葉隠透の奇妙なアカデミア 作:ピーカブー
眼下に広がる市街地の眺めも尾白猿夫の目には入らない。
吐く息は白く、胴着から覗く肌には霜が下りているが寒さも感じていない。
目を離せない。
目の前で向かい合っている二人から目が離せない。尾白自身気付かぬうちにごくりと唾を飲み込んだ。
一人は左半身を氷で覆ったようなスーツを着た少年、轟焦凍。赤く輝いた左目には紛れもない怒りが見える。強く握り込んだ拳にも現われていた。
気持ちは分かる、と尾白の隣に立つ障子目蔵は思った。
轟焦凍と向き合っているのは一人の少女。トレードマークのサングラスにはヒビが入り、白く曇っている。毒々しい緑色のルージュを塗った唇を薄く開き、吐く息は荒く、そして白い。腰を大きく折り曲げ、左手で右ひざを押さえながら身体を支える姿はまさに満身創痍。それでも下から見上げるように轟焦凍にメンチを切っていた。
左手がのろのろ動き、轟焦凍を指差した。
「核を爆破されたくなかったら今すぐ尾白君を解放しろォォッ!」
「尾白は解放しねぇ。核も回収する……それが何より正しい選択だ……ッ!」
「ヒーローとしては良い答えだねぇ……ただし! 不可能だという一点に目を瞑ればなァッ!」
葉隠透が吼えた――!
戦いの結末は近い。
事の始まりは――。
「わーたーしーがー!! 普通にドアから来たッ!!!」
立ち姿がなってない。つま先立ちの割に安定しすぎているし、両手で身体を支えている。10点満点中2点。
透の美学から著しく外れている立ち方で登場したのはNo.1プロヒーロー、オールマイト。
透は心の中でため息を吐いて、オールマイトの立ち姿を採点した。
つまらなそうに窓を見やる透の心とは対照的にクラス中のテンションは上がっていた。
「私の担当はヒーロー基礎学!」
ムキムキだから立ち方に安定感が出るのはしょうがない。でも、だからこそ倒れそうで倒れない、そんな立ち方を追求した方がカッコいいのに……残念。
今度私がカッコいい立ち方を教えてあげようかな。
「早速だが今日はコレ! 戦闘訓練!」
高く掲げられた『BATTLE』と書かれたプレート。
さらに盛り上がるクラスメート達と対照的に透は頭を抱えて机に突っ伏した。
「また私の個性役に立たないし」
透のつぶやきは誰にも聞こえずヒーローコスチュームが着られるという歓声に掻き消された。
「着替えたら順次グラウンドβに集まるんだ!」
移動した女子更衣室の中で葉隠透に向けられる視線、それは『お前マジでそのコスチュームなのか』という視線。最初は露出度の高いコスチュームの八百万百に向けられていた視線が今は透に向けられていた。
空中に浮いている一対の手袋、そして床の上でぴょんぴょん動いている靴、他には何も見えないその姿は名実ともに透明人間。
あからさまにウィッグだと分かる金髪は床に広がり、その上にサングラスが無造作に置かれている。周りに脱ぎ散らかされた制服、そして下着。
汚れの付いた大量のクレンジングシート、厚化粧まで落としていた。
「裸じゃん!」
「透明人間だから大丈夫」
「女性としてどうかと思いますわ」
「あなたも人のこと言えないと思うよ~」
「確かに!」
耳郎響香と八百万百にツッコミを受けながら透はコスチュームに着替えていた。
「着替え終わったけどぉ~私が最後だった?」
「脱いだだけじゃん」
「そろそろ行きますわよ」
ぞろぞろグラウンドへ入っていく少女達にオールマイトの声がかかる。
「恰好から入るってのも大切なことだぜ、少年少女! 自覚するんだ、今日から自分はヒーローなんだ、と!」
クラスメート全員がオールマイトの前に揃う。気合の入った面持ちでそれぞれ思い思いのポーズを決める中、透は焦っていた。
「バカなッ!? 私が決めポーズに出遅れた、だってッ!?」
「今そういう時間じゃありませんわよ」
「やる気なくなっちゃった」
存在感の薄い透の隣で八百万が呆れていた。
「葉隠……か? 見かけねーからまだ着替えてるのか思ったぜ」
「どこにいるんだよぉ~? どんなコスチュームなのか見せてみろよぉ~?」
透と八百万の話し声を聞きつけ、近づいてきたのは上鳴電気と峰田実の二人。
上鳴はスタイリッシュな黒を基調としたヒーローコスチューム、峰田は紫色を基調としたクラシカルなヒーロー像に近いヒーローコスチュームだ。
近づいてくる二人に気付き、八百万と耳郎が透の前に出た。見えないため多分透の前であろうと思われる場所に。
「上鳴、峰田、こっち向くな。他の奴らもだ」
「え? どういう意味……?」
「まさかッ! 葉隠、おまえぇッ! 着てない……のかぁ!?」
「手袋と靴は付けてるよ」
「ぶはぁっ! 雄英最高ッ!!」
峰田が鼻血を噴き出してサムズアップ。
「見えないのに変なの」
「男子高校生の妄想力舐めるな……ぶはっ」
「アホばっか」
「他の皆さんももじもじしてますわ。まさか、これも作戦!?」
「そんなわけないじゃん」
オールマイトが手を叩き、生徒を集めた。
「さてと! 君らにはこれからヴィラン組とヒーロー組に分かれて2対2の屋内戦をおこなってもらう」
アバウトな説明だったためか相次ぐ質問にたじろぐオールマイトをよそに。
「このマントヤバくなーい?」
「うん、ヤバいね。すっごくヤバい」
透は青山優雅に絡まれていた。
「コンビ及び対戦相手はくじだ!」
肩を落としながらくじを引いた透、書かれていたのは『I』の文字。
チームパートナーは胴着姿でしっぽの生えた少年、尾白猿夫。真っ直ぐに正しい道を歩いてきたと一目で分かる好青年さは彼が透の方を見ていないことからもよく分かる。
「す、凄い恰好……みたいだね」
「透明人間だからね!」
「あ、あはは」
尾白が額に汗かきながら笑って誤魔化した。チームメイトが発覚してから一度として透の方を見ない鋼の信念と誠実さに他の女子たちからの評価もうなぎ上りだ。
「最初の対戦相手はコイツらだッ!!」
ヴィランチームは飯田天哉と爆豪勝己、ヒーローチームは麗日お茶子と緑谷出久。
「初戦から荒れそうだねぇ~」
「あぁ、緑谷君が心配だ」
「良い人だね、尾白君って」
「いや、あはは」
「地味なのに」
「酷いこと言うねッ!?」
「やっとこっち見た」
「あっ、ごめん」
「見えないから大丈夫だよ~。なんたって私、透明人間だからね!」
「透明人間としては正しいかもしれないけど、女子としてはかなりやばいと思うよ」
よく言った、尾白君。とクラスメート達の心が一つになった瞬間だった。
「酷いこと言うね!」
「尾白さんが正しいと思いますわ」
「いや八百万さんも相当ヤバいからね」
そして耳郎は常識人のツッコミ役だということが発覚した。
「モニターの前に移動するぞ! 少年少女達よ!!」
移動先は別のビル、訓練場所のビル内の至る所に仕掛けられたカメラが見えるモニタールーム。
「他の生徒の動きを見るのも良い勉強だ! 戦い方や個性の使い方はもちろん、作戦や状況判断、見習うべきところはいくらでもある」
ヴィランチームがビルに入ってから5分後、ヒーローチームがスタートした。仮想核を隠すもよし、罠を張るのも良し。
「やっぱヴィランチームが有利すぎるんじゃねーの」
「先手を取るのは常にヴィランで常に後手に回るのがヒーロー。世の中だってそんなもんじゃん?」
「ドライ!? だが紛れもない事実だ。その苦境を常に乗り越えていくのがヒーローなのさ!」
思わず呟きが漏れた切島だったがいつの間にやら近くに来ていた葉隠の存在に気付いて焦った。
見えないことは分かっているが目を隠しながら近づくなと叫んで距離を取った。
15分後、勝敗は決した。
「ヒーローチーム、WIIIIINNN!!」
第一戦目にしてビル一つ半壊、生徒一人重傷。
緑谷が右腕粉砕骨折左腕骨折。
「訓練だから余裕だと思ってたのに、思ってたよりヤバいッ!」
「漢らしいな、緑谷君。俺も負けられないッ!」
「あ~あ、男の子ってああいうの好きだよねぇ~。私はやる気なくなっちゃったよ」
「そんなこと言わないで頑張ろう!」
「白い歯が眩しい」
やる気に溢れ拳を握り締める尾白を見た透がため息を吐いた。
八百万の講評を聞き流しながら。
「よーし! 皆場所を変えて第二戦を始めよう! 第二戦、ヒーローチームBコンビ、ヴィランチームIコンビ!」
Bコンビ、障子目蔵&轟焦凍。
Iコンビ、尾白猿夫&葉隠透。
「もっと平和な勝負の後が良かったのにぃ!」
「頑張ろう、葉隠さん!」
「私の嫌いな言葉は一番が『努力』で二番目が『ガンバル』なのよーッ!」
「ヒーローを目指す者としてどうなの……それ?」
尾白に引きずられるようにして演習ビルへと向かっていく。
4階建て鉄筋コンクリート造の雑居ビルだ。
ビル内の階段を上りながら透は考える。
ヒーローチームも見取り図を持ってるのがヤなのよねぇ。
見取り図さえなければ勝ち確なのに。
たかが訓練でスタンドを使う気もさらさらないし。
「どういう作戦で行こうか?」
「尾白君が引き付けて私が捕縛テープで捕まえる」
「俺も同じ考えだよ」
「他に手がないとも言えるけどね! なくはないけど」
「あるの?」
「私が尾白君を透明にする」
「いいじゃん、それ!」
「安心してね。尾白君が透明になっても私のことは見えないから」
「そこはどうでもいいんだけどね」
「どうでもいいって何!?」
「ご、ごめん。あっ、それと俺の個性だけど……尻尾なんだ」
「見れば分かるよ」
「地味だけど……」
「シンプルで強い。そういう個性の方が頼りになるよねっ!」
「あ、ありがとう」
透がこれまでの人生で出した一つの結論。同じ結論に至っているのは透だけに限らないが。
それは、シンプルなスタンドほど強い。個性もまた然り。
シンプルな個性ほど強い。
尻尾というシンプルな個性で雄英高校ヒーロー科に入れる者が弱いわけがない、という単純な理屈。
雄英高校入学以来、地味な個性であることを人知れず気にしていた尾白猿夫、透の言葉にちょっと救われた。そして、ちょっとは良いところを見せたいという少年らしい欲を持った。
『それでは! 屋内対人戦闘訓練第二戦、スタァートォッ!』
ビル内のスピーカーからオールマイトの暑苦しい声が響いた。
「どこから攻めてくる……ッ!?」
尾白が喋るのに合わせて白い息がこぼれる。
透は口の前に両手を近づけ息を吐く。吐く息はやはり白い。
4月にも関わらず空気が冷えている。
本来あり得ないはずの現象は――ッ!
「既に……攻撃は……始まっていた……ッ! この個性は……ッ!」
「尾白君! 足がッ! わ、私の足まで……ッ!」
「すまない……なにも……できなかった……ッ! 何もッ!!」
部屋中が凍り付いていた――ッ!
足首まで凍り付いていたことに気付かないほどの速さで――ッ!
尾白猿夫は見ていることしか出来なかった。
葉隠透の両手を覆っていた手袋が床に落ち、瞬時に凍り付いた。凍り付いた手袋は無理やり引きはがされたように宙に浮き、丸まった。拳大の氷の塊になった手袋は空中で弧を描き、ぶっ飛んだ。
投げたんだ、と尾白は悟った。
透によって投げられた手袋は一直線に飛んで行き、窓ガラスをぶち破った。
「はぁ~、気に入らないのよねぇ~、こういうのってさぁ」
「葉隠……さん……ッ!?」
「舐められてるっていうの? 気に入らないんだよねぇッ! でもそれ以上に気に入らないのは、この程度のことで負けたと思い込んでるあなたの顔なのよッ! 尾白君ッ!!」
透の姿は見えない、それでも感じるものがある。見えないはずの顔から、一度たりとも見たこともないはずの目から力を感じる。
一瞬にして透の雰囲気が変わった……ッ!
尾白猿夫が感じたものを言葉にするとすれば、それは――凄みッ!!
透が力任せに床を殴りつけた。凍り付いた床を殴って自らの拳が傷つくほど力任せに。
見えていなくても尾白猿夫には分かった。
何もないはずの空中から血が滴り落ちていた。
→To Be Continued ...