悟空は無邪気な冒険者   作:かもめし

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山砦突撃

 

 

 

 一

 

 

 

 新米冒険者たちの間では今、ドブさらいや巨大鼠退治といった依頼が大変な人気となっている。

 その要因となったのは、ある日の冒険者ギルドでの一幕だ。

 昼間から、二人の冒険者が酒の飲み比べを行っていた。

 一人は、冒険者等級七位の青玉。もう一人は、それよりもさらに位が一つ高い翠玉。

 周囲はどちらの冒険者が勝つかで金銭をかけあい、大いに盛り上がった。

 果たして勝負は、翠玉が勝った。

 しかし、事態はこれで収まらない。

 熱の入った観客が、

 

 

「今度は俺も」

 

 

 と腕相撲の勝負を始め、それが終わると大食いの勝負が展開する。

 これがいけなかった。

 

 

「俺が負けたら、メシの代金を奢ってやる!!」

 

 

 威勢良く言い放った銅等級(等級四位)冒険者の言葉を、

 

 

「タダでメシが食い放題なのか!」

 

 

 と勘違いした者がいた。

 白磁等級冒険者の、オールラウンダーである。

 今まさに野良仕事の依頼を終えて戻って来た彼は、ぎゅるると腹の虫を鳴らせて銅等級冒険者へ詰め寄った。

 当の銅等級は、これを挑発と受け取った。

 

 

「もう俺に勝った気でいるのか」

 

 

 このことである。

 こうして、勝負は始まった。

 銅等級は、不安がるギャラリーたちの顔を見て、

 

 

(ガキを相手に、少し大人げなかったかな)

 

 

 などと思っていた。

 そして、三十分後。

 

 

「おかわり!」

 

 

 ()()()()の料理を平らげたオールラウンダーが、更なる追加を頼む横で、

 

 

「も、もう勘弁してくれ……」

 

 

 十人前の食事をやっとこさ食べ終えた銅等級が、いい年をして目に涙を浮かべて訴える。

 勝敗は、もはや誰の目から見ても明らかであった。

 約束通り、銅等級はオールラウンダーの分も金を払うことになった。だが、合わせて六十人前の食事代をすぐに支払えるわけもなく。

 結局彼は、白磁等級向けの依頼を請けることを強制され、その報酬を全額ギルドへ収め、その金高がツケに達するまでは勝手な冒険者活動を禁じられてしまった。

 熟練の冒険者たちがオールラウンダーへ恐怖を抱く中、白磁等級の新米冒険者たちは希望を見出していた。

 

 

「オールラウンダーみたいになれば、銅等級にだって勝てる!」

 

 

 このことである。

 そこで彼らは、まず形から入ることに決めた。

 すなわち、ドブさらいや野良仕事などの依頼を積極的に請けるようになり、現在に至るのである。

 しかし、あまりに駆け出しがそういった類の依頼に殺到するため、他に残る白磁向けの仕事と言えば、ゴブリン退治くらいしかなくなってしまった。

 

 

「じゃあ、オラそれやる」

 

 

 この日、珍しく遅れてギルドへ来たオールラウンダーは、受付嬢が苦渋の末に提示したゴブリン退治の依頼をあっさりと請け負ってしまった。

 今日の彼は、山吹色の袖なし道着に身を包んでいる。

 実のところ、街の服屋にこの道着の仕立てをしてもらっていたので、そちらに時間をとられてしまっていたのだ。

 

 

「北の山の奥でいいんだよね」

 

 

 依頼書へまじまじと目を通しながら、オールラウンダーは受付嬢へ確認する。

 

 

「え、ええ……」

 

 

 まさか、一人で? そんな疑問をぶつける暇もなく、

 

 

「じゃ、行ってくる!」

 

 

 オールラウンダーは、冒険者ギルドを飛び出していった。

 受付嬢は、溜息を一つ。

 前にも、彼は一人でゴブリン退治へ向かったことがあった。

 南の森の小規模なゴブリンの巣。そこへ単身で突撃した彼は、先行していた三名の新米冒険者を連れて戻って来た。

 受付嬢は、安堵と不安とを以ってこれを迎えた。

 冒険者たちが無事に戻って来たことは嬉しい。しかし同時に、一人でゴブリンの巣へ潜り込み生還を果たし、人命救助まで成し遂げたことで、オールラウンダーが妙な自信をつけるのでは……と彼女は心配していたのだ。

 今回はたまたま運が良かっただけ。所謂ビギナーズラック。少なくとも受付嬢はそう考えている。

 そして今日。彼は再び、単身でゴブリンの巣へ向かってしまった。

 北の山の村近くにある古い山城。そこに住み着いたゴブリンどもが、村娘たちを攫ってしまったという。

 依頼者は、攫われた村娘の兄。話によれば、通りすがりの冒険者たちも救出に向かってくれたらしいが、それでも不安でギルドを訪れたという。

 聞けば、その冒険者は女ばかりの四人パーティだとか。只人はもちろん、森人(エルフ)圃人(レーア)もいるらしい。

 等級は鋼鉄。中堅……とまではいかないが、それでも駆け出しの冒険者が及ぶところではない。

 だが、それでも受付嬢の胸中で不安が渦巻いているのは、ゴブリンによる被害をいくつも見てきたからか。

 

 

(どうか、今回も無事に依頼が果たされますように)

 

 

 彼女は祈りつつ、()がギルドを訪れてくれるのを待つことを密かに期待していた。

 

 

 

 

 二

 

 

 

 

 少なくとも、自分たちの行動の中には油断も慢心もなかった。

 ゴブリンどもが根城とする山砦の広間。今にも小鬼どもの宴が始まろうとする中で、彼女はそんなことを思った。

 その傍では、他に三名の女が肩を震わせ、身を寄せ合うようにしている。

 ゴブリンによって裸に剥かれた彼女たちは、鋼鉄級冒険者の一党であった。

 彼女たちがここへ赴いたのは、

 

 

「妹が小鬼に攫われた!」

 

 

 たまたま通りかかった近くの村で、そのような悲痛の声を聞いたからだ。

 殊に一党の頭目は、さる貴族の令嬢として生まれ、法と正義を担う至高神に仕える遍歴の自由騎士。攫われた村娘や、それを嘆く村人たちの姿を見て、義憤に駆られたのも当然のことと言えよう。

 果たして彼女たちは、村で出来得る限りの準備を整えて山砦へ挑んだ。

 昔々に森人が遺していったその砦には、侵入者を迎えるための罠が無数に設置されている。

 ゴブリンどもは、これをそっくりそのまま利用していた。

 前衛を行く圃人の野伏が一つ一つ罠を解除していったが、そのためには尋常ではないほどの集中力を要する。

 どれほどの時間が経過した頃だろう。じりじりと慎重に奥へ進む一党の前に、横たわる女性が現れた。

 囚われた村娘が、命からがら逃げ出したものか。

 一党は、足早に女性へと歩み寄る。これが一つ目の失敗であった。

 立て続けに罠を解除していたため、疲労が極限まで達していた圃人は、それが警報の罠であるということに遅れて気が付いた。

 頭目である貴族令嬢が、倒れ伏した女を抱き起こした時、鳴子の音が砦の中へ響いた。

 たちまち、ゴブリンどもが押し寄せてくる。

 一党は陣形を組んで迎え撃ったが、多勢に無勢。

 神経をすり減らして山砦を進んだことによって、すでにかなりの消耗をしていた彼女たちは、たちまちゴブリンどもに引き倒され、奥の広間へと運ばれた。

 そこには、村から攫ってきたであろう村娘たちの屍が山のように積まれており、吐き気を催すほどの血臭で満たされていた。

 

 

(いざとなったら、私が先だって辱めを受けなければ……)

 

 

 その考えが貴族令嬢の脳裏をかすめた時である。

 天井を突き破って何かが落ちてきたのだ。

 冒険者一党もゴブリンどもも、一様に目を丸くする。

 果たしてそれは、砦の見張り役として防壁に駆り出されていたゴブリンだった。

 落下の衝撃か、首があらぬ方向へ向いている。

 して、その直後。またしても広間に降りてくる者が。

 只人の少年だ。

 山吹色の袖なし道着に身を包んだ少年は、

 

 

「おっ」

 

 

 身を寄せ合う貴族令嬢たちを見やるや、

 

 

「おめえたち、そんなカッコしてるとカゼ引くぞ」

 

 

 呆れたように言ったものである。

 もとより好きで裸になったわけではない。

 反論したかった彼女たちだが、今はそれどころではなかった。

 仲間を殺され、宴の場に水を差されたゴブリンたちは、怒り狂って少年へ飛びかかった。

 これに少しも動じる気配を見せない少年は、背にした赤い棒を引き抜くと、

 

 

「のびろ、如意棒!」

 

 

 と号令を発する。

 瞬間。赤い棒はぐんぐんと身を伸ばし、迫りくるゴブリンどもを薙ぎ払った。

 これに異常を見たゴブリンどもは、もはや貴族令嬢たちのことなど後に回し、目の前の少年の排除へ全力を注いでいく。

 しかし、それでも少年の快進撃は止むことがない。

 伸縮自在の赤き棒を振り回し、猿のように縦横無尽に飛び回る彼は、一匹また一匹とゴブリンを仕留めていく。

 いつのまにやら後方に控えていた小鬼の射撃部隊が、拙い出来の矢を飛ばしてきた。

 動きを止めた少年は、これを一気に掴み取ると、

 

 

「おかえしだ!」

 

 

 それを小鬼どもへと投げ返した。

 弦を放れた時よりも鋭い音を立てた矢は、たちまちゴブリンたちの脳天へ突き刺さる。

 遂には逃げ出すゴブリンも出た。

 しかし少年は、

 

 

「にがすもんか!」

 

 

 電光石火の速さで奴らの目の前に回り込むと、殴り、蹴り飛ばし、確実に息の根を止めていく。

 もはや得体の知れぬ恐怖に襲われていた小鬼どもは、貴族令嬢たちが広間の隅に放置されていた装備を取り戻したことにまで気が回らなかった。

 まず圃人の弓矢が放たれ、たちまち三匹のゴブリンを仕留めた。

 これに気付いた他のゴブリンたちが、

 

 

(まだ、あっちの方が勝ち目がある)

 

 

 と踏んだものか、彼女たちへ殺到する。

 だが、

 

 

「だりゃっ!」

 

 

 背を向けた敵の隙を見逃すわけもなく。それを追いかけた少年が、たちまち小鬼どもに追いついた。

 広間における激闘は、一時間もなかったであろう。

 終わってみれば、広間に夥しい数のゴブリンの骸。

 それら一匹一匹の死を確認した後で、貴族令嬢たちは山積みとなった村娘たちの屍を、沈痛な面持ちで見つめていた。

 そんな彼女たちへ、

 

 

「ひでえことするよな」

 

 

 少年が言葉をかけてくる。

 貴族令嬢が、

 

「……あなた、いったい何者ですか……?」

 

 

 問うと、

 

 

「オラ? オラは孫悟空だ」

 

 

 実に素直な少年の返答。

 その首にかかる白磁の小板を見て、貴族令嬢たちは信じられぬといった顔つきとなった。

 

 

 

 

 三

 

 

 

 

 激闘を終えた貴族令嬢一党と少年は、山砦を出て村へと下っていった。

 村民へ、村娘たちの悲惨な末路を伝えるためである。

 報告を聞いた村の男たちは、

 

 

「ありがとうございますだ……」

 

 

 拝むようにして貴族令嬢たちへ手を合わせたが、そのすぐ後で、堰を切ったように泣き始めた。

 貴族令嬢は、なんとも居たたまれない気持ちとなる。

 悲しみに暮れる彼らの姿が、故郷にいる両親と重なったからだ。

 

 

(一歩間違えれば、私もこうなっていた……)

 

 

 貴族令嬢は、改めて自分がどういった状況に身を置いて旅を続けているのか……それを自覚する。

 かくして一行は、重苦しい空気をまとったまま村を出た。

 次に向かうは、辺境の街である。

 例の少年が、そこを拠点としていると話したからだ。

 現在地から辺境の街へは、どんなに急いでも二日ほどは要する。ともなれば、道中に何が起きるか分からない。

 気高き騎士である貴族令嬢は、そんな危険の潜む帰り道を少年一人に歩かせるほど淡白な人間ではなかったのだ。

 尤も、少年が単身で山砦でまで出向いたことを考えれば、それは杞憂だと分かるものだが。

 現に少年も、

 

 

「いいよ。オラ、一人で帰れるし」

 

 

 口を尖らせて言ったものだ。

 だが、なにも貴族令嬢の目的は少年の付き添いというだけではない。

 山砦で無数のゴブリンを相手に、一騎当千の力を見せつけたこの少年の素性を、少しでも知りたいという思惑もあったのだ。

 果たして少年は、

 

 

「どうか、街まで送らせてください。私たちを助けてくれたお返しもしたいのです」

 

 

 という貴族令嬢の言葉に反応し、

 

 

「うぅん……じゃあさ、帰ったらメシを食わせてくれよ」

 

 

 食事を奢る約束を取り付けたことで、同行を承諾したのであった。

 そして、帰りの道中。

 貴族令嬢一党は、少年の健脚ぶりに目を見張った。

 長らく冒険をしてきた彼女たちも、決して足が遅い方ではないのだが、少年は疾風のごとくに歩を進めていくのだ。

 

 

「おい。はやくしないと夜になっちゃうよ」

 

 

 先を行く少年が、夕焼けのかかる空を指さしながらそんなことを言う。

 山砦において溜め込んでいた疲労が一気に出たのだろう。貴族令嬢一党は、

 

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

 

 息も絶え絶えという様子で、遂にその場へへたり込んでしまった。

 少年は、呆れたように彼女たちへ歩み寄ると、

 

 

「今日はここで寝るか」

 

 

 と持ち掛けた。

 

 

(あの村で休んでから出立すればよかった)

 

 

 貴族令嬢が後悔している間にも、

 

 

「そこでまってろ。薪ひろってきてやる」

 

 

 少年はそう言って、木々の中へと飛び込んでいってしまった。

 

 

「……元気ですね、彼」

 

 

 そう言ったのは、只人の僧侶であった。

 

 

「いや、元気とかそういう次元の話じゃない気がするけど……」

 

 

 圃人の野伏が、げんなりとして言うのへ、

 

 

「しかし、あの実力で白磁とはな」

 

 

 全く信じられない、といった様子で森人魔術師が呟いた。

 

 

「オルグの大群を単身で打ち倒す白磁など、聞いたことがない」

「まさか勇者様だったりするのかな?」

 

 

 圃人が言うのへ、

 

 

「……でも、勇者様って聖剣に選ばれる方なんですよね? あの方、そんなもの持ってるようには見えませんでしたが……」

 

 

 僧侶が首をかしげる。

 それから、やんややんやと少年に纏わる考察がなされていき、

 

 

「ねぇ。頭はどう思う?」

 

 

 圃人に呼びかけられた貴族令嬢は、

 

 

「そうですね……」

 

 

 呟きながら、その唇へ人差し指を当て、暫しの熟考。

 しかし、いくら考えてみても答えは出なかった。

 少年が薪を抱えて戻って来たのは、それから一時間後のこと。

 彼は、客を引き連れていた。

 

 

「なんだ。おめえたちもこっちに来てたのか」

 

 

 そう言って少年が伴ったのは、古びた神官衣に身を包んだ少女と、薄汚い革鎧と鉄兜で武装した男。

 貴族令嬢は、男と面識こそなかったが、その見た目と首にかかる銀の小板を見て、いつぞや水の街で聴いた、吟遊詩人の歌を思い出した。

 銀等級に属していながら、ゴブリン退治のみを引き受ける冒険者。

 依頼者からは白金の勇者が如く思われているが、同業者からは格下ばかりを相手にする腰抜けと揶揄される存在。

 

 

「ゴブリン、スレイヤー……」

 

 

 貴族令嬢が、ぼつりと呟いた。

 

 

 

 

 四

 

 

 

 

 焚火を囲んで夕餉を共にする七人の男女。しかし、その場の空気は重かった。

 貴族令嬢一党は訝し気にゴブリンスレイヤーを見やっており、それに気づいた女神官は居心地が悪そうに俯く。

 その中でひとり、少年だけは、

 

 

「なぁ。なんでおめえたちはこっちに来たんだ?」

 

 

 串焼きにした川魚を頬張りつつ、ゴブリンスレイヤーへ尋ねた。

 すると彼は、女神官自前の葡萄酒を飲んだ後で、

 

 

「ゴブリン退治だ」

 

 

 淡々と告げる。

 

 

「おめえ、ほんとにあのナメクジのフンみたいな色したやつらのことが好きなんだな」

「……好きではない」

 

 

 依然として厳かなゴブリンスレイヤーの声であったが、その中にふと殺気が込められたことを、貴族令嬢たちや女神官は知覚する。

 しかし少年は、

 

 

「そっか」

 

 

 相も変わらず能天気な反応であった。

 編に凝り固まってしまった空気をなんとか変えようと、女神官は少年へ問いかける。

 

 

「あ、あの……ソ、ソンさんはどうしてこちらへ……?」

「オラ? オラもあいつらをやっつけに来たんだ」

 

 

 これを聞き、

 

 

(まさか……?)

 

 

 微かな予感を抱いた女神官が、

 

 

「因みに、どこの?」

 

 

 訊くと、

 

 

「ほれ。この先に村があってさ」

 

 

 魚の跡形もなくなった串をもって北の方角を指した少年は、

 

 

「そこに、でっけえ城みたいなのがあってさ。そこにいるやつらをやっつけてきたんだ」

 

 

 これを聞いた女神官は、隣に座るゴブリンスレイヤーをそろそろと見上げる。

 

 

「……ほう」

 

 

 彼は、少しばかり顔を上げたかと思いきや、次には矢継ぎ早に、

 

 

「その城とやらはどの程度の規模だ?」

「ゴブリンは何匹いた?」

「呪文遣いや田舎者(ホブ)はいたか?」

 

 

 など、詳細な情報を求めてきた。

 これが終わった時には、すでに夜も更けようかという頃合い。

 

 

「……これだけいれば、火の番は問題なかろう」

 

 

 ぐるりと各々を見回した彼は、手短に就寝間の焚火の見張り役についてを説明した。

 果たして、食事を終えた一行は、眠りに向けての支度を始める。

 最初の火の番は、かの少年であった。

 

 

「起きてられっかな」

 

 

 などと、初っ端から不安を匂わせる少年へ、

 

 

「あの……」

 

 

 身を横たえていた貴族令嬢が、ゆっくりと起き上がって声をかけた。

 

 

「なんだ?」

「あなたは、彼のお知り合いなんですか?」

 

 

 声を潜めた貴族令嬢は、向かい側で俯き座っているゴブリンスレイヤーを顎で指す。

 

 

「ああ」

 

 

 少年はしっかりと頷き、

 

 

「初めてボウケンシャになったときにさ、助けてもらったんだ」

 

 

 にこやかにそう返した。

 

 

(この子が、誰かに助けられるような状況があるのかしら……)

 

 

 山砦における少年の身のこなしを思い出し、貴族令嬢は少しばかり首を傾げた。

 だが、この少年が嘘を言っているとも思えない。

 次いで彼女は、

 

 

「彼の事、どう思います?」

「……ゴッチャンのことか?」

 

 

 無骨な見た目のゴブリンスレイヤーに似つかわしくない渾名に、貴族令嬢は思わず吹き出しそうになる。

 必死にこらえた後で、

 

 

「え、ええ」

 

 

 貴族令嬢が頷くのへ、

 

 

「くらいけど、いいやつだぞ」

 

 

 少年が朗らかに答えた。

 

 

「あいつのことも、きたえてやってるみたいだし」

 

 

 少年は、ゴブリンスレイヤーの近くで眠る女神官を指さす。

 貴族令嬢は、意外に思った。

 先ほども述べたことだが、冒険者間でのゴブリンスレイヤーの評判というのは、あまりよろしくはない。

 冒険者等級の三位に属していながら、低級の化け物であるゴブリンばかりを相手にする臆病者。それが同業者からの評価だ。

 かくいう貴族令嬢も、実物を目にしたことはなかったが、

 

 

(銀等級であるならば、より強い怪物たちへと立ち向かうべきだ)

 

 

 と、常々思っていた。

 確かに、ゴブリンによってもたらされる被害も看過できぬところがある。しかし、世界における敵は奴らだけではない。

 魔神だの悪魔だのに比べれば、ゴブリンなどはわざわざ銀等級が自ら出向く相手でもないではないか。

 

 

(まぁ、そんな相手に犯されかけ、殺されかけたけど……)

 

 

 貴族令嬢の脳裏を、苦い記憶が過ぎ去っていく。

 ま、それは今はいいとして、だ。

 ゴブリン退治が人気のない依頼だということは、冒険者である彼女自身がよく知っていることだ。

 ともすると、それだけゴブリンの被害で苦しむ者たちが蔑ろにされている、という見方もできる。

 そう考えた時、ゴブリン退治を率先して引き受けているということは、悪い事になるのだろうか。

 確かに、混沌の勢力と戦うためには少しでも戦力がいる。

 奴らとの戦いには、世界の命運がかかっている。

 だが、それ以前に。

 

 

(依頼の本質は、依頼者の平穏だ)

 

 

 この考えに立ち寄った時、貴族令嬢は自身を恥じた。

 冒険者としての考え方に固執するあまり、依頼者のことを深く考えたことがなかったからだ。

 そこを行くと、ゴブリンスレイヤーは立派に依頼者の平穏を守っていると言えるのではないだろうか。

 

 

(他人の評判を聞いただけでは、物事の本質は見えてこない……)

 

 

 このことである。

 一方で、その実力を目にしてなお、未だ本質を掴みかねない少年の存在もあるわけだが……。

 

 

(世の中というのは、なんと広いのだろう……)

 

 

 貴族令嬢は改めて、そんなこと思いながら眠りに就いた。

 ……して、翌朝。

 空が白みがかろうかという時刻に目を覚ました一同であったが、

 

 

「あれ? おめえたちは街へいかねえのか」

 

 

 かの山砦がある方角へと向かおうとするゴブリンスレイヤーと女神官を見て、少年が声をかけた。

 僅かに振り向いたゴブリンスレイヤーは、

 

 

「その砦とやらに討ち漏らしがないか確認にいく。尤も、生き残りがいたとして、その場に留まっているとは考えづらいが」

 

 

 それだけ言うと、

 

 

「行くぞ」

 

 

 女神官を伴って、ずかずかと歩き去って行ってしまった。

 信用が無いというべきか、徹底しているというべきか。

 

 

「にげたやつはいなかったけどなぁ」

 

 

 少年はどこか不満げに言ったものだが、

 

 

「まぁ、いっか。あいつらもそのうちもどってくるだろ」

 

 

 あっけらかんと言い放った。

 

 

 

 

 

 五

 

 

 

 

 

 怪我一つなく冒険者ギルドを訪れた少年を見て、受付嬢は安堵のため息を漏らした。

 安心が行き渡ると、次には余裕が生まれ、余裕が生じると、今度は思い人の動向が気になってくる。

 

 

「あの……途中でゴブリンスレイヤーさんに会いませんでしたか?」

 

 

 この受付嬢の問いに答えたのは、貴族令嬢である。

 

 

「彼なら、北方の山砦に向かいました。討ち漏らしがいないか確認するそうです」

 

 

 そう言われて、

 

 

「失礼ですが……?」

 

 

 受付嬢は小首を傾げ、少年に視線を向けて説明を求めた。

 彼はあっさりと、

 

 

「向こうで会ったんだ」

 

 

 とだけ説明した。

 なるほど。依頼者が言っていた、先行した冒険者たちだったか。

 得心のいった受付嬢は、少年から冒険の報告を聞き納め、これを書類にまとめた。

 

 

「城の中のバケモンたちを、このねえちゃんたちといっしょにやっつけたんだ」

 

 

 少年がそう言ったのへ、後方に控えていた女性冒険者たちがどこか申し訳なさそうにしている様子が気にはなったが……。

 

 

(でもまぁ、皆さんが生きて帰ってきて、本当に良かった)

 

 

 嬉しさ故にあまり深く考えないことにした受付嬢は、用意した依頼の報酬を少年へ渡した後で、

 

 

「オールラウンダーさんも、そろそろ昇級の頃合いですかね」

 

 

 と切り出した。

 

 

「ショウキュウ?」

 

 

 硬貨の入った革袋を受け取った少年が首を傾げるのへ、

 

 

「君の場合だと、白磁から黒曜等級になれるんだよ」

 

 

 一党の圃人が教えてやったが、

 

 

「そうなると、なにがいいんだ?」

 

 

 少年は再び頭に疑問符を浮かべる。

 

 

「位が上がれば、請けられる依頼の種類が増える」

 

 

 森人の魔術師が付け加えたものの、

 

 

「ふぅん……」

 

 

 少年はあまり興味がないらしかったが、

 

 

「よくわかんねえけど、くれるもんならもらうぞ」

 

 

 いつもの如く、あまり物事を深く考えない笑顔を以て応じた。

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