「すまん。聞いてくれ」
薄汚れた鉄兜に革鎧。左手に括り付けた円形の盾。腰に差した中途半端な長さの剣。
ここしばらく姿を見せなかったゴブリンスレイヤーが、冒険者ギルドにやって来たと思ったら、その中央で低く静かな声を響かせた。
各々談笑していた冒険者たちは、これをしっかりと耳にし、一気に視線を彼へと向ける。
「頼みがある」
彼の二言目を聞き、冒険者たちの間にざわめきが生じた。
彼の声を、初めて聴いた。
まして、彼が冒険者に頼みごとをする姿など、その場にいた全員が想像したこともなかった。
しかし、ゴブリンスレイヤーは周囲の反応を気にすることなく、淡々と事情を説明していく。
街外れの牧場に、ゴブリンの
それから察するに、
その数、百匹はくだらない。
冒険者たちのざわめきが、一気に止まった。
ここへ、『生きて還って来た者』ならば、ゴブリンの厄介さは充分すぎるほどに経験している。
それが、ロードという統率力に優れた変異種を頭とし、雪崩れてくる。
もはやそれは群れではなく、軍だ。
誰が、好き好んでそんな奴らの相手をしようか。
「時間がない。洞窟内であれば、なんとかなろうが……野戦となれば、俺だけでは手が足りない」
果たして、好き好んで相手をしそうなゴブリンスレイヤーでさえ、こうして単独での戦闘を避け、協力を要請しているのだ。
「手伝ってほしい。頼む」
頭を下げた彼を見て、他の冒険者がひそひそと何やら囁き合った。
しかし、それをゴブリンスレイヤーへ直接言うことはない。
やがて、一人の冒険者がつかつかとゴブリンスレイヤーへ歩み寄った。
いつも彼を目の敵にしている、槍遣いだ。
「おい」
槍遣いが、ゴブリンスレイヤーへ声をかけようとした、まさにその時である。
「よし、やろうぜ」
あっけらかんとした、了承の声。
一同がギルド入口へと目を向けると、そこにいたのは一人の少年。
泥にまみれた山吹色の道着を身に纏い、その背中には朱色の細棒。四方八方に伸びた独特な髪型と、純粋無垢なる水晶のような瞳。
首から黒曜の認識票を下げたその者は、オールラウンダーであった。
彼は、
「牧場って、あのねえちゃんとおっちゃんがいるとこだろ?」
そう言って、ゴブリンスレイヤーへと歩み寄る。
ゴブリンスレイヤーは、鉄兜の中から少年を一瞥し、
「ああ」
淡々と頷いた。
その返事を聞いたオールラウンダーは、
「朝メシ食わせてもらった分のおかえし、まだしてなかったもんな」
後ろ手に頭を抱え、にんまりと笑った。
「……何故だ」
ゴブリンスレイヤーが、問うた。
「何故、手伝いを申し出た」
「なぜ、って……おめえが手伝ってくれっていったからだろ」
「……そうではない。お前は、冒険者だ」
「ああ」
「ならば、何故手伝いを申し出てくれた。俺は、まだお前たちに報酬の提示すらしていないんだぞ」
すると、オールラウンダーは気抜けしたようにゴブリンスレイヤーを見つめ、
「メシ食わせてくれたから、そのおかえしだ、っていったろ?」
さも当たり前のように言うのだ。
ゴブリンスレイヤーには、理解できなかった。
ここにいる者は、冒険者という括りにこそ当てはまるが、仲間や友達というわけではないのだ。
彼らへ協力を申し出るなら、『依頼』という形で申し込むのが、筋というもの。
だが目の前の少年は、そんなことなど眼中になく、一食の恩返しのために、ゴブリンの軍隊を迎え撃つための協力を引き受けてくれた。
そこが、分からなかったのだ。
果たして、その疑問に答える声が、ギルドへと入ってくる。
「不思議でしょう? この子、こういう子なんですよ」
オールラウンダーと同じように、各々の装備を泥に汚した四名の女冒険者たち。
朝の下水道掃除を終えた貴族令嬢一党は、呆れたように、それでいて笑いながらオールラウンダーの傍によると、
「冒険者なのに、報酬とか危険度とか、そういったことを気にしないんです。世のため人のため……っていうのもまた違う気がしますけど……」
貴族令嬢の言葉へ、
「だって。オラ、カネのつかいかたよくわかんねぇもん」
オールラウンダー言うと、
「やれやれ。そのおかげで、私たちもタダ働きに付き合わされるわけだ」
肩を竦め、溜息を吐いた森人魔術師が、やはり口角を上げて言うものだ。
これを見たゴブリンスレイヤーは、
「お前たちも、手伝うつもりか」
貴族令嬢一党を見る。
答えたのは、圃人の斥候と、只人の僧侶。
「前のわたしだったら、絶対にやらなかったけどね。ゴブリン相手に、報酬なしの戦いなんて」
「……彼に、おかしくされてしまったのかも、しれませんね」
一党を見たゴブリンスレイヤーは、深い溜息を一つ。
そして、改めて周囲を見回すと、
「報酬は、俺の持つ全てだ。金、装備、能力、時間……これら全てを支払う」
言い放った。
すると、
「なんでもくれるのか! じゃあ、腹いっぱいメシを食わせてくれよ!」
先ほどの頼もしさはどこへやら。
腹を鳴らしたオールラウンダーが、目を輝かせてゴブリンスレイヤーへ迫る。
ここにきて、周囲の冒険者が動き出した。
「あいつの飯だけで、報酬が消える!」
辺境の街へオールラウンダーが来てから、数か月の時が経っている。
彼の恐るべき食欲を、冒険者たちはまざまざと目にしていた。
一人はオールラウンダーの口を塞ぎ、もう一人がその体を抱えてギルドの外へと出る。
その隙に、
「なぁ。早い者勝ちじゃねぇよな!?」
「ゴブリンを斃した数で、報酬の量を決めようや!」
などと、ゴブリンスレイヤーへ詰め寄る。
しかし、彼らの中では報酬が全てではなかった。
冒険者となった以上、彼らの中には夢があり、人の役に立ちたいという思いがある。
だが、一歩踏み出す勇気が無かった。
その勇気へ発破をかけたのは、オールラウンダーその人であったのだ。
「お前なぁ……」
外に飛び出した冒険者の一人……槍遣いは、抱えていたオールラウンダーを降ろすや、
「状況を察しろよ、全く……あそこは、俺があいつへ『金はいらねぇ。その代わり、一杯奢れ……』って言うところだろうがよ」
呆れ顔となる。
「しらねぇよ、そんなの」
唇を尖らせたオールラウンダーへ、
「しらねぇ、で済まされるか。第一、お前が飯をたかると、それだけで報酬が消えちまうだろうが」
そう言ったのは、いつしか彼と食べ比べをして、泣く泣く食事代を全額支払うことになった、銅等級の冒険者だ。
因みに、彼の借金はまだ続いている。
果たして槍遣いは、またもや深い溜息を吐くと、
「あーあ。あそこでかっこよく決まれば、お嬢さんが俺に惚れたかもしれないのになぁ……」
そうぼやくのへ、
「ははっ。おめえ、なんだかヤムチャみたいなやつだな」
オールラウンダーが、懐かしそうに笑ったものである。
「……誰だよ、それ」
「オラのともだち。んで、にいちゃんみたいなやつだ」
「……お前の友達で兄貴って……よっぽどの変人じゃねぇのか?」
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