R-15な異世界(仮) 作:KWNKN
※高評価が嬉しかったので2話目を書いてみました。
俺がこの世界にやってきたのは15歳のとき、もうかれこれ1年前の話になる。
神様を騙る好々爺の「なんでもある異世界」という甘言に踊らされ、この世界に降り立った。
言語翻訳はデフォルトで……最近やっと補充されたとかいうチートスキル群から1個好きなものを持って行っていいと言われて、「剣術強化」のスキルを選んだ。
詳細は省くが……俺は剣で切り伏せられる敵に対し、剣を握っている間は無敵と言って差し支えない。
意気揚々とこの世界にやってきたはいいが、すぐに俺は挫けそうになった。
一文無しだったから剣を買えなかったのだ。
○
剣の才能はあるのに、肝心の剣をもらわないという中途半端な特典の受け取り方をしたせいで、俺は転移3日目にして行き倒れていた。特典として最初に金を勧められたんだが……そっちを受け取っていればよかった、なんて考えが頭の隅をよぎる。
ぶっ倒れて天を仰ぎ見ながら……アホな転生者が屍を晒してこの物語は終わりです……なんてよしなしごとを考えていると、お迎えの天使が幻視できて……あ、これ結構限界っぽい。
「おにいさん……倒れているけど、大丈夫?」
その天使は俺に語りかけてきた。
正直、異世界は天使のデザインも異世界なんだな、と思った。
メイド服、犬耳。
天使の輪っかと翼代わりにそんなオプションが付いている。
片手には買い物カゴ。……買い物カゴ?
何か言おうと口を開いたが……舌の根まで渇ききっていたので、ヒューヒューという呼吸の音が漏れるだけ。というか、日本に比べて湿度低すぎるんだよこの世界。
しゃがみこんで、俺の顔をまじまじと眺めてくる少女。
近くで顔を見ると……思ったより幼い。
感情の読み取りにくい表情でじっと俺の顔を覗き込んでくる。
「そう……限界なのね。可哀想に」
そう漏らすと、もう興味を失ったのか犬耳少女は立ち上がって向こうに行ってしまった。……あれ、お迎えじゃなかったのか。
本当のお迎えはいつ来るんだろうな……なんて諦めの境地に入っていると、しばらくしてまた向こうからトタトタと足音がした。
首を傾けると、さっきの少女が戻って来るのが見えた。
「……お父様から『飼っていい』って許可が出たわ。お父様に感謝するのね」
少女はそう言うと、また俺のそばで屈んで……買い物カゴの中から瓶を出して栓を外す。それを俺の口元で傾けて……中の液体で俺の喉を潤してくれた。
アルコールの匂い。瓶の中身は「酒」だった。……こういう所が異世界だよな……どう見ても未成年の少女に……アルコールを、売るなよ……。
こんな都合の良い展開、全ては幻かもしれない。けれど、イヌミミメイドに介抱されるというご褒美展開に最高の至福を覚えつつ……安堵した俺は、意識を手放してしまっていた。
○
……夢だと思ったが、かろうじて夢じゃなかったらしい。
バー2階の客用寝室、そこに俺は運び込まれて寝かされていた。それで、俺を助けてくれた少女と、誰かが言い合いをする声で目が覚める。
「……お父様は『飼っていい』、と仰ったわ」
「『捨て犬』をな」
「……行き倒れの奴隷は、拾ったものが所有権を主張して良いとなっているわ」
「日本からの転生者はギルドの門叩けば、冒険者として身分を保証してもらえるんだよ」
「……それって差別だと思うわ」
「その点は激しく同意する。でも俺にもどうしようもないんだよ」
「……お父様のわからず屋」
ベッドの脇で、俺を助けてくれた少女と、1人の男が言い争っていた。
男はまだ二十歳くらいに見えるが……お父様って、何をどうしたらそんな若さでもうその大きさの子供がいるんだよ。異世界すげーな。……あ、結構余裕が戻ってきてるな俺。
暫定『お父様』は犬耳少女をどうあやしたものか、困りながら頭をかいていた。
俺が目を覚ましたことに気がついてこちらに声をかけてくる。
「よ、新人。いつの時代の日本から来たんだ?」
男の言葉と顔に、たった3日なのに、懐かしさを覚えた。
へぇ……この異世界ってたくさん日本からの転生者?転移者?がいるんだなってことを、この時俺は初めて知った。
ついでに行き倒れる必要が全く無かったことも。
○
お父様と呼ばれていた男は、自らの肩書を「メイド喫茶のオーナー」だと名乗った。メイド喫茶で……酒出すの? という疑問はとりあえず飲み込む。
「……そうか、やっぱチートスキルを貰ってこの世界に来たんだな」
時期が悪かったんだろうな……と「お父様」はどこか遠い目で呟く。
なんでも、日本人冒険者はこの世界では「異能持ち」であることが標準らしい。
この世界の冒険者ギルドもそのことをよくわかっているらしく、彫りの浅い顔立ちの若者がギルドに現れた際には、積極的にその取り込みに動くのだとか。
初期費用不要。必要とあらば、初期装備と当分の生活基盤を揃えるための金も無利子で貸し出してくれるのだとか。何も考えずにギルドに立ち寄っていれば、全く行き倒れる必要無かったらしい。
だが、仕方のない部分はあるらしかった。このルールは悪用されるのを防ぐため日本人も「接待を受けた後に」知るルールらしく……何より、適用を受けるためには、そのスキルの内容をギルドに明かさなければならない。
俺はベッドから起き上がったその足でギルドに向かい、借りた
転生特典の力ってすげー!という頭の悪そうなコメントが思い浮かぶ。
一発合格。そのまま試験に使われた剣と……記念に穴を空けたコインも貰っておいた。
バーのオーナーにギルドを紹介してもらったことを話すと、手続き中に、職員の人が少しだけオーナーのことについて教えてくれた。
「毎年、10人くらい日本人がギルドには登録していくんだが……あの人くらいだな。ちゃんと金を払って登録していったのは」
「規則を説明して優待を受けられますよって言っても、頑なに断るんだよ……手の内を晒すと、急に弱くなるスキルの類なのかね?」
「まー、後ろ盾がない状態からあそこまでおおっぴらに商売やれるようになっているんだから何かしらのスキル持ちなのは確かだけど……。何でも隣国の大手商会に顔が利くんだってさ」
どうやらオーナーは俺が思った以上に大物だったらしい。
冒険者タグを発行してもらい、いくらか金を借り、金の稼ぎ方の説明を受ける。
フェンサー使いならと、魔法を使わない魔物の駆除を勧められて、幾つかの依頼書を見せてもらった。
俺は最初の依頼で大型の肉食害獣を切り伏せる戦果を遂げ、天才フェンサー使い(スキルによる捏造だが)という評価を得た。……そんな評判も、結局は他のベテランに埋もれていって、1年もすれば「ある程度腕利き」程度の評価に落ち着くのだから異世界はやるせない。
優秀な後輩達は次々にやって来る。負けずに名を挙げたいなら、拠点を魔王軍と王国軍の衝突地帯に移して軍隊将とでもやり合うべきなんだろうが……。
「……危ないところに行ったら、ダメ。私が拾ったんだから、主人の言うことを聞いて」
見えない
◇
Side GIRL
お父様の言いつけでお買い物に行ってたら、変な匂いが漂ってきた。
飢えと渇きに苦しむ行き倒れの匂い。……どこからか逃げてきた奴隷かな?
匂いの方向に進むと……路地裏でやっぱり人が倒れている。
仰向けで、口をパクパクさせているけど。……お腹空いているのかな。
お腹が空く辛さは知っているから……何か食べさせてあげたいけど、買い物カゴの中の食料を勝手にあげることはできない。
少し声もかけてみたけど……限界が近いのは明らかだった。
でも大丈夫。お父様は優しいから。きっと
お父さんに奴隷が行き倒れていることを知らせに、少し早足で帰った。
けど途中で、大事なことに気がつく。あの奴隷……男の子だった。
お父様は、男の子を家においてはくれない。必ず、常連さんやその伝手で引き取り手を探して家から追い出してしまう。
……そして、きっとそのせいで私の兄さまは死んだ。
◇
私がお父様と出会う前の話。
前のご主人様に私が虐められるのを、お兄様が庇ってご主人様に楯突いた。
そのせいで、兄さまはボロボロにされて、私も一緒に捨てられた。
「『自由』がお望みならそうしてあげましょう。でも、すぐに私のところに置いてもらっていた事が幸せだったと後悔することになりますよ」
ご主人さまはそう言って私達を嘲笑った。
ご主人さまの言うとおりだった。この世界は奴隷には手を差し伸べてくれない。
主のいない奴隷……それが何を意味するかなど、この世界では常識なのだから。
何日も何日もお腹が空いたのと寒いのとを繰り返し……しきりにお兄さまが謝るのがとても嫌だった。兄さまのせいだ、って泣いてお兄さまを困らせる自分が嫌だった。
兄さまの傷は私を庇ったから。でも、それを見ないふりして、兄さまに怒りをぶつけることがどうしても止められなかった。
残飯をあさっては追い立てられ、二人で街から街を渡り歩いた。
私が不貞腐れて歩きたくないないって駄々をこねると……兄さまは私を背負って歩いてくれた。
私は知らなかったけど……兄さまは「奇妙な奴隷商人」の噂を聞いたことがあったらしい。
だから、望みを失わないで……そして期待させて裏切ることが嫌だったから、駄々をこね続ける私に黙って、何日も何日も歩き続けた。ときには私をおぶったまま、何日も何日も。
最後に辿り着いた街で、兄さまは力尽きて倒れた。
私にはどうしようもなくて……誰も助けてくれないってわかっていても、助けを求めずにはいられなかった。
全力で叫んだつもりだったけど……お腹に力が入らなくて、全然大きい声が出なかった。
それが悲しくて泣いたけど、やっぱり声は出てくれなかった。
どれくらい泣いただろう。
「おーい、こっちだ! マジでいるぞ!」
「犬耳族の少年が1人! 少女が1人! 男の方は動かせるかわからん!」
「獣人の耳はすげーな……近くに来ても全然声がわかんねーよ……」
「白湯と毛布持ってきたぞ! 時間との勝負だ!」
急にゾロゾロと人がやって来て……兄さまの介抱を始めてくれたのだ。
「少女の方は泣く元気はあるらしいな……声は出てねーが」
驚いて口をパクパクさせていると、その内の1人が屈んで私に話しかけてきた。
「……何が好物だ?」
そう言いながら、肩にかけていたカゴの中から、いろんな食べ物を見せてきた。パン、干し魚、りんご……その中で、干し肉に目を奪われてしまって……。
「これか。じゃあ食え」
……え?
「だから、好きに食っていい」
そう言って、その人は私の手に干し肉を握らせてくれた。
私が一心不乱に肉を齧っている横で、その人達の手当を受けた兄さまの顔に、少しずつ血の気が戻っていった。
これが、私と兄さまと「お父様」、そしてお父様のバーの常連さんたちとの出会いだった。
◇
あの時、私は知らず識らずの内に、「遠吠え」をしていたらしい。
お父様のバーに勤めている姉さまたちがそれを聞きつけ、あまりにも長く続く遠吠えを不審に思ったのがそもそものきっかけ。
獣人の子供が街のどこかで迷子になっているか……それとももっと悪いことが起きているかもしれないと、お父様に伝えてくれたのだ。
「もう大丈夫よ……大丈夫。お父様は私達を虐めたり捨てたりしないわ」
お父様の店に連れて来られた私と兄さまは、最初、2番めの姉さまに面倒を見てもらった。
バーで働く2番めの姉さまは、常連さんの皆からは「次女」や「次女さん」と呼ばれていて、私と同じ犬耳族だ。
本当の名前は……教えてもらったけど、誰にも教えてはいけないと言われた。
お父様は優しいけど……私達が奴隷であることに変わりはない。
名前を呼ぶことは、つまり戸籍を認めること……難しい話だけど、対外的に?人権を認める?ことになるから、普段は呼んではいけないと言われた。
だから、普段から私も姉さまのことは「2番めの姉さま」と呼ぶように強く言いふくめられた。
「でも、結婚してこのお店を出ていくことがあったら……たくさん呼んでもらいたいわね」
そう言って姉さまは微笑んでいた。
◇
兄さまは私をこの街まで連れてくることができるだけの体力があったはずなのに、なかなか快復しなかった。
「……さっさと出ていってもらわなきゃ困る」
お父様はそう言いながら、兄さまのためにお医者さんを呼んでくれた。
「ほぉほぉ……珍しい。どうやら、この感心な若者はギフト持ちですな」
お医者さんのおじいさんは、兄さまについて私から話を訊いてそう診断した。
「そもそも、妹を背負ってこの街まで歩いてくることができるような状態では無かったのですよ。精神力で無理矢理眠っていたギフトを成長させたのでしょうな」
お医者さんはお父様にそんな説明を続けている。お父様はあまり興味が無いのか、「ふーん」とどこか上の空だった。
私も正直よくわからない。兄さまには何か特別な力があるということ?
「ギフトがあるとわかっているなら、絶対に奴隷を手放したりはしなかったでしょうな。
正直、今のこの若者は骨と皮だけみたいなものです。それでも生きている。
生きたいという思い……もしくは死ねないという思いが強ければ死神を遠ざけるという、『
「……そんなもんがあるんですね。知らなかったです」
お父様は「……俺もそういうの欲しかったな」とブツブツ呟いていた。
「まぁそういうことですから、快復が遅れているのは、精神的な問題でしょう。
おそらく、助かったと思って気が抜けてしまっているんですよ。
何か発破をかけられるようなことがあれば別でしょうが……そうじゃなくてもこのギフトがあるものはそうそうに死にませんで。ゆっくり休ませるのが一番ですよ」
「……ん?
それってそのギフトとやらがなかったら死んでてもおかしくない状態なんですかコイツ?」
「ええ。だからそうですよ? あと2ヶ月は安静ですな」
2ヶ月! よくわからない話も混じっていて、おとなしくお話を聞いているだけのつもりだったけど、お医者様の診断に動揺を抑えることができなくて。
2ヶ月も働けない奴隷を養ってくれる主人なんてどこにもいるはずが……。
そんな! せっかく助かったと思ったのに!
あの、お父様! 兄さまの分まで私が今以上に何でもします。だから、私達を捨てないで!
気がついたらお父様の足元に縋り付いて懇願していた。
兄さまが弱い私を庇ってくれた。
兄さまがわがままを言う私をおぶってくれた。
兄さまが最後まで諦めないでいてくれたから私は生きていられる。
必死に床に額を擦り付けてお願いをする。
お願いします。お願いします。お願いします。お願い、します。お願い、し、ます。お願い……します。おね……がい…しまずぅ……。
途中から涙がポロポロとこぼれてきて……。
泣いてもどうにもならないことは知っているし、余計虐められるだけだったことも忘れていなかったけど。でも、どうしても止められなくて……。
お父様はいつまで経っても何も言ってくれない。でも、私は頭をあげようとは思わなかった。
お父様が「それでいい」と言ってくれるまで……頭を下げ続けるしかないって思ったから。
……何故か鼻をすする音が聞こえてきた。それも1人ではないような……。
「顔を上げてくれ」
お父様がそう言ったので顔をあげると……お父様とお医者様が額に手を当てて上を向いていた。
「……いっそ私がこの兄妹を引き取っても?」
「……大丈夫です。はじめから見捨てるつもりはないですよ。
あと妹の方は300コルです」
「世知辛いですなぁ……」
会話が私の頭の上を通り過ぎていく。
でも、その内容を聞いていてもしかしたら、って気がしてきて。
お父様は拳で一回目元を拭うと、私の目を見て
「今、何でもってするって言ったな?
……じゃあ、二度とそんなことを言うな。
ええっと……あれだ。何でもなんて言ってるけど、自分の能力以上のことはできないから、嘘になってしまうだろ? できるなんて嘘をつかれても迷惑なだけだから、できないときには助けを呼べ。そっちの方がよっぽど迷惑がかからない」
お父様の思いかけない真剣な言葉に、コクコクとうなずくことしかできなくて。
「無理だなんて思わず、何でも頼ってみろ。頼れ。その命令が聞けるなら……
私は、そういえば……お父様は泣いている私を見つけて手を差し伸べてくれたんだ、ってことを思い出していた。
◇
お父様には本当に良くしてもらった。
メイド喫茶のメイドの1人として仕事を習い、兄さまが起きれるようになる直前で、私も給仕の仕事をしていいとお墨付きを貰って、メイド服を着せてもらえるようになった。
でも1個だけ不満なことがあって……。
◇
お父様が推薦人となって、兄さまは無事に冒険者としての社会的地位を手に入れた。
そして、兄さまのギフトは冒険者としては非凡なものらしく、あの日兄さまと私を助けてくれたお店の常連さんが、その縁でパーティーに入れてくれたらしい。
「鍛えれば、必ずものになるって褒めれたんだ」
テーブルの向かい側で兄さまは誇らしげにそう言ってたけど……私は全然嬉しくなんてなかった。
よくは知らないけど……お父様の店の常連さんには「高レベル冒険者」が多いらしい。
皆、特別な才能を持っていて……魔王軍と闘うために、王国に出かけていって稼ぐ人たちも珍しくないらしい。
そして、兄さまが入ったパーティーも近々王国に用事があって出かける予定らしくて……。
「よくは知らないけど、養殖ってのをしてくれるらしい。
それでガンガンレベルを上げて、ガンガン稼げるようになるって」
兄さまはそんな風に未来のことを希望いっぱいに語ってくれた。
でも、私はそんなことを聞いてもつまらなかった。
ただ、いつまでも一緒にいれれば、それで良かったのに……。
でも、それができないのもわかっていたから、拗ねるしかなくて。
「……たくさん稼いで、帰ってくるよ。そしたら、お前を引き取れないかお父さんに頼んでみる」
カウンターでグラスを拭いているお父様がその私達の会話を聞いていて、声をかけてきた。
「300コルだ。そっからは、まからねぇ。
……そんくらい稼げるくらいに強くなって来てくれりゃ問題ない」
そう語る間もお父様はグラスを拭く手を止めない。
「……わかりました。頑張ってきます。……あと、あの……ちょっとごめんな」
兄さまは私に少し断って、テーブルを立った。そしてカウンターの方に近づいて、お父様に小声で話しかけたようだった。何故か耳がピクピクしていて……。
「ーーーーーー」
お父様が一瞬グラスを拭く手を止めた。それで、マジマジと兄さまの顔を見つめて。
「……そんなの俺が知るか。本人にちゃんと確認してこい」
兄さまはお父様に何かを質問したようだったけど、すげなく返されてしまったみたいで。
振り返った兄さまの顔は何故か紅潮していた。一体何を聞いたのかな?
「……一応、
「……! はい!」
「……お前、すっかり悪い虫だよな」
その会話の後、何故か兄さまはその日は一日中とてもご機嫌だった。
◇
そして。
「じゃあ、行ってくる」
兄さまは笑顔でそう言って、このお店から旅立って行った。
「いってらっしゃい」
2番めの姉さまが、笑顔で兄さまを送り出してくれた。
私は……いじけてしまって、ちゃんと言葉に出して送り出すことができなかった。
◇
その二ヶ月後のこと。
協定を無視した王国軍の進行により、王国と魔王軍の衝突が激化したらしい。
報復として、王国内でのモンスター自爆テロが常態化し、それに巻き込まれて、官吏、冒険者、民間人問わず、犠牲者が出るようになった……らしい。
発表された犠牲者の中には、兄さまと兄さまのパーティーメンバーの名前も混じっていて。
……この世界には、誰を恨めばいいのかわからない悲劇が溢れかえっている。
◇
話は今に戻ってくる。
だから……私は拾った子を、外に出すなんて真似はしたくなくて。
だから、お父様に「
一応、犬、という表現は何も間違っていない。時々、お父様の本棚から本を借りては文字の勉強をしているのだけど……男の人のことを「駄犬」と呼んでムチで叩いていいる表現を見かけたことがある。多分、男の奴隷のことをそういうのが一般的なんだろうけど……見つかっては「まだ早い」と言って取り上げられてしまう。
「犬? ……飲食店に普通の犬はちょっとな」
案の定、お父様は普通に勘違いをしてくれたようだった。
その犬、とっても賢いの。私は言葉も通じるわ。きっと役に立つと思う。
……私
「……犬耳族って犬の言葉わかるのか?」
これには無言で微笑んで返す。そんな話、私も聞いたことがない。
お父様は、グラスを拭く手を止めないで「……じゃあ、猫耳族は猫の言葉がわかる?」なんてことをちょっと呟いていた。幸運なことに、この場に姉さま方はいない。他のお姉様方が帰ってくるまでにケリをつけなくちゃ。
エサ代は私のお給金から出すから……ダメ?
手を組んで、上目遣いでおねだりをしてみる。
お父様は、このお店のメイドに、「可愛い仕草」を覚えることを指示している。
あと一杯、お客さんに酒代を落として行って欲しい時、そのひと押しのために私達にこの仕草をさせるのだ。
間違いなく私の話術もお父様譲りで……私は今、お父様に仕込まれたテクニックの数々でお父様を騙……ちょこっと誤魔化そうとしていた。
「……じゃあ、いいぞ。最後まで責任持って面倒見ろよ」
計画通り。
……嘘。上手くいかなかったらどうしよってちょっと焦ってた。
じゃあ、お父様。その犬、お腹を空かせて動けないみたいなの。あと、私じゃ運べないくらいくらい大きくて……。このカゴの中の食べ物をあげてきていい?
お父様が言葉を翻さない内に早口でまくしたてて……私はお父様の静止を聞かずに店の外に飛び出していった。
◇
お父様は行き倒れている男の子を見て渋い顔をしたけど、とりあえず何も言わないでお店まで運んでくれた。
そして、帰ってきた姉さま方にお店の準備を任せると、男の子を寝かせている横で、私と問答を繰り広げることになった。
……お父様は『飼っていい』、と仰ったわ。
「『捨て
……行き倒れの奴隷は、拾ったものが所有権を主張して良いとなっているわ。
「日本からの転生者はギルドの門叩けば、冒険者として身分を保証してもらえるんだよ」
ここが、どうして納得できない。
どうしてお父様は男の子をこのお店に置いてくれないんだろう。
男の子たちは目を輝かせて冒険に出かけていくけど……この街を離れれば、外は危険でいっぱいだ。
姉妹たちのことは守ってくれるのに、どうして……。
……それって差別だと思うわ。
「その点は激しく同意する。でも俺にもどうしようもないんだよ」
男の子を冒険者にして送り出すことの何が「どうしようもない」のだろう。私にはそれがわからない。
「……お父様のわからず屋」
そう言うことが私にできる精一杯の反抗で。
「よ、新人。いつの時代の日本から来たんだ?」
お父様がそう声をかけたことで、私は男の子が目を覚ましたことに気がついた。
◇
結局、その男の子も冒険者になってしまった。
そして、やっぱり凄い才能があるみたいで……お給仕の間、常連客さんたちが、パーティーに引き抜こうか相談している声が聞こえてきた。
絶対にやめて欲しいけど……常連客さんの気分を害するわけには行かないので、ぐっとこらえて、なんとか笑顔を作ってお酒をテーブルに運ぶ。
「ハッハー、相変わらず笑顔が下手だな!」
「メイドなのに無愛想! だがそれがいい!」
お客さんに表情のことをいじられる。……そんなに笑うの下手かな。
……そういえば、兄さまが出かけた後ぐらいからそういう風に言われることが多くなった気がする。
お父様が一瞬私の方に視線を向けてきたような気がした。お客さんと私の遣り取りを何か心配するような様子で……。首をかしげてお父様の方を見返したら、もうお父様はこちらを見ていなかった。
気のせいかな。まぁ、今はそれは気にしないでいいや。
気にしなくちゃいけないのは、どうしたらあの男の子が街の外に出ないでいてくれるかで……。
拾ったのは私だから、私がご主人さま、なんて難癖をつけて言うことを聞かせてみる?
上手くいかなかったら、お客さんを1人失うし、お父様に叱られるかもだけど……。
そんなことを考えていると、本当にあの男の子がお店にやって来て……。
私はテーブルの担当を姉さまの1人に代わってもらい、男の子に話しかけてみることにしたのだった。