2020/02/22 小ネタから本編に昇格
「うちにホームステイ、ですか?」
夏休みもあとわずかとなったある日の晩。母からそんな話を聞かされた。
「ええ。2学期から、エリカの学校に留学生として1ヶ月通うことになる子なんだけど。歳はエリカより一つ下よ」
「結構急ですね。こういうのって、準備期間とかもあるだろうし、もっと前に話が来るものだと思うんですけど」
「実際、急なのよ。もともとホームステイ先として予定してたところが、急にダメになっちゃったから……」
「兄さんももう歳なのよねー」と、母はため息をついた。どうやら、ホームステイ先として予定されていたのは志筑家本家だったようだ。
ぼくの伯父さん、現当主の志筑ヤナギさんは、確か母とは15程度歳が離れていたから……今は60手前か。そこそこの歳ではあるけど、ホームステイ受け入れが無理なほどだろうか?
「ほら、スズナちゃんとこ、先月子供が生まれたでしょう? それで張り切って初孫の面倒見てたら、この間ギックリ腰やっちゃったのよ」
「あらら。ということは、カンナさんは伯父さんの看病で手が離せないし、スズナお姉ちゃんと旦那さんは赤ちゃんの面倒を見なきゃならないから……」
「門弟さんたちに全部任せるのも、ホストファミリーとしてどうなのってなるでしょう? それで今日、兄さんから頼むって言われちゃって……」
納得した。それは確かに、志筑の親戚であるうちに話が来てもおかしくはない。
スズナお姉ちゃんこと志筑スズナさんはぼくより7つ上の従姉で、去年、学生時代から交際していた恋人と結婚した。ちなみに志筑家の跡継ぎでもある。
カンナさんはヤナギ伯父さんの奥さんで、ぼくの伯母さんにあたる人なんだけど……歳が母とそんなに変わらず、しかも見た目がとても若々しいので、伯母さんと呼ぶのがはばかられて名前で呼んでいる。
……思ったけど、伯父さんのギックリ腰がなくても、赤ちゃんが生まれたばかりの家にホームステイをさせるのは、留学生の子がかわいそうなのでは? 夜泣きとかあるだろうし。
なにか、志筑家がホームステイ先となるべき理由でもあったのだろうか。
「兄さんが言うには、志筑家と深いかかわりのある家系の子らしいのよ。私も実家の歴史は詳しくないから、どういうことなのかはわからないんだけど」
「志筑家の親戚なんでしょうか? でも、ホームステイってことは海外ですよね」
「ええ。オセアニアの子らしいわよ」
「え? もしかしてその子って、「異種族」の子ですか?」
オセアニア。赤道をはさんで日本と反対側に位置する南半球の島々は、主に異種族と呼ばれる人種の統治領域となっている。通常人種が住んでいないわけではないけれど、人口の80%は異種族だと習った。
異種族とぼくたち通常人種は、かつて長い長い戦争を続けていた。その期間は1000年にもおよび、100年ほど前ようやく、彼らの統治者と通常人種の国際連合との間で戦争終了の調印がなされ、平和が訪れた。
この国の子供であれば、遅くとも小学校の歴史の授業で習うことだ。――ぼくは「僕」の記憶との差異を調べたために、幼稚園のときには知っていたけど。
世界中の小さな島々に拠点を持っていた彼らは、統治者の住んでいたオセアニアに集まり、通常人種の国々と交流を始め、現代に至っている。
なのでオセアニアの子と言われたら、ほぼ間違いなく異種族を連想する。事実、母はぼくの質問に肯定を返した。
「……なんで志筑家と異種族に深い関係が?」
「さあ……当主になれば教えられるんでしょうけど」
「単純に貴族だから、じゃないか? 戦争当時は貴族が前線に立ったっていうし、その中で親睦が生まれたのかもしれない」
志筑とは無関係の父が、外からの意見を言う。でも、確かにそのぐらいしか考えられない。
まさか過去に志筑家の人が異種族と結婚していたなんてことはないだろうし、もしそうならさすがに母だって知っているだろう。
……考えてもわかることじゃない、か。かかわり方がどうであろうと、今は関係のない話だし。
「それで、エリカは大丈夫? 私とキョウさんはOKなんだけど……」
「ぼくも問題ありませんよ。なにか気になることでも?」
「その……ヒロト君との時間を、邪魔しちゃうことになるでしょう?」
申し訳なさそうに、母は言った。ぼくの両親はいつも、ぼくがヒロトと過ごす時間に、なるべく邪魔が入らないように気を使ってくれている。今回も気を利かせようとしてくれたみたいだ。
それならぼくは、胸を張っていらない心配だと言おう。
「この間、キャンプでたっぷりヒロトに甘えましたから。それに、ヒロトと一緒に留学生の子の相手をすればいいだけです。同じ学校なんだから」
「あらまあ、この子ったら……」
「……学生の間は、ちゃんと節度を守るんだぞ。大体のことは許すが、高校生のうちに子供ができたりしたら、さすがの私もヒロト君を殴らねばならん」
そこは大丈夫ですよ、パパ。ぼくとヒロトは、まだ清い交際を楽しんでいたいんだから。
ちょっぴり親バカの顔を覗かせる父に、ぼくは母と顔を見合わせて笑った。自分で言ってて恥ずかしくなったのか、父は顔を赤くしてそっぽを向いた。
かくして、大道寺家は約1ヶ月の間、オセアニアからの異種族の留学生を、ホームステイさせることとなった。
そうして、新学期。すっかりお決まりの面子となってしまったぼくとヒロト、カノンちゃんとコトリさんの4人は、始業の簡単な挨拶が終わった後、校門前で待っていた。
これから留学生の子と顔合わせだ。手続きとかで遅くなっているのだろう、それらしい子はまだ現れない。
「異種族の子かー。どんな子なんだろ、初めて見るなー」
「私もです。もっとも、どんな男や女が来ようとも、私のカノン様への愛は変わりませんけど」
「はいはいそうですねー。……男だったらもらってってくんないかしら、コレ」
「あ、あはは。いろんな意味で難しそうですね、それは」
「どんどん悪化してるよな、こいつ。最近はあのオッサンも文句言わなくなったらしいし」
相変わらずコトリさんはキャラが濃い。この間のキャンプでも、カノンちゃんに猛烈なアタックを仕掛けていた。そして、キレたカノンちゃんの反撃を受けて、恍惚の表情をしていた。
見てる分には楽しいというかにぎやかというか。カノンちゃんには悪いんだけど、ぼくはコトリさんのことがそこそこ好きだった。……相手をするのは苦手だけど。
ヒロトも、コトリさんは親戚だし「しょうがねえなー」というスタンス。最近ではカノンちゃんと直接話をすることもあり、「悪いやつではないから」と擁護している。カノンちゃんに押し付けているとも言う。
「大伯父様にこっぴどく叱られたおかげで、アレも大人しくなりましたし。これでカノン様とお付き合いできればもう最高ですわ!」
「ええい、引っ付くな! あたしはホモじゃねえ!」
「はいはいいつものいつもの。……お、あれじゃねえか?」
騒がしくなる二人を後目に、ヒロトが校舎の方からやってくる人物に目を付けた。一目見て、あの子がそうなんだと分かった。
異種族が異種族と呼ばれる所以。それは、見た目がぼくら通常人種とはかけ離れていること。そして、部族毎に姿が違っていること。異なる見た目の異なる部族の集まりだから、異種族。
留学生であるその子も同じく、一目でわかるほど、ぼくらとは違う姿をしていた。
金色の髪に、側頭部から後ろに生える、龍を思わせる立派な角。手の甲を覆う、甲冑のような桜色のうろこ。制服のスカートからは、かわいいリボンをつけた爬虫類のようなしっぽが飛び出していた。
ぼくが代表して大きく手を振ると、彼女は明るくはじけるような笑顔を咲かせて、キャリーバッグを引っ張ってこちらに走ってきた。金色の瞳に、猫のような瞳孔。
「アナタがシヅキさんですか!? ハジめまして! ワタシ、イリスって言いマス!」
それは、龍人とでも言うべき姿の、かわいらしい女の子だった。
元気いっぱいに自己紹介をして、元気よく頭を下げる彼女、イリス。とても流暢な日本語で、この国のことをよく勉強しているんだと感じた。
ぼくはクスリと笑って、自己紹介を返した。
「初めまして。大道寺エリカです。志筑家の親戚で、あなたのホームステイ先の娘です」
「オット、そうでしタ! シヅキさんじゃなくて、ダイドージさん! シツレーシマシタっ!」
リアクションが大きくて、表情がコロコロ変わる子だった。身長はぼくと同じぐらいで、だけど反応はなんだか子供っぽくて。妹がいたらこんな感じなのかな。
見ていると気持ちがほっこりして、自然と微笑みが浮かんでくる、そんな子だった。
「かわいいー! あたし、日村カノン! エリカちゃんの親友よ! よろしくね、イリス!」
「オオ、シンユー! ワタシ、知ってマス! 夕日のシタでファイトして、一緒にタイヤキを食べるデスね!」
「ふふ、それは男どもの友情ですね。初めまして。カノン様のフィアンセの、神崎コトリです」
「ファッ!? ヒムラさん、男のヒトだったデスか!?」
「違うわ! とんでもない嘘をイリスに吹き込むな、このホモ!」
「まあ、カノン様ったら。そんなに照れなくたって……」
「あああああもうやだこのホモ!」
「あははは! タノシーヒトたちデスね!」
女三人寄れば姦しいと言うとおり、快活なカノンちゃんと、カノンちゃん限定ではっちゃけるコトリさんに、元気いっぱいなイリスが加わることで、校門前はとてもにぎやかになった。
普段から女三人寄ってはいるんだけど、ぼくがそこまで騒ぐタイプじゃないので、こういうにぎやかさは新鮮だった。楽しそうなイリスを見て、ぼくは微笑んだ。
ふと、まだ自己紹介をしていないヒロトに目を向ける。女の子同士で自己紹介を終わらせるのを待ってたのかな。……と、思ってたんだけど。
「いてっ! え、エリカ?」
「なにをポケーっとしてるのかな、ヒロト?」
なんか、イリスを見てぼうっとした表情をしていたので、ついつい頬をつねってしまう。イリスがかわいいのはわかるけど、恋人の隣でその反応は、さすがにぼくもムッとしてしまう。
ぼくの糾弾を聞いて、ヒロトはあわてて弁明する。
「いやいや、違うって! なんか、デジャブみたいなのがあったんだよ!」
「デジャブ? どこかでイリスを見かけてたってこと?」
「そうじゃなくて……あー、誰かに似てる気がしたんだよ。思いつく前につねられてわかんなくなったけど」
「う。ご、ごめん……」
完全にぼくの早とちりで、縮こまってしまう。子供みたいに嫉妬してしまって、ぼくってばダメな彼女だな……。
「多分気のせいだから気にすんな」と言って、ポンっとぼくの頭に手を乗せるヒロト。そして彼も、イリスに自己紹介をするべく前に出る。イリスは、まだカノンちゃんとコトリさんと一緒に騒いでいた。
「そろそろ俺にも自己紹介させてくれ。話が先に進まないだろ」
「おっとぉ! ごめんごめん、大場君。でも、それを言うならキミの親戚をどうにかしてくれない?」
「その願いは俺の力を超えている。……あー、大場ヒロトだ。エリカの婚約者で、恋人だ」
照れなく、はっきりと言い切るヒロト。うれしいんだけど……そこまではっきり言われると、ぼくの方が照れてしまう。
イリスは目を丸くして、ぼくとヒロトを交互に見る。そしてパッと表情を輝かせ、目に歓喜の色が浮かぶ。
「ワォ! ダイドージさん、コイビトいるデスか! スゴいデス! ソンケーしマス!」
「あはは……ど、どうも」
は、恥ずかしい……。この子は1ヶ月うちにいるわけだし、根掘り葉掘り聞かれそう……。
先のことは考えないようにしよう。もしくは、ヒロトには頻繁にうちに来てもらって、二人で相手をしよう。そんな後ろ向きの決意を抱いた。
「き、気を取り直して。それでは1ヶ月の間、よろしくお願いします、イリス。ぼくのことは、エリカで構いません」
「オオ、ボクッ娘! ワタシ知ってマスヨ! 日本のマンガで見マシタ! エリカはスゴいヒトデス!」
「え、ぇえ……」
「あっはは! エリカちゃんってば、早速イリスになつかれてるわね。あ、あたしのこともカノンでいいから!」
「それでは、私もコトリと呼んでください。仲間外れは寂しいですもの」
「ハイ! ヨロシクオネガイシマス! カノン、コトリ!」
ぼくの腕を取りながら、元気よくカノンちゃんとコトリちゃんに頭を下げるイリス。本当に元気な子だな。
イリスは、ヒロトにも期待を込めた視線を向けた。わくわくという擬態語が見える。しかしヒロトは、イリスの意図がわかるはずもなく。
「……なんだよ? 食い物は持ってねーぞ」
「ハァー。オーバさんはダメデスね。ダメダメデス」
「ヒロトはこういうとき鈍いから……」
「全然成長しないよね、この男」
「これが本家の跡取りとか、情けなくて涙が出てきます……」
「言いたい放題だな、お前ら!?」
爆笑。結局、イリスの意図はぼくがヒロトに伝え、彼も名前で呼んでもらうことになった。
駅までの道すがら、イリスのことを聞く。イリスは、子供のころから日本の文化――漫画だとか、最近だとゲームだとか――が大好きで、流暢な日本語もそれらを通して学んだのだそうだ。
「僕」の記憶では、よくある話だった。その国の文化好きが高じて、言語を学び、実際にその地へ行ってみる。だけどこの世界では、一般の通信網の発達が遅かったのもあって、まだまだ多くない。
そんな中でイリスは、通常人種と異種族という差すら乗り越えた、超国際的な女の子だった。学生の身でありながら、地元の高校で優秀な成績を修め留学の権利を勝ち取り、憧れの日本の地を踏んだのだ。
「はぇー、すっごい。あたしじゃちょっと真似できそうにないわ」
「好きこそモノの上手ナレ、デスヨ! カノンも、好きなコトならガンバれるデショ?」
「ことわざもよくご存じなんですね。大丈夫ですよ、カノン様。カノン様のためなら、私がなんでもしますから!」
「やめろー! あたしをダメ人間にするんじゃねー!」
「あっははは! カノンとコトリ、ホントに面白いデス!」
イリスはカノンちゃんとコトリさんのコント(というとコトリさんに悪いかもだけど)がすっかり気に入ったみたいだ。実際、見てる分には面白いもんね。カノンちゃんには悪いけど。
「あ、そだ!」と、イリスはぼくの方を振り向く。
「シヅキさんちがダメになった理由、聞いてもダイジョブデスカ? 何か悪いコトあったら、心配デス」
気配りもできる、とても優しい子だった。「ワルモノ退治なら任せてクダサイ!」と意気込んでいる。
異種族は、通常人種より魔法の力が優れている。全員が貴族みたいなものだと習った。だからこその反応だろう。
好意からの言葉と、やっぱり子供っぽい彼女の言動にちょっと笑って、「心配ない」と事情を話した。
「……そういうわけで、ちょっと間が悪かっただけです。伯父さんも、一週間もすればよくなるだろうって」
「そうデシタカ。安心デス。……赤ちゃん、見たかったナァ」
「なら、日本にいる間に志筑家の方にも行きましょう。イリスはもともと志筑本家に滞在する予定だったんだから、何も問題はないですよ」
「ホントデスカ!?」と表情を明るくするイリス。頷きながら、思わず頭を撫でてしまった。かわいい。
異種族の文化では失礼ではないかなと頭をよぎったけど、イリスは気持ちよさそうにされるがままだった。大丈夫だったみたいで一安心だ。
そんなぼくたちを見て、カノンちゃんが一言。
「なんか、二人ってほんとの姉妹みたいよね。さっき出会ったばかりとは思えないほど、イリスはエリカちゃんになついてるし」
「そういえばそうですね。お二人は、初対面のはずですよね」
「ええ。イリスの名前を知ったのも、さっきが初めてですよ」
「ワタシもデス。こんなお姉ちゃん、ほしかったデス!」
嬉しかったので、イリスをギュッと抱きしめた。イリスもぼくのことを抱きしめてくれて、カノンちゃんの言葉には相変わらず謎の説得力があった。
「そういえば、イリスの家は志筑家と関係が深いってママが言ってましたね。イリスは、何か知りませんか?」
「んー……ワタシも、ご先祖サマがシヅキさんと仲が良カッタってことしか、知らないデス」
「戦争時代に友情でも芽生えたのでしょうか? 貴族なら、異種族との接点もあるはずですもんね」
「うーん……なんか根本的なところでズレてる気がするのよね」
「日村の勘はどうなってんだよ、まったく」
結局、カノンちゃんの勘でも詳しいことはわからなかった。というか、勘で何でもわかっちゃうなら、いろんな学者さんが涙目になってしまう。
そうこうしているうちに、駅についた。カノンちゃんはぼくたちとは反対方向だから、ここでお別れだ。
「じゃあ、また明日ね!」と言って元気に階段を駆け上がるカノンちゃん。こっそり後をつけていくコトリさん。物陰から彼女のボディガードさんがヌッと現れて、こちらに会釈して後を追う。
ぼくたちにとってはいつもの光景であり慣れてしまったけど、初めて見るイリスはびっくりしてしまった。
「ジャパニーズニンジャ!? カクレミノ=ジツデスカ!?」
「コトリさんのボディガードさんですよ。ああやって、見えないところで周りに怪しい人がいないか警戒してるんです」
「正直、あのオッサンの方がよっぽど怪しいけどな。最近じゃなくなったけど、以前は職質受けてたし」
ああ、あったなぁ。校門にパトカーが止まってて何かと思ったら、ボディガードさんが警察に囲まれてたこと。コトリさんが説明に行って事なきを得てたけど。彼女が編入してきてひと月も経たない頃の話だ。
職務に対して真面目な人なんだけど、どこか抜けてるんだよね。ぼくに爆裂で気絶させられたこともあったし。
「ってか、イリスは気付いてなかったのか? エリカは、常に風の魔法使って探知してるって聞いたけど」
「フツーしまセンヨ、そんなコト! デキなくはないデスケド!」
「ぼくとヒロトは、一応いいとこの子供ですから。危険があったらすぐに察知できるようにしてるんですよ」
「俺もまあ、自分の身ぐらい自分で守れって言われて、気配を探る練習はさせられたけど。あんまわかんないんだよなー」
「オゥ……サムラーイはココにいたデスね……」
いや、それフィクションだから。ほんとにいたわけじゃないからね? ……「僕」の世界にはいたっぽいから、多分継承者の仕業だよね、これ。
「サムラーイってなんだよ」とヒロトが首をひねる。そういえばあんまり漫画詳しくないんだよね、ヒロト。なんだかんだで家が厳しいから。
「今度、うちで漫画見せてあげるよ。えっと、つまりイリスの家は一般家庭ってことですか?」
「ソデスヨ。パパは農家で、ママは主婦デス! うちのバナナ、おいしいデスヨ!」
「バナナ農家ってことは、結構土地持ってるんじゃないか? そこそこ裕福な家だろ」
「そんなコトないデス。家は広いデスケド、パパは「お金がナイ」ってイツモ言ってマス」
「ふーむ。単価の問題か? 流通路が原因なら、ちょっと見直すだけでも大幅な改善が期待できそうだな」
商売の話になって、ヒロトの目が輝きを増す。財閥の跡継ぎとして、努力の成果が表れてるってことなんだろうけど……ちょっと今日は自重してもらおうかな。
「ヒロト、ストップ。それ以上は、イリスが困っちゃうよ」
「おっ、と。悪い、イリス。つい熱がこもっちまった」
「ダイジョーブデスヨ! 二人は、いいパートナーデスネ! お似合いデス!」
「そ、そうかな……」
裏表のない笑顔でそんなことを言われて、ヒロトとそろって赤面する。恥ずかしいのをごまかすように、ヒロトが「そろそろ行こうぜ!」と足早に階段を上り始めた。
ぼくとイリスも、後について階段を上り、帰りの電車に乗り込んだ。
「ここですよ。どうぞ、上がってください」
「ふぇー……すっごいおっきいデス」
分譲住宅街の中にある一番大きな建物が大道寺邸だ。それを見て、イリスは放心しながら感想を漏らした。
とはいえ、常識を逸脱した大きさではない。歴史ある名家……それこそ志筑本家や、ヒロトの家に比べればまだまだ小さい方だ。
2階建ての一戸建て。1階の高さをそれなりに確保するために普通の2階建てよりはだいぶ高くなっている。家屋の周りの庭には、家庭菜園用の花壇や桜の木なんかがある。少し広いけど、あくまで少しだ。
バナナ農家だっていうイリスの実家の方が、土地面積は広いだろう。もしかしたら、土地のほとんどが農地で埋まってて、建物自体はそこまで大きくないのかもしれない。
ぼくに促されて、「オジャマシマース……」とおっかなびっくりな様子でイリスは門をくぐる。ついてきてくれたヒロトが門を閉めた。
門から歩いて20mほどで玄関だ。学校指定のバッグから鍵を取り出し、戸を開ける。ヒロトが扉を支えてくれて、やっぱりイリスはキョロキョロしながら中に入った。
「ただいまー! 留学生の子を連れてきましたー!」
玄関から奥に向かって、大きな声で呼びかける。ちょっとしてから、「はいはい、ちょっと待ってねー!」という母の声。
パタパタというスリッパの音とともに、まだまだ若いと言えるぼくのママが、リビングの方からやってきた。
「あら、かわいらしい子ね。初めまして、大道寺ナツメです。よろしくお願いしますね」
「は、ハイ! ワタシ、イリスって言いマス! コチラコソ、1ヶ月ヨロシクオネガイシマスっ!」
物腰柔らかに挨拶をする母とは対照的に、すっかりカチンコチンになってしまったイリスは、勢いよくお辞儀をした。
勢いが良すぎたせいで、しっぽがスカートをめくりあげて中身が見えそうになってしまう。ぼくはさっとヒロトの目をふさいだ。
「見えそうになってますよ」と指摘すると、イリスは顔を赤くしてスカートを抑えた。彼女の様子に、母は微笑んで視線をイリスに合わせた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。自分の家だと思って、気楽に過ごしてもらえると嬉しいわ。エリカ、イリスちゃんをお部屋に案内してあげて」
「はい、ママ。さ、行きましょうイリス」
「は、ハイデス」
「俺はキャリーバッグのホイール拭いたら上に持ってくわ。雑巾は外ですよね、お義母さん」
「ええ、いつものところよ。手伝ってくれてありがとうね、ヒロト君」
靴を脱ぎ、イリスを2階のゲストルームに案内する。彼女はやっぱり、終始緊張しっぱなしだった。
ぼくは、まずはイリスの緊張をほぐすことが必要だと思い、自室に荷物を置いて、制服から私服に着替えてから、再び彼女の部屋へ向かった。
既にヒロトがキャリーバッグを運んできており、彼女は部屋で着替え中だった。部屋の外でヒロトとともに待つ。
「ど、ドウゾ……」
許可を得て、室内に入る。イリスの服装は、上はゆったりとしたニットのシャツ、下はしっぽ穴の空いたキュロットという、彼女の幼いかわいらしさを強調するコーディネートだった。
部屋の真ん中で立ち尽くして固まっているイリス。微笑みかけ、「一緒に座りましょう」とベッドの上に腰掛ける。ヒロトは椅子を引いてそこに座った。
おずおずといった感じで、イリスはぼくの隣に腰を下ろした。
「この部屋に不満はないですか? 何か問題があったら、すぐに言ってください」
「ふ、フマンなんてナイデス! えっと、アノ、思ってたよりズット立派なおうちだったカラ……」
「はは。志筑家に泊まるんじゃなくて助かったかもな。俺が言うのもなんだけど、めっちゃでかいぞ、あの屋敷」
「そ、ソウカモデス……」とひきつった笑いを浮かべるイリス。うちでいっぱいいっぱいなんだから、確かに志筑のお屋敷では気が休まらなかったかもしれない。
志筑は貴族の家だから、有事の際に必要となる技術を磨くため、魔法の訓練施設が屋敷内にある。門弟さんやお手伝いさんもたくさんいるから、どうしても大きなお屋敷が必要になってしまう。
だから、単純な大きさで言うと、実はヒロトの家よりも大きかったりする。そんなところにイリスが一人で放り込まれたら、それだけで大変だっただろう。
ヤナギ伯父さんには悪いけど、彼のギックリ腰はファインプレーだった。ゆっくり養生して治してください。
「ココなら、エリカも一緒ダカラ、早く慣れるカモデス」
「あはは。一緒にがんばりましょうね、イリス。ぼくも、できるだけイリスと一緒にいますから」
なでなで。やっぱりかわいい。こんな妹、ほしかったかもしれない。1ヶ月は放置になっちゃうかもしれないけど、許してねヒロト。
しばらくイリスとスキンシップを取り合っているうちに、彼女もだいぶ緊張が解れたようで、元の明るい笑顔を見せてくれた。その間、ヒロトは目のやり場に困るようで、あちこちに視線を泳がせていた。
今日から留学生のホームステイが始まることがわかっていたので、この日は父も早く帰ってきた。その頃には、イリスも普通に会話できる程度にリラックスしていた。
元気で明るい彼女はすぐに父にも気に入られた。そして、母は最初からそのつもりだったのだろう、ヒロトも交えて5人で食卓を囲んだ。
食後のゲーム大会は、イリスも参加して同時プレイ数最大の4人となり、いつもと違って白熱した。単純なヒロトや父とは違い、イリスのゲームプレイは実に戦術的だった。
あとで聞いてみたところ、やっぱり実家でこのゲームをプレイしてたみたいだ。説明もなしに上手に動かしていたから、そうではないかと思った。
最終的に、対人経験の差で辛くもぼくが勝利。運に助けられたところも多分にあっただろう。次にやれば、どちらが勝つかわからない。
そんな充実した時間を過ごし、いつの間にか時計の針は21時を指していた。さすがにヒロトは帰らなければいけない時間だ。
ぼくは母から「駅まで送って行ってあげなさい」と言われ、二人で駅までの道を歩いていた。
「毎度思うんだけど、これって普通逆だよな。いや、わかっちゃいるんだけど」
「あはは、しょうがないよ。ぼくといる方が安全なんだもん」
ヒロトは、一般人の中では高い魔法の力を持っており、体もよく鍛えられている。コトリさんのようにボディガードに守られずとも、自力である程度の身の安全を確保することはできるだろう。
だけど、やっぱり一般人と貴族の力の差は大きく、ぼく一人とヒロト一人で出歩いた場合にどちらが安全かと言ったら、ぼくの方が安全というのは覆しようのない事実だ。
それはヒロトもずいぶん前からわかっていることであり、中学に上がる頃には文句を言わなくなった。男として思うところはあるだろうけど。
それに、これはぼくがやりたいことでもある。
「こうして駅までの間、ヒロトと一緒にいられるから。しばらくは、ヒロトと二人っきりの時間は、こんなときぐらいしかなさそうだもん」
「お、おう……」
隣を歩くヒロトにしなだれかかり、彼のたくましい腕を抱きしめる。彼の体温が伝わってきて、それだけで幸せだった。
今まで何度もこういうことをしてきたのに、いまだに彼は恥ずかしそうに頬をかく。かわいくて、くすりと笑う。
「あー」とか「うー」とか言って、ヒロトは恥ずかしさをごまかすために、何とか話題を絞り出す。
「だ、だけどよ! ずいぶんイリスと仲良くなってたし、寂しくはないだろ!? あんま、俺が邪魔しない方がいいんじゃないか?」
「そんなことないよ。イリスはかわいくて、妹みたいだなって思うけど。やっぱりぼくにとって一番大切な人は、ヒロトなんだよ」
「うぅ……あんまり誘惑しないでくれ、我慢の限界が……」
我慢なんてしなくていいのに。節度を守った交際なら父は文句を言わないし、……ぼく個人の意見としては、一線を超えてくれることに、実は期待してる。多分、そんなことにはならないんだろうけど。
悪く言えばヘタレだけど、ヒロトはとっても誠実だ。言葉使いこそ乱暴なときも多いけど、ルールは遵守するし、父や母の信頼を裏切るような真似は絶対にしようとしない。
春の事件は、ヒロトの暴走もあったけど、ぼくの暴走でもあった。むしろぼくの方が長く暴走し続けてたわけで、原因はぼくだったと言ってもいい。もっと早く両親やお義父さん、お爺様に相談すればよかったんだ。
お義母さんに相談は……「押し倒せばいいのよ!」って言われるだけだろう。お義父さんとの結婚が、まさにそうだったわけで。なので、あんまり期待はしていない。
何はともあれそういうことなので、ぼくがこうやって体を摺り寄せても、ヒロトは絶対に手を出してくれない。安心はあるけど、ちょっと寂しくもあった。
「ふふ。ぼくみたいな育ちの悪い体で悦んでくれるのは、ヒロトだけだよ」
「そんなこと、っ、ああ! 終わり! 閉廷! これ以上はダメだって!」
力任せに腕を引き抜き、先に行ってしまうヒロト。ちょっと、いじめすぎたかな?
反省しながら、トテトテと駆け寄り、今度は手をつなぐだけにとどめる。
「ごめんごめん、ヒロトの反応がよかったからつい。ゆっくりあるこ?」
「……ったくもー、やめてくれよ。こっちは普段から、何とか一線だけは守るように必死なんだから」
ヒロトは、やっぱりやさしいね。もしぼくがヒロトの立場だったら、きっと全部を捨てて奪ってしまうだろう。自分はそういう人間だと、春の一件で理解している。
そんなやさしいヒロトだから、ぼくは彼を愛してるんだ。あんまり無理をさせちゃダメだね。ほんとに反省しよう。
「以後気を付けます。……それで、なにかわかった?」
「なにかって、なんだ?」
「鈍感。ヒロトが言ってたんじゃない、イリスにデジャブがあったって」
「ああ、それか」とヒロトは今思い出した様子だ。これじゃ、結局何も思い至ってなさそうだ。
ぼくはそう思って、この話題を流そうと思ったんだけど。
「日村が答え言ってたわ。俺も思ったんだよ。なんか、イリスとエリカって似てるなって」
「え?」
思わぬ答えに、間の抜けた声が出た。イリスが、ぼくと似ている?
たしかにカノンちゃんは「姉妹みたいだ」と言っていたし、イリスもぼくを「お姉ちゃんみたいだ」と、ぼくはイリスを妹みたいだと、それぞれ思っている。
だけど、似ているというのは、全然思ってもみなかった。ぼくたち二人の共通点なんて、身長と、魔法の力に優れていることぐらいしかない。見た目から国籍に至るまで、共通しない事柄の方が多い。
ぼくの疑問にヒロトは「そういうことじゃない」と答える。
「ほんとに雰囲気レベルの話なんだよ。それこそエリカが言った、身長だとか、魔法の力だとかが原因なのかもしれない。俺もしばらく答えが見つけられなかったんだぜ?」
「そういえばそうだったね。うーん……、……ありえない話だとは思うけど、もしかしてイリスも、「継承者」だったりする?」
一応秘匿すべきだと思い、小さな声でヒロトに尋ねる。迂闊に継承者だとバレると、財閥に囲い込まれたりする可能性もあるらしいし。ヒロトと一緒に学校に行けなくなるのはとても困る。
ぼくが最も人と違う点を挙げてみたんだけど、ヒロトはすぐに首を横に振った。
「ねえな。ありゃ見た目よりさらに精神年齢低いぞ。継承者なら、記憶がある分精神の発達は早いはずだろ? あれで前世の記憶持ちって言われても、信じられねえわ」
「やっぱりそうだよねぇ……うーん」
身長だけなら、ぼくと同じぐらいの子がいないわけではない。魔法の力も、母やスズナお姉ちゃんといった貴族の血統との面識がヒロトにはある。
そういう人たちに対して、ヒロトが「ぼくと似てる」って感じたことはないと答えた。まさか身長と魔法の力が組み合わさったからそう思った、なんてことはないだろうし。魔法の力って目に見えるものじゃないし。
答えの出ない疑問に、ヒロトは「まあ重要なことじゃないだろ」と思考を打ち切った。
「エリカと似てるって感じたなら、イリスは間違いなくいいやつだってことだ。これから1ヶ月、楽しくなる。そういうことだろ」
「……そっか。それもそうだね」
そうだ、ぼくとイリスの何が似てるかなんて、重要なことじゃない。彼女との1ヶ月をどう過ごすかの方が、原因究明の何十倍も大事だ。
さすが財閥の跡継ぎさん、いい判断してるね。そう褒めると、ヒロトはわざとらしく胸を張り、ぼくは小さく笑った。
駅につく。名残惜しいけど、今日はここまでみたいだ。
「じゃあな、エリカ。おやすみ、また明日」
「うん、おやすみ、ヒロト。また明日。……あ、ヒロト。首のとこ糸くずついてるよ」
「え? どこだ?」
ぼくは立ち止まったヒロトに駆け寄り、顔を寄せた。そして、不意打ちのキス。
「~~ッ!?」
「えへへ……。じゃあね! 今度こそほんとに、おやすみ!」
ヒロトの学生服についていた白い糸くず(本当についてた)を取って、ぼくは走って家路についた。……人目もあったのに、我ながら大胆なことをしてしまった。
――ぼくにも余裕がなくて気付かなかったけど、ヒロトはしばらくその場でうずくまって、動けないでいた。
「……俺の彼女がかわいすぎてつらい……」
「若いっていいよな~」
「激しく同意」
「もげろ少年」
「末永く爆発しろ」
「ちくわ大明神」
「性欲を持て余す」
「誰だ今の」
なんか、退勤途中のおじさんたちからいじられたらしい。この町ってほんと平和だよね。
夜更け。ぼくは明日の準備や寝る前の運動、入浴を済ませて髪を乾かし、あとは寝るだけの状態で2階の自室にいた。
コンコンと、扉がノックされる。開けると、そこにはパジャマに着替えたイリスが立っていた。
「どうしたんですか、イリス。そろそろ寝ないと、明日がつらいですよ」
「あぅ……ソノー……」
言いづらそうに恥ずかしそうに、彼女は指先をツンツンと合わせ、言った。
「お部屋が広くて、落ち着かナイデス……さっきはミンナがいたカラ、ダイジョブだったデスケド……」
落ち着かなくて眠れない、彼女はそう言った。確かに、あのゲストルームってぼくの部屋より広いんだよなぁ。
お客さんを泊めるのに、家人より狭い部屋をあてがうのは失礼にあたると言うのが、日本人的な考え方だ。そして、父は企業の代表取締役であり、彼の部屋は当然ながら結構な広さを持っている。
その結果として、イリスが泊まるゲストルームは、高校生の女の子が一人で眠るにはだいぶ広すぎると感じるものになっていたようだ。……言われてみると、ぼくもあの部屋で一人で寝ろって言われたら、ちょっと心細い。
かわいらしく恥じらうイリスに、ぼくは苦笑を一つ漏らし、「じゃあ今日は一緒に寝ましょう」と部屋の中に案内した。パッとイリスの表情が輝く。
「えへへ、オジャマシマース」
「いらっしゃい。何もない部屋ですけど」
「そんなことナイデス! エリカのお部屋、イイ匂いデス!」
ぼくだって女の子なので、部屋の清潔さには気を使っている。頻繁に掃除はしてるし、消臭もしてるし、最近はアロマも炊いている。最近のお気に入りはレモングラスだ。
ただ、他の女の子たちと違って、人形とか小物とかを飾っていたりはしない。ヒロトや家族と撮った写真を並べているので殺風景ではないけど、あまり女の子らしい部屋とは言えないだろう。
だけどイリスはそれを気にした様子はなく、むしろこの部屋を気に入っている様子だった。もしかして、実家の部屋と似てるのかな?
「ワタシの部屋デスカ? あぅ~……恥ずかしいデスケド、マンガとかゲームとかが転がってるデス……」
そういうわけでもないようだ。イリスは、あんまり片付けが得意ではないと語る。読んだら読みっぱなしの漫画がどこに行ったか分からなくなることがよくあるらしい。そのことで、母親から頻繁に怒られているそうだ。
さっき自分で言った言葉を思い出し、継承者なわけないなぁと笑ってしまう。イリスは、ちょっと頬を膨らませた。
「エリカはスゴイお姉ちゃんデスケド、スゴスギてイッコも勝てないデス」
「そんなことはないですよ。つい最近、ぼくの未熟で大事な人たちに迷惑をかけてしまいました」
寝物語になるかはわからないけど、ベッドに入り、春の事件のことをかいつまんで話す。詳しく話すと時間がかかるし、そんな話をされてもイリスは困るだろう。
イリスは、ぼくの話を静かに聞いていた。そう長くはないぼくの語りは終わる。
「……だからぼくは、すごくなんてないんですよ。いろんな人たちに支えられて、ようやく素直になれた。イリスはその結果を見てるだけなんです」
もしあの事件の前のぼくをイリスが見たら、どう思うだろうか。ぼくの独りよがりな考えで、ヒロトに重荷を背負わせてしまって、婚約破棄を考えるまでに思いつめさせてしまったぼく。
あれがあったから、ぼくとヒロトは、お互いが好きだってちゃんと気付けた。だから、なければよかったなんて思わない。つらくはあったけど、乗り越えるべき出来事だった。
だけど迷惑をかけたことに何も思わないかと言ったら、それは話が別だ。ぼくは……今でもそのことを、気にしているのかもしれない。
少し自虐的な考えが浮かぶ。するとイリスは、ベッドの中でぼくの手を取った。
「エリカは、やっぱりスゴいお姉ちゃんデス。ジブンを冷静にブンセキできて、スゴイヒトデス」
「そうでしょうか?」
「ワタシ、こんな性格ダカラ、昔からパパとママに心配バッカリかけてマス。今回も、日本に行くノニ、ズット心配してマシタ」
それは、親なら普通なんじゃないだろうか。たとえばぼくが、遠くイギリスの地に留学することになったら。ぼくの両親は間違いなく心配するだろう。
ただイリスの両親も素晴らしい人たちなだけ。そうは思ったけど、黙ってイリスの話を聞く。
「……ワタシ、昔、イジメられてマシタ。「マオーのコドモ」だって。イジメられてたノニ、気付いてませんデシタ」
「え?」
今、イリスはなんて言った? ぼくの聞き間違いでなければ、彼女は「魔王の子供」と言った。……何かの比喩表現だろうか?
まさか本当に、終戦に調印した「魔王」の子供ということはないだろう。彼(彼女かも)はもう100年も前の人なんだから、とっくに亡くなってるはずだ。
ぼくの困惑は他所に、イリスは話を続けた。
「ワタシ、皆からソンケーされてるって思ってマシタ。エラい人の子孫ダカラ、ソンケーされてるって。そしたら……誰もイなくなっちゃいマシタ」
彼女は、目の端に涙を浮かべていた。当時を思い出し、寂しい過去の気持ちを思い出してしまったのかもしれない。
そして、理解した。イリスの先祖は、本当に「魔王」その人だったのだ。そんな偉人の子孫はどういうわけか、今は普通のバナナ農家をやっているみたいだけど。
「日本は、通常人種さんの国デス。ワタシ、またイジメられても、気付かないんじゃナイカって。パパにもママにも反対されテ、ソレデモ憧れの日本には行きたくッテ……やっぱり、不安デ」
ぼくは……イリスを抱きしめた。魔王の子孫だとか、今はそんなことどうだっていい。
「そんなことはさせないよ」
「エリカ……?」
「そんなことさせない。ぼくが、ぼくだけじゃない。ヒロトも、カノンちゃんも、コトリさんも。イリスが日本で楽しい思い出をたくさん作れるように、絶対そんなことはさせない」
震える彼女を撫でて、安心できるように。やさしく、だけど誓いを胸に言葉を紡ぐ。
「イリスは、何も悪くないよ。元気で、素直で、人のことを信じただけ。それが悪だったって言う人がいるなら、ぼくはその人こそが悪だって言うよ」
「エリカっ……」
「何度だって言う。イリスは、悪くない。イリスはそのままでいいんだ」
彼女はぼくの胸に顔を押し当て、声を殺して泣いた。パジャマの胸のところが暖かく湿り、じんわりとイリスの涙を感じた。……「お姉ちゃん」として、それを受け止めた。
5分もすると、イリスは静かな寝息を立て始めた。長時間の移動もあっただろうし、やっぱり気を張って疲れていたみたいだ。
彼女の頭の下に枕を差し込み、金色の髪を梳く。さらさらと流れ、気持ちのいい髪だった。
「おやすみ、イリス。明日は、元気な笑顔を見せてね」
元気いっぱいの異種族の女の子。悩みなんてなさそうなイリスだったけど、それでもやっぱり人は何かを抱えているんだ。きっと、それはみんなが同じこと。
疑問は増えてしまった。なんで志筑家がイリスの家――魔王の子孫とつながりを持っていたのかとか。なんで異種族の英雄であるはずの魔王の子孫が、同じ異種族にいじめられてしまうのかとか。
何故ヒロトは、そんなイリスとぼくが似ていると思ったのかとか。気になることはたくさん残っている。
だけどやっぱり、それらはすべて重要なことではないのだろうと思う。理由がわかれば納得ができて、ただそれだけ。そこから新しい何かが生まれるわけじゃない。
少なくとも今を生きるのに精いっぱいのぼくたちが気にすることは、明日のイリスが笑顔になれるように、街を案内してあげることだ。
「カノンちゃんの力も借りなきゃね。そうしたらコトリさんは絶対ついてくるだろうし。ヒロトは、そろそろお爺様からの修業があるかもしれないなぁ」
なんにせよ、明日も賑やかな一日になりそうだ。そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。
もう一度イリスの頭を撫で、ベッドランプを消し、ぼくもベッドの中に潜り込んで、眠りに就いた。
イリスとつないだぼくの手は、一晩中、離れることはなかった。
本 領 発 揮 。ちょっと短いけど今回はここまで。
Tips
通常人種(旧通常人類)
我々と同じ姿形をした人類。普通の人。魔法が使える時点で同じじゃないけど。
戦争終了以前は通常人類と呼ばれたが、終了後は異種族が「人類」として一般認識されるようになったため、通常人種と改められた。
異種族
再掲。魔法環境に適応進化した人類。長いこと通常人種と泥沼戦争してた。最近はだいぶ数も増えた。大部分はオセアニアで生活している。
どうやら彼らの中で魔王は「悪」らしい。一体何があったんだ……(相変わらず決めてない)
オセアニア
地理的には現実のオセアニア州と同じ。オーストラリア大陸を含むが、この世界では単にオセアニアと呼ばれている。
かつて異種族の統括者であった魔王が住んでいたこともあって、元々異種族の多い地域だった。現在は80%ほどが異種族で構成され、20%ほどの通常人種と共同で開拓を行っている。
バナナ
おいしい。
登場人物
志筑ヤナギ→ヤナギ(チョウジジムリーダー)
志筑カンナ→カンナ(カントー四天王)
志筑スズナ→シロナ(シンオウチャンピオン)
イリス→アイリス(ソウリュウジムリーダー・イッシュチャンピオン)
1話の分量は?
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少ない(3万文字書いて♡)
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物足りない(2.5万文字はないと……)
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大体このぐらい(2万文字程度)
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多いよハゲ(1万文字以内じゃないと無理)
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多すぎィ!!(5千文字がちょうどいい)