北郷英雄譚(旧題:七天の御使い†一刀譚) 作:にゃあたいぷ。
九江郡から蘆江郡を経て、荊州の夏江郡。その西陵と呼ばれる城都に辿り着いた。
夏江郡は荊州刺史である劉表の影響が強い土地であり、郡太守は黄祖。史実では確か、揚州から侵略する孫堅の襲撃を幾度と凌ぎ、孫堅に引導を渡すことになる男だったはずだ。それだけの功績を持っている者であれば、この世界のことだ。当然、女になっていてもおかしくはない。だから覚悟は決めていたつもりだった、並大抵のことでは動じないつもりでいた。
しかし目の前の人物は、少々パンクが過ぎている気がするのだ。
「ああ? なんだ孺子、ジロジロと物珍しい顔で見やがって……」
長駆の女性、耳には鈴と錨のピアスを付けている。
髪は全体的に左から右に流しており、右目が前髪で隠している。また左側頭部に剃り込みを入れているのか、傷があるのか、生え際を幾つもの羽飾りで隠している。その印象は武将というよりも不良、暴走族で頭をやっていそうな雰囲気を持っていたが、しかしヤンキーと呼ぶには大人の魅力があった。なんというか惹かれる者は吸い寄せられてしまいそうな妖艶な雰囲気を身に纏っている。
良くも悪くも過激で刺激的な風貌をしていた。
「圧倒されていました」
素直に答えると、ふん、と俺から目を逸らして
「……貴様が太史慈か、用件はなんだ?」
「揚州刺史が劉耀の遣いとして荊州刺史の劉表に封書を携えて来ました」
「届けるだけなら私が預かっても良いのだが――まあ違うのであろうな」
黄祖は舐め回すように
劉表が居を構える城都は、蘆江郡を超えた先の南郡にある。余所者が勝手に郡内を横断するのも、劉表にいらぬ猜疑心を持たせることになり兼ねない為、蘆江郡を通行する前に郡太守を務める黄祖まで挨拶しに来たのが、九江郡を出て今日までの流れになる。
最初、不機嫌そうにしていたので歓迎されていないと思ったが、梨晏を見る時の顔は満足げだった。
武人は武人同士で通じるとかあるのだろうか。
「これとは
「えっ、何言ってるの!?」
「違うなら、それで良い」
黄祖は俺達に背を向けると「ほれ、行くぞ」と目配せだけを向ける。
「あのぅ、要件とか聞かなくても良いのかな?」
「そんなもの分かっている。丹陽郡の兵が黄巾党に大敗し、その上、豫章郡にも厳白虎の部隊が攻め込んでいるのだろう?」
「えっ、豫章にも攻め込まれているわけ!?」
「なんだ知らなかったのか?」
まあいい、と黄祖は俺達に背を向けて歩き出した。
「大方、劉表に援軍の要請しに来たのだろう? ここから先は我ら江夏水軍の庭のようなものだ、船を使えば江陵まで早く着くだろうよ」
江陵とは荊州南郡にある城都のことであり、劉表が居を構える場所でもある。
荊州では江賊の影響で水路を使えなかったからありがたい申し出だ。
黄祖は胡散臭く感じる女ではあったが、その提案からは純粋な好意しか感じられなかった。
「残念ながら私は西の警戒をしなくてはならんのでな。必要ないとは思うが――蘇飛、居るか?」
「……うん、居るけど?」
黒い外套を身を包んだ少女が大鎌を背に抱えながら歩み寄ってくる。
「こいつらを江陵の城都まで道案内してやれ」
「うん、わかった」
黄祖の指示に蘇飛と呼ばれた少女は頷くと、こっちだよ。と勝手に歩き出してしまった。
地面を擦りそうなほどに長いポニーテールを揺らす彼女の後を梨晏と二人で追いかける。
†
船上での旅路は決して快適とは言えなかった。
江陵に着くまでの期間、揺れに揺れる船上で船酔いに魘され続けた。その時、
「まだ慣れないのか」と黒い外套で身を包む少女が、じっとりとした目を向けられた。
「迷惑かけてごめんな、船に乗ったのは初めてなんだ」
「別に、最初から陸の人間には期待してないし」
「逞しいな」
不安定な足場、少しの失敗でも沈没する危険のある船上で生き続ける者達だ。
陸という揺るぎない地盤の上に立って生きることに比べると危険で過酷な環境にある。船は常に波に揺らされて、水流に流され続ける以上、一時も落ち着けることなく、四六時中、気を張り巡らせているのだろう。誰一人、自らの仕事に手を抜かない。同じ船に住む者同士、家族とも呼べる仲間を、失敗一つで命の危険に晒すことを知っている為だ。そんな人達が逞しいのは当たり前だった。
賞賛するつもりもなく、ただ思ったことが口から溢れた。それだけの話。
「看病されて、膝枕されて、ずっと魘されてばかりの貴様は情けないな」
蘇飛の辛辣な言葉に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
だが、情けなくとも足を止める訳にはいかない。
九江郡寿春に残った
水流に乗って吹く風は冷たい。艪を漕ぎ、水流を遡る。
†
荊州南郡にある江陵県、その城都。
長江に面した交易の要所であると同時に、南郡における行政の要所だ。
他でも都市でも同じことが云えるのだが政治の要所というのは交易の要所に構えられることが多い。それは人や物資、情報が集まるという意味でも重要だが、もっと重要な意味合いが込められている。それは情報伝達の速さだ。交易の要所ということは陸路にせよ、水路にせよ、道が整備されているということ他ならない。江陵は南郡全土を蜘蛛の巣を張るように川が流れており、南郡と同じく劉表劉の支配下にある紅夏郡とも長江で繋がれている。また劉表には蔡瑁と黄祖が鍛え上げた優れた水軍がある為、揚州に棲息する紅賊に頭を傷めることも少なかった。
そして紅賊が少ないということは、商船を思う存分に動かせるということでもある。
これで発展しないはずもなく、蘆江郡や九江郡と比べて随分と活気があった。それは異民族や賊徒、仮想敵国の盾とされている江夏郡よりも更に発展していた。港付近では毎日のように朝市が開催されており、毎日のように新鮮な魚貝類を食べることができる。加えて週に数度、他所から持ち込まれた商品を売りさばく為に市場が解放されることもあり、こちらもまた賑わいに満ちていた。荊州と揚州では何処も彼処が飢饉に悩まされる今の御時世であるにも関わらず、南郡の民草には飢えた様子がない。
港町を歩きながら「凄いね」と呟く
道案内役、蘇飛の勧めで入った食事処。
運ばれてくる食事は、揚州で支払ってきた金額と同じ量であるにも関わらず、倍近い量の御飯盛りで運ばれてきた。ここまでの境遇の違いには流石の
蘇飛は焼き魚の骨を器用に取り分けながら、ああそれね、と軽い調子で話してくれた。
「うちの刺史様が続けてきた珍妙な研究成果が身を結んだって話だよ、詳しくは知らないけど」
農業研究は刺史様の趣味だしね、と焼き魚の柔らかい身を口に入れる。
荊州刺史、劉表。文官としては優秀だが、乱世よりも治世に向いた人物という印象はある。しかし彼、もしくは彼女に農業における功績や逸話は記憶にはない。しかし記録や伝承に残っていないだけ、という可能性もあるかも知れない。
とりあえず焼きたて、炊きたての食事を冷めないうちに、と箸を伸ばした。
あ、美味しいな。これ。九江郡の食事よりもずっと美味しい。
「……農業関係者を誰かうちに引っ張って来れないかな」
食事を口にした梨晏は真剣な顔付きでそんなことを呟いていた。
「秘匿されてないから、そんなことをしなくとも大陸全土に広まると思うよ?」
蘇飛の呆れた顔に、むむむ、と梨晏は唸ってみせる。
その気持ちはよくわかる。
でも援軍要請が先だ、
†
港町を経て城都。
後漢末期、時代の大都市は外敵からの備えとして都市全体を城壁がぐるりと囲んでおり、その中心には行政機能としての内城が建てられていた。内城を囲む城壁の門を潜り抜ける時、「あれ?」と幼子が一人、話しかけてきた。「蘇飛、この人達って見ない顔だけど?」と問い掛ける幼子に「この方達は劉耀からの使者の太史慈と北郷です」と蘇飛は丁寧に返した。ふぅん、と幼子は興味深そうに太史慈を見つめた後、「劉表様なら謁見の準備をして待ってるよ」と言い残して何処かへと立ち去ってしまった。
蘇飛は「早馬で先に報せてました」と告げて、俺達を先導するように門を潜った。
客間で待たされること十分程度、すぐに謁見の間まで通されることになった。
荊州刺史、劉表。字は景升。
最近になってから州刺史に任じられた人間であり、南郡を平定した後、黄祖を配下にすることで江夏郡を実効支配する存在だ。
その彼女が今、謁見の間にて俺達から受け取った書状を片手に悩ましげな溜息を零す。
「んー、実際にどうなのでしょう?」
見た目はおっとりとした雰囲気を持つ大人のお姉さんといった印象であり、母性に満ちた容姿に加えて、些かのんびりとし過ぎているようにも感じられた。正史においては、謀略は好むが決断力に欠ける優柔不断の人物として語られる。実際、官渡の戦いが起きていた時、曹操の背後を攻めるには絶好の機会であったにも関わらず、静観を決め込んで好機を逃している。だが
劉表は頰に手を当てながら考え込んだ後、側近の一人を見つめた。
「周不疑、思っていることがあるなら言っちゃいなさい」
「はっ、若輩の身で恐縮ですが意見を述べさせて貰います」
南郡江陵にある城の評定の間、緊張感のない間延びした声に答えるのは見た目、小学生ほどの幼子であった。
周不疑、知らない名前だ。某戦略ゲームで何度か劉表を触ったこともあるが、周不疑という名前に見覚えはない。歴史に埋もれた人物の一人か、それとも歴史が変わってしまったのか。もしくは偽名を使っているのか、だって周不疑とかあからさまに偽名臭いじゃないか。もしかしたら自分と同じように現代から落ちてきた人物かも知れない。
見た目に騙されないように彼女の言動を注意深く観察する。
「結論から述べますと、援軍は送った方がよろしいかと」
「それはどうしてかしら?」
問い返すと周不疑は言葉を詰まらせることなく、口を開いた。
「はい、揚州刺史の劉耀に破滅されると次に揚州の覇権を握るのは孫堅になります。そして孫堅は我らに恭順的な態度を取らない袁術との繋がりがあり、我らは北と西から挟まれることになりましょう。まだ荊州南部の平定もなっていない現状、今、劉耀が破滅されるのは避けなくてはなりません」
ここまで一息に喋ると、少女は深々と頭を下げる。だそうよ、と劉表は私達に向けて柔らかく笑ってみせた。
「送る将兵に関しては周不疑、貴方に任せるわ。黄忠に確認を取ったら、それで進めちゃって頂戴」
「はっ!」
「もう下がっても良いわよ。早めに取り掛かってね」
周不疑はもう一度、深々と頭を下げてから評定の間から立ち去った。
この場に残されたのは俺と梨晏、そして劉表の他に護衛が多数。
「あの子、良いでしょう?」と劉表は我が身の如く、自慢げに笑みを深める。
「水鏡女学院が誇る四神の一人なだけあるわ」
「……水鏡女学院ってあの司馬徽が学長を務める、あの?」
司馬徽というのは俺でも知っている。諸葛亮と龐統、徐庶の師とされる人物であり、何に対しても「好し!」と答えた事から好好先生と呼ばれた人物だ。好好爺とは違って、あまり良い意味ではなかったことは覚えている。
私塾を開いていたことは知っているが、それがこの世界では女学院になっているようだ。
「臥龍の諸葛亮、鳳雛の龐統。籠亀の劉巴、伏虎の周不疑。今が戦乱の世にあれば、一人で天下に手が届き、二人で天下を手中に収めることができると呼ばれる俊英ですよ」
過分に誇張が含まれているでしょうが、と劉表は楽しそうに目を細める。
「あれ、徐庶は含まれていないのか?」
思わず、聞いてしまった。よく知っていますね、と劉表は微笑んだ後、何処ぞに視線を漂わせながら気不味そうに答える。
「……あれのことを司馬徽は
「先の四人と比べると随分とスケールが低くなった気が……」
「すけぃる? まあ、意味は害獣ですね」
「害獣?」
「ええ、罠に掛からぬ狡猾さで田畑を荒らし続ける害獣です」
もしくは白蟻とも、と彼女は告げる。
あまり深くは聞かない方が良さそうだ。ともあれ援軍の要請は達成することができた。
劉表から部屋を用意すると言われたので、好意に甘えた俺達はそのまま体を休めることになった。