2020/02/15 赤ペン先生による表現の手直しを適用。一部表現をわかりやすくしただけで、内容は変わってません。
「悪役令嬢」。
それは、「僕」の記憶の中にあった言葉の一つ。彼が好んでいたサブカルチャーで、ある期間にたびたび登場した物語形式の名称だった。
読んで字のごとく、物語の主人公と対立する、悪役のご令嬢を差す言葉。だけど「僕」が見た物語では、少々意味合いが異なっていた。
彼女たちは、確かに主人公視点から見たら「悪役」であった。だけど、主人公たちこそが彼女たちにとっての「悪役」であった。
「悪役令嬢」の言動は、基本的に彼女たちの文化に則ったもので、外から見れば非情に見えても、実態は模範的なものであることが多かった。それを、主人公たちが、彼らの都合で断罪する。
「僕」の見た物語の「悪役令嬢」は、断罪を逃れて成り上がったり、復讐したり、あるいは主人公サイドを捨てて平穏に生きたりする者たちだった。
なぜ今その言葉が頭に浮かんだのか、ぼく自身のことながら理解できなかった。
確かにぼくも、コトリさんも、「令嬢」ではある。だけど「悪役」の要素は――表にも裏にも――ないはずだ。
ホームルームが終わり、1限が始まるまでの短いフリータイム。ぼくやヒロトで御曹司や令嬢というものに慣れているクラスメイトに囲まれたコトリさんを見て、ぼくは先ほどの思考を整理していた。
ちょんちょん、と背中を指で叩かれる。カノンちゃんだった。
「大場君の又従兄妹とか言ってたけど、エリカちゃんも知り合いなの?」
「はい。大場の集まりで、何度かお話もしました」
神崎コトリ。以前ぼくを通してヒロトを侮辱した彼のいとこ伯父・神崎イサムの娘。ぼくたちと同い年で、父親とは違い嫌味がなく、気品に満ちた女性であったことが、記憶に残っている。
だけど彼女は、確か全寮制の名門女子高に通っているとか聞いてたんだけど……。
「なんでここにいるのかは、ぼくも知りません。理由如何では、本人に尋ねれば教えてもらえるでしょうが……」
「……うーん。あたしはなんか、あんまりあの子と仲良くしたいと思えないのよね。勘だけど」
「いい人、なんですけどね」
カノンちゃんが不穏なことを言う。彼女の勘はとてもあてになるから……今回ばかりは外れてほしいと願いたい。
ヒロトは、ぼくたちと同じように、コトリさんを中心とした和から少し離れたところで彼女を見ていた。その表情は、険しい。どうやら彼も、なぜコトリさんがいるのか、知らないようだ。
休み時間が残り少なくなれば、次の授業の準備で人はまばらになる。あらかじめその辺を終えておいたぼくは、「やだなー」と言いつつ付き添ってくれるカノンちゃんとともに、コトリさんに歩み寄った。
「……なんでいんの?」
だけどぼくたちより先に、険しい表情のままのヒロトが、詰問するような調子でコトリさんに尋ねた。
対するコトリさんは、上品にクスクスと笑う。
「お久しぶりですね、ヒロトさん。前回会ったのは年末の会合だから、もう半年近く前になるのかしら」
「質問に答えろ」
「……レディに対する態度ではありませんね、減点ですよ」
やれやれ、と余裕を崩さず首を振るコトリさんに、ヒロトは苛立ちを募らせた。
ぼくは彼をなだめようとし――昨日までとは立場が違うことに気付き、差し出そうとした手を引っ込めた。
「なぜ、と言われましても。編入したからとしか言いようがありません」
「そうじゃねえ。全寮制の名門校に通ってるお前が、そこそこレベルが高いとはいえ、いくつか格を落とした学校にわざわざ編入してきた理由を聞いてんだ」
「そんな、自分の通う学校を悪し様に言わなくても。いい学校だと思いますよ、ここ」
「質問に答えろ」と、荒らげそうになる声を抑えながら、再度問いかけるヒロト。……隣にいられないというのが、ここまでハラハラすることだとは思わなかった。
コトリさんはそれでもなお、「しょうがない子ね」と落ち着いて。
「少々事情があって、向こうの学校を出たんです。それで、しばらく編入先がなくて宙ぶらりんになっていたところに、大伯父様にここへの編入を、昨晩勧められたのですよ」
「会長さんが?」
思わず声に出た。コトリさんとヒロトの視線を受け、ハッとして口をつぐむ。カノンちゃんがぼくの前に出て、守るように立ちはだかった。
コトリさんはニコリと笑い、――それが何故か、ぼくには捕食者の顔に見えて、背筋がゾクリと震えた。
「ええ。ヒロトさんとエリカさんの婚約に問題が発生したから、もしものときのために、私もヒロトさんのそばにいろ、と」
どよめき。カノンちゃんにしか教えていなかったことが、一気にクラス中に広まる。冷たいものが背筋を駆け抜けた。
何人かの男子が立ち上がり、こちらに詰め寄ってきた。
「え、どういうこと!? もしかして大道寺さんの婚約、なくなったの!?」
「チャンス到来かよ! エリカちゃん、俺と付き合ってくれぇ!」
「ふざけんな、やめろバカ! 俺の方が先に目ぇつけてたんだからな!?」
「はぁ、はぁ、……エリカちゃんとカノンちゃん、尊いぃ……」
「ひっ!?」
獣のような眼光にさらされ、あまりの気持ち悪さに悲鳴が漏れる。なんか一部変なのがいたけど、それも含めて気持ち悪い……!
立ちすくんでしまったぼくの前に、カノンちゃんが素早く立ちふさがる。制服のポケットから腕輪を取り出し、それを素早く手首に装着した。
「そこまでよ! それ以上エリカちゃんに近づいたら、あたしの魔法が火を噴くわよ!?」
「くっ、日村さん! こいつは強敵だぞっ!」
「魔法(物理)使いの日村さん! その腕前は、空手三段!」
「ワザマエ! でも魔法は正直下手だよね」
「はぁ、はぁ、……エリカちゃんを守るカノンちゃん、尊いぃ……」
「やかましいわぁ!」とカノンちゃんが魔法を発動させ、水球を正拳突きで弾き飛ばし、3人+1人の顔面に当てる。……確かに、魔法(物理)だよね、これ。
一応これはカノンちゃんなりの手加減であり、本気で人を殴ったら怪我をさせてしまうので、ああやって水魔法を緩衝剤に使っているのだとか。十分痛そうだけど。
「いてて」と言いながら、男子たちは引き下がる。……一人だけ相変わらず荒い息を吐きながら「尊いぃ」とか言ってて、意味が分からなかったけど。
直近の危機が去り、改めてコトリさんを見る。彼女は……変わらず見惚れるほどの――だけどどこか寒気を感じるような笑みを、浮かべていた。
「……つまり、お前が爺さんの言ってた、新しい許嫁候補ってことか?」
お昼休み、屋上にて。ぼくはヒロトとともに、コトリさんに呼び出された。カノンちゃんも心配してついてこようとしたけど、面子的に考えて彼女は部外者だ。気持ちだけを受け取ることにした。
ぼくとヒロトの婚約破棄の保留。それは、ヒロトが新たな婚約を成立させることで、破棄確定することになったそうだ。今、コトリさんの口からそう聞いた。
「そうなりますね。財閥の未来を考えたら、妥当なところではありません?」
「……まあ、な。爺さんの考えは、わからないでもない」
――ままあることだ。近しい血縁で婚姻を結び、組織の結束を強める。血が濃くなるというデメリットはあるものの、他に選択肢がない場合は、むしろ有用な手段となる。
それにヒロトとコトリさんは、6親等。確かに血のつながりはあるけれど、ほとんど他人と言っていいぐらい離れている。財閥のような大きな一族でもなければ、面識がないことだってありうる距離だ。
ぼくとの婚約が破棄となるならば、財閥視点で見れば、何ら問題のない婚姻だろう。……認めたくは、ないけれど。
「昨日の今日で仕事早すぎだろ……こっちは気持ちの切り替えもできてねえっての」
「あら。婚約破棄はあなたが言い出したことだって、大伯父様からは聞きましたけど?」
「それと気持ちの整理は話が別だろ。しかも……こんな話をエリカに聞かせやがって」
ちらりとぼくを見て、ヒロトは頭をガリガリかく。……そうだよね。ヒロトは、ぼくとの婚約の話は、したくないんだよね。
だけどそんなことは関係ない。ぼくはまだ、あきらめていないんだから。
「コトリさんは、納得しているんですか。……ヒロトとの婚約について」
ヒロトの隣でない、一歩引いた位置から、彼女に尋ねる。ぼくの知る限り、コトリさんがヒロトにそういった感情を持っているということは、なかったはず。
ぼくの問いに、彼女はにこりと微笑む。
「納得しているからここにいるんですよ、エリカさん。そもそも、私にとって婚姻というものは、あまり大きなものではありませんから」
――神崎という家は、過去に婚姻によって、大場財閥に組み込まれた商家だ。そこにどのような思惑があり、当事者たちにどのような感情があったのかはわからない。
だけど少なくともコトリさんは、「令嬢の結婚」というものはそういうものだと割り切っていた。ぼくには、とてもできそうにない。
「こちらからも尋ねますが、ヒロトさん。あなたは、私との婚約はお嫌かしら?」
「……正直言って、あんまし嬉しいとは思わねーな。俺、お前のこと苦手だし」
っ。思わずヒロトを見てしまう。ヒロトは、コトリさんとの婚約に乗り気ではない。じゃあまだ、ぼくが巻き返すチャンスはあるはず……。
ぼくとヒロトを見て、コトリさんはクスリと笑う。
「本当に、なんで婚約破棄だなんて話になっているんだか。とはいえ、私も手ぶらで帰るわけにもいきませんし、ヒロトさんのハートを射止める努力はさせてもらいます」
「お前のそういうところが苦手なんだよ……」
「ぼくはまだ、婚約破棄に同意なんてしてません。ヒロトが勝手に言ってるだけですから」
コトリさんをけん制するべく、はっきりと宣言する。彼女は「あら」と、初めて本気で驚いた表情を見せた。
「エリカ、お前まだそんなことを……」
「ヒロトは黙ってて。今はまだ、ヒロトと上手くしゃべれないから……」
「あらあら、うふふ。なるほどなるほど、よくわかりました」
ぼくとヒロトの短いやり取りで、コトリさんは何事かを納得した。
これで話は終わりらしい。彼女は踵を返し、階段の方へ向かう。その途中。
「そうそう、エリカさん。うちの父が余計なことを言ってしまったみたいですけど……私は、今のあなたの方が素敵だと思いますよ」
そんな言葉を残して、彼女の姿は階段に消えた。
屋上に、ぼくとヒロトだけが残される。しばしの間会話はなく、春の風が吹く。少し、肌寒い。
「……お前のためを思うならさ」
ヒロトが口を開く。ぼくの方は見ず、その視線は空を向いている。
「あいつとの婚約、受けた方がいいんだよな」
「……うん、なんて言わないよ。ぼくは、そんなのは嫌だ」
「なんでだよ。俺との婚約を破棄した途端、無理しなくなったじゃねーか」
「まだ破棄してないよ」
「言葉のあやだ」とヒロトは訂正した。絶対に、破棄なんてさせない。
「そんなことはないよ。ただ口調を少し変えただけで、今の方が無理してる。ヒロトが暴走したときに止められないのって、結構クるんだよ」
「っ、だから。それが無理してるっつってんだろうが。なんでいちいち俺の一挙手一投足を、お前が気にしなきゃならねえんだよ」
「ぼくが、そうしたいから。ヒロトと一緒に、楽しい学生生活を送りたいから。そのためにぼくたちは、ここを受けたんだよ」
「だったら! お前はお前でちゃんと学生生活を楽しめよ! 俺が楽しめるかどうかばっかに気を使ってたら、肝心のお前がおざなりになるじゃねえか!」
とうとうヒロトが声を荒げる。だいぶ我慢させてしまったみたいだ。
でもぼくは、かまわず続ける。
「楽しめてるよ。ぼくの楽しみは、喜びは、いつもヒロトと一緒だから」
「~~~っ、バカヤロウ! バカエリカ!」
耐えられないと言うように、彼もまた、走って屋上を後にした。
ぼく一人だけが、屋上に残された。
ふぅ、と空に向けてため息をつく。思ったよりも気を張っていたらしく、昨日ほどではないけれど、体が重く感じた。
ヒロトが言い出した婚約破棄、それに対するぼくの抵抗。そして、コトリさんの登場。一日にも満たない時間の中で、いろいろなことがありすぎた。
ヒロトの言うとおりであり、ぼくも感情の整理が追いついてない。覚悟は決めたけど、まだ恐怖のような感情が残っている。……コトリさんを見た瞬間に、それを自覚した。
コトリさんは言わば、大場会長さんに送り込まれた「対抗馬」だ。ぼくとの婚約破棄を確定させ、財閥の結束を強めるための刺客。
彼女は、ヒロトとの婚約に肯定的……とは言えないまでも、決して否定的ではなかった。そうである以上、何らかのアクションは起こすだろう。
コトリさんは魅力的な女性だ。ぼくのような幼児体型とは違って。もしそれで、ヒロトの心が傾いてしまったら。あるいは、ぼくを切り離すために、彼女を受け入れてしまったら。
「……させない。絶対、そんなこと」
怖気づく心に喝を入れる。ハンディキャップなんて、初めからわかりきっていたことだ。それを理由に諦めるぐらいなら、最初から抗うことなんてしていない。
奪われるぐらいなら、ぼくが奪ってやる。たとえそれをヒロトが望まなかったとしても。ぼくが、ヒロトと一緒にいたいのだから。
「……おーい、エリカちゃーん。お話終わったー……みたいね」
「カノンちゃん。迎えに来てくれたんですか」
「やっぱり心配でつい、ね。大丈夫だった?」
「はい。……放課後、詳しくお話します」
階段のところから顔をのぞかせたカノンちゃんに連れられ、ぼくもまた、無人の屋上を後にした。
「悪役令嬢」。それは、ぼくからヒロトを奪おうとするコトリさんに対してそう思ったのではなく。
ヒロトの意志を無視して彼を手に入れようとする、ぼく自身を示していたのかもしれない。
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息を切らせ、廊下を走る。真面目な教師に「廊下は走るな!」と怒られるが、それに反応を返すことすらできなかった。
誰もいない場所。校舎裏の花壇。この季節は日の光が差さないため、あまり人が寄り付かないそこまでたどり着き、俺は校舎に背を預けて座り込んだ。
「はぁ、はぁ……っ。なんで、あんなこと言うんだよっ……!」
湧き上がるマグマのような感情。今まで抑え込んできたものが溢れ出してきて、噴火を起こしそうになる。
あと一歩屋上を去るのが遅かったら、俺はエリカを抱きしめていたかもしれない。組み敷いて、欲望のままに抱いていたかもしれない。そしてきっと、彼女はそれを笑って受け入れてくれるだろう。
ガリっと指を噛む。息を整えながら、痛みで感情をねじ伏せる。鎮まれ、鎮まれ……。
しばらくそうして、午後の予鈴がなる頃。ようやく俺は、平静を取り戻した。
「……俺だって、そうだよ。一番楽しかったときが、どんなときだったかなんて……」
――どれだけ気のせいだって言い聞かせても、本当はわかっていた。俺にとって何が一番か。誰が一番か、なんてことは。
何も思っていないなら、抑え込む必要なんてない。苦しんでまで決断をする必要なんかない。大切だから、苦しいんだ。
喜んで婚約破棄を提案したわけじゃない。そんなこと、あるわけがない。できるなら今すぐ撤回してしまいたいぐらい、エリカに対する想いが胸を貫く。
だけど……それじゃダメなんだ。それはエリカのためにならない。あいつは、俺なんかに構わず、もっと先に進むべき人間なんだ。
「なのに……、っ、なんでお前まで、……!」
なのにエリカは、それでもなお俺の隣にいようとする。突き放したのに、そんなこと知るかとばかりに寄ってくる。そこが自分の定位置だと言わんばかりに。
それをうれしいと感じてしまった自分が……彼女が自分を好いてくれているのではないかと思ってしまう自分が、浅ましくて嫌になる。
そんなことあるはずがない。彼女自身が言った。「男よりは女の方が好きだ」って。自分が彼女に本気で好かれるなんて、あるわけがない。
――それこそ、あいつの隣にいるのは、日村の方がふさわしい。今朝だって、俺より早く、日村がエリカを守っていた。
クラスのバカどもがエリカに詰め寄ったとき、俺はとっさに動こうとして、できなかった。婚約破棄を言い出した俺が、何を根拠にエリカを守れる。そう思ってしまい、動けなかった。
だけど日村は躊躇なく動いた。魔法を使用し、その後教師に「教室で魔法を使うな」と怒られ、発動媒体の腕輪を没収された。俺にはそんなことできない。あいつの方が……エリカを、守れる。
「……結局、ダメなままじゃねえか。俺は……」
俺がエリカに好かれる? エリカが俺の隣に立ってくれる? ……うぬぼれるなよ、バカヤロウ。俺程度で、あいつとつり合いが取れるわけがない。
たった一回守れた程度で、調子に乗るな。一体今まで何度、俺の知らないところで、俺はエリカに守られていた。それがどれだけあいつを苦しめた。
身の程を知れ。――エリカに恋をする資格なんて、俺にはない。
「探しましたよ。こんなところにいたんですね」
どれぐらいそこでじっとしていたかわからない。既に日は傾いており、午後の授業は全部サボってしまったようだ。
声に顔を上げると、今朝方編入してきたばかりの又従兄妹が、斜陽に照らされ立っていた。
「まったく。財閥の跡取りともあろう人が、2コマも授業をサボるなんて。大伯父様が知ったら、お怒りになりますよ?」
「……その程度で怒るタマかよ、あの爺さん。何の用だ」
「親戚が行方不明で、心配して探しに来た……と言ったら、信用します?」
できるか。こいつは、外面はいいが、中身はそんな殊勝な人間じゃない。切るべきものはあっさり切り捨てる、恐ろしいほどに冷酷な女だ。
それこそ、「愚鈍すぎて使い物にならない」という理由で、実の父すら切り捨てるほどだ。ほとんど他人の親戚を心配なんてするわけがない。
無言で懐疑の視線をぶつける。コトリは、それには一切堪えた様子を見せず。
「じゃあ、こう言いましょうか。……エリカさんがとても心配していたので、お節介を働きにきました」
「っ」
俺を、揺さぶりに来た。一瞬表に出てしまった反応だけで、奴は察して、大きなため息をついた。……だから苦手なんだよ。
「本当に、なんで婚約破棄なんて血迷ったことを言い出したんです? 率直に言って、私が入り込む隙間なんてありませんよ」
「……うるせーよ。こっちにはこっちの事情があるんだ」
「どうせ、大した事情ではないでしょうに。……はあ、貧乏くじだわ。自業自得だけど」
やれやれと肩をすくめるコトリ。こいつの独り言の意味は分からないが……事情を知る気も起きない。
コトリは居住まいを正すと、視線を冷たくして俺を見た。
「とはいえ、大伯父様の指示ですので。一応のアプローチはしておきますね」
「だからそういうのは思っても言うなよ……。……で?」
「私と、一つ賭けをしませんか?」
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結局あの後、ヒロトは戻ってこなかった。コトリさんも放課後になると、すぐにどこかへ行ってしまった。
ぼくも、ヒロトを探そうかと思ったけど……今の彼は、多分望まない。一人になって、気持ちを整理していることに間違いはないはずだ。
そこへ彼にとっての動揺のタネがのこのこ顔を出すというのは……いくらヒロトを手に入れると決意したからといって、無理強いをするのは違う。
だからぼくは、後ろ髪をひかれる思いで、カノンちゃんと下校した。駅までの道すがら、コトリさんから聞いた話を伝えた。
「……といった感じの大場財閥会長さんからの指示で、コトリさんは編入したそうです」
「うーん……ドラマの中すぎてついていけない……」
一般家庭の子でそういうことになじみのないカノンちゃんは、理解はできたものの、実感が伴わずに混乱した様子だった。
ぼくはしばらく黙って、カノンちゃんに情報整理の時間を与えた。
「……つまりあの子は大場君の婚約者の座を狙いつつ、大場君には興味がない、ってこと?」
「婚約者すら狙ってるとはとても思えませんでしたけど。おおむね、その認識で間違いないでしょう」
「いみわかんない」
カノンちゃんは大げさに肩をすくめた。コトリさんはまさに「住んでる世界が違う」んだろう。
「それでなのかなー、あの子と仲良くしたくなかった理由。言ってみれば、エリカちゃんの敵じゃない」
「どう、なんでしょう。ぼくには、コトリさんがぼくと敵対しているようには、思えませんでした」
一応、会長さんの指示には従う姿勢を見せてはいたけど、あまり乗り気であるようには見えなかった。むしろ、あれは……。
「なんなんだろなー」と空を仰ぐカノンちゃん。彼女の中では、まだコトリさんに対する警戒心が強いらしい。悪い人ではないんだけどなぁ。
「ま、あの子に関しては別にいいわ。あたしはエリカちゃんが元気でいてくれれば、それでいいんだし」
「あはは。カノンちゃんは、ぼくのことが大好きですもんね」
「言うじゃない、このこの~」
ほっぺたをプニプニされる。ぼくもカノンちゃんのことが大好きなので、お相子だ。
伝えるべきことは伝えた。カノンちゃんも、もう質問はないらしい。話題が切り替わる。
「それでっ! 明後日、待ち合わせどうする?」
朝の話の続き。彼女が、ぼくを食べ歩きに連れて行ってくれるという話だ。
また事態が推移してややこしくはなっているものの、今のところぼくにできることと言ったら、事あるごとにヒロトに婚約破棄反対の意志を伝えるぐらいだろう。
まだヒロトのそばにいることはできない。だから、カノンちゃんのお誘いを断る理由はなかった。
「そうですね。カノンちゃんの家って、うちと反対側でしたよね」
「そうだね。うちの方が学校には近いけど。でもそっちの近所も、ある程度は開拓してあるよ」
「それはまた今度にしておきましょう。今のぼくは、さっき聞いたあんみつの気分なので」
この学校の近くにある和菓子屋さん。こじんまりしていて目立たないものの、そこのあんみつは絶品だとカノンちゃんは評価した。隠れた名店というやつだ。
「おっけー!」と彼女は元気よく承諾する。待ち合わせの場所は、学校の最寄駅となった。
「時間は、あんまり早くても困るよね。10時ぐらいでどう?」
「11時ではどうでしょう。先にランチをして、それから和菓子屋さんの方が、気兼ねなく食べられませんか?」
「あ、そっか。あたしは平気だけど、エリカちゃんにはきついか」
食いしん坊のカノンちゃんなら、あんみつのあとにお昼も普通に食べるのだろうけど、小柄なぼくは相応に食が細い。一応、見た目よりは食べるって言われるけど。
「じゃあ11時ね!」と言って、カノンちゃんは反対側のホームへ続く階段をかけ上った。ぼくは手を振り、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。
「ちゃんと楽しまないと、カノンちゃんにも失礼ですね。……よし!」
明後日は、いったんヒロトのことを忘れる……は無理にしても、極力意識しないようにしよう。そう誓いながら、バッグからステッキ(一般家庭向け)を取り出し、物陰に向けて振るう。
小さな爆発。「ギャッ!?」という悲鳴とともに、怪しげな恰好をした男が一人、黒焦げになって倒れる。
ぼくの素性を知らず、D電機社長令嬢という情報だけで悪だくみを働こうとした愚か者だろう。これまた久々に見たものだ。
「ちゃんと情報は集めましょうね、誘拐未遂犯さん。貴族に手を出したら、命がいくつあっても足りませんよ」
「き、きぞく……そんなの聞いてないよ~……」
最後の力でか細く残し、男は気を失った。ぼくは鉄道警察を呼んで、男の身柄を確保してもらった。
以前――中学に入る前は、こんな輩の襲撃を受けることが、頻繁ではないけれど、そこそこはあった。そのたびに、小さいころは母が、高学年になる頃には自分自身で、撃退していた。そしていつしか見かけなくなった。
貴族の血は、一般と隔絶した魔法の力を持つ。それは自衛手段にもなるわけで、だからこそぼくは、ぼくとヒロトは、こうして一般の学校に通うことが許可されたのだ。
ヒロトも、確かに強い魔法の力を持ってはいるけれど……それは一般レベルの話であり、貴族には遠く及ばない。自衛するにしても、限界はある。
だから……だからもし、ぼくとヒロトの婚約破棄が成ってしまったら。ヒロトはきっと、より安全の確保された財閥御用達の学校へ、編入させられてしまうだろう。
そんなのは嫌だ。婚約破棄は嫌だけど、ヒロトと離ればなれになるのは、もっと嫌だ。そんなことになるぐらいだったら……ぼくはきっと、自分の命か、この世界か。どちらかを破壊してしまうだろう。
だから、ヒロト。ぼくは君を逃がす気なんかないよ。コトリさんにだって、渡すもんか。
決意を胸に、鉄道警察の方々に礼をされて、ぼくもまた帰りの電車に乗り込んだ。
2日後の日曜日、学校の駅前で予定通りカノンちゃんと合流する。彼女は動きやすそうなTシャツとパンツルックの組み合わせ。彼女らしい快活な姿でやってきた。
制服のとき以上に豊かな胸部が強調されており、周囲の男性の目がカノンちゃんに集中していることがよくわかった。まったく、男って連中は……。
「お待たせー! エリカちゃんの私服、久々だけどかわいいわね!」
「こんにちは、カノンちゃん。カノンちゃんも、かっこよくて似合ってますよ」
ぼくがヒロト以外と私服姿で会うのは、私服の許される学校行事ぐらいでしかない。直近では高校一年生のときの学外研修だったか。半年以上も前だ。
ぼくの恰好は、春とはいえ肌寒いので薄手のブラウスにカーディガンを羽織り、下は暖色のフレアスカート。全体的に明るい色に仕上がっている。
――母にコーデを任せると、ゴスロリだったりとか、パーティドレスとかのコテコテ系ファッションにされてしまうので、割と早い時期から自分で服装を決めていた。
尊敬できる母ではあるけれど、ファッションに関してはぼくと相容れないセンスを持っている人だった。
「んじゃ、いこっか。先にお昼ご飯だっけ?」
「そうですね。ランチも期待してますよ」
「おっけー、任せて!」
ぼくはカノンちゃんに手を引かれて、休日の街へと繰り出す。何気に、人生初の経験だった。
カノンちゃんがぼくを案内してくれたのは、焼き野菜のおいしい隠れ家的イタリアンだった。
ここもまた隠れた名店だったらしく、お客さんは少なすぎず多すぎず。若干の喧騒はありながら、ゆったりと食べられる素敵な空間だった。
店の目玉の焼き野菜も、野菜をふんだんに使ったパスタやピッツァも、素材の味を生かしていてとてもおいしかった。
「しかもリーズナブル! エリカちゃん、感想はいかに!?」
「はい。非常に新鮮で、非常においしかったです」
「やったぜ。」とガッツポーズをとるカノンちゃん。うん、カノンちゃんのリサーチは本物でした。
店員さんはカノンちゃんのことを憶えていたようで、ぼくにも気さくに話しかけてくれた。ちょろっと教えてくれたところによると、農家さんと直接契約することによって費用を抑えているのだとか。
その性質上大規模展開は難しいだろうけど、こうしてお客の心をがっちりつかむことで、固定客を得ているようだ。そういうやり方もあるんだなぁ。
「ふむふむ、参考になりますね」
「あはは、そういえばエリカちゃんも商売人の娘だったね。規模が全然違うけど」
「ぼくは家の事業に関わらせてもらっていませんがね。パパの跡を継ぐ気もありませんし」
「あー……まあ、そりゃそうよね。……んー」
カノンちゃんが額に指を当ててうなる。なにか気になることでもあったんだろうか?
「あーっと、そのー……言っちゃっていいかな?」
「遠慮しないで言っちゃってください。もしまずいことなら、ぼくの方でストップをかけますから」
「あ、うん。……その、ね。もしかしたら大場君、そのことで気に病んでたんじゃないかなーって」
「……え?」
今日はヒロトの話はしない。そうぼくは思っていたのに、まさかのカノンちゃんの方から振られて、驚いた。
「だって、ほら。エリカちゃんって一人娘じゃない。そしたら、エリカちゃんのお父さんの跡は誰が継ぐんだろうって、気になるんじゃないかなーって」
「……多分、それはパパの会社で有望な人を育てるか、財閥から人材を紹介してもらうかだと思います。ヒロトが気にするようなことでは、ないと思うのですが……」
「だけど、ほら。D電機って、エリカちゃんのお父さんが一から立ち上げた会社なんでしょ? 他所の誰かに継がせるってなったら、許嫁の家族のことなら、やっぱり気になるんじゃないかな」
そう、なんだろうか。確かに、父とヒロトは良好な関係を築いていた。ぼくとともに遊び、何度も親睦を深めた。ぼくの考えうる限り、理想的な婿と舅(しゅうと)の関係だったと思う。
でも、それで父の会社のことまで気にかけるのだろうか。ぼくなら……せいぜいがアキトさんとユキさん、会長さんのことまでで、財閥までは気を回さないと思う。
ぼくの率直な感想を伝える。……でも、もしかしたら、ヒロトだったら気にかけるのかもしれない。カノンちゃんの直感は、確かに一理ある。
「あー……思いつきで言ったけど、あたしも「もしかしたらそうなのかなー」程度よ? なんか、ちょっとズレてる気がするのよね」
「……カノンちゃんって、ほんとすごい勘してますよね」
「あたしはこれだけで生きてきたからー!」と、話を切って快活に笑う。……そういうことなら、あくまで参考程度にとどめておくことにしよう。
それに。もしカノンちゃんの勘が外れていないのなら、ぼくはヒロトに嫌われたというわけじゃない。まだ、可能性が残っている。
彼女は、知らず知らずのうちにぼくに希望をくれたのだ。本当に……素晴らしい親友だ。
「ありがとうございます、カノンちゃん」
「ん? 何にありがとうなのかよくわかんないけど、どういたしまして! じゃ、そろそろあんみついこっか!」
「ええ。ぼくもそろそろ、お腹が落ち着いてきました」
カノンちゃんがくれた暖かな気持ちを胸に。今日は、彼女との休日を思い切り楽しもう。
そう、思ってたんだけど……。
「(……ちょっと、なんで大場君がここにいるのよ。しかも隣にいるの、神崎さんじゃない! どういうことなのよ!?)」
「(さ、さあ……ぼくにもなにがなんだか……)」
件の和菓子屋の前に、なぜか。本当になぜか、私服姿のヒロトとコトリさんが、連れだっていた。
思わず物陰に隠れてしまったぼくたちだったけど……後から考えると、隠れる必要はなかったかもしれない。
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「賭け、だぁ?」
わけのわからないことを言い出すコトリを、猜疑の目で見る。こいつ特有のもってまわったような言い回しは、やはり俺には合わない。
……エリカとの婚約をなくすためには、こいつと婚約するのが手っ取り早いのは確かだが。したくねぇ……。
俺のげんなりした表情がそこまで面白かったのか、コトリはクスクスと笑い、それがまた俺を苛立たせる。
「そう、賭けです。あなたが勝てば、私はあなたと婚約する。私が勝てば、私との婚約はなし。エリカさんとヨリを戻すなり、新たな許嫁候補を待つなり、お好きにどうぞ」
「……なんだそりゃ。俺がその賭けに乗るメリットがねーじゃんか」
本当に意味が分からない。俺は、別にこいつと婚約したいわけじゃない。こいつも結局、本心では俺と婚約をしたいわけじゃない。
だったら賭けなんて無意味だ。俺がわざと負ければいいだけの話。勝っても負けてもデメリットしかないなら、まだマシな方を選ぶだけだ。
「なんであなたのメリットを考える必要なんかあるんです? 言ったじゃないですか、大伯父様の指示に従って、アプローチをしているだけって」
「……てめえ」
いかん、いかんあぶないあぶないあぶない。キレるなよ俺、キレるな……。
「そもそも、別に私、あなたに男性的な魅力を感じているわけじゃありませんし。財閥会長夫人の座がほしいわけでもないですしねー」
「おう、そのケンカ買ってやるよ。杖を抜け」
こいつの態度に我慢が限界に達し、ポケットに仕込んだ飛び出し式のステッキを取り出す。別にこいつに好かれたいとか1mmも思っちゃいないが、いちいち言い方が癇に障った。
コトリは、俺がステッキを構えたのを見ても動かず、余裕を崩さなかった。
「私と魔法で勝負したら、きっと派手な騒ぎになるでしょうね。エリカさんが来ちゃうかも」
「……ほんっとにむかつく女だな、てめーは」
こいつもまた、魔法杖業界に強い大場の血族。つまりそれだけ魔法の行使に習熟しており、簡単に組み伏せるというわけにはいかない。絶対、大立ち回りになる。
特に俺の得意魔法がまずい。火の魔法は、どうしても見た目が派手になる。そうなれば騒ぎになるだろうし、……エリカは気付くだろう。
エリカを人質にされた形だ。舌打ちを一つし、ステッキを折りたたんでポケットの中にしまい直す。
「そういうあなたは本当にわかりやすい人ですね。……話を戻しましょう。これは、私にとっても賭けなんですよ。私としても、正直な気持ちを言えば、まだまだ自由の身でいたいですからね」
「だったら、最初から爺さんの話に乗らなきゃよかっただろうが。お前、何がしたいんだよ」
「……罪滅ぼし、ですかね」
ふっと、コトリは俺から視線を外し、哀愁を漂わせた。それ以上は語らず……俺も興味はなかったから、先を聞くことはしなかった。
「私は、大伯父様の指示を断れる材料がなかった。だからこうして、ヒロトさんとの婚約に動いています。手を抜くことができない以上、ヒロトさんがはっきりと断れる材料を用意できるなら、それに越したことはない」
「だから賭け、か。……いいだろう。納得は行ってねーけど、それで俺とお前の両方が婚約を断る根拠が手に入るっていうなら、乗ってやろうじゃねえか」
正直に言って、こいつが何を言いたいのか、何を成したいのかはさっぱりわからない。コトリの側も、あえてわからなくするように言っているのだろう。こいつはそういうやつだ。
だが、やっぱり俺は、こいつとの婚約は嫌だ。エリカとの婚約は破棄しなければならないが、そのためにこいつと婚約するというのは、我慢がならん。
俺が同意を示したことで、コトリは笑顔を作った。作り物めいていて、俺には気持ち悪く感じられた。
「で、賭けの内容っていうのはなんだ?」
「それはですね。……――――」
……そして現在。俺は、コトリと食べ歩きデートを強いられていた。
――いやマジでどういうことだよ……。
「あら、本当においしいわ、このあんみつ。情報通りね」
和菓子屋店頭の椅子に座り、俺の隣でご満悦な表情であんみつを食むコトリ。俺は深くため息をつきながら、出された緑茶を飲んだ。
こいつの出した賭け。それが、「日曜日に一日デートをする」というものだ。なんでそんな発想になったのか、俺にはさっぱりわからない。
勝敗は、もし一日邪魔が入らずデートを完遂できたら俺の勝ち。途中で邪魔が入り、デートが終わればコトリの勝ち。わざとデートを中断したり、すっぽかしたりしたら無効試合、だそうだ。
中断が許されない以上、俺がわざと負けることはできない。それをすれば、このド腐れと何度も何度もデートをする羽目になる。一体どんな拷問だ。
だから、どこかで誰かに邪魔をしてもらわなきゃいけないわけだが、そんなものをどうやって起こせと言うのだ。よっぽどのことがなければ、邪魔が入るなんてありえないぞ。
こいつとのデートというだけで気持ちが重いというのに、条件がこいつに不利(つまりは有利)すぎて、さらに気持ちが重い。
「とてもおいしかったです。もっと大々的に宣伝なさらないんです?」
「ほっほっほ。あんまり手広くやると、体が持たんからねぇ。うちはこのぐらいでちょうどいいよ」
店を切り盛りする老婆(とは言ってもうちの爺さんよりは若いだろう)と、コトリが談笑する。俺は少し距離をおいて、どんよりした表情で道路の向こうを眺めた。
「お兄さん、彼女をほったらかしにしてないで、ちゃんと見てあげるんだよ」
「……コレはそんなんじゃないです。ただの親戚です」
「あらあら、ヒロトさんってば照れちゃって」
照れてねーよ、キレてんだよ! 額に青筋が浮かぶのを自覚し、しかし無関係の店主に当たり散らすわけにもいかず、頬がひきつった作り笑顔で切り抜ける。
こんなとこ、間違ってもエリカには見せられ……何考えてんだ、俺は。エリカはもう関係ないだろ。
「さて、と。……そろそろよさそうね。それではヒロトさん、次の目的地に向かいましょうか」
「……おー」
いまだにエリカのことを引きずっている自分に自己嫌悪しながら、俺はコトリに手を引かれて、こいつの立てたデートプランに従った。
――店の横の植木がガサガサしていたことに、半ば放心していた俺は気付かなかった。
デート、とはいうものの、正直コトリの買い物に付き合わされているだけだった。
最初のあんみつに始まり、ブティック、本屋、化粧品、冷やかしに魔法杖屋。当たり前だけど、街の魔法杖屋に大した発動媒体が置いてるわけがないな。100均クオリティだ。
俺は、コトリが買ったものの荷物持ちをさせられているだけだった。全くもって楽しくなく、最後の魔法杖屋冷やかしでちょっと気分が上向いただけだ。
デート開始の12時から、終了の18時まで。本当に、ただの拷問でしかなかった。
――もし、これで隣にいるのがエリカだったら。それだけできっと、俺は楽しいだろう。あいつが絶えず話しかけてくれて、俺がくだらない冗談を言って笑い合う。
現実逃避でしかない思考。それを自分から捨ててしまったのは俺だ。今更、エリカが隣に居てくれればだなんて……虫のよすぎる話だ。
「って。なんだよ」
軽く頬を引っ張られ、下手人のコトリをにらみつける。こいつは、逆に俺のことをにらみつけていた。
「仮にもデート中なんですから、他の女の子のことを考えて現実逃避はやめてくださる? さすがに不愉快です」
「……エスパーかよ、お前」
「ヒロトさんがわかりやすすぎるだけですよ。さ、次ですよ次」
「まだ続くのかよ……」
既に両手いっぱいになった荷物を持ちながら、鍛えた体が無駄に性能を発揮するせいで肉体的な疲労はなく、コトリの後を追った。
そうして、17時。拷問のような時間を潜り抜け、俺は最終目的地だという、学校近くの公園にたどり着いた。
肉体疲労はそこまででもなかったが、精神的な疲労が大きく、公園のベンチにどかっと座り込む。俺の隣に、コトリが静々と座る。
「どうでした、今日のご感想は」
「ああ、もう……もう最悪」
隠すことなく胸中を語る。わかりきっていたとばかりに、コトリはクスクスと笑った。
「私の方でも、そうなるようにプランを組みましたからね。ちょっと不憫すぎたので、アドリブで魔法杖屋を冷やかしたりしましたけど」
「……お前、ほんと何がしたいんだよ。俺にアプローチをかけるって話じゃなかったのか」
「形の上では、ですよ。前にも言いましたけど、私はあなたとの婚約、できれば受けたくはないんです。……どうしても必要ならする、それだけですよ」
そう言って俺を見ず、髪をかきあげる又従妹。……わからない。じゃあなんで、こんな俺に有利な……俺たちに不利な賭けを、持ちかけた。
問いかける。すると奴は、意地の悪そうな笑みを浮かべた。こいつの本性が、ありありと見て取れるような笑顔だった。
「実を言うと、私には最初から勝算があったんですよ。ただ、それで終わったんじゃ、あなた方に振り回された溜飲が下がらないから……ちょっと仕返ししました」
「は? お前、何言ってんだ……」
答える代わりに、コトリは指輪型の魔法発動媒体をかざす。風が発生し、風球を作り上げ、何もないしげみに向けて発射する。
着弾して葉を散らす――その直前で、風球は爆散した。同じく風で作られた、より強力な障壁が発生したことで。
! 誰かいる! 立ち上がり、コートのポケットに忍ばせていた折り畳みステッキを即座に取り出し、かまえる。
身構える必要は、なかった。
「風を使った探知魔法は、あなたの専売特許ではないんですよ。……もっとも、貴族のあなたと違って、媒体なしでは扱えませんけど」
「貴族」。その言葉が指し示す人物は、俺の周りには、たった二人しかおらず。
こんな場所に来てくれるのは、たった一人しかいなかった。
「エリ、カ……?」
しげみの中から現れたのは、俺が最も会いたくて……だけど会うわけにはいかない、最愛の少女だった。
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どうやらぼくたちは、ずっとコトリさんに泳がされていたらしい。
和菓子屋の前で二人を見つけてから、ぼくとカノンちゃんは、ずっと二人を追った。あんみつはあきらめざるを得ず、カノンちゃんがとても残念そうだった。
ブティックに立ち寄り、試着するコトリさんとそっけない感想を述べるヒロト。
本屋でお勧めの本を押し付けるコトリさんに、嫌そうにしながら受け取るヒロト。
化粧品店で、コトリさん一人だけが店の中に入り、外でボーっとしているヒロト。
魔法杖屋に入り「安物だなー」と言いながらちょっと嬉しそうなヒロト、あきれた顔をしたコトリさん。
ずっと、そんな二人のデートを見せつけられた。ヒロトは終始――ほんの一瞬だけ楽しそうだったのみで――つまらなさそうにしていたけど。それでも、ぼくの胸中は穏やかではなかった。
なんで、あそこにぼくがいない。
なんで、ぼくがいるべき場所にコトリさんがいる。
嫉妬の感情が胸を焦がす。ぼくだったら、もっとヒロトを笑顔にできるのに。ヒロトを一人にすることなんて、絶対ないのに。
何度も何度も飛び出しそうになり、カノンちゃんに止められた。「まだ止めるべきときじゃない」って。勘だけどって。彼女がいなかったら、きっとぼくは、魔法を使ってでもヒロトを奪っていただろう。
そうして17時を過ぎ、日差しが弱くなった頃、学校近くの公園のベンチに二人は座った。ぼくたちは近くのしげみに隠れて、二人の様子をうかがっていた。
何やら二人が会話をした後、突然コトリさんが、風の魔法でこちらを攻撃してきた。とっさに風の障壁を張り防御したけど、それでぼくたちは見つかってしまった。
……いや、最初から見つけていたんだ、コトリさんは。おそらく、あんみつを食べていたあのとき、既に。
ぼくが周辺警戒のためによく使っている、風を使った探知魔法。彼女の魔法発動媒体は指輪型をしており、片時も手放していなかった。つまりは、そういうことだ。
「油断しました。まさか、ぼくが魔法の使用を察知できないなんて」
「こういうのは得意なんですよ、私。隠れて悪だくみをするの。性分なんでしょうね」
クスクスと上品に笑うコトリさん。その細められた目は……「小鳥」などではなく、「蛇」のようだった。
ぼくに続いて、カノンちゃんがしげみの中から現れる。彼女は既に発動媒体の腕輪を身に着けており、半身になって構えを取った。
「あら怖い。私は別に、あなた方と魔法で勝負しようなんていう気はありませんよ。エリカさんがいる以上、どうやったって勝てないじゃないですか」
「信用できないね! いきなり攻撃してきたこともそうだし、あんたからは嫌なニオイがプンプンするのよ!」
「嫌われちゃったかしら」と、コトリさんは肩をすくめた。確かに、敵対の意志はなさそうだけど……カノンちゃんが警戒している以上、彼女の勘に信頼をおくぼくも、警戒を緩めることはできない。
ポーチからステッキを取り出す。ヒロトやコトリさんが使っているものに比べれば性能の低い安物だけど、ぼくにはこれで十分だった。
「あらら、さすがにこれは分が悪いですね。……素直に謝っておきましょう。エリカさん、不愉快な思いをさせてすみませんでした。でも、必要なことでしたので」
「必要? 一体なにが必要だったって言うんですか」
「私が、大伯父様からの指示を完遂するためには、どうしても必要だったんですよ。私がヒロトさんとデートをすることも、エリカさんがそれを見ていることも」
つまり……つまり今日ぼくたちと二人が出会ったことすら、偶然ではない。一体、どうやって。
いや、そんなことはどうだっていいんだ。彼女は言った。「悪だくみをするのは得意」と。ぼくやヒロトの想像も及ばないような方法で、この舞台を作り上げた。それだけだ。
彼女は、これが会長さんからの指示であるという。会長さんは確か、ぼくとヒロトの婚約破棄を確定させるために、彼女を編入させたはず……。
いや、だけど何かがおかしい。もし、ヒロトと彼女が楽しげにデートをして、ぼくがそれを見て身を引くというのなら、確かに意味は通る。だけど実際にはそうじゃない。
彼女も、それはわかっていたはずだ。ぼくの意志は伝えてあるし、ヒロトが彼女との婚約に乗り気でないこともわかっていたはずだ。この方法じゃ、会長さんの指示を完遂することなんて……――
「なんで、いるんだよ」
カランと、ヒロトの手からステッキが滑り落ちる。ハッと、ぼくは意識のすべてをヒロトに向けた。
ヒロトは呆然とした顔で、ぼくを見ていた。……その目からは、久々に合わせてくれたその目からは、渦巻くような混乱を感じた。
「なんでお前……ここにいるんだよ……」
「……ごめん。和菓子屋の前で二人を見つけて、あとをつけたんだ。……ずっと、見てた」
「はは……そっか。最初からいたのか……」
混乱と困惑の中、ヒロトは頭をガシガシとかく。彼は……肩が、震えていた。
「なら、さ。わかったよな。俺は、コトリと婚約して……」
「――君は、そんなこと望んでいない」
強く言葉を差し込む。その先は言わせない。たとえ、それが表面だけの偽りの言葉だったとしても。
「君は、コトリさんとの婚約を望んでいない。……いや、他の誰とだって婚約なんかさせるもんか。ヒロトの許嫁は、ぼくだけだ」
「……っっっだから、俺はお前との婚約はもうっ」
「いやだ!」
「!?」
叫ぶ。今まで溜めたすべての感情を爆発させて。ステッキを投げ捨て、ヒロトに駆け寄り、彼に飛びつく。
彼は困惑した。困惑しながら……、ぼくを受け止めてくれた。
「ぼくはそんなの、いやだ! ヒロトがいやだって言ったって、知るもんか! ぼくが、ヒロトと結婚したいんだ!」
「え、エリカ……? だけど、お前は……」
「ヒロトを失うぐらいなら、こんな世界いらない! ヒロトの隣にいられないなら、こんな世界こわしてやる! ぼくが一緒にいたいのは、ヒロトだけなんだ!」
ヒロトの胸の中で、言葉にしているうちに涙があふれる。ヒロトに触れられると暖かくて、だけど失うことを想像するだけで千切れそうなほど苦しくて。涙は止まらなかった。
「コトリさんに……誰かに奪われるぐらいなら、その前にぼくがヒロトを奪ってやる!」
「っ……なんでだよ。なんで俺なんだよ。せっかく、あきらめようとしてたのに、なんでそんなこと言うんだよっ!」
ヒロトはぼくを抱きしめる。力強く、決して手放さないと言うかのように。口から出る言葉とは裏腹に。
ぼくは――ずっと言葉にしていなかった想いを、今ようやく。
「すきだから」
素直な気持ちを、ヒロトに伝えた。
「ヒロトのことが、大好きだから。カノンちゃんよりも、パパとママよりも。世界で一番、あなたのことを愛しているから」
彼の震えが止まる。時が止まったように、風の音も聞こえなくなった。
止まった時の中でぼくは、ヒロトのぬくもりに包まれて、ただそのときを待った。
「……、いいのかよ」
「うん」
「本当にそれで、お前は後悔しないのかよ」
「後悔なんて、するわけないよ」
「俺なんて、あれだぞ。勝手に暴走して、お前のことを傷つけたバカ御曹司だぞ」
「そんなこと言ったら、ぼくは君の気持ちを無視して奪おうとした悪役令嬢だよ」
「なんだよそれ。……ほんとバカみてえだな、俺たち」
「うん。そう思う。……君の気持ちを、きかせて」
「好きだ。愛してる。結婚してくれ。……くっそ、言葉が足りねえ。こんなんじゃ、全然足りない」
言葉の代わりに、ヒロトの腕に力がこもる。愛しさが伝わってきて、幸せで、ただそのために涙が流れた。
どれくらいそうしていただろう。ぼくの体温と、ヒロトの体温が混じって、どっちが熱いのかわからなかった。
やがて、ヒロトの腕の力が緩み、ぼくはヒロトの顔を見た。彼は、彼も、泣いていた。
愛しい人の顔が、こんなに近くにある。どちらからともなく、自然に、ぼくたちの距離は0になった。
「ごほん」
なるはずだった。その直前、コトリさんの咳払いで、ぼくとヒロトは気付いた。
ここには、コトリさんとカノンちゃんが、まだいた。二人してそのことに気付き、顔を見合わせて真っ赤になる。
コトリさんはなんだかあきれた様子でぼくたちを見ており、カノンちゃんはいつの間にか近くに来て、「きゃー! きゃー!」と言いながら指の隙間からガン見していた。
「二人の世界に浸るのは一向に構わないんですけど、できれば全部終わらせてからにしてほしいものですね」
「あ、あうぅ……」
何も言い返せない。そういえば、まだ何も話は終わってなかった。ヒロトの腕の中で縮こまる。
「ま!」と言いながら、コトリさんは大きく伸びをした。その姿は解放感に満ち溢れており、いつもの上品な彼女の姿からは想像がつかないほどだった。
「とはいえ、私から言えることって、もうほとんど残ってないんですけど。あー、やっと解放されたー……」
「……そういえば、結局お前の目的ってなんだったんだ? なんか結果だけ見ると、俺とエリカを復縁させるため……っていうか、解放された?」
「あ、それであってますよ」
ヒロトの問いかけに、コトリさんは本当にあっけらかんと言ってのけた。
……。……え?
「え?」
「え?」
「え?」
「ええ」
「え?」
「え?」
「ぇえ?」
「だから、私は……」
「ヒロトさんとエリカさんが仲直りするための「当て馬」として、編入してきたんですよ♪」
……。…………。…………………………。
『ええええ!?』
悪役令嬢なんか必要ねえんだよ!(豹変)
Tips
水球・風球
それぞれ水・風属性の基本的な魔法。地属性を除き、基本魔法は球を作る。これは、球体を作れれば他さまざまな形に変形させて応用が利くため。
また地属性のみ、基本属性でありながらレア属性であり、使用者がほとんどいない。何気にエリカも使用することができない。
腕輪型魔法発動媒体
作中では日村カノンの使用媒体として登場。一般的なステッキ型とは異なり手をふさがないため、他作業との並行使用が可能なのが利点。
ただしステッキ型と比べると値が張り、また魔法発動媒体自体が消耗品であるため、やはり安価なステッキ型が最も使用されている。
飛び出し式ステッキ
成長した大場ヒロトが使っている魔法発動媒体。やっぱり大場の特注品。折りたたんで小型化できるため、持ち運びがとても便利。
ただし強度に難ありで、発動体の含有が難しく性能が犠牲になりやすい代物。緊急用としての用途が主である。
もちろんヒロトのステッキはこの問題をクリアしている、めっちゃお高い一品。やっぱりバカ御曹司じゃねーか。
爆裂
火と風の複合魔法。任意箇所に空気を集めて火種を発生させることで爆発を起こす、殺傷性の高い魔法。大道寺エリカが使用。
もちろん一般向けの量産ステッキで発動するような代物ではなく、彼女も順調にラスボス令嬢の道を歩んでいる。
指輪型魔法発動媒体
神崎コトリが愛用している発動媒体。目立たず、こっそり魔法を使用するときにとても便利。悪だくみ用。
アクセサリとしての側面が強く、値段の割に性能が低いという特徴があったりする。その性能の低さを利用して、目立たず魔法を行使することができる。
ちなみに彼女の指輪はブランド物だったりするので、さらにお値段倍プッシュ。まさに悪役令嬢(偽)
風の探知魔法
微弱な風をソナーのように使用して周辺地形などを把握する感知系魔法。大道寺エリカが日常的に使っている。駅で不審者を発見できたのもこれのおかげ。
神崎コトリは前述の媒体を使い低出力で行使していたため、エリカに使用を感づかれることなく、彼女たちの存在を確認した。
登場人物
大道寺エリカ(♀) 火/風
本作主人公。貴族の血を引き、"前世"の記憶を引き継ぐ「継承者」と呼ばれる存在。実はこの世界ではままある存在だったりする(何せ魔法が普通の世界なので)
継承者の常として自我の発達が早く、異界の知識を活用することで新しいものを生み出したりすることもある。後者については、エリカは全く活かしていないが。
"前世"にあたる男性の記憶に引っ張られて若干レズ気味だったが、大場ヒロトと出会い、彼と交流を重ねることで、彼に恋をした普通の女の子(ただしラスボス系)
大場ヒロト(♂) 火
本作主人公のヒーロー。大財閥の会長の孫。バカ御曹司……だったが、エリカに出会ったことで己を改め成長した、割とすごい子。
エリカが継承者特有のスタートダッシュを決めたせいで、いろいろと空回り暴走した。最後にはちゃんとエリカと結ばれることができて、よかった(小並感)
得意属性は火であるものの、一応他属性も使える。ただ、得意属性以外は初歩程度である(それが普通)
日村カノン(♀) 水
エリカの親友。ブルンバストの空手三段。どこの格ゲーキャラだおめー。
勘で偏差値65を超える学校に入ってしまうという、ある意味エリカ以上のトンデモ娘。魔法はへたくそ(得意属性の水すら、初歩の水球しか使えない)
元気いっぱいの明るい女の子であり、今日もエリカに元気を与えつつ男子にも元気を振りまいている(乙π)
神崎コトリ(♀) 風
ヒロトの又従兄妹。詳しく言うなら、ヒロトの祖父(大場会長)の妹の孫。一応の血縁関係はある。
幼児体型のエリカと違い、また洗練されていないカノンとも違う、完成された美少女。本人にもその自覚がある。
一見清楚に見えるが、実は腹黒。安心と信頼の悪役令嬢(偽) 実はレズ(←重要情報)
1話の分量は?
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少ない(3万文字書いて♡)
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物足りない(2.5万文字はないと……)
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大体このぐらい(2万文字程度)
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多いよハゲ(1万文字以内じゃないと無理)
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多すぎィ!!(5千文字がちょうどいい)