ゴンドラの唄   作:時緒

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宿痾の兄弟を十八歳差にすると都合が悪いのでもうちょっと年齢は詰めます。
アシュヴァッターマンも彼らとどのくらい年違うんですかねー。よくわからん。


04.疑惑

 バラモンという名前を、私は高校世界史のレベルでしか知らない。

 バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ。そしてカースト制度。これはインドの歴史を学ぶときに一番最初の方で出てきたワードだ。スクールカーストなんて呼称も定着してるくらい、カーストの悪名は世界中に轟いていた。あれ法律で禁止されてるのに今も残ってるらしいね。怖い怖い。

 

 ただ――私の知っているインドの昔はどうか知らないが、この世界のヴァルナ(カースト)では、トップになればなるほど裕福で何不自由なく暮らしてる、というわけでもない。寧ろ国を治める王族・戦士のクシャトリヤの方が規模の差こそあれ全体的に羽振りが良く、托鉢で暮らすバラモンは時に乞食呼ばわりされたりもする。

 

 ……いや、私も内心では思ってるけどね?

 特に三歳のヴァスシェーナに余計な誓約させやがった奴はマジ許さん。五体満足なら何でもいいから働けと言いたい。ていうか言う。

 

 幸い、あれから特に沐浴中(無理言って私が見張ってることもあってか)ヴァスシェーナに何か無茶ぶりしてくるようなバラモンは現れていない。現れたら口を開くより先に砂にしてやる自信があるけど、そうならないのは多分いいことだ。多分。

 

 おっと、話がそれた。

 

 今更語ることでもないと思うけど、私は自分が嫌な人間だっていう自覚はある。性格悪いな、と自分で呆れることもある。ヴァスシェーナにこういうところ、似て欲しくないなと思うくらいには自己嫌悪しつつ、それでも私はこの悪辣さを直そうと思ったことはない。

 

 親からの無償の愛とか、命は平等とか、大人が助けてくれるとか、お金より大事なものがあるとか、夢は信じれば叶うとか、努力は必ず実を結ぶとか。

 

 そういうキラキラした希望を信じるには、私の人生はちょっとばかしハードモードすぎた。私より不幸な人間なんぞ山ほどいただろうが、少なくとも私は私の尺度で決して幸運でもなきゃ幸福でもなかった。

 

 とはいえ。

 とはいえ、だ。

 

「うぁあ、ああ、あー、あーっ」

「ああ、私の息子、可愛い我が子よ、どうかそんなに泣かないでおくれ」

「ああぁあんっ、あーっ」

 

 お使いの途中、道端でバラモンに遭遇した。これだけだったら遠くから視認してすぐ回れ右するところだったが、今回はちょっと事情が違った。

 どうみても親子連れだった。

 父親は筋骨たくましいものの脂肪が無さすぎて逆に枯れ木みたいになった身体で、手を繋いでいる赤毛の子供もガリガリだ。布の間から覗く旨にはあばらが浮いていて、何だか見ているだけで可哀そうになる。

 

「……」

 

 バラモンは嫌い。めーっちゃくちゃ嫌い。

 働ける手足があるのに人にモノを乞う。やろうと思えばこの時代、幾らでも仕事はあるのにそれをしない。それを疑問にも思わない。馬鹿じゃねーかと思う。それで偉ぶってるんだから世話がない。祈ったって腹が膨れるわけじゃないのに、願ったって金が手に入るわけでもないのに。

 

 でも。でも、だ。

 

「これ、どうぞ」

「えっ」

「その子にどうぞ。私、お腹いっぱいなので」

 

 子供は関係ないよ。

 働くにはその子は小さすぎる。大きくたって、こんなに痩せてちゃ何も出来ない。

 おなかがすくのは、つらいことだ。

 

 仕事に行った父親と一緒に食べるために持ってきたパンを、私の分だけ押し付ける。カロリー消費が激しい父親の食事に手を付けるわけにはいかないけど、私の分だけならまあ何とかなるだろ。子供だしね。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 その場しのぎの善意って残酷だよね。馬鹿みたいだ。でもなんか堪らなかった。その時だけでも腹が膨れれば、もしかしたら生き延びた数日で食い扶持が見つかるかも知れない。運よく祭事に出くわしたりしてね。

 大昔、あんな風に外でめそめそしてた私に気紛れで恵んでくれた誰かがいたから、私だって二十歳まで生きられたんだ。

 

「ま、まって!」

 

 子供の呼び止める声を無視して走る。

 何度でもいうけど、バラモンは嫌いだ。クシャトリヤも嫌いだけど、バラモンほどじゃないと思う。これからも好きになることなんかない。

 

 でも、やっぱり子供は関係ない。

 

「お父さん、お昼持ってきたよ」

「おお、ありがとうアールシや。お前もお腹が空いただろう、一緒に食べよう」

「……ごめん、実は道端でつまみ食いしちゃって。これはお父さんの分だけ」

「そうなのかい? ……いや、やっぱりお前も一緒にお食べ。一人だけの食事は味気ないからね」

「……ありがとう」

 

 わらしべ長者っていいよね。渡したわらしべがすぐ別のものに化けて戻ってくるの。うらやましくて仕方ないけど、現実はそうはいかないって嫌ってほどわかってる。幸い空腹感はそこまででもないし、父親の厚意に甘えてちょこっとだけパンの端っこを摘まませて貰うことにする。

 

 それにしてもさっきの子供、気のせいじゃなかったら額にでっかい石が埋まってたな。あの子も神様の子なんだろうか。だとしたら神様ってのはアレだね、子供産ませるだけ産ませてアフターケアもしないのがデフォルトなのか。寝て起きるたびに滅茶苦茶痛いこむら返りになればいいのに。

 

「ところで聞いたかい、アールシや。パーンドゥ陛下の婚儀がこの度決まったそうだよ」

「ふーん」

 

 パーンドゥ……っつーとアレか、名前の通りなんかいつみても滅茶苦茶顔色の悪い国王陛下か。ふーん、あっそ。滅茶苦茶どうでもいいわ。

 いやある意味ではどうでもよくないね。こういう祝い事があると上の連中が結構散財したり減税してくれたりするからね。

 

「お相手のクンティー様は大層美しく、そして聡明、明るく朗らかであらせられるとか。これはめでたいことだ。そう思わないかい」

「……よかったね」

 

 これで小麦の値段がちょっとでも下がったら諸手を上げて歓迎しますとも。

 

「それに、クンティー様はかのドゥルヴァサ仙からマントラをお授かりになっているそうだよ。パーンドゥ様がリシに呪われてしまったと聞いた時はどうなることかと思ったが、これで後継ぎの心配もなくなってさぞ安堵されることだろう」

「……マントラ?」

 

 って何? たまにゲームとか漫画とかで出てくるけどよくわからん。

 あと「かの」ドゥルヴァサとか言われても全くピンとこない。誰なんだそれは。

 

「ああ、いや、」

 

 首を傾げる私からあからさまに視線を逸らす父親。

 おい、話題の切り方が不自然すぎるぞ。

 

「その、すまん。アールシにはすこし、すこーし早いというか……ははっ」

 

 あっ(察し)。

 なんかわかりました。よくわかんないけどアレだ、シモいやつだ絶対。何だろうね。クルの王様が特殊性癖で奥さんがそれに応えられるとかそういうやつかね。

 アブノーマルプレイが我々下々にまで伝わってるとかかーわいそー(棒読み)。

 

「なんだい、おやっさん。教えてやりゃァいいじゃねえか」

 

 酒臭い息が風に乗って臭ってくる。誰かと思えば飲んだくれで馬にも同僚にも嫌われている父親の仕事仲間だった。コイツ前にも馬を一度逃がしてたけど何でクビにならないんだろう。あと私とか他所の奥さんにセクハラするのやめてほしい。砂にしてやりたくても父親の前だから出来ないんだよね。

 

「クンティー様はなァ、マントラで神々とまぐわえるんだよ」

 

 父親が止める間もなく、酒臭いそいつはあっさり答えを投下した。あっさりしすぎて自分の耳を疑ったくらいだ。

 

「へ?」

「だーかーらァ、ヤれるんだよ! 神様と! どーんな神でも思い浮かべるだけで呼び出せて、一晩付き合って貰えんだとよォ!」

 

 うらやましい、とか俺だったらあの女神と、なんてそれこそどっかで神様が聞いてりゃ頭から雷を落とされそうなことを言う男を余所に、私の思考は別方向に向いていた。おろおろする父親を適当に宥める間も、頭の中が全然違う方向にグルグル回転して止められなかった。

 

「お父さん、私先に帰るね」

「ああ、気を付けて」

 

 多分、人の好い父親は、私が男の下品さに嫌気がさしたのだと思っただろう。

 完全に間違いってわけではない。でも、すごく些末だ。

 

 神様を呼び出す。しかもただ呼び出すだけじゃなくまぐわ……要するにセックスが出来るってことは、だ。

 

 呼び出すのが本当に神様かって問題はおいとくとして、この時代、そんなものを呼び出してまさかただヤる目的ってわけじゃないだろう。そんな下品で生産性のないマントラ? が存在するわけない。娯楽目的のセックスなんて適当に見眼麗しい愛人でも囲えばいいんだからさ。

 

「ただいま」

 

 クル王の結婚。嫁入りするクンティーとかいう女。その、マントラとかいうもの。

 

「おかえり、あねうえ」

「ただいま、ヴァスシェーナ」

 

 母親より先に出迎えてくれる可愛い弟を抱きしめる。少しまた伸びた背、あまり太くならない身体。真っ白な髪からは生臭さとは無縁のミルクみたいな匂いがする。

 

「……」

 

 この子は、私が川で拾った子だ。赤ん坊ひとり、箱に詰めて流されていた。私が見つけなくても誰かが見つけていたかも知れないけど、もしかしたらそのまま溺れ死んでいたかも知れない。拾った人間がまた捨てたかも知れないし、売り飛ばしたかも知れないし、虐待したかも知れない。

 

 箱はきちんとしたつくりで、売ったらそれなりだった。中に入っていた布もそうだったし、おくるみはきめ細かな絹だった。金のある家の奴が捨てたってことは、ずっと前からわかっていた。

 

「あねうえ?」

「……」

 

 確証は無い。まだ何も。

 でも、可能性はある。

 

「あねうえ? どうした?」

「……ごめん、苦しかったね」

 

 いつもならもっとすぐ離れてる私がへばりついたままになったせいで、ヴァスシェーナは何とか私の顔を覗き込もうとしてくる。ええいやめろ。大人しく抱き枕になっておれ貴様。

 ……なんてね、冗談冗談。

 

「どうした、あねうえ。かおがへんだぞ」

「残念。姉上は生まれつきこの顔だ」

 

 ナチュラルボーン失礼な弟にデコピンを見舞って一旦頭を切り替える。取り敢えず今日の仕事を片付けよう。ぼけっとしてても頭だけ動かしてても仕事は片付いてくれないんだから。

 

 とりあえず針仕事を片付けよう。穴の開いた父親の衣服を繕っておくよう母親に頼まれていたのを忘れてた。ちなみにその母親は留守らしい。買い物か水くみか分からんけど、まあどうせ働いてるんだからいちいち気にしない。うちは家族総出で働かないととても暮らしていけない火の車一家です。

 

「あねうえ、あねうえ」

「なに?」

「ひどいかおだ」

「うるっさい!」

 

 ほんっとに失礼だね、お前は!

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさい、お父さん」

「おかえりなさい」

「ただいまアールシ、ヴァスシェーナ」

 

 父親が帰ってきたのは陽が沈んでからだった。LEDどころか蛍光灯も豆電球もあり得ないこの時代、生きている人間は陽が昇ると動き出して陽が沈むと家にこもる。獣も危ないからね。子供はもう少し一日のサイクルが短くて、寝ている時間が長い。私もそうだ。日の出とともに起きだすとか勘弁してほしい。基本夜型なので。

 

「アールシ、さっきは悪かったね」

「んーん。気にしてないよ」

 

 申し訳なさげな父親はまだ顔が晴れないけど、私は本当に気にしてない。元々セクハラ耐性は不本意ながら身に着けてたし、クシャトリヤのペド野郎に襲われたときのことを考えたら臍が茶をわかすレベルでしかない。

 ほんっとあのペド野郎一瞬で死にやがって。どうせ余罪あるんだろーが末代まで苦しめ。

 

「なにかあったのか?」

 

 不思議そうにするヴァスシェーナ。無難に「お隣の王様がお妃さまを迎えるんだって」とだけ伝える。

 

「なんだっけ、お父さん。お嫁さんの名前」

「クンティー様さ。いい機会だからちゃんと覚えておいで」

「はーい」

 

 そうだね、忘れちゃいけない。

 

「あねうえ?」

「ん?」

 

 忘れずに、確かめなきゃいけないよね。




情報規制もクソもない時代、本人たちの口からどんどん伝播して呪いやらなにやらの噂は広まったんだろうなと。
ていうか伝承になってる時点で不特定多数に広まってるよね。ってことで。

カルナさん(子)に悪意が無いのも意図してることも先に分かってるからいちいち物言いを指摘しないオリ主。指摘しないから改善されずこのままになります。ウケる()

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