艦娘百景   作:亜矢子

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アメシストの瞳

砲撃だろうか、爆撃だろうか。

地震のような揺れとともに我が執務室はみしりと軋み、照明が不規則に瞬く。

成程彼女らはずいぶんと近いところまで侵攻してきているようだ。

ここももう落ちるな、と独り言つと、すぐ後ろからええそうねと返事がある。

振り向けば、我が長年の相棒が微かな笑みを湛え私を見つめている。濡れ輝くその瞳はアメシストのように美しく、湖水のようにただただ静かに私の姿を映しだしていた。

 

 

***

 

 

撤退命令はとうに出していた。これは私の司令官としての最後の作戦であり命令である、命を無駄にするな、再起を図れ、総員整然と撤退せよ、と。皆、私の意図をよく理解し、速やかに隠密に事を成し遂げた。話に聞くキス島撤退作戦ですらここまでの完璧さではなされなかったであろうと考えるのは身内贔屓が過ぎるだろうか。これも日頃の厳しい訓練の賜物と我が部下達を誉に思う。あとは私自身が彼女らと直接対面し、この命と引き換えにつまようじほどの楔の一本でも打ち込むことができれば作戦は完遂、のはずであった。だが、最後の最後に一名の命令違反者を出してしまった。まったくもって遺憾である。

そう伝えると、相棒は笑みを一層深めこう返してきた。

そうね、でも命令違反者はわたしじゃなくて、あなた。総員撤退と言ったのにあなたはまだ残っているのだもの。わたしはそんなあなたを連れていくためにここにいるだけ。

なんともひどい屁理屈ではあるが、屁理屈なりに筋は通っているところが小気味よい。彼女達は着実にここに迫っている。相棒を安全に逃がす一手を手繰り寄せるべく私の頭脳が高速回転を始める。が、次に相棒が発した言葉を聞き、すぐにその思考を放棄することとなった。

わたしはいまでもはっきりと覚えている。あなたは、友にあれ、伴にあれとわたしを喚び寄せた。だからわたしはその最初の命令を最後まで守り通す。こんなにも忠実な部下を持って、あなたは本当に幸せな司令官ね。そうでしょう?

なんともなんとも実に小気味よいではないか。成程これは私の望みであったか。

しばし考えた後、よかろう、と私が正面に向きなおれば、相棒はまるでいつも通りに私の後ろに立った。

背中が少し暖かい。そんな気がした。

 

 

***

 

 

我が要塞の防衛機構がひとつずつ着実に突破されていくのがわかる。

たいしたものだ。物量だけではない、彼女らは随分な手練れ揃いのようだ。感心していると、あなたは…と相棒が囁くので続けたまえと先を促す。あなたは彼女達に憎悪を抱いているかしら、厭わしく思っているかしら、だから戦うのかしら、などと言う。

興味深い問いかけである。こういう考え方はどうだろう。我々は各々が生物群集の構成要素としての役割を果たしているに過ぎない。群集内では各要素の個体数には調和が必須である。一つの種が突出した拡大を見せ調和が乱れれば、必ず揺り戻しが起こる。それが今の我々の闘争状態であると言えよう。我々の乗る天秤はいまだ大きく揺れ動いているが、いずれ必ず調和を見出す時が来ると私は考えている。必要なのはただ調和である。

ちっともわからないわ。あなたの悪い癖ね。

ふむ、そうだな。つまるところは、だ。私個人の感情としては、むしろ彼女らの在り様には大いに好感を持っているのだがね。落花情あれども流水意なし、とでも言おうか。私は振られ続けてついには今日、引導を渡されるというわけだ。

わかった。じゃあわたしも彼女達を好きになる。わたしはあなたの艦だもの。

嬉しいことを言ってくれる。まったく君は私には過ぎた相棒だな。

 

とりとめのない会話を交わしていると、鈍い振動とともに我が執務室が断末魔の如き軋み声をあげた。最後の防衛機構が突破されたようだ。

 

さて、いよいよ我が一世一代の大勝負の始まりである。私の最後の求愛が彼女らの心を射止められるよう、そこで祈っていてはくれないか。

そういうことならわたし、今日だけは彼女達の側になりたかったって思うわ。

そう、思うか。

ええ、本当に。

 

 

 

 

ゆっくりと椅子から立ち上がる。慣れ親しんだこの椅子に座ることはもうないだろうと思う。お客さんが到着したようだ、と言うと、相棒は静かに私の前に移動し護衛体制に入った。まったくもって私には過ぎた相棒だ。この娘が生きられる可能性をわずかなりとも残しておくべきであると判断し、彼女に命じた。

武器など構えていては君も私もたちまち蜂の巣にされるだろう。武装を解除して下がっていなさい。

しばしの間をおいて、はい、とやけにしおらしい返事が聞こえた。

 

 

***

 

 

「やあ艦娘諸君、深海要塞司令部へようこそ。君たちを歓迎しよう。」

 

なんだ、この男は。

私は若干の混乱と躊躇を覚えた。何故ヒトがここにいる。何故ヒトがそちら側にいる。

この要塞の集中管制室と思しき部屋へ突入、即時に散開した私たちの前で、士官のような制服を身に着けた長身痩躯の男が両腕を広げにこやかに言葉を発している。君たちを歓迎する、と。その男は左手に持った白いハンケチをゆるゆると振っている。降伏だとでもいうのか。

 

「初めまして、艦娘諸君。私はこの要塞の司令官である。私には君たちで言うところの名前というものがないのでな。名乗りたくとも名乗れぬ。失礼の段ご容赦願いたい。」

 

その男は続けてこう言った。

 

「さて、この戦は君たち艦娘の勝利だ。我々にはすでに戦う意思も力もない。だからほんの少しだけ、時間をくれないだろうか。なに、最後に君たちと話をしてみたくてね。それだけだよ。」

 

ちらりと周囲をうかがえば第一艦隊の皆も警戒しつつ戸惑いを隠せない様子だ。それもあたりまえだろう。いざ決戦だと意気込んで来てみれば、司令官を名乗る謎の男が投降の意を示し、話をしたいと言う。何もかも初めて尽くしではあるが、完全な意思疎通が可能な深海勢との遭遇もそれとの対話も、過去記録がない。敵情を知る貴重な機会かもしれない。あの男が人でありながら敵についている理由も気になるところだ。さてどう動くべきか、と考えながら副官の扶桑の様子を窺う。

その時私は、男の振る白いハンケチの向こうに、同じくらい白い色をした女の顔を見た。見てしまった。アメシストの瞳を持つ深海棲艦、姫級。微かな笑みを浮かべながらこちらを見つめるその顔は。その顔は…。

陸奥を。私のたった一人の妹を。沈めた。女だ。

 

「貴様はっ、貴様が陸奥をっ」

 

私は我を忘れた。軍人としての自分を忘れた。第一艦隊旗艦としての自分を忘れた。長門という艦娘を忘れた。何もかも忘れて、妹を失ったただの姉が残った。私の副砲が妹の仇へ瞬時に狙いを定める。駄目ですっ、長門さんっ。扶桑の声が聞こえる。何が駄目なものか。狙いは完璧、必中ではないか。司令官を名乗る男が妹の仇へ飛び掛かり、庇うように覆いかぶさる。おかげでやや照準がずれるが構うまい、この近距離だ。砲身の指す先で私をただ見つめる女と目が合う。アメシストの瞳。なんだ、その目は。敵意もなく、恐怖もなく、諦念もなく。なんだ、お前は。やめろ。私をその瞳で見るな。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。熱を帯びてゆく私の頭の中で、カチリ、と小さな音をたて撃鉄が下りる。

轟音。炸裂。

奴らが諸共吹き飛ぶ様が、スローモーションのように私の脳裏に残像を残した。

 

「ははは。やった、やったぞ陸奥。私は、私が、お前の仇をとったぞ。陸奥、見ていたか、陸奥っ。」

 

脱力し膝をついた私は、止めなさいっ、と飛び掛かってくる扶桑に簡単に組み伏せられる。

やってやった。妹の、陸奥の仇を討った。

嬉しいはずなのに、私の頭に浮かぶのはただただ透き通ったあのアメシストの瞳ばかり。

いくら叫んでも、陸奥の返事は聞こえてこなかった。

 

 

***

 

 

今にも消えそうな小さなぬくもりを胸に感じ、目が覚めた。

我が全身が盛大に苦痛の声を上げている。これは想定より少しばかり早く海に還ることになりそうだと考えながら喧しく鳴り響く痛覚を遮断すると、私は目を開けた。腕の中の我が相棒も満身創痍、虫の息だ。もとより私の体一つで戦艦の艦砲射撃を防げるはずもない。即死でないだけでも幸いというものだ。相棒を抱きしめる形で固まっていた腕の力を緩め、わが胸に収まるほどの小さな頭をそっと撫でる。意識は戻らずとも命の灯はまだ消えていないようだ。少し安堵した。それにしても。先日相棒が沈めた陸奥がこの長門の妹であったとは、なんとも因果な巡り合わせではないか。そう考えながら私はもう一度、相棒の頭をそっと、そっと撫でた。

 

あれは扶桑君か。誰か応急処置をっ、という切迫した声が聞こえる。小さな艦娘がこちらへ駆けつけてくるが、私たちの惨状を見ておろおろとするばかりだ。致し方あるまい。どうやら私のような完全に人型の深海種に遭遇するのも、それが傷つく様を見るのも初めてのようだ。情報と感情の処理が追いつかないのだろう。

 

「君は…皐月君、かな。救命措置、感謝する。だが見ての通り、我々はもう助からんだろう。」

 

実際、私と相棒の下腹部には風穴が開いているし、おまけに私は両下肢が吹き飛んでしまっている。大破の域を超えている。人間だったらとうに絶命しているような怪我だ。

 

「あの、ボク、あの、あの」

 

大分動揺しているようだ。大きな瞳にあふれんばかりの涙をためている。優しい娘じゃないか。

 

「心配ない、こう見えて私は深海種なんだ。人ではない。君たちは相争う競合を打ち倒しただけ。決して君たちが守るべき人間を傷つけたのではない、いいね。だから君は、大丈夫だ。」

 

「でも、でも、脚が。血が。ボク…」

 

ついには涙が零れ落ち、床にへたり込んでしまう。見た目は人と変わらない、言葉を交わすことだってできる。そんな相手を殺す側に立つことは、この娘には辛すぎるか。これ以上の対話は無理だと判断し、他の艦娘たちをひととおり観察する。

放心している長門を取り押さえながらも、扶桑は私から目を離さない。彼女がこの艦隊の参謀に違いない。呆然とこちらを見ている重巡はザラだろう。女の子らしい優しさと感受性の強さを感じる。妹のポーラは武器を下ろし、感情の見えない瞳でじっと私と相棒を観察している。突発的な状況変化にも感情のコントロールを失うまいとしている瑞鳳はよい空母だな。空母は抜きんでてクレバーであるべきというのが私の持論だ。

 

それぞれの命がそれぞれに、眩しく輝いている。

なんとも美しいものだ。そう思った。

 

 

***

 

 

事情が事情とはいえ、長門さんの旗艦らしからぬ行動に心の内で舌打ちをひとつ。武装を持たず白旗を振る相手を一方的に攻撃するなど言語道断です。そう考えていると、皐月さんとあの「司令官」の会話が耳に入ってきました。

こう見えて私は深海種なんだ。人ではない。

恐らく本当のことでしょう。あの惨状で即死しないばかりか意識を保っているなど脆弱な人間ではありえない生命力ですが、深海種ならばそれも頷けます。深海種にあのような完全な人型の形態があるとは驚きの一言。しかも私たちの言葉を流暢に操り完全な意思疎通ができる。司令官、と言っていたがあの人型男性形態は変異種なのか、複数個体が存在するのか、男女があるということはあれらは交配可能なのか。謎が謎を呼びますね。惜しいことをしました。あれは生かしてもっと情報を引き出すべきでしたが、もう長くはないでしょう。あの二体の周りには大きな血だまりができています。もはや応急措置がどうこうという段階ではありません。ならばどう動くか…。

暴走した長門さんを組み伏せ瀕死の二体の様子を油断なく窺いながら、私の頭は忙しく働いていました。

 

 

「扶桑君、少し、いいかね。」

 

あの「司令官」から唐突に話しかけられる。ちょうどいい機会。できるだけ情報を引き出してみましょう。

 

「人は何故、我々を追い詰めるのだろうな。」

 

藪から棒に何を勝手なことを。いけないと分かっていながら頭に血が上るのがわかります。

 

「あなたたちが侵略してくるのでしょうがっ。あなたたちがどれだけの人を、艦娘を殺してきたのかわかっているのですかっ」

 

「この戦争で我が同胞がどれだけ命を失っているか、君はご存じだろうか。」

 

話を逸らすな。お前らがいなければ、お前らが襲ってこなければ、誰が好き好んで戦うものですか。

 

「人は何故、我々の棲み処へ土足で踏み込んでくるのだろうな。」

 

「あなたたちが私たちを襲わなければ、私たちは戦いません。」

 

「そうだな。君たち艦娘はそうかもしれない。しかし人はどうだろう。彼らには(おか)があるだろうに。陸で生きていけるだろうに。何故我々の棲み処を踏み荒らしてくるのだろうか。我々には、海しかない。深海(うみ)しかないのになあ。」

 

私には返す言葉が見つかりませんでした。こんな話は聞かなければよかったと思いました。

人が深海域に踏み込まなければ深海棲艦が人と戦う理由はない。

人が深海域に踏み込まなければ艦娘が深海棲艦と戦う理由もない。

彼はそういうことを言っている。

そんなの。そんなの詭弁ですっ。

そう心から言えたならどんなに気が楽だったでしょう。

しかし、私の心に灯ってしまった一つの疑念は反論を許してくれませんでした。

この長い戦争は、深海資源採掘船団が深海棲艦に襲われ全滅したことから始まった、と聞いたことがあります。艦娘が現れるまでの間、人は海から駆逐され陸に閉じ込められていたといいますが、その間深海棲艦が陸上の民間施設を攻撃したという記録は見たことがありません。思い起こしてみても、私自身そういう経験をしたことはないのです。戦艦がいれば、鬼級がいれば、姫級がいれば、航空戦力があれば、いくらでもやれるだろうに彼らはやらない。戦いはいつも人と艦娘が出張った先で起きる。今日のこの要塞戦のように。

そんな馬鹿なことが。

 

「我々を滅ぼしたならば、次は何処の誰と戦うつもりなのだろうな。人は。」

 

そう。次は、次は…。

そのとき艦娘(わたしたち)はどうなるのでしょうか。

私は深い、深い思考の深海(うみ)へと沈んでゆきました。

 

 

***

 

 

 

腕の中の我が相棒が身じろぎした。意識が戻ったのだろう。

艦娘たちとのおしゃべりはもう十分だ。

残りの命は相棒との最期のひとときに。実に僥倖である。

 

ねえ、あなた。生きてるかしら。

ああ、君がなかなか目覚めないものだから肝を冷やしたよ。おかげで大分寿命を削られた。

お姫様の眠りは王子様のキスで覚ますものなのに。待ちきれずに起きちゃったわ。

それは悪いことをした。

ねえ、寿命。どのくらい残っているかしら?

あと5分も持てば上々、というところだろうな。血を失いすぎた。

そう。私も同じくらいかしら。私たち、お揃いね。

ああ、そうだな。

ねえ、あなた。両脚を、どこへやってしまったのかしら。

ああ、あれは存外薄情な奴でな。私を置いて先に還ってしまったんだ、海の底へ。

そう。そう、なの…。私たち、こんなところもお揃い…ね。

ああ、お揃いだ。うれしいよ。本当に。

 

私を一心に見つめる瞳から一粒の涙がこぼれた。

初めて見る彼女の涙は宝石のように煌めき、初めて拭う彼女の涙は陽だまりのように暖かかった。

 

 

月が、きれい……

そう呟き、彼女は静かに瞼を閉じた。

偕老同穴という。私ももう、死んでもいいだろう。

返事はなかった。

叶うならば平和な深海(うみ)でもう一度。最期にそう願い、私も目を閉じる。

私の心は限りなく軽くなり、ついには空を舞う鳥になると、アメシストの瞳を探し飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まるで空気な娘が何人か。のちほどフォローするつもりです。
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