その日、ひょっとしたら運命の人と出会えるかもしれないじゃない。その運命のためにもできるだけ可愛くあるべきだわ。
― Coco Chanel(ココ・シャネル)
明石はその日、運命を呪った。
綺麗な手で、優しげな微笑みで、嫋やかな仕草で、甲斐甲斐しくあの子を世話する間宮の姿が脳裏に焼き付き離れない。
最近の威力偵察作戦では大破撤退が続いている。突発的な大規模夜戦もあった。これらにより工廠の仕事は、消化よりも積み上がる方が多い状態だ。汗に塗れ、油に塗れ、草臥れたツナギを身に纏い、ひたすらに仕事をこなす。小さな泊地である。工作艦は明石一人。自分がやらねば誰がやる。誇り高き工作艦明石は工廠で一人、ひたすらに仕事をこなす。私だって、私だって、私だって。
私だって頑張ってるのに。どうして。
油と煤が染みつき薄汚れた両手。手弱女とはほど遠いそれをじっと見て。
誇り高き工作艦明石はその日、自分の運命を呪った。
***
「やぁやぁ。おっす、おーっす。明石っちー、順調~?」
「北上さん、手伝って。」
「や。アタシこれから遠征なんだよねー、ざーんねん。」
頭の後ろで両手を組みそう言い放つ北上。まったく残念ではなさそうな態度だ。背を向けたまま、チッと憚ることなく舌打ちをする明石だったが、そんなつれない態度など馬耳東風。今忙しいです、と全身で主張する明石の態度を気にするそぶりも見せず、いつものポーカーフェイスを浮かべる北上である。
「ほらっ、明石っちー。スマイルスマイル。笑顔は女の武器だって、大井っちが言ってたよ。」
にーっ、と両手で口角を吊り上げる北上の顔をちらりと見て、また背を向けて。まったく説得力がない、と明石は思った。北上がいなければいつも不機嫌をまき散らしているようなあの娘のどこからそんな言葉が出てくるのか、と。そんな考え事をしながらも、高圧缶の整備に忙しく動く手は止まらなかった。北上の言葉の説得力はともかくとして、この泊地の明石はめったに笑顔を見せることがない異端の明石として知る人ぞ知る存在だった。明るく溌剌、おしゃべりで、人懐っこい。そんな一般的な明石観からは外れ、愛嬌もなければ素っ気もない。職人気質なあり方がなぜかこの泊地の提督には刺さったらしく、彼女は長く重用されていた。
「ねーねー明石っちー。例のあの子なんだけどさぁ。」
そんな無愛想明石の背に、ぴくん、と力が入る。
人間観察が趣味のようなところのある北上である。明石があの子を大層気にかけていること、そしてそのことを無愛想な仮面で隠そうとしていることを薄々察していた。ここのところの明石は、そんな内心とは裏腹に工廠に籠りっきりで、あの子の見舞いに行った様子もない。そんなだから、最新情報を届けてやろうとわざわざ遠征前に来てあげたのだ。
「ずいぶん元気になってきてるよ。最初はもう生気が感じられなくてヤバいかなって感じだったけど。まあ間宮さん、べったりで
ふぅ、という深いため息とともに明石の背に籠った力が少し緩むのを横目に眺めながら、まったく素直じゃないねぇという思いを隠し北上は続けた。
「それにしてもさぁ、提督にはびっくりだよねぇ。拾ってきた子をいきなり、私の養子にするっ!なんてさ。さすがにあの歳で独り者だと寂しくなるのかねぇ、っておっとっと、しゃべり過ぎたか。」
いつの間にかこちらを向き睨むようにじっと自分を見据える明石。提督の養子という部分が気に食わないのか、重い威圧感を漂わせている。北上は慌てて口を噤むと心の中で小さく唱えた。
くわばらくわばら、艦娘の嫉妬は怖いねぇ…。
***
明石にとって彼との出会いは歓喜、諦念、未練が入り混じったほろ苦いものだった。
例のあの子。
明石繁忙の原因ともなっている先日の夜戦で拾われてきた男の子である。拾ってきたのは天龍率いる水雷戦隊。なんでも粗末な丸木舟とともに海上を漂っていたところを発見し保護したとか。月明かりのない新月の夜によくぞ発見できたものだ。外傷多数、意識不明の状態で泊地へと運び込まれて以来、間宮がほぼつきっきりで看病していたという。
そんな彼の容態が落ち着きを見せ始めた頃、泊地の全艦娘に召集がかかった。提督から重要な通達があるという。工廠で終わりの見えない仕事に明け暮れていた明石も、当然その対象であった。明石は、猫の手も借りたい状況だというのに何を、という微かな不満を飲み込み、着の身着のまま、つまり油と煤にまみれ薄汚れたツナギ姿で会議室へと向かった。化粧っ気もなく、なんなら頬には一筋の油汚れまでついている。それはいつも通りのことであった。そうやって一心不乱に頑張ってくれている明石あっての泊地であることは艦娘たちも提督もよく理解しており、明石の身だしなみに眉を顰めるような者はそこには誰一人としていなかった。
― まあ艦娘と女提督しかいない辺境泊地だもんねー。
― ん。そういうこと。
合流した他の艦娘たちといつも通りの軽口を叩きながら会議室へ向かった。
泊地で一番大きい会議室、入室すると自然と前方が目に入る。
そこに明石の運命が、居た。
白いベッドの中、小さな男の子。
寄り添い優し気に声をかけている間宮。
その隣に提督。
ああ、と明石は内心で歓声を上げていた。いや、声に出てしまっていたかもしれない。その声が周囲の注意をひいてしまっていたかもしれない。だがそんなことが気にならないくらい明石の意識は集中していた。男の子の姿に。
艦娘には受肉しヒトカタを得た理由を悟る瞬間が稀にあるという。それは爆発的な喜びや充足感を伴うそうだ。たとえば強大な
明石にとってはまさに今がそれだった。
自分はこの子を支えるために生まれたという直感めいた何かが急速に心に沸き上がる。なぜこの子か?本当にこの子か?普通はあるべきそんな疑心は微塵も浮かばなかった。間宮へと向けられていたその子の視線がふと自分へ向く。小さく微笑んだ気がする。確かに
その子の視線がゆっくりと間宮へと戻っていくのを惜しみ追いかけ、明石のそれも自然と間宮へと向けられた。間宮の白魚のような綺麗な指がその子の頬を撫で、慈母のように優しげな微笑みをその子に向けるのが目に入ったとき、明石はすべてを理解した。彼女も自分と同じものをあの子に見出しているのは一目瞭然だった。間宮は今、自らの持つ魅力を全身から滲ませるように輝いていた。それに比べて今の私はどうだ。薄汚れ油染みが浮きくたびれたツナギ姿も、化粧も忘れたこの不貞腐れたような仏頂面も、あの美しく輝く間宮に及ぶべくもない。あの子の隣に立ち、あの子と共に歩む。間宮と明石の
その日、明石はそれ以降の話をよく覚えていない。あの子の紹介があったような朧げな記憶は残っているが、気づいた時には自室で一人、枕に顔を埋めていた。
「コマ…。」
ただ、あの子の名前だけが耳の奥に染みついて離れなかった。
***
「それで、北上さんは…。」
「北上さんはあの子のこと、嫌じゃないんですか。」
そんな出来事以来明石は、コマを避けるようにいっそう工廠へと籠るようになっていたが、だからといって孤立しているという訳でもない。工廠を訪れる艦娘たちとはそれまでと変わることなく世間話を交わしていた。そこから聞こえてくるコマの評判は決して芳しいものではなかった。
曰く、間宮さんを独り占め。甘味処の休みが増えた。恨めしい。
曰く、近くにいるとどうも嫌な感じがする。近寄りたくない。
曰く、自分の妖精さんがあの子に吸い寄せられる。なにあれこわい。
聞く限り間宮以外の艦娘には大層受けが悪いようだ。天龍たちに拾われる前はいつも一緒にいたという野良艦娘は姿を消しており、提督の発表では、沈んだものと思われる、とのこと。そんな状況ではさぞ居づらいことだろうと心配していた。そんなコマの近況をわざわざ話題にもってくるあたり、北上はひょっとしたら違うのではないか、とささやかな期待を持って質問を投げかけた。
「アタシ?」
しばらく間をおいてから、北上は溜息とセットで少し気まずそうに問いに答えた。
「んー、アタシも近寄りがたい派、かなー。あの提督が養子にするなんて言うくらいだから悪い子じゃないんだろうとは思うけど…なんか違うんだよねぇ、相性ってやつなんかねぇこれは。うん。」
期待外れの回答に、いつも以上にむっすりとした様子を見せる明石の機嫌を取るように北上は話を切り替える。
「あーそうそう。あの子、拾われる前の記憶がまだ戻ってないみたいだよ。覚えてるのは名前だけだってさ。コマ。独楽?巨摩?まあいっか。なんだかちょぴっと可哀想だよねぇ。」
記憶が戻らない? そんなの知らなかった。なんてことだ。ちょぴっとじゃないだろう。それはどれだけ心細いことか。明石は胸の奥がムズムズとするのを感じた。
「それにさ、明石っちも知ってるよね。あの子、間宮さんと提督以外に相手してくれる人、いないみたいなんだよねー。まあ提督はよく間宮さんに追い払われてるんだけどね。」
「アタシにはどうも無理っぽいんだけどさ、でもせめてもう一人や二人くらい相性のいい人がいてもいいんじゃないかなーなんて、北上さんは思うわけですよ。」
胸のムズムズが加速する。
間宮だけじゃない。私だって少しはコマの力になれるんじゃないか、いや、今こそ力になるべきではないか、そんな思いが頭をもたげる。未練だ。コマには間宮がいる。北上にうまいこと乗せられてるのはわかっている。でも悪い気はしない。
会ってみるくらいいいじゃないか。一言、二言、励ますだけでも。今度はちゃんと身だしなみを整えて、見苦しいと思われないように。そうだ、明日にでもまずは間宮と話をしてみようか、と心を固め顔を上げた明石の眼を覗き込むと、うんうん、と二回、北上は頷いた。
「さてと。北上さんはそろそろ遠征ですよーっと。じゃーねー明石っち。」
それだけ言うと、北上は軽やかに去っていった。
明石の胸で燻ぶり続けていた熾火がこの時、小さくとも確かな決意となり燃え上がった。
***
「ねぇ天龍ちゃん。私たちが拾ったあの子ってやっぱりあれよね、あの野良艦娘と一緒にいた子。」
「ああ、間違いねぇな。こないだ提督も言ってたじゃねぇか。対象を保護できたから救出作戦は中止にするってよ。俺はまだまだやり足りねぇんだが損害が大きい作戦だったしな、中止は仕方ねぇ。」
「はいはい。」
「でも拾った時、あの子は一人だったのです。野良艦娘さんはどこに行っちゃったのです?」
「あの子を捨てて島を出て行った、っていうのはなさそうよね~。」
「そりゃあ一番ねぇだろ。あんだけいつも仲良さそうにしてたしな。」
「言いにくいことだけれど、沈んだんだと思うよ、状況的に。あの子の乗っていた丸木舟には艦娘サイズの曳航索がついていた。」
「雷もそう思うわ。あの「例の島」からあそこまでヒトの子の力で漕いでいくのはちょっと難しいんじゃない?」
「なのです」
「ん?なんだなんだ。私の可愛い息子の話か?そうだな?そうなんだな?」
「うおおおおっ! どっから生えてきやがったこの提督っ!」
「どこからでも生えてやるさ、我が子の為ならな。フフッ。」
「親バカ提督がまた聞きつけてきたのです。話をすれば提督の影、油断ならないのです…。」
「まぁ待て。随分とつれないじゃないか、電。」
「つれなくもなるのです。突然あの子を養子にするなんて言い出した時には正気を疑ったのです。」
「そう言うな。私もこういう仕事だからな。若いころから戦場を転々とする日々で、この歳まで子どもなんて接点もなかったし考えてもみなかった。でもなぁ…。意識の戻った巨摩に会って、記憶がないことを知って…。天涯孤独な身の上のあの子に縋るような円らな瞳で見つめられたときにな。こうビビッと来たんだよ。わかるだろう?可愛いよなあ、巨摩は。もうな、いい歳したオバサンのな、胸のこの辺がな、キュンってした。ああ、私の下に天使が舞い降…「ちょっと提督をお借りしていきますね」
「うがっ、ちょ、待て大淀っ!首はっ、首はだめだろう!い、息、が…。」
「うふふ、提督? お仕事はこちらですよ?」
「ア…ァ…。」
「…。」
「容赦ないわね、大淀さん。雷も少し見習った方がいいのかしら…。」
「おすすめはしないよ。雷には似合わない。」
「俺も同感だ。まあ提督は置いといてよ。あの子を拾った時の紫の光の柱、ありゃいったい何だったんだろうな。龍田、わかるか?」
「遠方の海上に淡く輝く光の柱。その下にたどり着いてみれば傷を負った子どもが一人海上を漂っていた…。よくわからないけど、神秘的ではあるわねー。」
「あれは絶対に確認するべきだって電が言い出した時は俺もどうしたもんかと悩んだけどよ…。結果を見てみりゃ命をひとつ救うことができた。電のファインプレーだったな。」
「不思議な光だったのです。助けに行かなきゃって直感したのです。あの光に導かれて一人の子を助けることができた。本当に、本当によかった…。」
「神秘的な光が指し示す子供、か。ありゃあ冗談抜きで天使だったのかもしれねぇな。って、俺らしくもねぇか。ははっ。」
「アレは…。あの子は天使なんて上等なものじゃない、と私は思う。むしろアレは…何か…。」
「あらら? どうしたの響ちゃん? 眉間に皺が寄ってるわぁ~。」
「すまない。でもアレは私たちとはどこか違う…、と思う。」
「んー、どこか違う感じがあるっていうのはそうかも~。」
「雷もそんな感じはするわ。でも嫌いってわけじゃ、ないのよ?」
「なの、です…。」
「まぁ俺も、な。いいじゃねえかそれでも。広い世の中俺たちとそりが合わねぇヤツだって少しはいてもおかしかねえだろ。敵じゃねーんだ。お互いぶつからないように気を付けときゃそれでいいんじゃねえのか?」
「「「「……。」」」」
「な、なんだよ。」
「また天龍ちゃんがまともなコト言い出したわぁ~。」
「疲労の溜まっている艦は休ませよう。」
「天龍さん、大丈夫よ。あとは雷に任せてっ!」
「そろそろ寝た方がいいのです。」
「どうせ俺は…くすん。」
暁:
今回の天龍艦隊会話劇において一切出番がなかった
別にハブられていたわけではなく、天龍の膝枕で終始スヤスヤしておられた。寝る子は育て。