北郷英雄譚(旧題:七天の御使い†一刀譚) 作:にゃあたいぷ。
俺の名前は北郷一刀。聖フランチェスカ学園に在学する極一般的な男子生徒だ。
ちょっと他と違う点があるとすれば、実家が剣術道場を営んでいるってことかな。
問題なのは直近の記憶が曖昧な点だ。そして付け加えるならば、此処がどこなのか分からない。
見慣れぬ天井、いや、本当に見慣れない。
何処だよ、此処。見渡す限りでは古代日本、いや、中華風といったところか。
精巧に出来ているなあ、と現実逃避染みた思いを抱いてみる。
いや、本当に何処だよ、此処。
誘拐されたという可能性も考えたが、それにしては良い部屋をしているし、拘束しているという感じでもない。
むしろ部屋の調度品なんかを見る限り、丁重な扱いを受けていることがわかった。少なくとも自分が誘拐するとして、誘拐した相手を閉じ込めておく部屋に飾りや生け花を用意したりはしない。尤も元から用意してあった部屋を活用したということであれば、それも考えられるだろうが――いや、しかし、そんな丁重な扱いを受ける家に生まれた訳ではない。そして自分が女であれば、まだしも男である。誘拐の線は薄いという結論を導き出したが、しかし一抹の不安が残る。
とりあえずベッドから這い出る。すると自分が制服を着たまま寝ていることに気付き、うわっと思わず声を上げてしまった。
なんとなしに気持ち悪い。パジャマに着替えてから寝ることが当たり前になっている人生で、その日に着た衣服のままで寝るというのは、なんとなしに気持ち悪かった。まあ寝ている内に着替えさせられているというのも、それはそれで気持ち悪い。どちらにしても気持ち悪いのであれば、先ずは自分が囚われているのかどうか確認しようと思って部屋の手を掛ける。
鍵は掛けられておらず、扉は簡単に開いた。
「あっ」
「ん?」
その先には白髪の美少女が居た。少しの間、見つめ合った後に「こふっ」と少女は血を吐いた。
「大丈夫ですか!?」
「……うー、大丈夫、大丈夫。いつものことですので……」
少女は何事もなかったかのようにハンカチで口元を拭い取った。
そして振袖から薬包紙を取り出すと薬らしき白い粉を口に含むと、更に懐から竹の水筒を取り出して水と一緒に飲み干した。たぶん水だと思う。うー不味い、と少女は爽やかに笑ってみせると、もう一杯、と薬包紙をもうひと袋、取り出してみせる。
いやいや、それはやめておきましょうよ。と思わず止めてしまった。
「……えー、まだ若干、体調が悪いのに?」
「飲んだばかりで体調が改善するものでもないでしょう」
こういうのはある程度、時間が経たなければ効果が現れない。医療とはそういうものだ。
「そういうものなの?」と首を傾げる白髪の少女に「そういうものです」と丁重に返した。
「でも華佗君の時は、元気になれ! で一発でしたよ?」
なにそれ怖い。
身振り手振りで教えてくれる少女の話を聞くと、その少年は本当に氣を叩きつけることで病気を治しているようだ。
現代医学に対する挑戦状かな?
「慢性的な虚弱体質までは治せなかったようで体調が悪くなった時用の薬を頂いています」
「体調が悪くなった時?」
「全身の倦怠感や関節痛、眩暈、ふらつきが起きた時に飲むように言われているのですが……」
ふうっと溜息を零してから続きを口にする。
「……そんなのだと毎時、毎分で飲まなきゃならないので、吐血の時に飲むようにしています」
「いや、おかしくないかな!?」
「薬だって安くはないんですよ? これは砂金を飲むに等しい所業――民草の血税で賄っている以上、節約はしなくてはなりません」
さておき、と少女は部屋に上がり込むと中にある椅子に腰を下ろす。
そしてまた、ふうっと溜息を零してから俺に向き直る。
「どうぞ、天の御使い様。私は揚州刺史の劉耀、字は正礼と申します」
「てんの……え? りゅう……よう? あざな?」
「ああ、天から来た身であれば、この地のことも知らないのも当然といえば当然の話ですね」
とりあえず腰を掛けてください、と促されるまま、部屋に備え付けてあった椅子に座った。
さて、と少女は語り始める。この世界が後漢末期と呼ばれる時代であり、現代日本においても有名な三国志と呼ばれる時代の一歩手前にある。劉耀という名前は知らないが、劉備の名前なら知っている。その名を出すと首を傾げられたので、この時はまだ筵でも織っているのだと思った。お隣を統治する呉郡太守、孫堅の名は知っている。曹操はまだ有名ではないようだ。
話を聞けば、聞くほどに信じられない話。しかし目の前に座る病弱の少女が嘘を吐いているようにも思えなかった。
悪い顔色に蘭と輝かせる瞳、なんというべきだろうか。その熱を込めた視線は異性に対する――それとは違って、憧れでもなく、そうだ。部活の先輩が後輩から受ける期待と似ていた。ただ重みが桁違いだ。なんというか人生が壊れるほどの債務者が、これしかないと縋るような重圧を感じられる。
そして、その期待の真意は先ほど聞いた天の御使いという言葉にあった。
「黒天を切り裂いて、天より飛来する一筋の流星。その流星は天の御使いを乗せ、乱世を鎮静す。管輅」
詩の最後に、みつを、と付けるのと同じノリで、管輅、と付け加えた劉耀はキラキラと輝く瞳で俺のことを見つめる。
「貴方様が淮南郡と呉郡の境に天より流れ落ちてきたのです」
「天って、空から?」
「はい、頭上高く、星空を駆け抜ける流れ星が地上に落ちたのを誰もが見ました」
いまいち信じられるような話ではない、だが彼女が嘘を言っているようにも思えない。
仮に空から流星が落ちたとしても、俺がその天の御使いだとは思えなかった。なんせ俺は極一般的な学生だ、少し歴史が得意なだけの生徒だ。二次創作でよくあるなんちゃって常識人でもなければ、「俺、またやっちゃいましたか?」とイキっちゃうようなチートもない。そもそも神様のような存在と会った記憶もない、唐突にトラックに轢かれた訳でもない。
本当に、気が付けば、ここに居た。それだけの人間だ。
「あの〜……」
とりあえず誤解を解かなくては、と思って話し掛ける。
「はい、なんでしょう」
と星空のように目を輝かせながら問い返してくる。
なんだろう、これ。凄く切り出し難い、まるでサンタクロースを信じるお子さまに真実を伝える時と同じくらいに伝え難い。
しかし今、真実を伝えなければ、どツボに嵌るのは目に見えている。
意を決して、苦虫を噛み潰す思いで伝える。
「俺、期待されているような存在じゃないと思いますよ?」
「……え?」
「仮に天から落ちてきたのが本当だとしても、俺、そこまで特別な存在ではありません」
「またまた〜、太公望の書物を預かったりとかしているんでしょう?」
「ないです」
「……いや、謙遜しているだけで貴方自身が太公望だったりとか? あ、仙術とか天の国では常識だったりとか?」
「いえ、使えません。普通の極一般的な男子生徒です。少なくとも周りよりも特別に秀でた能力とかはありませんでしたよ?」
「ほんとに?」
「ほんとにほんとに」
「ほんとにほんとにほんとに?」
力強く頷き返す。すると劉耀は固まり、数秒後、ゴフッと血を吐いて床に倒れた。
「メディーック!?」
「どうしたの!? って、
「何もしてない! 俺は無実だ!!」
「皆、最初はそう言うんだよねーッ!!」
「どうしろって言うんだー!?」
その後、偃月刀を構える相手に何も抵抗もできないまま、胸のでかいお姉さんに床に叩きつけられた。
流れるように荒縄で縛られてからの投獄。
拝啓、母上様。北郷一刀は異国の地とはいえ前科者になる不孝をお許しください。
†
シャバの空気は美味いぜ。
まさか、この台詞を自分が使うことになるとは思わなかった。
そして目の前には俺を捉えたお色気の姉様、ある意味でビキニアーマーのように過激な衣服を着た少女が頭を下げている。
隣には白髪の少女、劉耀が御立腹といった様子で頰を膨らませていた。
「まったく、この娘は……時折、先走るのが悪い癖ですね」
「やー、だってあれは仕方ないでしょー。どう考えたって、血を吐いて倒れているのが悪いよー」
「いやまあ倒れた私も私ですが……話を聞くくらいはしても良かったかと」
謝罪は何処へ行ったのか、あっはっはっはっ、と笑う少女に機嫌を直さない劉耀。
「まあまあ直ぐに出してもらえたし、気にしてもないから……」
本当はちょこっと気にしてる、だって投獄とか始めての経験だったし。
でもまあ今は話を進める方が先だと思って促すと「そうですか?」と劉耀は気を遣うように流し目で俺のことを見つめてきた。
いや、なんつーかもう、その顔が見られただけで良いかな。うん。
「ほら、気にしないって言ってくれてるしさ。さっさと話を進めようよ」
お色気の姉様の言葉に「もう」と劉耀が溜息を零す。
ちなみに、この女戦士の名前は太史慈って言うんだぜ? すごいよな、中国四千年。後世に伝わる猛将も美少女に早変わりだ。むしろ日本の悪い文化に侵食されていないだろうか? いやはや、まさか! だって中国四千年だぜ? 劉耀も州を治めるお偉いさんのようだし、この調子だと有名処はみんな可愛い女の子になっていたりするのだろうか?
だとすれば、流石にこの世界は俺が知る歴史と同じとは思えない。この世界線では円卓の王様が実は女の子だったり、織田信長が信奈とかいう名前だったり、魔王ルーデルが牛乳片手に戦闘機へと乗り込むような幼女だったりするのかも知れない。もしかすると、この世界も何処かでゲーム化されており、何処かの世界線で物語として売り出されている可能性も――いや、まさか、ないか。ははっ、考えすぎだ。
太史慈の名前で思い出したのだが、劉耀は、確か孫策との一騎打ちで恥を晒すことになる人物が、そんな名前だった気がする。
「……とりあえず貴方様はまだ状況を理解できていない御様子。暫く城に泊まり、今後の身の振り方について考えてみるのは如何でしょうか?」
「ん、構わないのか?」
天の御使いという言葉から、もっと積極的に利用されるかと思っていた。
「人ひとりを養う程度の蓄えはありますよ。まあ、何時までも、という訳にはいきませんが……」
そういうと劉耀は人差し指を立てる。
「とりあえず一週間、街を見回ったりしてください。それでもう一度、話し合うのが良いかと」
元の世界に帰る為、旅に出るというのであれば多少の金銭は融通する。
此処に残ってくれるのであれば、仕事を与える。寝床も用意する。
あまりにも俺にとって都合の良い条件に、思わず問い返した。
「それだと、劉耀達にメリットがないのでは?」
「めりっと?」
「ああ、利益のことだよ」
カタカタ語が伝わらない辺り、異世界に来たという気がする。何故か日本語は通じるけど。
「城まで連れてきた手前、何も施しをせずに追い出すと私の名に傷が付きますので」
気にする必要はありません、と彼女は笑ってみせた。
「その間の護衛は太史慈に任せます。彼女、賊退治以外では暇をしていますので」
「そこは待機って言って欲しいなー。緊急時に何時でも出られるようにしているんだよ」
「ええ、そうですね。彼女の待機中の暇潰しに付き合ってあげてください」
「あれー? 私が付き合ってあげる方じゃないのかなー?」
道案内をお願いするよ、と太史慈に伝えると、了解! と彼女は大きな胸を張って応える。その時に胸が揺れた、目に毒だ。
「針で刺したら割れませんかね、あれ」
「……
呆れるような、苦笑するような、そんな声が太史慈から溢れる。
そういえば二人は時折、二人が名乗った名前以外のもので呼び合うことがあった。それは字でもなくて、太史慈には
なにそれ怖い、その初見殺しに引っかかってる奴って絶対に居るよ。
「それだったら俺はどうしたらいいのかな?」
「一刀っち、どうってのは?」
獄から出された際に自己紹介を終えていたので太史慈は俺の名前を知っている。
「いや、俺ってさ。北郷一刀以外の名前って持たないんだよ。俺は構わないんだけども文化的に一刀って呼ばせるのは不味いのかなって……ん?」
太史慈がサアッと顔を青褪めさせる。
「なにそれ怖い」
そっと劉耀が呟いた後、太史慈が流れるような動作で両手を床に着いて、ゴツンと額を打ち付けた。
「訂正しますぅぅーっ!!」
「頭上げてください! 気にしてないからーっ!?」
「君が気にしてなくても私が気にするからぁーっ!!?」
わーわーぎゃーぎゃーとひと悶着を起こした後、なんやかんやあってみんなで真名を交換することになった。
こんなんで良いのかな。よくわからないけど、良いと思うことにした。
「それで他の人に名乗る時はどうしたら良いと思う?」
「んー、張三李四で良いんじゃない?」
「いや、露骨過ぎでしょう」
「張三李四って?」
「何処ぞの誰かさんという意味です」
「ああ、名無しの権兵衛ね」
話し合いの結果、他には北郷とだけ名乗ることになった。
†
揚州九江郡、寿春。
と文字だけで起こすとあっさりするが、実際、その場に放り込まれた身としては凄まじいものがある。
ほんの数日前までは現代社会で日常を謳歌していた極一般的な男子生徒、その文化の違いには驚愕する他にない。舗装されていない道に、ずらりと並ぶ商店の数々、車や自転車はなく、代わりに馬車が道を走っていた。ちなみにコンビニもなければ、公衆トイレもない。では、何処でしていのか。人の迷惑が掛からない草叢などでする人がいるという話だ。なにそれ怖い。まあ中世ヨーロッパでは糞尿を窓から投げ捨てていたらしいからね、そのことに比べると汚臭は漂っていない。臭くないことは良いことだ。ちなみに街人からは汗を発酵させたような臭いがする。いち早く、お風呂の文化を広めなきゃ……(使命感)
手洗いうがいは大事、隣を歩く太史慈こと梨杏からは良い匂いがする。歩く度に揺れる胸は驚異的であり、男女問わず道行く人を視線を向けられる。そのことに多少の恥じらいはあるのか「みんな私の胸ばっかり見るんだよねー」と太史慈が困ったように告げる。いやあ、その露出度の高い衣服がいけないんじゃないですかねえ? 見るよ、誰でも。同性でも見るよ、でかいもん。ええい、劉耀の配下は化け物か! とか言ってるよ。知らんけど。劉耀こと喜媚はぺたんこだけど。
さておき、見た目だけならいざ知らず、ここまで空気や臭いが違っていると異世界に来たんだなっていう実感が湧いてくる。
胸が疼いた。寂しさや不安から、だろうか。
「一刀っち、大丈夫?」
「やっぱり自分が生きていた場所とは違うんだなって改めて思っただけだよ」
「ん〜、そういえば一刀っちって、急にこの世界に落ちてきたんだったよね?」
「そういうことになるのかな?」
落ちてきた、という実感はないけども。今も空に寂しさを感じることはなかった。
「どういう場所だったの?」
「……どういう場所って?」
「たぶん、此処とは全然違う景色や光景だったんでしょ?」
教えて欲しいな、という言葉に俺はポツポツと語り始める。
何処にでもトイレがあって、毎日のように風呂に入る。自動で洗濯や食器を洗う機械がある。陸を走る機械があり、海を渡れば、空をも飛んだ。建物は四角くて細長いのが多くて、ひとつの建物に何十人、多くて何百人もの人が生活を営んでいる。二十四時間営業している店もあったりして、ちょっと割高だけどもなんでも取り揃えていたりもする。子供はみんな学校という場所に勉学を学ぶ、義務教育は十五歳まで、でも大半は高校生、今は半数以上が大学に進学している。王はいない、朝廷はまあ似たものならあるけども政治の実権は握っていない。政治は国民の投票で選ばれたものが実権を握り、国の行く末を差配する。その者にも任期っていうのがあって、四年に一度、再選される。もっと詳しくいえば、選挙で当選した者達で更に選挙を行う形になるのだけども、その辺りはまあいっか。ともあれ、俺の時代では実権を持った王族や皇帝はほとんどいなくなった。
そんな話をすると梨杏は「んー?」と頭に手を当て、「全然違うねー」とあっけらかんと答えた。
「これから大変そうだね」
と梨晏が告げる。首を傾げると「まあまあお姉さんに頼りなさい」と背中を叩かれた。
「連れてきた手前、ちょっとくらいの責任は感じてるからさ」
耳打ちするように告げられる。気遣ってくれているのだろう。
ありがとう、と返すと、どういたしまして、と笑い返してくれた。