悟空は無邪気な冒険者   作:かもめし

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其の六

 降りしきる大粒の雨が屋根を叩き、その音が礼拝堂の中にも響き渡っていた。

 夕餉の時刻をとっくに過ぎてなお、剣の乙女は祭壇前に跪き、祈りを捧げている。

 ふと、彼女は面を上げた。

 何者かが、礼拝堂に入ってくる気配を感じたからだ。

 一瞬、杖代わりの剣を強く抱きよせ、唇を固く結んだ剣の乙女だったが、

 

「失礼を承知で、参りました」

 

 凛としたその声音を聞いて、体に走る緊張を解いた。

 振り向き、目隠しの帯越しに、彼女は来訪者の姿を()()

 気高く染まった、白。まだ、恐れも穢れも知らないであろう、白。自分とは正反対の、白。

 懐かしくも思い、また羨ましくも思うその気配を、彼女は例によって両腕を広げ、子を抱きすくめる母親の如く歓迎した。

 しかし、来訪者はそれにいちいち反応を取るでもなく、

 

「一つ、確認したいことがあります」

 

 淡々と話を進めていく。

 その声音の中に僅かな怒りの感情があるのを察し、乙女は来訪者が何を言わんとするのか、おおよそ把握出来た。

 果たして来訪者……貴族令嬢は、

 

「どうして、黙っていたのですか」

 

 静かに、しかし確かな憤りの念を込めて剣の乙女へ問うた。

 予想通りであった。

 偶然に裏庭の井戸から法の神殿にやって来た冒険者一党が、邪教使徒の潜伏先を突き止めた……という報告を聞いた時から、こうなる気がしていた。

 かくして、諦めの溜息を吐いた剣の乙女は、

 

「どうして、お分かりに?」

 

 と問い返す。

 

「邪教の使徒が述べていました。侍祭の娘を殺したのは、あなたへ向けた宣戦布告の印だ、と」

「……」

「魔神を打ち倒した金等級のあなたが、それを見逃すほど愚かだとは思えません」

「……買い被りすぎですわ」

 

 自嘲気味に笑った剣の乙女は、こつりこつりと緩やかに靴音を鳴らした後で、

 

「確かに……今回の事件の黒幕は、十年前に私たちが打ち滅ぼした魔神の……残党ですわ」

 

 力なく述べた。

 そんな彼女へ、今度こそ貴族令嬢は問う。

 

「どうして、それを黙っていたのですか」

 

 と。

 すると乙女は、

 

「みんな、分かってくれると思ったから」

 

 そう呟いた。

 貴族令嬢は首を傾げた。

 

「皆が分かってくれる?」

「ええ。この街で起こった凄惨な事件の数々……それら全てがゴブリンの仕業だと聞けば……きっと……みんな……」

 

 そこまで聞いて、貴族令嬢は「はっ……」とした。

 初めて剣の乙女を目にした時、その目元を覆う黒い帯を気にはかけていた。

 

(きっと、先天的に目が見えないのだろう)

 

 と。

 しかし、先の発言を受けて分かったような気がした。

 何故に彼女が、その黒帯で両の眼を隠しているのか。

 生まれた時より目が見えないのではなく、何者かによって視力を奪われたとしたら。

 奪った犯人は、恐らく……。

 貴族令嬢は、それ以上の追及が出来なくなってしまった。

 小鬼どもによって裸に剥かれ、蹂躙こそされなかった彼女でさえ、今でも奴らと対峙する際には、背筋の凍る思いがする時がある。

 しかし、それでも奴らを相手に出来るのは、その弱さを共有できる仲間の存在と、

 

(どんなにとんでもないことでも、必ずなんとかしてくれそうな……)

 

 そういう気持ちにさせてくれる少年がいるからだ。

 対して、剣の乙女はどうだろう。

 白金等級の冒険者がいない中で魔神を斃した金等級の冒険者。

 水の街の平和の象徴として存在する、清らかな乙女。

 そんな彼女が、

 

「ゴブリンが怖いので、助けてください」

 

 と求めたとして、どうなる。

 神聖視されている英雄が、最弱の怪物を目の当たりにすると今でも震えが止まらない、などと。

 街の住民から嘲りを受け、侮蔑され、果ては今回のような邪教の者がこれ幸いと言わんばかりに、攻めてくるやもしれぬ。

 英雄は英雄らしく、どんな化け物にも怯えてはならないのだ。

 

「でも、結局は何も変わりませんでしたわ」

 

 絶望に満ちた声で、剣の乙女は呟いた。

 

「街の人々は、確かにゴブリンの存在を認識しました。でも……剣の乙女がなんとかしてくれる。襲われるのは自分じゃない。だから、大丈夫だと……」

 

 人々は、小鬼の災いが自分に降りかかってくることなど、露ほどにも思っていなかった。

 襲われるのは自分ではなく、「誰か」だ。その認識もあっただろう。

 しかしそれ以上に、「剣の乙女」の存在が大きすぎたのだ。

 街の平和を司る英雄の存在が、皮肉にも彼らから小鬼に対する恐怖心を取り払ってしまったのだ。

 ……ふと、剣の乙女は顔を上げた。

 それに気づいた貴族令嬢も、後方……つまりは礼拝堂の入り口を見やる。

 

「おっ。いたいた」

 

 果たして入って来たのは、両手に骨付き肉を持ったオールラウンダーであった。

 彼は、二人の娘の間に走る緊張にも気が付かずに近寄ると、

 

「ねえちゃんたちがさ。明日のことで話があるって」

 

 肉を噛み締めながら、貴族令嬢へそう告げた。

 

「……ええ」

 

 ゆっくりと頷いた彼女は、

 

「失礼します」

 

 剣の乙女へ頭を下げるや、逃げるようにして礼拝堂を後にしてしまった。

 それに続こうとしたオールラウンダーだったが、剣の乙女の視線に気づき、

 

「ん? なんだ? これ食いたいのか?」

 

 左手に持った骨付き肉を差し出したが、彼女はそれを受け取る代わりに、

 

「あなたに、怖いものはあって?」

 

 と尋ねた。

 純粋無垢が人の形をしたような少年へ。

 しかし、

 

「うぅん……あんまりねえな」

 

 予想通りの返答に、剣の乙女は肩を落とした。

 この子も、きっと私を救ってはくれないのだ、と。

 だが。

 

「おめえは、なんか怖いものがあるのか」

 

 少年が不躾に訊いてくるのへ、不思議と不快感は湧かなかった。

 

「……例えば」

 

 剣の乙女はそう前置きして、

 

「例えば、私がゴブリンを怖がっていたとして……あなた、笑いますか?」

 

 言うのへ、

 

「なにかおもしろいのか」

 

 オールラウンダーは、大変真面目な顔で聞き返すのだ。

 これがなんだか面白くて、くつりくつりと笑った乙女は、その場に座り込み、

 

「皆には、内緒よ」

 

 親しき友へ話すかのように、人差し指を自身の唇へ当てがった後に、

 

「私ね、ゴブリンが怖いの」

 

 自分でも驚くほど素直に、オールラウンダーへ「弱さ」を曝け出してしまったものである。

 それを聞いた少年は、

 

「おめえ、つええんだろ? でも、あの緑のちっこいのがこわいのか」

 

 と言ってしまった。

 

(嗚呼、やっぱり)

 

 一時の気の迷いを後悔した剣の乙女だったが、

 

「ふぅん。そっか」

 

 それだけで、彼はこの話題を打ち切ってしまった。

 少しばかり驚いた剣の乙女は、

 

「笑わないの?」

 

 と尋ねたが、

 

「なんで?」

 

 聞き返されると、返答に困ってしまう。

 果たして、それっきりで話は終わり。

 肉を食べ終えたオールラウンダーは立ち上がり、

 

「まぁ、まかせとけよ。オラたちとスッチャンたちがいれば、あいつらみぃんなやっつけてやるから」

 

 そう言うや、さっさと礼拝堂を後にしてしまった。

 去り行く後姿を見て、暫くは呆気に取られていた剣の乙女だったが、やがて柔和な笑みが口角を伝って広がっていった。

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