あと一話続きます!!
月明かりと星明かりってのは意外と昏い。コンタクトとお友達だった前世の私なら夜道なんて何も出来ずじっとしていることしか出来なかっただろう。幸いこの世界には目に悪い光なんてものはないし、そもそも目を悪くする要因が(栄養失調以外)何も無いので特に問題はない。
今視力検査とかしたらかなりイイ数値出そうだなー。まあ私なんかよりヴァスシェーナのがヤバいんだけど。あの子は本当に訳が分からんくらい視野が広いし視力が良い。私が道の向こうにちょっと点で見えるかな、っていう遠距離でも向こうは私を認識してくる。真面目にどうなってるんだほんとに。
それはさておき、王宮到着しました。此処までは何も問題なし。
仕事中の飲酒、余所見、居眠りなんて二十一世紀日本じゃ懲戒免職待った無しだけど、この世界は意外とそうでも無い。特にこういうめでたい時は、実際に何かが起こらない限りおとがめ無しってことも珍しくない。まあ本当に何が起こったら全員首切られる(物理)ことも多いんだけど。
「……よし」
明かりを避けてまずは中庭に入り込む。周りが暗いのと私が小さいのと、あとは祭りのあとで浮かれている兵士は私に気付かない。私もできる限り息を殺す。自分をその辺りの壁や草木と同じモノだと思い込むようにして。
「こっちかな」
中庭と王族の住まいは繋がっている。そして存外空き部屋が多い。人が使っていない部屋は気配が無いからすぐ分かる。そんでもって、出産を終えたばかり経産婦の世話はそりゃあ手厚いはずだ。
ってなわけで、まず向かうのはそっち側……じゃなくて一番近い水場だ。身体を拭くにしても飲むにしても水は絶対にいる。流石に子供産んだばかりの女性に酒を飲ませるようなことはないはずだしね。
「……妃様……って」
「もう用意……から…………で」
「じゃ……持って……わね」
おおっとビンゴ。ありがたい。
水をたっぷりためた容器を抱える女官の背後を取って、数メートルの隙間を空けてついていく。流石に近すぎるとバレる。
詰め所に入って女官の服でもかっぱらうべきだったかな。そしたら新米ってことでうっかり見つかっても誤魔化せたかも?
……思ったより見張りが手薄だな。浮かれすぎじゃない大丈夫? いや好都合なんだけどね。
「クンティー様、失礼致します」
はい、部屋分かりましたどうもありがとう。
思ったよりあっさり見つかったなー。子供向けの冒険譚じゃねーんだぞこっちは。好都合だけど。好都合なんだけど!
なんか見えない糸に引っ張られてるようないやらしさを感じるわ……あーやだやだ。早く帰りたい。
「それでは、わたくしはこれで」
おっ早かったな。
女官が部屋から離れていくのを見計らい、扉に耳を当てる。そんなに分厚い壁じゃなくて良かった。誰かが話すような声、動き回る物音は聞こえない。経産婦がそんなうろちょろ出来るわけないし、王妃がそんな落ち着きが無いはずもない。
ていうか普通、部屋の前に見張りって立たないんだろうか? 女の部屋の前に男がいるってのも問題なんかねー……お偉い人の考えることはわからんわ。
……よし。
「こんばんは、クンティー……様。良い月夜ですね?」
うっかり敬称つけるのを忘れるとこだった。普段から欠片も敬ってないとうっかりこういうトコで出しちゃうんだね。うん。
正直な第一印象は「思ったよりずっと若い」だった。
肉感的な美女、と称していいと思う。黒い肌は如何にも艶っぽく、黒い髪も天使の輪がくっきりしていて手入れが行き届いている。瞳も黒くて大きい。ぼんきゅっぼん、って感じのスタイルは如何にも官能的だ。
あとあの寝間着? 多分絹だよね……うーんさっすが金持ちは違うね! 要らんけどな絹のパジャマとか! どうせ寝るだけなのにな!
「だ、誰……?」
うんうん、まあ聞きたくなるよね。でも無駄話をする気はないの。
「ただの小市民にございます。それよりクンティー様、この度は第一子のご出産、まことにおめでとうございます」
「あ……ありがとう?」
「ええ、本当におめでたい。聞けばパーンドゥ陛下はリシの呪いにより女の身体を抱けぬ身であるとか。クンティー様とそのマントラがこの世に存在していたことはまさに幸運でございました。……ところで」
我ながら寒気がする科白だ。ていうか口調が偽物過ぎて自分のことなのに誰おまって感じ。あー早く帰りたい。帰って寝たい。
「此度お生まれになったお子様……本当に第一子なのでしょうか?」
「っ……!?」
お? びくっとしたね今。
「な、何……なんの……?」
視線がウロウロしはじめる。唇から血の気が引いた。……これは、うん。多分。
「言葉のままです。今回生まれたのは正義の神との子……ですがその前に、そうですね、五年、六年……まだ娘時分であった頃などに、もう一人くらいお産みになってはおられませんか?」
たとえば。
「そう、たとえば太陽神……スーリヤ様の御子だとか」
ガシャンッ。
色黒なのに蒼白という奇妙な顔色になったクンティー妃がブルブル震え始める。あーあー、折角くんで貰った水も零しちゃって勿体ない。
ああ、でも間違いない。
あの子の、私の弟の、ほんとの母親は……。
「だ、誰か!! 誰か来てぇ――!!」
って、おい。
おい。
「曲者よ!! お願い誰か来て!! 殺されるっ……!!」
ふざっけ、おい、……おい!
ふざけんなコラ! このクソ女!
「誰かぁああ! はやく! おねがいはや、きゃあ!?」
あー子供の腕力が憎らしい。なんて言いつつ床に落ちた盥をぶん投げる。怯んだけど当たらなかった。くっそ子供の腕力とコントロール駄目だこれ。
「クンティー様!!」
「王妃様! ご無事ですか!?」
あーあ、タイムリミット。あと出口塞がれた。こりゃ駄目だ死ぬかも。
「なんてな!」
ガクブルしてる馬鹿女の横をすり抜けて窓から飛び出す。大人じゃどうにもならないけど、子供なら何とかくぐり抜けられる大きさの窓だ。この外は中庭だからこのまま闇に紛れられる。夜行性の蛇にさえ気をつければなんてことはない。
それにしても……。
「あーあ、くそっ、マジクソ。しね。あの女しね。歴史に刻まれるようなこの上も無く恥ずかしい死に方しろ。クソが」
ぼそぼそと悪態が止まらない。もはや呪いでもかけてるような気分だ。でもどうにもならない。お腹の中で悪いモノがぐるぐるして止まらない。むかつく。むかつく。むかつく。むかつく。
あの女、全然顔は似てなかったけど間違いなくヴァスシェーナの母親だ。じゃなきゃあんな反応は出来ない。噂の「ありがたーいマントラ」とやらでスーリヤ神と子供を作って、そんでもってそのまま捨てたろくでなしの女は絶対にアイツだ。
……理由は多分、当時未婚だったから。
ヴァルナの身分制度は勿論、この世界の女は本当に肩身が狭い。私はもう常識とか基準が違ってるから我慢出来ないのは当然としても、それを差し引いたってこの世界の女は根本的に『男の所有物』だ。
だから女は結婚するまで処女が当たり前だし、うっかり性犯罪になんか遭おうものなら傷物として絶対に縁談なんてこない。それだけならまだしも、傷物だからもう何をしても大丈夫、とばかりにクソ野郎どもの便所にされる子だっている。
「……はっ、」
まあこれは極端な例だけど……でも、ある意味上流階級の女ってんなら余計にそういう体面は重要視されるだろう。出来心で訳の分からんマントラとやらを試して後に引けなくなって、でも未婚の母になってどうしよう……ってパニクった気持ちは、まあ、わからないでもない。
でも、それだけだ。
「は、は、は、は……はー、はー、はー……っ」
怒りが止まらない。
憤りが止まらない。
悔しくて堪らない。
哀しくて仕方ない。
ああ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。
「っ、ぅ、うう……っ」
走って、走って、でも家に帰りたいと思えない。
どんな顔をして帰れば良いんだろう。たとえみんなが寝ていたままでも、こんな顔のまま朝、いつも通り過ごせるわけがない。
たとえ寝顔だけでも、今はヴァスシェーナの顔を見たくない。
「………………で、此処か」
走って、走って、走って……被ってた布を小脇に抱えて、辿り着いたのは川だった。暗くて黒くて足場もはっきりしないけど、月のお陰で辛うじて水面が分かる。眼が良くなって良かった。前世の私ならこのまま足を滑らせて溺死していただろう。
……遠くに来たんだなあ。ほんとに。トラックにぶっ飛ばされて八年、こんな訳の分からない常識が常識の世界に。
「つめたっ」
夜になると流石に川の水は冷たい。ああ、あの盥かっぱらってくれば良かった。売ったら身元がばれそうだけど、他に使いようはあっただろうに。
……川は別に深くない。
もうちょっと真ん中の方に進んでも、せいぜい私の膝上くらいだろう。でもこの深さでもうっかり転んだら危ないし、私が知らないだけでもっと深いところ、流れが速いところもきっとあるはずだ。
あの女、綺麗な顔と身体だけはご自慢だろうあの王妃。
未婚の母になるのが怖かった、きっとそうだと思う。でも。
じゃあ、なんで川に流した?
ただ捨てるだけなら良かった。野犬に狙われる危険は拭えないけど、でも必ず誰か人間が見つけていただろう。もっと言うなら。敢えて遠くに置いておいて、素知らぬ顔をして自分が拾う、なんて芸当も出来たんじゃないだろうか。あっちの事情なんて何も分かってないから、無理と言われちゃ否定は出来ないけど。
でも、だとしてもなんで川に流した?
人間が溺死するには、たった五センチの水深があれば十分……っていう注意喚起のニュースを見た覚えがある。たった五センチあれば、うつ伏せの人間はそのまま水を飲んで溺れ死ぬ。成人でもそうなら、赤ん坊なら言うに及ばない。
箱に詰められた赤ん坊を川に流したら、拾われるより先に死ぬ可能性の方がずっと高いじゃないか。
ねえ、クンティー、綺麗な王妃様、幸せいっぱいの王妃様。
アンタ、それが狙いだったわけ?
あの子に、ヴァスシェーナに死んで欲しかった?
積極的に殺す勇気も無く、勝手に目の届かないところで死んでくれって、そう願ってたってわけ?
「…………ざけんな」
ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!!
勝手なことを! してんじゃねーよ!! お前が産んだんだぞ!! たとえ望んでなくても! お前が産んだんだろうが!!
「なん、で……っ」
連日のお祭りだって、溢れんばかりの捧げ物だって、祝福だって、本当はあの子にも受け取る権利があるはずなのに!!
『しあわせになろうね、ヴァスシェーナ』
幸せになる? 一体どうやって?
上も下もガチガチにヴァルナで固められたこの世界で、あの子がこの先食べ物に困らなくなる可能性はどれだけだと思ってる!!
御者の家に拾われたあの子が、クシャトリヤの王子と同じくらい幸せになれる可能性がどれだけあると思ってる!!
「うあ、あ、っあ……っ」
あのお綺麗な王妃様の横っ面を張り飛ばして言ってやりたい。
育てる気も育てさせる気もないなら、なんでひと思いに殺してやらなかったって!!
「っ、あ……」
ひたすらに水面と、時折水底の石を殴りつけていた手を掴まれた。ぐい、と引っ張られた先に、白い顔ひとつ。
「ヴァ……」
「探したぞ、姉上」
こんな夜更けに何してる。
「…………寝てたんじゃないの、お前」
相変わらず引っ叩きたくなるくらい抑揚の無い声と表情で。
血の繋がらない弟は、感情の分からない眼で私を見下ろしていた。
こんなこと言いつつオリ主も思考回路は結構外道。
やってることもたまに外道。
とはいえ「カルナは黄金の鎧がある限り死なない」ってことにまだ気づいていないのでこのくらいのキレ芸はあり得るかと思ってます。