お二人は海軍士官学校という提督の卵が通う学校で、食堂のおばちゃんお姉さんをやっているそうですよ。
びくりと体が震え夜中に目が覚める。
奈落へと墜ちてゆくようなヒヤッとした感覚が体の芯にまだ残っている。また怖い夢を見ていたようだ。あぁ、夢でよかった。パジャマが汗でしっとりと濡れているのが少し気持ち悪い。
それにしても。
── シャシュッ シャシュッ シャシュッ
この音はなんだろう。
── シャシュッ シャシュッ シャシュッ
枕もとの目覚ましを見ると夜中の二時。
── シャシュッ シャシュッ シャシュッ
聞きなれている音のような気もするけど。
半分寝ぼけたまま頭だけ上げてぼんやりと部屋を見渡す。台所に薄明かりが灯っていて、髪の長い女性の後ろ姿が見える。なんかすごくキラキラしてる。あぁそうか、これ、聞いたことあると思ったら間宮さんが包丁を研いでいる音だ。でもなんでこんな丑三つ時に?なんであんなにキラキラしてるの?しばらくぼうっとその音を聞いていると、包丁が砥石を滑る軽快なリズムに合わせ鼻歌が聞こえてきた。
切れ味抜群 間宮の包丁♪
綺麗なあのコを 華麗にさばく♪
そうよあなたは まな板の上♪
間宮がおいしく いただいちゃうわ~♪
なんという肉食系ソング。聞かなかったことにしよう。
そういえば、と先日海防艦の子たちに読み聞かせた昔ばなしを思い出した。お寺の小僧さんが夜中に目が覚めると、隣の部屋で山姥が包丁を研いでいて…、というあれ。三枚のお札っていったっけ。例えるなら間宮さんが山姥、私が小僧さんというところか。間宮さんがあの包丁で私をさばく、っていやいやそんなわけないでしょ。益体もないことを考えていると私の気配に気づいたのか間宮さんが振り向いた。目が合う。うっすらと笑みを浮かべると、すーっ、と音もなくすべるように私に近づいてくる。右手には研ぎたての包丁を握ったままだ。
「あら伊良湖ちゃん起きちゃったのね、残念だわ、うふふっ。」
背筋をぞくっとしたものが走った。え、なに、これ、嘘でしょ。なんで包丁を逆手に持ちかえるの。急転直下の展開に私が硬直している間に、間宮さんは枕もとに立っている。
「本当に、残念だったわね伊良湖ちゃん。目を覚まさなければ何も感じずにすぐに楽になれたのに。うふふふっ。」
間宮さんの右手で包丁がギラリと輝く。目が吸い寄せられる。ああ、なんて綺麗な包丁なんだろう。あれは相当の業物だ。私の口から、ひっ、という声とも息ともつかぬ音が小さく洩れる。
私の意識は真っ赤な闇に沈んだ。
***
「っていう夢を見ちゃったんですよわかります?わかりますよねヤバい超ヤバいもうこれはもう仕方ないですよねもう必然?っていうかほらあれ、水の低きに就くが如し、なんていいますし」
パンツを履き替えた後の私は実に饒舌であった。間宮さんの前に正座しながら油紙に火の付いたように言い訳を連ねる。一息つくと問題の矮小化による自己防衛も忘れない。なに、どうということはない。びっくりしてパンツがちょびっと、ほんのちょびっと湿っちゃっただけじゃない。断じておねしょとかそういう大層な話じゃないの。パンツの替えは十分にある。どんと来い(来いとは言っていない)。
それにしても間宮さんとの二人部屋でよかった。秘密の漏洩は最小限にとどめられた。尿の漏洩だって最小限だったんだからね。これが駆逐艦娘みたいな大部屋だったりした日には噂が噂を呼び、給糧艦ならぬ給尿艦、なんて言われかねない事態だった。
それはさておき、まあなんであんな夢を見てしまったのやら。自分の怖がりが嫌になる。間宮さんだってほら、苦笑いしながら私を見ているではないか。
「まあ伊良湖ちゃんの怖がりはいまさら仕方がないわよねぇ。悪い夢を見ちゃったのよね。大丈夫、誰にも言わないから安心して。」
間宮さん、その優しさが痛いです。穴があったら入りたい。
いかに怖い夢だったか、私がなおも愚痴っていると、よくわかったわ、と間宮さんが細長い桐の小箱を出してきた。なんだろう。怖がりを治す秘密の漢方だったりして。
蓋を開け中身を手に取った間宮さんを見た瞬間、自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。ギラリと輝く美しい刺身包丁だ。夢だったはずの光景がフラッシュバックする。なんでなんで?アレは夢だったんでしょう!?どうしてこんなことに。
「ねぇ伊良湖ちゃん、いい包丁でしょこれ。さっき研ぎ終わったところなの。それにしても残念だわ。全部忘れていてくれたらよかったのにねぇ。んふふっ。」
狂気をはらんだ目でにこりと笑いながらそう言うと、間宮さんはゆっくりと包丁を逆手に持ちかえる。
煌めく銀の閃光に、私の意識の糸はすぱりと断ち切られた。
***
「マジ反省してください。」
再びパンツを履き替えた私は腰に手を当て仁王立ちしていた。
目の前には小さくなって正座している間宮さんがいる。
「ごめんなさい。だってだって、あんまりくどくどと愚痴るから。これはフリなのかな~なんて。」
「だっても政宗もありません。本当に反省してるんですか間宮さんっ。大体そんな尊厳とパンツをかけたフリを私がするわけないじゃないですか!」
伊良湖怒りの説教タイムである。
あんな変則二段オチに私が対処できるわけがない。私の怖がりをナメないでいただきたい。おかげで今度はパンツのみならずパジャマのズボンにまで浸水被害が及んだではないか、ちょっとだけね。ヤバい、超ヤバかった。一回目みたいに布団の上だったらそっちまでいってたかも。
まだまだ新米だけど、これでも私は誇り高き給糧艦伊良湖だ。間宮さんのような超一流の給糧艦になりたいという夢があるのだ。
「大改装を受けて給尿艦にジョブチェンジした伊良湖・改です。提督の特殊性癖にもバッチリ対応するわよ。」
ってやかましいわっ。マジ下半身パン一で仁王立ちして偉大な先輩に説教する私の身にもなってほしい。私の怒りが収まらないのを見て、間宮さんはさらに謝罪を重ねてくる。
「本当にごめんなさい。あれは、その、あれよ。ちょっとしたマーミヤンジョーク?みたいな?パンツは私がちゃんと洗っておくからもう許して、ねっ?」
「パンツだけじゃなくてズボンも洗ってくださいっ、違うっ、自分の下着くらい自分で洗うからいいですっ!まったくもう…。いいですか、こういうのもう二度と絶対にしないでくださいね、時間もないしお説教はこれで終わり!」
と宣言すると、本当にごめんね、と頭を下げてから間宮さんは朝の支度にとりかかった。
あれ、パンツ。洗ってくれないの。
それはともかくもう外は明るくなってきている。私も仕事の準備しなくちゃ。
***
はぁ、もうなんか毒気を抜かれてしまった。何がマーミヤンジョークなのか。そんな言葉初めて聞いたよ。どこぞの中華ファミレスか。初めて会った頃はあんなにはっちゃけた人じゃなかったはずなんだけどなぁ。まあ原因はアレなんだけどね、と一人の学生さんを思い浮かべる。
そう、あの近頃話題の妖精たらしだ。
最近私にも間宮さんの変化の原因がわかった。だって間宮さん、食堂で彼と話してるときとか、ほんの一言二言くらいでもすごい嬉しそうだし、考えてみれば彼が入学してきた頃から急速に明るくなった感じだし、毎週異常に力を入れているカレーだって特製福神漬だって彼の好みに合わせてるみたいだし、そもそも彼がらみの時以外キラキラしてるの見たことないし。まず間違いないよね。あの業物の刺身包丁だってこの間の彼との会話がきっかけに違いない。間宮さんのさばきたてお刺身とか。伊良湖はそば耳立てて聞いていたのですよ。
間宮さんは彼のどこに惹かれたんだろう。ちょっと気になる。彼って妖精たらしなんて言われるだけあってヘンな妖精がたまにへばりついてたりするし、明石さんとか古参の方々と仲良さそうにしてるのよく見るし、信じていい人なんだろうなあとは思うんだけど。
「伊良湖ちゃーん。そろそろ出るわよ。」
あ、間宮さんが呼んでる。
食堂で偶然、ほんとうにたーまたま彼と顔を合わすことがあったら、私も話しかけてみようかな。そんなことを考えながら鏡の前で微笑んでみる。よし、笑顔もばっちり。
「はーい、今行きまーす。」
さあ、今日も一日頑張っていこう。給糧艦伊良湖、抜錨ですっ。
伊良湖ちゃんジョブチェンジ未遂。
なんとなく書いてあったのはここまでなので、次の投稿はいつになるやら。ほどほどに、がんばりまする。