悟空は無邪気な冒険者   作:かもめし

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変更点
①小分けにしていたお話を、区切りをつけてひとまとめに。
②悟空が女神官と出会ってから、冒険者登録するまでの件を若干修正。


辺境の街の冒険者たち編
初陣


 一

 

 

 この世は賽子(さいころ)のごとく四方なり、とは誰が言ったものか。

 そんな()()()()は辺境の、とある開拓街における出来事である。

 春先。様々な出で立ちをした、様々な種の人々が行き交う街の入り口で、一人の娘が不安げに辺りを見回していた。

 彼女は、街の近くにある、地母神を祀った神殿から出てきた神官であった。

 歳は十五。只人(ヒューム)社会ではこれより先を成人として扱う。

 そんな彼女は、成人を迎えた暁に、今後の人生についての選択を迫られた。

 このままで神に人生のすべてを捧げるか。それとも外の世界で逞しく生き延びるか。

 彼女が選んだ道は後者のものであり、そうするために、

 

 

(冒険者になろう……!)

 

 

 この決意を固めたのである。

 冒険者。古来より、怪物どもとの戦いにおける戦力の一つ。

 国の兵士と違い、彼らは誰かの下に仕えているというわけではない。

 自由気ままに世界各地を旅し、依頼者からの依頼を請けて化け物たちを一戦交えたり、はたまた自ら迷宮(ダンジョン)に潜って金銀財宝を探し当てたり。とまぁ、そうして稼ぎを得ている集団なのである。

 自由気まま……と言えば聞こえはいいが、その実はただの武装した無頼漢。放っておけば、街で暴れたり、力に物を言わせて庶民を脅したりなどしかねない。

 そこで出番となるのが、冒険者ギルドと呼ばれる組織であった。

 彼らは庶民たちからの依頼を引き受け、それを冒険者たちへと紹介する……いわば仲介人の役割を持っている。

 しかし彼らの真の役目は、そうして冒険者たちを管理・統制することで、必要最低限の社会的信頼を彼らへ与えてやることであった。

 して……。

 そんな冒険者ギルドは世界各地に支部を置いているわけだが、共通して街の入り口近くに門を構えている。他方から来る者も、一目で分かるようにするためだ。

 この辺境の街だとて、それは例外ではない。

 街門を潜り抜けてすぐにある、冒険者ギルドの支部を見た女神官は、思わず感嘆のため息を吐いた。

 これまで彼女が住み暮らしてきた神殿もかなりの大きさを誇っていたのだが、冒険者ギルドはそれをさらに少しばかり上回っていたのである。

 しばしの間、感動のあまりその場に立ち尽くしていた女神官であったが、やがてギルド入り口の自由扉から、武装した男女の混成集団が出てきたのを見て、

 

 

「これから、わたしも……!」

 

 

 手にした錫杖をしっかりと握りしめ、一歩を踏み出した。

 と、その時である。

 どさり。

 背後から、何かが地面に落ちるような音がして、彼女は素早く振り向いた。

 見るとそこには、紫色の装束をまとった小柄な只人が地面へ倒れ伏している姿が見えた。

 慈悲深い地母神に仕える女神官は、迷わず小柄な只人に駆け寄ると、

 

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 

 抱き起しつつ、声をかけた。

 只人は、少年である。四方八方に伸びきった、奇妙な髪型をしていた。

 

 

「め……」

 

 

 少年の、震える声である。

 

 

「め?」

 

 

 女神官が聞き返すと、

 

 

「メシ……腹へった……」

 

 

 と返事が来たと同時に、まるで竜のおくびのような腹の音が鳴り響いたものである。

 これを聞きつけ、なんだなんだと周囲の人々が集りを作り始めた。

 すると、その中から、

 

 

「ちょっとごめんよ!」

 

 

 快活な声がしたかと思うと、

 

 

「わぁお。行き倒れってやつだ」

 

 

 そう言って女神官たちの前に出てきたのは、只人の姿に獣の耳と手足を足した……いわゆる獣人(パットフット)の女性であった。

 まるでドレスのような給仕服を着こなした彼女は、どこかの飲食店の女給であろうか。

 果たして獣人の女給は、未だ腹を鳴らしている少年を見てにんまりと笑うや、

 

 

「そら! 野次馬は散った散った!」

 

 

 威勢よく周囲の人々を追い払った後で、

 

 

「ほら。こっちおいで」

 

 

 軽々と少年を抱きかかえると、女神官へとウインクを一つしてみせ、そのままギルド庁舎の裏手へと消えていった。

 

 

「……?」

 

 

 訳の分からぬ女神官であったが、ついてこい、と言われたのを無視するわけにもいかない。そもそも、連れていかれてしまった少年の事も気にかかる。

 

 

「……!」

 

 

 手にした錫杖を再び強く握りしめた彼女は、そのままとてとてと女給の後を追いかけた。

 

 

 二

 

 

「うめぇ!」

 

 

 先ほどの、行き倒れていた少年の声なのである。

 ここは、冒険者ギルド内に併設されている酒場で、その中にある従業員たちの休憩室だ。

 あれから、獣人の女給は少年と女神官とをここへ引きつれると、

 

 

「ちょっと待っててね」

 

 

 そう声をかけて暫くの後、

 

 

「んしょ、っと」

 寸胴鍋を一つ、持ってきたのである。

 中には、多種の野菜と細切れにしたベーコンとを煮込んだスープが、並々と入っていた。

 温かな湯気とともに、食欲を誘う匂いが部屋の中に充満する。

 

 

 それにつられて、女神官が「くぅ」と腹の音を鳴らしたのと、

 

 

「メシのニオイだ!」

 

 

 それまで死人のような顔つきだった少年が、勢いよく顔を上げたのとが殆ど同時であった。

 

 

「よっぽどお腹空いてたんだねぇ。ま、行き倒れになってたんだから当たり前か」

 

 

 女給はそう言って、慣れた手つきで皿にスープをよそり、これを少年と女神官に差し出す。

 女神官が、そこは今まで神に仕える生活を送っていただけに、食事を与えてくれた神へと祈りを捧げている間、少年は大口を開けてスープを一気に飲み干してしまうと、

 

 

「おかわり!」

 

 

 元気よく、女給へと空になった皿を差し出したものであった。

 それからものの数分で、少年は鍋に入ったスープを半分ほど食らってしまっていた。

 この様子を見ていた女神官の顔が、見る見るうちに青ざめていく。

 多少であれば、少年の食事代を肩代わりできるだけの持ち合わせはあったのだが、このままでは自分の食費を削ったとしても、とても代金を立て替えるほどの余裕はないように思えたからだ。

 そんな彼女の心中を察したのか、

 

 

「ああ、いいよ。お金の心配なら」

 

 

 女給が、けらけらと笑いながらそう言ったものである。

 

 

「へ……?」

「いやぁ、実はさ。このスープ、うちの新商品としてあたしが作ってみたんだけど……おっちゃん……じゃないや。料理長から駄目だしくらっちゃってさ。捨てるわけにもいかないし、かといってお客に出してお金とるわけにもいかないし、どうしたもんかと思ってたんだよね」

「はぁ……」

「だからさ。こうして、お金に余裕なさそうな駆け出しの冒険者さんたちに無料で配給して、お店の宣伝を兼ねた慈善事業をしてるわけ」

「……あ、あの……ごめんなさい。わたし、まだ冒険者じゃ……」

 

 

 ただの武装した無頼漢が社会の信頼を売るためには、ギルドで冒険者になるための「登録」を行わなければならない。だからこそ、女神官はこうして辺境の街の冒険者ギルドへと足を運んだのである。

 しかし、そのことも女給にとっては織り込み済みだったらしく、

 

 

「わかってる、わかってる! これから冒険者の登録をするところなんでしょ? 服装見れば、だいたいわかるよ」

 

 

 と豪快に笑ってみせたものだ。

 するとここで、今まで飯をくらっているだけであった少年が、

 

 

「なぁ。そのボウケンシャってなんだ?」

 

 

 首を傾げつつ、そんなことを聞いてきた。

 これには、さすがに女給も目を見開き、

 

 

「君も、冒険者になりたいからこの街に来たんじゃないの?」

 

 

 と問うた。

 少年は依然としてきょとんとしたまま、

 

 

「オラ、べつにそんなんじゃねぇ。修業の旅してたら、いきなし変な森にいて、そっから歩いてたらここにきてたんだ」

 

 

 などという。

 

 

「修業の旅って……お坊さんかなにか?」

 

 

 と女給。すると少年は首を振って、

 

 

「オラ、武道やってんだ」

「ってことは、武道家?」

 

 

 女給が問いかけるのへ、

 

 

「たぶんそうだ」

 

 

 少年は曖昧な返事を送る。

 

 

「なんだそりゃ」

 

 

 そのいい加減とも思える態度に、少しばかり肩の力が抜けた女給であったが、やがて思い直したらしく、

 

 

「でもさ。だったらなおさら冒険者登録した方がいいんじゃない? 君みたいに修業目的で冒険者になってる人、結構いるよ?」

「ボウケンシャってのやってると、修業になんのか?」

「なるんじゃないかな? 初めのうちは無理だけど、実績あげていけば、(ドラゴン)だったり悪魔だったりを相手にする依頼も請けられるし」

「ふぅん……」

 

 

 普通、少年ほどの年頃であれば、竜だったり悪魔だったりを打ち倒す勇者や冒険者の物語に夢中なはずであるのだが、どうにも彼はそういった類の話に興味がないらしい。

 そればかりか、

 

 

「アクマってやつなら、オラこのあいだぶっとばしたばっかだもんな」

 

 

 などと、さもつまらなそうに言ったものである。

 女給も女神官も、言葉を詰まらせた。

 少年の態度に、誇張であったり法螺を吹いている様子が一切感じられないのが、なおさらに質の悪いことである。

 二人が驚いている間にも、

 

 

「でもなぁ」

 

 

 少年は腕を組んで思案し始め、

 

 

「亀仙人のじいちゃんは、広い世界をみてこい、っていってたしなぁ」

 

 

 などと独り言ち、やがては、

 

 

「あいつがたいしたことなかっただけで、もっとすげぇやつがいるかもしれねぇし……」

 

 

 そういうと、何やら一人で頷いたものである。

 かくして最終的に少年が下した結論は、

 

 

「じゃ、オラそのボウケンシャってやつになってみる」

 

 

 であった。

 

 

 三

 

 

 女給に見送られた女神官と少年の二人は、施設の中でもとりわけ人の群れが出来ている箇所へと赴いていた。

 右を見れば、とんがり帽子に樫の杖を持った森人(エルフ)の魔法使いが。

 左を見れば、背中に戦斧を背負った鉱人(ドワーフ)が。

 その他にも、鈍色の鎧を着こんだ蜥蜴人(リザードマン)や、軽装に素足という出で立ちの圃人(レーア)。もちろん、武装した只人(ヒューム)の姿もある。

 こここそが、冒険者の拠点。ギルドの受付ロビーなのである。

 

 

「へぇ。いろんなやつがいるんだな」

 

 

 多種多様な人種を、少年は物珍しげに見まわしている。

 女神官はというと、そんな少年の隣に立ち、がちがちと身を強張らせていた。

 いざ冒険者になると決意したはいいものの、歴戦の重みを感じさせる先輩たちの姿を見ると、委縮してしまうのは当然のことといえよう。

 そんな女神官の腕をつかんだ少年は、

 

 

「なぁ。はやくすましちまおうぜ」

 

 

 そういうや、受付カウンターから伸びる長蛇の列へと歩み寄っていった。

 列は、三つあった。

 女神官と少年は、それぞれ別の列に並び、順番を待つことにした。

 その間、女神官は他の冒険者たちが語る冒険譚に耳を傾けていた。

 やれ、峠のマンティコアがどうのとか。洞穴に潜む竜の討伐云々。下級の悪魔(デーモン)相手ならばどうとでもなる……とかなんとか。

 未知の領域の話に、またしても女神官は驚いたが、それでも冒険者になりたいという気持ちに揺らぎはなかった。

 神殿での生活の中、癒しの()()を求める冒険者の姿を、女神官は毎日のように見てきた。

 彼らの傷ついた姿を見ているうちに、

 

 

(より多くの人へ、癒しの奇跡を届けたい……)

 

 

 女神官はそう思うようになった。

 しかし、そのためには自ら危険の中へと飛び込む必要がある。

 なればこそ彼女は、周囲の人々が止めるのも聞かず、冒険者として生きる道を選んだのである。

 そんなことを振り返っていると、いつの間にか女神官の番が来ていた。

 

 

「はい。今日はどうなさいましたか?」

 

 

 彼女の応対に出たのは、柔和な笑みを浮かべた女性であった。

 ギルド職員共通の制服をきちんと着こなし、茶色がかった髪は三つ編みにして垂らしている。

 眩しいほどに大人びた雰囲気を放つ受付の女性へ、少しの間、後退りしそうになった女神官ではあったが、

 

 

「あ、あの……冒険者に、なりたいんですけど……」

 

 

 恐る恐るではあるが、しっかりと目的を告げることが出来た。

 すると、一瞬ではあるが、受付嬢の顔が空間に張り付いたのを、女神官は確かに見た。

 しかし、直後に彼女は営業的な笑顔を浮かべると、

 

 

「それでしたら、冒険記録用紙(アドベンチャーシート)を製作いたしますね。文字の読み書きはできますか?」

「は、はい。神殿で多少は習いましたので……」

「わかりました。では、こちらの用紙にご記入をお願いします」

 

 

 そういって受付嬢が差し出してきたのは、薄茶色の羊皮紙。そこに、名前やら年齢やら、その他には身体的特徴や己が有している技量などを記入する欄が設けられている。

 

 

(これだけでいいのかしら……?)

 

 

 女神官は、なんだか拍子抜けのする思いであった。

 そこで余裕が生じたからか。女神官はちらと隣の列へ目を移した。

 そこでは今しも、例の少年がやはり冒険者登録をしているところであった。

 彼の対応に出ているのも、やはり女性の職員であった。その首には、天秤と剣とを組み合わせた装飾品がさげられている。

 

 

(あれは……至高神の聖印……?)

 

 

 至高神。それは、法と正義を司る神である。

 女性職員は、時折その聖印をなでるように触っては、鋭い目つきで少年を見据えている。

 

 

(まさか……何かやましいところが……?)

 

 

 そう思うと、何故か我が事のようにそわそわとしだした女神官ではあったが、

 

 

「記入は終わりましたか?」

 

 

 目の前の受付嬢の言葉を受けて、()()となった。

 我ながら感心することに、他の事に注意を向けつつも、女神官はきっちりと冒険記録用紙への記載を終えていた。

 これを受け取った受付嬢は、カウンターの下から白磁の板を取り出すと、これへ銀色の尖筆を滑らせた。

 それが終わると、

 

 

「はい。どうぞ」

 

 

 受付嬢は、小板に紐を通したものを、女神官へと差し出した。

 見てみると、その小板には先ほど冒険記録用紙に書いた内容がそのまま記載されている。

 

 

「身分証と能力査定(ステータス)兼ねたものになっていますので、無くさないようにしてくださいね。万が一に何かあったときは、身元照会に必要にもなりますから……」

 

 

 そこまで言って、再び受付嬢の顔に陰りが表れる。

 一瞬、その言葉が何を意味するか分からなかった女神官であったが、

 

 

(万が一……身元の照会……)

 

 

 その言葉をかみ砕いてみて、ようやくに合点がいった。

 すなわち、この小板は、自分が一見では人かどうかも分からぬほどに形が歪んでしまった……そんな死に方をした時のためのものなのである。

 これを理解した女神官は、ごくりと唾を飲んだ。

 重い沈黙。これを少しでも早く払拭しようと、

 

 

「で、でも……冒険者の登録って、こんなに簡単にできるんですね。なんだか、思ってたのと違いました……」

「まぁ、なるだけなら誰でもなれますからね」

 

 

 世間話に応じるかのような、柔らかな笑みを以て返答する受付嬢なのだが、どこか暗いものを感じるのは女神官の考えすぎか。

 

 

「本当に大変なのは、進級ですよ」

「あっ、それならわかります。冒険者は、十の等級からなるんですよね?」

「ええ」

 

 

 受付嬢が、まるで勤勉な妹をほめるかのように頷く。

 

 

「駆け出しのあなたは、今十位の冒険者です。そこから一つ一つ位を上げるためには、様々な経験を積んで、世のため人のための行動を起こして、最後にはギルドの人格査定をクリアしなくてはなりません」

「人格査定、ですか?」

「はい。よく、冒険者はそこらの無頼漢と変わらない、と思われがちなんですが、社会からの信頼がなければやっていけない仕事ですからね。あなたも、困っていることを解決してほしいとき、どうせなら評判のいい人にお願いしたいでしょう?」

「……なるほど」

 

 

 一理あり、と女神官が頷いたところで、この話はおしまい。

 次いで、

 

 

「依頼をご所望の際は、あちらに張り出された依頼書をお持ちください」

 

 

 そういって受付嬢が指したのは、壁一つに丸々かぶせられるようにして打ち据えられた、大きなコルクボード。

 すでに先駆けた冒険者たちが破って持って行ってしまったのだろう。張り出された依頼書は、だいぶ疎らになっている。

 

 

「駆け出しのうちは、ドブさらいなんかで経験を積むのがおすすめです」

「えっ? 冒険者って、怪物と戦うものじゃ……」

 

 

 女神官の言葉に、受付嬢が三度目の陰りを見せる。

 

 

「街の清掃活動だって、立派な社会貢献。ひいては冒険者の仕事ですよ」

 

 

 その言葉で、冒険者登録のすべては終わった。

 かくして、あとは勝手にしろとばかりに冒険者の世界へと放り出された女神官であったが、とりあえず例の少年が登録を済ませるまで待つことにした。

 行き倒れを助けた縁だ。もう少しばかり行動を共にしても、罰は当たらないだろう。

 果たして少年は、それから少しもしないうちに、

 

 

「よう」

 

 

 と女神官へ声をかけてきた。

 彼の首からは、やはり女神官と同じように白磁の認識票がさがっている。

 

 

(よかった。無事に登録が済んだんだ……)

 

 

 至高神に仕える職員から目をつけられたのではないか……と心配していた女神官であったが、どうやらそれは杞憂であったらしい。

 

 

「で、これからどうすんだ? 受付のねえちゃんが、あの板から紙をちぎってこい、っていってたけど」

 

 

 少年が、そういってコルクボードを指す。

 彼も、すっかり女神官と行動を共にするつもりらしい。

 

 

「そうですね……」

 

 

 顎下に、細い人差し指をあてがいながら、女神官は考えた。

 このまま依頼を遂行すべきか。はたまた、今日の所はいったん宿をとるべきか。

 冒険者ギルドには、酒場の他に初心者向けの宿屋もあるという話だ。

 どれほど悩んだことだろうか。

 

 

「なぁ。君たち、俺たちと一緒に冒険に来てくれないか?」

 

 

 と、不意に背後から声をかけてきたのは、真新しい胸当てに赤い鉢巻き姿の若者であった。その腰に長剣を帯びているところを見ると、役職は剣士というところか。

 

 

「君、神官職だろ?」

「え、えぇ。そうですけど……」

「よかった! 神官なら、怪我を治したりもできるんだろ?」

「えっと……まぁ、一応……」

「よし、いいぞ。俺の一党(パーティ)にはそういうのがいなくてさ。ちょうど、君みたいな役職の人を探してたんだ」

 

 

 そういって、剣士は後方を親指で示す。

 見るとそこには、二人の少女の姿があった。

 一人は長い髪を後ろにまとめ、道着をまとった勝気そうな娘。もう一人は、眼鏡の奥から冷たい視線を向ける、杖を持った少女。

 おそらくは、武闘家と魔術師という具合か。

 そんな二人を、

 

 

「俺の一党さ」

 

 

 と紹介した後で剣士は、

 

 

「急ぎの依頼で、もう一人か二人、手が欲しいんだ。来てもらえるかい?」

「急ぎの依頼、といいますと?」

「もちろん、ゴブリン退治さ!」

 

 

 ゴブリン。背丈も力も頭も、そこらの子供と変わらぬほど。故に怪物の中でも最弱と言われる存在。

 そんな奴らが、とある洞窟の中に巣を構え、近くの村を襲っては、娘をさらったり、収穫物を奪ったりと悪事を重ね始めた。

 かくして村人たちは、なけなしの財産を集め、冒険者ギルドへと依頼を持ち込んだのである。

 女神官は、逡巡した。

 駆け出しの冒険者が、初めての依頼としてゴブリン退治に赴く。この世界ではよくある話だ。

 そんな初めての経験に、自分が他者から誘われた。どこか、運命の導きを感じずにはいられない。

 もとより、神官職である自分が単独で怪物を相手どろうなど、自殺行為もいいところなのだ。

 

 

「ん……」

 

 

 女神官は、またしても顎に指をあてがった後で、

 

 

「わたしなんかで、よろしければ」

 

 

 と答えた。

 これに剣士は大喜び。次いで、女神官の横にいた少年へも目を向け、

 

 

「どうだい。君も来るか?」

 

 

 と声をかける。

 少年は、

 

 

「オラもいっていいの?」

 

 

 相変わらずきょとんとした表情で、剣士に問う。

 

 

「もちろんさ。数は多い方がいい。ところで、君の役職は?」

「オラ? オラ、武道家だ」

「へぇ。だったら、こっちに同期がいるよ」

 

 

 剣士の言葉に応じるかのように、後ろに控えていた道着姿の娘が出てくる。

 彼女は、まじまじと少年を見たあとで、

 

 

「確かに……結構鍛えてる感じはするわね」

 

 

 うんうんと頷いた。どうやら、及第点には至っているらしい。

 これを見た剣士は、

 

 

「よし。こいつのお眼鏡にもかなってることだし、さっそく五人でゴブリン退治だ!」

 

 

 勇んで腕を突き上げる。

 

 

「あ、あの……装備は整えなくて大丈夫なのですか……?」

 

 

 ここにきて、どこか嫌な予感を覚えた女神官が、おずおずと声を発した。

 剣士は首を傾げつつ、

 

 

「怪我をしたら、君が治してくれるんだろ?」

「そ、そうですけど……」

「だったら、問題ないじゃないか。どのみち、薬や武器防具を整える時間もお金もない。こうしている間にも、攫われた女の子たちが助けを求めてるわけだし」

 

 

 剣士にそういわれると、もう女神官は反論できなかった。

 

 

 四

 

 

 墨で塗りつぶしたかのような暗闇が支配する洞窟内を、ゆっくりゆっくりと進む五人の若者たち。

 先頭を行くのは、若い剣士と女武闘家。同じ故郷の出だという彼らは、不気味なほど暗く静寂に満ちた洞窟には不釣り合いなほど、楽し気に言い合いを始めている。

 続いて、女魔術師。そして最後尾を、女神官と少年武道家が固める。

 この陣形を提案したのは、女魔術師。

 前衛を剣士と武闘家に任せ、自分と女神官はその援護。そして少年武道家は、

 

 

「万が一、敵から挟み撃ちを受けた時の対応役」

 

 

 ということだ。

 女神官も最後尾、としたが、その実はびくついて歩きが遅くなっているだけの事。事実、前衛の二人からは徐々に距離が開きつつあった。

 そんな彼女を女魔術師は冷たく睨み、少年は、

 

「おめぇ、顔色わるいぞ。あっ、わかった。しょんべんガマンしてんだろ!」

 

 などと、デリカシーの欠片もない言葉を浴びせる。

 紅潮して反論する気力も、今の女神官にはない。その胸中に渦巻いているのは、ただただ大きな不安のみ。

 情報も何もない敵の巣へ、新米冒険者のかき集めが飛び込んでしまっていいのか。

 剣士はどうやら、女神官の癒しの奇跡を頼っているようだが、使えるのは三回が限度なのである。

 果たして不安に駆られた女神官は、それまで隣を歩いていた少年の姿がないことに気が付いた。

 

 

(まさか……)

 

 

 知らぬうちに、敵の魔の手が……。そんなことを考えて振り向いて、ほっと胸を撫でおろす。

 少年は少し後方で立ち止まり、岩壁をじっと見つめているだけなのだ。

 女神官に続いてそのことに気付いた魔術師が、

 

 

「ちょっと。遅れてるわよ」

 

 

 そう声をかけたのだが、

 

 

「でもよ。こっちに誰かいるんだもん」

 

 

 少年はそう言ったものだ。

 そんなはずはない。

 ここまでは一本道。ゴブリンはおろか他の冒険者にだって出くわしていない。

 しかし、少年は飽くまで「誰か」の存在を譲らず、その場にとどまるつもりでいる。

 舌を打った女魔術師は、一旦は彼を置いていくことを考えたが取りやめ、先を行く前衛の二人を呼び戻した。

 誰かがいるわけなどなく、きっとこの少年の勘違い。そのことを証明して黙らせれば、彼もこの先、一々に足を引っ張るようなことなどしないはずだ。

 ……そのはずだった。

 

 

「ん? おい、ちょっと待て。これは……」

 

 

 引き返してきた剣士が、手にした松明を以って、少年の気にする岩壁を観察する。

 よく見ると、見上げるほどの一枚岩が、岩壁に据え付けられていることが分かった。

 まるで、隠し扉のように。

 

 

「よく気が付いたな……」

 

 

 剣士が、驚きの目を少年へ向ける。

 光源は、剣士の持つ松明のみ。少し遅れて後ろを歩いていた少年へは、その明かりは十分に届かないはずだ。

 すると、

 

 

「だって、この先からニオイがしたから」

 

 

 わけもなく少年が答える。

 

 

「におい?」

「うん。いやなニオイだ」

 

 

 その言葉に、一同は固唾をのんだ。

 こんな洞窟で、「いやなニオイ」を放つ存在と言えば……。

 だが、そんな彼らの心中知らず。

 

 

「見てろよ」

 

 

 少年はそう言うと、

 

 

「たあっ!」

 

 

 洞窟全体に響くほどの気合声と共に、鋭い正拳突きを一枚岩へ当てる。

 と……。

 岩が、木っ端微塵に砕け散った。

 続いて、その向こうに見えたのは、ぽっかりと口を開けた横道と、醜悪な面をした怪物。

 緑肌の、尖った鼻と耳を持ったそれは、丁度少年武道家と変わらぬ背丈。

 世界最弱の怪物。ゴブリンであった。

 剣士たちは共学に目を丸くしたが、それはゴブリンたちも同じであったらしい。

 

 

「GYAO!?」

 

 

 などと、口々に驚愕の声を上げている。

 その数、九匹。

 慌てて武器を取る剣士たちを他所に、

 

 

「あっ、こいつらがさらわれたっていうムスメか!」

 

 

 少年はそう言って、ゴブリンどもへ近づく。

 道中、ゴブリンが村娘たちを攫ったことを剣士から聞いていた少年であったが、どうすれば只人(ヒューム)の娘とゴブリンとを見間違えるのか。

 

 

「ほら、もう大丈夫だ」

 

 

 にこやかに近づく少年。その顔面へ、ゴブリンは手にした石斧を容赦なく叩きつけた。

 女神官は口元を抑え、女魔術師は舌を打つ。剣士と女武闘家は、咄嗟の事に体が動かなかった。

 だが……。

 

 

「なにすんだ!」

 

 

 砕けたのは少年の頭ではなく、ゴブリンの石斧。

 敵味方問わず、化け物を見るような視線が、少年に集まった。

 それを一切気にすることはなく、

 

 

「そうか。おめぇたち、ムスメじゃねぇな。なんとかっていう化け物だろ!」

 

 

 怒りを露わにするや、

 

 

「このっ!」

 

 

 一匹のゴブリンへ殴りかかる。

 殴られたゴブリンは、ぐるりと真後ろへ首を向け、そのまま倒れた。

 それからもう一匹へ少年が飛びかかったところで、

 

 

「え、援護を!」

 

 

 正気を取り戻した女魔術師の号令をきっかけに、一同が動いた。

 少年に続き、剣士と武闘家が前に出る。

 魔術師は、いつでも取りこぼしが来ていいように、杖を構えた。

 ただ一人、女神官だけは、まだ恐怖ですくみ上っている。

 横穴から目を離し、洞窟の奥を見る。

 そちらからゴブリンが迫る気配は、今のところなかった。

 そんな女神官の耳へ、鈍い音が入ってくる。

 見ると、剣士の長剣が岩壁に引っかかった音であった。

 隙を見せた剣士に、ゴブリンが殺到する。

 その時。

 

 

「伸びろ、如意棒!!」

 

 

 少年が、背中に回していた細長い棒を引き抜き、それをゴブリンへ構えるや叫んだ。

 するとどうか。

 棒が赤く発光したかと思うや、それがぐんと伸び、今にも剣士へ襲い掛かろうとしていた三匹のゴブリンの足元を掬ったのだ。

 青ざめた剣士が、それでも目の前で倒れたゴブリンへ、剣を突き刺していく。

 女武闘家も、なんとか二匹のゴブリンを岩壁へ叩きつけたところであった。

 それに加え、少年が斃した四匹。なんとか、危難は去ったようだ。

 

 

 五

 

 

 緩やかな傾斜となっている横道を歩く、剣士一党。その隊列には、変化が生じていた。

 先頭を歩くは、少年武道家。彼は後ろに続く剣士へ、

 

 

「どうだ? こんなせまい場所じゃ、そっちのがいいだろ」

 

 

 と声をかける。

 剣士は、先のゴブリンから奪った石斧を振るいつつ、

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 不満こそあるらしいが、しっかりと頷いた。

 そんな彼ら……いや、少年を、三番目を歩く女魔術師は鋭く見据え、

 

 

「あなた、本当にこれが初仕事なの?」

 

 

 そう尋ねる。

 

 

「こんな仕事ははじめてだ」

 

 

 あっけらかんとした少年の返答。それもそうだ。ゴブリン退治が初めてではないなら、どうして只人(ヒューム)とゴブリンを見間違えようか。

 果たして、最後を歩くは未だ恐怖の震えが止まぬ女神官と、それを支える女武闘家。

 どう見ても足を引っ張りそうな女神官だが、誰も帰れとは言わない。

 

 

(この洞窟、どこにゴブリンが潜んでいるか分からない)

 

 

 というのは建前で、一党の中での回復役が、彼女しかいないから。

 ここにきて剣士たちは、己の準備不足を自覚したが、それでも勝つのは正義感。

 引き返し、準備を万全にしている間、囚われた村娘たちはどうなる。それを思うと、足が奥へ奥へと進むのだ。初陣は、夢物語に出てくる騎士よろしく、怪物に攫われたお姫様を救い出すところからでなければ。

 恐怖と、未だ消えぬ依頼成功への意欲。

 しかし、一瞬で恐怖がぶり返してきたのは、先陣を切る少年が足を止めたから。

 

 

「ど、どうした……?」

 

 

 まさか、またゴブリンの奇襲か。

 不安げな剣士の声に、少年は声を潜めて、

 

 

「さっきのバケモンだ。いっぱいいる」

 

 

 手にした松明で先へ向けつつ、そう答えた。

 仄かな明かりが、前方の闇を解く。

 そこは、人の手が全く加えられた様子のない、洞窟内で最も大きい洞。

 いたのは、七匹のゴブリン。そのうちの一匹は、玉座を模したと思われる椅子に座り、骸骨を被っている。

 他には、裸に剥かれ、もはや身動き一つとれぬ女たちが数名。

 剣士は背筋の凍る思いがしたが、一党の女性陣の恐怖は、その比ではない。

 自分たちも、あのような末路を辿る可能性がある。そのことを自覚するには、いい機会であったのかもしれない。

 そんな中。少年だけは慌てる様子もなく、

 

 

「よし、行くぞ!」

 

 

 松明を剣士に押し付けるや、背にした棒を引き抜き、威勢よく広間へ躍り出た。

 突然の奇襲に、広間のゴブリンどもは狼狽する。

 だが、それもすぐのこと。

 少年が一匹のゴブリンを斃した時、

 

 

「GYOGA……GOGAGOGI……」

 

 

 玉座に座したゴブリンが、なにやら唱え始めたのだ。

 これを受けて、女神官と魔術師が目を見開く。

 

 

(まさか、呪文……?)

 

 

 呪文を唱えるゴブリンなど、聞いたことがなかった。

 しかし、悪い予感は当たるもの。

 玉座のゴブリンが、手にした杖を少年へ翳した時、そこから灼熱の太陽の如く燃え盛る火球が飛び出したのだ。

 

 

「火の玉が飛んでくるぞ!」

 

 

 剣士が叫ぶ。

 

 

「えっ!?」

 

 

 その声に、動きを止めたのがいけなかった。

 火球が、もろに少年の体へ命中したのである。

 

 

「がっ……」

 

 

 石斧を受けてビクともしなかった少年の体が、毬のように二、三と床を跳ねた。

 常人離れした彼の体も、思いがけぬ呪文の攻撃を不意に食らえば、全くへっちゃらというわけでもないようだ。

 そうしているうちに、ゴブリンどもの視線が剣士たちへ向けられた。

 最早、隠れることのできる場所などない。

 

 

「くそっ!」

 

 

 広間へ躍り出た剣士。だが、

 

 

「きゃあっ!」

 

 

 背後から響く、女性陣の悲鳴。

 振り向くと、腰を抜かした神官を見下ろす、大柄のゴブリン。その背後には通常のゴブリンが一匹。奴の先導で挟み撃ちを決行したものか……。

 呪文遣いといい、まるで聞いたことのないタイプの出現に、一党は完全に混乱していた。

 それでも、女武道家はなけなしの勇気を振り絞り、女神官を抱えるや、広場に出る。

 すでに冷静の仮面が取れた魔術師も、生き延びたい一心でそれに続いた。

 大柄のゴブリンは、ゆっくりとその後を追う。

 どうせ、奴らの逃げた先は仲間のいる大広間。焦ることはない。捕まえたも同じである、と。

 

 

「あちち……」

 

 

 身を起こした少年は、剣士たちに迫る巨大な敵を認識した。

 救援に向かおうとするや、再び迫る呪文遣いの火球。

 しかし、今度はそれを手にした棒で打ち返す。

 流れ弾は、群れの一匹へ見事に命中した。

 それを確認することなく、少年は地を蹴って走り出す。

 大きな奴は、半ば戦意を失ってへたり込む女魔術師へ、丸太のような腕を振り上げていた。

 

 

「やめろっ!」

 

 

 飛蝗の如く跳躍した少年が、大柄と魔術師の間に割って入る。

 結果、その太い腕によって薙ぎ払われたのは少年だった。

 すかさず、大柄の背後から飛び出したゴブリンが、彼の体に跨って、粗末な造りの短剣を突き入れる。

 ぱきり。

 少年の腹に触れた途端、短剣の方が根を上げた。

 

 

「このっ!」

 

 

 動揺するゴブリンへ、少年の頭突き。

 退け反ったゴブリンへ、彼はすかさず蹴りを叩き込んだ。

 ゴブリンの首が吹き飛ぶ。

 続いて少年は、女魔術師へ迫る大柄を相手にしようと、地を蹴った。

 その時である。

 ずかずかと、広間へ迫る大きな足音。

 誰もがそれを耳にし、動きを止めた。

 真っ先に気が付いたのは、大柄である。

 足音は、彼の背後からしていたのだ。

 振り向いた大柄の首元へ、

 

 

「ぴゅっ」

 

 

 と風を切って飛んできた何かが、深々と刺さった。

 

 

「GA……GA……」

 

 

 口から血を吹き出し、それでも大柄は腕を振り上げたが、

 

 

「でりゃっ!」

 

 

 横から飛んできた少年が、その頭を殴り飛ばす。

 首を飛ばされた大柄は、地響きに似た音を立ててその場に倒れた。

 果たして少年は、広間にやってくる一人の男を見た。

 薄汚れた革鎧に鉄兜。左手には円形の盾をくくりつけ、腰に差すは中途半端な長さの剣。その首から下げたるは、銀の認識票。

 男は、そのままじろりと広間を見渡すや、腰に差した剣を投げ打った。

 

 

 六

 

 

 男が放った剣の先には、まだ玉座から離れていなかったゴブリン。

 奴はそのまま、深々と喉元に剣を突き刺され、悲鳴すら許されぬままに絶命した。

 

 

「一匹」

 

 

 再び呟いた男は、ちらりと右手を見やる。

 そこには、なんとかゴブリンたちから女神官を守る剣士たちの姿。

 彼らはなんとか二匹のゴブリンを仕留めていた。

 だが、剣士はその戦いの中で反撃を負ったらしく、右の太ももに小さな鎌が突き刺さっているのが見えた。

 実質、女武闘家とゴブリン二匹の戦い。

 そこへ。

 

 

「二匹」

 

 

 横から割り入った男が、一匹のゴブリンへ剣を突き入れる。

 残る一匹。こやつは、もはや自棄を起こし、男へ飛びかかった。

 

 

「三匹」

 

 

 剣を突き入れた腕はそのままに、男は空いた左腕を振るった。

 括り付けられた円盤の盾が、ゴブリンの顔面を捉える。

 奴の体は、そのまま岩壁へと叩きつけられた。

 これを見届けた後で、男はゴブリンの骸から剣を引き抜き、辺りを見回す。

 生き残りの姿は、見えない。

 

 

「これで全部か」

 

 

 男はぶっきらぼうに呟いた後で、

 

 

「駆け出しか」

 

 

 剣士たちの首にぶら下がる白磁の板を見て、独り言のように呟いた。

 武闘家は安堵の余りその場に崩れ落ち、剣士はなんとか自身の足から鎌を引き抜く。女神官は、恥じらいと恐怖とが混じったような表情をしつつ、男を見た。

 そこへ、

 

 

「おめえ、すげぇな」

 

 

 男の手際の良さに感心していた少年が、声をかけてきた。

 男はじっくりと少年を見ると、

 

 

「お前も、十位か」

 

 

 その首にかかった白い認識票を見て、問いかける。

 少年は近くにいた女魔術師へ、

 

 

「なぁ、ジュウイってなんだ?」

 

 

 と尋ねた。

 脅威が去り、なんとか冷静の仮面を取り戻した彼女は、

 

 

「等級が一番下の冒険者。駆け出し、ってことよ」

 

 

 呆れたように答えた。

 それを聞いた少年は、

 

 

「そっか。じゃあ、オラもそのジュウイってやつだな。今日からボウケンシャってやつになったし」

 

 

 あっけらかんとして言い放った。

 瞬間、ぴくりと男の兜が揺れ、

 

 

「駆け出しが、どうして大柄(ホブ)を倒せた」

 

 

 次なる質問を投げかけてくる。

 

 

「どうして、っていわれてもなぁ……」

 

 

 腕を組み、困ったように沈思した少年はやがて、

 

 

「めちゃくちゃ修業したからな」

 

 

 実に簡素な答えを出した。

 これを聞いた男は、ふぅと呆れたように溜息を一つするや、次に剣士の方を向いた。

 その足に刺さっている鎌を見て、

 

 

「毒はないな」

 

 

 淡々と呟く。

 

 

「ど、毒!?」

 

 

 剣士の顔から血の気が引いた。

 

 

「奴らは武器に毒を塗りたくっていることもある」

 

 

 そう言って、男は一匹のゴブリンの骸から手槍をふんだくると、それを彼らへ見せつけた。

 その矛先には、黒くねっとりとした粘液が付着している。

 

 

「草木や灰、それから自分たちの糞尿に唾液。それらを適当に混ぜ合わせたものだ」

 

 

 男は手槍を捨て、呪文遣いのゴブリンに刺さった剣を引き抜きつつ、

 

 

解毒剤(アンチドーテ)のないままに喰らえば、確実に死ぬ」

 

 

 と付け加える。

 剣士たちは、自分たちの準備不足を今一度痛感した。

 

 

「お前たちは、運が良かった」

 

 

 男のその言葉も、どこか皮肉めいて聞こえた。

 果たして男は、もう一度だけ少年へ目を向け、

 

 

「もう一度聞く。お前は、本当に駆け出しの十位か」

 

 

 と問いかけた。

 唇を尖らせた少年は、

 

 

「しつこいなぁ。オラ、ほんとに今日から冒険者になったんだってば」

 

 

 そう答える。

 男は、それでもしばらくは少年のことを見つめていたが、

 

 

「まぁいい。まだやることがある」

 

 

 そう言うと、くるりと体を反転させ、呪文遣いのゴブリンが座していた玉座へ向かった。

 王座は、多数の人の骨を組んで作られた、悪趣味なものであった。

 男は、それを乱暴に蹴飛ばすと、

 

 

「やはり、な」

 

 

 その後ろに隠れていた、腐った木板を見て呟いた。

 

 

「なぁ、それなんだ?」

 

 

 足を怪我した剣士を背負いながら、少年が男へ問いかける。

 見れば、彼に続いて一党の女性陣もついて来ている。

 男は少年の問いには答えず、代わりに板を引きはがし、その奥に広がる空間を見せた。

 そこにいたのは、甲高い悲鳴を上げる、子供のゴブリン。

 

 

「まさか、子供も……?」

 

 

 ここにきて漸く、女神官が口を開く。

 聖職者の立場にある身しての、最後の確認。

 男は、

 

 

「当然だ」

 

 

 と言いつつ、瞬く間に四匹の子供ゴブリンの息の根を止めていく。

 

 

「奴らを生かしておいて、得をすることなど一つもない」

 

 

 慈悲なき言葉。

 やがて、最後の一匹を仕留めたところで、

 

 

「これで、生き残りはいるまい」

 

 

 淡々と、言い放った。

 

 

 七

 

 

 依頼から戻って来た新米冒険者たちを、受付嬢は安堵と喜びを以って迎えた。

 安堵の理由は、冒険者たち全員の生還を確かめたから。

 喜びの理由は、

 

 

「報告だ」

 

 

 先頭を歩く、鎧の男だ。

 

 

「はい! お疲れさまでした!」

 

 

 弾けんばかりの笑顔で、受付嬢は男の報告を聞く。

 その間、

 

 

「げっ、ゴブリンスレイヤーだ」

 

 

 と囁くいくつもの声を、少年は耳にした。

 

 

「おめぇ、こぶりなスレンダーって言うのか」

 

 

 報告中の男へ、少年の一言。

 一瞬の静寂が場を包み、やがて聞こえる忍び笑い。

 受付嬢は少しばかり顔を引きつらせ、男……もといゴブリンスレイヤーは、黙って少年を眺めた後で、呆れたような溜め息を一つ吐くや、報告を続けた。

 果たして、ゴブリンスレイヤーの報告を聞き終えた受付嬢は、

 

 

「今回は、ゴブリンスレイヤーさんが助けてくれたからよかったものの……あなたたちが見てきたように、ゴブリンは本当はとっても恐ろしい怪物なんです。だから、自分の力を過信しないで、最初のうちは下水道やドブさらいをお勧めします」

 

 

 子供を窘めるように、アドバイスをしてくる。

 

 

『は、はい……』

 

 

 剣士一党は、ゴブリンの巣で見てきた凄惨な光景を思い出し、素直に頷いた。

 しかし、

 

 

「いや……」

 

 

 受付嬢の言葉を聞いたゴブリンスレイヤーは、少年武道家へと視線を移し、何かを言いかけたのだが、やがてそれも諦めたらしい。

 踵を返し、ギルドを去ろうとするゴブリンスレイヤーを、

 

 

「なぁ、こぶりなスレンダー!」

 

 

 少年が呼び止めた。

 ゴブリンスレイヤーは歩を止め、

 

 

「……小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)だ」

 

 

 と訂正をした後で、

 

 

「何の用だ」

 

 

 ぶっきらぼうに尋ねる。

 少年はそれに物怖じせず、

 

 

「さっきは、ありがとな! オラ、おめぇにも借りができちまったし、いつか返すつもりだ」

「……好きにしろ」

 

 

 それだけ言って、ゴブリンスレイヤーは遂に冒険者ギルドを出た。

 これを見送った後で、

 

 

「おめぇたちは、これからどうするんだ?」

 

 

 少年は、剣士たちへ問う。

 剣士と女武闘家は、少し困惑したように、

 

 

「お、俺は……やっぱりドブさらいからやってみるよ……ゴブリン退治は、まだ早かったみたいだし」

「あ、あたしも、そうしようかな……」

 

 

 と答え、女魔術師は、わなわなと拳を震わせつつ、

 

 

「私は……私の実力は、こんなもんじゃないわ……」

 

 

 そう呟いている。

 次に少年は女神官を見て、

 

 

「おめぇは?」

 

 

 同じように尋ねた。

 

 

「わ、わたしは……」

 

 

 わたしも、ドブさらいから……。そう答えようとして、思い出す。迫りくるゴブリンに怯えるだけで、何もできなかった自分の姿を。

 なんのために神殿を出たのか。

 より多くの、傷ついた人へ奇跡を与えるためではなかったのか。

 それが、あの様はなんだ。

 これから、簡単な仕事に逃げ込んで、自分は変わることが出来るのだろうか。

 恐らく、否。

 今の自分を変えるには、戦地へ赴いて恐怖を乗り越えるしかない。少なくとも、彼女はそう考えている。

 だが、神官である自分が一人で化け物の巣へ潜り込んでも、それは自殺行為だ。回復と、発光の奇跡を有している彼女だが、戦闘経験はサッパリ。

 ならば、誰かについていくしかない。

 一瞬、女神官は少年を見た。

 彼ならば……。と考えて、

 

 

(それは、駄目……)

 

 

 と否定する。

 少年の並外れた強さは、先のゴブリン退治で目にしたばかり。

 同じ新米冒険者とは思えないほどに、彼の腕っぷしは頼りになるだろう。

 しかし、駄目だ。

 女魔術師の危機に、身を挺して飛び込んだほどの少年なのだ。

 

 

「あぶねぇから、おめぇは下がってろ」

 

 

 危険なことは全て自分一人で引き受けてしまうに違いない。それは、女神官の成長には繋がらない。

 ならば、と。彼女が思い浮かべたのは、先の鎧男。

 淡々とした手つきで、敵を排除していくその手際。

 ぶっきらぼうな態度から見るに、

 

 

「自分の身は自分で守れ」

 

 

 というタイプ。

 望むところであった。彼の傍で支援を行いつつ、自衛の手段も学ぶ。今の自分を変えるためには、それしかないと女神官は考えた。

 だから。

 

 

「わ、わたしは……さ、さっきの人から……」

「さっきの人って、ゴブなんとかか」

 

 

 少年の言葉に、女神官は頷く。

 剣士たちは、

 

 

「やめといた方がいいんじゃないか? 助けてもらってなんだけど、あの人……普通じゃないぞ」

 

 

 と口々に言ったものだが、

 

 

「そっか。頑張れよ!」

 

 

 少年だけは、その背中を押してくれる。

 それに勇気をもらった女神官は、

 

 

「……はい!」

 

 

 力強く頷いた。

 

 

「困ったことがあったら、いつでも言えよ。オラ、おめぇにもまだ恩返ししてねぇからさ」

「恩返しって……わたしはなにも……」

「なにいってんだ。ハラへってたのを、たすけてくれたじゃねぇか」

 

 

 少年はそう言うと、

 

 

「じゃあ、おめぇたちもがんばれよ!」

 

 

 剣士たちへと激励を飛ばすや、依頼書の張り付けられたコルクボードへと走ってゆこうとする。

 それへ、

 

 

「あ、あの!」

 

 

 女神官が、声を上げて引き留めた。

 

 

「?」

 

 

 きょとんとして振り向く少年へ、

 

 

「そ、そういえば、お名前を伺ってませんでした」

 

 

 女神官が言葉をかける。

 少年は、にんまりと笑って力こぶを作ってみせるや、

 

 

「オラは孫悟空だ!」

 

 

 元気よく名乗り、今度こそコルクボードの方へと走り去っていった。

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