悟空は無邪気な冒険者   作:かもめし

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其の四

 迷宮とも思える地下水道を、どれほど歩いた時だろうか。

 

「む……?」

 

 ふと足を止めた森人が、ぴくりと耳を上下した。

 

「どうしました?」

 

 貴族令嬢の問いに、

 

「しっ」

 

 人差し指を自身の口元へ当てた森人は、

 

「オルクの声だ。足音がしないのが妙だが……」

 

 すると、次に口を開いたのは圃人。

 

「もしかして、泳いで来たりして?」

 

 そう言って、脇を流れる汚水の川を見た。

 考えられぬことではなかったし、水を伝って一党の元に小鬼どもが迫って来たのは事実であった。

 しかし、奴らはガラクタの寄せ集めで一丁前に船など拵えていたのである。

 その数、無数。

 手に手に武器を取る小鬼どもの中に弓を構える個体を見た貴族令嬢は、

 

「ソンさん! かめなんとかを、水面に!」

 

 そう叫び、これを受けたオールラウンダーは、

 

「わかった!」

 

 応えると同時に、さっと腰元へ両手を重ね、これを突き出す。

 オールラウンダーの放つ「かめはめ波」の利点は、魔術や奇跡のように、長々とした詠唱を必要としないところにある。

 天におわす神々へ精神を結んだり、強き言葉をもって世界を改竄したり……その必要は一切ない。頼りとなるは、己の体に迸る「気力」のみ。

 無論、より高い威力を放つにはそれなりの集中力も要するが、水面へ衝撃を与え、小鬼どもの粗末な船を波で包む()()であれば、その必要もない。

 

「波っ!」

 

 果たしてオールラウンダーの両手より放たれた青い光は、尾を引いて水面へと直撃。

 汚水は柱の如く噴き上げ、衝撃によって高波が生まれた。

 

「GYAO!?」

「GUGYA!」

 

 波に呑まれた小鬼どもが、次から次に水の底へと消えていく。

 どうやら奴らは鎧を纏っていたらしく、それが重しとなって、身を滅ぼしたようだ。

 後に残るは、転覆して腹を見せた船のみ。

 暫く水面を見つめ、ゴブリンどもが顔を見せないことを確認した一党が、さて先へ行こうとした時である。

 

「まだなにかくる……」

 

 珍しく顔を引き締めたオールラウンダーが、汚水の川を睨み据えてそう言った。

 直後。

 飛沫を上げて水面から飛び出してきたのは、白い顎。

 これが、底に沈んでいたゴブリンどもを、鎧ごとばりばりと噛み砕き、呑み込んだ。

 

「ア、沼竜(アリゲイタ)……!」

 

 貴族令嬢の叫びと同時に、一党はさっと身を翻して逃亡に出る。

 しかし、ただ一人。オールラウンダーだけは動かなかった。

 ゴブリンどもを喰らい、水面から顔だけを出して様子を窺う沼竜を、彼もまたじっと見つめ返している。

 

「ゴクウ! 逃げなよ!」

 

 圃人の叫びに、

 

「でもよ」

 

 オールラウンダーは一言置いた後で、

 

「こいつ、悪いやつじゃねぇ気がする」

 

 やはり、沼竜を見て言うのだ。

 

「はぁ!?」

 

 再び叫ぶ圃人の横で、しかし貴族令嬢も冷静になって様子を窺っている。

 

(確かに……ただ獰猛なだけの化け物なら……どうしてソンさんを攻撃しないのかしら……)

 

 いつしか闘った、ゴブリンライダーが従える山犬のように、野生の勘で力量差を弁えたか。

 それにしては、どこか妙だ。どのあたりが妙なのかと言われれば、答えに困るが……。

 そうこうしているうちに、動いたのは沼竜であった。

 彼(?)は、通路へとその大きな顎を乗せると、じろりとオールラウンダーを見やる。

 

「……のっていいのか?」

 

 オールラウンダーの問いに、沼竜はおくびにも似た鳴き声を上げる。

 これを承諾と解釈したオールラウンダーは、

 

「よっ」

 

 軽い掛け声と共に、沼竜の背中へ一跳び。

 少年を乗せた沼竜は、ゆっくりゆっくりと汚水を掻き分けて泳ぎ、時折、貴族令嬢たちを振り返る。

 

「ついてこい、ってことなのかな……?」

「……敵意はなさそうですね」

 

 かくして、未だ警戒は解かないものの、貴族令嬢たちも沼竜を追って通路を進む。

 道中、一度もゴブリンどもと遭遇することなく、一党が辿り着いたのは、通路の壁側に設けられた、上へと続く梯子。

 見上げてみると、ぽっかりと空いた穴を通して、薄暗い一面に、無数の小さな輝きが散りばめられているのが見える。

 それが「夜空」であると理解するのに、一党は少しばかり時間を有した。

 

「おめえ、道案内してくれたんだな」

 

 オールラウンダーが頭を撫でてやると、沼竜は心地よさそうに目を細め、また一鳴き。

 案内を終え、オールラウンダーを降ろした沼竜は、汚水を掻き分け、奥へ奥へと消えていく。

 これを見送った後で、一党は梯子を上っていった。

 

「ここは……」

 

 石井戸から出て広がる光景は、先までの汚く臭い地下水道から一変。

 地を覆う芝生と、天まで伸びようかという大樹。それらが微風に揺れ、かさりかさりと音を立てる。

 夏特有の、熱気と少々の涼しさを孕んだ、妙に心地のいい夜の風であった。

 神聖さを帯びた静寂に満ちるその空間に、一党は息を呑む。

 ふと、芝生を踏みしめる音がした。

 一党の視線が集中したのは、空間の奥。

 白亜石の柱によって装飾された建物の入り口から、こちらへ近寄る一つの影。

 その豊満が透けようかという薄い白衣。歩くたびに揺れる、腰まで伸びた金色の髪。

 天秤を鍔にした長剣を杖のようにして歩み寄る……一人の女性。

 彼女を見た途端、僧侶が感動の声を漏らした。

 

「剣の……乙女様……」

 

 果たして女性……剣の乙女は、ちらと一党を見やった。

 しかし、彼女の目に貴族令嬢たちの姿は映らない。その瞳は、黒い帯によって隠されているからだ。

 

「誰……?」

 

 清らかな鈴のような声による、剣の乙女の誰何。

 これへ、

 

「おめえが、()()()()()()()か」

 

 オールラウンダーのその一言に、令嬢たちは凍り付いた。

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