ヤザンがリガ・ミリティアにいる   作:さらさらへそヘアー

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獣の安息 その1

ラゲーン司令ファラ・グリフォン中佐の顔色は優れない。

光加減次第で紫にも鮮やかなピンク色にも見える艶やかな髪で彩られた美貌も、

どこか影がさしていて彼女の運気そのものが陰って衰えているようなイメージを与える。

 

「私が…ギロチンにかけられるというのか?」

 

会話相手は、カイラスギリー艦隊はタシロ・ヴァゴ大佐より派遣された

アルベオ・ピピニーデン大尉であった。

肩にかからない所で切り揃えられた真っ黒なセミロングヘアで、

オールバックにされた前髪から漏れて垂れた一房の前髪が特徴的な色男であるが、

一見して軽薄そうな彼だがその内側はベテランパイロットとしての闘志と、

人並な野心を備えた傑物でもある。

 

「それは小官には分かりかねます。

…が、オクシタニー方面での戦線の停滞…、

ラゲーン爆撃作戦での10機近いゾロの損失…、

加えて、クロノクル・アシャー中尉の新型テスト中の失踪。

タシロ大佐の耳には勿論、サイド2(本国)にも報告が届いておるようで。

女王陛下はお心を痛めている、と」

 

ピピニーデンは軍属らしく無表情を貫いているが、

腸が煮えくり返りそうな程の怒りを秘めている。

ファラ・グリフォンの司令としての手腕の不手際よりも、

クロノクル・アシャーと新型を失った事への怒りが大きい。

なにせ、ピピニーデンはクロノクルの士官学校時代の先輩であり、

女王の弟として取り入ろうとする輩や敬遠する輩とは違って

純粋に先輩後輩関係を築けていた友人だったのだ。

ピピニーデンは、純真なクロノクルをかなり可愛がっていた。

今回、宇宙からメッセンジャー・ボーイとしての役割も自ら進んで買って出ていて、

生存は半ば絶望的な弟分の復讐も目的であった。

 

「…クロノクル中尉については、引き続き探索を続けている。

シャッコーの残骸も何も発見されていないのだから、希望はあろう」

 

言っていて、ファラもかなり苦しいと自分で理解している。

その顔に覇気はない。

反対に、ピピニーデンの顔には怒りからくる覇気が漲っていた。

 

「既に、中尉とシャッコーが連絡を絶ってから1週間です。

生きていても無事ではありますまい」

 

「…」

 

聡明で雄弁、女傑であるファラが俯いて何も言い返せない。

サイド2はアメリア政庁の女王の耳にまで失態が届いているのだとしたらもはや絶望的だ。

 

「タシロ・ヴァゴ大佐よりの命令は先程お伝えした通り。

ラゲーン基地の指揮権は一時的にゲトル・デプレ副司令に移譲されます。

ファラ中佐は急ぎ宇宙(そら)へ上がり、本国へお戻り下さい」

 

ファラの表情が相変わらず冴えない。

 

「…しかし、ラゲーン基地には打ち上げ施設が揃っていない。

今から建設を開始しても、本国に戻れるのは2ヶ月後と思って貰いたい」

 

ピピニーデンの片眉がやや嫌味に釣り上がって言う。

 

「悠長なことを仰らないで頂きたい。

大佐はすぐに戻れと仰っておいでだ。中佐はすぐに戻れるよう努力を尽くすべきでしょう」

 

「勿論、私も昼夜問わず突貫工事の陣頭指揮をとって建設を急がせる。

だが、ラゲーンの貯蔵物資も決して潤沢ではないし、まずは徴発から始めねば――」

 

そう言うファラの言葉を切って、ピピニーデンが今度は口角の片側だけを緩く上げた。

 

「アーティ・ジブラルタルにはマスドライバーがあります。

それを使えば、中佐は数日後にはアメリア政庁に着いているのではないですか?」

 

「ジブラルタル…?しかし、あそこは…かつてジオンさえ手を出さなかった中立区域だ。

宇宙引越公社のマスドライバーを、頼み込んで使わせてもらえと?」

 

ファラは、驚愕しつつも悲壮感と諦観を滲ませた貌であった。

ジブラルタルのマスドライバー台は思想や陣営を問わぬ人類の宝として、

宇宙世紀を生きる者にとっては手を出さぬのは常識であった。

永世中立を掲げる宇宙引越公社によって運営されており、

そこに手を出せば世界中から総スカンを食らうのは容易に想像できる。

 

「そういう事になるでしょうな。

マスドライバーを使うというなら我が隊が中佐をジブラルタルまでお送りしますが、

その後は中佐がご自分で交渉をする事になります」

 

そういうことか、とファラは察した。

1年戦争でも中立を保ち続けたアーティ・ジブラルタルを獲れと言っているのだ。

それも「自分で交渉しマスドライバーを分捕ってこい」ということは、

つまりファラの責任で永世中立地帯を占拠せよと言っているに等しい。

しかもそれを正式な命令に含めず、ピピニーデンに匂わすように提案させるというのは、

あくまでファラの独断で貴重なマスドライバーを占拠させようということらしい。

成功しても失敗してもファラ・グリフォンの独断暴走で片付けるつもりなのだろう。

 

(…失態を重ねた私に、最後に奉公せよ…ということか。

或いは、これを成功させればギロチンだけは免れるのかもしれん)

 

ファラは、その無体な非公式な命令をもはや受け入れた。

だが、彼女の忠実なる副官メッチェ・ルーベンスはファラ以上に憤慨の念を燻ぶらせている。

メッチェは金髪と端正な甘い顔を持つ美青年であるが、

今その端麗な顔は負の感情から歪んでいた。

尊敬し、そして1人の女性として愛する上官を庇いたい一心でメッチェは抗弁しだす。

 

「大尉!その命令はあまりに…!

ファラ様は、この地上で宇宙からのろくな支援も無いまま良く欧州を攻めています。

地球降下作戦の初期段階の成功は間違いなくファラ様の功績で――」

 

「よいのだ!メッチェ」

 

だが、その抗弁はファラ本人に止められた。

 

「初期段階の功績は私自身誇るものだが、その後の失態も間違いなく私のもの。

一つ二つの失敗ではないからな…無能の烙印は免れんよ…」

 

「ファラ様…」

 

ファラとメッチェの視線が悲しく交じる。

それをピピニーデンは冷たく見つめて、

 

(ふん…分かっているじゃないか。ギロチンの家系の女狐め。

所詮、お前はギロチンパフォーマンスと美貌でタシロ大佐に取り入っただけだったのさ。

当初は私も、あなたのことを大した人だと思ったが…

化けの皮が剥がれればこんなものなのだろうよ。

この調子ではギロチンの家名も金で買ったという兵の噂も本当かもしれんな)

 

心の底では上級士官を侮ること甚だしかった。

だが、ファラ・グリフォンという女は烙印を押される程の無能ではない。

それどころか有能と謳われるだけの才感があって、

ピピニーデンの思う通り当初は誰もが彼女の鮮やかな手腕に良い意味で驚いたものだ。

その才媛が、今では絞り出す言葉からも力を失っていた。

 

「済まなかった、大尉。命令は了解した。

私が引越公社を説き伏せてみせるよ。

だが、私がしくじって宇宙へ帰れなければそれはそれで本国も困るだろう?

交渉には協力して貰いたいものだな」

 

〝交渉〟とは無論、荒事込みである。

 

「…分かりました。それぐらいは協力させて頂きます。

では、ジブラルタルへの出立は明朝になりますので、ご支度の程をお願いします」

 

ピピニーデンが、内心でどう思おうとも形式張った見事な敬礼を返すと、

ファラは陰鬱さを滲ませる表情でピピニーデンを見た。

 

「ああ、大尉」

 

退室しようとするピピニーデンへ、ファラが声を掛ける。

 

「はっ」

 

「大尉は、私を送り届けた後…クロノクル中尉失踪の原因究明と探索に乗り出すのだろう?」

 

「無論です。その為に私は来たのですから。

我がトムリアット隊(ピピニーデン・サーカス)はシャッコー及びクロノクル中尉探索の為、

裁量の拡大を許されて独立戦闘部隊となっているのですよ」

 

ピピニーデンが胸を張って答えた。

お前に出来なかった事が私には出来る…そう態度で言っていた。

 

「ならば、苦汁をなめた先達として一つ大尉に忠告をしておこう」

 

ピピニーデンの整った眉と目が、ピクリと僅かに曲がった。

 

「…まぁ、そんな顔をせず聞いておいたほうが得だぞ?

大尉は地球は初めてだろう?覚えておくといい…。地球には、獣が住んでいる」

 

「ケモノ…?」

 

「そう、野獣だよ。オクシタニーの物の怪…。

ジェヴォーダンの獣だ。

シャッコー探索隊を全滅させた手腕…獣しか考えられん。

ジェヴォーダンの野獣がこちらに出向いて来ている可能性もある…気を付けろ」

 

あぁ、とピピニーデンも納得した。

兵らがそんな噂をしていたのを発着場で耳にしていた。

 

「それならかえって手間が省けるというものです。

その獣退治も、このピピニーデン・サーカスがやってのけてご覧にいれますよ。

サーカスは、獣の調教も得意としていますからね」

 

ピピニーデンの勇ましい口振りに

ふふっ、と短く笑ったファラは退室していく大尉を静かに見送った。

 

「甘く見ている奴は、獣に食われてしまうよ…?大尉」

 

メッチェにすら聞こえぬぐらいの小さな声で、ファラはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

ウーイッグからそう遠くない辺境部カリーン。

旧時代には大規模な車両工場が構えられていて、

周辺にも従業員やその家族の住居をはじめ

様々な関連施設があって相当な規模であった工業地帯だが、

今では見る影もなく落ちぶれてただ廃墟が点在するだけの閑散とした森でしかない。

しかし、その旧車両工場の一部は密かに復旧されて地下には大規模な工廠がある。

リガ・ミリティアが復活させ拡張した

その秘密地下工場に東欧中に散り展開していたカミオン隊が集結していた。

 

当初は、リガ・ミリティアの規模を知らない戦災孤児組とウッソ達は、

「リガ・ミリティアってこんなにいたんですか!」と驚いていたが、

今では忙しなく動き回る多くのレジスタンス達に慣れて混じって働いていて、

ウッソはヤザンの元で本格的なMS訓練すら始めていた。

 

そう、ウッソもここにいた。

カサレリアに残るという選択肢もあったのに彼はここに着いてきていた。

彼がどういう心で、

そしてシャクティにどういう言葉をかけて家を旅立ったのかはヤザンは知らない。

それはウッソとシャクティ2人だけの事だ。

だが、真剣そのものの顔で真っ直ぐにヤザンの目を見て、

 

「僕を連れて行って下さい」

 

と、そう言った少年を、ヤザン・ゲーブルは短く「あぁ」とだけ答えて了承したのだった。

シャクティが、酷く悲しそうな瞳でウッソを見つめ、

そしてヤザンにはウッソへのものとは対照的な

忌避するような視線を投げかけていたのは、ヤザンも覚えている。

 

 

 

本来ならば、シャクティ本人もウッソも…

シャクティ・カリンはカサレリアの森の家で留守番をし、

ウッソの帰りを待つつもりだった。だが…。

 

「いやだ…いやだよ、姉さん!俺は、姉さんとは離れない!」

 

様子がおかしいベスパのパイロットが

シャクティのことを姉と呼んで離れたがらなくなってしまった。

ようやく少しは動くようになってきた大火傷の体を無理やり動かして、

赤髪の青年が薄褐色肌の美少女に抱きつくという様は…

少し、というか大分皆を動揺させた。

あらゆる事に適応する強靭な精神を持つウッソも、

 

「ちょ、ちょっと!あなたは大人でしょう!?

シャクティはまだ子供で…!あっ、こら!は、離れろよこいつ!

僕のシャクティから離れろ!くっつきすぎだぞ!」

 

幼馴染の少女に抱きつく包帯だらけ男を引き剥がそうと躍起になったりしていた。

異質で異常な光景であった。

見ていた他の連中も呆気にとられ、

マーベットは「こいつ、ロリコン趣味ということなの!?危険だわ!」と

思わず首を絞め落とそうとする程で、

オデロとウォレスはとっさに背後にスージィを庇い、

「こ、怖いぃ…」とスージィは彼らの後ろで震えた。

常に控えめで自己主張せず、

また博愛精神溢れるシャクティもどうすれば良いのか分からずかなり困惑していたが…

しかし、この騒動でウッソが「僕のシャクティ」と言ってくれた事に対しては、

年相応の少女らしく顔を赤らめて、

後にウッソも言ってしまった事を思い出す度頬を染めるという心温まる一幕もあったのだが。

それはともかく…。

 

様子がおかしすぎるため、

程なくしてこのベスパのパイロットの特殊性癖等ではないと皆も気づき、

医師のレオニードに説明を求めた。

レオニードの診立てはこうだった。

 

「…恐らく、強いショックを受けたことによる記憶喪失の類だろう。

シャクティさんを姉と呼ぶのは…きっとシャクティさんが彼の姉に似ているのではないかな?

彼にいくつかの問診をしてみたが、彼の言動はまるで幼い少年のようだ。

記憶の混濁に、退行の症状がある。

この症状がいつまで続くのか、回復の見込みはあるのか…。

残念だが、こういう症状は断言出来んのだよ。

明日治ることもあるし、1年、2年後かもしれん。10年…或いは一生かかるかもしれない。

根気よく治療するしかない」

 

そういうことだった。

困ったのはシャクティだ。そしてウッソも。

赤髪のパイロットを無理矢理シャクティから離して連れて行こうとすると、

大の男がわんわんと泣き出してしまうのだ。

それを見るとシャクティもついつい

 

「あぁ泣かないでください。えぇと……よ、よしよし…ほら、泣いちゃダメよ?

あなたは…男の子でしょう?」

 

宥め方はこれで良いのか?と戸惑いつつ宥めてしまう。

赤髪の包帯男は満足気であるのでこれで良いのだろう。

 

「…うん、姉さん。わかったよ…俺は男だもんな」

 

シャクティがそうすると赤髪の青年は泣き止んでニコリと笑うのだった。

ウッソはあんぐりとその様を眺めて、

そして心の片隅にモヤモヤとしたものが生まれるのを感じていた。

 

(ぼ、僕のシャクティだぞ…!)

 

ウッソはムスッとした顔で、幼馴染の少女に頭を撫でられている包帯男を見る。

包帯男…、――シャクティが聞き出した所によるとクロノクル・アシャー――の

扱いをどうするかはリガ・ミリティアの大人連中の判断に任せる事となった。

レオニードは、

 

「医者の見地から言わせてもらうと、クロノクル君はシャクティさんがいると安定する。

一緒に来てくれたほうが、今後のリハビリ的にも安心できる」

 

との理由でシャクティの同行を望んだ。

記憶の混濁もだが、クロノクルの肉体も重傷なのは変わっていない。

錯乱して暴れだしたりしたら、そのまま死ぬ可能性もある。

ヤザンもまた、違う理由から同行を望んだ。

 

「この退行化が演技なら、こいつの演技力は全く一流の俳優だな。

本当にこいつの精神がガキに戻っているなら

連れて行く意味などない…と言いたい所だがなァ。

クロノクル・アシャーという名は聞き覚えがある。

報道でも流れていた…覚えているか伯爵」

 

ヤザンはクロノクル・アシャーの名を知っていた。

ザンスカール帝国が建てられた時、世界中で頻繁にニュースになって流れていたし、

ヤザンはリガ・ミリティアの諜報部とも立場上意見交換する機会があった。

 

「クロノクル・アシャー…こいつはザンスカール帝国の女王の弟だ」

 

「そうか!どこかで聞いた名だと思ったが!」

 

伯爵も、目の前の精神をやられた男が女王の弟だと知って驚愕を隠せない。

他の連中もだ。

ザワザワと騒ぎ立てて皆が驚くのは当然だった。

建国の際の世界中継でもクロノクルの姿は映像に映っていたはずだが、

今のクロノクルはコクピットから引き上げた時には既に全身火傷で、

治療後は全身包帯男なのだから容姿から判別するのは難しかった。

そして、そう(王族)と分かってはシャクティにも協力を要請するしかないのがリガ・ミリティアだ。

女王の弟が記憶喪失と言ってもいい状態で手の内にあり、

シャクティを姉と誤認していて彼女の言いなりだ。

利用方法はいくらでもある。

クロノクル・アシャーには無限の使い道があり、その為にもシャクティ・カリンの力が必要だ。

 

「…分かりました。この人が…クロノクルさんの怪我が良くなるまでぐらいなら…」

 

たっぷり迷って、何度もウッソの顔色を伺った後に、

なんだかんだでクロノクルの容態が心配な心優しい少女は

渋々ではあるが同行を決意した。

ウッソが既にレジスタンスと共に行くと決意していたのも理由としてはあるだろう。

ウッソはシャクティのその決意をかなり複雑そうな表情で見つめていたのだった。

 

 

 

そういったてんやわんやがあって、今このカリーン地下工場にはウッソもシャクティもいた。

当然、クロノクル・アシャーも。

ついでにカテジナ・ルースもいる。

シャクティが、クロノクルのせいで

赤ん坊…カルルマンの世話に専念出来なくなってしまったので、

カテジナがカルルマンの世話をさせられている。

赤ん坊が好きではなかったらしく、最初はかなり嫌がっていたが

カテジナ以外誰も手が空いていないのだから仕方がない。

それでもシャクティは暇を見つけてはカルルマンの世話に加わってくれるので、

カテジナは不慣れな子育てを年下の少女の手を借りて熟していった。

だが、やはりカテジナは内心不満だらけだ。

 

「…こんな場所で、こんな子の面倒を…なんで私が」

 

そうぶつくさ言っている事が多いが、それをヤザンの前でも言うのでその度に、

 

「うるさい奴だ。大体そのガキを拾ったのは貴様だろうに…。

ならウーイッグの焼け野原にでも戻って暮らせ。

貴様の面なら娼婦の成り手ぐらいあるだろう。

黙っていれば顔と体だけはイイ女だからな、貴様は。抱くぐらいなら俺も相手してやるぜ?」

 

「…っ!またそんなことを!な、何てこと言うの、あなたって人は!本当に下品だわ!」

 

そういうニュアンスの嫌味とかからかいの言葉をいつも言われてしまう。

その度にカテジナは顔を赤くして、自分の体を抱いて庇って後ずさるのが恒例だった。

しかし、ヤザンに結構な力で頬をはたかれた事のあるカテジナが、

まだ懲りずにヤザンへ反論するのだから彼女も大したものなのだ。

 

「大体あなた達が、

レジスタンスの大人が守ってくれなかったせいでウーイッグは燃えたのよ!

あんな腐った大人だらけの街…燃えてよかったけど!

でも私はそのせいでこんな場所でベビーシッターの真似事なんて!」

 

大きな声でヤザンへがなりたてる。

彼女の背後では、カテジナに負けじと大泣きしているカルルマンもいる。

 

「…遭う度遭う度、喧しいコンビだ。

だが、萎縮せずにそれだけ吠えていられりゃあ大したもんだぜ。

貴様…見込みがあるかもしれん」

 

「な、何のよ!」

 

当たり散らすようにヤザンに大声をあげていただけなのに、

意外にも感心されてしまってカテジナは自分でもやや驚いていた。

何の見込みなのかは見当もつかないが、

一瞬、カテジナはヤザンの夜のお相手でも強要されるのかと思って

その有様を思わず想像してしまう。

ケダモノのように己に覆いかぶさって一心不乱に抱かれる様を夢想する。

令嬢である自分がケダモノが如き逞しい男に組み敷かれ、

官能小説ばりに愛され翻弄され女の嗚咽を漏らして弄ばれる。

カテジナの今までの人生の中で、このように何につけても自分の顔色を伺わないで、

寧ろ俺についてくれば良いと言わんばかりに

グイグイと引っ張ってくる野性味溢れる男はいなかった。

そんな男であるから、きっと女への愛し方も情熱的でワイルドなのだろう。

夜な夜な隠れて読み耽った官能小説に出てくる、貴婦人を弄ぶ逞しき色男のように。

妄想し、カァっと頬が熱くなって体が疼いたのを自覚した所で

ヤザンに声を掛けられて現実に引き戻された。

 

(ば、馬鹿なの?私は!なんて汚らわしくて、浅ましい想像を…)

 

「貴様はウーイッグでお嬢様をやっていたんだろう?学はあるな?」

 

「ひ、一通り教養は学んだけれどね…でも、だから何だというの?」

 

「ガキの世話だけじゃ物足りんのだろう?だからそうも不満を言う。

なら、俺が貴様に仕事をくれてやるよ」

 

ヤザンはそう言うとニヤリと笑って、

カテジナは頬を赤らめていた。

 

その日から、カテジナは

機密に当たらないヤザンの雑書類の全てを1人で整頓することになった。

それは紙とデータディスクの山であった。

重要性が低く優先順位低と判断された書類を、ヤザンはずっと放置していた。

軍隊という公的な組織ではなく、

また他に重要な仕事を多く抱えていつつも

秘書や事務の類の人材が無かったということで長年放置されてきた書類達だ。

オリファー・イノエがいた頃は彼に押し付けていた書類の山達でもある。

 

「…嘘でしょ…」

 

ヤザンの執務室に入ったカテジナは、

背中で泣くカルルマンと一緒に泣きたくなってきていた。

その日からヒステリックに地下工場内で叫ぶカテジナの姿は見られなくなった。

代わりに、隈をつくった顔で

フラフラとヤザンの執務室と食堂を行ったり来たりする彼女の姿が頻繁に目撃されたという。

 

ヤザンはのびのびと水を得た魚のように、

MS訓練にだけ精を出す事ができてとても機嫌がよくなったそうだ。

MSシミュレーター室からはウッソとマーベットの悲鳴が引っ切り無しに響くようになった。

 


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