北郷英雄譚(旧題:七天の御使い†一刀譚) 作:にゃあたいぷ。
揚州九江郡、寿春。
郡の名称に江という文字が使われている通り、淮水*1に接する土地で交易の要所として知られている。そして此処、寿春には、少し離れた場所には港があり、今は多くの商業船が停泊していた。
その城壁で私は夜空を見上げている。
此処から見る空は綺麗だった。星々は今にも零れ落ちてきそうな程にくっきりと浮かんでおり、手を伸ばせば届いてしまいそうだった。まんまるの満月を眺めながら呷る酒は格別で、酒と肴がとてもよく捗った。今日も頑張った私に乾杯! と盃を夜空高くに掲げて、注いだ酒を一息に飲み干した。そして万感の意と共に酒気を帯びた吐息を吐き出す。
この一杯の為に生きているんだ、と感極まる思いで、もう一杯と盃に酒を注いだ。
「
ふと後ろから穏やかな声色で話しかけられる。
真っ白な髪に青白い肌、もこもこに衣服を全身に着込んでいながらコホッと咳を零した。
私の真名を呼ぶ、彼女こそが揚州刺史の劉耀。字は正礼、真名は
「貴方は我が陣営の要なのですから」
言いながらストンと私の隣に腰を下ろした。
コホッと乾いた咳を零す彼女に「それは買い被りだよ」と寄り添うように身を寄せる。
手を重ねる、冷たい。
その手は血ではなく、水が通っているのではないかと思うほどだった。
「……相変わらず、貴方の体は温かいですねえ」
「いやいや、たぶん、喜媚が冷たすぎるんだよ」
「貴方は私にとっての篝火のような存在です」
呟きながら真摯に私のことを見つめてくる中秋に、重過ぎるなあ、と思いながら頰を掻いた。
今の御時世、何処も彼処も賊徒で溢れかえっている。それは誰かが扇動したという話ではなく、度重なる災害で大陸全土の民草を賄えるだけの物資が足りていないという意味だ。その為に民草は自分の食い扶持を確保するには他所から奪うしかないという状況に陥っている。略奪に次ぐ略奪で大陸全土の生産力が落ちているから、その結果、更に少なくなった食い扶持を残った者達で奪い合うというのが今の漢王朝だ。
うん、終わってるね。漢王朝、閉店間近だね。
そして揚州刺史を務める喜媚は人柄が良いだけの凡庸な人間だ。民草が飢えないように試行錯誤を繰り返しているが、その政策は対症療法が多く、根本的な解決に繋がるものがほとんどなかった。他所にいる呉太守の孫堅の評判が良いことから人望も失いつつあった。そのことを喜媚本人も自覚している。喜媚を見限った役人共が出奔し、孫堅の下に集いつつある。
冷静に考えれば、それも致し方ない話だとは分かっている。
揚州には山越と呼ばれる異民族が存在しているのだが、揚州の刺史と太守は山越相手にてこずって討伐をできずに居たのだ。そこに颯爽と現れたのが新たに呉郡太守として任命された孫堅であり、彼女達はいとも容易く山越を追い払ってしまった。この一件で揚州における孫堅の名声はうなぎ登りとなり、揚州にいる人材はこぞって孫堅を頼るようになった。
それに孫堅はかつて会稽郡で起きた叛乱を鎮圧し、一度、揚州を平定したことがある実力の持ち主だ。
権力闘争によって各地を転戦させられてきた揚州の英傑が、この土地に戻り、その直後に民衆の期待に応える戦果を挙げたのだから人気が出ないはずがなかった。
おかげで揚州は、何処も彼処も孫堅の噂で持ちきりだ。
「……貴方には呉郡の郡境に向かって貰おうと思っています」
「どうして?」
「そうした方が良い、と。占いの結果が出ましたので」
喜媚は儚げに笑ってみせる。
彼女は追い詰められていた。隣に来た孫堅と比べられることが増えた彼女は次第に陰口を叩かれるようになり、元より弱かった体は心労によって日に日に衰えるようになっている。それこそ占いなんかに頼ってしまう程にだ。私には政務がよく分からない、少なくとも現状を打開するような手は思い付かない。あくまでも私の本質は武官であり、戦うことでしか彼女の力になれないことを重々に承知していた。だからといって占いに頼るというのも――いや、首を横に振る。
喜媚のやつれた姿を見て、しっかりと頷き返した。
「絶対に何かを掴んでくるよ」
そう自らの胸を叩いて応える。しかし喜媚は首を横に振った。
「いえ、貴方の無事が第一です。絶対と約束するのであれば、貴方が帰ってくることに誓ってください」
「……うん、分かったよ。絶対に帰ってくる」
喜媚の冷たい手を両手に取って、強く頷き返した。
にへら、と笑う彼女の表情は今すぐにでも消えてしまいそうに儚く感じられた。
†
姓は太史、名は慈。字は子義。真名は
戦と知れば、滾る性質を持っていることから自分の本質は武官だと自覚しているが、かつては官吏を務めていた経験もあることから文官として働けなくもない。戦を行うには政という下地があってと気付いてから学んだだけに過ぎないので、得意と自負する程ではない。事実、政務をするのが嫌なので
そういう事情もあって、数日程度の遠出は痛手にならない。
近頃は
喜媚は私の体は温かいといつも言う。そのせいなのかは分からないが、夜風が気持ち良かった。
そうして駆け続けること半刻、
その道中に淮南郡と呉郡の境を遠駆けしていると夜空に巨大な流れ星が飛来した。
それは二つあり、一つは呉郡にある城塞都市の中に、もう一つは近場の草原近くに落ちる。
あそこは微妙に淮南郡の内側か、とりあえず行ってみよー! と意気揚々に馬を駆けさせた。
現場に来た、そして見た。故に勝った。
孫堅軍の誰かしらが様子を見に来るとは思ったが、現場には今、私一人しかいない。ああ、そういえば、先程の流れ星は呉郡にも落ちていたか。その対応に追われているのかも知れない。
ともあれ、今は目の前にある不思議物体をどうするか考えるべきか。
流れ星の落下地点には、球体状に光を放っている何かが落ちていた。それは光る繭のようなもので覆われているようにも見える。さて、これは触れても大丈夫な物なのだろうか。それとも剣を突いて様子を伺うべきか。いやはや、しかし、いくら揚州の夜空が綺麗だからといって、本当に星が零れ落ちてくるとは思いもしなかった。夜空に浮かぶ星々は丁度、今、目の前にある光球程に大きいのだろうか。それとも、もっと大きいのだろうか。なるほど、遠い。手を伸ばした程度では届かない訳だ。
そんなことを思いながら、くつくつと肩を揺らしていると少し離れた場所からパカラと馬の駆ける音がした。
「何奴!?」
その言葉に無言で偃月刀を構えた。
「それはこっちの台詞なんだけどねー? 私は揚州刺史、劉耀配下の太史慈だよ。流れ星の調査に遣わされた」
弓を構えた褐色女はチッと舌打ちを零す。
「九江の土地で何をしてくれているのかな? 場合によっては……」
「いや、事を構えるつもりはない。命を受けておってな、そこの白く光っているものを回収しに来た」
「残念。それ、私も持って帰ろうって思ってたんだよ。命を受けているからね」
構えた弓を外す相手に、偃月刀を握り締め直した。
「名乗りなよ、それとも身分も開かせぬ卑しい身の上なのかな?」
「私は孫堅殿の名代の下に……」
「それなら黄蓋だね、知ってるよ。なら尚更のこと帰ってよ。此処は劉耀様の庭だし? 太守は刺史の言うことを聞くものでしょ」
星の前に立ち、彼女を睨みつける。
例え彼女の弓が揚州一と呼ばれるものだとしても、正対してのこの距離なら叩き落とせる自信がある。
むう、と黄蓋は唸るように俯き、私から距離と取った。
「仕方ない、ここは譲るとしよう」
「仕方ないもなにも譲って当然なんだけどね? まあいいよ、今回の件は目を瞑っといてあげる」
手綱を握り、ハアッという掛け声と共に黄蓋は駆け去っていった。
ふうっと息を零す。こちらとしても揚州一の軍勢を持つ孫堅と事を構えるつもりはなく、落とし所を探っていたので助かった。これが孫堅本人とかだったりしたらこうは上手く行かなかったはずだ。
彼女らについてはさておき、背後で未だ輝きを放つ白い光球に目を向ける。
これをどうやって持ち帰ろうか、そう思案していると「あれ?」と急に強い光を発し始めた光球にひやりとした汗を感じた。弾けるように光は霧散し、とりあえず自身の体に悪影響がないことを確認した後、その光球があった場所を見やる。
そこには一人の男の子が倒れていた。
「あれ〜? もしかしてアレが天の御使いって奴?」
それは可愛らしい顔をした少年だった。
物珍しい衣服を着ているようだが、しかし見た目があまりにも凡庸過ぎた。天の御使いという程だから霊獣辺りを想像していたし、もし仮に人の形をしていたとしても仙人のようなものだと思った。いやでも仙人は不老長寿の術を持っているから若い姿で居続けられるかも知れない。ん〜、と額に人差し指を当てながら悩んだ後、よし分かんない! とペシッと御茶目に頭を叩き、とりあえず彼を持って帰ることに決めた。
肩に抱えていざ行かん、寿春、つまり喜媚の下へと馬を駆けさせた。
雪蓮リテイクとがっつり絡む時間軸。
あ、別に片方読まなかったら面白くないとか、そういうことはないと思います。
喜媚→羈縻→羈→羈絆 ←絆←Lien←梨晏