は相手に出来ん…!起き上がる前に抜けるぞ!」
恐らく全て感染者だ。
ミハイルはそう判断してメインストリートの横断を速めるよう後ろ2人にも指示をし、走り出す。どうか起き上がらないでくれと、ものの数秒の事なのに必死で祈った。
だが、このラクーンシティに救いの神など存在しないのかもしれない。
「……!!」
足音で目覚めたのか、感染者達が次々と起き上がってくる。中には這いずってまで捕食しようとする者までいた。
「走れ!!」
ミハイルが横断し終えた先で振り返る。しかしストリートの中腹辺りでメアリーが足を縺れさせて派手に転んだ。
それをニコライが後方から小脇に抱えるように回収したが、その一瞬でゾンビと彼らとの間が狭まる。
「おおおおお!!!!」
ミハイルはこちらにゾンビの気を向けるためか、雄叫びを上げながらアサルトライフルをゾンビの群れに撃ち込む。
その狙い通り、一部のゾンビはミハイルの方に群がり始める。
「ミハイル!!」
ニコライはハンドガンを抜き、メアリーを抱えたまま彼に群がったゾンビの頭を撃ち抜いていく。
しかし既にハンドガンで捌けるような数ではなかった。
「くっ……!!」
このままでは全員死ぬ。ニコライはすぐそこにある市庁舎の頑丈そうな鉄の門を視界に入れると、少女をその門の中に放る。
「うわっ!!」
「しっかり閉めていろ!すぐに合流する!!」
メアリーは地面に打ち付けられた痛みで表情を歪めたが、言われた通り門を閉め、銃声の響く向こう側を背に座り込んで耳と目をギュッと塞いだ。
それは長いような短いようなフワフワとした時間だった。
銃声と呻き声が止み、トントンと門を叩く音が聞こえるとメアリーはそこをゆっくりと開ける。
「……!!ミハイル!!」
姿を現したのは、腹部に重傷を負ったミハイルとそれを支えるニコライの姿だった。
その姿を見て、山火事の日に見たウェスカーの姿がフラッシュバックする。
弱々しい光を宿した揺れる瞳。
ミハイルも吐血しており苦しそうな表情を晒していた。
「拠点はすぐ近くだ。このまま進むぞ」
ニコライも相当数のゾンビを相手にして疲れているようだ。覚束ない足取りのミハイルに肩を貸し、彼はほとんど引きずるように拠点を目指す。
こんな状態の彼らを見て、放っておけるわけがない。メアリーが反対側からミハイルを支えると、ニコライは驚いたように彼女を見る。
「絶対ミハイルを助けましょう…!」
少女がニッと笑い掛ける。彼女の力では彼を支える事も儘ならないだろうに。
ニコライは力強い言葉とは裏腹に、ほとんど変わらない己への負担にフンッと鼻で笑ったが、この極限状態の中でもそう思える根性だけは認める事にした。