いかに力を込めようと、曲剣がそれ以上の進行を拒んでいる。
外套の奥で獣人は青筋を浮かべ、牙をむき出しにした。
目の前にいる少年は、その小さな両掌で白刃を挟み、見事に受け止めている。
……と。
少年が、くらりと両掌を右へ傾けるや、小枝のように曲剣が折れてしまったではないか。
「なっ……!」
驚愕に目を見開く獣人の腹へ、容赦なく少年の蹴りが決まった。
それは、およそ子供のような背丈をした少年が放ったとは思えぬ威力を秘めていた。
臓腑の全てを槌で殴られたような痛みに、思わず獣人は蹲る。
この姿を見下ろしながら、
「おめえ、あのちっこい奴の仲間だろ!」
少年が叫んだ。
獣人は、答えぬ。
答えぬがしかし、段々と痛みの引いてきた獣人は、さり気なく左手首にはめた腕輪へと手を伸ばし、これを飾る牙のアクセサリーを引きちぎった。
瞬間、身を上げた獣人が、
「死ねっ!」
牙が変化した曲剣を、掬い上げるようにして放ってきたものだが……。
「よっ」
少年はひらりと後方へ回り跳んで、難なく一閃を躱す。
躱した後で少年は、
「おめえ、ちょっと前にオラがやっつけたイヤな奴にそっくりだ」
獣人を睨み据えて言うや、素早く構えをとった。
獣人は、いよいよ焦った。
真っ向からの勝負も、あの化け物じみた力の前には無意味。かといって、二度に渡る不意打ちも失敗に終わった。
(なにか……なにか他に手立ては……)
ちらと横手を見た獣人の目に、青いドレス姿の娘が映った。
瞬間、決意が固まった。
「くそっ!」
叫びつつ、曲剣を少年へ投げ打った。
少年は、頭を左へ傾け、事も無げに投剣を躱す。
その刹那、獣人は素早く娘へ迫り、背後に回ると、そのか細い首へ腕をかけ、
「動くな!」
叫んだ。
「ねえちゃん!」
少年が、やっと焦りの表情を見せた。
形勢逆転だ。
獣人は、娘の首を腕で絞めたまま、再び腕輪の装飾を剣へと変えた。これが、最後の一振り。まさか、ここまで消費するとは思わなんだ。
「動くなよ。動けば、この娘の首が吹き飛ぶ!」
忠告しつつ、獣人は少年へにじり寄る。
彼の頭の中に、もはや逃亡の選択肢はない。
人質があれば、少年はこちらの要求に従い、棒立ちにならざるを得ない。そこへ、今度こそ確実に剣を叩き込む。叩き込んだ後で、やはり娘も斬り殺す。後は、周囲で歯噛みしながらこの様子を見物している者たちを、順々に殺していくのだ。
妄想に酔いしれ、また一歩。悔しさに塗れた少年への一太刀まで、もう少し……だが。
「うっ……」
突如として、背中に強烈な衝撃を受けた獣人は、思わず手の力を緩めた。
曲剣が、そしてドレス姿の娘が、獣人の腕を離れる。
それでも懸命なことに、倒れまいと足を踏ん張った獣人が、血走った目で背後を見た。
「おめえ、ほんとに悪いやつだな」
呆れたような視線を向ける少年の姿。
「ば、馬鹿な……」
確かに少年は、前方にいたはず……。
今一度、視線を前に向けてみると、やはりそこには山吹色の道着を来た少年の輪郭がある。あったのだが……。
「あっ……」
ぼんやりと透けたその輪郭が、やがて解けて消えてしまった。
蜥蜴僧侶との戦いが終わってすぐに会場を後にした獣人は、少年……もといオールラウンダーの技の一つである『残像拳』を目にしてはいなかったのである。
「ち、畜生……」
悔しさと共に、体に張っていた力が抜け、ぐらりと獣人が倒れた。気を失ったのである。
これを見届けた後で、オールラウンダーは娘……すなわち牛飼娘に駆け寄り、
「ねえちゃん、大丈夫か!」
声を掛けた。
少しばかり涙の漏れた彼女は、これを腕で拭いつつ、
「だ、大丈夫。ありがとね」
健気に笑って見せる。
しかし、あまり安心は出来なかったのだろう。オールラウンダーは天へ向けて、
「
と叫んだ。
すると、空の彼方から街の広場へ、金色の雲が降りてきた。
周囲のやじ馬が驚きの声を上げるのにも気にせず、
「ねえちゃん。これに乗ってみろよ」
オールラウンダーが、牛飼娘へ促した。
不思議な雲を訝しみつつ、
「う、うん……」
頷いた彼女が、
「し、失礼します……」
と断りを入れ、雲に足を乗せる。
ふわりとした柔らかな感触が伝わった。
思い切って彼女は、
「えいっ」
雲に全身を乗せてみる。
ふわふわと浮遊した雲は、しっかりと彼女の体を乗せていた。
「やったな!」
オールラウンダーは笑顔でそう言った後で、倒れ伏している外套の襲撃者を軽々と担ぎ上げ、
「オラはこのまま会場までもどるけど、ねえちゃんはどうする?」
問われた牛飼娘は、暫し逡巡した後、
「私、家に帰るよ」
と答えた。
いまいち状況が把握できないが、これ以上少年と行動を共にしても、却って足手まといになりそうだ。
そんなことになれば、『彼』にも心配をかけることになる。それだけは避けたかった。
果たしてオールラウンダーは、
「わかった」
頷いた後で、
「筋斗雲。ねえちゃんのこと、よろしくな」
雲へと語り掛け、その頭……と思わしき部分を撫でてやる。
これに応えたものか。雲がふわりと上昇するや、風をきって空を駆けた。
「わわっ!」
初めこそ、その速度に戸惑った牛飼娘であったが、何やら馬にまたがって広野を駆ける心持となり、すっかり眼下に広がる光景を楽しむまでになった。
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