彼の手には便箋が一枚。
洒落た薔薇の透かしが入ったいわゆる透かし和紙で作られている、細かい意匠の凝らされたなかなかの逸品である。そこにはほんの一行、端正な字でこう書いてあった。
まきますか まきませんか
うーん。これはいったいどうしたものだろう。
しばし黙考の末、隣から便箋を覗き込む二人の姉へと目を遣る。二人ともちょっとぷるぷるしている。それぞれ彼の左右の肩に手をかけ、踵を目いっぱいあげて頑張る姉達の姿にちょっとした和みを感じながら、ああごめん、と彼女達が見やすいように便箋を持つ手を下げると、ホント図体ばっかりでっかくなっちゃって、とため息をつきながら見上げる明石姉と目が合った。
「明石姉、これなに? 世界線違くない?」
「世界線?知らないわよこんなの今まで見たことないし。あーもうやっぱり巨摩の初建造は他の子達と別にして正解だった。巨摩ならなーんかやらかすんじゃないかと思ってたのよねぇ、やっぱりそうだったじゃない私の思った通り。もうなんなのこれ、どういうことよどうしてくれようかしらっ。」
すごい早口。あふれんばかりの好奇心に瞳を輝かせながら、嬉しそうに両手をわきわきさせている我が姉。そう、これはマッドサイエンティストモード。好きにやらせるとろくなことにならないパターンだ。そう悟った巨摩は、今も視界の隅でおいでおいでと蠢いている小さな白い手を無視しながら、早々に片を付けるべく胸ポケットから愛用の万年筆を手に取った。
***
艦娘建造実習。
ことの発端はこれである。
読んで字のごとし。建造の実習であり、海軍士官学校での今後のパートナーとなる艦娘を決める、学生たちにとっての一大イベントでもある。通常なら学生たちを一人ずつ工廠へ呼び、最低量の資材で次から次へと建造させていくだけの簡単なお仕事なのだが、ここで工作艦明石は不吉な予感に震えた。ほかの子たちはともかくとして、ウチの巨摩はなーんかヤバいのではないか、と。別に彼の性格や行動に問題があるわけではない、間宮と二人で慈しみ育ててきた自慢の息子というか弟というか、近すぎてなんと表現したらよいのかもうわからないような関係だが、とにかくいい子に育ってくれた。しかし何かそういうのとは違うところで嫌な予感がする。
例えば、艦娘や妖精達との関係に妙に偏りがあるところとか。
例えば、いつもひっついているあのよくわからない妖精っぽいヤツとか。
巨摩は一部の艦娘からは、妖精たらし、なんて呼ばれているらしい。だいたいいつも妖精が何人か引っ付いているのを珍しがった艦娘による命名だが、これが言いえて妙。巨摩が近くにいると艦娘付きのはずの妖精が何人か、吸い寄せられるように彼に貼り付いてしまうのだ。しかもあっちにいっちゃった妖精達は猫がマタタビに酔うが如く益体なしになる始末。大抵が缶とか要員系とか電探とか地味に大事なところの妖精なのも質が悪い。私みたいな後方支援系の艦娘にとっては、まあウチの子たちと仲良くしてくれてうれしいわ、くらいのものだろうが、最前線で殴り合いをする娘たちからしてみればたまったもんじゃないだろう。
あの子はきっと妖精をダメにするクッションかなにかなのだ、と私は思う。
巨摩が毎度毎度演習の面子集めに苦労する原因はこれだな、と私は確信しているのだが、あの子ったら、間宮さんには相談しても私には全然頼ってくれなくてなんか癪だから、本人には教えていない。巨摩、というかヒトには妖精は見えもしなければ対話できるわけでもないので、知ったからといってどうこうできるものでもない。よって、ちゃんと明石お姉ちゃんにも甘えて頼ってくるまではこのままでもいいだろう、ザマーミロ、とか思っていたりする。
もう一つの懸念が、いつも巨摩の頭の上でぐでっているあの妖精っぽいヤツだ。
職業柄大抵の種類の妖精は覚えている明石だが、アレだけは巨摩の頭の上以外では見たことがない。妖精というのはいたずら好きで気まぐれでよくわからない生き物だが、それぞれが確固たる役割を持って存在しており、その本分を果たすことにおいてはさぼったり手を抜いたりすることはない、普通は。だが、アレはなんだ。いつもぽやーっとしているばかりで働いているのを見たことがない。いじってやろうと明石が手を伸ばしてもひょいと避けたりすっと消えてしまったりと触らせてももらえない。艦娘から逃げる妖精とはどういうことなのか。
ああ、一度だけアレが役に立ったことがあった。
巨摩がまだ小さかった頃、間宮さんと三人で山登りに行った時のことだ。ちょっと目を離したすきに巨摩が足を滑らせ崖から落ちそうになったことがあった。その時、アレは巨摩を蹴飛ばして崖から遠ざけると、代わりに自分が崖の下へ転げ落ちていった。駆け付けた私にきゅっと縋り付き、あーちゃんあーちゃんと泣く巨摩はそれはもう狂おしいほどに愛しく、もう絶対に離さないと思ったものだ。崖下に落ちていったはずのアレはその時にはもうしれっと巨摩の頭の上に戻っており、非難囂々の厳しい視線を私に浴びせていたのを覚えている。その時はこいつは巨摩を守るために存在しているのかもしれないと考えもしたが、アレはそれ以降何をすることもなくただ漫然と巨摩の頭の上で日々を過ごし、そして、私に何らかの意思をぶつけてくることはなかった。
だが、そろそろアレがなにか斜め上のことをやらかすんじゃないか、そんな予感がするのだ。
そんなわけで、工廠を使った実習関連の采配は工作艦にすべて任されているのを幸いに、巨摩の順番を最終日の一番最後に設定し、念には念を入れてと間宮さんにも声をかけておいたのである。
***
「ねぇ明石ちゃん。私にすごーくいい考えがあるんだけど聞いてくれる?」
何かをひらめいたようないい顔をして間宮さんが話しかけてくる。
巨摩以外の学生は皆つつがなく初建造を終え、ほっと一息ついているときのことだ。まあろくでもないことだろうとは思いつつも、なんでしょう、と先を促してみる。
「あのね。まず、こっそり私と明石ちゃんが建造ドックの中に入っておきます。次に、何も知らない巨摩ちゃんが建造ボタンを押します。そうするとあら不思議…」
「はい却下」
「なんでよお…。私たちがパートナーだったら巨摩ちゃんだってきっと喜ぶと思うんだけど。」
ぶっちゃけそれは私も考えはしたが、さすがにまずかろう。とりあえず今のところは教官と厨房責任者という立場で毎日顔を合わせることができる範囲で満足しておかなければならない。巨摩が無事にここを卒業して提督として独り立ちできたら、その時こそは…。
はいはい、そろそろ巨摩が来ますよ、と軽く流すと、タイミングよく工廠事務室のドアをノックする音が聞こえてきた。来たか。
さあ、巨摩の初建造に取り掛かろうか。
間宮さんが空いている椅子をクレーンで粉砕して、巨摩を自分の膝の上に座らせようとしたり、
(妖精達に椅子を急造してもらった)
間宮さんがどこからともなくお茶と羊羹を出してきて、まったり家族団らんしようとしたり、
(がぶ飲みドカ食いして3分で終わらせたった)
間宮さんが、やっぱり私たちがパートナー艦になれば…と駄々をこねだしたり、
(巨摩からきっちり説教してもらった、GJ巨摩)
と色々あったが、ともかくあとは巨摩が建造ボタンを押すだけというところまできた。
いつも通り巨摩の頭の上でやる気なさそうにしているアレにずっと注意を払ってきたが、ここまでのところ特別の動きはない。どうやら私の杞憂だった、ということで済みそうだ。
「それにしても建造ドックって、どうしてこんな西洋の棺桶みたいな形なのかな。これじゃあドラキュラとかゾンビとか出てきそうだよな。」
巨摩が縁起でもないことを言い出す。縦長の六角形、ちょうど人が一人横たわって入れるくらいの大きさで、繊細な装飾が施されている漆黒の棺。芸術的な価値さえ感じるたたずまいだ。まあ確かに棺桶としか言いようがない見た目だが、作っているのが妖精なだけにどうしてこうなってるかとか、この見た目にする必要があったのかとか詳しいところは私も知らなかったりする。どこの工廠に行ってもこのスタイルで統一されているから、妖精達にとっては建造ドックとはそういうものなのだろう。
「ほら、四の五の言わないでさっさとボタンを押すっ!」
ぺちん、と軽く尻を叩き急かしてやると、へいへい、と呑気に答える巨摩がようやく手元の建造ボタンを押し込んだ。アレは相変わらず巨摩の頭の上でたれぱんだ、なにも動きを見せない。よしよし順調だ。
ごうんごうん…カタカタカタカタ、チンッ!
「おお!明石姉ぇ、残り時間10秒だって。早いなあ!」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
建造がたったの10秒で終わる?
そんなのあり得ない!
普通じゃないっ!!
時間もないっ!!!
ないない尽くしじゃないか畜生っ!
アレが何もしていないことを素早く確認、間宮さんとアイコンタクトを取り巨摩を背中に庇う位置へと躍り出た。愛用のロングレンチを両手に構え不測の事態に備える。隣には間宮さん、こちらも愛用の牛刀とおなべのふたで武装し、普段は見せることのない濃い殺気を身に纏わせている。
何が起きても、巨摩だけは絶対に守る。
残り8秒。
「え?えぇ?ちょ…「巨摩はそこでそのままカウントダウンッ!」
急展開に戸惑う巨摩に、振り向かず「仕事」を言いつける。
あの子ならこれで状況を察するだろう。
残り5秒。
5!
巨摩が言われたとおりにカウントダウンを始める。
よし。やや声が硬いが大丈夫だろう。
4!
さっと振り向き、たまには仕事しろよ妖精、という強い意思を込めて巨摩の頭上に一瞥をくらわす。アレが妖精ならば言いたいことは伝わるはずだ。
3!
珍しく互いの視線が絡み合うと、アレは、ほにゃり、とふやけた笑顔を一瞬だけ見せサムズアップした。とりあえず今回は敵にはならなそうだと判断し前を向く。
2!
もう一度、間宮さんとアイコンタクト。
互いの硬さに気づき苦笑。一度体の力を抜いてから、再び前を向き構えなおす。
今のところドックに異常は見られない。
1!
間宮さんとのコンビは久しぶりだな。
給糧艦だろうと工作艦だろうと、武器を持ち戦うことを余儀なくされた昔のことを思い出す。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。それとも単なる建造失敗で終わってくれるか。
0!
………。
すこっ!ぷしゅぅぅぅぅぅ…。
ドック基底部のダクトから高圧蒸気が排出される。ここまでは通常シーケンスの通りだ。
普通ならこれからドックの蓋が開き、艦娘が顔を見せることに……
コンコンコン、コンッ。ガタガタッ!
「ちょっとおぉ、なあにかしらぁ、これぇ?」
ドックから音と声がする。
間延びしたしゃべり方、女性のようだ。
普通の建造結果ではなさそうだけど、危険、というのはどうも違うような雰囲気。
ガタッ…、ガタガタガタッ!ドンッ!
「ちょっとぉ? ちっとも、開かないじゃ、ないのよっ!」
ガタッ…、ガコッ…、ドンッ!
「誰かぁ、いたら返事をなさあぃ。誰もいないのかしらぁ?」
ドックから出られなくてもがいているらしい。
どうしたものかと間宮さん、巨摩と目を合わす。
出られなくて困ってるんじゃないかな?、と巨摩。それはそうなんだろうけど、建造ドックから出てこられない艦娘って…いやいやないでしょう、普通に考えて。
間宮さんはすっかり殺気が抜け落ちて、頬に手を当てて、あらあら、と困り顔。
アレは巨摩の頭上でクツクツと腹を抱えて笑いながら転げまわっている。よく頭の上から落っこちないものだと思う。
コンコン…、コンコンコンゴンゴンガンッ!
「ちょっとぉ、これをっ、開けてっ、欲しいのっ、だけれどっ!」
ガタガコガタガタッ!ドンッ!ドンッ!ガタッ!ドンドンドンドンドンッ!
中の人(?)はドックの蓋がちっとも開かないことにかなりいらだってきたようで。
見ていられなくなったらしく、巨摩が救済に出た。
「あのー、それさぁ、棺桶じゃないから。建造ドックだから。横にずらして開けるんじゃなくて、こう蝶番でカパッと上に…」
「おどりゃ! クソがぁぁぁ!」
バキャンッ!
「「「「あ」」」」
救済は間に合わなかった。
ドックの蓋に力任せに風穴が開けられ、そこからグーの手が、にゅっ、と生えている。小さな、白い手だ。
あー、へー。そうなんだー。
ドックの蓋って素手でぶち破れるものなのねー。明石、随分長いことこのお仕事してるけど、知らなかったなー。ふーん…。
随分短気な人だなあ。と巨摩。
そうねぇ、ちっちゃくてかわいい手。お人形さんみたい。と間宮さん。
いやいや、そこなの?感想は?そうじゃないでしょう。この工廠で唯一の建造ドックに風穴開けられちゃったんですけど。工作艦困っちゃうんですけど、これ。
困惑しているうちに、すーっ、っと手が引っ込むと、しばらくして今度はなにやら封筒をつまんだ手が出てきた。
「そこにいるんでしょぉ。さ、選ばせてあげるわぁ。せいぜい悩みなさぁい。」
とりあえず話を先に進めたいらしく、すべては計画通りと言わんばかりのすました声とともに封筒がひらひらと振られる。
中の手紙を読んで、何か選択しろ、ということだろうか。なんか一周回って面白くなってきた。明らかに艦娘ではない未知の生物が中にいる。ソイツは一方的にこちらに選択を迫っている。これは…第三種接近遭遇なのね!そうに違いないっ!UMAとの第三種接近遭遇だっ!
私が静かに興奮していると、
気まずくて出てこれないんだな。ドック壊しちゃったし。
そうね、ちょっとお転婆さんね。ドック壊しちゃったものね。うふふ。
そこの二人っ!ナチュラルに中の人を煽らないっ!
ほら、なんか手がぷるぷる震えだした。絶対聞こえてるよっ!
と、空気を読んだのか、例のアレがふわっと飛んで封筒を受け取ると巨摩の前に封筒を差し出した。選ぶのは巨摩だ、ということらしい。
ふわふわと宙に浮く封筒に、おおっ!?と驚く巨摩。妖精がとってきてくれたのよ、と教えてやる。
恐る恐る受け取った巨摩が、ありがとな、と言うと、アレは、ほにゃりと気の抜けた笑顔とともに綺麗なカーテシーを見せ、巨摩の頭の上に戻った。
やっぱり普通の妖精じゃないわよねぇ、アレは。
UMAと言い、アレと言い、今日は面白いこと三昧だわ。
まもなく、かさかさ、と巨摩が便箋を広げる音が、静かな工廠に響いた。
そして、冒頭へと、続く。
後編は2021年1月4日12時投稿予定