ころころとサイコロが転がり、それがもたらす結果を見て、神さまたちは一喜一憂。
愛すべき駒たちが勝てば喜び、負ければ悲しみ、なんらかの成功を果たせば笑い、死ねば泣きます。
それは、もっともっと偉い神さまがやって来ても同じ。
ただ、そのもっともっと偉い神さまたちがもってきた駒を、《真実》と《幻想》は苦手としていました。
その駒は、サイコロこそ振らせてくれますが、どんなに悪い目が出ても、必ずなんとかしてしまうのです。
むしろサイコロを振らなくても、自分から勝手にどんどんと進んでいくのです。
まるで、「彼」のように。
でも、もっともっと偉い神さまたちはそれを見て、
「すごい」
「おもしろい」
と笑いあっています。
《幻想》と《真実》の神さまは、不思議でなりませんでした。
宿命や偶然といったものを一切排して突き進む駒の動きが、どうして面白いのかと。
もっともっと偉い神さまたちが持って来た駒は、「彼」に似ているようで似ていませんでした。
鍛え、行動し、機転を利かせることは出来ても、「彼」のように事前に策を巡らせ、考えることは苦手なようでした。
尤も、全くできないわけではないのですが……。
とうとう気になった《幻想》と《真実》の神さまは、もっともっと偉い神さまたちへ、何がそんなに面白いのか問いかけました。
果たしてもっともっと偉い神さまたちは、
「悟空は、見てるだけでも面白いんだよ」
と言うのです。
もはや、もっともっと偉い神さまたちは、サイコロ遊びというよりも、自分たちが持って来た駒がどのように動いていくのか、それを楽しみにしているようでした。
そんな神さまたちだからこそ、
「うわぁ。なにあれ」
「かっこいいね」
《幻想》と《真実》の神さまたちが手をこまねく「彼」をも、気に入ってしまいました。
「とっても強いね」
「怪物イチコロだね」
きゃっきゃ、きゃっきゃとはしゃぐ神さま。
《真実》は、ちょっとむっとしました。
このまま一方的じゃ、あんまりに面白くない。
彼は、もっともっと強い怪物をぶつけなければ、と考えました。
そんな考えを巡らせている間にも、「彼」に似た駒はどんどんと動いていきます。
もっともっと偉い神さまたちは、もうそれを眺めることに夢中となり、サイコロを振ることすらありません。
あらら。《幻想》は、困ったように笑いつつ、その駒を眺めてみることにしました。
でも、やっぱり面白くありません。
そこへ、もっともっと偉い神さまの一人が、《幻想》と《真実》へ言います。
「でもね。大人になった悟空はもっともっとすごいんだよ」
「もっともっと、強いんだ」
その言葉に、《幻想》と《真実》は少しだけゾクりとしました。
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