「なあ、電。いたな。今日も。」
「いたのです。のんびりと釣りなんてして、今日もなんだか楽しそうだったのですよ。」
ここは南方の名もなき泊地。
昼下がりの少し遅い頃という微妙な時間帯であることもあり、談話室には気怠く落ち着いた空気が流れている。資源収集の遠征から無事戻り一息ついている天龍と電の会話を、ゆったりと回る古風なシーリングファンが程よくかき混ぜてゆく。使い込まれて黒光りした籐の椅子にややだらしなく座る二人が小声でぽつりぽつりとよもやま話をしていると、何がいたんだって?と語りかけながら提督がやってきた。両手には冷たそうに汗をかいたグラスをひとつずつ持っている。遠征帰りの二人を労おうということだろう。
提督が現れたことでやや姿勢を正した電が問いかけに答える。
「遠征中に珍しい鳥さんを見かけたのです。とっても綺麗だったのです。」
「あぁ、そういうこった。ありゃあ渡り鳥かなんかかねぇ。ま、外海に出れねぇ提督には無縁な話だがな。へへっ。」
そう言いながら隻眼を瞑りウインクしてみせる天龍の頭を、コノヤロ、と軽く小突きながら提督が座ると、そこからとりとめもない雑談が始まる。どうやらこの泊地では、提督と艦娘の関係は良好であるようだ。三人の笑い声が響き、静かだった談話室ににわかに活気が宿りはじめる。仲良きことは美しきことかな。
グラスの中で溶けて小さくなった氷が、からん、と人知れず小さな音を立てた。
彼女らが見たという渡り鳥の話はそれきり蒸し返されることはなく、気怠い午後の優しい風と共にどこかへと流されていった。
***
ふえっっぷしっ!うぁー。
まったくもって乙女力に欠ける乙女のくしゃみがひとつ。
「どこかで誰かがポーラの噂をしてますねぇ…へっぷし!あぁー。」
おまけにもうひとつ。
すると隣で釣り糸を垂れていた男の子が、竿を置きポーラの袖を両手で掴むと心配そうに言う。
「ポーちゃん病気になった。帰ろうポーちゃん帰ろう。」
「病気じゃなくってぇー。いいですかぁ。くしゃみは、一誹り二笑い三惚れ四風邪、と言ってですねぇ。つまりぃ、ポーラはぁ…、笑われてるっ!?」
「だめ。ポーちゃん帰るの。帰って寝るの。病気なおすの。わかった?」
かけらも嘘を含まないちいさな二つの瞳にじっと見つめられること5秒、ポーラは敗北を悟った。もちろん軽いボケをスルーされてしまったことにではない。いうなれば、こりゃあもう梃子でも動かないな、という諦めだ。一緒に暮らしていてわかってきたのだが、この子がこういう目をしたときはもう何があっても曲がらない。ただの我が儘や甘えなら一蹴もできようが、そういう時は絶対こんな目をしないのが困ったところだ。この頑固坊主め。
「はぁ……。ちょっと過保護じゃないですかねーとポーラは思いますが。わかりましたよー。それじゃあ本日の食糧調達作戦かんりょー、ポーランドに向けてぇ、ばつびょ~う♪」
「かんりょー。ばつびょー。」
ポーラは満足そうな顔をした男の子の乗った粗末な丸木舟をゆっくりと曳き始める。
彼の言うところの「病人」であるポーラに舟を曳航させるのはいいのか?それで本当にいいのか?お前の優しさはその程度か?と、心の中でたくさんの突っ込みを入れながら。
去り際に二人は振り返り、誰もいない海に一言告げると小さく手を振ってから、今度こそゆっくりと住処へと帰っていく。
ちゃぷん
海面にほんの小さな水しぶきがひとつ、あいさつ代わりのように跳ねた。
***
「しっかしよー、あいつら何なんだろうな。野良の艦娘一人に子供が一人。どういう組み合わせだよ。訳が分からねぇ。」
「そうね、不思議よねぇ。でも、ああいうのんびりした暮らしにもちょっと憧れるかも~。天龍ちゃん、そのうち一緒にどう?」
「ざけんなっつーの。俺は戦いのないところへは行かねー。」
「暁たちも置いていかないでよね。行くときはみんな一緒なんだからっ!」
「行かねーよ。ったく。」
場所は変わって、ここは先ほどの天龍が率いる水雷戦隊の相部屋である。住人は、天龍龍田に六駆の四人。計六人が共同生活している大部屋だ。
就寝前の自由時間、どうやら昼間に見かけた「珍しい鳥さん」の話で盛り上がっているようだ。
話題の艦娘と子供の組み合わせは馴染みの遠征ルートでちょくちょく見かけるコンビらしく、六人全員がすっかり顔を覚えてしまっている。
にもかかわらず、だ。
「アイツ、何モンだ?あんな艦娘見たことねーんだよなあ。お前ら、知ってるか?」
「確かに見たことのない人ですが…、野良のみなさんの事情には踏み込まないのがマナー、なのですよ。」
「電の言う通りよ。天龍さん、あんまり詮索しちゃダメよ!」
この通り、あの艦娘の名前や艦種を誰も知らない。
「だけどよぉ、気になるじゃねぇか。なーんかバタくさい顔つきしてるしよ、ありゃあ、ひょっとして海外の艦なのか?海外艦って本当に実在すんのか? そうだ、響。お前、なんか知らねーか?」
「…。私は暁型二番艦、響だよ。私は、日本の艦だ。そんなの知らないね。」
「ちょっと天龍さん!暁の大事な妹をいじめないでよね。いくら天龍さんでも許さないんだからっ!」
「あー、いや。すまねぇ、響。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、艦歴の長いお前ならひょっとしてと思って。それだけだ、他意はねぇ。ホント、すまなかった。謝る。」
「いいよ。天龍が粗忽者だって、私たちはよく知ってるからね。それにね。あの人は本当に知らない顔なんだ。私には彼女の出身も艦種もわからないよ。」
「粗忽者かよ…。ぐうの音も出ねぇ。」
このちょっとメンドクサイ感じの響。とうに改二改装をすませてヴェールヌイという名前も持っており、つまり今のところ艦娘で唯一の海外艦的な何かという位置づけなのだが、本人は頑としてそれを受け付けない。私は響だ日本の艦だと何度でも言い張るのである。おまけに他のヴェールヌイと違いロシア語を決して使わない。素直にヴェールヌイと名乗る響もいれば、こんな頑なな響もいる。個性ということで許してあげてほしい。
「でも、もし。もしあの人が生まれたてで、本当に初めての海外艦娘で、仲間がいなくて、それでどうしたらいいか分からなくて野良なんだったら…。電は助けたいのです。」
「そうね!その時はもちろん雷も助けるわっ!」
「私たちの方針としては、あの人のほうから助けを求めてくるようなことがあれば動く、でいいんじゃないかな。」
「ああ、響のいう通りでいいだろう。まあ結局のところ、だ。アイツらの幸せと俺たちの幸せは同じとは限らねぇ、ってこった。」
この言葉を受け、発言者の天龍を除く5人はしばし絶句した。
まったくもって天龍らしくない思慮深さ。どうした天龍?熱でもあるのか?
しばらくの静寂の後、自分を心配するような各人の表情から五人一様のその思いを読み取ってしまった天龍。いじけてふて寝した、そうだ。
「どうせ俺は粗忽者だよ…くすん。」
頑張れ天龍!負けるな天龍!この艦隊の旗艦はお前しかいない!
でも。なんで子供が一緒にいるんだろう…
この疑問は、あまりに当たり前すぎて、そして答えが絶対出ないことがわかりきっているためについぞ話題に上ることはなかったのだった。
***
ここはポーランド。
愛しの我が家、常夏の島。
バナナいっぱい、夢いっぱい。
燃料弾薬ボーキもいっぱい夢の島♪
お酒がないのが玉に瑕…
男の子と二人で無人島サバイバルに挑戦中で~す。頑張りま~す。
で、この島。ポーラが住むからポーランド。
ポーラが命名しました。我ながらいい名前。ショパンでポロネーズでマズルカなあそこじゃないですよ。ここがどこだかはよく知りませんが、バルト海とかきっと遠すぎです。わかります。強制断酒中のポーラにはとてもたどり着けそうにありません。はぁ。
ポーラ、気が付いたらこの島に流れ着いてました。明るい月夜、白い砂浜の上、身一つで。隣には気を失った男の子が一人、転がってました。今考えても不思議ですねぇ。
あの時確かに沈んだと思ったんですけど。
ザラ姉さまは見当たらず、いたのはポーラとこの子だけ。
艤装を展開してみれば第三砲塔はしっかりとなくなったままだし、あのバグってるみたいに強い深海棲艦との遭遇戦は夢じゃなかった、はず。なにより、ポーラのリボンタイブローチには、このアメシストが今もしっかりと収まってます。
夢じゃない。
そうそう。この子の名前もポーラが付けました。困った子だから、コマ。
えへへ、いい名前でしょ~。ポーラ、会心の命名ですよぉ。
最初は何も喋らないし、でも引っ付いてきて離れないし。ホントに困った子で、ここまで育てるの、大変だったんですよぉ。ポーラに育児の才能があるとは思わなかったでしょ?苦労した甲斐あって、とってもいい子に育ちました。ポーラ、コマじゃなかったらここまで頑張れなかったなぁ。えへへ。ザラ姉さま、ポーラだってやればできるんですっ。
「ポーちゃんひとりでニヤニヤ、キモい。病気?早く寝る。」
夜。寝る前の安穏としたひととき。粗末な寝台に寝っ転がりながらひとりで昔のことを回想してたら、コマのご機嫌損ねちゃいました。構ってあげないとすぐ拗ねるコマ、楽しーい。
「はいはい。じゃあ、キモくて病気のポーラはぁ、コマにうつすといけないから離れて寝なきゃいけませんねー。
そう返しながら、すぐ隣に転がるコマからじわりと距離をとるように離れる仕草を見せれば、案の定。
「だめ…」
もう離れないとばかりにしがみついてくる。んふふ、このひっつき虫め。愛い奴、愛い奴。こういう
ねぇザラ姉さま。もう心配しないで。
大丈夫。ポーラはここで、ちゃーんと頑張ってますよ~。
***
ふーん。珍しい鳥さん、ねぇ…。
言い得て妙なり。なるほど上手いこと喩えたものだよ。
未発見海外艦の可能性ね。これ、なんとかこっちの鳥籠の中に引き込めんもんかねぇ。しかし、うかつに野良艦娘に手を出せば怖~い艦連様にお叱りを受けてしまうからな。ふーむ、どうするか。
深夜の執務室で端末の画面とにらめっこしながら唸る人物が一人。この泊地の提督その人である。
見ているのはとあるシステム画面。
泊地内の各所に仕込んであるマイクで艦娘の会話を24時間音声モニタリングしたものを音声認識させ、テキスト出力する、というここの提督オリジナルのシステムだ。プライベートだったりセンシティブだったりする情報はAIで自動的にオミットする、という凝った仕様になっている。
公式の報告としては上がってこない些細な情報を拾い上げることで泊地運営に役立てることができるし、ちゃんと艦娘のプライベートにも一定の配慮をしている。
という大義名分で理論武装し秘密裏に運用しているが、「配慮」の閾値を提督が自在に調整可能という仕様の時点で完全にまっくろくろの黒である。更にマイクやシステムの存在を艦娘たちに公開せずこそこそとやっているあたり、ただの盗聴だという自覚は提督にもあるのだろう。このシステムの存在が白日の下に晒されれば確実にお叱りどころでは済まないが、それでも彼女にやめる気は毛頭ない。たまにこういう美味しい情報が手に入るからだ。
人間の子供と一緒、というところをうまく使えば…、いやいやそれは艦娘の逆鱗に触れることになるかもしれないな、等々。様々な可能性を探りながら、さてどう事を運ぼうかと思案を続ける提督の長い夜は更けていくのだった。
***
ふえっっぷしっ!うぁー。
やっぱりポーちゃん病気。
違いますぅ。きっと誰かがポーラの噂をしてるんですよお。
うーん…誰?
野良艦娘:
人間社会や海軍組織に属さずに気ままに生きる艦娘たち。それなりにちらりほらりと散在する。大半は戦うことを忌避し仙人のように気ままに生きている。その生き方は、人からも、人とともにある艦娘からも黙認されている。
だって、人からすれば特に害もないし、艦娘からすればいつの日か自分も至るかもしれない姿だから。